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<外伝>
第7話 迷うな近藤!の巻
1.キャプテンの役割
―― 強豪校との五連戦から、一週間が過ぎた。
「さてと。今日もいくか」
早朝。近藤は部室でユニフォームに着替え、この日もグラウンドを走る。このところ、毎朝の習慣となっていた。
何周かしたところで、部室横から制服姿の男子生徒が現れる。牧野だった。
「おーい近藤。ちょっといいか」
「なんや、こんな朝っぱらから」
近藤は走るのをやめて、牧野のところへ歩み寄っていく。そして二人で、部室前の木陰に腰を下ろした。
「このところ毎日、走ってるのか」
「ああ。エースのワイがあれだけ打たれちゃ、ナインの士気にかかわるやろ」
「あまり気にするなよ。和合戦は、連投でほんらいのボールじゃなかったんだし」
「分かっとる。けど……」
しばし沈黙する二人。
「のう、牧野」
先に近藤が口を開く。
「ワイはお飾りのキャプテンなんやろか」
「は?」
「だってな。ワイが決めたこと、どんどんひっくり返されていくやないか。先代のイガラシはんの時は、そんなことなかったのに」
フフ、と牧野は笑い声をこぼす。
「なにがおかしいんや!」
「いやな。このところおめえが元気ないもんで、ちと心配してたんだが。どうせそんなことたろうと思ったよ」
「そ、そんなことって……」
不服そうな近藤。しかし牧野は、涼しい顔で尋ね返す。
「なあ近藤。そもそも今までが、ちとムリあったのかもしれないぜ」
えっ、と近藤は目を丸くした。
「なんのことや?」
「チームの方針や練習のやり方なんかを、ぜんぶキャプテンに決めさせるってのが」
カン違いするなよ、と牧野は付け加える。
「イガラシさんやその前のキャプテンがまちがってた、とは言わねえよ。とくに昨年は、イガラシさんが先頭に立って引っぱらなきゃ、優勝できなかったろう。けどな」
一つ吐息をつき、牧野は話を続けた。
「あれはイガラシさんだから、できたとも言える。おまえやそのつぎのキャプテンまで、同じことをする必要はない。これは最近、曽根とも話したんだがな」
「まあ、言うてることは分かるが」
「それに近藤。おまえの目標は、けっきょくいいチームを残したいってことだろう」
「せやな」
「だったらおまえの代で、キャプテン一人にたよらないチームの形を作るってのは、その目標に近づくことじゃないのか」
は……と、近藤は溜息をつく。
「またうまいこと、言うてからに」
「そうひねくれた取り方をするなって」
牧野は苦笑いした。
「ほな。ワイは、なにをすればええんや」
「カンタンなことさ」
あっさり答える。
「みんなの意見のどれを採り入れるか、決めればいい」
そして牧野は、「あのな」とさらに話を進めた。
「そもそも誰も、おまえの方針に反対はしてないんだ。ただそのために、どんなやり方がいいのか、今は知恵を出し合ってる段階さ。だからおまえは、みんなのいろんな意見を整理してやればいい。自分の方針にのっとってな」
「整理するって?」
「だからさっきも言ったように、おまえの方針に合うものは採り入れて、そうじゃないものは却下するってこと」
牧野はふと、声を潜めて言った。
「これは最近、本で読んだ話だが……判断と決断はちがうんだとよ」
「なんやそりゃ」
「ようするに……あれがいい、これがいい悪いって考えるのを判断って言うんだとよ。これは誰にでもできる。いっぽう、実際にどうするか決めるのが、決断だ。それはチームのリーダー、つまりキャプテンであるおまえにしかできねえ」
「わ、ワイにしか……」
近藤は目を丸くした。牧野は立ち上がる。
「最初は理解できなかったが。いまのこのチームには、おまえの方針が合ってると、おれも思うようになった。だから協力させてくれ」
ふーん、と近藤は気がなさそうな声を発した。
「牧野って、意外に勉強してるんやな」
あらっ、と牧野はずっこける。そして僅かに笑んだ。
「おれの言いたいことは、そんなこった。じゃあな。朝からはりきるのもいいが、放課後の練習にひびかないようにしろよ」
「んなこと分かってるさかい」
踵を返しかけた相棒を、近藤はもう一度「牧野」と呼ぶ。
