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<外伝>
第3話 三人寄れば文殊の知恵!?の巻
<登場人物紹介>
中津:墨二中野球部の一年生。原作『キャプテン』では未呼称。近藤曰く「イガラシの後釜まちがいなしの男」とされていたが、取材に訪れた記者に”腰が高い”と指摘されていた。
1.才能開花!?
放課後。牧野はいつものように、野球部部室へと向かった。
「……む、おお」
玄関先で、先に教室から降りてきていた近藤と出くわす。
「なんや、牧野かいな」
「悪かったなおれで……って、近藤」
見ると、丸顔の目の下にくまができている。
「おまえ、また寝不足か?」
「え……ああ、そんなとこや」
「フン。どうせおまえ、また二年生のこと考えてたんだろ」
「うっ、なんで分かるんや?」
「おまえの考えることなんざ、お見通しだよ」
牧野は笑って言ったが、その後小さく溜息をついた。胸の内につぶやく。
(ま……こいつが悩むのも、分からなくはないが」
―― 慎二や山下ら、二年生が反発の意思を示してから、三日が過ぎていた。
その間、表面的には穏やかに練習は進んでいた。二、三年生もまったく言葉を交わさないわけではなく、必要なことはお互いに確認しながら練習に取り組んだ。
しかし、お互いに一番大事な本音は話さない。小さな、しかし明らかな溝は、まだ埋められないままだった。
「曽根」
筋力トレーニングの後、牧野は長身の同級生を呼んだ。
「なんだ牧野」
「たしか今日は、内外野一緒にシートノックをする予定だったな」
「ああ、そうだが」
「悪いがノックをたのめるか?」
「うむ。かまわんが、おまえはどうする」
相手の問いかけに、牧野はグラウンド奥へ顎をしゃくった。そこにはJOYら投手陣九人が、壁に向かって投球練習を始めている。
「あの心配な連中を見てくる。近藤一人にはまかせておけんからな」
「あ、リョーカイ」
曽根はクスッと笑い、快く引き受けた。
その後、牧野は捕手用プロテクターを装着し、投手陣の集まるグラウンド奥へと向かう。近藤はすでに来ていた。今日はまず、川藤に付き添っている。
「また腕も足も縮こまっとるで」
近藤の指摘に、川藤は「はあ……」と戸惑った声を発した。
「もっと体を大きく使えと、前から言うとるやろ」
「は、はい」
川藤は言われたとおり、左足を思い切り前へ踏み込もうとする。しかし途中でバランスを崩し、横転した。ボールはあさっての方向へ投じられる。
「これ、自分で取ってこんかい」
「はい……」
一年生投手はすぐに起き上がり、ボールを取りに走る。
「なかなか苦戦してるな」
ふいに声を掛けられる。振り向くと、牧野がそこに立っていた。すでに捕手用プロテクターを身に付けている。
「今日は内野やのうて、こっちを見てくれるんかいな」
「ああ。いちおうキャッチャーだし、投手陣の様子は見ておく必要があるからな」
「ほんなら、あいつを見てくれへんか?」
近藤は列の端で、右腕をぐるんぐるんと振り回す少年を指差す。
「分かってる。田中だろ? あいつ球威はあるが、コントロールは相変わらずだからな」
牧野はそう言って、田中のもとへ駆けていく。それとほぼ同じタイミングで、川藤が戻ってきた。走って戻ってきたせいか、息を弾ませている。
「だいじょうぶかいな?」
「え、ええ……なんとか」
「なら、さっきのつづきや」
そして川藤は投球練習を再開した。だがこちらが何も言わないと、また腕の縮こまったフォームに戻ってしまう。近藤は「コントロールは悪うないんやがな」と、溜息をつく。
「やっぱり連日のフリーバッティングで、いいように打ち込まれとるから、思いきり投げる勇気が出ないんかな」
その時、近藤は「そうや!」と声を上げた。あることを思いついたのだ。
「おい川藤」
生真面目そうな一年生を呼ぶ。
「は、はい。なにか?」
「ひょっとして……ワイがまちごうてたかもしれへん。だとしたらカンニンな」
