王道野球漫画の代名詞である『ドカベン』だが、個人的には“王道路線”から少し外れた作品だと思っている。
いわゆるスポーツ漫画においては、主人公が強敵に立ち向かう中でチカラを身につけていくというのが“王道路線”だが、『ドカベン』は違う。
主人公・山田太郎を筆頭に、里中智、岩鬼正美、殿馬一人。一学年上の土井垣将。また後に出てくる微笑三太郎。明訓高の主要メンバーは、いずれも後にプロで活躍する天才達ばかりだ。これだけの才能が揃えば、どう転んでも負ける要素がないと感じられてしまう。はっきり言って、山田擁する明訓は、作中世界における圧倒的な“強者”なのである。
しかし、かといって作中の試合は、昨今のなろう系作品などに見られがちな“俺つえー”的な展開にはならない。むしろ緊迫感の溢れる試合が多い。
それは対戦チームにも明訓の主要メンバーに匹敵する才能の持ち主が散らばっており、彼らも死力を尽くして明訓に挑んできたからである。
山田ら一年夏と二年春の土佐丸戦、不知火守擁する白新との相次ぐ激闘、唯一の黒星を喫した弁慶高戦。……ぱっと思いつくだけでも、これだけの名勝負が挙げられる。
だから思う。この『ドカベン』という作品は、実は“主人公チームに挑むライバル達の物語”ではないかと。
数あるライバル達の中で、私が一番好きなキャラクターが不知火だ。
片目が見えないハンデを手術により克服する勇気。山田を封じるための“超遅球”という魔球を生み出す探求心と努力。まさに打倒明訓、打倒山田に賭ける凄まじい執念である。
とりわけ「ルールブックの盲目の一点」により敗れ去った二年時夏の激闘が印象深い。敵キャラながら、不知火には何とか報われて欲しかった。
不知火だけでなく、『ドカベン』は魅力的かつ多彩なライバルキャラ達の活躍により、彩られている。
並の作家なら、これだけのキャラクターを生み出すと、どうにも特徴の似通ったキャラクターを作り出してしまいそうだが、そこは水島新司先生。キャラ達の才能だけでなく「背景」までも丁寧に描き出すことにより、それぞれのキャラの魅力を際立たせた。
名作と言われる野球漫画は数あれど、これだけ多彩なキャラクターが登場する作品となると、やはり『ドカベン』は群を抜いている。
不知火を筆頭に、土佐丸の犬飼兄弟や犬神、横浜学院の土門、東海の雲竜、クリーンハイスクールの影丸、フォアマン。……強力なライバル達が次々に明訓の前に立ちはだかったが、彼らが死力を尽くしてもなお、明訓を倒すことはできなかった。
そんな明訓が唯一敗れた相手が、武蔵坊一馬擁する弁慶高だったのも興味深い。
冒頭で述べたように、山田擁する明訓は、作中世界において圧倒的な強者である。もし強者たる明訓が敗れるとすれば、理屈で語られる「強さ」ではなく、何かしら“神がかった”要素を持つ相手しかなかったと思う。
あの武蔵坊は、岩鬼の母親を死地から救った、まさに“神がかった業(わざ)”を持つキャラクターだった。明訓初黒星の相手が、白新でも土佐丸でもなく弁慶高だったということも、作中世界における“王者明訓の敗北”という衝撃的な展開にリアリティをもたらしている。
やや話は逸れるが、『ドカベン』はしばしば“予言書”として、巷の話題をさらうこともあった。
江川学院戦における山田の五打席連続敬遠、さらに前述の白新戦における“ルールブックの盲目の一点”は、いずれも後に現実の高校野球でも再現された。
これも水島氏の野球に対する洞察力、もっと言えば野球への“深い愛”が為せる業だったように思う。
話を戻す。山田ら主要キャラに加え、多彩かつ魅力的なライバルキャラを描き出したことにより、同作は王道野球漫画の代名詞と言われるほどの名作となった。往年の名選手達、もっと言えば私より上の世代の“少しでも野球をかじったことのある”人々の中で、おそらく『ドカベン』を知らぬ者はいないのではないだろうか。
もはや漫画の枠を超え、同作は我が国の野球文化の形成に大きく貢献した。世代が変わっても、『ドカベン』は“伝説的な名作野球漫画”として、末長く読み継がれることとなるだろう。