南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第73話「いけいけ墨谷!!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』二次小説

 

 

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【目次】

  

 

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 第73話 いけいけ墨谷!!の巻

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1.一気呵成

 

 マウンド上。伏し目がちな江島内野陣の中で、キャッチャー坂田が一人檄を飛ばす。

「どしたい、さっきまでの勢いは! どいつもこいつも、しょぼくれたツラしやがって」

 オウヨ、とエースの橋本は明るく周囲を盛り立てる。

「これまでだって、何度もピンチをしのいで勝ち抜いてきたのが、おれ達じゃねえか。今こそ江島の底力を見せる時だぜ」

 内野陣は「オ、オウ!」と声を揃え、各ポジションへと戻る。それでも、まだ目が泳ぎがちだ。

「まったく。しょーがねえな」

 残されたエース橋本は、腰に両手を当ててぼやく。

「これしきのピンチで、オタオタしやがって」

「おい橋本」

 正捕手坂田が真顔で突っ込む。

「グローブの紐、ほどけてるぞ」

 橋本は「あ」と苦笑いし、慌てて紐を結び直した。その手前で、坂田はフウと溜息をつく。

「まあおまえの言うとおり、オタオタしてる場合じゃねえよな」

「む。そうとも」

 エースは軽く右こぶしを突き上げる。

「二点あるんだし、もちっと余裕を持てばいいものを」

「ほれ。その心がけが、いかんのだ」

 坂田はまたいきり立つ。

「こちとら望外の二点目が入ったことで、かえって注意が散漫になった。そこから悪い流れを断ち切れずにいるからな」

「まあ、おまえの言いたいことも分かるが」

 橋本がなだめるように言った。

「ああも動揺が広がっちまった以上、一点もやらねえと決めてかかると、連中かえって手足が縮こまってしまうんじゃねえか」

「うむ、それもそうだが」

 その時アンパイアが歩み寄ってきて、バッテリー二人に「まだかね?」と問うてくる。

「あ、はい。もうけっこうです」

 坂田はそう返事して、橋本に向き直る。

「こうなったら同点は覚悟して、アウトを一つずつかく実に取っていこう」

「む。その方がよさそうだな」

 橋本がうなずくと、坂田は踵を返しポジションに戻った。そしてホームベース手前でナイン達に指示の声を飛ばす。

「みんないいか、ランナーは無視だ。アウトを取れるところで、一つずつかく実に。いいな!」

 オウヨッ、と江島ナインは快活に応える。

「バッターラップ!」

 アンパイアのコールを聞いて、六番横井は右打席に立つ。そして他の打者と同様にチョコン打法の構えをし、三塁ランナー谷口を見やった。

 谷口はベースから数歩離塁し、右手でユニフォームの左腕の袖に触れサインを出す。

「初球からヒッティングか。なるほど、相手に一息つかせないようにってことね」

 横井はヘルメットのつばを摘まみ「了解」と合図を送った。その傍らで、江島のキャッチャー坂田が打者の様子を探る。

(まちがいなく初球からくるだろう。あの谷口のことだ、うちの動揺を見抜いているはず)

 坂田は「ココよ」とサインを出し、ミットを内角高めに構える。

(だったらその打ち気を利用してやる!)

 眼前のマウンド上。ほどなく橋本が投球動作を始めた。セットポジション、アンダーハンドのフォームから速球が投じられる。

 その瞬間、坂田は顔をしかめた。

(うっ、甘い)

 ボールは構えたコースよりも真ん中よりに入ってきてしまう。

「きたっ」

 横井はバットを強振した。パシッと快音が響く。レフト頭上を大飛球が襲う。

「れ、レフト!」

 坂田の声よりも先に、江島のレフトは背走した。しかしフェンス手前で足を止め、そこから数歩前進する。

「しまった、上がりすぎた」

 一塁へと走りながら、横井は唇を歪めた。

 ショートが中継へと走った。レフトは助走を付けながら捕球する。同時に、三塁コーチャーの高橋が「ゴーッ」と合図した。そしてランナー谷口がタッチアップする。

 次の瞬間、キャッチャー坂田は「なっ」と口を半開きにした。何とレフトが中継を無視し、直接バックホームしてしまう。ボールはマウンド横でツーバウンドする。

「く、くそっ」

 坂田は慌てて前に走り寄り捕球するが、その間に谷口は悠々とホームに生還。さらに中継プレーの乱れに乗じ、一塁ランナーのイガラシが「しめた」と二塁へスライディングもせず進塁してしまう。墨高が一点差に迫り、なおもワンアウト二塁のチャンス。