「なんだ?」
「おおきに」
そう言って彼も立ち上がり、「ランニングのつづきや」とグラウンドへ駆けていく。
「まったく素直じゃねえんだから」
牧野は少し可笑しそうにつぶやいた。
放課後。この日も墨谷ナインは、レギュラーとそれ以外のメンバーとに分かれて、それぞれ練習を行う。
レギュラー陣は、学校のグラウンドでランナーを置いてのシートノックを実施していた。
「つぎ、ライト!」
ノッカーの牧野は、速いゴロをライトへ打ち返す。一塁ランナー役のゾウこと橋本は、二塁ベースを蹴ったところで少し躓きかけたが、そのまま三塁へと向かう。
「させるか!」
ライトを守るJOYは、中継を介さず直接三塁へ送球。サードの慎二が捕球して、滑り込んできたゾウの手をはらう。
「ようし、ナイス送球だぞJOY」
牧野はJOYを褒める一方、橋本には「こらゾウ」と厳しい口調で声を掛ける。
「おまえ今、なんで刺されたか分かるか?」
「えっ、いえ」
「二塁ベースを蹴る時、転びかけたろう。直角に曲がろうとするからそうなるんだ」
それからバットを置き、一塁ベースに着く。
「ベースランニングでスムーズに回るには、コツがある。全員に言えることだから、よく見とくんだぞ」
牧野は数歩リードを取り、そしてスタートを切った。二塁ベースを蹴り、そして三塁へ右足からスライディングする。
「おいゾウ」
立ち上がり、橋本へ声を掛ける。
「今のおれのベースランニングと、自分のとのちがい、分かったか」
「あ、はい。ベースを曲がる直前に、少し外へふくらんだことですか?」
「そのとおりだ。よく見てたじゃねえか」
牧野は僅かに笑む。そして、全員を見渡して言った。
「ゾウの言ったように、曲がる直前に少しふくらむのがコツだ。直角に曲がろうとすると、さっきのゾウのように、つまずいてしまう。かといって、あまり大きくふくらみ過ぎると、かえって遅くなっちまうから気をつけろよ」
ナイン達は「はいっ」と声を揃える。
牧野はホームベース手前に戻り、ノックバットを拾い上げる。そして「もういっちょライト!」と、今度は右中間寄りに低いライナーを打った。
再び橋本が一塁からスタートを切り、二塁ベースを蹴る。JOYはまたも三塁へ直接送球するが、今度は橋本が素早く頭から滑り込む。
「いいぞゾウ。今の走塁をしっかり体におぼえこませるんだ」
「はいっ、ありがとうございます」
そして牧野は、ライトのJOYに声を掛けた。
「JOY。今、直接三塁へ投げた判断、自分でどう思う?」
「すみません、まちがってました」
JOYは素直に答える。
「今のは投げても間に合わないので、中継に返して、バッターランナーが二塁へ行かないようにするべきでした」
「分かってるじゃねえか」
牧野は感心げにうなずいた。そしてまた、全員へポイントを伝える。
「他の者にも言えることだが、いくら肩に自信があるからって、いつでもランナーを刺そうとすりゃいいわけじゃない。JOYが言ったように、三塁へ送球する間に、バッターランナーを二塁まで進ませちまうことがある」
レギュラー陣は、よく集中して話を聞いていた。
「そうなりゃつぎのバッターにヒットを打たれた時、一点余計に与えちまう。競った試合では、その一点が致命傷になることもある。そういったことも考えて、直接ベースへ投げるか中継に返すかを判断するんだ。いいなっ」
「はい!」
その時、バシッ、バシッと何かを打つような音が聞こえてきた。牧野が視線を向けると、近藤が一人、壁に向かって投球練習をしている。
「あいつ……」
牧野はひそかにつぶやく。
「いつもなら、自分のことだけやりやがってと、嫌味の一つでも言ってやるとこだが。やはり思いつめてるんだろうか」
エースの男は、黙々と投げ続けている。どこか人を寄せ付けない雰囲気だ。
「練習試合で打ちこまれたのが、よほどこたえたらしいな」
牧野さん、とサードの慎二に呼ばれた。
「あ、わりい」
そう返事して、次の指示を出す。
「つぎはランナー二塁の場面だ。慎二、ゾウとランナーを代わってくれ」
慎二は「分かりました」と応える。
「サードには、中津が入るんだ。それと進藤、おまえキャッチャーをやってくれ」
「は、はいっ」
