南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第69話「なるか!? 甲子園初勝利の巻」>――ちばあきお『プレイボール』二次小説

 

 

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【目次】

  

 

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 第69話 なるか!? 甲子園初勝利の巻

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1.キャプテン谷口の余裕

―― 墨高対城田の一回戦は、大づめの九回をむかえていた。

 二点をリードする墨谷は、この回先頭の六番伊予にセーフティバントを決められると、続く七番安田には不運な当たりの内野安打で出塁を許す。さらに八番井上が送りバントを成功させ、ワンアウト二・三塁。相手は下位打線ながら、一打同点のピンチである。

 

「うーむ。カンタンに、進められちまったな」

 キャッチャー倉橋は渋面になり、野手陣へ指示を出す。

「内野は定位置、外野は前進だ。一点は仕方ねえが、なんとしても同点は阻止するぞ!」

 横井、島田、久保の外野手三人は、数メートルほど前進した。

 その時である。キャプテン谷口がタイムを取り、マウンドへ歩み寄った。それを見て、倉橋も駆け寄る。

「今のバントは、もうけたな」

 谷口の意外な一言に、バッテリー二人は「えっ」と声を重ねた。

「どういうことだ?」

「もっとゆさぶってくると思ったが、あっさりアウト一つくれたろう。これは城田、おそらく松川のボールを見て、少し弱気になったんじゃないか」

 その言葉に、倉橋は「なるほど」と気付く。

「もしエンドランでも使われて、さらに出塁を許していたら、ヘタすりゃ逆転までもっていかれてた。それを初球からバントして、やつらは自ら選択肢をなくしてくれたってことか」

 たしかに、と松川も同調する。

「向こうにも焦りが出てきたってことですね」

「うむ、そういうことだ」

 それだけ言葉を交わし、谷口はサードのポジションに戻る。

 倉橋は、左手のミットを右手でバシッと鳴らし、ホームベース奥に屈み込んだ。そして束の間思案し、意思を固める。

(松川は調子を取り戻してきた。今なら、コースに投げ分けられるはずだ)

 ほどなく次打者の九番雪村が、右打席に入ってきた。バットを短めに握る。

 倉橋はミットを、アウトコース低めのさらに外側に構えた。マウンド上の松川は、サインにうなずき、セットポジションから第一球を投じる。

 雪村がスイングした。しかしバットの先端に当たり、球威にも押され、打球は一塁側ファールグラウンドに転がる。

(こんなボール球にも手を出してくれるとは。やはりアウトコースの見きわめが、そうとう苦手らしいな)

 二球目。倉橋は、またもアウトコース低めにミットを構えた。そして松川の投球。雪村は左足を踏み込んで打ちにいく。

 ところが、投じられたのはカーブだった。雪村はタイミングを外され、体勢を崩しながら空振りする。これでツーストライク。

 雪村は顔を歪める。

(くそっ、こっちの打ち気を利用しやがって。だが、つぎはこうはいかんぞ)

 そして三球目。松川が投球動作を始め、指先からボールを放つタイミングで、雪村は左足をさらに左側に開いた。

「きたっ」

 投球は雪村のねらいどおり、インコース。バットが回る。しかしボールは、さらに内側に喰い込むシュート。

「こなくそ!」

 ガッと鈍い音がして、打球はキャッチャー頭上への小フライとなった。倉橋が難なく顔の前で捕球して、ツーアウト。

(ハハ。ヤマをはるのはいいが、フォームをくずしてまでボール球に手を出しちゃ、打てるわけねーよ)

 野手陣に「ツーアウトよ!」と声を掛ける倉橋の傍らで、雪村は空を仰ぐ。

 

 

「しまった……」

 一塁側ベンチ。城田監督は、思わず頭を抱える。

(さっきの初球バントで、墨谷に一息つかせてしまった。もう一度エンドランをかけるなりして、やつらを揺さぶればよかったが……この状況じゃ、もう打つ手がない)

 それにしても、と指揮官は胸の内につぶやく。

(大したチームだ。フツウなら、この土壇場で二・三塁になれば、多少なりとも動じるものだが。やつらは、これでバッター勝負に集中できると、すぐに頭を切りかえてきた。なかなかできることじゃない)

 視線の先には、チームメイト達に「しっかりいこうよ」と声を掛ける、墨高キャプテン谷口の姿があった。

(あの谷口という男。よほど、優れたリーダーなのだな)

 腕組みしつつ、監督は数回かぶりを振る。

(しかし……まだ負けたわけじゃない。向こうがバッター勝負に集中するというなら、こっちも栗原の一打にすべてをかける!)

