南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第63話「墨高ナイン、甲子園に立つ!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

 

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【目次】

  

 

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 第63話 墨高ナイン、甲子園に立つ!の巻

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1.組み合わせ抽選会

―― 学校を出発してから、およそ半日後。墨高ナインの姿は、大阪ホールの中にあった。これより甲子園大会における最初のイベントと言うべき、組み合わせ抽選会が行われようとしていた。

 ホール内では、すでに各地区を勝ち抜いてきた代表校の選手達が、席に着いていた。その多くの者が、あの深紅の大優勝旗をわがものにせんと、闘志を燃やすのである。

 

 

「ふう……なんだかもう、くたびれちまったい」

 ホールの席にもたれかかり、横井が愚痴をこぼす。

「学校を出発してから、長いのなんのって」

 む、と戸室が同調した。

「いったい何時間バスに乗ってたのか、分からねえよ。おれ、肩こっちまったよ」

 倉橋が「こら、おまえら」と注意する。

「少しはしゃきっとしないか。これから戦うかもしれない相手が、周りにいるんだぞ。もうすでに戦いは始まってるってこと、自覚しろよ」

「わ、分かったよ」

 小さく溜息をついて、横井は背筋を伸ばして座る。隣の戸室もそれに倣う。

「ありがとう、倉橋」

 キャプテン谷口は、傍らの正捕手に礼を言った。

「なーに。おまえさんは、抽選のことでアタマがいっぱいだろうからな。こういう細かい目配りは、おれが受け持つよ」

「うむ、助かるよ」

 その時だった。

「あー、いたいた。谷口さん!」

 通路より、黒目の大きな少年に呼ばれる。そしてもう一人。いずれも見覚えのある顔だ。

「おおっ、須藤と村瀬じゃないか」

 谷口は席から立ち、二人とそれぞれ握手を交わした。

「昨年はすみませんでした」

 須藤がそう言って、村瀬と並んで頭を下げる。

「ろくにあいさつもせず、急に退部していってしまって」

「しかたないさ。二人とも、親御さんの仕事の都合だったんだろう。しかし転校先が同じだったのは、また奇遇だな」

 でも……と、谷口は微笑んで言った。

「ここにいるということは、おまえ達も……甲子園に?」

「ええ、なんとか」

 村瀬が誇らしげに胸を張る。

「茨城の学校だったよな。たしか名前は……」

「草南(そうなん)高校です。草に南と書いて、草南」

 須藤が答えた。

「二人ともレギュラーには入れたか?」

「はい、ぼくがレフトで村瀬がサードです」

「ほう。それじゃ二人とも、立派にチームに貢献してるじゃないか」

 谷口の言葉に、須藤は苦笑いする。

「どうでしょう。今回は、先輩達に連れてきてもらったのが正直なところで、あまりその実感はありませんが」

「いやいや。とにかく……お互い初出場同士、健闘を祈るよ」

 谷口はそう言って、二人の肩をポンと叩く。

「はい、ありがとうございます」

 二人は揃って頭を下げた。その後、見知りのメンバーと互いに合図をしてから、自分達の席へ戻っていく。

「須藤も村井も、元気そうでよかったですね」

 後列で、島田が嬉しそうに言った。

「もしかしたら、初戦でうちとぶつかる、なんてことも……」

 ああ、と谷口は表情を引き締める。

「気の抜けない相手が、また一つ増えてしまったな」

 その時だった。ホール内をアナウンスが流れる。

―― おまたせいたしました。これより第55回全国高校野球選手権大会・組み合わせ抽選会を行います。各校のキャプテンは、舞台袖に集合してください。

「……よしっ」

 アナウンスを聞いて、谷口は立ち上がる。そしてナイン達へ声を掛けた。

「それじゃあ行ってくるよ」

「おい。今のうちから、あまり気負うな」

 倉橋が笑って言った。

「しょせんは運だからな。まちがって優勝候補を引いたりしても、気にすんなよ」

「分かってるよ」

 そう応えて、谷口は踵を返し舞台袖へと向かった。

 

 