「おう」
こうしてポジションが入れ替わり、シートノックが続けられた。
一方、工場裏空き地。レギュラー外のメンバーが、やはりシートノックを行っていた。ノッカーは、曽根が務める。
正面への強いゴロを、サードが前に弾いた。慌てて拾い直して送球するも、ファーストの遥か頭上に逸れてしまう。
「サード! ムリにノーバウンドで投げるんじゃねえ」
曽根は厳しい口調で言った。
「これは他の者にも言えることだから、よく聞いとけよ」
さらに全員を見渡して告げる。
「正面の打球なら、たとえこぼしても、その後慌てず拾い直して送球すれば間に合う。いいか、今すぐきれいなプレーができなくていい。まずアウト一つ、確実に取ることを心がけろ」
はーい、と間延びした声が返ってくる。曽根は「あ」とずっこけた。
「まったく。返事は『はーい』じゃなく、『はい』だ。気合の入ってないやつは、グラウンドから出してしまうぞ!」
曽根の檄に、レギュラー外メンバーは「はいっ」と快活に返事する。
「こいつら、ほんとに分かってるのか」
半ば呆れながらも、曽根はノックバットを構え直す。
「つぎ。セカン!」
またも正面への強いゴロ。セカンドは小刻みなステップで前進し、顔を近づけるようにしてリズムよく捕球した。そして素早く一塁へ送球する。
「いいぞ。ちゃんと基本練習でやったことが、身についてるじゃねえか」
褒められて、セカンドは「ありがとうございます」と一礼する。
「む。他の者も、今のプレーを頭にたたき込んでおけよ。最後まで足を動かして、なるべく顔を近づけて捕る。もちろん腰とグラブは落とす。これが基本だ。いいな!」
レギュラー外メンバー達は、また「はいっ」と力強く応えた。
また学校グラウンド。シートノックの後、レギュラー組はフリーバッティングを行うことになった。マウンドには、いつものように近藤が立つ。
「ほな、いくで」
近藤の合図に、牧野はホームベース奥でミットを構えた。そこに近藤の速球が風を切り飛び込んでくる。ズバン、と強い音が鳴った。
「お、おい近藤」
牧野は立ち上がる。
「フリーバッティングなんだし、もっとおさえろよ」
えっ、と近藤は目を見開く。
「ワイ、いつもどおり七割程度で投げとるんやけど」
「なんだって」
正捕手は驚いた声を上げた。
「じゃあ近藤。一度、全力で投げてみろよ」
「分かった。ほな」
ワインドアップモーションから、近藤は投球動作へと移る。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を思い切り振り下ろす。
「うっ」
チッ。快速球がミットを弾き、バックネット方向へ転々としていく。
「も、もういっちょたのむ」
牧野の一言に近藤はうなずき、またも全力投球でボールを投じる。快速球が唸りを上げ、ミットを突き破るような勢いで飛び込んだ。
「な、ナイスボール!」
左手のしびれをこらえながら、返球する。
(あいつ。ここにきて、またぐんとタマの威力が増してきたぞ)
牧野は胸の内につぶやく。
(そうか。練習試合で打ちこまれたことや、JOYや慎二の台頭で、やつも尻に火がついたんだな。そういや昨年も、江田川の井口に刺激されてスピードを増したからな。今回もやつにとって、いいクスリだったのかも)
マウンド上より、近藤が「もういっちょいくか?」と問うてくる。
「い、いや。もういい」
苦笑いして、牧野は答える。
「このままじゃ、おれの左手が何本あっても足らんからな。さ、フリーバッティングを始めようか」
「せやな、あまり時間もないし」
やや物足りなさげながらも、近藤はうなずいた。
ほどなく右打席に、慎二が入ってくる。
「おねがいします!」
慎二は一旦脱帽して一礼した後、先ほどの投球練習を見ていたためだろう、バットをいつもより短めに握った。
近藤が力感のないフォームで、一球目を投じる。
「あっ」
ガッと鈍い音がして、ホームベース後方にフライが上がる。牧野がスライディングしながらミットに収めた。
「く、くそうっ」
二球目。慎二は打ち返したが、打球に伸びが出ず。センターの定位置付近で、球拾いの野手に捕球されてしまう。
「慎二、ボールの下を叩いてるぞ」
