南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第74話「強力!聖明館打線の巻」>――ちばあきお『プレイボール』二次小説

 

 

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 第74話 強力!聖明館打線の巻

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1.聖明館監督の素性

 

 夕闇の差し込める甲子園球場

一塁側、墨高ナインは荷物を置いて、キャッチボールを始めようベンチを出る。その時、ちょうどアルプススタンドの銀傘の照明灯が点灯したところだった。

「ひゃあ。これが甲子園名物、カクテル光線かあ」

 丸井がはしゃぐように言った。

「テレビでは見たことあるが、生で見るのは初めてだな」

 傍らで、鈴木が「うむ」とうなずく。

「カンゲキしちゃうね。こうして甲子園に出たかいがあったってもんだぜ」

 二人だけでなく、多くのナインが甲子園球場の光景を感慨深げに眺める。

「おい、おめーら」

 正捕手倉橋が、冷静にナイン達をたしなめる。

「見とれるのはいいが、守備位置に着いたら照明とボールがかぶらないように、よくよく気をつけるんだぞ。なにせ日が暮れた後に試合するのは初めてだからな」

 はいっ、とナイン達は快活に返事した。

「返事はいいんだがなあ。って、おい谷口」

 倉橋は傍らで、うつむき加減になり物思いに耽っている様子の谷口に気付く。

「おまえまで、どしたい」

「あ。すまん」

 声を掛けられて、谷口は苦笑いした。

「なんだい。まだ相手打線のことを考えてるのか」

 キャプテンは「ああ」と、素直に認める。

「これまでに当たったチームは、打力で圧倒したり守りで勝ったりと特徴がはっきりしてたんだが、どうもこの聖明館というチームは、つかみどころがなくてな」

 うむ、と倉橋は相槌を打つ。谷口は話を続けた。

「半田の調べによると、予選は決勝まですべて七点以上取って勝ってきたそうだが、甲子園での二試合はロースコアをモノにしてる」

「やはり、よく分からない相手ということか」

「ああ。だから、試合展開もよく読めなくてな」

 渋面になるキャプテン。その背中を、正捕手がポンと叩く。

「まあまあ谷口。この期に及んで、あまり深く考えるのはよそうぜ」

 倉橋は微笑んで告げる。えっ、谷口は目を見上げた。

「考えてみろよ谷口。うちはこれまで、どんな苦しい展開になっても、すべてひっくり返してここまできたじゃねえか」

 む、と谷口はうなずく。

「言われてみれば、そのとおりだな」

「だろう? たとえ予想外の展開になっても、それに動じることなくはね返すだけの力が、今のうちにはあると思うぜ」

 フフと笑みを浮かべ、倉橋は言った。

「おまえが作り上げてきたこのチームの力を、もっと信じようじゃないか」

「うむ、そうするよ。ありがとう倉橋」

 谷口の表情が、ようやく和らぐ。

 やがて墨高ナインはキャッチボールを終え、ベンチへと戻る。谷口はグラブを置き、ナイン達に声を掛けた。

「試合開始までもう少し時間がある。それまで各自ストレッチなり、素振りなりして過ごすんだ。ぼやっとしてるヒマはないぞ」

 その傍らで、丸井がふいに腕組みし「うーむ」と、考え込む仕草をした。

「どうした丸井?」

 谷口が問うてみると、丸井は顔を上げて答える。

「キャプテンも気になりませんか」

「なにがだ?」

「相手の監督ですよ」

 ああ、と谷口はうなずく。

「おれもこの前、テレビで見た時から、よく似てるとは思ってたんだが」

 二人の視線の先には、三塁側ベンチ奥で腕組みする、サングラスを掛けた初老の人物の姿があった。その風貌は、まるで……

「でしょう?」

 丸井は勢い込んで言った。

「あの人、青葉の部長じゃありませんか」

「いや。似てるだけで、さすがに別人だとは思うが」

「おれもちがうと思いますけどね」

 横からイガラシが口を挟む。

「青葉の部長が替わったなんて話は聞きませんし。もしそうなら、きっとニュースになってますよ」

 む、と谷口はうなずく。

「まあ丸井がそう言いたくなるのも分かる。たしかによく似てるな」

 その時だった。

「失礼。墨谷高校のキャプテンはいるかね?」

 アンパイアがベンチ手前で声を掛けてくる。谷口は「はい」と返事した。

「メンバー表の交換を行うので、ホームベース前に来なさい」

「分かりました」

 谷口はメンバー表を手にベンチを出る。するとホームベース前には、何と青葉学院中学野球部部長とよく似た人物、聖明館監督その人が立っていた。

(ほんとによく似てるな)

