【目次】
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<外伝>
第5話 試練の練習試合!の巻
<登場チーム紹介>
南海中学:昨年夏の選手権大会ベスト4の強豪校。打線にさほど破壊力はないが、ねばり強く、最後まで墨谷二中を苦しめた。また、今年も変化球投手を主戦投手とした、堅い守りが特徴である。
1.練習試合五連戦開始!
―― 連休初日。午前中の第一試合は、昨年の選手権準決勝で戦った南海中である。試合前、墨谷ナインは円陣を組む。
「ええっと、念のためオーダーを確認しとこうか」
近藤はそう言って、手元のオーダー表を読み始める。
「一番サード慎二。二番セカンド松尾。三番キャッチャー牧野、四番……ライトでワイ。そして五番、ピッチャーがJOYや」
のっぺり顔のJOYは、強豪相手の先発登板にも涼し気な顔だ。
「そして六番ショート曽根、七番ファースト佐藤、八番レフト鳥井、九番センター山下。まずは、この九人で戦って、状況次第で控えメンバーも投入していく。それでええな?」
ナイン達は「オウヨ!」と快活に応える。
後攻の墨谷ナインは、まず守備位置に散った。そしてマウンドにはJOY。牧野がポジションで屈み込むと、すぐに投球練習を始める。
「おっと」
一球目のボールが上ずった。牧野はグラブを高く伸ばし、辛うじて捕球する。続く二球目は、ホームベース手前でショートバウンドした。
牧野が両肩をぐるりと回し、力を抜くよう仕草で伝える。JOYはその動きを真似した後、両腕を広げスーハーと深呼吸した。
「だいじょうぶかアイツ」
やがて、アンパイアが「バッターラップ」と声を掛ける。そして南海中の先頭打者が、ゆっくりと右打席に入ってきた。長身で大柄の打者である。
「いきなりパワーのありそうなやつだな」
胸の内に、牧野はつぶやく。
「南海中。昨年の全国大会で戦った時は、さほど打力はないが、投手を中心に堅い守りのチームだったが。今年はどんなものか」
そしてアンパイアが「プレイ!」とコールする。
初球。牧野は「まずここよ」と、外角低めの速球を要求した。JOYはうなずき、ワインドアップモーションから一球目を投じた。そのボールが、高めに浮いてしまう。
「まずい」
牧野は一瞬目を瞑りかけた。
パシッ。大飛球が、センター山下の頭上を襲う。山下がバックする、まだバックする。あわや抜けるかと思われたが、背走しながらジャンプした。そして伸ばした左手のグラブの先に、ボールが収まる。
「な、ナイスセンター!」
JOYが声を掛けると、山下は「バカ!」と怒鳴り返した。
「力で抑え込もうなんて、おまえの持ち味じゃねーだろ。普段の投球を思い出せ!」
「は、はい」
JOYは苦笑いして、正面に向き直る。一方、牧野は「へえ」と感心して言った。
「山下のやつ。いつの間に、あんな的確な助言ができるようになったんだ。昨年はすっぽ抜けたバットが松尾に当たって、べそかいてた男が」
ワンアウトランナーなし。続く二番は、小柄な左打者だった。
「こりゃ、なにか仕かけてくるかもしれんな」
牧野はそう判断し、一球目のサインを出す。
JOYが指先からボールを放った瞬間、打者はバットを寝かせる。やはりセーフティバントを狙いにきた。しかしボールはスピードがなく、さらにホームベース手前で沈む。
打者はバントを空振りした。
「ナイスボール!」
そう言って、牧野は返球する。
「チェンジアップにしておいて、よかったぜ」
続く二球目は、内角高めに速球を投じた。打者はまたも、セーフティバントをねらう。今度は三塁線に巧く転がした。
「オーライ!」
