物語の記憶

沖縄在住。ちばあきお「キャプテン」「プレイボール」感想&二次小説。沖縄高校野球、鹿島アントラーズ応援。

<2026.7.5『続・プレイボール』更新!>「物語の記憶」目次 ~各記事へのリンク等~ 

 

「物語の記憶」目次

 

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【目次】

 

1.ちばあきお「キャプテン」「プレイボール」関連コラム

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2.二次小説作品一覧(各話へのリンク) <2026.7.5更新>

※水曜日更新(隔週更新)

<『続・キャプテン』>

(あらすじ)

 ちばあきお「キャプテン」の”もう一つの”続編。

 物語は近藤キャプテンを主人公として、春の選抜大会で敗れた直後から始まる。「来年さらに強くなる」ことを目標に再スタートした現チーム。しかし”夏”もあきらめたわけじゃない。近藤流チーム作りとは!? 

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<『続・プレイボール』>

(あらすじ)

 ちばあきお「プレイボール」の”もう一つの”続編。

 物語は、あの谷原との練習試合に大敗した直後から始まる。キャプテン・谷口タカオ率いる墨谷高校野球部は、夏の甲子園出場を果たすことができるのか!?

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<ちばあきお「プレイボール」「キャプテン」短編二次小説>

①たった一度のファインプレー

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②孤高のエース、原点へ(前後編)

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③コージィ城倉「プレイボール2」~谷原戦・幻の決着場面~

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<小説「白球のリアル」※「続・プレイボール」の試作版>

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3.感想掲示板

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4.その他の記事

①スポーツ関連

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5.外部リンク

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令和の現代にも受け継がれる“墨谷魂” ~自分の好きなこと、コレというものを見つけて没頭できる人は、きっと素敵な人だろう~ <ちばあきお「キャプテン」「プレイボール」関連コラム>

 

 

 今年の四月初旬。自宅アパート近くの図書館を訪れた私は、そこで意外な光景を目にすることとなった。

 

 私が貸出カウンターへ行くと、前方に中学生と思しき少年達の集団が並んでいた。そして何気なく、彼らの抱えるハードカバーの本を見ると、なんと小説版『キャプテン』ではないか! 「次はオレ(が借りるから)な」などと談笑しながら……

 

 ちばあきお先生の、いや谷口の丸井のイガラシの“墨谷魂”は、確実に令和の少年達の心にも届いている。

 

 原作『キャプテン』及び『プレイボール』は、努力というものを具体的に描いた名作として知られている。その泥臭く壮絶な描写は、何度読み返しても思わず息を吞んでしまうほどだ。

 

 このような「根性」や「特訓」は、とかくタイパやコスパが謳われる現代社会においては、悪しき精神主義として、もはや忌み嫌われるものなのかもしれない。私自身、過剰な根性論や精神論は嫌いだし、何事も楽しく取り組むのが一番だと思っている人間である。

 

 ただ――あまりにもタイパやコスパを重視するあまり、自分が好きなことやコレと決めたものに“ひたむきに取り組む”ことまで、否定してしまって良いのだろうか。

 

 かれこれ十年近く前だったか。ネット上で「『キャプテン』は“努力の尊さ”を描いた作品と言われているが、あまりにも努力を美化することは良くない」といった趣旨のコメントを見かけたことがある。私は「そういう意見もあるか」ぐらいに受け止めたが、個人的にはこのコメントは半分正しく、半分違っているように思う。

 

 私も「あまりにも努力を美化する」ことは間違っていると思う。しかし、そもそも『キャプテン』は、努力とはどういうものかを描いたのであって、努力の“尊さ”を描いたのではない。このニュアンスの違いがお分かりいただけるだろうか。

 

 努力の“尊さ”と言われると、読者は無批判に「努力は素晴らしいものだ」と思わなければならないというような、どこか説教臭い感じがしてしまう。だが『キャプテン』『プレイボール』は、そんな説教臭い作品ではない。

 

 作中の登場人物達は、自分自身が達成したい目標に辿り着くため、“自然と”努力しているのである。例えば谷口くんは、自分自身の上達とチームを強くするために。丸井くんは、尊敬する谷口キャプテンの思いを引き継ぐために。イガラシくんは、前代からのチームの悲願だった全国優勝を果たすために。

 

 彼らの奮闘ぶりを目の当たりにした読者は、それぞれ努力というものを解釈するだけである。「自分も墨谷ナインのように努力できるようになりたい」と憧れを抱く人もいるだろうし、「これはさすがにやりすぎだ……」と引いてしまう人もいるだろう。つまり、解釈は読者一人一人に委ねられている。

 

 さらに言えば、何も「特訓」だの「根性」だのとシャカリキになることだけが努力ではない。近藤くんのように、野球を楽しむことや後輩を慈しみチームの伸びやかな雰囲気を作ることも、立派な努力の一つの形である。

 

 四つの違った努力の形。キャラクターもプレースタイルも異なる谷口、丸井、イガラシ、近藤の四人だが……実はたった一つ共通点があることを、原作ファンの方ならお分かりだろうか?

 

 そう、四人とも心から「野球が大好き」ということである。

 

 だから私達読者も、何も野球じゃなくたって良い。勉強でも部活動でも、社会人であれば仕事でも趣味でも、何か一つ自分が好きで夢中になれるもの、コレというものを見つけて、ひたむきに取り組んでみる。それで望んだ成果が出るかどうかは別として、精一杯力を尽くした後は、必ず何かしらの力を手にしているはずだ。

 

 繰り返すがむやみに「努力を美化する」ことは褒められたものではないし、変化の激しい現代社会においてタイパやコスパが重視されることも否定はしない。

 ただ、これだけは言える。自分の好きなこと、コレというものを見つけてそれに没頭できる人は、きっと素敵な人だろうということ。

 

 あの日、私が図書館で出会った少年達のように、ちばあきお先生の遺した精神――“墨谷魂”は、今の時代も確実に受け継がれている。それは形を変えつつも、ずっと消えることなく、いつまでも……

<感想掲示板>

「拝啓、ちばあきお先生」感想掲示板

【野球小説】続・キャプテン<第8話「士気を下げるな!の巻」> ~ちばあきお『キャプテン』続編~

 

【目次】

  • 【前話へのリンク】
  •  第8話 士気を下げるな!の巻
    •      1
    •       2
      • <次話へのリンク>
      • <感想掲示板>
      • 【各話へのリンク】

 

【前話へのリンク】

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 第8話 士気を下げるな!の巻

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     1

 

 朝の墨谷二中グラウンド。校舎の大時計は五時半を指している。

 まだ空がほの暗い中を、野球のユニフォーム姿の近藤が大きな体を揺すりながら、一人黙々とランニングする。

「ハッ、ハッ、ヒッ・・むっ」

 走りながら、近藤はあることに気付く。

(心なしか、このところ走っても息が苦しくのうなってきたな。継続は力なりたあ、よく言うたものや……へへっ)

 やがてグラウンドの隅で立ち止まり、近藤は仰向けに寝転んだ。ハーハーゼイゼイ・・・と乱れた息を整える。

「フヒー、やれやれ…ちいととばしすぎたな。これからJOY達と投球練習する約束やいうのに……れ?」

 ふと近藤の視界に、一つの光景が飛び込んできた。

 校舎手前の樹木の陰で、ジャージ姿のあどけない顔立ちの少年が、一人素振りに励んでいた。ビュン、ビュンとスイングの音が聞こえてくる。

「宮村やないか!」

 仰向けに寝転んだまま、近藤はつぶやく。

「そういやあいつ、このごろ毎朝来とるみたいやな。なかなか熱心やないけ」

 宮村はしばし素振りを繰り返すも、やがてバットをぱっと離してしまう。それから左の手首を右手でつかみ、「うう…」と顔を歪めた。左手の豆が潰れ、血がにじんでいる。

「力が入りすぎやな」

 ふいに声を掛けられ、宮村はハッとして振り向いた。そこにキャプテン近藤が「へへ…」と笑みを浮かべ立っている。

「あ、キャプテン。おはようございます!」

 宮村は照れたような顔で、ぺこっと一礼した。

「あいさつはええ。ワイが見とるさかい、バットを持ってみい」

 そう指示して、近藤は宮村の背後に回る。

「は、はい…」

 言われた通り宮村がバットを持つと、近藤は「ほれ」と相手の肩を両手で押さえるようにした。

「もちっと、わきをしめなはれ」

「あ…はい。こうですか?」

 近藤は「む」とうなずき、手を離して数歩後退する。

「ほな、素振りしてみい」

「はい……」

 宮村は戸惑いながらも、その場で一度素振りした。しかしぎこちない。

「まだリキんどる。もっと力を抜いて、こう…かるーくバットを出すんや」

 近藤の助言に、宮村は「分かりました!」と快活に返事した。そしてまた素振りを始める。ビュッ、ビュッと風を切る音。明らかにスイングの鋭さが増す。

「うむ。さっきより、だいぶようなったで」

 キャプテンの言葉に、一年生は「ありがとうございます!」と顔をほころばせる。

「いやいや。そう礼を言われるほどのことでもあらへん」

 宮村のまっすぐな眼差しに、近藤は照れて顔を赤らめる。

「せやけど…あんさん毎朝熱心やな。早いとこレギュラー組に入れかえてやりたいんやがが……」

「そんな、いいんですよ!」

 恐縮したように宮村は首を横に振る。

「みんなうまいやつばかりですから。ぼくなんて、全然へたっぴですし…」

「あんなあ宮村」

 近藤はやや表情を険しくして、諭すように言った。

「すぎた謙そんは、美徳とちゃうで。んなこと言うくらいなら、もっと自信がつくまで練習しいや!」

「は…はいっ」

 快活に返事した後、宮村はなぜか不思議そうな顔をした。近藤は「なんや?」と尋ねてみる。

「いえ。近藤さん…謙そんとか美徳とかって、けっこうムズカシイ言葉も知っているんだなって」

 後輩の突っ込みに、近藤は「あっ」とずっこける。そして宮村に向き直り、ムキになったふうに言った。

「み…宮村! いくらワイが居残り補習の常連やからて、言うてええことと悪いことがあるんとちゃうん?」

 素直な後輩は「す、すみません…」と恐縮して頭を下げる。

「ま、ええわ」

 近藤は微笑んだ後、ふとあることに思い至る。

「そういや宮村。あんさん、たしか守備専門の組やったやろ。一人で素振りするよか、誰かほかのやつに頼んで、ノックでもしてもろうたらどうや?」

 キャプテンの指摘に、宮村はギクッとして「そ、それは…」と口ごもる。

 しかしその時、グラウンドの反対側より「キャプテン!」と呼ぶ声がした。近藤が振り向くと、JOYこと佐々木が他の一年生バッテリー陣を従える格好で立っている。

「六時の約束だったじゃありませんか! ぬけがけなんて、ズルイですよ!!」

 JOYはそう言って、頬をぷくっと膨らませる。

「んなもん知るかいな。ワイからエースを奪う気なら、もっと早くきいや」

 からかうように言い返した後、近藤はもう一度宮村と目を合わせる。

「ほんじゃ宮村、ワイはJOY達と投球練習してくるさかい。あんさんもきばりいや」

「は、はい……」

 宮村はなぜか、どことなく複雑な表情で返事した。

 近藤は一瞬「?」と訝しむも、きびすを返し走り出す。その大きな背中を、宮村はなおも物憂げな目で見つめる。

「……」

 ほどなく一年生バッテリー陣は、グラウンド端にて投手と捕手で二人一組になり、それぞれ間隔を空けて投球練習を始めた。総勢十名のメンバーである。ズバン、ズバンと投球の音がグラウンドに響き渡る。

 近藤は投手の五人へ一人一人見回りつつ、助言を伝えていく。

 列の右端では、細身の川藤(かわふじ)が投球する。スパイクの左足で踏み込み、右腕を思い切り振り下ろす。

 受ける捕手が「おっと」とミットを高くして捕球した。バシッ、とミットの音。

「わ…わりい」

 川藤は苦笑いした後、一人首を傾げる。

「ヘンだなあ……」

 そこに近藤が歩み寄り、真横から声を掛けた。

「ボールが上ずってるみたいやな」

 ええ、と川藤は困惑した顔で返事する。

「球威が出てきて、やっと投球のコツをつかんだと思ったのですが…最近ずっとこんな調子でして」

「む…」

 近藤は視線を下に落とし、川藤の足下のスパイク跡を見やる。

「ちゃんと力強く踏みこめてるようやが……せや」

 あることを思い出し、近藤は後輩に尋ねる。

「たしかあんさん…球威を増そうとして、ボールをより前で放つために、踏みこむ歩幅をせまくしたんやったな」

「え、ええ……」

 戸惑う川藤に、近藤は「なるほど!」と微笑みかける。

「ほんじゃ川藤。ちいとためしに、もとの歩幅にもどしてみい」

「は…はい」

 川藤はうなずくと、すぐに投球動作を始めた。再び左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕をしならせる。

 スパン! 直球が、今度はペアの捕手がミットを構える真ん中高めに飛び込む。

「こ、コントロールが直った……」

 驚いた顔になる川藤。近藤は「やっぱし」と笑んでうなずく。

「川藤。あんさん…いぜんより足腰が強うなってきたんや。ずっとランニングと投球練習をつづけてきた成果や。よろこんでええで」

「ほ…ほんとですか!?」

 川藤は無邪気に「やったあ!」と破顔した。ところがすぐに渋面になり「で、でも…」と問うてくる。近藤は「どないしたんや?」と尋ね返す。

「今度は、また球威が減ったみたいで……」

 一年生投手のぼやきを、キャプテンは「アホ!」と一喝する。

「んなこと自分で考えんかい! 歩幅をせまくしたり広くしたり、いろいろ自分で工夫すりゃええやないか!!」

 川藤は「そ、それもそうですね…」と頬をポリポリ掻いて苦笑いした。

 さらに近藤は列の左端へと移動し、JOYの投球を真横から見守る。

 近藤の眼前で、JOYが投球動作へと移る。スパイクの右足を踏み込み、グラブを突き出し、その左手からボールを放つ。シャッ、と風を切る音。

 スピードを殺したボールが、ホームベース手前でスウッと沈んだ。ペアの捕手がミットを寝かせて捕球する。スパン、とミットが鳴る。

「ナイスボールよJOY!」

 ペアの捕手は笑んで返球した。JOYがスタッとボールを受ける。

「チェンジアップ、だいぶキレがよくなってきたじゃないか。落差もあるし、これならバッターを空振りさせられるぜ」

 JOYも満足げな笑みを浮かべた。

「へへっ。今のはよかったな」

 しかし近藤は「まだダメや」と厳しい表情で指摘する。JOYとペアの捕手は、同時に「ええっ?」と振り向く。

「JOY。腕のふりが直球の時と比べて、ちいとゆるいで。こんなん全国大会だとねらい打ちや。チェンジアップだけやのうて、変化球こそ腕をしっかりふらな」

 キャプテンの言葉に、JOYは「は…はいっ」と背筋を伸ばす。

「それとなJOY」

 近藤はさらに話を続ける。

「あんさん、このところ…変化球ばかり練習してへん?」

 JOYはギクッとした顔をした。近藤は「せやろ」と指摘する。

「自分の短所は分かってるやろ。あんさんはスピードはあるが、タマが軽い。もっとストレートの球威を上げな、力のあるバッターには通用せえへんで」

「は、はい……」

 後輩は返事した後、うつむき加減になり「でも…」と口ごもる。

「どないしたんや?」

 近藤が尋ねると、JOYはうつむいたまま答えた。

「ぼくじゃ…どんなにがんばっても、キャプテンほどの球威は……」

 近藤は「アホやなあ」と笑い、JOYの右肩をポンと叩く。

「ワイからエースの座を奪おうちゅう男が、そんな弱気でどないすんねん」

 思わぬ激励に、JOYは「は、はあ…」と戸惑った顔になる。近藤はさらに言った。

「それに誰もワイをマネせえなんて言うてへん。自分の得意なことをとことん磨いたらええ。チームとしても、タイプのちがう投手がいるのは大きな武器やしな。せやけど…基本はやっぱし直球やで」

 JOYは近藤の目を見上げながら、その助言を反すうする。

「基本は直球……」

 せや、と近藤はうなずく。

「ええストレートがあるからこそ、変化球が生きるんや。先代キャプテンのイガラシはんなんて、多彩な変化球を持っとったが、直球のスピードはワイとそう変わらんくらいやった。そのくらいになれば…JOY、ワイからエースを奪えるかもしれへんで」

 JOYは「きゃ、キャプテン……」と僅かに笑む。その真っすぐな眼差しに、近藤は照れてコホンと咳払いした。それから二カッと笑う。

「やとしても…そうカンタンにエースの座は渡さへんけどな!」

「いえ…ぼくは負けません!!」

 意気込む後輩を、近藤は「そうや、その意気やで」と励ます。

「ところでキャプテン」

 ふいにJOYが怪訝げに尋ねてきた。

「キャプテンは投球練習しないのですか?」

「む。そりゃしたいのやが……」

 近藤は困った顔になり、向かい側に立つJOYのペアの捕手を指さして答える。

「こん中でいちばんマシなあいつでも、ワイの本気のタマなんてとれへんし」

 この言葉に、ペアの捕手は「あっ」と苦笑いでずっこける。

「なら、おれがとってやるよ!」

 ふいに後方から呼びかけられた。近藤が振り向くと、牧野が捕手用プロテクターを装着した格好で、こちらに歩み寄ってくる。

「ま、牧野。なんで」

 近藤は驚いて目を丸くした。

「なんでって…投手のタマをとるのが、キャッチャーの役目だろうが」

 牧野はそう言って、ボスンと左手のミットを叩いた。それからグラウンド奥のマウンドを指さす。

「ほれ。せっかく来たんだし、おまえのこさえたマウンドを使おうぜ」

「えっ…ちょ、ちょっと待ってえな」

 返事も待たず、牧野は背を向けて再び歩き出した。近藤は慌てて追いかける。

「ワイ、やつらのコーチもせなあかんのやで」

 近藤が横に並んでぼやくと、牧野は振り向いて「おまえなあ…」と溜息をつく。

「面倒見がいいのはけっこうだがな。あんなベンチ入りすらあやしい一年生連中の相手してるヒマなんてあるのかよ。来週には地区大会の組み合わせも決まるってのに」

「せ、せやかて…」

 近藤が何か言いかけた時、牧野がふいに立ち止まった。そして近藤の顔をマジマジと見つめてくる。

「な…なんやの、急に」

「近藤。おまえ…少しやせたか?」

 牧野の質問に、近藤は「ああ…」とうなずく。

「そういえば…けさ出かける時、ママにも同じこと言われたわ」

「……」

 近藤の返答に、しばし黙り込む牧野。近藤は顔を赤らめる。

「牧野! さては丸井はんみたいに、ワイがママ言うたのをバカにしよってからに!!」

「は? いや、誰もそんなこと思ってねえよ」

 牧野はぶっきらぼうに答えた後、束の間うつむき加減になる。

(こいつ、まだ練習試合の負けを引きずっちゃいないだろうな……)

 そう胸の内につぶやく。

「ま…牧野?」

 近藤が目をパチクリさせ、怪訝げに尋ねてきた。牧野は顔を上げ「な、なんでもない」と首を横に振る。

 ほどなく近藤はマウンドに立ち、スパイクで足下の土をガッガッと固めた。そしてロージンバッグを拾い、右手にパタパタと馴染ませる。

 一方、牧野はマウンドの真向かいに置かれたホームベース奥に屈み、マウンドの投手へ声を掛ける。

「さ、いつでもいいぞ!」

 近藤はプレートに足を掛け「よしきた」と返事する。

「ほないくで!」

 牧野へ一声掛けてから、近藤は投球動作へと移る。ワインドアップモーションから、左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 剛速球がうなりを上げ、牧野のミットを弾く。バチッ、という音。ボールはそのままグラウンド奥の壁に当たり、跳ね返ってくる。

「あっ…す、すまん」

 牧野は慌てて走り寄り、ボールを拾う。近藤が腰に両手を当て「なにやっとるんや!」と不満げに言った。

「わりい。今度こそ、ちゃんととってやるよ!」

 返球した後、牧野はひそかにつぶやく。

「な…なんだ、今のタマは!?」

 またホームベース奥に屈み、ミットを構え直す。

「こい!」

 眼前のマウンドにて、近藤は「む…」とうなずく。そして再び、投球動作を始めた。力強く左足を踏み込み、グラブを突き出し、右手の指先からボールを放つ。

 またも快速球がうなりを上げ、今度は牧野のミットに飛び込んだ。ズドン、という音。「ぐっ…」

 牧野は顔をしかめた。

(なんて球威だ。しかも手元でホップしてきやがる!)

 ひょいと返球して、牧野はまた声を掛ける。

「また速くなってんじゃねえか。これなら、どこが相手でもそうそう打たれねえぜ」

 この言葉に、近藤は「へへっ」と笑みを浮かべた。

「うれしいこと言うてくれるやないの。いくらお世辞でも」

 牧野は「あっ」とずっこける。近藤はボールを両手でギュッギュッと握り、付け加えるように言った。

「最近、なんだか体が軽いんや。それでいて力がわいてくるいうかな。今のもこう…シュッと自然に腕がふれたで」

 その発言に、牧野は「なるほど」とつぶやく。

「ありゃやせたつうより、引きしまってたのか。JOYと競ったかいがあったようだぜ!」

 するとマウンドより、近藤が「なにブツブツ言うとるんや」と問うてくる。

「な、なんでもねーよ!」

 牧野はまたボスンとミットを叩き、掛け声を発した。

「今の感じを忘れねえように、どんどんこい!」

 マウンド上。近藤は「ほな…いくで!」と気合の声を発し、また大きく振りかぶってから投球動作へと移る。

 それから二人は、しばらく投球練習を続けた。ズドン、ズドン……と迫力ある音が、グラウンドに鳴り響く。この間、一年生バッテリー陣も練習の手を止め、上級生二人の投球の光景を見つめる。

 さっきまで近藤の助言を受けていた川藤は、ゴクンと唾を飲んでつぶやいた。

「す、すごい……」

 またJOYは、束の間ポーカーフェイスで近藤の投球を見つめていたが、やがて口元で僅かに笑んだ。そこにペアの捕手が隣に来て突っ込む。

「なんだか、うれしそうだな」

 途端、JOYは渋面になり「べつに…」と答える。

 やがてマウンドの近藤が、牧野へ一声掛けた。

「つぎがラストや!」

 牧野は「む。思いきってこい!」と応え、ぐいっとミットを押し出すように構える。

 そして近藤の投球。土を噛むように力強く踏み込み、グラブを突き出し、右腕をしならせる。シュッ、と風を切る音。

 ズドン! 快速球が強くミットを叩く。牧野は「う…」と顔をしかめた。そのミットから、ポロッとボールがこぼれる。

「ま、牧野?」

 近藤が怪訝げに目を丸くする。

「どないしたんや」

 牧野はボールを拾い、顔を上げフフ…と笑みを浮かべた。

「効いたぜ。おまえ、またいちだんと力をつけてきたな」

 相棒捕手の言葉に、近藤はニカッと笑う。

「うれしいこと言うてくれるやんけ。せやけど…まだダメや」

 思わぬ返答に、牧野は「え?」と声を発した。近藤は表情を引き締め、話を続ける。

「もっと体力つけへんと。今年はイガラシはんがおらへんし、ワイ一人で投げなあかん試合も増えてくるやろ。いくらJOYがおるいうても、まだ一年生やし。あまり酷な場面で頼みにするわけにはいかへんやないけ」

 この発言に、牧野はフンと鼻を鳴らす。

「おまえがそんな殊勝なこと言い出すたあ、おどろきだぜ。雨でも降らなきゃいいが」

 近藤は「あっ」とずっこける。

 この時、段々と登校してくる生徒の姿が増え、校舎が賑やかになってきた。

「ぼちぼち時間やな…」

 近藤はそうつぶやいてマウンドを降り、「牧野」と呼びかける。

「おおきに。ほな、また後で」

「あ、ああ……」

 牧野は立ち上がり、渋面で近藤の遠ざかっていく背中を見つめる。

「まったく、ひとの気も知らねえで…」

 一人ぼやき、牧野は左手のミットを落とした。ドサッと音がする。

「うう…」

 牧野は右手で左手首をつかみ、顔を歪めた。今しがた投球を受けていた左手は、真っ赤に腫れ上がっている。

(やつの成長は歓迎したいが、おれがどこまでもつかな……)

 胸の内につぶやいて、牧野は苦笑いした。

 