 戸惑いながらメンバー表を交換し、握手を交わす。

「よろしくお願いします」

 ぺこっと一礼すると、相手はふいに微笑んだ。

「きみが谷口君か」

 谷口は驚いて顔を上げる。

「ぼくのこと、ご存知なのですか?」

「うむ。兄がきみのことを、よく話してたからね」

「お兄さんというのは、もしかして」

 聖明館監督は「ご明察」と、おどけたふうに言った。

「私の兄は、きみが中学時代に戦った、青葉学院の部長だよ」

 どうりで似てるわけだ、と谷口は胸の内につぶやく。相手は話を続けた。

「きみ達が、あの谷原を下して甲子園に来ると聞いて、こうして手合わせできるのを楽しみにしてたんだよ。実現できてよかった」

「はい、ありがとうございます」

「む。それじゃあ今日は、お互いにベストを尽くそう」

 それだけ言葉を交わし、青葉学院部長の弟こと聖明館監督は踵を返す。谷口もベンチへと足を向ける。

 

 

「なるほど、兄弟だったんスね」

 一塁側ベンチ。丸井が目を丸くして言った。

「しかし世間ってやつは、せまいですね。こんなところでつながるとは」

 すでに墨高ナインは、倉橋と松川を残しベンチに帰ってきていた。そのバッテリー二人はライトスタンド側のブルペンにて、投球練習を続けている。

「しかし、おれ達の旧敵とつながる人物と戦うってのは、ちとやりづれえな」

 加藤が浮かない顔でこぼした。丸井は「なにを」とムキになったふうに言い返す。

「それがどしたい。いいトコ見せてやろうぜ!」

「丸井、加藤。聖明館の監督のことは、もうそれぐらいでいいだろう」

 谷口はたしなめるように言った。

「それより、相手がどんな野球をしてくるのかということの方が、大事だ。こっちは向こうの特徴を、まだ完全にはつかみきれてないのでな」

 その時「キャプテン」と、イガラシが話しかけてくる。

「向こうの打線のことですが。ひょっとして、初戦でぶつかった城田が、試合によって店の取り方がバラバラだったのと、同じじゃないでしょうか」

 ああ、と谷口はうなずく。

「聖明館にとって初戦と二戦目は、相手投手との相性があまり良くなかったってことか」

「ええ。たしか二戦とも、変化球主体の軟投派タイプでしたよね。松川さんとは真逆の」

 渋面を浮かべる後輩の言葉を、キャプテンは「うむ」と首肯する。

「おまえの言いたいことは分かる。じつはおれも、そのことを恐れているんだ」

 なるほど、とイガラシは真顔で相槌を打つ。

「それで片瀬にも、登板の準備をさせたんスね」

 やがてブルペンより、倉橋と松川のバッテリーが引き上げてきた。そしてナイン達は、いつものようにキャプテン谷口を中心に円陣を組む。

「今日は予想外の展開になるかもしれない」

 開口一番、谷口はそう告げる。

「ここ二戦、相手はどちらかというと守り勝ったようだが、優勝候補に挙げられるようなチームだ。きっとまだ見せていない力があるぞ」

 キャプテンの言葉に、墨高ナインは緊張感を漂わせる。

「ただ、かといって特別なことをする必要はない」

 表情を柔らかくして、谷口は話を続けた。

「甲子園での戦いは、まず情報を集めることだ。そのためにも序盤の攻撃では、なるべくねばって相手投手に球数を投げさせよう。そして攻りゃくの糸口を見つけたら、一気にたたく。そういうイメージを持っていこう。いいな!」

 ナイン達は「オウッ」と、快活に返事した。

 

 