しかしJOYは鋭くダッシュし、流れるようなフィールディングで捕球と同時に一塁へ送球。打者は頭からベースへ飛び込んだが、間一髪アウトの判定。
「ほほう。あいつバント守備まで、うまくなってやんの」
そしてライトの近藤を、ちらっと見やる。
「あのマイペースなJOYが。近藤への対抗意識で、ここまで変わるとは」
迎えた三番打者は、長身ながら細身の選手だった。牧野は「ちょっといやな感じだな」とひそかにつぶやく。
その三番が、左打席の手前で数回素振りする。明らかにミート重視のスイングだ。
「やはり。振り回してくれるなら、ありがたいんだが」
初球、外角低めのカーブ。打者はこれをおっつけるように、レフト線へ打ち返した。JOYが「しまった!」と叫ぶ。
打球はレフト線の内側ぎりぎりに落ち、さらに左へ切れていく。レフトの鳥井が曽根へ返球した時、打者はすでにスライディングもせず、二塁ベースを回りかけていた。
ツーベースヒット。ツーアウトながら、得点圏に走者を背負うこととなる。
「JOY、これも勉強だ」
牧野はすかさず、マウンド上の投手へ声を掛ける。
「全国にはこういうバッターが、ゴロゴロしてるぞ」
「あ、はい。分かりました!」
思いのほか力強い声が返ってきた。牧野はつい、苦笑いしてしまう。
「ほんとにだいじょうぶなのか、あいつ」
続く四番打者は、右打席に入った。さほど身長は高くないが、がっしりとした体躯の持ち主である。こちらはバットを短めに握る。
「こいつはセンター返しねらいか。四番だとか関係なく、まず一点という考えだな」
牧野は「練習試合なんだし」と、内角高めに構える。
「さ、思い切ってこい!」
初球。JOYは要求どおり、内角高めに速球を投じた。打者のバットが回る。パシッと快音が響いた。打球はレフトフェンスへ向かって伸びていく。しかし僅かに左へ切れ、ファール。
「ふう、あぶねえ。もっと慎重にいななきゃ」
胸の内にそうつぶやき、今度は外角低めに構える。
「つぎはコレよ」
牧野サインに、JOYはうなずく。そして二球目を投じた。
外角低めのカーブ。ストライクぎりぎりのコースだったが、打者は強引に引っ張った。速いゴロが、一・二塁間を抜けていく。
「ら、ライト!」
叫ぶ牧野。その眼前で、近藤が打球をシングルハンドで捕球する。その間、二塁走者が三塁ベースを蹴り、ホームに突っ込んでくる。
「ワイの強肩を見せたる!」
近藤は何と、ノーバウンドの送球を投じてきた。それが牧野の構えるミットに、そのまま吸い込まれる。
「なにっ」
走者は回り込もうとするが、その右手を牧野のミットがはらう。
「あ、アウト!」
アンパイアのコール。JOYはホッとしたのか、マウンドにしゃがみ込む。
「どうや、見たか!!」
近藤が雄叫びを上げながら、ベンチへと引き上げていく。
その裏。守る南海中のマウンドには、小柄な投手が立つ。
投手はすぐに投球練習を始めた。サイドスロー気味のフォームである。見た目のわりに、速球はスピードがあった。さらにカーブ、シュートのキレも鋭い。
「ほう。ナリのわりに、なかなかいいタマ放るな。さすが南海のピッチャーだ」
感心げに見つめる牧野。その傍らで、近藤は「せやけど」と首を横に振る。
「タマじたいは軽そうやけ。ミートそりゃ、飛びそうやな」
そして打席へ向かおうとしていた、先頭打者の慎二を呼び止める。
「慎二。ねらいダマをしぼって、当てるくらいのつもりでいくんや」
「分かってますよ」
慎二は口元に笑みを浮かべた。
「昨年のエースと比べりゃ、大したことなさそうですし。さっさと点差をつけて、ほかのピッチャーが登板するチャンスを作らなきゃいけませんしね」