牧野の指摘に、慎二は「ええ」とうなずく。
「近藤さんのボール、また威力を増しましたね」
「分かるか?」
「はい。軽めに投げてるんでしょうけど、それでも手元でホップしてくる感じがします」
続く三球目、慎二は叩き付けるようにスイングした。しかし今度は引っ掛けてしまい、打球はマウンドの左側でバウンドして、そのまま転がっていく。
「ショートゴロですね」
「ああ。けどさっきよりはいいぞ。ただ今度は、ボールの上を叩きすぎたな」
「ええ。もう少し、ボールをよく見ないと」
そして四球目。慎二はやや振り遅れ気味ながらも、ライト方向へライナーを打ち返した。
「む、やるじゃねえか」
正捕手の声掛けに、慎二は「いいえ」と首を横に振る。
「今のは振り遅れです。もっと右中間からセンター方向に打ち返さなきゃ」
言うねコイツ、と牧野は感心した。
それからしばらく、フリーバッティングは続けられた。グラウンドをカキッ、カキッと打球音が響く。
2.近藤の提案
練習散会後。近藤、牧野、曽根の三人は、水飲み場近くで話し合う。
「どうだ、レギュラー外の連中は」
牧野の問いに、曽根は「もう一歩ってとこだな」と答える。
「打球を捕って送球しての、基本的な動きはだいぶよくなってきた。しかし、どいつもこいつも実戦経験がないせいか、プレーが軽いんだよな」
「そういやこのまえ、JOYが提案した紅白戦をやってみたが、まるでレギュラー組の相手にならなかったし」
曽根は「しかたねーよ」と、首を横に振る。
「かたや大試合に慣れた者が大半、かたやろくに試合に出たことがない連中ばかりじゃな」
まあな、と牧野は溜息をついた。
「レギュラー組の方はどうだ?」
今度は曽根が尋ねる。
「うむ。やはり人数を絞ったことで、より実践に近い練習ができるようになった」
満足げに、牧野は答えた。
「ここ数日で、みんなぐんと力がついてきた印象だぞ」
「む、そうか」
曽根が渋い顔になる。
「どうした?」
「いや。レギュラーが力をつけるのは、もちろん望ましいことだが。どうやらますます、レギュラー外の者と差が開いてしまったようだな」
あっ、と牧野が口を半開きにして押し黙る。
「やっぱり、引退した後まで考えるなんて、ムチャやったんやろか」
代わりに、近藤がようやく口を開く。
「ほな和合の監督が言うてたように、昨年までと同じく、ひたすら優勝を目指す方が」
「なに弱気になってんだよ。近藤らしくもねえ」
曽根が励ますように言った。
「このまえも言ったが、そりゃやるからには、今年だって優勝をねらうさ。けどそうしたからって、来年いいチームを残せないとは、かぎらないじゃねーか」
そうとも、と牧野も同調する。
「おまえの方針があったからこそ、JOYのようなのんびり屋が戦力になれたんだし、川藤や志村だって力をつけてきてる。南海や和合にやられてショックなのは分かるが、もっとうまくいってる面にも目を向けろよな」
「せ、せやろか」
近藤は戸惑った顔になる。その時だった。
「ちょっといいかね」
ふいに声を掛けられ、三人はハッとして振り向く。そこには校長が立っていた。
「こっ、校長先生」
牧野が脱帽するのに、近藤と曽根も倣う。そして三人で一礼した。
「コンニチハ!!」
「うむ。あいかわらず、よく励んでいるようだね」
そう言って、校長は近藤に顔を向ける。
「近藤君、ちょっといいかね」
「は、はあ」
「じつはまた、練習試合の申しこみが二件、きてるんだが」
えっ、と近藤は目を見開く。
「また他地区の学校ですの?」
「いや。今度は、同じ地区の学校だ。ええと……」
校長はズボンのポケットから紙のメモを取り出し、学校名を告げる。
「向島中、それから中川一中だ」
へえ、と牧野が目を丸くする。
「二校とも、地区大会でベストエイト入りの常連じゃありませんか」
「うーむ。けどなあ」
曽根は渋い顔になる。
「地区でベストエイトといっても、おれらにとっちゃだいぶ力の差がある。それに今対戦すりゃ、こっちの手の内を明かしてしまいかねないんじゃねえか」
「そんなの、気にすることかいな」
近藤が口を挟んだ。
「ちょっと研究されたところで、あの二校がワイらの目ざわりになるとは思えへんけど」
それだけじゃねーよ、と曽根は反論する。