―― 組み合わせ抽選は、一回戦からの同地区同士の対戦を避けるため、東西の地区に分けて行われる。今年は、東側の地区の代表校から籤を引いていった。したがって、この段階ではまだ対戦相手は分からない。

 

 谷口は他の代表校のキャプテン達と共に、舞台袖で待っていたが、順番はあっという間に回ってきた。一度深呼吸して、スポットライトに照らされる舞台へと出ていく。そして、籤の入った白い箱の前に立ち止まる。

「大きな箱だな……」

 谷口はもう一度深呼吸して、箱の中に手を入れ、籤を一枚取り出す。開いた時、思わず安堵の吐息が漏れた。それから舞台上で、中身を伝える。

「墨谷高校、三日目第二試合・B!」

 一礼してから、舞台袖に引っ込む。そしてひそかにつぶやいた。

「よかった。上々の日程だ」

 谷口の次に、長身の選手が舞台へと出ていく。ワイシャツの左胸に、緑色で「草南」と刺繍されていた。

「須藤と村瀬の学校だな……」

 草南のキャプテンは、籤を開くと一瞬ペロッと下を出した。そして会場へ告げる。

「草南高校。初日第一試合・A!」

 おおっ、と会場がどよめく。草南は、甲子園大会において特別な意味合いを持つ、開幕試合を引き当てたのである。

「ハハ。須藤達、運がよかったのか悪かったのか……」

 舞台袖で、谷口は苦笑いした。

 やがて東側の代表校が、すべて籤を引き終え、今度は西側の代表校の番となる。ここから、いよいよ初戦の対戦カードが決まっていくのである。

 まず登場したのは、今大会優勝候補の筆頭・西将学園の平石だった。それだけで、会場が再び沸く。平石は余裕綽々という表情で籤を引き、顔色一つ変えずに読み上げた。

「西将学園、五日目第一試合・B!」

 舞台袖。列の後方で「ああ」という声が漏れた。西将の初戦の対戦相手となってしまった代表校のキャプテンである。

 抽選会は滞りなく進んでいく。やがて、また見覚えのある人物が舞台上に現れた。

「あっ……東(ひがし)君だ」

 箕輪高校のエースにしてキャプテン、東信彦である。昨年の春の甲子園優勝投手の登場に、報道陣のフラッシュが多数焚かれた。

「そうか。たしか東君、また投げられるようになったんだっけ」

 谷口は胸の内につぶやく。

 東は泰然自若とした態度で、ゆっくりと籤を取り出す。その顔が、一瞬綻んだ。そして籤の内容を読み上げる。

「箕輪高校。一日目第一試合・B!」

 ワアァッと、会場からこの日一番のどよめきが起こった。復活の東擁する箕輪が、何と開幕試合に登場することになったのである。

「うーむ、マズイな」

 今度はすぐ後ろで、溜息混じりの声が聞かれた。箕輪の対戦相手となった、草南のキャプテンである。

「……ま、よそのことを気にしても、しかたがない」

 谷口はそう自分に言い聞かせる。自分達の対戦相手は、まだ決まっていないのだ。

 それでも、ほどなくその時が訪れる。

 ラスト何番目かというところで、グレーのズボンを履いた長身の選手が出てきた。彼は籤を引くと、こう読み上げる。

「城田高校、三日目第二試合・A!」

 フウ、と谷口は大きく吐息をつく。決まったか……と、小さく声を発した。

「……城田高校、聞いたことあるぞ。たしか熊本の、ちょくちょく甲子園に出てくるトコだろう。しかし、まいったな」

 ポリポリと頬を掻く。

「九州地区のチームとなると、ますます情報を集めるのがむずかしいぞ」

 やがて最後の代表校が籤を引き、組み合わせ抽選会は無事終了した。

 

 