そう言って、踵を返す。
慎二が右打席に立つと、アンパイアがすぐに「プレイ!」とコールした。
眼前のマウンド上。南海の小柄な先発投手が、サイドスロー気味のフォームから第一球を投じてきた。速いカーブが、手元で小さく曲がる。
「ストライク!」
へえ、と慎二はマウンド上を見やった。相手投手は間を取りたいのか、右手にロージンバックを馴染ませている。
「けっこうキレがあるな。見た目であなどって、カンタンに手を出すと、打たされてしまうぞ」
続く二球目。今度は内角低めに、速球が投じられる。
「こ、これだ!」
慎二はバットを振り抜く。パシッ、と小気味よい音がした。相手キャッチャーが「レフト!」と叫ぶ。しかしすでに打球はレフト線を破り、フェンス際まで転々としていく。
慎二は中継の様子を見ながら、余裕を持って二塁ベースにスライディングした。ツーベースヒット、ノーアウト二塁。墨谷が、早くも先取点のチャンスを得る。
「おおっ」
牧野が感嘆の声を上げた。
「あいつ球威に負けなかったぞ。そういや近ごろ、かなり振り込んでたものな」
む、と近藤がうなずく。
「毎日ワイの速球を打たされとるし、当然やけどな」
あら、と牧野はずっこける。
続く二番松尾も、右打席に入った。ややバットを短めに構え、二塁走者の慎二と目を見合わせた。慎二はさりげなく、手振りで「外角よ」とサインを出す。
初球は、やはり外角へシュートが投じられた。松尾は左足で踏み込み、おっつけるようにして打ち返す。打球は二遊間を破り、左中間へ転がっていく。
センターが捕球した時、すでに慎二はホームベースを駆け抜けていた。
センター前タイムリーヒット。強豪南海中に対し、墨谷二中が幸先よく一点を先取。なおノーアウト一塁で、三番牧野へと回る。
2.大苦戦!
―― 墨谷対南海の練習試合は、一回裏、墨谷が慎二と松尾の連打により、幸先よく一点を先取した。なおノーアウト一塁で、三番牧野に回る。
コンッ。一塁線に、バントの打球が緩く転がった。南海のファーストが鋭くダッシュして捕球するも、二塁は間に合わず。
「くっ」
仕方なく一塁へ送球。牧野はアウトになったものの、送りバント成功。ランナーを得点圏の二塁へと勧め、四番の近藤へと回す。
「ようし!」
ネクストバッターズサークルにて、近藤はマスコットバットを振り回し、気合を入れる。
「JOY、見とけや。ラクに投げさせたるさかい」
「は、はあ。どうも」
のんびりとした口調に、近藤は「あら」とずっこけた。
気を取り直して右打席へと入り、バットを構える。眼前のマウンド上では、南海のピッチャーが右手にロージンバックを馴染ませている。
「さあこい!」
相手ピッチャーは、やはりサイドスロー気味のフォームから、第一球を投じてきた。スピードのあるボールが、外角低めに飛び込んでくる。
「むっ」
近藤がスイングすると同時に、ボールは小さく外へ曲がった。バットの先端に当たり、打球は一塁側ファールグラウンドへ転がっていく。
「ほう。今のスピードで、曲げてくるとは」
感心しながらも、小声でつぶやく。
「しかしこの程度の変化で、おさえられるワイやあらへんで」
そのつぶやきを、南海のキャッチャーはしっかり聞いていた。
「ハハ。この程度の変化とは、手厳しいな」
屈み込み「つぎはコレよ」とサインを出す。
近藤がバットを構える。そして二球目。南海のピッチャーが投じたのは、スローカーブだった。
「っと」
大きく体勢を崩す。それでも近藤は、辛うじてバットのヘッドを残し、二遊間へライナーを打ち返した。
「あっ」
キャッチャーが顔を歪めかけたその時、二塁ベース付近で、セカンドが横っ飛びして捕球した。そのままベースタッチへ行く。