「うちが練習試合すると聞きゃ、青葉や江田川が偵察をよこすかもしれないだろ」
「あ、せやな」
三人の会話を、校長はうなずきつつ聞いていた。そして問うてくる。
「じつはワシも、あまり得はないように思うので、断ろうとも考えたんだが。いちおうきみらの意向も聞いてからと思ってね。どうする?」
その時、近藤が「せや!」と声を上げた。
「な、なんだよ急に」
曽根が目を×の字にする。
「レギュラー外のメンバーを出せばええんとちゃうか。やつらもただ練習するよりは、ずっと士気が上がるやろうし」
近藤の言葉に、他の二人は目を見合わせる。そして「おおっ」と同調の声を発した。
「なるほど、そりゃいい」
曽根が応える。
「実戦経験の不足してるやつらには、ちょうどいい機会だぜ」
たしかにな、と牧野もうなずく。
「おれらが口で言うより、実際に試合でいろいろな場面を経験した方が、ずっとためになる」
コホン、と校長が一つ咳払いする。
「それじゃあ、引き受けるということでいいのかね?」
三人は「おねがいします!」と声を揃えた。
―― 数日後。墨谷ナインは学校グラウンドに向島中と中川一中をむかえ、ダブルヘッダーで練習試合を行うこととなった。
「ふう。一時は、どうなることかと思ったが」
ベンチにて、牧野が安堵の吐息をつく。
試合はすでに終盤を迎えていた。スコアボードには、墨谷が序盤に二点を許したものの、その後逆転し、八回裏時点で六対二とリードを奪った経過が記録されている。
「川藤のやつも、エラー絡みで二点こそ取られたが、その後は落ち着いてよく投げてる。曽根をキャッチャーにつけておいて正解だったな」
レフト側ファールグラウンドでは、第二試合に対戦予定の中川一中ナインがキャッチボールをしていた。
「なんだあ。墨谷のやつら、ほとんど控えだぜ」
「なのに向島中、中盤以降はまるで歯が立たないでやんの」
「おい。あまりやるまえから、エラそうな口はきかない方がよさそうだぜ。ベストエイト常連の向島中があのザマなら、うちだってどうなることか」
そんな会話が聞こえてくる。
ガッ、と鈍い打球音がした。中川一中ナインの控えるレフトファールグラウンドに、凡フライが飛んでくる。
「どいたどいた!」
人の列を押しのけるようにして、墨谷のレフトがファールグラウンドにてフライを捕球する。スリーアウト、チェンジ。
「あ。中川一中のみなさんですね」
墨谷のレフトは一転して笑みを浮かべ、ぺこっと一礼する。
「この後、どうぞおてやわらかに」
「い、いえ。こちらこそ」
中川一中のキャプテンは、顔を引きつらせつつ応える。
「なにが、おてやわらかにだよ」
他の者が、怒った顔で言った。
九回表。墨谷は、さらに二点を追加する。その裏、マウンドには慎二が上がった。川藤はそのままベンチに下がる。
「お、おい」
中川一中ナインから、またぼやきが聞かれる。
「あいつ、たしかサードのレギュラーだろう。ピッチャーもやるなんて聞いてないぞ」
その慎二は、速球三つで向島中の先頭打者を三振に切って取る。
「し、慎二のやつ。いつの間に」
ライトファールグラウンドにて、近藤も目を丸くした。
「近藤さん、いきますよ!」
向かい側からJOYに呼ばれ、近藤は「ああ」とグラブを構える。山なりながらも、しっかりと回転したボールが投じられた。それを胸元で捕球する。
「いくで!」
次は近藤がJOYに声を掛けた。そうして二人は、遠投を交互に行う。
「それっ」
やはり山なりのボールを投じた後、フウと溜息をつく。
「慎二があれだけのタマを投げられるなら。ワイとJOYも、うかうかしてられへん」
ガッ。鈍い音がして、ホームベース後方にフライが上がった。
「オーライ!」
曽根が周囲に合図してから、落ちてきたボールを顔の前で捕球する。ツーアウト。
さらに後続打者も、慎二はまるで問題にしなかった。速球二つで追い込むと、最後は鋭いカーブで空振り三振に仕留める。
ゲームセット。第一試合は、墨谷が八対二で向島中を下したのである。
―― 続く第二試合。墨谷は、さらにメンバーを入れかえて臨んだ。