「ばかやろう!」

 ボールを握ったまま、坂田が怒鳴る。

「おいレフト、きさま状況が分かってねえのか」

 レフトは「あ」と、ミスを恥じるようにうつむく。

 重い雰囲気の漂うグラウンド上の江島ナイン。対照的に、一塁側ベンチに陣取る墨高ナインは、意気上がる。

「なんだい、あの乱れようは」

 三年生の戸室が呆れたふうに言った。

「堅い守備がやつらの持ち味だったはずじゃ」

 傍らで「そうですね」と、半田がスコアブックを付けながらうなずく。

「二点を取られて、うちが嫌なムードだったはずですが。キャプテンの言ったとおり、望外な二点が入ったことで、向こうの方がかたくなるとは」

「む。今や流れは、こっちにきたというわけだ」

 二人の眼前では、ネクストバッターズサークルにて、七番岡村がマスコットバットをカキカキと鳴らしながら素振りしている。

「岡村も思いきっていけよ! やつら、アップアップだぞ」

 戸室が声を掛けると、細身の一年生は「まかせといてください!」と快活に応える。

「必ず同点、いや逆転への足がかりを作ってみせますよ!」

「そうだ、その意気だ!」

 勢いづく墨高ナインを後押しするように、スタンドからは「ワッセ、ワッセ、ワッセ!」という大歓声が響き渡る。

「た、タイム!」

 橋本が慌ててアンパイアに合図し、内野陣にマウンドへ集まるよう手振りで伝える。

「バカが。あれほど、かく実にと……」

「まあまあ、落ち着けって坂田」

 怒りが収まらない正捕手を、エースがなだめる。

「いいじゃねえか、アウト一つ取れたんだしよ。それに、チームをまとめるべき捕手がカッカしちまったら、おしまいだぜ」

「わ、分かったよ」

 坂田はようやく矛を収める。

「ほら。おめーらも深呼吸しろ」

 橋本に促され、内野陣はその場でスーハーと深呼吸した。

「少しは落ち着いたか?」

 エースの問いかけに、内野手の一人が「う、うむ」と応じる。

「さあ、何度も言うように、アウトを一つ一つかく実に取っていくぞ。いいな!」

 内野陣は「オウッ」と返事して、また守備位置へと散っていく。

「す、すまねえな橋本」

 バツが悪そうに、坂田は言った。

「ほんらいは、おれが言うべきことをよ」

「気にすんなって。それより、これからどうする?」

「うむ。下位打線とはいえ、油断できないぞ」

 正捕手の言葉に、エースも「ああ」と同調する。

「やつらがカサにかかって攻めてくるのは、間違いねえからな」

 二人の眼前では、次打者がネクストバッターズサークルにてなおも素振りを続ける。

「こうなったら、初球から決めダマを使うしかあるまい」

 坂田がそう告げると、橋本は「というと……」と目を見開く。

「ドロップか」

「そうだ。あのタマなら、今の墨高とて、そう簡単には打ち返せまい」

「しかし、そう上手くいくものか」

 橋本は渋面で、ちらっと後方の野手陣を見やる。誰もが伏し目がちだ。

「今の連中じゃ、普通のゴロも処理できるかどうか」

「なーに。いくら墨高とて、初球から決めダマを使ってくるとは思うまい。初球さえ打たれなければ、連中も少しは落ち着いてくるだろうよ」

 分かったよ、と橋本はうなずく。

「その代わり、ワンバウンドさせるぐらいのつもりで投げるから、しっかり止めてくれよ」

「てめ。誰にモノ言ってやがる」

 坂田がムキになったふうに言うと、橋本はククと可笑しそうに肩を揺すった。

 ほどなくタイムが解け、坂田がポジションに戻る。そしてアンパイアが次打者の岡村に「バッターラップ」と声を掛けた。

 岡村はマスコットバットを置き、打席に向かおうとする。その背中に「岡村、ちょっと」と墨高キャプテン谷口が声を掛けた。

(ちぇっ、やつめ焦らすつもりか)

 マウンド上で、橋本は舌打ちした。

(ワンアウト二塁の状況で、大した作戦もあるまい)

 

 

 谷口に呼び止められた岡村は、振り向いて「はい。何か」と返事する。

「岡村。この状況で、相手は何をされたら嫌だと思う?」

「初球打ちです」

 細身の一年生はきっぱりと答えた。

「自慢の守備が乱れて、やつらは一息つきたいと思ってるでしょうから。そうなる前に仕かけるべきかと」

「よく分かってるじゃないか。ただこっちが初球攻撃を仕かけてくることぐらい、向こうも察知しているはずだぞ」

「あ……」

 はっとしたように、岡村は目を見開く。

「言われてみれば、そうですね。やはり二、三球様子を見ましょうか」

「いや、初球攻撃じたいは間違いじゃない。ただ、向こうもそれを防ごうとしてくるから、気をつけろってことだ」

 なるほど、と岡村は大きくうなずいた。

「となれば、江島のバッテリーは一番打ちづらいタマ……おそらくドロップを投げてくるでしょうね」

「いいぞ岡村」

 後輩の両肩を、キャプテンはポンと叩く。

「球種まで読めていれば、打ち返せないおまえじゃない。いいか岡村。ここはクリーンヒットはいらない。二塁ベース近くへ処理しづらいゴロを打ってやれ」

「分かりました!」

 そこまで言葉を交わし、岡村は踵を返した。谷口もベンチへと戻る。

 