「しまった」
スタートを切りかけていた松尾は、慌てて手から戻ろうとするが、間に合わず。ダブルプレーが成立し、スリーアウト。
「くそっ、ついてない」
近藤は唇を噛みしめ、ベンチへ引き上げていく。
―― 幸先よく先制した墨谷だったが、その後はもどかしい展開がつづく。毎回のようにチャンスを作りなgらも、相手投手の粘り強いピッチングと、南海の再三にわたる攻守に、なかなかリードを広げられず。四回にようやく一点を追加するにとどまった。
一方、毎回ランナーを出しながらも力投するJOYだったが、少しずつ疲労の色が濃くなっていく。
そして墨谷が二点リードで迎えた、五回表……
パシッ。三番打者のおっつけた打球が、低いライナーで三遊間を破る。これで満塁と、ピンチが広がった。
「た、タイム!」
牧野はアンパイアに合図して、JOYに歩み寄る。この時他の内野陣、そしてライトから近藤も駆けてきた。ほどなくマウンド上には、バッテリーを中心に人の輪ができる。
「JOY、だいぶ疲れてきてるようだな」
牧野の声掛けに、JOYは首を横に振った。
「いいえ。ぼくはまだ、投げられます」
言葉とは裏腹に、JOYは肩で息をし始めている。
「JOY、ムリしなはんな」
近藤がなだめるように言った。
「全国トップレベルの南海に、五回途中まで無失点。ここまでやれれば、上出来やで。さ、あとはワイにまかせて」
「でもぼく、こういう場面でおさえられるようになりたいんです」
ほう、と牧野は意外そうな目になる。
(あのマイペースなJOYが、ここまで意地っぱりになるとはめずらしいな)
「投げさせてやったら」
気楽そうに言ったのは、曽根である。
「こいつの言うとおり、いずれこういう場面を乗り切れるようにならなきゃいけないわけだし。せっかくの機会だからな」
「おいおい。カンタンに言ってくれるな」
牧野が異を唱える。
「JOYは明らかに疲れてる。ツーアウトとはいえ、ここで長打でも喰らえば、一気にひっくり返されちまうぞ」
「いいじゃねえかよ、打たれても」
曽根は事もなげに言った。
「もしそうなったら、それはそれでいい経験になる。公式戦じゃなく練習試合なんだし」
うーむ、と牧野は腕組みする。
「キャプテンはどう思う」
せやな、と近藤は答えた。
「本人に、ちゃんと覚悟があるのなら、ええんとちゃう?」
「そうだな」
渋面ながらも、牧野はうなずく。
「分かった。やってみろJOY」
「あ、ありがとうございます」
「こら。よろこぶのは、おさえてからにしろ」
曽根がたしなめる。すみません、とJOYは苦笑いした。
「JOY、てめえで言い出したことだ」
そう牧野が付け加える。
「たとえ打たれても、泣き言ぬかすんじゃねえぞ」
「は、はい」
JOYは神妙な顔でうなずいた。
やがてタイムが解け、野手陣は守備位置へと帰っていく。牧野もポジションに戻り、屈み込む。傍らで、すでに南海の四番打者が右打席に立っていた。
「まずココよ」
サインを出し、外角低めにミットを構える。
マウンド上。JOYはセットポジションから、一球目を投じた。その速球が、しかし高めに大きく外れる。
「どうしたJOY、力んでるぞ」
牧野の声掛けに、JOYは「は、はいっ」と返事する。
(らしくないな、JOYのやつ)
腑に落ちない思いで、返球する。
(選抜の時は、ピンチになっても、もっと淡々と投げられていたのに)
やがて「そうか」と、あることに思い至る。
(あんときは、打たれてもともとと、無欲でいられたんだ。しかし今、初めておさえてやろうという気になってる。それが力みにつながってるのか)
牧野はミットを真ん中に構え、サインを出す。