「し、城田って……どこだ?」

 戸室が戸惑うような声を上げた。

「なんだ。おまえ、知らないのか」

 やや呆れ顔で、倉橋が言った。

「まあ常連校ってほどじゃねえが、それでもちょくちょく出てくる学校だぞ。たしか過去三回ほど、ベストエイト入りしてる」

「うーむ、そう言われてもなあ」

 斜め後ろの席で、横井が首を傾げる。

「ここ数年はあまり聞かないし。強いのか弱いのか、よく分からねえや」

 そうですね、と一年生の片瀬も同調する。

「今年の城田は、春の甲子園にも出てません。新入生でどんな選手が入ったかにもよりますが、力量はまったくの未知数だと言ってよいと思います」

 倉橋は「そうか」と渋い表情になる。

「大試合にくわしい片瀬も知らないとなると、いよいよ事前に情報を集めるのはむずかしそうだな。試合中にそれをやると決めておいて、正解だった」

 たしかにな、と横井がうなずく。

「できないものと思ってた方が、割り切って試合できる。谷口のやつ、いい判断したぜ」

 

 

 抽選後、対戦チーム同士のキャプテンとの写真撮影と、報道陣の取材が待っていた。

 日程順に行うため、谷口と城田高校のキャプテンは、比較的早く呼ばれた。二人は対面すると、互いに自己紹介を行う。

「城田高校キャプテンの、沢村です。はじめまして」

 相手はそう名乗った。

「こ、こちらこそ。墨谷高校キャプテンの谷口です」

 それから報道陣の前で、握手を交わす。同時に、たくさんのフラッシュが焚かれた。さすがに谷口は戸惑ってしまう。

 ほどなく記者の一人が、さっそく質問を投げかけてきた。

「お互いの印象を聞かせてください」

 はい、とまず沢村が答える。

「墨谷高校さんは、春の甲子園四強の谷原を下すなど、激戦区の東京都予選を勝ち抜いてきた非常に手強いチームだと、警戒しています」

 実直なキャプテンだな、と谷口は感心した。

「一方の谷口キャプテンは、城田をどう見ていますか?」

「あっ、はい!」

 つい声が上ずってしまう。沢村がクスッと笑った。

「城田高校さんは、過去何度も甲子園に出場した経験を持つ、伝統あるチームだという印象です。でもあの、すみません……」

 谷口は制帽越しに頭を掻きながら、ついこぼしてしまう。

「ぼくら地区大会を勝ち抜くのに手一杯で、しょうじきの他府県の学校のことは、よく知らないんです」

 正直な返答に、記者達からクスクスと笑い声が漏れる。

「えーっと、沢村君に聞きたいんですけど」

 今度は別の記者から、質問が飛ぶ。

「地方大会で一年生ながら主戦投手級の働きをした、矢野君に注目が集まっていますが、上級生としてどんなサポートをしてきたのですか?」

「いえ、特別なことはしていません」

 やや厳しい表情で、沢村は答える。

「われわれは大所帯ですから、レギュラーの一人一人が、チーム内での厳しい競争を勝ち抜いてポジションを獲得しています」

 ほう、と谷口は溜息をつく。やはり伝統校はちがうな……と、胸の内につぶやく。

「矢野とて同じことです」

 沢村は、さらに話を続けた。

「彼には一年生ということに甘えず、伝統ある我が校の主戦投手としての自覚を持ってプレーすることを、期待しています」

「な、なるほど……よく分かりました」

 メモを取りつつ、記者は続いて谷口にも質問してくる。

「墨谷も東京都大会では、数多く一年生が活躍したと聞いています。学年の別なく、チームワークを整えられた要因はなんだったと思いますか?」

「えっ、それは……みんなでがんばったことかな」

 記者は「あら」と拍子抜けした顔になる。すると、また別の記者が質問した。

「最後に沢村君から、今大会の意気込みを聞かせてください」

 はい、と沢村は返事して、生真面目な表情で返答する。

「伝統ある我が校の名に恥じぬよう、一人一人が責任を持って、正々堂々とプレーしようと思います」

 その記者は、「つぎは谷口君」と、同じ質問を投げかけてきた。

「あ……はい。がんばります」

 素朴すぎる返答に、記者達は「あーあー」とずっこける。傍らで、沢村は明らかに笑いをこらえていた。谷口は一人、顔を赤らめる。

 