 

      2

 

 授業終わりのチャイムが響く。校舎の正面玄関から、学生カバンを提げた生徒達がゾロゾロと溢れるように出てくる。

 玄関にて、牧野は靴箱からシューズを手に取る。その時、扉の手前に曽根の姿を見つけた。こちらもシューズを履き替えている。

 牧野は近くに歩みより、「よう」と声を掛けた。曽根は顔を上げ「む」と返事する。

 二人は校舎の外に出て、横に並ぶようにして部室へと向かう。

「おまえ、今日は工場裏へ行く守備組を見てくれるんだったな?」

 牧野の問いかけに、曽根は「あ、ああ……」とうなずく。明らかに浮かない表情だ。

「どしたい、そんなさえないツラしちゃって」

 曽根は「む…」と少し間を置いてから、ぽつりと答える。

「守備組のやつら、このごろ士気にバラつきがあるんだ」

「バラつきだと?」

「ああ。一所懸命やる者もいるんだが、どうも練習に身が入らないやつが増えてきちまってよ。ま、たいがいが練習試合に出られない連中だが」

 渋面の牧野の隣で、曽根は「まいったぜ…」と溜息混じりにつぶやく。

「はじめの頃は、みんな試合に出られると聞いてよろこんでたんだがよ。それでもこれだけの人数となりゃ、全員を出場させることはできねえし、どうしたって見こみのある者を先んじて使うわな。ただそうなると、出られないやつが不満をためちまって……」

「ほっとけ、そんなやつら」

 牧野は吐き捨てるように言った。

「あれだけチャンスをもらって、それでもふてくされるたあ、甘えるにもほどがあるぜ」

「うむ。それはそうだが……」

 なおも悩ましげな曽根。牧野は表情を険しくして「曽根」と呼びかける。

「こちとら下級生のコーチに来てるわけじゃないんだぞ。おれ達だって練習しなきゃなんねえんだ。あと一月もすりゃ地区大会が始まる。もう余計なことに時間をさく余裕はねえはずだぜ!」

 同級生の発言に、曽根は「牧野…」と複雑な表情を浮かべる。

「だいたい近藤がいけねえんだ」

 牧野がさらに言った。

「あいつが新入生をふるいにかけなかったせいで、やたらめったら部員の数が増えちまった。百名あまりも抱えて、どうしろつうんだよ……」

「う、うむ…」

 それから二人はしばし口をつぐみ、無言のまま部室へと入っていく。

「……」

 

 

 牧野と曽根に少し遅れて、近藤も正面玄関から校舎の外に出た。

「む?」

 そこにサッカーのユニフォーム姿の少年が、険しい眼差しで歩み寄ってくる。

「田辺(たなべ)やないけ。なにか用かいな?」

「なにかじゃねえだろ!」

 腰に両手を当て、田辺は怒鳴った。

「きゅ、急に怒鳴らんでも……」

 戸惑う近藤に構わず、田辺は話を続ける。

「前にも言ったが…野球部に人が集まりすぎてるせいで、こちとら定員にも満たずに困ってるんだ。ウチだけじゃなく、柔道部やラグビー部、陸上部の連中もな。近藤、いい加減なんとかしてくれよ!」

「なんや、またその話かいな」

 近藤はプイと横を向く。

「そら前にも言うたやろ。どの部を選ぶかは、本人の意思やで。ワイがどうこうすることはでけへん。勧誘したかったら自分でせえや」

 そう言って近藤が立ち去ろうとすると、田辺が「ま…まてよ!」と強く引き止める。

「まだ言うのかいな。あんさんもしつこいで」

 近藤は呆れたふうに返答しながらも、田辺に向き直る。

「なあ近藤、聞いてくれよ」

 田辺は表情を和らげ、頼み込むように言った。近藤は「なんやの?!」と不機嫌そうに返事する。

「おれはなにも…ウチの部を存続させるためだけに、こうして何度もたのんでるわけじゃねえんだ」

 前置きした後、田辺は「あのな…」と話を切り出した。そして、あることを告げる。

「な、なんやて!」

 相手の発言に、近藤は動揺して声を荒げる。

「わ…ワイは、なにもそんな……」

 しかしそこで言葉が詰まり、近藤は束の間うつむき加減になる。相手の目も見ないまま「ワイは…ワイは、そんなつもりで……」とつぶやきが漏れる。

 やがて近藤は顔を上げ、田辺と目を合わせて言った。

「ちと考えさせてくれへんか?」

 田辺は神妙な面持ちで「ああ、たのむ」とだけ応える。

 それから近藤は他のナインにやや遅れて、一人部室のドアを開けた。中に入ると、すでにナインはユニフォーム姿になっている。

「おう、遅かったじゃねーか」

 牧野が声を掛けてきた。その左手には包帯が巻かれている。

「ま、牧野。その手どないしたんや?」

 近藤が指さして尋ねると、牧野は「これはなんでもねえよ!」とムキになったふうに返答して、左手を背中の後ろに引っ込める。

「す…素振りで豆をつぶしちまったのさ。知ってのとおり、おれは変化球が苦手だからな。いい加減打てるようになろうと思ってよ」

「フーン……」

 近藤の気のない返事に、牧野は「れ」とずっこける。

 傍らでは、二年生の慎二と松尾が四つのベースの入ったプラスチックの籠を「せーの」と二人で持ち上げ、部室を出ていく。さらに山下がボールの山盛りになったバケツを抱え、後に付いていく。

 また部室の奥では、曽根が屈んでスパイクの紐を結んでいた。近藤はそこに歩み寄り、「曽根」と声を掛ける。

「どうした?」

 曽根が怪訝げに返事した。

「この後、ワイも守備組の練習をのぞきたいんやが」

 近藤の返答に、曽根は「えっ」と戸惑った顔になる。

「そりゃ断る理由なんかねえが、どういう風の吹き回しだよ?」

 曽根が尋ねると、近藤は「ああ」と苦笑いする。

「ちと思うことがあるんや。それに…あの落ちこぼれ組、いっつも曽根にばかり面倒見させるのは、やっぱし悪いやないか」

 思わぬ言葉に、曽根は驚いたように口をあんぐり開けて、牧野と目を見合わせる。

「近藤」

 牧野が心配そうに尋ねてきた。

「おまえ…なんだか様子がヘンだぞ。なにかあったのか?」

「な、なんでもあらへん……」

 近藤は誤魔化すように返事して、両手でワイシャツのボタンを上から一つ一つ外し、着替え始める。

「ワイのことはええから。二人とも、先に出といてや」

 そう言って、近藤は取り繕うような笑みを浮かべた。牧野はなおも戸惑った顔で、「あ、ああ……」とうなずく。

 

 

 工場裏空き地では、内野と外野の二手に分かれノックが行われていた。

 ノックの列には、内外野ともに十人ずつ並ぶ。さらに奥の方では、球拾いの部員が二十人近く、それぞれグラブを手に散らばっている。

 外野組のノッカーは、二年生の山下が務める。またキャッチャーには選抜大会でベンチ入りした一年生の赤津が入る。

「つぎ、いくぞ!」

 山下の掛け声に、ノックを受けるずんぐりむっくりとした一年生部員が「は・・ハイ!」とおっかなびっくりといった顔で返事する。

 カーン! 外野への飛球に、その一年生は数歩前進するも、そこからしばし立ち止まってしまう。

「ばか、バックだ!!」

 山下が怒鳴る。一年生は「あっ」と慌ててバックしようとするも、土の凸凹(でこぼこ)に引っ掛かり、後ろ向きに倒れてしまう。ポーン、とボールが弾む。

「まったく…進歩しないやつめ」

 肩にノックバットを担ぐようにして、山下は呆れ顔でつぶやいた。そして一年生が起き上がってから、指示を伝える。

「もういい。きさまもタマひろいに回って、ほかのやつの動きをよく見てろ!」

「は、はあ……」

 一年生はバツの悪そうな顔をして、小走りに球拾いへと向かう。

 そして内野組のノッカーは、三年生の曽根が務めていた。さらに送球を受ける一塁ベース手前には慎二が立つ。また近藤は曽根の左側に立ち、全体の様子を見守る。

 内野組の列の最後尾では、一年生部員が二人、両手を頭の後ろにして緊張感なくペチャクチャとおしゃべりをしていた。

「こ…これ、そこの二人!」

 すかさず近藤が注意する。

「もっと集中せな、いつまでたっても上達せえへんで!」

 二人はビクッとして「は・・はいっ」「すみません!」と恐縮したように言った。ところが少しすると、一方が「怒られちゃった」と肩を竦めて、また二人でおしゃべりを再開してしまう。

「い…いくらなんでも、緊張感なさすぎやで」

 近藤は驚いた顔でぼやきつつ、頬をポリポリと掻く。

「このところ、ずっとあの調子さ」

 隣で曽根がノックの手を止め、困りきった表情で言った。

「はじめのころは練習試合に出られると意気ごんでたが…どうも自分が出られないとさとった途端、やる気が失せちまったようだ」

 同級生に、近藤は「そうやったのか…」と相槌を打つ。

「おれもちと予想してなかったぜ」

 曽根がさらに話を続ける。

「レギュラー外の者にもチャンスを与えたはいいが、かえって力のないやつらを居づらくさせてちまうとはなあ。だからって…こればかりは、おれ達がどうにかできることでもないだろうが」

 その時、一塁より「曽根さん」と慎二が呼ぶ。

「つぎの者が待ってますよ!」

 二人がハッとして前を向くと、内野組の列に並んだ部員が、一様に戸惑った表情を浮かべていた。曽根は「あ…すまん」と苦笑いする。

 そしてまた一人、前に進み出てくる。その顔に、近藤は「ああっ」と表情を明るくした。

「よろしくおねがいします…」

 宮村である。キャプテン近藤の姿に、初々しくペコッと一礼した。しかし表情は硬い。

 曽根が「いくぞ!」と一声掛け、ノックバットを振るう。

 カキッ。左に速いゴロが飛んだ。宮村は斜めにダッシュするも、打球をグラブに弾いてしまう。バチッと音がして、ボールは横へ転々としていく。

「腰が高いぞ。もういっちょ!」

 曽根が今度は、右へ速いゴロを打つ。宮村は懸命に足を動かすも、打球を前に「う…」と一瞬腰が引けてしまう。そして、やはりボールを弾く。

 近藤は渋面になり、胸の内につぶやく。

(宮村のやつ、打球がこわいんか……)

 傍らで、曽根が怒鳴った。

「そんな腰が引けて、内野手がつとまるものか! おまえもタマひろいだ!!」

「は、はい…」

 宮村は悲しそうに返事して、それでも小走りに後方の球拾いの一団へ向かう。

「そ…曽根。あまり宮村にきつく言うのは、やめたりいな」

 いたたまれない表情で、近藤は言った。

「ほかのやつとちごうて、あいつ一所懸命なんやで」

 曽根は「分かってるよ」と、険しい眼差しで返答する。

「だが…今おまえも見たろう? 宮村は打球をこわがってる。その心の弱さを克服できなきゃ、やつに見こみはねえよ」

 近藤は切なげな目で、球拾いに加わった宮村の生真面目そうな顔を見やる。

(宮村……)

 さらに練習は続いた。工場裏にカキッ、カキッというノックの音が響く。

 しかしふいに、曽根がノックバットを放り投げた。カラン、と音がする。

「てめえら、いい加減にしろい!」

 その場の全員を睨むようにして、曽根が怒声を浴びせた。

「どいつもこいつも、ちいとも上達してないじゃねえか! こちとら自分の練習時間をさいてまで、てめえらのコーチしてやってんだぞ。やる気がねえのなら、グラウンドから出ていけ!!」

 守備組のメンバーは、一様にこわばった顔で「は・・はいっ」と返事する。

 この時、近藤は曽根の後方へと下がり、渋面で一人思案を巡らせていた。その脳裏に、サッカー部の同級生田辺の言葉が蘇ってくる。

 

―― なあ近藤。野球は九つのポジションしかないんだし、これだけの大人数を試合に出そうたってムリだろう。レギュラーの見こみのない者をいつまでも置いておくことが、ほんとうに彼らのためと思ってるのか? ただ後輩に好かれていたいという、おまえの私心じゃないのか!?