 

「プレイ!」

 アンパイアが試合再開を告げ、二塁ランナーのイガラシが数歩リードを取る。

「へいっ」

 ショートが二塁ベースカバーに入り、橋本は胸回りで一度牽制球を投じるが、イガラシは余裕を持って手から帰塁する。

(足でかき回そうってんだろうが、そのテには乗らねえぜ)

 眼前では、右打席の岡村が、すでにチョコン打法の構えをしている。

(このバッター、当てるのはうまいって話だが、どう見てもパワーはなさそうだ。さっさと片づけるか)

 岡村の傍らで、キャッチャー坂田がサインを出す。

(さ、コレよ)

 打ち合わせ通りのサインに、橋本はうなずいた。そしてセットポジションに着き、投球動作へと移る。アンダーハンドのフォームから、第一球を投じる。

 真ん中低めに投じられたボールは、ホームベース上ですうっと沈む。

「や、やはり」

 予測した通りの軌道だった。岡村は迷うことなく、バットを叩きつけるようにスイングする。

 カキッ。打球はマウンド手前で高く弾み、岡村の狙い通り二塁ベース左へ飛んだ。ランナーイガラシはすかさず進塁する。江島のショートはバウンドに合わせようと一瞬スタートを躊躇するが、その後ダッシュした。

「……あっ」

 バチッ。打球はハーフバウンドとなり、ショートはグラブで弾いてしまう。そのままセンターへと抜けていく。

「しめたっ」

 三塁を蹴ったイガラシは、さらに加速してホームへと向かう。

「くそっ」

 江島のセンターは捕球すると、すかさず中継のセカンドへ返球するも、その間にイガラシはホームベースを駆け抜けていた。

 二対二、墨高が同点に追い付く。なおもワンアウト一塁のチャンス。

 痛恨のミスにうつむく江島のショート。すかさず正捕手坂田が「こら下を向くな!」と叱咤激励する。

「みんなもそうだ。まだ追いつかれただけ。この回をしのいで、ウラの攻撃で勝ち越せばいい。気持ちを切り替えるんだ、いいな!」

 坂田の必死の鼓舞も、野手陣からは「オ、オウ」と力のない返事が返ってきただけ。すっかり意気消沈の江島ナインに、次打者の加藤はあーあと苦笑いする。

「なんだか打つのが気の毒になってくるぜ」

―― ワッセ、ワッセ、ワッセ、ワッセ!

 さらに活気づく応援団の声援を背に、加藤は左打席に入る。そしてもはやチョコン打法ではなく、通常の構えに戻した。

「なっ」

 マウンド上で、橋本は青筋を立てる。

「おれのタマを、マトモに打ち返せると思ってるのか。ナメやがって」

「ば、ばか橋本。ムキになるんじゃねえ」

 坂田の檄に、橋本は「あ。うむ」と苦笑した。

 初球。橋本はまたもドロップを投じるが、ボールはホームベース手前でショートバウンドした。坂田は横に弾いてしまう。

「もうけ!」

 すかさず一塁ランナー岡村はスタートを切り、二塁に足から滑り込んだ。またもワンアウト二塁、墨高のチャンス。

 打席の加藤は、頬を左手の指でぽりぽりと掻く。

(いくら落ちるといっても、こうも力んで明らかなボール球じゃ)

 その余裕綽々な態度に、坂田はフウとひそかに溜息をつく。

(もはや、これまでかな……)

 二球目。橋本の投じたボールは、真ん中高めに浮いてしまう。

「うっ」

 坂田は顔をしかめた。加藤は「きたっ」と、バットを強振する。

 パシッ。痛烈なライナー性の打球が、あっという間にライト頭上を越えた。二塁ランナー岡村はゆっくりとホームイン。加藤は俊足を飛ばし、二塁ベースを蹴り三塁へ頭から滑り込む。タイムリスリーベースヒット。

 三対二、墨高が逆転。なおもワンアウト三塁。

「ワンアウトワンアウト! ここからだ、一つ一つしっかりいこうぜ!!」

 キャッチャー坂田が、わめくように橋本と野手陣へ檄を飛ばす。

 

―― キャッチャー坂田の必死のかけ声も、すでに浮き足立った江島ナインには、なんの効果もなかった。

 勢いづいた墨高は、八回に五点、九回に七点をたたきだす。終わってみれば十二対二の大差で、江島を下し、三回戦進出を果たしたのだった。

 

 

2.次戦の相手

 

 試合後。旅館に戻った墨高ナインは、制服姿のままフロアのテレビの前に陣取り、次戦の対戦相手の研究に励むのだった。

―― ああ、ここでスクイズだー! ピッチャー、ホームへは投げられません。スクイズ成功!!