 聖明館ナインの陣取る三塁側ベンチ。正捕手兼キャプテンの香田(こうだ)は、捕手用プロテクターを外しながら、フフと笑みを浮かべた。

「向こうの先発は、速球派の松川か。やっとうちの得意なタイプがきたぜ」

 傍らで「そうだな」と、センターを守る鵜飼(うがい)がうなずく。二人の上背は、長身揃いの聖明館ナインの中でも抜きんでており、かつ両者ともがっしりした体躯をしている。

「今日こそ大量点を取って、ラクに投げさせてやるからな。福井(ふくい)」

 香田は後列のベンチを振り向き、左端に腰掛けるエース福井に声を掛けた。福井はぼんやりしたような目を向け、少し間を置いてから、「なにが?」と問い返す。あら、と香田はずっこける。

「やれやれ」

 ふいに後列のさらに奥より、聖明館監督が仁王立ちになり、呆れ声を発した。途端、ベンチ内の空気が張り詰める。

「そんな心がけだから、何度も同じタイプの投手を打ちあぐねるのだぞ」

 香田が「ど、どうも」と返事した以外、他のメンバーは押し黙っていた。監督はぎろっと全員を見回し、さらに付け加える。

「よしんば前の試合より得点できたとしても、それ以上に点を取られることもある。甲子園で簡単に勝てる試合など一つもないと、心してかかれ。いいな!」

 聖明館ナインは「はいっ」と声を揃えて返事した。

 

 

2.松川対聖明館打線

 

 夕空に星が瞬き始める。

 すでに墨高と聖明館の両軍ナインは、それぞれベンチ前に整列していた。ほどなくバックネット下の扉が開かれ、四人の審判団が入ってくる。

 アンパイアが、右手を上げ「集合!」とコールした。そして双方の選手達が一斉に駆け出し、ホームベースを挟んで整列する。

「これより墨谷対聖明館の試合を、聖明館の先行で始めます。一同礼!」

「オネガイシマス!!」

 挨拶が済むと、墨高ナインは素早く守備位置へと散っていく。

 野手陣が内外野別にボール回しを行う。その中央のマウンド上にて、先発の松川が倉橋を相手に投球練習を始めた。セットポジションから一球、二球と全力で速球を投げ込んでいく。投球の度、倉橋のミットがズバンと迫力ある音を鳴らす。

 右打席の白線の外側で、聖明館の一番打者が「へえ」と笑い、うそぶく。

「けっこう速いじゃねえの」

 倉橋は素知らぬ顔をして、規定の七球を受け終え、二塁ベース上の丸井へ送球した。

(言ってくれるじゃねえの。これぐらいのスピードは見慣れてるってか)

 ほどなく一番打者が打席に入り、バットを構える。そしてアンパイアが「プレイ!」と試合開始を告げた。同時に甲子園名物のサイレンが鳴り響く。

(ほお。これまた、バットを長く持っちゃって)

 横目で打者を観察しながら、倉橋は思案を巡らせる。

(この甘井というバッター、あまり打率は高くないが、二試合とも長打を打ってるって話だったよな)

 ミットを外角低めに構え、サインを出す。

(まず、ここで様子を見ようか)

 松川はうなずき、今度はワインドアップモーションから、第一球を投じた。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 外角低めの速球を、甘井は強振した。空振りしたものの、ビュッと風を切る音がする。

(トップバッターらしからぬ、完全に長打しかねらってないスイングだな)

 二球目、倉橋はさらに外側にミットをずらす。

(つぎもコレよ)

 サインにうなずき、松川は投球動作を始めた。次も速球。

 甘井は左足を踏み込み、またも強振した。今度はパシッと快音が鳴る。

「なにっ」

 倉橋はマスクを脱ぎ立ち上がる。ライナー性の打球がライト線に飛んだ。しかしポールの数メートル手前でスライスし、一塁側スタンドに飛び込む。ファール。

(あぶねえ。ボール一個分はずしといて、助かったぜ)

 両手を挙げ「外野!」と合図する。正捕手の指示に従い、横井、島田、久保の外野手三人は数メートル後退して、フェンス近くに守備位置を取る。

(ただコースにはとんちゃくしないタイプらしいぞ)

