南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

市立和歌山の健闘と、大阪桐蔭の”王者の凄み” ~第94回選抜高校野球より~

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 昨日(令和4年3月28日)の選抜高校野球大会・準々決勝の第4試合・大阪桐蔭-市立和歌山の一戦は、凄惨なゲームとなった。

 大阪桐蔭が打ちも打ったり6本塁打・18安打の猛攻で17得点。投げては3投手の継投で僅か1安打無失点に抑える。まさに完膚なきまでに叩きのめすという内容である。

 

 残酷なようだが、これも高校野球の一部だ。

 見る者を爽やかな気持ちにさせてくれる接戦もあれば、この試合のように、ただただ胸を締め付けられるような大量得点試合もある。

 

 それでも私は、市立和歌山の投手陣に拍手を贈りたい。

 

 けっして判官びいきで言うのではない。市立和歌山は、一回戦、二回戦と際どい試合を制して勝ち上がってきた。選手達には、とりわけ投手陣には、少なからず心身の疲労があったことだろう(実際、二番手として登板した米田投手は、腰の張りがあったと伝えられている)。そんな状態で、強豪の大阪桐蔭を相手にしなければならなかった。

 

 点差がどんどん開いていき、味方の援護も望めなかった絶望的な展開の中で、よくぞ九回を戦い抜いた。これだけでも、彼らは讃えられて良いと私は思う。

 

 正直に言うと――こういう一方的な試合になると、私はある程度予想していた。

 

 前述のように、市立和歌山は万全でないチーム状態で、準々決勝に臨まなければならなかった。そして大阪桐蔭。一回戦は3-1という僅差ゲームながら、私はその強さに戦慄を覚えていた。

 

 あの鳴門の好投手・冨田が僅かな隙を見せただけで、たちまち2点を奪い取り、1点差に迫られた直後、当たり前のようにスクイズで突き放す。これぞ横綱相撲。私はそこに、王者としての凄みを感じていたのである。

 そんなチームに、万全でない状態でぶつかればどうなるか。言うまでもない。

 

 大阪桐蔭、強し。だからこそ市立和歌山の選手達には、胸を張って和歌山に帰って欲しい。

 恥じることはない。私学優勢の今の高校野球において、公立校ながらベスト8まで勝ち残ったのは、立派な戦績である。

 

 かつて智辯和歌山の“一強時代”が続いていた和歌山高校野球に風穴を開けたのは、市立和歌山だと聞く。彼らとの切磋琢磨があったからこそ、昨年の智辯和歌山の全国制覇があったとも思う。今年の夏もまた、両校による熾烈な戦いが繰り広げられることだろう。

 

 そして、勝った大阪桐蔭。試合の大勢が決まった後も、手を抜かずにプレーし続けた姿勢は立派だ。普通の高校生なら気が緩んでもおかしくない状況で、絶対に隙を見せなかった。これぞ王者。まだ準決勝・決勝と残ってはいるが、今最も優勝に近い地点にいるのは、やはり彼らだろうと思う。