試合未経験者が半数を占め心配されたが、先発の一年生志村が力投し、ピンチらしいピンチを作らせず。次第に出場メンバーも落ち着きを取り戻し、中盤には中川一中のエースを打ちくずし、六点をもぎ取った。
そして九回にはJOYが登板し、相手打線をあっさり三者凡退におさえる。けっきょく墨谷は六対〇と中川一中を寄せつけず。見事連勝を飾ったのだった。
試合後。グラウンドでは一、二年生達が、それぞれ散って素振りやダッシュ、ノック、投球練習を行っていた。
「あいつら、いつまで続けるんだ」
部室前にて、曽根が目を丸くして言った。
「今日はこれで解散だと言ったのに、聞きやしねえ」
まったく、と牧野も同調する。
「練習試合とはいえ、試合に出たことで、ここまで連中の士気が高まるとは思わなかったぜ」
部室前にて、近藤、牧野、曽根ら三年生五人は集まり、話し合いを持っていた。
「ただはりきってただけじゃないぞ」
佐藤が驚嘆の声を発した。
「練習ではあれだけポロポロやってた連中が、回を追うごとにみるみる上達していくようだったんじゃないか」
そうだな、と曽根がうなずく。
「二試合目なんかは、ダブルプレーを二つも決めちゃったりして。練習の時とは、まるで見ちがえたぜ」
牧野が「なあ近藤」と、話を振る。
「レギュラー外の者を練習試合に起用するっていうおまえの提案、ずばり大当たりだったんじゃねえの」
「む。ワイもしょーじき、ここまでうまくいくとは思わへんかったで」
さしものキャプテン近藤も、驚きを隠せない。
「こりゃ当初の予定よりも、ずいぶん早いペースで強化を進められそうやな」
近藤は手元に、練習計画ノートを広げていた。春先に父親の助言を仰ぎながら作り上げたものである。
「今日の調子なら、レギュラー外の練習にも、ちみつな連係プレーのメニューを取り入れてもよさそうだな」
ノートをのぞき込みながら、曽根が言った。
「レギュラーはすでに始めて、だいぶ細かいプレーもできるようになってきてるし。あんがい昨年までと、遜色ないチームになれるかもしれんぞ」
「えっ、ということは」
進藤が割って入る。
「今年も全国優勝をねらえるそうってことか」
「バカ。それはちと、気がはええよ」
苦笑いして、牧野がたしなめる。
「それに進藤。おまえは自分が試合に出られるように、もっと精進しろよな。あっさり下級生にポジションを取られやがって」
思わぬ正論に、進藤は「あらっ」とずっこける。
「せやけど」
ノートの頁(ぺーじ)をめくりつつ、近藤が言った。
「少なくとも、これで今以上に選手層を厚くするメドは立ったわけやな」
うむ、と曽根がうなずく。
「今日のように格下のチームが練習試合を申しこんできたら、レギュラー外のメンバーを起用しようぜ。いや、こちらからたのんでもいいかもな」
牧野も「そりゃいい」と、同調した。
「うちは曲がりなりにも、選抜に出たチームだからな。うちが練習試合したいと言えば、そうそう断るチームはいないんじゃねえの」
「ああ。実戦経験を積んだ者が増えれば、ケガ人が出た時なんかでも入れ替えが可能だし。なにより来年の新チーム立ち上げがスムーズになる」
「う、うむ」
近藤は曖昧な返事をして、一旦部室に入る。そしてノートを置きすぐに出てきた。
「牧野。ワイも投球練習するよって、ちとつき合うてくれ」
「え、今からかよ」
牧野は意外そうな目をしながらも、捕手用プロテクターを身につけ、ミットを手にする。そして近藤と連れ立って、レフト側のブルペンへと向かった。
「まさか近藤のやつ」
やや呆れたふうに、佐藤が言った。
「ほかのやつがあんまりはりきるもんで、自分がエースを取られないか焦ってねえか」
「今の様子じゃ、きっとそうだろうな」
進藤がそう応えて、佐藤と二人でプククと吹き出す。
「ま、そりゃけっこうなことじゃねーの」
曽根は微笑んだ。
「あの近藤が努力をおぼえたとなりゃ、いよいよ楽しみじゃねーか。さっき進藤が言ってたように、夏の連覇も見えてくるってもんよ」
ほどなくブルペンより、近藤と牧野の投球練習の音が聞こえてきた。他の一、二年生達も、個人練習にいっそう熱が入る。その光景を、三人の三年生は静かに見守った。
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