「カーブを投げさせて、力みを取るか」
マウンド上。JOYはうなずき、再びセットポジションから二球目を投じた。
「うっ、高い」
カーブが高めに浮く。南海の四番打者は、これを見逃さなかった。バットを強振し、パシッと快音が響く。
「れ、レフト! センター!!」
牧野の掛け声も虚しく、打球は左中間の真ん中を破った。そして外野フェンスに当たり、跳ね返る。クッションボールの処理を、レフト鳥井がややもたつく。この間、ランナーが一人、二人……そして一塁ランナーまでが、一気にホームベースを駆け抜けた。
二対三。墨谷は、ついに逆転を許してしまう。
「ほな、最後いくで」
マウンド上。近藤が練習球のラストを投じた。ズバンと、牧野のミットが小気味よい音を立てる。
「おい近藤」
捕球すると、牧野がこちらに駆け寄ってきた。
「逆転は許したが、まだ一点差だ。あとはたのむぞ」
「まかしとき」
そう言って、近藤は僅かに笑う。
「敵さんにも、JOYにも、これぞエースのピッチングってのを見せたる」
そのJOYは、近藤と代わりライトに入っていた。ポーカーフェイスながら、時折唇を噛みしめる。この仕草に、やはり悔しさが滲む。
牧野がポジションに戻ると、アンパイアが「プレイ!」とコールした。
ツーアウト二塁、墨谷は依然としてピンチである。迎える南海の五番打者は、左打席に入った。スパイクで足下を均した後、バットを短めに握る。
「フン。バットを短くしたところで、ワイのタマが打てるかいな」
その初球、近藤は速球を外角低めに投じた。打者のバットが回る。パシッと快音が響く。
「な、なんやてっ」
やや不利遅れ気味ながらも、ライナー性の打球はジャンプした慎二の頭上を越え、レフト線の内側ぎりぎりに落ちた。そのままファールグラウンドへと転がっていく。
レフト鳥井は回り込んで捕球するも、中継のショート曽根へ返球するのが精一杯。その間、二塁ランナーが悠々と生還した。
あっさり適時打を許し、呆然とする近藤。
「こ、こんなんただの出会いがしらや!」
しかし続く六番打者にも、初球に投じた速球をまたも狙い打ちされ、二遊間を破るセンター前ヒット。センター山下のバックホームが一塁側へ逸れる間に、ランナーがホームへ滑り込んだ。連続適時打となり、二対五。墨谷のビハインドは三点と広がってしまう。
「くそっ」
ホームベース手前で、牧野もうなだれる。
「近藤まで、なんでこんなカンタンに打たれるんだ!」
―― その後。どうにか立ち直った近藤は、つづく六~八回を無失点におさえた。
しかし援護をもらい、気をよくした南海の投手もしり上がりに調子を上げ、墨谷はランナーすら出せなくなっていく。
迎えた九回表。墨谷はツーアウトながら、二・三塁のピンチを招き……
パシッ。一番打者が速球を叩いた打球は、ライトJOYの頭上を襲う。
「ライト、バックだ!」
牧野の声よりも先に、JOYは背走し始めていた。そしてダイブする。だがそれも虚しく、打球は数メートル前でバウンドする。
「なんやて」
マウンド上で、近藤が顔を歪めた。
センター山下がカバーに入り、中継のセカンド松尾へ送球する。しかしその間、二人のランナーは楽々とホームを陥れていた。バッターランナーは三塁に到達。
二対七。最終回に、墨谷は五点ビハインドを負う。
「くそうっ」
半ば自棄(やけ)になり、近藤は投球した。
バシッ、と牧野のミットが鳴る。次打者のバットは空を切る。今度は近藤の球威が勝り、空振り三振。これ以上の追加点は許さなかった。
「くっ、やられた」
ベンチに引き上げつつ、牧野は小さくかぶりを振る。