 

 近藤は「せやな…」と独り言をつぶやいた。そして曽根のところに駆け寄る。

「曽根、ちと悪いんやけど」

 この一言に、曽根は「ん?」と首を傾げた。近藤は神妙な面持ちで告げる。

「今日はいったん引き上げて、みんなを学校に集合させてくれへんか」

「べつにかまわんが、急にどうしたんだ? なにをする気だ!?」

「それは…後で説明するさかい」

 近藤はそう言い置き、慌てたふうに空き地の外へと駆け出した。そして停めていた自転車に飛び乗り、道路へ漕ぎ出していく。

 残された曽根は、怪訝そうにつぶやいた。

「なんだい、あいつ……」

 

 

 墨二中グラウンドでは、バッティング練習が行われていた。

 マウンドには打撃投手として川藤が立ち、キャッチャーを牧野が務める。そして右打席には、選抜大会に出場した一年生滝が入る。

 川藤の背後には、守備組の練習と同じく球拾いメンバーが三十人近く散らばる。またグラウンド脇には、JOYらバッテリー陣が投球練習をしている。さらに牧野がミットを構えるホームベース奥では、二十人近くが素振りに励む。

 ホームベース奥に屈む牧野は周囲を見渡し、ひそかにつぶやく。

「いつもながら、グラウンドがせまく感じるぜ…」

 それからマスクを被り直し、ミットを構えた。しかし「う…」と顔をしかめる。

「牧野さん…左手、だいじょうぶですか?」

 打席の滝が、心配そうに声を掛けてきた。

「な、なーに。心配するない」

 牧野は強がるように笑みを浮かべる。

「そうとも。近藤のタマなんざ、どうってことないんだ…」

 自分に言い聞かせるように独り言をつぶやく牧野。傍らで、滝が「は、はあ……」と戸惑った顔になる。

 マウンド上。川藤がワインドアップモーションから、投球動作へと移る。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 外角高めの速球。滝はスイングするも、一塁方向へ打ち上げてします。ガキッ、と鈍い音。球拾いの一人が「オーライ!」と周囲に声を掛け、スタッと顔の前で捕球する。

「ふり遅れてるぞ」

 牧野の助言に、滝は「ええ…」と困惑した顔でうなずく。

 眼前で、川藤が再び投球動作を始める。スパイクの左足を踏み込み、右手の指先からボールを放つ。シャッ、と風を切る音。

 外角低めの速球。滝がまたスイングするも、今度はボールの下を叩いてしまう。ガッと音がして、キャッチャー後方へフライが上がる。牧野が立ち上がり、数歩後退してやはり顔の前で捕球した。

「く…くそっ」

 滝は顔を歪めた。

「川藤め。ついこないだまで、カモにしてたつうに!」

 当人はマウンドにて、涼しい顔で足下をガッガッと固めている。その姿に、牧野は「へえ…」と感心げにつぶやく。

「川藤のやつ、ずいぶんと見ちがえたな。あれなら地区大会でも通用しそうだぜ。どうやら近藤がねばり強くコーチしたかいがあったようだな……フフ」

 その時だった。

「ハッ、ヒッ……ま、牧野!」

 近藤が二つの校舎の間を通り抜け、こちらに駆けてくる。

「こ…近藤!?」

 困惑する牧野。近藤は近くまで来ると、膝に両手をついてゼイゼイ・・・と苦しげに呼吸する。

「守備組の練習に行ってたんじゃないのか? どしたい、そんな息せき切っちゃって」

 しばし呼吸を整えた後、近藤は顔を上げ「牧野」と、いつになく真剣な表情で告げた。

「悪いんやけど、これから野球部全員を集合させてくれへん? いま曽根や守備組の連中も来るさかい」

「え…そりゃまた、急な話だな」

 牧野は怪訝げに尋ねてくる。

「いったい、なにをする気だ?」

「うむ。じつはな……」

 近藤はヒソヒソと、牧野にある考えを伝えた。

「な…なんだって!?」

 その発言に、牧野は驚いて目を見開く。

「そうおどろくことかいな」

 近藤は僅かに笑んで言った。

「牧野だって、そうした方がいいと思うてたんやろ?」

「そ、それはそうだが……近藤。おまえ、ほんとうにいいのか?!」

 牧野の問いかけに、近藤は口元を引き締め「ああ」と応える。

「もう決めたんや。キャプテンとして」

 その決意を固めた眼差しに、牧野はうなずく。

「分かった。おれも協力させてもらうよ」

 やがて曽根と慎二を先頭に、守備組のメンバーがグラウンドに帰ってきた。

「曽根! いいタイミングで帰ってきたぜ」

 牧野は曽根のところへ駆け寄る。

「やあ牧野。近藤に言われたとおり、こうして引き上げてきたんだが…いったいどうしたんだ?」

「む。それがな……」

 曽根の質問に、牧野は声をひそめて答える。

「えっ…」

 牧野と同様に、曽根も驚いて目を見開いた。

「こ、近藤がほんとにそんなことを!?」

 二人の視線の先。近藤はホームベース手前で、膝に両手をつき一人屈伸運動を始めている。その眼差しに鋭さが増していく。

 牧野は無言で曽根と目を合わせ、互いにうなずく。それから周囲を見回し、指示の声を発した。

「一年生全員、外野に集合しろ!」

 正捕手牧野の発言に、JOYや川藤そして工場裏から戻ってきた宮村ら一年生部員は、一様に戸惑った顔をした。すると、今度は曽根が怒鳴る。

「ほら、かけ足!」

 この一言に、一年生達は「は・・はいっ」と返事して、急いで外野へと駆け出す。そしてようやく全員が集合し、六十人余りが横四列に並ぶ。

 そして近藤が、一年生部員の前にゆっくりと歩み出る。

「急に集まってもろうたのは、ほかでもあらへん」

 前置きした後、端的に告げた。

「今から…諸君らをテストさしてもらう」

 一年生部員の列から「ええっ」と大きなどよめきが起こる。

 

 

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【第98回選抜高校野球大会】沖縄尚学、二年連続の選抜大会出場決定!!(高校野球2026)

 

 

<はじめに>

 先日(令和8年1月30日)、第98回選抜高校野球大会の出場校が発表され、我が地元の沖縄尚学高校も、ギリギリながら九州5枠目(※九州国際大付属の明治神宮大会優勝による“神宮枠”)として選出された。

 

 沖縄の高校野球ファンの一人として、これは素直に嬉しい。

 一度は失われたはずの夢舞台の切符が、戻ってきた。しかしその幸運を引き寄せたのも、沖尚ナインの力である。彼らには何も臆することなく、二年連続の甲子園で思い切り暴れてきて欲しい。

 

1.悔しいと同時に、どこかホッとした昨秋の九州大会敗退

 

 昨年の秋季九州大会準々決勝にて、沖尚が神村学園(鹿児島)に敗れた時、私は正直複雑な気分だった。

 

 もちろん翌春の選抜大会出場が厳しくなったことは悔しいが、それと同じくらい、どこかホッとした気もしたのである。

 

 思えば夏の甲子園優勝以降、エース末吉良丞君を始め沖尚ナインは、数多のメディア出演、特に末吉君はU-18日本代表として沖縄開催の野球W杯に出場し決勝まで戦い、さらに休む間もなく秋季大会と、本当に息つく暇がなかった。

 

 迎えた秋季九州大会準々決勝の神村学園戦、先発のマウンドに末吉君の姿はなかった。さらに終盤ピンチを迎えてもなお、比嘉公也監督は末吉君をリリーフに送り込むことはなく、沖尚はそのまま追加点を奪われた。ようやく彼がマウンドに立ったのは、四点差とされた九回だった。

 

 エースが投げられないというアクシデントに影響されたのか、この日の沖尚は明らかに精彩を欠いていた。守備が再三乱れ、攻撃面でも早いカウントから難しい球に手を出して凡退するなどチグハグさが目立った。

 これでは力のある神村学園に敵うはずもない。

 

 後日、末吉君が“燃え尽き症候群”に近い状態だったという記事を見かけたが、実際のところは分からない。ただ少なくとも、あの勝負所で投げられる状態じゃなかったことは確かだ。「ひょっとして故障か?」と考えたのは私だけじゃないだろう。

 

 この敗戦で選抜出場は厳しくなったが、沖尚ナイン――特に末吉君に一度リフレッシュしてもらうには、結果的に一番良かったのではないかとさえ思えた。

 

 ところが……失われかに思われた選抜大会出場の切符が、幸運にも舞い戻ってきた。

 

2.昨秋の時点で、連覇は厳しいと見た。しかし……

 

 沖尚は末吉君・新垣有紘君という昨夏優勝の二枚看板が残ることで、この選抜大会でも優勝候補の一角に挙げられることとなるだろう。しかし、私は正直“厳しい”と見ている。

 

 理由は「攻撃力の弱さ」だ。

 昨年の秋季大会を見る限り、沖尚はバント・エンドランといった“チームとしての攻撃の形”はしっかり作られていたものの、まだカウントによる狙い球の絞り方だったり追い込まれた後の粘りだったり、選手個々の技量がまだ全国レベルには達していないと感じた。そして案の定、九州大会では二試合で僅か二点しか奪えなかった。

 

 頼みの投手力にしても、末吉君と新垣君は確かに世代屈指の好投手だが、「最少得点で逃げ切れるか?」と言われると、まだそこまで圧倒的という感じではない。良かったとしても1~2点、打力の高い相手にはそれ以上取られることもあるだろう。

 

 ただ――今言ったのは、あくまでも昨秋時点の話だ。

 

 あれから、沖尚ナインはようやく落ち着いて練習に取り組めたはずだし、九州大会で敗退したことが彼らのモチベーションにもなったことだろう。

 

 全国優勝するようなチームは、一冬越えて大きく化ける。悔しい秋を乗り越えて、彼らがどれほど成長を遂げたのか楽しみにしたい。

 

<終わりに>

 何より嬉しかったのは、選抜出場決定後のテレビ取材において、末吉君の口から「早く野球がしたい」という言葉を聞けたことである。

 

 先にも述べたが、二年生にして春夏の甲子園連続出場と夏の全国優勝、さらにU-18日本代表選出……高校球児の目指す粗方の目標を達成してしまった末吉君。これから何をモチベーションに高校野球を続けていくのか、燃え尽き症候群になってしまわないか、正直心配してしまうところがあった。

 

 そんな末吉君に、まだまだ純粋に野球をしたいという気持ちが残っていたことに、私は心底ホッとしたし、何より嬉しいことだった。

 

 もちろん末吉君と沖尚がまた甲子園で勝ち上がってくれたら嬉しいし、彼ほどの逸材であれば今後プロでの活躍も期待したいところだが、何といってもまだ高校生。野球を楽しむという原点をずっと持ち続けて欲しい。

 

 それは末吉君だけでなく、他の沖尚ナインも同じだ。

 夏の優勝は、もう過去のこと。甲子園の大舞台で野球がやれるという喜びを味わいながら、彼らにできる最大限のパフォーマンスを発揮して欲しい。

 

 高校野球ファンの待ち侘びる春は、もうすぐそこまで来ている。

 

【リンク】

vk.sportsbull.jp

 

私選・沖縄高校野球ベストナイン<2026version>

 

 

<はじめに>

 2025年は、沖縄高校野球の“復活”を印象付ける年となった。

まず春の選抜大会において、沖縄尚学とエナジック・スポーツの県勢二校同時出場&両校初戦突破。そして夏の選手権大会において、沖縄尚学の県勢15年ぶりとなる甲子園優勝。いつしか2010年興南春夏連覇も過去のものとなり、とりわけ2016年以降、県勢の自力での選抜大会出場が2023年沖縄尚学まで途絶えるなど低迷期に入っていたことを思えば、実に感慨深い復活劇だった。

 

 さて、甲子園大会における沖縄勢の躍進には、当然ながらそのチーム・その世代を代表する名選手達の存在がある。

というわけで――かなり久しぶりの企画となるが、私にとっての沖縄高校野球ベストナインを選出し、彼らの印象的なプレーと共に、過去の沖縄勢躍進の記憶を振り返ってみることとしたい。

 

 なお、私が高校野球観戦を本格的に始めたのは1990年代後半からである。それ以前の名選手についてはリアルタイムで見た記憶がないため、今回は対象外とさせていただくこととする。

 

 

      ~私選・沖縄高校野球ベストナイン(2026version)~

 

※【 】内の数字は特に活躍した年。

 