 そして、沈みかけるベンチのナイン達へ檄を飛ばす。

「ほら、どうした。まだ試合は終わってないんだぞ。一打同点のチャンスだ。ほれ、今からでも声を出すんだ」

 キャプテン沢村が「はいっ」と返事する。そしてチームメイト達に声を掛けた。

「ようし。みんなで、栗原を後押ししてやろうぜ」

 城田ナインは「オウッ」と快活に応えた。

 

 

 ツーアウト二・三塁となり、城田の打順はトップに返った。そして一番栗原が、左打席に入ってくる。

 倉橋は「まずココよ」とサインを出し、ミットをインコース高めに構えた。

 その初球。松川は要求通り、速球をインコース高めに投じる。栗原はバットを出しかけるが、途中で止めてしまう。ボールはストライクゾーンいっぱいに決まった。打者は「くっ」と、顔を引きつらせる。

(フフ。苦手コースを隠そうとしたはいいが、なんでもかんでも手を出しすぎたせいで、どのタマをねらうか絞りきれなくなっているようだな)

 打者の傍らで、倉橋はほくそ笑む。

 二球目。松川はインコース低めにシュートを投じた。栗原は辛うじてバットの根元に当て、打球は三塁側ベンチへ転がっていく。三球目はインコース高めの速球。栗原はこれもファールにし、打球は三塁側スタンドに落ちる。

 カウントはツーナッシング。その時、一塁側ベンチより、城田監督が「栗原!」と檄を飛ばす。

「迷うな。思いきっていけ!」

「は、はいっ」

 一方、墨高バッテリーは冷静に投球を組み立てていく。

(そろそろコレでいくか)

 キャッチャー倉橋のサインに、松川はうなずき、投球動作を始めた。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 投球は、アウトコース低めのカーブ。栗原の上半身がぐらついた。それでも懸命にバットのヘッドを残し、ボールに喰らい付く。

 パシッ。快音を残し、打球は右方向へ飛んでいく。

「ライト!」

 倉橋が叫ぶより先に、ライト久保が背走し始めていた。おおっ、と内外野のスタンドがどよめく。

 しかしフェンス数メートル手前で、久保はスピードを緩め、くるっと正面に向き直る。そして顔の前で捕球した。

 ワアッ、と球場全体が湧き返る。墨高野球部、甲子園初勝利の瞬間だった。

 

 

 試合後。地方大会と同じく、ホームベースを挟んで両軍の挨拶が行われた。

「一同、礼!」

「アリガトウシタッ」

 互いに握手を交わした後、敗れた城田ナインは一塁側ベンチ手前に並ぶ。一方、勝った墨高ナインはバックネット手前に横一列となり、脱帽した。

 ほどなく、ウグイス嬢のアナウンスが流れる。

―― ご覧のとおり、ただいまの試合、六対四で墨谷高校が勝ちました。勝ちました墨谷高校の栄誉を称え、同校の校歌を演奏して、校旗の掲揚を行います。

 

ここ墨東の地に 緑萌え

荒川 悠久に流れゆく

志高く 学びの友が集いて

いま明日へと 力強く踏み出す

ああ墨谷 ああ墨谷

永遠に光あれ 我らが母校

 

 