 マスクを被り直して屈み、次のサインを出す。

松川はうなずき、三球目を投じた。今度はシュート。ボールは、ホームベースのさらに外へ逃げていく。

「くっ」

 甘井は上体を泳がせながらも辛うじてヘッドを残し、はらうようにスイングした。またも快音が響く。鋭い打球がライト久保の頭上を襲う。

「ライト!」

 倉橋が指示の声を飛ばすより先に、ライト久保が全速力で背走する。松川は「しまった」と顔を歪めた。一方の聖明館ナインは、オオッとベンチから身を乗り出す。

 しかしフェンスの数メートル手前で、久保が左手を伸ばしジャンプした。そのグラブのポケットに、ボールは収まる。

 フウ、と松川は安堵の吐息をつく。

(あぶねえ。あのバッター大振りなわりに、なかなかいいバットコントロールしてるじゃねえかよ)

 倉橋は苦笑いして、再びホームベース手前に屈み、次の打者を待つ。

 

 

「また、むぞうさに打ちおって」

 三塁側ベンチ。聖明館監督はベンチ奥に立ち、戻ってきた甘井を叱り付ける。

「向こうのバッテリーが、外角で誘ってきてたことぐらい、分からなかったのか」

 甘井は「スミマセン」と肩をすくめ、ヘルメットを戻しベンチに腰掛けた。

「小松!」

 ネクストバッターズサークルの次打者に、監督は声を掛ける。

「コースをよく見きわめるんだ。それができなきゃ、打ちあぐねた前の二試合の繰り返しだぞ」

「は、はいっ」

 二番打者の小松は短く返事して、小走りに打席へと向かった。監督は「うーむ」と腕組みして思案する。

(墨谷は前の二戦、いずれも終盤に試合をひっくり返してる。接戦になった場合、うちは分が悪いだろう。あの谷口というキャプテン、さすがかつて兄さんを苦しめた男だ)

 サングラス越しに、グラウンド上へ鋭い眼差しを送る。

(やつらを下すには、こっちのペースで試合を進めることだ。そのためにも先制せねば)

 二番打者小松が、左打席に入った。こちらもバットを長く持つ。その長身に、キャッチャー倉橋は目を丸くする。

(これまた二番バッターとは思えない上背(うわぜい)のやつだな。こいつも長打ねらいの構えか)

 倉橋は束の間思案して、マウンド上の松川へサインを出す。

(いっちょおどかしてやれ)

 松川はうなずき投球動作へと移る。ワインドアップモーションから、速球を内角高めに投じた。小松のバットが回る。

 カキッと快音が響いた。鋭いライナーが松川の頬をかすめ、二塁ベース左へ飛ぶ。

「くっ」

 ショートイガラシが横っ飛びした。そのグラブのポケットに、ボールが収まる。

「アウト!」

 二塁塁審のコール。聖明館応援団の三塁側スタンドから「ああ」と落胆の溜息が漏れる。

「うーむ、やるな」

 倉橋は立ち上がり、腰に手を当ててつぶやく。

「厳しくインコースを突いたってのに、とっさに肘をたたんで、ああも簡単にセンター方向へ打ち返すとは。見事なバットコントロールだぜ」

 その眼前では、小松がこちらを睨みながら、悔しげに引き上げていく。ベンチの聖明館ナインは「おしいおしい」と声を掛ける。

(にしても、どういうこったい)

 正捕手は渋面になる。

(これだけ力量のある打線が、一、二回戦では沈黙させられたなんて……)

 しばし考え、倉橋はあることに思い至った。「そ、そうか」とつぶやきが漏れる。

(やつら軟投派投手は苦手だが、松川のような速球派タイプには、めっぽう強いんだ!)