ライト:銘苅圭佑【2010興南】 

<選手評>不動の五番打者として、猛威を振るった2010年興南強力打線の一角を担った。

 当時のチームメイトから“ミートの天才”と評されるほど優れたバットコントロール、広角に打ち分ける技術、さらに逆方向へ長打を放つパワーも有していた。

 個人的には、準々決勝・聖光学院戦で歳内宏明(元阪神タイガース)のスプリットを鮮やかにセンターへ弾き返した打撃が印象的。三点先制された直後、この銘苅の一打を足掛かりに興南打線は勢いづき、大会屈指の好投手を完全攻略して見せた。

 

センター:伊古聖【2008沖縄尚学

<選手評>俊足巧打の中堅手として、沖尚の9年ぶりとなる選抜優勝に大きく貢献した。

 一見すると細身ながら、鋭いスイングが持ち味。一回戦の聖光学院戦と決勝の聖望学園戦では、いずれも先制点を呼び込む三塁打。さらに同じく聖望学園戦では、試合を決定づけるランニングスリーランホームランが鮮烈だった。

 外野守備も印象的。単に俊足を生かすというだけでなく、打球の落下地点まで一直線に走る判断が優れていた。

 

レフト:伊禮伸也【2010興南

<選手評>春夏連覇を果たした2010興南ナインきってのムードメーカー。我喜屋優監督をして「気持ちの切り替えの上手い選手」と評され、その選抜決勝・日大三高戦では凡フライを落球するミスを犯すも、その後レフト前ヒットで本塁を狙ったランナーを見事なバックホームで刺し、ベンチでは「甲子園に魔物はいないが、幽霊がいたみたいです!」と発言、失策絡みで失点を重ねた序盤の嫌な雰囲気を振り払った。

 また勝負所での勝負強い打撃も印象的。選手権二回戦・明徳義塾戦では、2-1と詰め寄られた直後の三回表、鮮やかなソロホームランで相手の反撃ムードを断ち切る。そして同選手権決勝・東海大相模戦では先取点となるタイムリーを含む三安打と活躍した。

 

ショート:大城滉二【2010興南

<選手評>それまでスーパーエース・島袋洋奨を擁しながらも、どことなく脆さのあった興南は、大城のレギュラー抜擢により、一気にモンスターへと変貌した。

 足の運び、グラブさばき、送球……この一連の流れが、流れるように美しい。よく「上手い選手は絵になる」と言われるが、まさしく彼のような選手を表すのだろう。また打撃面でも予想外の活躍を見せ、特に選手権大会では四割近い打率を残した。あの春夏連覇メンバーの中で、大城だけがプロで息長く活躍しているが、当時からその守備センスの高さは際立っていた。

 大城が「九番ショート」に収まった興南は、攻守共に隙のないチームとなり、史上六校目の春夏連覇へと突き進んでいくことになるのである。

 

サード:我如古盛次【2010興南

<選手評>言わずと知れた春夏連覇・2010興南のキャプテン。夏の優勝インタビューにおける「今日の優勝は沖縄県民で勝ち取ったものだと思っているので、本当にありがとうございました!」という名言は、多くの県民の胸を熱くした。

猛威を振るった強打興南の中心・三番打者を担い、選抜大会では共に大会タイ記録となる8打数連続安打と大会通算13安打をマーク。選手権大会でも準決勝の報徳学園戦で同点タイムリ三塁打、さらに決勝の東海大相模戦では試合を決定づける3ランホームランを放つなど、印象的な快打を連発した。

 

セカンド:イーマン瑠海【2025エナジックスポーツ】

<選手評>四半世紀近く高校野球観戦を続けてきたが、これまで見てきた中で最も“見ていて楽しい選手”である。身長164センチと小柄ながら、全身バネを思わせるような運動神経の持ち主。2025選抜大会一回戦の至学館戦で、左中間の当たりを楽々三塁打にしてしまった走塁にはたまげた。この試合と二回戦・智弁和歌山戦でいずれも四安打。さらに二塁手としても好守を連発。

 同年夏の甲子園大会で優勝した沖縄尚学には要警戒打者としてマークされ、エース末吉良丞の投球練習を見守る比嘉公也監督の「イーマンはそれ逃さないぞ」という言葉掛けは、沖尚が勝ち進むにつれて注目を集めた。この世代で最も次のステージでの活躍が期待される選手といっても過言ではない。

 

ファースト:山川穂高(2009中部商業)

<選手評>今や日本を代表するスラッガーの一人。今年(2025年)の日本シリーズでは、3試合連続ホームランを放つ等の活躍でMVPを獲得し、ソフトバンク・ホークスの2020年以来となる日本一奪還に大きく貢献した。

 高校時代は甲子園出場こそ果たせなかったものの、当時からその才能の片鱗は見せつけていた。個人的には2009年春のチャレンジマッチにおいて、興南・島袋洋奨のスライダーを完璧に捉え、逆方向へ弾き返したホームランが印象的。両者は同年夏の県決勝でも対戦し、山川は一点差に詰め寄るタイムリーを放つなど、島袋を最後まで苦しめた。

 この時から“練習の虫”という評判であり、その姿勢はプロになった今でも変わらない。近年のスキャンダルは残念だったが、山川の野球に対する情熱は本物。過去を変えることはできないが、それを払拭する今後の活躍を期待したい。

 

キャッチャー:宜野座恵夢(2025沖縄尚学

<選手評>高校野球において、こんなにも“キャッチャーの役割”というものが大きいのかということを改めて実感させてくれた選手。末吉良丞・新垣有紘という左右両エースの二枚看板は確かに大きかったが、この宜野座恵夢がいなければ優勝に手が届いていたかどうかは分からない。それくらい強い存在感を放っていた。

 特に印象的なのが、準決勝山梨学院戦でリリーフ登板した新垣有紘に投じさせた、初球のスライダーである。あの時点でスコアは1-4、しかも二死ながら一・三塁とピンチが続いており、もう一本打たれていれば試合が決していた。そんなギリギリの状況で、安易に速球を投げ込むのでもなく、慎重にボールから入るのでもなく、新垣のベストボールであるスライダーを要求した、彼の判断力と度胸には感服させられた。

 他にも「なるほど、こうきたか!」「ここでこの一球を要求できるのか!」と、何度も感嘆させられた。さらに打者としても、同じく山梨学院戦で反撃の口火を切る二塁打と同点につながる三塁打、決勝の日大三高戦でも勝ち越しのタイムリーを放つなど、まさに大車輪の活躍。沖縄の高校野球史にその名を刻んで見せた。

 

ピッチャー:東浜巨(2008沖縄尚学

<選手評>高校野球好きの知り合いと話す時、私が頻繁に話題にするのが、当時一年生だった東浜巨の初先発試合を観戦した時の衝撃である。当時まだ直球が130キロ台だったと思われるが、明らかにボールの質が他の投手と違っていた。

捉えたと思った打球が、詰まる。さほど力感のないフォームなのに、相手打者が圧倒されている。この投手は近くとんでもないことをやってのけるに違いない――そう予感を抱かされた。

 その後の彼の活躍は、言うまでもない。2008年選抜大会において、沖縄尚学を9年ぶり二度目の優勝に導く。東浜は5試合中4試合に完投、そのうち完封2、大会の失点が僅かに3と圧巻の投球内容だった。夏の県大会決勝では、ライバル浦添商業との県球史に残る激闘に敗れ甲子園出場こそ逃したものの、亜細亜大学を経てソフトバンク・ホークスに入団。近年は怪我に悩まされるシーズンも増えているが、長年に渡り立派に第一線で活躍を続けている。

 

<終わりに>

 五年近くぶりに選考してみたが、今回もなかなか悩まされた。

 特にセカンドには、金城長靖(2006八重山商工)や仲宗根一晟(2008沖縄尚学)、国吉大陸(2010興南)といった思い入れのある選手がひしめく。

 またピッチャーは、どうしても春夏連覇のトルネード左腕・島袋洋奨(2010興南)を選ぶべきじゃないかという思いもあった。さらに近年のプロ野球における目覚ましい活躍ぶりも含めると、宮城大弥(2019興南)も候補に上がってくる。

 一方、キャッチャーに関しては宜野座恵夢の一択だった。もちろん嶺井博希(2008沖縄尚学)や山城尚悟(2001宜野座)ら他にも印象的な名捕手は数多くいるのだが、それだけ今年の宜野座君の攻守におけるインパクトが大きかったのである。

 

 さて、いよいよ来週には選抜高校野球大会の出場校が決まる。秋季九州大会の準々決勝で敗退した沖縄尚学が選ばれるかどうかは五分五分と見るが、注目の沖尚も含め、今年も沖縄の高校球児達の活躍に期待したい。

 

【リンク】

vk.sportsbull.jp

 

【野球小説】続・プレイボール<第98話「死闘の結末・・・の巻」> ~ちばあきお『プレイボール』続編~

 

第98話 死闘の結末・・・の巻

<前回へのリンク>

stand16.hatenablog.com

 

 

<主な登場人物紹介>

 

野中:中陽高校野球部エース。威力ある快速球と多彩な変化球を持ち味とする右の本格派投手。バッターとしても四番を務める実力者。今夏で三季連続の甲子園出場。昨夏四強、今春は八強で敗れており、今夏こその全国優勝を目指す。

 

小山:中陽の正捕手。負けん気の強さと冷静さを併せ持つチームの扇の要。打者としても五番を務める強打者。

 

中陽監督:中陽高校野球部を率いて過去何度も甲子園の土を踏んできた名監督。智将として知られ、知略で墨高バッテリーを追い詰めていく。

 

常盤:中陽の三番を務める強打者。右翼手としても好守が光る。

 

秦野:中陽の控え投手。変則投法で相手打者を幻惑する。

 

柴田:俊足巧打のトップバッター。中陽不動の遊撃手。

 

 

      1

 

「どうだ、見たか!」

 三塁ベース上。快打を放った常盤が、左こぶしを高く突き上げた。打者の気迫に呼応するかのように、一塁側ベンチの中陽ナインも口々に雄叫びを上げる。

「ナイスバッティングよ常盤!」

「この試合、まだまだ分からないぜ!!」

 さらに内野スタンドの中陽応援団も勢いを増す。

―― カッセ、カッセ、ちゅーうーよう! カッセ、カッセ、ちゅーうーよう!!

 他方、谷口はハアハア・・・と肩を上下させ、右手の甲で額の汗を拭う。その姿を、キャッチャー倉橋はホームベース手前に立ち、渋面で見つめる。

(やつはもう、限界なんだろうか……)

 その時だった。ふいに谷口へ歩み寄る人物がいた。

「キャプテン」

 イガラシである。谷口はハッとして顔を向けた。また倉橋、さらに丸井も意外そうに目を見開く。

「左足のふみこみが弱くなってます」

 淡々とした口調でイガラシは告げた。

「土をもっと強くけるようにしなきゃ、ボールに力が乗らないですよ」

「そ…そうか!」

 谷口は微笑んで言った。

「どうりで球威がなくなってるわけだ。分かった、やってみるよ!」

 快活に応える谷口。イガラシはクールな表情で「ええ」とだけ返事する。

 ほどなくイガラシがポジションに戻る。一人残された谷口は、マウンドで左足を踏み込む動作を繰り返す。

「マウンドを…強くける、強くける……」

 そうつぶやきながら。

 谷口の様子に、倉橋は僅かに笑む。

(イガラシのやつ。なにを言ったか知らんが、谷口の顔に生気が戻ってきたぜ!)

 一方、ショートのポジションに就いたイガラシのところに、今度は丸井が駆け寄る。

「イガラシ。おまえ、谷口さんになにを…」

「丸井さん」

 問いかけを遮るようにして、イガラシはきっぱりと言った。

「今はキャプテンを信じましょう!」

 丸井は戸惑ったように「あ、ああ……」とうなずいた。ふいにイガラシはうつむき加減になり、険しい表情を浮かべる。

(もし谷口さんがここをふんばれなかったら、その時はおれが……)

 この時、三塁側ファールグラウンドのブルペンでは、松川が控え捕手の根岸相手に投球練習を始めていた。いつになく引き締まった表情で、松川は速球を投げ込む。ズバン、と根岸のミットが鳴る。

 また三塁側ベンチ。カチャリと音がして、奥の扉が開かれる。そして久保が姿を現した。右腕を白い三角巾で吊っている。

「あっ…おい久保」

 後列の井口が尋ねてきた。

「どうだったんだよ、ケガの具合は」

「うむ。残念だけど、今大会はもうプレーできないようだ」

 苦笑いして久保は答えた。井口は「そ、そうか…」と渋面でうつむき加減になる。

 久保は井口の隣に腰掛けた。そこにベンチ隅でスコアを付ける半田も手を止め、声を掛けてくる。

「医務室にいなくていいのかい?」

「ええ」

 少し笑んで、久保は返事した。

「最後はここでみんなと見届けようと思いまして」

 その一言に、半田も「うん!」微笑んでうなずく。

 バックスクリーンのスコアボードには、墨谷の得点が「8」、中陽が「6」とそれぞれ掲示されている。さらに十三回表の枠には、墨谷が奪った得点を示す「2」の数字も刻まれていた。ただその裏、中陽のアウトカウントのランプは、まだ一つも灯されていない。

 そしてウグイス嬢のアナウンス。

―― 四番、ピッチャー野中くん!