 

 翌朝。墨高ナインは、再び貸し切りバスに揺られていた。この日は制服でなく、ユニフォーム姿である。

「まったく。なんでインタビューとなると、毎回こうなるかね」

 横井が新聞を手に、呆れ顔で言った。周囲からプククと笑い声が漏れる。

「記者の人も、原稿を埋めるのに苦労したろうぜ。『墨高のキャプテンは「がんばります」と控えめなコメント。その実直な人柄が、しなやかな粘り強いチームを作り上げてきた』だってさ。ほんと、モノは言いようってやつだぜ」

 ハハハハ……と、車内を笑い声が包み込む。

「おいみんな、もうその辺にしとけ」

 倉橋が笑いをこらえながらも、ナイン達に注意した。

「それより収穫は、ほんの少しだが、対戦相手の特ちょうが見えてきたってことだ」

 ええ、と半田が話を引きつぐ。

「新聞記事によると、城田は一年生の矢野投手が、地方大会をほぼ一人で投げ抜いてきたそうです。がっしりとした体格の本格派右腕で、防御率は〇点台です」

 途端に車内は静まり返った。半田、と倉橋が尋ねる。

「城田の、地方大会のスコアはチェックしてくれたか?」

「はい。でも……ちょっとよく、分からないんですよ」

 ノートを手に、半田は困惑顔になる。

「準々決勝と決勝は大量点を奪ってるのですが、三回戦と準決勝は少ない得点を守り切って勝ってるんです。相手投手との兼ね合いもあるのですが……これじゃ打線が強いのか弱いのか、ちょっと判断しづらいです」

 谷口が「なあ半田」と口を挟む。

「その、打線が強いのか弱いのか分からないというのが、城田の特ちょうということじゃないのか」

「どういうことです?」

「つまり……得意なタイプの投手と、苦手なタイプの投手がいるということじゃないか」

 あっ、と半田は声を上げた。

「キャプテンの言うとおりですね。じゃあ試合の時は、どんな投球をされると嫌なのかを早くつかむことが、勝敗を左右することに」

「うむ。ただもうちょっと日はあるし、半田は旅館の新聞にすべて目を通して、少しでも情報を集めてくれ」

「……あれ、谷口」

 倉橋が怪訝そうに言った。

「事前の情報はアテにしないんじゃなかったのか?」

「そうは言ったが、ないよりは少しでもあるに越したことはないさ。ただ倉橋が前に言ってたように、中途半端なデータは先入観につながってしまう。そこで半田……必要な情報とそうでない情報とを、きちんと整理していて欲しい。できるか?」

「あ、はい。やって見せます!」

 半田は力強く応える。

 その時だった。ふっと車内を、静寂が包み込む。バスが市街地を抜け、そこで墨高ナインが見たものは……

 びっしりと蔦の葉の貼りつく壁面。ナイターゲームではカクテル光線と呼ばれる光を照射する、高々と伸びる照明設備。

 それは紛れもなく――墨高ナインが夢見てきた、甲子園球場だった。

 

 

2.ここが甲子園!