 そして「なるほど」と、サードの谷口を見やる。

(だから谷口のやつ、変則投手の片瀬にも準備させてたのか)

 その片瀬は控え捕手の根岸相手に、ライト側ラッキーゾーンにてキャッチボールを始めている。

(しかしいくらなんでも、こんな早いタイミングでスイッチするわけにはいかん)

 マスクを被り直し、倉橋はホームページ手前に屈む。

(ここはどうあっても、松川にふんばってもらわにゃ)

 そして三番打者の香田が、ゆっくりと右打席に入ってきた。やはり長くバットを持つ。

(とび抜けて大柄なバッターだな。たしか半田のメモじゃ、今大会ヒットは二本しか打っていないものの、そのうちの一本があわやホームランの二塁打か)

 束の間思案の後、倉橋は(まずコレよ)とサインを出す。

(ストレートが好きな打線に、なにもバカ正直に挑むことはあるめえ)

 松川はサインにうなずき、初球を投じた。外角低めいっぱいに、落差のあるカーブが決まる。「ストライク!」とアンパイアのコール。香田はぴくりとも動かず。

(思ったとおり、緩いタマには見向きもしねえな)

 返球しつつ、倉橋は打者を観察する。そして屈み込み次のサインを出す。

(つぎもコレよ)

 二球目。またも外角低めいっぱいのカーブ。やはり香田は手を出さず。アンパイアが「ストライク、ツー!」とコールする。

(よし、おいこんだぞ。つぎは……)

 倉橋がサインを出そうとした時、三塁側ベンチより「香田!」と、聖明館監督が声を発した。

「頭を使え。ただ速球を待つだけじゃ、やられるぞ」

 香田はヘルメットのつばを摘まみ「はいっ」と返事する。ちぇっ、と倉橋は舌打ちした。

(さすが優勝候補チームを率いる監督さんだ。的確な指示をしやがる。だがそれに揺さぶられると思うなよ)

 正捕手は「つぎもコレよ」と、迷わずサインを出す。

 松川はうなずき、すぐさま投球動作へと移る。そして三球目が投じられた。またも外角低めのカーブ。

 香田は、はらうようにバットを出した。ガッと鈍い音。打球は一塁側ベンチ方向へ転がっていく。

(うーむ、カットしてきたか)

 倉橋は苦笑いして、と次のサインを出す。

(だったらコレで)

 サードのポジションにて、キャプテン谷口は「いいぞ松川!」と声を掛けつつ、バッテリーと相手打者との駆け引きを見守っていた。

(思ったとおり、向こうは松川のような速球派投手が得意らしい。だからって序盤から好きに打たせるわけにはいかない。たのむぞ倉橋、おまえのリードにかかってるんだ)

 谷口の視線の先で、マウンド上の松川が投球動作へと移る。そしてワインドアップモーションから四球目を投じた。シュッと風を切る音。

「うっ」

 スピードを殺したボールが、ホームベース手前ですうっと沈む。内角低めのチェンジアップ。上体を崩しかけるが、それでもバットのヘッドを残し、ボールを弾き返す。

 パシッ。ライナー性の打球が三塁線を襲う。谷口がジャンプするが届かず。

「れ、レフト!」

 倉橋がマスクを脱ぎ、指示の声を飛ばす。しかし打球は白線の数メートル外側で弾んだ。

「ファール!」

 三塁塁審が両腕を一塁側スタンド方向へかざす。

「ふーっ、あぶねえ」

 すでに一塁へ走り出していた香田は、苦笑いしつつ打席に戻ってくる。

(そりゃこっちのセリフだぜ)

 倉橋は立ち上がり、胸の内につぶやく。

(こりゃ、ただ遅いタマを投げりゃいいってわけじゃなさそうだ)