(カーブでタイミングをずらそうと思ったんだが、やつらそれをカットして、速球をねらい打ちしてきやがった。しかし南海の連中、どうしてあんなカンタンに)
やがて牧野は、あることに思い至る。
(ひょっとして南海のやつら。近藤のタマには、もう目が慣れてたんじゃ)
―― 九回裏。墨谷はねばりを見せ、ワンアウト満塁とチャンスを作る。しかし……
パシッ。慎二が左中間へ、大飛球を打ち返した。
墨谷ベンチが一瞬「おおっ」と沸く。だが、あらかじめ深めに守っていた南海のレフトが、フェンス手前で半身になりながら捕球する。三塁ランナーのJOYがタッチアップから生還するも、ツーアウト。差は四点。
「いけーっ、松尾」
ベンチより、牧野が声援を飛ばす。
「おまえが出れば分からないぞ。ねらい球をしぼって、ミートするんだ!」
「は、はいっ」
しかし相手ピッチャーは、ここに来ても制球力が落ちない。一球目、二球目といずれも変化球を厳しいコースに決め、あっという間にツーストライクと追い込む。
「これまでか……」
ベンチ隅にて、近藤が溜息混じりにつぶやいた。
そして三球目。南海のピッチャーは、一転して速球を外角低めに投じてきた。
松尾はスイングするも、振り遅れる。ガッ、と鈍い音がした。南海のセカンドが数歩前進して凡ゴロを難なくさばき、一塁へ送球する。
「アウト! ゲームセット」
一塁塁審のコールで、試合終了が告げられた。
3.露呈した課題
第二試合。相手は、こちらも全国大会の常連・浦上中学だ。
墨谷の先発は、一年生の川藤である。しかし投球練習の時から、ボールが上ずり、あるいはホームベース手前でショートバウンドする。牧野は何度も「ラクにラクに」と声を掛けるのだった。
「プレイ!」
アンパイアのコールで、試合が開始される。
浦上の先頭打者は、左打席に入っていた。「さあこい!」と声を発し、マウンド上をぎろっと睨む。明らかに鼻っ柱の強そうな打者だ。
一方、川藤はマウンド上で、顔を引きつらせている。
(うーむ。川藤のやつ、すっかり飲まれちまってるな)
牧野は「しゃーない」と、ど真ん中にミットを構えた。
「コースは気にするな。思いきり腕を振れ!」
「は、はいっ」
川藤はうなずき、ワインドアップモーションから投球動作へと移る。
初球、内角寄りに速球が投じられた。ストライクに入ったことに、牧野が安堵しかけたのも束の間、相手打者はいきなり強振する。
「ら、ライト!」
痛烈なライナー性の打球が、ライト近藤の頭上を襲う。
「くっ」
そしてあっという間に越えていった。そのまま打球はワンバウンドして、フェンスに当たり跳ね返る。打者はスライディングもせず、悠々と二塁に到達した。
「い、いきなりか」
牧野は唇を歪める。
「立ち上がりからこんなんじゃ、先が思いやられるぜ」
―― 牧野の予感は当たった。
先頭打者のツーベースヒットで勢いに乗った浦上中は、続く二番、三番、四番まで四連打を浴びせるなど、初回だけで一挙五点を奪ったのである。
全国の強豪校は、やはり甘くなかった。
墨谷は川藤降板後、志村を始め計五人の一年生投手で継投したが、いずれも打ちこまれてしまう。終盤に打線が意地を見せ、反撃するも、大量失点が響き追いすがるには至らず。けっきょく十四対六と大敗。二連敗で、初日を終えたのだった。
この日は試合後、そのまま解散した。
牧野、曽根、近藤の三人は、すぐにユニフォームを着替える気にはなれず、自然と水飲み場近くに集まる。
「負けることは想定してたが」
牧野が渋面で言った。
「ちと内容が、な」
傍らで、近藤は肩を落としていた。おい近藤、と曽根が声を掛ける。
「そういつまでもしょげるな。おまえじゃなくたって、打たれる時は打たれるんだからよ」