 校歌斉唱の後。墨高ナインは三塁側スタンド前に駆け寄ってきて、横一列に並ぶ。

「みなさん。応援、どうもありがとうございました」

 キャプテン谷口の掛け声に、他のナイン達も「アリガトウシタッ」と脱帽して声を揃える。

「おーい、おめーら!」

 スタンドの金網越しに、田所はちぎれんばかりに右手を振った。

「あっ、田所さん」

 谷口はすぐに気付いた。

「こんな遠いところまで。わざわざ来てくださったんですね」

「あたりめえよ」

 威勢よくOBは応える。

「かわいい後輩達の晴れ姿、見届けねえでどうするよ」

「あ、ありがとうございます」

 谷口と共に、一礼するナイン達。しかし横井がポツリと言った。

電気屋って、そんなにヒマなんかなあ」

「うむ、そうだな」

 傍らで、戸室がうなずく。OBは「あ」とずっこけた。

「れ。聞こえちゃったみたい」

 苦笑いする横井。田所は「こら横井」と、金網越しに怒鳴る。

「こちとら仕事を精一杯やりくりして、どうにか今日のためにそなえてたんだぞ。もう少し言いようってものがあるだろう」

「す、スミマセン」

 横井は肩をすくめる。一方、他のナイン達はムキになるOBの姿に、クスクスと笑い声をこぼす。

「……まあ、でもよ」

 声を穏やかにして、田所は言った。

「感動したぜ。甲子園へ行くってだけでも、夢物語だと思ってたのに。まさか墨高野球部の歴史に残る、甲子園初勝利を見せてもらったんだからな」

「なにをおっしゃるんです」

 口を挟んだのは、イガラシだった。

「まだまだ、これからスよ」

 僅かに笑んで、そう付け加える。

「ハハ、言ってくれるぜ」

 OBは口を開けて笑った。そしてすぐ真顔に戻る。

「ま、とにかく。今日は心からうれしいぜ。つぎは仕事で来られねえが、イガラシの言うように、まだ先は長いつもりでがんばるんだぞ」

 じゃあな、と田所は踵を返す。

「それじゃあ、おれ達も行こうか」

 谷口は、ナイン達に声を掛ける。そうして墨高ナインは甲子園から引き上げるため、ベンチへと急いだ。

 

―― こうして、墨高は苦しみながらも城田を下し、甲子園初戦突破を果たしたのである。

 

 

2.波乱

 甲子園球場を後にしたのち、墨高ナインはバスで旅館へ戻ることとなった。すでに制服に着替えた彼らは、駐車場にて二十一名の部員が手分けして、バス内の荷物を運び出す。

 やがて、部長も「よっこらしょ」とバスから降りてきた。そしてオホン、と大きく咳払いする。ナイン達は自然と、その場で直立不動の姿勢になる。

「諸君。ひとまず今日の勝利、おめでとう」

 部長はまずそう告げた。

「だがこうして甲子園に来られたのも、宿を借りられるのも、ひとえに学校関係者やOB、その他多くの方々のご厚意による、寄付金あってのものだということを、けっして忘れてはならんぞ」

 ナイン達は「はいっ」と声を揃えた。やれやれ、と部長は胸の内につぶやく。

(その寄付金を集めるのに、出発前どれだけ苦労したことか)

 一方、ナイン達の中で一人そわそわしている者がいた。半田である。

「どうした半田」

 倉橋に問われ、半田は「あの……」と口を開く。

「ぼく、先に旅館へもどってます」

 そう言って、荷物を手に走り出した。そのまま旅館の門をくぐっていく。

「半田のやつ。しょんべんか」

 不思議がる倉橋に、イガラシが「ちがうと思いますよ」と答える。

「どうしてだ?」

「ちょうど今ごろ、始まってるんじゃありませんか。ぼくらのつぎの相手、広陽と江島の試合が」

「なにっ」

 倉橋は驚いて、目を見開く。

「それじゃ、ここでのんびりしてる場合じゃないな。おいみんな! 早く旅館に帰って、テレビを見るぞ」

「お、オウッ」

 正捕手を先頭に、ナイン達は残りの荷物を運びつつ、急ぎ旅館へと向かう。

「試合の分析は半田にまかせて、つぎの試合のことは、みんなには夕食後にでも話そうと思ってたのに。みんなすっかり、心に火がついちゃったみたいだ」

「なにを言っとる」

 タバコをくゆらせながら、部長が少し笑って言った。

「火をつけたのは、そっちのくせして」

 谷口は「あ」とずっこける。そして自分も、チームメイト達の後を追った。

 