そう言って、近藤は「ぎゃくや」と付け加える。
「ぎゃく?」
「ああ。おまえ左足を前に踏み込もうとして、うまくいかへんのやろ」
「えっ、ええ」
「せやったら、ぎゃくに今までより、左足を手前に置いてみい」
「あ、はい。でもどうしてです?」
「あんさんの場合、前に踏み込もうとすると、体が後ろにのけぞってしまう。そんなら手前に踏み込んだ方が、体が前に傾いて、その分ボールが前で離せるかもしれへん」
「な、なるほどお」
「ま、モノは試しや。やってみい」
「分かりました」
川藤はすぐに投球せず、「この辺かな」と土の踏み込む箇所に、スパイクで印を付ける。それから投球動作を始め、ボールを投じた。
シューッと、風を切る音がする。そして壁に当たる強い音がした。
「むっ!」
思わず近藤は、目を見開いた。
「す、すごい。初めて見るタマの勢いや」
「た……たしかに。それにキャプテン」
「なんや?」
「この投げ方だと、体のバランスがくずれないので、コントロールもつけられる気がします」
「ほ、ほんまか」
近藤はグラブを手に、壁の近くへ走った。そしてこちらに向き直り、外角低め付近にグラブを構える。
「なら川藤。この辺に投げてみい」
「はいっ」
さっきまでと打って変わり、快活な声が返ってくる。そしてさっきと同じフォームで、二球目を投じた。
ズバン。近藤のグラブがほとんど動くことなく、小気味よい音を立てる。
「こ、こらすごい。川藤!」
近藤は立ち上がり、目を丸くする。
「あんさん、いま素質が花開いたかもしれへんで」
「や……やった!」
よほど嬉しかったのか、川藤は両手のこぶしを握り、目元をうるませる。
一連の光景に、牧野は「やるなあいつ」と驚いた。
「近藤のおかげで……川藤のやつ、たった今、素質を開花させやがった」
その時「牧野さん」と呼ばれる。
牧野はやはり、壁を背にしていた。そこから十八・四四メートル離れた先で、田中がまた腕をぐるぐると回している。
「あ、ああ。思いきってこい!」
半ば投げやりなふうに、牧野は屈み込んで、ミットを真ん中付近に構える。
「そらっ」
思いきりよく投げたボールは、牧野の手前でショートバウンドした。ミットを地面に寝かせるようにして、どうにか捕球する。
ハァ、と思わず溜息が漏れた。
「いくら球威はあっても、これじゃ使えねえな。マトモにストライクが取れないんじゃ」
その時だった。ふと牧野も「あっ」と、小さく声を上げる。
「そういや……前に、野球の本で読んだような」
あることを思い出す。そして田中のもとへ駆け寄った。
「おい田中」
「わっ。す、すみません!!」
なぜか田中は、身を屈めるような姿勢を取る。
「バカだなあ。べつに、なぐるんじゃねーよ」
牧野がそう言うと、田中は「えっ」と意外そうな顔になった。
「コントロールをつけられないことじゃないんですか?」
「ああ。それはあきらめてたから、だいじょうぶだ」
田中は「あらっ」とずっこける。
「それより田中。ためしに、セットポジションから投げてみろ」
また「えっ」と驚く田中。牧野は元の場所に戻り、屈んでミットを真ん中付近に構えた。
「わけは後で話す。さ、まずやってみろ」
「分かりました」
田中はまず足下にスパイクで線を引き、マウンドのプレートに見立てる。そこに右足を載せ、セットポジションの格好をした。そして一球目を投じる。
「くっ」
ボールは、高く外れた。牧野は伸び上がってミットを伸ばし、辛うじて捕球する。
「ああ、やっぱり」
ボールを足下に置き、田中へ告げた。
「よく聞けよ田中。おまえは投球動作を始める時、体が前へつんのめるクセがあるようだ。ボールがどこへ行くか分からないのは、そのせいだな」
「じゃ、じゃあどうすれば?」
「もう一度セットポジションだ。ただし、つぎのことを意識してみろ」
ふと気付けば、他の投手陣も投球練習をやめ、こちらに注目している。近藤も口をあんぐりして、自分達を見つめていた。そこで牧野は、声を大きくして告げる。