 墨高ナインがバスを降り、球場近くまで辿り着くと、白いポロシャツ姿の係員が歩み寄ってきた。

「墨谷高校のみなさんですね。どうぞこちらへ」

 バックスタンド側の入口に案内され、中へ通される。そこから少し歩いていくと、一枚の扉があった。

「いま他の学校が使っているので、少しここでお待ちください」

 係員はそう言って、自分だけ扉の奥へと入っていく。その向こう側からは、ノックの音と掛け声が聞こえてきた。

「ふーっ、なんだか緊張するぜ」

 二年生の島田がつぶやく。

 それから数分が過ぎただろうか。再び扉が開き、さっきの係員が戻ってきた。

「おまたせしました。どうぞ中へ入って、練習を始めてください」

「ありがとうございます」

 谷口が礼を述べた以外、ナイン達は無言で中へと入っていく。

 敷き詰められた内野の黒土。緑の萌える外野の天然芝。甲子園のグラウンドが、そこに広がっていた。

「三分だ!」

 ふいに谷口が声を上げた。

「これから三分以内に用具を準備して、全員ポジションに着くこと。もちろん雑に並べるんじゃないぞ。いいな!」

 ナイン達は「オウッ」と、快活に返事する。そして手際よくバックネット下にバッグ類を並べていき、次々にグラウンドへと飛び出していく。

 そう――この日は、甲子園練習である。

 谷口はサードのポジションに着くと、少し足元の土を均してみた。柔らかい。思わず、ほう……と、深く息を吸い込む。

「そうか、ついに来たんだな。ここ……甲子園に!」

 その時、ある者がフフと含み笑いを漏らした。イガラシである。

「意外と小さいですね」

 思わぬ一言に、谷口はあっけに取られる。

「むかし青葉と決勝を戦った、高野台球場の方が、ずっと広く感じました」

「そ、そうか……」

 ほんとに動じない男だな、と胸の内につぶやく。

 周囲を見回すと、すでに全員がそれぞれのポジションに着いていた。地方大会ではマネージャーの役割が主だった半田も、この日は本来のライトの守備に着く。井口と松川、片瀬の三人は、もちろんマウンドに上がった。

 ノッカーと球出しは、いつものように一年生の高橋と鳥海が務める。

「いきますよ。まず、サード!」

 高橋の掛け声で、シートノックが始まった。さあ来い、と谷口は応える。

 カキッ。打球音が心なしか、地方大会の時よりも澄んで聞こえた。リズムよく捕球した谷口は、素早く一塁へ送球した。ファースト加藤のミットが、小気味よい音を鳴らす。

「もういっちょ、サード!」

 今度は岡村がノックを受ける。一年生の彼も、無難にゴロをさばいた。

「つぎ、ショート!」

 こうして、墨高ナインにとって初めての甲子園練習が、テンポよく進んでいく。

 やがてノックが二回りしたところで、谷口は「タイム!」と合図し、一年生二人とキャッチャー二人のいるホームベース付近へ歩み寄った。

「高橋、鳥海。おまえ達も守備に着いてこい」

 二人は一瞬、互いに目を見合わせる。

「え……いいんですか?」

「ああ、せっかくの記念だ。存分に楽しんでくるんだぞ」

 キャプテンの言葉に、二人は「はい!」と声を揃える。そして高橋はサード、鳥海はセンターへと走った。

 二人がポジションに着いたのを確認してから、谷口はシートノックを再開させる。

「さあいくぞ。サード!」

 ノックの音、グラウンドを駆ける音、捕球の音。それぞれの音が、甲子園球場を流れる浜風に乗って、心地よく響いた。

 

 