 

 墨高ナインは、旅館のテレビのある食堂に集まり、一方が次戦の対戦相手となる、広陽と江島の試合を観戦した。

 テレビ画面の右下には、「四回表 広陽0-0江島」と表示されている。

「なかなか、いい試合してますね」

 前列右側のテーブル席で、丸井が言った。うむ、と同じテーブルの横井が応える。

「しかし広陽って、招待野球で谷原に大敗したとはいえ、春の甲子園では準々決勝まで進んだんだろう」

「そうですね」

 隣のテーブル席で、野球の大きな試合に詳しい一年生の片瀬が解説した。

「広陽は春夏合わせて、十回以上も甲子園に出場している名門です。かつては決勝まで行ったこともあるそうですし」

「江島はどうなんだ?」

 丸井が尋ねる。

「今回が初出場ではないらしいんですけど、あまり聞かないですね」

 なるほど、と横井がうなずく。

「それじゃ、まず広陽だろうな」

「おれもそう思います」

 片瀬の傍らで、井口が口を挟む。

「さっきから見てますけど、江島のやつら、みんなバットの振りが鈍いじゃありませんか。あれなら今日戦った城田の方が、ずっと手ごわかったスよ」

「たしかに同感だな」

 丸井も同調する。眼前では、江島の打者が広陽の投手に、あえなく空振り三振に倒れたところだった。

「うーむ、そう順当にいくだろうか」

 異を唱えたのは、谷口だった。丸井が「キャプテン」と、谷口の座る斜め後ろのテーブル席を見やる。

「みんなが言うのも分かるが……」

 キャプテンは、やや渋い顔で言った。

「広陽のバッターも、江島のピッチャーにかなり手こずっているし」

 そういえば、と倉橋がうなずく。

「江島もだが、広陽もまだチャンスらしいチャンスを作ってねえな」

 谷口は「む」と相槌を打つ。

 ガッと鈍い音が、テレビから聞こえてきた。広陽の打者が、あっさりセカンドゴロに打ち取られる。五回表、ワンアウト。依然として両チーム無得点。

「江島の橋本というアンダースローのピッチャー。細身の見た目であなどってちゃ、痛い目にあいそうですね」

 谷口の真向かいの席で、イガラシが険しい眼差しをテレビへ向けている。

「スピードこそありませんが、球種が多彩で、どれもきわどいコースにきまっています。おまけに、どのタマを投げる時も、フォームがまったく同じです」

 あっ、と数人から声が漏れた。一方、谷口は無言でうなずく。そしてつぶやいた。

「こりゃどちらが勝つにしても、かなりもつれるんじゃないか」

 

―― 谷口の予想は当たった。

 両チームとも相手投手を打ちあぐね、何度かむかえたチャンスもモノにできない。そしてたがいに得点できぬまま、あっというまに九回をむかえたのである。

 

 カキ。広陽の打者の打ち返した打球は、しかしセンターのほぼ定位置。江島のセンターはほぼ動かず、難なく顔の前で補球する。スリーアウト、チェンジ。

「おいおい、まさか」

 席を立った倉橋が谷口の隣に来て、目を丸くした。

「あの広陽が、江島相手に九回まで〇点とは」

「む。江島のピッチャーが、ここまでやるなんて」

 迎えた九回裏。広陽の投手のボールが大きく高めに外れ、四球となる。江島の先頭打者出塁、ノーアウト一塁。

「広陽、ここはちょっとピンチですね」

 イガラシが言った。

「ピッチャーがつかれてきてるのか、江島はさっきからいい当たりも増えてますし」

 ガッと鈍い音。凡フライかと思われたが、打球はちょうどセカンドとライトの中間地点へ飛んでいく。そして後方へダイブした広陽のセカンドのグラブを掠め、芝の上に落ちた。

 結果としてライト前ヒット。ノーアウト一・二塁と、江島にとってはチャンスが広がる。

「広陽はちとツイてねえな」

 倉橋の一言に、谷口は「そうかな」と異を唱える。

「打ち取った当たりがヒットになるということは、イガラシの言うようにピッチャーがつかれて、球威がなくなってきているせいかもしれないぞ」

 けどよ、と横井が口を挟む。

「名門のエースともあろう者が、この試合わずかしか出塁を許していないのに、たった九回でつかれるものなのか?」

「体というより、精神的なものだろう」

 谷口は答える。

「名門だからこそ、こんなに味方が点を取ってくれない試合というのは、ほとんど経験がなかったんじゃないか。ピッチャーというものは、点をやれないと思うほど力んでしまう。まして相手は、格下と目していたであろう江島だからな」