「いいか田中。投げ始める時、体の中心と地面とが垂直にならないといけないらしい。それを意識して、投げてみろ」
「は、はい……」
田中は戸惑いながらも、セットポジションから二球目を投じた。今度は、真ん中より僅かに逸れる。
「あ、あれ」
思わず、田中はつぶやいた。
「いまなんか……ねらったところに投げられたような」
「うむ。ちょっとずれたが、その調子だ」
さらに三球目。今度は、速球がきれいにど真ん中へ決まる。
「や、やった! おれ、はじめてキャッチャーの構えたところに」
「ほう、よかったじゃないか」
喜ぶ田中に、牧野も笑みを浮かべる。
「慣れてくると、今度は外角低め、高め、さらに内角低め、高めとコースを投げ分けられるようになってくる」
牧野の言葉に、田中は「あ、じゃあ」と躊躇いながらも言った。
「川藤と同じ、外角低めをねらってみてもいいですか?」
「おお、やってみるか」
後輩の意気に応え、牧野はミットを外角低めに構える。その眼前で、田中はセットポジションから、四球目を投じた。
速球が糸を引くように、牧野のミットへ吸い込まれていく。スパァン、と小気味よい音が鳴る。なんと田中も、キャッチャーが構えたとおりのコースに投じたのだ。
「よ、よっしゃ! すげえぞ、おれ!!」
しかし近藤が「ちょ、ちょっとまってえな」と、口を挟む
「なんだよ?」
「これじゃ、フォームが小さくなって、スピードがなくなってしまうやないか。コントロールはアバウトでも、威力ある速球を投げ込むのが、田中のええとこなんやし」
「そんないっぺんにできるか!」
不服そうに、牧野は怒鳴って応えた。
「ストライクを取るのもままならなかったこいつにしちゃ、大進歩じゃねえか」
近藤も「せやけど」と、譲らない。
「コントロールだけじゃ、きのうまでの川藤のように、打ち込まれてしまうで」
「む、それはそうか」
牧野が困惑の色を見せた時、田中が「まってください」と割って入る。
「ワインドアップでも、頭が地面と垂直なら、いいんですよね? それもぼく、なんかできそうな気がします」
えっ、と牧野は驚く声を発した。
「そんな急に? ま、まあ。そう言うならやってみろ」
さっきと同じように、ミットを外角低めに構える。
田中は、今度はワインドアップモーションから、投球動作を始めた。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。
「……おおっ」
牧野と近藤が、二人同時に叫ぶ。田中の速球は風を切り、牧野のミットを動かすことなく吸い込まれる。そして、さっきよりも迫力ある音を立てた。
「田中。あんさん、やるやないか!」
近藤は素直に讃えた。無邪気な一年生は「やったー!」と、素直に喜びを表す。
「JOYも、うかうかしてられんな」
牧野が右端で投球するJOYに声を掛ける。すると、JOYはなぜか「フフ」と含み笑いを漏らした。
「こういうことも、あるかと思いましてね」
そして「キャプテン」と、近藤を呼ぶ。
「な、なんや?」
「つぎは、ぼくのタマを受けてもらえませんか?」
「む。そら、かまへんけど」
近藤は訝しげにしながらも、場所を移動してJOYの前へと向かう。その間、他のメンバーは同級生二人に起こった劇的な変化に、驚きのあまりまだ突っ立っていた。
「おい、きさまら!」
牧野が怒鳴る。
「そうやって見てるだけじゃ、いつまでたってもうまくならねーぞ」
一年生達は慌てて自分の場所に戻り、投球練習を再開した。そして自分も、田中に「さあ、どんどん来い」と声を掛ける。
「それじゃ、いきます」
JOYはまず、セットポジションから第一球を投じた。やはり一人だけレベルの違う彼は、速球を外角低めいっぱいに決めてみせる。
「ほう、さすがのコントロールやな」
そう言って返球する。しかしひそかに、小声でつぶやいた。
「せやけどワイに勝とうなんて、おこがましいにもほどがあるで」
「キャプテン。なにか言いましたか?」