「せ、せやけど。あんなカンタンに」
「しかたねーよ。南海中とは、昨年も戦ったんだ。やつら、もうおまえのタマをおぼえてたんだろうよ」
曽根の言葉に、牧野が「おれもそう思う」と同調した。
「ヘコんでる場合じゃねえぞ。ただでさえおまえは、一年生の時から投げててるんだ。今日と同じことは、これからもないとは言い切れないぜ」
「そ、そんな。ワイがまた」
近藤はガックリとうなだれる。曽根が「ほっとけ」と言いたげに、牧野に目配せした。
「しかし二試合目は、ほんと散々だったな」
「ああ。まさか川藤達が、ああもことごとく打ちこまれるとは」
そう言って、牧野は小さくかぶりを振る。
「ま、おれがやつらをうまくリードできなかったせいでもあるが」
「バッテリーだけの責任じゃないぞ」
曽根が冷静に言った。
「守りにもミスが目立った。とくに内外野の連係がひどくて、余計に塁を一つ進ませてしまうことが多かったな」
「うむ。それと攻撃面も、打つには打ったが、ここという時に一本が出なかった」
「それは打撃だけじゃなく、走塁の問題もある。足を絡めることができねえから、相手バッテリーをバッターとの勝負に集中させちまった」
たしかにな、と牧野は腕組みする。そして声を潜め、尋ねる。
「どうする曽根」
「なにが?」
「当初の計画じゃ、地区予選で実戦練習つうことだったが。そんな悠長なことを言ってちゃ、足もとをすくわれかねんぞ」
「けど、完全に強くなるのは来年ということで、みんな納得したんじゃなかったのか」
「そうは言ったがよ」
曽根の言葉に、牧野は小さく首を横に振る。
「最悪、全国大会に出られないとしても、せめて地区予選で準決勝あたりまで進めねーと。来年、後の世代に負担をかけちまう」
「それはたしかに」
曽根も理解できたようだ。
「予選の早い段階で負けたら、チームとしての自信を失いかねん」
「うむ。今のままじゃ、青葉は別格だとして、金成中や江田川にも危ういかもしれん。とくに江田川は、井口が卒業したとはいえ、あの打力は健在だからな」
牧野がそう言って、二人で溜息をつく。
「いぜん丸井さんに指摘されたように、やはり今までと同様、ちみつなプレーを練習でみがいていくべきなのか」
曽根の発言に「ちょいまってえな」と、ふいに近藤が口を挟む。
「二人とも。なしてワイが、打たれる前提で言いよんねん」
「なんだ、聞いてたのかよ」
牧野は呆れたふうに言った。その隣で、曽根が真顔で問うてくる。
「おまえ自身はどうなんだ」
「はっ?」
「今日のありさまで、江田川や青葉の打線をおさえる自信は、あるのかって聞いてんだ」
「そ、それは……」
近藤は答えに窮する。
「どしたい。近藤らしくもねえ」
牧野が苦笑いして、相棒の背中をポンと叩く。
「まさか投げるのが、こわくなったんじゃあるまいな」
なおも曽根は、厳しく問うてくる。
「JOYは今日のあのピンチでも、続投を志願したんだ。降板した後も、ちゃんとライトの守備をこなしてたしな。近藤。このままだと、ほんとにやつにエースの座をゆずり渡すことになっちまうが、それでいいのか?」
「ばっ」
さすがに近藤は怒鳴り返す。
「ワイにかぎって、そないなことあるかいな!」
牧野と曽根は、互いに顔を見合わせる。近藤はなおも続けた。
「つぎこそビシッとおさえて、これぞエースのピッチングつうのを見せたる。相手チームにも、JOYにも!」
フフ、と曽根が笑い声をこぼす。
「な、なにがおかしいんや?」
「それでいいんだよ、近藤」
曽根の思わぬ言葉に、近藤は目を丸くする。
「安心したぜ。てっきり、闘志をなくしちまったのかと思ったぜ」