 その時だった。周囲から「なにっ」「ああ……」とざわめきが漏れる。えっ、と谷口達もテレビに視線を戻す。

―― おっと、ピッチャーの一塁けん制がそれてしまった!

 実況アナウンサーの声が、甲高く響く。

 テレビ画面上で、ボールはライトファールグラウンドを転々としていく。これを見て、江島の二塁ランナーは三塁ベースを蹴り、一気にホームへ突っ込んできた。カバーに入ったライトがようやく追い付きバックホームするも、間に合わず。

 二塁ランナーが頭から滑り込んで生還すると、他の江島ナインが駆け寄り、抱きついてきた。一方、広陽ナインは各ポジションにて、グラウンドに崩れ落ちる。

 一対〇。江島が強豪の一角・広陽を九回サヨナラで下すという、波乱の幕切れとなった。

 テレビの前で、押し黙る墨高ナイン。ただ一人、前列中央の席でずっとメモを取っていた半田が、ポツリと言った。

「これが甲子園のこわさなんだ……」

 

 

3.次戦へ向けて

 テレビ観戦後。ナイン達は一旦、寝泊りする座敷の部屋に集まった。ほとんどの者が、困ったような顔をしている。

「まいったなあ」

 皆の気持ちを代弁するように、横井が言った。

「つぎは広陽を破ったピッチャーが相手だから、すぐにでも練習したいってのに。そのための場所がないとは」

「こまりましたね」

 丸井が同調する。

「近くのせまい公園じゃ、せいぜいランニングと素振りとキャッチボールくらいしかできませんし」

 そうだな、と横井は溜息をつく。

「今からでも、どこか練習できる場所、借りられないものかな」

 半田が「それはムリですよ」と答える。

「練習場所は、どの出場校にも平等に割り当てられてますから。うちだけ特別多く借りるというのは、できませんよ」

 二人の会話に、他のナイン達は「しかたねえか」「けど、あせるよなあ」と諦め顔になる。

 部屋の隅で、谷口は腕組みして座り、何か考え込む様子だ。倉橋が「どうした谷口」と、声を掛ける。

「やはり練習場所のことか?」

「いいや」

 谷口は首を横に振る。

「ちょっとみんなの様子がな」

 倉橋だけに聞こえるように、小声で言った。

「やる気があるのはいいんだが。初戦を終えたばかりだというのに、やや前のめりすぎているように思えるんだ」

 隣に倉橋は座り、「たしかにな」とうなずく。

「あせってやっても、ロクなことにはならんしな」

 その時だった。

「なあ諸君」

 ずっと黙っていた部長が、ナイン達に声を掛けてきた。

「なやんでたって、どうせ練習できないんだし。ここはひとつ、気分転換でもしてくるのはどうかね?」

「き、気分転換ですか?」

 谷口が尋ね返すと、部長は「うむ」とうなずく。そして話を続けた。

「さっきバスの運転手と連絡を取ってみたんだがね。甲子園初勝利のごほうびもかねて、短い時間ではあるが、大阪見物に連れていってくれるそうなんだが。どうするね?」

 ナイン達は「ええっ」と声を上げた。

 

―― それから後。墨高ナインはバスに乗りこみ、大阪見物へとくり出した。

 東京の下町で生まれ育ったナイン達にとっては、やはり何もかもがめずらしく、おもしろかった。そして、しばらく野球のことしか考えてこなかった彼らに、束の間ながら安らぎの時間となったのである。

 

 