 甲子園練習後、墨高ナインは近くの高校へと移動し、そこのグラウンドを借りて練習を行う予定になっていた。

 バスを降りる時、倉橋がポツリと言った。

「しかし……自分達の練習を休んでまでグラウンドを貸してくれるなんて、ちょっと悪い気もするな」

 その言葉に、谷口も「ああ」と同調する。

「せめて有意義に使わせてもらって、貸した甲斐があったと思ってもらえるようにしよう」

「む、そうだな」

 ナイン達はさっきと同じように、素早くバスから移動して、練習用具やバッグ類を手際よくきれいに並べていく。

「だいぶ時間を意識して行動できるようになってきたな」

 谷口は満足げにうなずく。

「これなら試合本番でも、審判や係員に急かされることはなさそうだ」

 ナイン達が守備位置に着き、シートノックを始めようとした、その時だった。

「諸君、ちょっといいかね」

 ふいに部長が、声を掛けてくる。練習に関しては、いつも静かに見守っている彼にしては、珍しい。

「みんな。いったん、集合だ」

 谷口は全員に呼びかける。そうして部長とナイン達は、ホームベースを置いた付近に集まった。

「入場行進の練習は、しなくていいのか?」

 ええっ、と多くのナイン達が反応する。

「そんなの……前の学校についていきゃ、いいんだし」

 横井が戸惑ったふうに言った。

「小学校の運動会じゃあるまいし、なあ」

 苦笑いしたのは戸室である。

「……あの、部長」

 しかし谷口は、反論の代わりに、こう尋ねる。

「なにか意図が、おありなのでしょうか?」

「大ありだよ。諸君」

 部長はきっぱりと答えた。

「ワシは野球のことはよく知らんが……ヘタな行進を披露するのは、敵にスキを見せることと同じではないかね」

「な、なるほど……」

 そのとおりだな、と谷口は思った。

「しかし何も、わざわざ練習しなくたって……」

 鈴木が面倒くさそうに、つぶやく。

「それじゃ鈴木。あと、横井に戸室」

 ふいに部長に呼ばれ、三人は「は、はあ……」と戸惑いながら返事した。

「できるというなら、そこでやってみろ」

 ええっ、と三人は声を上げた。それでも渋々といった様子で縦に並び、その場で行進を始める。しかし三人の手足の振りは、まるでバラバラだった。

「なんだおめえら」

 倉橋が呆れ顔で言った。

「てんでダメじゃねーか」

 正捕手の傍らで、数人がプククと吹き出してしまう。

「おい、笑いごとじゃないぞ」

 そのメンバーを、倉橋は注意した。

「あやうく全国の舞台で、大恥をさらすとこだったんだからな。今笑ったやつらだって、ほんとにできるのかよ」

 その言葉に、もう誰も言い返す者はいない。

「……よし。そうと決まったら、さっそく始めよう」

 都大会優勝旗を持つ谷口、そして倉橋を先頭に、ナイン達は二列に並ぶ。

「ではいくぞ。足ぶみ、始め!」

 倉橋が「イチ、ニ、イチ、ニ」と掛け声を上げる。しかしやはり、全員の手足が揃わない。あちゃあ……と、正捕手は顔を覆う。

「いいか、右手から振り始めるんだ。谷口もういっちょ」

「う、うむ……」

 谷口は苦笑いして、もう一度「足ぶみ始め!」と声を掛けた。

 

―― それから四日後。いよいよ夏の甲子園大会、開幕の時を迎えた。

 

 

 その日。谷口家では、母が玄関の掃き掃除をしていた。

「ごめんくださーい」

 玄関先で声を掛けてくる者がいた。顔を上げると、見覚えのある青年が立っている。その後ろには、さらに彼と同い年くらいの四人の男達がいた。

「あ、アンタ。たしか電気屋の」

「はい。田所電機……じゃなくて、タカオ君の野球部の先輩の田所です。そして彼らも同じく、野球部OBの」

「中山です」

「山口です」

「太田です」

「山本です」

 四人の自己紹介を聞いて、母は戸惑った顔になる。

「まだ急な訪問だね。どうしたんです」

「どうしたって……お母さん、ご存知ないのですか?」

「なにをです」

「今日は、夏の甲子園開幕の日なんですよ」

「それは知ってますよ。でも、試合は三日目だっていう話じゃ」

「ですが……今日は開会式があって、全代表校がテレビに映るんですよ」

 その言葉に、母は「なんだって!」と声を上げた。

「ちょっとお待ち」

 そう言い置き、茶の間へ駆け込む。襖を開けると、父がすでに徳利とお猪口を手に、テレビを見ている。

「おう、先にやってるぜ」

 父はすでに赤ら顔で、上機嫌だ。

「なにせ、おれ達のセガレの晴れ舞台だからな。しっかり見てやらねーと」

 ガチン、と母のゲンコツが飛ぶ。

「おちーっ。て、てめえなにしやがんだ」

「なにしやがんだ、じゃないよ。知ってたんなら、なんで教えなかったんだい!」

 ハアと溜息をつき、声のトーンを落として告げる。

「いまタカのお友達が来てるんだ。上がってもらうよ」

「お、おう……かまわねーけど」

 父は涙目で、たんこぶをなでつつ返事した。

「こんにちは」

「お邪魔しまーす」

 やがて、母に通された田所、中山、山口、太田、山本の五人が上がり込む。

「お父さん、どうかされましたか? 頭に大きなコブが」

 田所が心配そうに尋ねる。

「……な、なんでもねえ。ささ、どうぞ楽にしちゃって。むさくるしいとこだけどよ」

 父は苦笑いして言った。

 テレビ中継では、すでに吹奏楽による「大会行進曲」の演奏が始まっていた。そして北海道の代表校から、続々と入場してくる。

「どうやら間に合ったみたいだな」

 中山が安堵の声を発した。

―― 茨城県代表、草南高校!