「曽根。ワイを誰やと思うてるんや」
エースの言葉に、曽根はまた牧野と目を合わせる。「すぐのせられるやつだぜ」とでも言いたげだ。
「ま。しょーじき近藤のことは、そんなに心配してなかったけどよ」
牧野が溜息混じりに言った。
「問題は一年生のピッチャー連中だ」
そうだな、と曽根が同調する。
「どいつもこいつも、いくら制球がバラついてたからって、あそこまで打ちこまれるとは予想しなかったからな」
「む。それこそ自信をなくして、ピッチャーをやめるとか言い出さないか心配だぜ」
その時だった。
グラウンドの奥より、バシッ、バシッとボールが壁を打つ音が聞こえてきた。近藤達が視線を向けると、なんと打ち込まれた五人を含む九人の一年生が、揃って投球練習をしていたのだ。
「力むなよ川藤」
中心となって周りに声掛けしていたのは、あのマイペースに思われたJOYである。
川藤が壁に向かって、ボールを投じる。すかさずJOYが、自分の投球を止めて「まだ力が入ってるぞ」と指摘する。
「いつものフォームを思い出せ。それができていれば、今日だって、あんなに打たれることはなかったんだぞ」
「あ、ああ」
川藤はうなずき、一度深呼吸してから、もう一度投球する。シューッと、風を切る音が聞こえてきた。
「そう、その調子だ!」
JOYを挟んで反対側では、こちらも打ち込まれた志村が投球している。
「志村。コントロールを意識しすぎて、腕が縮こまってるぞ」
またJOYが指摘した。
「そうだな。自分の腕をムチだと思って、しならせてみろ」
「お、おう」
志村もワインドアップモーションから、壁へと投球する。
「む。さっきより、だいぶよくなったぞ。もういっちょ」
同級生の言葉に、志村は「ああ」とうなずく。そして投球を続けた。バチンと、ボールが壁を強く叩く。
「そうだ。今の球威があれば、今日だってもう少しおさえられたはずだぞ」
JOYは満足げにうなずくと、自分の投球練習を再開する。
一連の光景を、三年生の三人は感心ながら見つめていた。
「へえ、あのJOYがね」
曽根が目を丸くする。
「エースになりたいって気持ちが、こうもやつを変えるとはな」
む、と牧野も同調する。
「最初Tシャツで来てたやつとは思えないぜ。近藤、おまえやっぱり、ウカウカしてらんねーな」
「ハン。そうカンタンに、このワイを越せるかいな」
しばし談笑していた三人だが、やがてハタと気付く。
「なあ二人とも」
曽根が言った。
「後輩がああしてがんばってるのに、先輩のおれらが何もしねえでおしゃべりしてるってのは、あんまりいい図じゃなくないか」
そうだな、と牧野がうなずく。
「おれ達も行こうか」
近藤も「せやな」と、珍しく同調する。
「あのJOYに、エースを取られとうないさかい」
その言葉に、牧野と曽根は「あーあー」とずっこけた。
―― 翌日。午前中の第一試合では、川下中と対戦した。
墨谷の先発は近藤。前日のリリーフ登板で打ちこまれた不安をふっしょくするかのように、九回を一失点におさえる力投を見せる。
打線も全国四強の力がある川下中のエースから二点をもぎ取り、二対一と初勝利を挙げたのだった。
午後の第二試合では、こちらも強豪の一角として知られる明星中と対戦。
墨谷は、志村を先発させた。そして前日に登板しなかった者も含め、四人の一年生投手で継投。この日はそれぞれが力を発揮し、明星打線を四点にとどめた。
打線も好投手によく喰らいついたが、残念ながら一点届かず。しかし三対四という惜敗は、十分に手応えを得られる戦いぶりであった。
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