 ネクストバッターズサークル。中陽のエースにして四番打者の野中は静かに立ち上がり、バットを手にゆっくりと打席へ向かう。その背中へ、ベンチに控える次打者の小山が、祈るような眼差しで声を掛ける。

「野中たのむ! なんとかつないでくれ!!」

 さらに柴田、小倉……中陽ナインが口々に叫ぶ。

「負けるな野中! 中陽のエースの意地を見せてやれ!!」

「相手はもう限界だぞ! 思いきっていけ!」

 しかし後列の中陽監督は、意気上がるナインを尻目に、泰然自若として佇んでいた。その視線の先で、野中が右打席へと入る。

(野中がつなげるかいなかで、勝負は決まる……)

 マウンド上。谷口はロージンバッグを右手にパタパタと馴染ませた。白粉が舞う。その眼前で、ポーカーフェイスの野中が、すっとバットを構える。

 打者の傍らで、倉橋がまたミットをど真ん中に据えた。

(コースはいい。とにかく…ストライクを取るんだ!)

 やがて谷口が投球動作を始めた。今度はセットポジションから、左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕をしならせる。

 次の瞬間。ボールの迫力に、野中は「う…」と僅かに身をよじる。

 ズバン! 快速球が外角低めに決まった。

「ストライク!」

 アンパイアのコール。倉橋が驚いて目を見開く。

「な…ナイスボールよ!」

 一声掛けて返球すると、ボールを受けた谷口が「倉橋!」と呼ぶ。

「おれのことは気にするな。今までどおり、おまえが最善だと思うリードをしてくれ!」

 エースの言葉に、正捕手は嬉しげに「分かった!」と返事する。

(そんじゃ、今のをつづけるんだ)

 倉橋は右手の指でサインを出す。

 谷口は「む」とうなずき、二球目の投球動作へと移る。またもセットポジションから、力強く左足を踏み込み、右腕を振り下ろす。

 またも外角低めの快速球。野中はスイングした。

 ガキッ。鈍い音がして、打球は一塁側ファールグラウンドに転がっていく。

「ま…まさか、ふり遅れちまうなんて……」

 野中は驚いた顔でつぶやいた後、フフ…と笑みを浮かべた。

「そうこなくっちゃ!」

 一方、セカンドの丸井は口を半開きにして、背番号「1」の背中を見つめる。

(な…なんて人だよ!)

 さらに三塁側内野スタンド。客席に座っていた学ラン姿の応援部員の一人が、すっくと立ち上がる。そして眼下のグラウンドへ叫ぶ。

「がんばれ谷口!!」

 他方、一塁側内野スタンドの中陽応援団からは、野中を後押しする大声援が響く。

―― かっとばせー、かっとばせ、のーなーか! のーなーか!!

 ホームベース奥にて、倉橋が次のサインを伝える。

(さあさあ、バッターが押されているうちに…)

 谷口は「よしきた…」とうなずき、すぐに投球動作へと移る。ワインドアップモーションから、左足を踏み込み、右手の指先からボールを放つ。シュッ、と風を切る音。

 スピードのあるボールが内角低めに投じられた。それがホームベース手前でストンと落ちる。野中はすくい上げるようにスイングした。

 カーン! 快音を残し、大飛球がレフトポール際を襲う。

 谷口が「ああ・・」と顔を歪めた。倉橋がバッとマスクを脱ぎ、立ち上がる。一塁側ベンチの中陽ナインが、一斉に「おおっ」と身を乗り出しかける。背走してきたレフト戸室が、フェンスに背中を付け打球を見送る。

 しかし打球はポール際でスライスし、三塁側アルプススタンドに飛び込む。

「ファール!」

 三塁塁審がコールと同時に、両手を大きく広げた。球場全体から「おお・・」とどよめきが聞かれる。

 打席の外で、野中は「なんでえ」と苦笑いした。

「ちと引っかけたぶん、ポール際で切れちまったのか…」

 打者を横目に、倉橋は険しい表情で、マスクを被り直す。

(あぶねえ。またフォークをねらうたあ、油断もスキもねえぜ)

 またマウンド上。谷口は「やるな」と僅かに笑む。

「さすが中陽の四番だ!」

 倉橋はホームベース奥に屈み、四球目のサインを出す。

(速球に目が慣れてきたようだし、緩急を使っていこう)

 む…と谷口はうなずいた後、谷口はボールを両手でギュッギュッと握る。十分に間を取ってから、セットポジションに就く。そして投球動作を始めた。スパイクの左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 外角のカーブ。野中は一瞬スイングしかけるも、すぐに「おっと」とバットを引く。スパン、と倉橋のミットが鳴る。

「ボール、ロー!」

 アンパイアがコールと同時に、右腕を斜め下へ提げる。

 三塁側の墨高応援席から「ああ・・」と溜息混じりの声が聞かれた。応援部員が思わず両手で頭を抱える。

「くそ、入ってねえのかよ!」

 ざわめく周囲をよそに、倉橋は冷静な表情で次のサインを伝える。

(こいつで誘ってみるか)

 谷口は「む」とうなずき、今度はすぐにセットポジションに就く。それから投球動作を始めると同時に、倉橋はすっとミットを内角高めに移動させた。

 そして谷口が投球する。内角高めの速球。打席の野中は微動だにせず。ズバン、と倉橋のミットの音。

「ボール!」

 アンパイアのコール。倉橋が「く…」と唇を歪める。

(こいつ、まるで反応しやがらねえ)

 打席の野中は挑発的な笑みを浮かべた。

(つりダマに手を出すほど、おれは甘かねえぜ!)

 打者は一旦打席を外し、一度素振りした。ビュッ、と鋭いスイング音。この時、三塁ランナーの常盤は、打者に祈るような眼差しを向ける。

(たのむぞ野中。おまえが出塁さえすりゃ、じゅうぶん逆転の芽はあるんだ!)

 再びマウンド上。谷口はまたロージンバッグを拾い、パタパタと右手に馴染ませる。ハアハア・・・とまた息が上がり始めている。

(やはり、そうカンタンには打ち取らせちゃくれないか…)

 やがて野中が右打席に戻り、バットを構え直した。その傍らで、倉橋は思案する。

(中陽の四番だけあって、さすがの選球眼だ。それなら……)

 谷口と目を合わせ、倉橋はサインを伝える。エースは意外そうな顔をするも、すぐに意図を察した。

(なるほど、バッターを迷わせようってことか……)

 足下へロージンバッグを放り、谷口はセットポジションに就く。それから投球動作へと移る。グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 外角のカーブ。くくっと鋭く曲がるも、僅かに外へ外れた。野中は悠然と見送る。

「ボール!」

 アンパイアがコールの後、両手の指を立ててボールカウントを示す。

「スリーボール、ツーストライク!」

 倉橋がまた一声掛けて返球する。

「おしいおしい、ナイスボールよ」

 谷口はポーカーフェイスで返球を受けた。一方、野中は怪訝げに首を傾げる。

(今のはボールでもいいつもりで投げたようだな。慎重に配球しようってことか)

 後方のバックスクリーン。そのスコアボードのボールカウントのランプが、五つともすべて灯る。

 野中は打席に戻り、チラッと後方を見やった。ネクストバッターズサ―クルでは、次打者の小山が傍らにバットを置き、片膝立ちで控える。

(走者を返すより、まずは出塁せねば……)

 そう自分に言い聞かせ、野中はバットを構え直す。

 打者の隣で、倉橋はひそかにつぶやいた。

「さて、そろそろいくか!」

 そして六球目のサインを出す。谷口は「む」とうなずき、またセットポジションに就く。

―― かっとばせー、かっとばせー、のーなーか! のーなーか!!

 なおも一塁側内野スタンドの中陽応援団の懸命な応援が続く。他方、バックネット裏や外野スタンドの一般客は、固唾を飲んでグラウンド上の光景を見つめている。

 球場が緊迫感に包まれる中、谷口は投球動作を始めた。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕をしならせる。

 内角低めの快速球

 野中が「あ…」と小さく声を発した。コースいっぱいのボールに手が出ず。ズバン、と倉橋のミットが鳴る。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアがコールと同時に、右こぶしを高く突き上げた。その瞬間、野中は呆然として立ち尽くす。

「し、しまった……」

 三塁側内野スタンドの墨高応援席が、ワアッと沸き立つ。対照的に、一塁側内野スタンドの中陽応援席は、水を打ったように静まり返る。

 倉橋は立ち上がり、谷口に声を掛けた。

「よく投げたぞ谷口!」

 谷口は微笑んでうなずく。そして後方の味方ナインへ振り向き、人差し指を立てて掛け声を発した。

「ワンアウト!」

 キャプテンの掛け声に、ナインも応える。

「ナイスピーよ谷口!」

「あと二つ、しっかりいこうぜ!!」

 声を上げるライト横井、レフト戸室。しかしセカンド丸井は、一人浮かない顔で谷口の横顔を見つめていた。そして両手を組み、祈るようにつぶやく。

「神様、お願いします。谷口さんをお守りください!」

 さらにショートのイガラシは、うつむき加減で険しい表情を浮かべている。

「……」

 他方、三振を喫した野中は、うなだれて足取り重くベンチへと引き上げる。

(やられた。四球が頭にチラついて、きわどいタマに手が出なかった……)

 しかしその背中に、次打者の小山が「野中!」と強い口調で呼んだ。

 野中はようやく顔を上げ、力なく返事する。

「小山…」

「まだアウト一つ取られただけだ。あきらめるな!」

 二人の頭上に、ウグイス嬢のアナウンスが降ってくる。

―― 五番、キャッチャー小山くん!

 小山は右打席に入り、眼前の相手投手を睨みバットを構えた。

(野中見てろ! 今度はおれ達が、おまえを助ける番だ!!)

 一方、倉橋はマスクを被り直し、冷静に打者を観察する。

(だいぶ入れこんでるようだな…)

 そして谷口と目を合わせ、右手の指でサインを出す。

(こいつの打ち気を利用してやろう)

 谷口はうなずき、セットポジションに就く。少しボールを長く持ってから、プレートを外し三塁へゆっくりと牽制球を投じた。常盤はさっと足から帰塁する。

 小山は一旦バットを下ろし、首を傾げる。

スクイズでも警戒してるのか? 一点をおしむのなら、まだまだつけ入るスキがありそうだぜ!)

 打者の思惑をよそに、谷口はサードの岡村から返球を受けると、再びボールを両手でギュッギュッと握る。そのマイペースな動作に、小山はますます苛立ちを募らせる。

(じらしやがって。さっさと投げろい!)

 一塁側ベンチ。後列で腕組みする中陽監督は、表情を険しくする。

(まずい。小山のやつ、向こうのバッテリーのペースにはまってしまっている……)

 苛立つ打者の傍らで、倉橋がようやく初球のサインを出す。

(こいつでどうだ?)