 大阪見物から戻ってきたナイン達は、バスから降りると、口々に感想を言い合った。

「すごかったな、通天閣

 横井の言葉に、戸室が「うむ」と同調する。

「写真なんかで見るのとじっさいに見るのとじゃ、大ちがいだったな」

「たこやきも、うまかったスね」

 楊枝で歯をいじりながら、鈴木が言った。

「まったく。食いしんぼうめ」

 丸井が嫌味を言う。その隣で、イガラシが何やら考え込む表情だ。

「どうしたイガラシ。あまり楽しくなかったのか?」

「あ、いえ」

 丸井の問いかけに、イガラシは苦笑いした。

「あのたこやき、出汁はなにを使ってるんだろうと気になっちゃいましてね」

「はあ? まったくてめえは、いつも小むずかしいこと考えやがって」

「なんだよイガラシ」

 幼馴染の井口もからかうように言った。

「中華そば屋が、近くたこやき屋にくら替えするってか」

 珍しく突っ込まれる一年生に、周囲がプククと吹き出す。イガラシは僅かに顔を赤らめた。

「そ、そんなワケあるか」

 やがて、部長がバスから降りてくる。谷口は駆け寄ると、制帽を脱いで一礼した。

「部長、ありがとうございました。ぼくらのために、大阪見物まで手配してくださって」

「なになに」

 部長は照れた表情で、右手をひらひらさせる。

「ワシも一度、大阪の街を見てみたかったからな。君らが甲子園に出たからこそ、こんなおもしろい体験ができた。ワシの方こそ、礼を言わなきゃな。ありがとう」

 そう言って微笑んだと思った瞬間、ふいに部長は険しい顔になる。

「ところで諸君!」

 声を大きくして言った。

「まだ課題を出していない者が、数名おる。練習の時間をさし引いても、夕食前や寝る前など、やる時間はいくらでも取れるはずだ。甲子園に来たからって、学業という学生の本分を忘れちゃならんぞ」

 最後はお決まりの部長の言葉に、ナイン達は「あーあー」とずっこける。

「ぐすん。なんてしゅうねん深いんだ」

 未提出組の一人、丸井は涙目でつぶやいた。

 

 

 翌日。大阪市内の運動公園のグラウンドにて、墨高ナインは江島のピッチャーを想定したバッティング練習に取り組んでいた。

 キャッチャーには倉橋、ピッチャーはサイドスローの片瀬。打者としてスイッチヒッターの島田が右打席に立つ。また数名は、ホームベース後方で横に並び、タイミングを取りながら素振りしている。残りの者は、内外野に散って球拾いに回っていた。