「な、なんでもあらへん!」
近藤は引きつった顔になる。
「それよりキャプテン」
少しニッとして、JOYが言った。
「ぼく……ちょっと新しいタマを試したいんですけど、いいですか?」
「な、なんやて」
近藤の返事もろくに聞かず、JOYは投球動作を始めた。右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕をしならせる。
「……ん?」
それはスピードを殺したボールだった。さらに近藤の構えるグラブの手前で、すうっと沈む。近藤は「おっと」と、後逸してしまう。
「じょ、JOY。なんやいまのタマは」
壁からの跳ね返りを捕り、返球しながら問う。
「チェンジアップです」
JOYは答えた。
「ぼくのタマ、近藤さんとちがって軽いので、ひとつまちがうとホームランを喰らいそうなんですよ。なので、速球をより速く見せる工夫が必要かと思いまして……」
あり、と近藤は首を傾げる。
「いまの言葉、だれかが言ってたような……」
あんなあJOY、と尋ねてみる。
「このチェンジアップ、だれに習ったんや?」
「えっ、いえ」
なぜかJOYは、慌てた顔になった。
「牧野さんみたく、ぼくも図書館で調べたんですよ」
「へえ……うちの図書館、そんなに品揃え豊富やったか」
まあええか、と近藤はグラブを構える。
「さ、どんどん投げや」
「はい!」
張りきった様子で、JOYは投球練習を続けた。他のメンバーも、時折自分でフォームを確かめつつ、壁に向かって投げていく。
2.曽根のアイディア
「なんだかピッチャー組は、楽しそうだな」
曽根は溜息混じりにつぶやいた。
眼前には、内外野の各ポジションにレギュラー候補が三人ずつ。またその周囲には、そこから漏れた残りの六十人余りが、素振りやキャッチボールを行っている
「つぎ、ライト!」
掛け声に、ライトの山下が「オウッ」と力強く応えた。
曽根は、速いゴロをライト前へ打つ。山下は鋭くダッシュして、シングルハンドでグラブに収める。中継のセカンド松尾が「山下!」と叫んだものの、それを介さずに直接バックホームした。
「ひっ」
送球の迫力に、キャッチャー役の一年生は捕球したものの、怯えてしまう。
「フフ、山下のやつ。選抜でレギュラーから漏れたもんで、取り返そうと必死だな」
その時「こら山下!」と、怒鳴る者がいた。セカンドの松尾である。
「なんでおれが中継だと言ってるのに、直接ホームへ投げたんだ」
「うるせえな。この打球の速さじゃ直接刺せると判断して、バックホームしたんじゃねえか。きさまレギュラーのくせに、アタマがかてえんだよ!」
「な、なにいっ」
松尾はつかつかと歩み寄り、山下のユニフォームの胸倉をつかむ。
「おまえのプレーは、ただ自分が目立ちたいだけだろう。んなことしてるから、レギュラーを取れないんだよ」
「んだと、きさまっ」
松尾と山下は、互いのユニフォームを掴み合い、今にもどちらかが殴り掛かりそうな格好だ。あちゃあ、と曽根は顔を覆う。
「山下のやつ。今度は苛立ちを、同学年のやつに向け始めやがった。松尾も松尾だ。テキトーに受け流せばいいものを、ムキになりおって」
サードの慎二が、仲裁しようと駆け寄ろうとする。
「やめろ二人とも。練習中だぞ!」
「ほっとけ慎二」
曽根は笑って、わざと大声で言った。
「ケンカぐせを直せねえなら、二人ともレギュラーから外せばいいんだ」
その言葉にハッとして、二人はもう一度互いを睨みながらも、それぞれのポジションへと戻っていく。
「しかし、あのおとなしかった松尾が、あれほど激しく感情をあらわにするとは。ひょっとして、案外いい兆候かもしれんな」
ひそかにクスッと笑い、曽根はバットを構え直す。
「つぎ、サード!」
三遊間へ痛烈なゴロを放つ。しかしサードの慎二は慣れたもので、片膝立ちで捕球すると、素早く一塁へ投じる。
「わっと」
しかし送球は高く逸れ、ファースト佐藤の精一杯伸ばしたミットを弾く。