 谷口はうなずき、今度はすぐに投球動作へと移る。セットポジションから左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 スピードのあるボールが内角低めに投じられた。小山はスイングする。

 ところがボールは、ホームベース手前でストンと落ちた。打者のバットはあえなく空を切る。

「ふぉ…フォークかよ!」

 小山は「タイム」とアンパイアに伝え、一旦打席を外した。その場で一度素振りした後、束の間うつむき加減になる。

(落ちつけ。このままじゃ、相手の思うツボだ。もっとボールをよく見ねえと…)

 それから「どうも」とアンパイアに合図して、打席に戻りバットを構え直す。

(とにかく後続につなぐんだ! このまま終わるわけにはいかねえ)

 打者の隣で、倉橋は冷静に次のサインを伝える。

(対角線に揺さぶっていこう)

 む…と谷口はうなずき、またセットポジションから投球動作を始めた。左足を踏み込み、その右手の指先からボールを放つ。

 外角高めの速球。小山はまたもスイングする。

 カキッ。乾いた音を残し、大飛球がセンターへ打ち返された。一塁側ベンチの中陽ナインが「やった!」と身を乗り出そうとする。センター島田が一直線に背走し、やがて背中がフェンスに付いてしまう。

 しかし打球は伸びず。島田が数歩前進して、顔の前で捕球した。それを見て、三塁ランナー常盤がタッチアップする。島田はすかさず中継のイガラシに返球するも、ボールを受けたイガラシはバックホームせず。常盤は右足からホームに滑り込む。

 スコアボードの一枠がめくられ、中陽の得点が「7」と掲示された。しかし塁上のランナーがいなくなり、スコアボードのアウトカウントのランプが二つとも灯る。

 打った小山は一塁ベース手前で、がっくりと膝に両手をつく。

「くそっ、球威に負けちまった……」

 ネクストバッターズサークル。次打者の後藤がバットを担ぐようにしたまま、呆然とつぶやく。

「つ、ツーアウト……」

 一塁側ベンチ。小山、柴田、小倉、秦野……中陽ナインは一様に険しい表情で、口をつぐむ。そして野中が、切なげな目でうなだれる打者を見つめる。

(小山のやつ、気負いすぎたか…)

 エースは上空を仰ぎ、ぽつりと言った。

「いよいよだな……」

 一方、ベンチ後列。中陽監督は腕組みしたまま、しばし目をつぶる。

(最後まであきらめないんだったな……)

 やがて目を見開き、監督は意を決したようにすっくと立ち上がる。そして前列に歩み出た。中陽ナインはハッとして、一斉に指揮官へと顔を向ける。

 

 

      2 

 

 グラウンド上。墨高ナインは、互いに声を掛け合う。

「キャプテン、打たせていきましょう!」

 セカンド丸井が両手をメガホンのようにして叫ぶ。その後方で、ライト横井も声を張り上げる。

「あとアウト一つ。しっかり守っていこうよ!」

 一方、マウンドの谷口はロージンバッグを手に、ハアハア・・・と息を弾ませていた。

(こ…今度こそ、しっかり三つ目のアウトも奪うんだ!)

 疲労を隠せない背番号「1」の背中を、ショートのイガラシが複雑な表情で見つめる。

(カンタンに終わらせてくれるほど、甘くはあるまい……)

 そしてウグイス嬢のアナウンスが響く。

―― 六番、ファースト後藤くん!

 後藤は引きつった顔で、小走りに打席へと向かう。そこに一塁側ベンチより中陽監督が呼びかける。

「後藤!」

 打者が振り向くと、監督は指示を伝えた。

「こういう時こそムキになるな! もう一度、ピッチャーを揺さぶれ!」

 相手監督の言葉に、倉橋は「く…」と唇を歪める。

(谷口が疲れてるつうのに、余計なことを……)

 マウンド上、谷口は右手にロージンバッグをパタパタと馴染ませている。

 やがて後藤が右打席に入ってきた。そしてバットを短くして握る。打者を横目に、倉橋は束の間思案する。

(ツーアウトランナーなしで、そうそう策もあるまい!)

 倉橋は顔を上げ、右手の指でサインを伝える。

(パワーヒッターだし、慎重に外の低めよ…)

 谷口は「む」とうなずき、ロージンバッグを足下へ放った。そしてプレートに足を掛け、ワインドアップモーションから投球動作を始める。

 次の瞬間、後藤がバットを寝かせた。倉橋は「なに!?」と目を見開く。サード岡村、ファースト加藤、さらにピッチャー谷口がダッシュする。

 外角低めの速球。後藤は、さっとバットを引いた。ズバン、と倉橋のミットが鳴る。

「ストライク!」

 アンパイアのコール。

 ホームベース手前で、谷口は膝に両手をつき、表情を険しくする。倉橋は「そういうことか…」と、一塁側ベンチの相手指揮官を睨む。

(あの監督、谷口をさらに疲れさせる気だな!)

 ほどなく谷口はマウンドに戻り、スパイクで足下をガッガッと固める。エースの姿を見つめ、倉橋は渋面になる。

(ダッシュすんなと言いてえとこだが、それを聞き入れるやつじゃねえからな……)

 谷口と目を合わせ、次のサインを出す。

(どうやら前に飛ばす気はなさそうだし。さっさと追いこんじまおうぜ)

 む…と谷口はうなずき、またワインドアップモーションから投球動作へと移る。その瞬間、後藤が再びバットを寝かせた。すかさず岡村、加藤、谷口がダッシュする。

 初球と同じく外角低めの速球。後藤はやはりバットを引く。ズバン、とミットの音。

「ストライク、ツー!」

 アンパイアのコールに、三塁側内野スタンドの墨高応援席が「おおっ」とどよめく。

「ついに追いこんだぜ!」

「む。今度こそ、しとめて欲しいものだな!」

 学ラン姿の応援部員の二人が、そんな会話を交わす。周囲の観客達も、期待の眼差しを眼下のグラウンドへと注ぐ。

 そのグラウンド上。谷口はハアハア・・・と息を弾ませつつ、マウンドへと戻る。

「た…谷口、ムリすんな!」

 倉橋が声を掛けてきた。谷口は「ああ」とだけ返事して、またロージンバッグを拾い上げる。パタパタと右手に馴染ませつつ、胸の内につぶやく。

(負けるものか。あと一歩というところまできてるんだ!)

 その背中に、セカンド丸井が「キャプテン!」と呼びかけた。

「バックがついてるんです! 打たせてください!!」

 さらにショートのイガラシも声を掛けてくる。

「相手は追いつめられてます。思いきっていきましょう!」

 後輩達の掛け声に、キャプテンは僅かに表情を和らげる。

(おれを支えてくれたナインのためにも…あとアウト一つ、なんとしてもつかみ取るんだ!)

 谷口の視線の先。打席の後藤が、今度は最初からバットを寝かせて構えた。傍らで、倉橋は首を傾げる。

(ツーストライクで、もう見逃すこともあるまい。念のため……)

 倉橋はサード岡村、ファースト加藤に両手のジェスチャーで指示を伝えた。岡村と加藤がじりじりと前進してくる。

 さらに倉橋は、谷口へ三球目のサインを出す。

(向こうの揺さぶりなんざ気にすんな。反対に、こっちが揺さぶってやれ!)

 谷口はうなずき、両手でボールをギュッギュッと握る。しばし間合いを取ってから、投球動作を始める。

 その瞬間、後藤はさっとバットを立ててヒッティングの構えをした。倉橋は「やはり…」とつぶやく。前進していた岡村と加藤が、素早くバックする。谷口が右腕を振り下ろす。

 外角のカーブ。後藤は「う…」と体勢を崩しかけるも、辛うじてバットの先端にボールを当てた。ガッと音がして、打球は一塁側ファールグラウンドへ転がっていく。

「ナイスボールよ谷口!」

 倉橋は一声掛けて返球した後、すかさず次のサインを伝える。

(さあさあ、バッターのタイミングが合わないうちに)

 なるほど…と谷口はうなずく。

 打席の後藤は、さっきと同じくバットを寝かせて構える。それを見て、谷口が今度はすぐに投球動作へと移る。

 次の瞬間、後藤はまたもさっとバットを立てた。前進守備の岡村と加藤が、再び素早くバックする。

 内角高めの速球。後藤は「おっと」と一瞬スイングしかけるも、どうにかバットを止める。ズバン、と倉橋のミットが鳴る。

「ボール、ハイ!」

 アンパイアのコールと同時に、球場の観客から「おお・・」と安堵のような溜息混じりの声が聞かれた。スコアボードのボールのランプが一つ灯る。

 一塁側ベンチ。前列に立つ中陽監督は、冷静な眼差しで打者を見つめる。

(いいぞ後藤。じっくりねばって、谷口をガス欠にさせてやれ!)

 しかし周囲のナインは、なおも一様にこわばった表情で口をつぐんでいる。

「おまえ達、このまま終わっていいのか?」

 監督の問いかけに、ナインはハッとして顔を上げた。小山が「い、いえ…」とだけ返事する。

 この時、谷口が五球目を投じた。

 外角低めの速球。後藤は悠然と見送る。

「ボール!」

 アンパイアがコールの後、両手の指を二本ずつ立ててボールカウントを示す。

「ツーボール、ツーストライク!」

 谷口は「く…」と顔を歪め、胸の内につぶやく。

(またコントロールが利かなくなってきた。早く打ち取らなきゃ……)

 渋面でロージンバッグを拾い、右手にパタパタと馴染ませつつ、しばし間合いを取る。

 他方、一塁側ベンチにて、中陽監督は言葉を続けた。

「勝負は時の運だ。どんなに手を尽くしても、及ばないことだってある」

 中陽ナインは神妙な顔で、指揮官の話に聞き入る。

「だが…アウトはまだ一つ残っているのに、もうあきらめムードでいてどうする。それでやるだけやったと、胸をはって言えるのか?!」

 再びマウンド上。谷口がワインドアップモーションから、六球目の投球動作を始めた。

 打席の後藤は、またもバントの構えからヒッティングに切り替える。岡村と加藤がさっと身を翻す。

 谷口の投球。外角低めのスピードボールが、ストンと落ちる。後藤はバットをはらうようにしてスイングした。

 カキッ。痛烈なゴロが一塁線を襲う。一塁側内野スタンドの中陽応援席が「おおっ」と沸きかける。ファースト加藤が横っ飛びするも、打球がそのミットを弾く。

「ファール!」

 一塁塁審がコールと同時に、両腕を水平に広げた。内外野スタンドの観衆から、今度は「ああ・・」と大きな溜息が聞かれる。

 打席の外で、後藤はフフ…と笑みを浮かべた。

(ねばったかいあって、ボールがよく見えるようになってきたぜ!)

そして一塁側ベンチより、監督が帽子のつばを摘まみサインを出す。

(いいだろう。いけ後藤!)

 後藤はうなずいて打席に入り直し、バットを短くして構える。その背中に、ベンチの野中がついに掛け声を発した。

「臆するな後藤! おれ達がついてる!」

 さらに小山、常盤……中陽ナインが快活に声を上げる。

「タイミングは合ってるぞ。思いきっていけ!」

「今こそ中陽の底力を見せてやれ!!」

 後藤そして中陽ナインを後押しするように、一塁側内野スタンドの応援団の声援にも熱がこもる。

―― かっとばせー、かっとばせー、ごーとーう! ごーとーう!!

 他方、ホームベース奥にて、倉橋もマウンドの谷口へサインを伝える。

(速球に目が慣れてきたようだし、また緩急を使っていこう)

 谷口は「む」とうなずき、すぐに投球動作へと移る。ワインドアップモーションから、左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 外角のカーブ。後藤は鋭くスイングした。

 パシッ。痛烈なライナーが二遊間を破り、センター島田の前で弾んだ。一塁側内野スタンドがワアッと沸き立つ。

 打った後藤は一塁ベースを回りかけたところで引き返し、ベース上で高く右こぶしを突き上げる。

「やったぞ、みんな!」

 意地の一打に、ベンチの野中と小山が叫ぶ。

「ナイスバッティングよ後藤!」

「勝負はまだ分からないぜ!!」

 中陽応援団の声援が、さらに勢いを増す。

―― カッセ、カッセ、ちゅーうーよう! カッセ、カッセ、ちゅーうーよう!!

 一方、倉橋はホームベース手前に立ち、渋面でマスクを被り直す。

(ボールは悪くなかったんだが、うまく打たれたな……)

 そしてマウンド上。谷口は「まずいな」と険しい表情になる。

(今の一打で、向こうの士気が高まってきたぞ…)

 ここでベンチの中陽監督が、メガホン越しに声を発した。

「後藤、帰ってこい!」

 それから後列に座る小柄な控え選手へ声を掛ける。

「安永。代走だ、いけ!」

「は、はいっ」

 安永と呼ばれた背番号「15」の選手が、ヘルメットを被り後藤と入れ替わるようにして、グラウンドへ飛び出していく。

 なおも監督はベンチ前列に立ち、僅かに笑みを浮かべた。

(さて。ようやく、監督の出番がきたというものだな!)

 そしてウグイス嬢のアナウンスが響く。

―― 七番、サード筒井くん!