 眼前の野手陣を見回し、正捕手は声を上げた。

「いくぞバック!」

 オウヨッ、と野手陣は応える。

 マスクを被り直し、倉橋は「つぎはココよ」と四球目のサインを出す。む、と松川はうなずき、投球動作へと移る。

 倉橋の構える外角低めのコース目がけて、速球が投じられた。香田のバットが回る。

パシッと快音が響いた。地を這うような速いゴロが一塁線を襲う。ファースト加藤が懸命に飛び付くが、そのミットの下を打球がすり抜ける。

「フェア!」

 一塁塁審が白線内を指差しコールする。打球はスライスしてライトのファールグラウンドへ転がっていく。

「くそっ」

 ライト久保が回り込んで捕球する。その間、香田は一塁ベースを蹴って二塁へと向かう。

「へいっ」

 中継に入った丸井が合図する。久保は素早く送球するが、丸井がボールを受けた時、香田は二塁に足から滑り込んでいた。ツーベースヒット。

 マウンド上。松川は「やられた」と、唇を噛む。すかさずサードより谷口が声を掛ける。

「ドンマイよ松川。コースはよかったぞ」

「は、はい」

 ホームベース手前で、倉橋は「まいったな」と吐息混じりにつぶやいた。

「松川の重い低めの速球を、流し打って二塁打にするとは。なんてパワーだ」

 ツーアウト二塁となり、聖明館の四番鵜飼が右打席に入ってきた。黒縁眼鏡の奥に、鋭い眼光がのぞく。

(こいつも三番とそう変わらない体つきをしてやがる。うでなんて、まるで丸太だぜ)

 倉橋が屈み込むと、再び聖明館監督が「鵜飼!」と指示の声を飛ばす。

「分かってるな。ねらいダマをしぼるんだぞ」

 鵜飼は「はいっ」と返事して、バットを構えた。その傍らで、倉橋は渋面になる。

(さて、どう攻めようか。これまでの三人のバッティングを見たかぎり、どうやら全員が速球に強いようだな。かといって緩いタマを続けると、ヤマをはられるし……)

 しばし思案の後、倉橋はサインを出し、ミットを外角低めに構える。

(まずシュートで様子を見よう)

 む、と松川はうなずき、セットポジションから投球動作へと移る。左足を踏み込み、右腕を振り下ろす。

 外角低めに投じられたボールは、ククッと曲がりさらに外へ逃げていく。鵜飼のバットが回った。ガッと鈍い音。打球は一塁側ファールグラウンドに転がる。

「いけね。つい手が出ちまった」

 打者は一旦打席を外し、数回スイングする。

(ほんとなんでも振ってくるチームだぜ。よほどバットコントロールに自信があるんだな)

 倉橋は胸の内につぶやく。ほどなく、鵜飼が「どうも」と言って打席に戻る。

 二球目。「つぎはコレで」とサインを出す。松川はうなずくと、少し間を置いてから、投球動作を始めた。

 外角低めのチェンジアップ。しかし鵜飼は上体を崩さす、バットをおっつけるようにしてスイングした。パシッと快音が響く。痛烈な打球がワンバウンドして、一・二塁間を抜けていく。

 ライト久保がシングルハンドで捕球した。

「へいっ」

 中継に入った丸井が、グラブの左手を挙げて合図する。そして久保からの送球を受け、素早い動作でバックホームした。

「ストップ、ストップ!」

二塁ランナー香田が三塁を回りかけるも、コーチャーに制止され慌てて帰塁した。その眼前で、丸井の正確な送球が倉橋の構えるミットに吸い込まれる。

「ちぇっ。守備はきたえられてやがる」

 香田は悔しげにつぶやく。

(く、最後はヤマをはられたな)

 ホームベース前で、倉橋はフウと息を吐いた。

(打球が速くてたすかったぜ。しかしこんな調子じゃ、もたねえぞ……)