「……だからさ、うわっ」
ボールはそのまま、だらけた雰囲気でおしゃべりしながら素振りしていた一年生四人組の所へ、ワンバウンドして飛び込んでいく。
「あー、ごめんごめん」
棒読み口調で、慎二は言った。
「楽しんでるとこ悪かった。こういうこともあるから、気をつけろよ」
最後は強い口調になる。明らかな嫌味である。
「い、いえ。めっそうもございません!」
四人は揃って一礼した。慎二は「まったくだらけちゃって」とつぶやく。
「やはりこいつ、曲者だな」
曽根は苦笑いを浮かべた。けど、とひそかに溜息をつく。
「ああも練習に参加できない者が多いと、どうしてもだらける者がでてくるのも、ムリねえか。これがイガラシさんがキャプテンの時なら、厳しい練習についていけなくて、とっくに他所の部へ移ってるんだが」
キャプテンか、と曽根はつぶやいた。
「考えてみりゃ、いままでおれ達はイガラシさん……キャプテンの存在に、ちとたよりすぎてたのかもしれんな。なにもキャプテンにぜんぶ引っぱってもらうんじゃなく、もっとみんなで助け合ってもいいんじゃないか」
「……あの、曽根さん」
ふと慎二に呼ばれる。曽根はそこで、ノックを中断していたことに気が付いた。
「みんなまってるんですけど」
「あ、スマンスマン。つぎショート!」
ショートを守る一年生中津の正面へ、バウンドが高く跳ねる。彼は近藤をして「イガラシの後釜まちがいなし」と言わしめた男である。
その中津は、鋭くダッシュして、滑らかな動作でバウンドの落ち際をグラブに収める。そしてファーストへジャンピングスローした。
「ほほう、なかなかやるな」
曽根は感心げに言って、「つぎセカン!」と体を右へ向ける。
その時だった。そうだ……と、あることに思い至る。一度バットを置き、背後のレギュラー外のメンバーを振り向く。
「おい、おまえら」
大声で呼びかける。
「おまえらの中で、足だけでも自信のあるやつはいるか?」
メンバー達は戸惑いながら、しばし互いに目を見合わせていたが、やがて五人に一年生がこちらに駆けてきた。いずれも守備のテストで落とされた者達である。
五人のうちの一人が「ぼくらでよければ」と、曽根の目を見上げて言った。
「五人とも、小学生の時に、地区の陸上大会に出たことがあります」
「そうなのか!」
曽根は目を丸くした。
「だったら陸上部へ行きゃよかったのに」
「でも、なんだか野球部の方が楽しそうというか、ラクそうだったので」
正直な返答に、曽根は「あら」とずっこける。
「ま、いいや。おまえらにはランナー役をたのみたい」
そう言って、さらに付け加える。
「言っておくが、練習のためだけじゃないぞ。試合の後半、点がほしい場面で、代走として試合に出るかもしれねえってことを、アタマに入れとけよ」
「し、試合ですか!?」
五人は驚いた目になる。
「ぼくらが……」
「ああ」
そう答えた後、今度は残りのメンバー達に向き直る。
「いいか、よく聞け。おまえ達は、しばらく、得意なことだけを磨け。こいつらのように走塁、また打撃、守備なんでもいい。なにか一つでも光るものがあれば、代走や代打、守備固めで試合に出してやるからな!」
ええっ、と声が響く。それは驚きと喜びに入り混じった声だった。
「おれらも、試合に出られるんだってさ」
「しかも得意なことだけでいいんだってよ」
「とっくにレギュラーはあきらめてたから、試合に出られるのなら、なんだっていいや」
曽根は渋い顔で、「話はまだ終わってない」と付け加える。
「なにか一つだけでもと言ったが、そうカンタンなことじゃないぞ。なにせそれでレギュラーを上回らなきゃいけねえんだからな」
厳しい口調で言うと、再び周囲は静まり返る。
「たった一芸だけで試合に出ようなんて、よくばるわけだからな。人一倍練習しないと、到底ムリな話だぞ。分かってるんだろーな!?」
レギュラー外メンバー達は「はいっ」と快活に応え、さっきまでとは目の色を変えて、キャッチボールや素振りに取り組み始める。