 球場内のアナウンスに、実況アナウンサーが解説を重ねる。

―― 草南高校は、県大会でノーシードから勝ち上がってきた、初出場の学校です。堅い守りを武器に、接戦を勝ち上がってきました。この後、開幕試合に登場してきます。

「……おおっ」

 ふいに中山が声を上げた。

「き、急にどうしたんだよ?」

 田所が片耳を抑えながら尋ねる。中山は「見てくださいよ」と、テレビ画面を指差した。

「須藤と村瀬ですよ。ああ、そっか……田所さんは入れ違いなんで、分からないスね」

「いや、知ってるさ。練習には、ちょくちょく顔を出してたからな」

 ほう……と、田所は感慨深げに吐息をつく。

「しかし二人とも同じ学校に転校して、うちと同じ年に甲子園出場を決めるとはな。ちとできすぎだぜ」

「できれば、うちと対戦して欲しかったスね」

 中山が言った。その時、山口が「しーっ」と人差し指を立てる。

「田所さん。茨城が来たってことは、そろそろ……」

 ちょうど埼玉県の代表校が通過した、次の瞬間だった。

―― 東京都代表、墨谷高校!

 きたっ、とOB五人は声を揃えた。

 先頭に都大会優勝旗を握る、キャプテン谷口。その隣に倉橋。以下、総勢二十一名の墨高ナインが、胸を張って堂々と行進してきた。

「見ろよ。行進も手足を大きく上げて、みんな揃って、見事なもんだぜ」

 田所が感慨深げに言った。「そうですね」「ほんとだ」と、他の四人も同調する。

「行進だけ見てりゃ、ちっとも初出場校には見えませんね」

 そう言って、中山が満足げにうなずく。傍らで谷口の両親は、二人ともそっと涙を拭う。

―― ああ、ひときわ大きな拍手が贈られています。

 アナウンサーが、解説を始めた。

―― 初出場ながら、注目校の一つです。都大会の準決勝で、春の甲子園四強の谷原、決勝では甲子園常連校の東実と、強豪校を立て続けに下し、大きな話題をさらいました。

 そして中学野球をご覧の方には、馴染みの深いチームでしょう。過去二度の中学選手権を制した墨谷二中出身の谷口君、丸井君、イガラシ君らが集結。

 中学野球を舞台に暴れ回った彼らが、今度は甲子園の地に立ちます。ひょっとして当時からの彼らのファンは、今日のこの時を、ずっと待っていたかもしれません……

 

 

「イチ、二、イチ、二。そうだ、手を高く振れ」

 倉橋が、後列のメンバーに声を掛ける。丸井やイガラシらレギュラー陣は平気そうだが、半田や鈴木ら控えメンバーは、すでにバテてきている。

「半田、鈴木がんばれ! もう少しだ」

「は、はい……」

 やがて墨高ナインは、プラカードを持つ女子生徒に先導され、他の代表校と一緒に外野フェンスの手前に並ぶ。

 こうして入場行進は、滞りなく進んだ。最後の代表校が並び終えると、今度はホームベース側へ向かって、全校の選手達が前進していく。

―― ぜんたーい、止まれ!

 アナウンスを聞いて、谷口はホッと安堵の吐息をついた。

「やれやれ、どうにか無事終わった。あとは開会式をこなすだけだな」

―― 大会歌を演奏します。

 あっ、と谷口は小さく声を上げた。吹奏楽の演奏で、あの「栄冠は君に輝く」が流れる。

 ようし、と谷口は気合を込め、都大会の優勝旗を強く握りしめた。

 

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