 細身の筒井は右打席に入り、バットを長くして構えた。傍らで、倉橋は横目に打者を観察する。

(もしや長打ねらいか? いや…代走を出してきたつうことは、機動力を使ってくるかもしれん……)

 さらに倉橋は、チラッと一塁ランナーの安永を見やる。安永はこちらを睨みつつ、じりじりとベースから離れていく。

 倉橋はマウンドの谷口と目を合わせ、右手の指でサインを出す。

(くぎ刺してやれ!)

 谷口はうなずき、セットポジションに就く。少し長くボールを持った後、身を反転させ一塁へ牽制球を投じた。安永は、素早く手から帰塁する。

 ファースト加藤が「ナイス牽制!」と声を掛け、返球してきた。ボールを受けた谷口が正面に向き直ると、倉橋がさっきと同じサインを伝えてくる。

(もういっちょ)

 谷口はうなずき、再びセットポジションに就く。そしてまた一塁へ牽制球。しかし安永は、手から余裕を持って帰塁した。その反応に、谷口は渋面になる。

(代走をまかされるだけあって、すばしっこいランナーだ…)

 安永は立ち上がると、挑発的な笑みを浮かべる。

「それしきの牽制で、おれをくぎづけにできると思ってるのか!」

 倉橋はうつむき加減になり、束の間思案する。

(もちっと警戒してえとこだが…あまり気にしすぎると、投球に影響しちまう。谷口はもう限界に近いんだし……)

 その谷口は、すでにマウンドでハアハア・・・と肩を上下させている。倉橋は谷口と目を合わせ、サインを出す。

(握りを長くしてるし、打ちづらいインコースを突いていこうよ)

 む…と谷口はうなずく。

 この時、一塁側ベンチの中陽監督も胸に左手を当て、打者にサインを伝えていた。

(今のバッテリーにランナーを気にする余裕はない。いけ筒井、安永!)

 打者の筒井、ランナーの安永は、揃って首を縦に振る。

 やがて谷口がセットポジションに就き、投球動作へと移る。それと同時に、ランナー安永がスタートした。セカンド丸井が「走った!」と叫ぶ。ショートのイガラシが二塁ベースカバーに入る。

 ところが谷口がボールを放つ寸前、筒井はすっとバットの握りを短くした。そして内角の速球を打ち返す。

 カキッ。叩きつけたゴロが、がら空きになった三遊間を抜けていく。倉橋が「なんだと?」と顔を歪める。

 レフト戸室が急いで前進し、捕球するや否や中継のサード岡村へ返球した。三塁ベースカバーには谷口が入る。しかしその間、ランナー安永は二塁ベースを蹴り、さらに加速して三塁へ向かう。

「くそっ」

 中継の岡村が谷口へ送球するも、安永は悠々と右足から三塁に滑り込んだ。ボールを受けた谷口は、タッチにいけず。

 一塁側内野スタンドの中陽応援団が、ワアッと大きく沸き立つ。最前列に立つ学ランにタスキ姿の応援部員の二人が、互いに目を合わせ言葉を交わす。

「お…おい。これ、ひょっとして……」

「うむ。どうやら、まだ逆転の芽はありそうだぜ!」

 さらにバックネット裏の一般客から、ざわめきが起こる。

「表の二点で決まりやと思うとったが…こら、最後まで分からへんで」

「せや。中陽にも、名門の意地つうもんがある」

 初老の観客のそんな会話が聞こえてくる。

 また三塁ベース上。谷口は険しい表情を浮かべ、右手で頬の汗を拭う。

(しまった。早く試合を終わらせたい心のスキを突かれたか……)

 他方、一塁側ベンチ。中陽監督が僅かに笑む。

(筒井、安永、よくやってくれた。これで逆転のチャンスが整ったぞ)

 しかし指揮官は、すぐに渋面になる。

(ただ…監督にやれることは、ここまでだ!)

 

 

 グラウンド上。キャッチャー倉橋が、アンパイアに「タイム!」と合図して、マウンドへ向かう。さらに内野陣も駆け寄ってくる。

 やがて谷口を囲むようにして、キャッチャー倉橋、内野陣の岡村、イガラシ、丸井、加藤の四人がマウンドに立つ。

「す、すまん…」

 まず口を開いたのは谷口だ。

「ヒットエンドランは予想できたのに、まんまとやられてしまった。どうもアウトを焦りすぎたようだ」

 倉橋が「谷口…」と怪訝そうに言った。

「んなことより、おまえ……」

 その後が出てこない。黙り込んだ倉橋の傍らで、丸井が心配そうに谷口を見つめる。さらに岡村と加藤もいたたまれない表情である。四人の眼前で、谷口はすでにハアハア・・・と苦しげだ。

「そう難しい話じゃありませんよ」

 思わぬ一言を発したのは、イガラシだった。丸井が目を見開いて「イガラシ!」と反応する。

「もうツーアウトですし、向こうの策はここまでです。盗塁で二三塁にされたとしても…どっちみち最後のアウトさえ奪えば、ゲームセットなんですから」

「おまえなあ」

 丸井が怒ったような顔で口を挟む。

「そのアウト一つだって、カンタンなことじゃ…」

「丸井さん」

 イガラシは僅かに顔を伏せつつも、きっぱりとした口調で告げた。

「やるのがカンタンだなんて言ってません。そう…ここでアウトを取れなきゃ、すなわちぼくらの負けです」

 覚悟を迫るような発言に、丸井は「イガラシ…」と気圧された顔になる。

「キャプテンだけじゃない」

 さらにイガラシは話を続けた。

「ぼくら全員が、ここはハラをくくる時です!」

 この言葉に、他の四人は口をつぐむ。しばし観衆の大声援だけが聞こえてくる。

―― カッセ、カッセ、ちゅーうーよう! カッセ、カッセ、ちゅーうーよう!!

 やがて沈黙を破ったのは、倉橋だった。

「谷口」

 正捕手の呼びかけに、キャプテンは顔を上げる。

「おれはおまえを信じる」

 覚悟の定まった眼差しで、倉橋は思いを伝える。

「だからおまえも、バックを…ナインを信じるんだ!」

 倉橋の言葉に、谷口は力強くうなずいた。

「む。分かった!」

 ほどなく内野陣とキャッチャー倉橋はポジションへと散っていく。マウンドに一人残された谷口は、足下のロージンバッグを拾い、右手にパタパタと馴染ませる。白粉が舞う。

 谷口は気迫みなぎる表情で、胸の内につぶやく。

(そうだ。なんとしても、最後のアウトをもぎ取ってやるんだ!)

 ここでウグイス嬢のアナウンスが流れてくる。

―― 八番、レフト田中くん!

 小兵の田中が右打席に入り、バットを短くして握る。

 打者の傍らで、倉橋は「外野!」とレフト戸室、センター島田、ライト横井の三人へ手振りで指示を伝えた。三人はそれぞれ前進し、バックホーム体制を取る。

 外野陣のポジションを確認した後、倉橋はマスクを被り直し、改めて打者へ警戒感を募らせる。

(ナリはちいせえが、油断ならないバッターだ。ホームランの後も二安打を許してる。ここは歩かせるのも手だが……)

 倉橋はチラッと一塁側ベンチを見やる。

 視線の先で、中陽の大柄な控え選手がヘルメットを被り、ダッグアウトの前で素振りを始めていた。ビュッ、ビュッと風を切る音。またベンチ前列にて、中陽監督が険しい眼差しをこちらに向けている。

(ダメだ…)

 相手ベンチの光景に、倉橋はかぶりを振る。

(つぎはまちがいなく代打を使ってくる。満塁で押し出しを気にして投球すりゃ、きっとコントロールが甘くなって痛打されちまう。やはり…こいつを打ち取るしかねえ!)

 意を決した倉橋はホームベース奥に屈み、右手の指でサインを出す。

(問題は谷口の力がどれくらい残っているかだ。この一球でたしかめよう)

 マウンド上。谷口はうなずき、セットポジションに就いた。そして投球動作へと移る。

 次の瞬間、一塁ランナー筒井がスタートした。

 谷口の投球。外角低めの速球を、田中はわざと空振りした。ズバン、とミットの音。倉橋は送球せず、筒井は二塁に楽々と右足から滑り込む。

 二盗成功に、一塁側内野スタンドがワアッと沸き立つ。さらにベンチの中陽ナインも、身を乗り出して声を上げる。

「二三塁になったぞ。これで一打逆転だ!」

 常盤がそう言って小さく右こぶしを突き上げた。隣の小山は、両手をメガホンのようにして叫ぶ。

「田中! 遠慮するこたあねえ、思いきっていけ!!」

 しかし前列の隅に立つエース野中は、一人複雑な表情を浮かべる。

(あのバッテリー、バッター勝負に徹するつもりか…)

 打席の田中は、「あいつ…」とマウンド上の相手エースを睨む。

(とっくに限界のはずだが、まだあんな力のあるタマを投げられるのかよ!)

 一方、倉橋は「よし!」と右こぶしを握り込む。

(これだけ球威がありゃ、じゅうぶんだぜ!)

 倉橋は「ナイスボールよ!」と一声掛け、谷口に返球した。そしてまたミットを外角低めに構える。

(さあさあ、バッターの目が慣れないうちに…)

 む…と谷口はうなずき、すぐにセットポジションから投球動作を始める。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 またも外角低めの速球。田中はスイングした。

 パシッ。痛烈なライナーが一塁線を襲う。ファースト加藤がジャンプするも及ばず。倉橋はバッとマスクを脱ぎ、「う…」と顔を歪める。

 しかし打球はスライスして、ライト線の外側に落ちた。

「ファール、ファール!」

 一塁塁審が二度コールした後、両手を水平に広げる。内外野スタンドから「おお・・・」と大きなどよめきが起こる。

 走り出していた田中は、立ち止まり「ちぇっ」と舌打ちする。

「とらえたつもりが、ちとふり遅れちまったか……」

 田中は打席に入り直し、アンパイアに「タイム」と合図してから、スパイクでガッガッと足下を均す。

 打者の傍らで、倉橋はマスクを被り直し、屈んでしばし思案する。

(もう速球にタイミングを合わせてきたか。かといってカーブやフォークは、軽くミートするだけで外野へ運ばれちまう。どうすりゃ…)

 この時、倉橋はあることを思いつく。

(そうだ、もう一手あるじゃねえか!)

 すかさずマウンドの谷口と目を合わせ、三球目のサインを伝える。

(内角のシュートでつまらせよう)

 谷口は「なるほど…」とうなずき、ボールを両手でギュッギュと握り、十分に間を取る。

 ほどなく田中が「どうも」とアンパイアに告げ、右打席に戻る。それからバットをまた短くして構えた。

 グラウンド上。サード岡村、ショートイガラシ、セカンド丸井……墨高野手陣は一様に厳しい表情で、前傾姿勢を取る。

 マウンドの谷口は、一度後方を振り向き、掛け声を発した。

「いくぞバック!」

 キャプテンの掛け声に、墨高ナインは快活に「オウヨッ!!」と応える。

 そして谷口がセットポジションに就き、投球動作を始めた。力強く左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。シュッ、と風を切る音。

 スピードボールが内角に投じられた。

 田中は肘を畳んでスイングする。しかしホームベース手前で、ボールはくくっと曲がりさらに内へ喰い込んできた。「う…」と田中は顔を歪める。

 カキッ。快音を残し、速いゴロが三遊間を襲う。

 谷口は「あっ」と目を見開く。そのまま打球がレフトへ抜けていくかに見えたその刹那、ショートのイガラシが横っ飛びし、なんとグラブに捕球した。

 イガラシは素早く起き上がり、片膝立ちで一塁へ矢のような送球を投じる。

「つ…つっこめー!!」

 中陽の一塁コーチャーが叫ぶ。その眼前で、田中がベースへ頭から滑り込む。バシッ、と加藤のミットが鳴る。砂塵が舞った。間一髪のタイミング。

 甲子園球場に、束の間の静寂が訪れる。

 送球を受けた加藤、滑り込んだ田中、守る墨高ナイン、攻める中陽ナイン、さらに内外野スタンドの観衆……そのすべての視線が、一塁塁審に集まる。

「あ…アウト! ゲームセット!!」

 一塁塁審がコールと同時に、右こぶしを高く突き上げる。

―― ウワアアッ!!

 その瞬間、甲子園球場は割れるような大歓声に包まれた。

 

 

ー第99話へ続くー

 

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