「よし。やっぱ、エサはぶらさげるものだな」
そう独り言を言って、曽根はランナー役の五人に指示する。
「一人はバッターランナー、あとは一塁と三塁に入ってくれ。しばらく一・三塁の状況でやってみるから、交代ずつな」
「はいっ」
五人は返事して、それぞれの場所へ散っていく。
「さあ、シートノックを再開するぞ」
曽根はバットを拾い、レギュラーの野手陣へ声を掛けた。
「こうやってランナーを置いた方が、実践に近い練習ができるだろう。まずワンアウト一・三塁だ。ええと……たしかファーストからだったな」
そう言うと、ファースト佐藤が「おうっ」と返事する。
「よし。ここからは、ほんとうにランナーがいるからな。ちゃんとアタマを働かせないと、カンタンに点をやってしまうぞ」
まず曽根は、ファースト方向へまた高いバウンドの打球を放つ。佐藤は捕球すると、一瞬三塁ランナーがホームへ突っ込むのを見たが、間に合わないと判断し二塁へ送球する。ランナーは間に合わず、フォースアウト。
「さすが佐藤、いいお手本を見せてくれたよ」
曽根がそう言うと、サードの慎二が「たしかに!」と声を上げた。
「じっさいにランナーがいた方が、その時その時の判断を求められますから、ずっと実践的でいいと思います」
そうだろう、と少し得意げに曽根は言った。
3.慎二の提案
練習終わりのランニングの後、三年生五人は後片付けを一、二年生に任せて、部室前に集まった。
「……なるほど。代走や代打、守備固めか。そりゃいい考えだ」
曽根の話に、牧野は感心げに言った。
「レギュラーでなくとも、途中交代で試合に出せるやつがいるとなりゃ、こっちとしても打てるテが増えるからな」
そうだろう、と曽根はうなずく。
「あいつらだって、見込みの薄いレギュラーを目指すより、ずっと現実的な目標ができていいと思うんだが」
せやな、と近藤がなぜか得意げな表情だ。
「ワイが一年生を大事に扱ったかいがあったやろ」
「ああ。思いつくまでは、いつおまえをとっちめてやろうかと思ってたがな」
あらっ、と近藤はずっこける。
「そうすねるなよ」
牧野が笑って、近藤の背中をポンと叩く。
「おまえのおかげで、あの川藤が生き返ったんだからな」
えっ、と曽根は目を丸くする。
「川藤って、いつも打たれて泣きべそかきそうになってた」
「ああ。どういうわけか近藤の指導で、だいぶスピードが増したんだ。もちろん、持ち前のコントロールはそのままにな」
「へえ。あの川藤がねえ」
どや、と近藤は腰に両手を当てる。
「少しはワイのこと、見返したか」
牧野が「おい」と突っ込む。
「それを言うなら『見返したか』じゃなく、『見直したか』だろ。まったく……これじゃ国語まで追試させられるぞ」
れっ、と近藤はまたずっこけた。
「ま。問題はまだ、たくさん残ってるけどよ」
曽根は夕日を眺め、しみじみと言った。
「『三人寄れば文殊の知恵』と言うが、こうやってみんなでアイディアを出し合えば、なんとかなるんじゃねえか」
その時、ふいに横から「あの」と声を掛けられる。振り向くと、慎二が立っていた。
「曽根さん。レギュラー外の中から、特別な役割を持つ者を選ぶっていうの、すごくいい考えだと思うんですけど。ただ一つ気になることが」
「うむ、なんだよ」
「バッティングと走塁はできるとしても、守備練習だけは、今のままだとレギュラーに入れないと、させてもらえないじゃありませんか」
あっ、と三年生五人は声を上げる。
「たしかにな」
牧野が言った。
「このグラウンドじゃ、一つしかダイヤモンドは作れねえ。といって今でさえ、一つのポジションに多くて五人いるから、そいつらにまで守備練習させるのはむずかしいぜ」
だな、と他の四人も頭を抱える。
「あ、そこでなんですけど」
少し笑みを浮かべ、慎二が話を続けた。
「いぜんレギュラーが特訓で使ってた工場裏の空き地を、つぎはレギュラー外の者の守備練習で使うというのはどうでしょう?」