 片瀬がアウトコーススローカーブを投じる。島田はどうにか合わせたが、ライトフライ。

「フウ。片瀬のやつ、かなり変化球のキレがあるな。さすが一イニングでも谷原打線をおさえた男だぜ」

「おい島田。感心してる場合じゃねえぞ」

 島田の傍らで、倉橋が言った。

「完全に体が泳いでる。それに江島のピッチャーは、球種がさらに多彩だ。片瀬のタマに苦労してるようじゃ、とても打ちくずせないぞ」

「は、はい」

 島田は表情を引き締め、バットを短めに構える。

 倉橋がサインを出し、片瀬が投球動作へと移る。サイドスローから投じられたのは、速球だった。島田のバットが回る。

「くっ」

 ガシャン。振り遅れてしまい、打球は後方の金網に当たる。

「おどろくほど速いタマってわけでもねえのに。スローカーブを見せられると、こんなにも遅れてしまうものなのか」

 島田はさらにバットを短く持つ。

「まずミートしねえと」

 しかし何度やっても、ボールはバットの芯を外れてしまう。打球は内野に弱く転がり、あるいは外野へ力なく上がった。

「マズイな……」

 サードのポジションにて、谷口は唇を歪めた。

「もう三巡目だというのに、ヒット性の当たりが数本しか出ていない。まだ二回戦まで日はあるとはいえ、これじゃきびしいな」

 その時だった。

「キャプテン」

 後方で素振りしていたイガラシが、駆け寄ってきた。

「どうした」

「ぼくら昨年の中学選手権で、江島のエースと似たタイプのピッチャーと対戦してるんです」

 ほう、と谷口は相槌を打つ。

「そのピッチャーを攻りゃくするのに使った打ち方があるんスけど。よかったら、ためしてみますか?」

 谷口は「なにっ」と目を見開いた。

「だったら、今みんなに手本を見せてやってくれないか」

「分かりました」

 イガラシは島田と代わり、右打席に立つ。そしてバットを斜めに寝かせ、クローズドスタンスの構えをした。

「イガラシ。これはチョコン打法か?」

 倉橋が問うてくる。

「悪いとは言わねえが、これはどちらかというと、速いタマをとらえるための打ち方じゃないのか」

「ま、見ててくださいよ」

 そう言って、イガラシは僅かに笑む。

 倉橋はサインを出し、ミットを構える。すぐに片瀬が投球動作を始めた。アウトコースへのスローカーブ

 パシッ。ライナー性の打球が、ライト前に落ちる。おおっ、と周囲がざわめく。

「へえ。クリーンヒットじゃねえか」

 正捕手は目を丸くした。しかし一年生は苦笑いする。

「今のはちょっと体が泳ぎかけました」

 そしてマウンド上へ声を掛ける。

「さ、片瀬。どんどん来い」

 片瀬は「よしきた」と応えた。

 二球目。片瀬はインコース低めに速球を投じた。イガラシのバットが回る。

 快音が響いた。さらに鋭い打球が、レフト頭上を襲う。そしてあっという間に外野手の頭を越え、ワンバウンドでフェンスに当たった。

「た、タイム。みんな集まってくれ」

 谷口はナイン達へ声を掛ける。

 全員がホームベース近くに集まると、イガラシの中学からのチームメイトである久保が、すぐに問うてきた。

「今のはたしか、選手権の白新戦で使った打ち方だろう」

 そうだ、とイガラシは答えた。

「イガラシ」

 今度は谷口が尋ねる。

「小さくかまえたのは、いろいろな変化球をかく実にミートするためか」

「ええ」

「クローズドスタンスを取ったのは?」

「打ちいそぎを防ぐためです」

 なるほど、とナイン達から声が漏れた。

「この打ち方なら、江島のエースを攻りゃくできそうだな」

 横井の言葉に、戸室が「む」とうなずく。

「さすがイガラシ。よくモノを知ってるぜ」

 安堵しかけるナイン達を、倉橋が「これこれ」とたしなめる。

「見るのとやるのとじゃ、大ちがいだぞ。安心するのはまだ早い」

 うむ、と谷口も同調する。

「打ち方をマネるのは、そうカンタンなことじゃないからな」

「分かってるよ」

 横井は力強く言った。

「けど、この打ち方ができなきゃ、江島には勝てないし、つぎへは進めない。だから練習するんだろ」

 その言葉に、他のナイン達は「オウヨ」と応える。

「広陽の二の舞になるわけにはいかねえからな」

「かならず打ちくずしてやりましょう!」

 フン、と倉橋は鼻を鳴らす。

「カッコつけやがって」

 そしてパシンとミットを叩き、大声を発した。

「さあさあ。そうときまったら、練習再開だ。おまえら言ったからには、かならずこの打ち方を身につけるんだぞ。いいな!」

 はいっ、と墨高ナインは声を揃える。

 その後、ナイン達は交替ずつ打席に立ったが、イガラシの打ち方を真似しても、なかなかボールを捉えることができない。倉橋は「言わんこっちゃない」とつぶやいた。

「ミートを心がけるんだ」

 サードのポジションから、谷口はアドバイスを送り続ける。

「まだ体が泳いでるぞ」

「ダメだ、もっと引きつけなきゃ」

 それでもナイン達は少しずつ慣れていき、段々とヒット性の当たりが増えていく。

「ようし。いいぞみんな」

 さっきまでと比べ明らかな変化に、谷口は微笑んだ。一方、マウンド上の片瀬だけが苦笑いを浮かべる。

「みなさんほんと、よく打つこと」

 

―― こうして墨高ナインは、かぎられた時間ながら、江島のエース攻りゃくのための特訓を着実につんでいく。

 そして初戦突破から五日後。いよいよ江島との二回戦をむかえたのである。

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