 ツーアウト一・三塁。ここでサード谷口が「タイム」と塁審に合図し、マウンドに駆け寄った。さらにキャッチャー倉橋、他の内野陣も集まってくる。

「だいぶ手こずってるようだな」

 谷口の一言に、倉橋は「ああ」とうなずく。

「見てのとおり、やつら速球にはめっぽう強いし、変化球にもくらいついてくる。正直、打つテがなくなっちまってよ」

「む。ただヤマをはられた四番をのぞいて、ほかのバッターは変化球に体勢をくずしていたじゃないか」

 あっ、と倉橋が声を上げる。谷口は話を続けた。

「だったら、このさい変化球を打たせよう。バックを信じてな」

 キャプテンの一言に、正捕手も「うむ」と決心を固める。

「分かった。打たせるよ」

 傍らで、丸井が「まかせてください!」と朗らかに笑う。

「松川もいいな」

 谷口はやや表情の硬い二年生投手にも声を掛けた。

「もう聖明館がおまえに相性がいいというのは、気づいてるだろうが、ひるむんじゃないぞ。向こうがその気だからって、実際に打てるとはかぎらんからな」

 ええ、と松川は返事する。

「ここをおさえて、そうそう思いどおりにはならないってこと、やつらに分からせてやりますよ」

「そうだ、その意気だ!」

 谷口はそう言って、右手を軽く突き上げた。

 ほどなくタイムが解け、墨高内野陣は守備位置へと戻る。松川はマウンドにて、ロージンバックに右手を馴染ませた。倉橋はマスクを被り、ホームベース奥に屈む。

 そして聖明館の五番打者が、左打席に入ってきた。

「高岸!」

 再び三塁側ベンチより、相手監督が指示の声を飛ばす。

「分かってるな。ここは振り回さず、かく実にミートすることだぞ」

 はいっ、と高岸という打者は返事した。

(こいつは三、四番に比べると上背はないが、やはりいい体してるぜ)

 倉橋は横目で打者を観察する。

(当たれば飛びそうだが、前の四人に比べバットコントロールはどんなものか)

 しばし思案の後、倉橋はサインを出す。

(ちとコレで探ってみるか)

 松川はうなずき、セットポジションからすぐに投球動作を始めた。その指先からボールが放たれた瞬間、倉橋は「うっ」と顔を歪める。

 外角低めを要求したチェンジアップが、真ん中に入ってしまう。高岸のバットが回る。パシッと快音が響く。

「ライト!」

 マスクを脱ぎ、倉橋が叫ぶ。

大飛球がライトポール際を襲う。久保は全速力で背走するも、やがてフェンスに背中が付いてしまい、打球を見送るしかなくなる。

「ふぁ、ファール!」

 三塁塁審が両手を三塁側スタンド方向へ掲げコールする。打球は、ポール際で僅かに切れていた。

「すいません」

 マウンド上で、松川が帽子を脱ぎぺこっと頭を下げる。

「どしたい松川。もちっと肩の力を抜くんだ」

 後輩をリラックスさせようと、倉橋は自分の肩を上下する動きをした。二年生投手はそれを真似て、スーハーと深呼吸する。

「こら高岸! 振り回すなと言ったろう」

 監督に叱責され、高岸は「は、はい」と神妙な表情になる。そしてバットを短めに握り直す。

(ナリに似合わず素直だこと)

 感心しつつ、倉橋は次のサインを出した。

(打ち気にはやりやすいのなら、これで誘ってみるか)

 松川はサインにうなずき、そして第二球を投じた。真ん中高めに大きく外した速球。それでも高岸のバットが回る。パシッ、と快音が響く。

 今度はセンター島田の頭上を大飛球が襲う。

「センター!」

 倉橋の指示の声よりも先に、島田は背走し始めた。しかしこちらも、すぐに背中がフェンスに付いてしまう。それでも片足立ちになり、懸命にグラブの左手を伸ばす。

「くっ」

 そのグラブの先に、ボールが収まる。

「アウト!」

 二塁塁審のコールと同時に、聖明館応援団の三塁側スタンドから「ああ……」と落胆の溜息が聞かれる。

「ナイスプレーよ島田!」

 キャプテン谷口の掛け声を合図とするかのように、墨高ナインは一斉にベンチへと引き上げていく。

 やれやれ、と倉橋はホームベース前で安堵の吐息をつく。

(いくら速球が好きだからって、高めのボール球をあそこまで飛ばすとは)

 それからマウンドを降りてきた二年生投手に「よく投げたぞ松川」と一声掛け、バッテリー揃って他のナイン達の後に続く。

「くそっ。あと少しだったってのに」

 聖明館ナインの陣取る三塁側ベンチ。大飛球を好プレーに阻まれた高岸が、悔しげに引き上げてくる。

「切りかえろ高岸」

 監督に声を掛けられ、高岸は「は、はい」と返事する。

「おまえ達もだぞ」

 さらに全員を見回し、監督は言葉を重ねる。

「これで分かったろう、墨谷はとてもねばり強いチームだ。やつらを倒すには、こっちがスキを見せないこと。そのためにも、まずこのウラをしっかり守り抜くんだ。いいな!」

 指揮官の檄に、聖明館ナインは「はいっ」と声を揃えた。

 

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