五人は目を見合わせ、「なるほど」と声を揃える。
「そりゃいい。二ヶ所で同時にやれば、スペースを気にする必要ねえもんな」
同調する曽根。一方、牧野は「ただなあ」と難色を示した。
「あのヘタクソな連中を、おれらの目の届かないところで練習させるってことか? おれはちと、心配だなあ」
「それなら、おれ達が交代制で、ちゃんとやってるか見にいけばいいだろう」
曽根があっさり答える。
「今までだって、交代でノックしてたしよ。おれらが見にいけば、やつらには試合に出られるようアピールしたいって気持ちもあるだろうし、そうそう手は抜かねえだろ」
「それはそうだな。ま、一日ぐらいいいか」
そう言って、牧野は「慎二」と呼ぶ。
「おまえ、その空き地を使える許可、取れるか?」
「そう言われるかと思いまして」
慎二は口元に笑みを浮かべる。
「このまえ管理のおじさんに、昼間も使えるように、許可をもらっておきました」
「で、でかした慎二!」
牧野はポンと、後輩の頭を軽く叩いた。
「それじゃ。さっそく明日から使わせてもらいたいから、できれば今日の帰りにでも寄って、管理の人にあいさつしといてくれ」
「分かりました!」
慎二はぺこっと頭を下げ、「では失礼します」と駆けていく。
「うーむ」
一連の光景を、近藤は複雑な思いで眺めていた。
その日の夜。近藤宅へ、一本の電話が掛かってきた。
「おっと……」
宿題をしていた近藤は、部屋を出て廊下で電話を受ける。
「はい近藤です……おお慎二、どないやった? だいじょうぶやったか。これでさっそく、明日から使えるな。おおきに。ほなまた」
電話を切った時、たまたま近藤の父・茂太が通りかかる。
「なんや、うれしそうやな。まさかいまの電話、ガールフレンドかいな」
「ちゃ、ちゃうねん!」
近藤は慌てて否定する。
「そんなワケないやろ」
「うむ。ワシも始めから、そう思うとったよ」
身も蓋もない父の発言に、近藤は「あら」とずっこける。
「で。ほんまは、だれからやった?」
「野球部の後輩からや」
ムッとしつつ、近藤は答える。
「部員があまりに多いもんで、どこかにもう一ヶ所、練習場所がないか探しとったんや。ほんで、いまその許可が正式に取れたって連絡やった」
「ほほう。それは、よかったやないか」
「うーむ、せやけどパパ」
苦い顔で、近藤は言った。
「イガラシはんがキャプテンの時は、みんな黙ってあの人の言うことを聞いとったのに。ワイがキャプテンになったとたん、言いたいことを言いよるねん」
「ほうほう」
「なんや、ワイの存在ってなんやろかって、思うてしまう」
「茂一(しげかず)。それは、ちごうとる」
思わぬ父の言葉に、近藤は目を見開く。
「どーゆうこと? パパ」
「まあたしかに、おまえが頼りないもんで、みんなが言いたいことを言っとるのはあるかもしれへんな」
「やっぱし」
ガクッと頭を垂れた。しかし茂太は「せやけど」と話を続ける。
「それだけやのうて、おまえなら自分の話を聞いてもらえる。そう思って、発言しとる者もおるんじゃないか」
のう茂一、と父は声を潜めて言った。
「先代のイガラシくんは、たしかに優れたリーダーやった。せやけどあの子は、ちと完ぺきすぎて、みんなどこか近寄りがたいとこ、あったやろ」
「ああ……たしかに」
「だがおまえはちがう。おまえになら、みんな自分の意見を聞いてもらえると思って。それもひとつの、期待のあらわれなんやで」
そう言って、茂太は息子の左肩をポンと叩く。
「なにもみんながみんな、イガラシくんのようなリーダーを目指さなくてええ。おまえはおまえらしく、自分なりのキャプテン像を作っていけたらええんとちゃうのか?」
「ぱ、パパ……」
近藤は少し感激して、思わずがしっと抱きついてしまう。
「これ。いつまで甘えん坊でおるつもりや」
父は軽くゲンコツを喰らわせた。テッ、と近藤は目を×の形にした。
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