 試合状況を実況アナウンサーの声と共に、ナイン達はじっくりと見守る。

―― 七回裏、ついに東北の雄・聖明館(せいめいかん)が三対二と勝ち越しに成功。終盤まで粘りを見せてきた北海道代表の函館商工(はこだてしょうこう)ですが、ここにきてとうとうリードを許す展開となりました!

「ふむ。さすが優勝候補の一角、聖明館ですね」

 一年生の片瀬が口を開く。

「ここまで苦戦してきましたが、やはり大事な場面では力を出してきます」

「へえ。そのセイなんとかというチーム、そんなに強いのかい」

 丸井のやや間の抜けた発言に、片瀬は「あ」とずっこける。

「なんだ? おれっちの言ったこと、そんなにおかしいかい」

 ムキになりかける丸井を「まあまあ」となだめてから、片瀬は話を続けた。

「たしかに東北というハンデもあって、まだ優勝旗に手が届いたことはありませんが、それでも十年以上連続で甲子園に出場している強(きょう)ごう校です。昨年は準決勝まで勝ち残りましたし、他にもベストエイトがたしか五度あります」

はえー、そりゃ強いな」

 丸井の隣で、同じ二年生の加藤が相槌を打つ。

「分かっちゃいたが、やはり全国大会はレベルがちがうぜ。初戦の城田も手ごわかったし、今日の江島も嫌な相手だったが。大会序盤から、もう決勝に進んでもおかしくないチームと当たらなきゃいけねえとは」

「おいおい。なにを今さら」

 キャッチャー倉橋が冷静に言った。

「どのチームも地区を勝ち抜いてきたわけだから、そりゃ強いに決まってるだろ。谷原や東実のようなチームがゴロゴロしてるのが甲子園さ」

「ま、それはぼくらにも同じことが言えますけどね」

 強気をのぞかせたのはイガラシだ。ソファで体育座りしながら、フフと不敵に笑う。

「条件はどこも一緒ってわけです。ぼくらにだって、十分チャンスはありますよ」

 一年生の口から飛び出した、途方もないような目標に、一同はしばし黙り込む。

 そのまま試合は推移し、大詰めの九回表を迎えた。

――さあ土壇場(どたんば)九回、函館商工ねばります。ツーアウトながらランナー二塁と、一打同点のチャンスをむかえました。マウンド上の聖明館エース福井、踏ん張れるか。

 テレビ画面には、顔から汗がしたたり落ちる左腕投手福井の姿が映る。その福井は左手の甲で汗を拭うと、セットポジションから投球動作を始めた。次の瞬間、画面からカキという音が響く。

――打った! センター鵜飼(うがい)下がる、下がる……

 鵜飼という黒縁眼鏡のセンターは、数メートル背走したが、フェンス手前でくるっと正面に向き直る。そして顔の前で捕球した。

――ああ、もうひと伸びたりないか。センター捕ってアウト。スリーアウト、試合終了! 東北の雄・聖明館、苦しみながらも三回戦進出を果たしました!!

「ほう。この福井という左ピッチャー、何度もピンチをむかえたが、最後までくずれなかったな」

 倉橋が感心そうに言った。

「特別タマが速いわけじゃないが、コントロール抜群で球種も多彩だ。おまけにねばり強い。左と右の違いはあるが、まるで……」

 ちらっと、隣の谷口を見やる。

「おまえと似たタイプのピッチャーだな。なあ、谷口」

 谷口はなぜか、束の間うつむき加減で反応しない。背後から丸井に「キャプテン」と呼ばれ、ようやく話しかけられていることに気付く。

「……えっ」

 妙に気のない返事に、丸井と倉橋は「あら」と同時にずっこける。

「どしたい谷口」

 戸室が冷静に問うた。

「なにか気になることでもあるのか?」

 うむ、と谷口はうなずく。

「試合前に半田から聞いた話じゃ、この聖明館というチーム、たしか予選の打率が出場校中トップだったよな」

 話を向けられ、半田は「ええ」と返事する。

「それなら、もっと得点しそうなものだが。特に今日の相手は、北海道から初出場のチームで、見たところそれほど投手力が高いとも思えなかったし」

 なるほどね、と倉橋は相槌を打つ。

「おまえの言いたいことも分かる。ただ今日に関しては、たまたまじゃねえのか。相手ピッチャーにおさえられたというより、チャンスでなかなかあと一本が出なかったふうだし。各打者のスイングじたいは鋭かったからな」

「まあそうなんだが……たしか初戦も、二対一という接戦じゃなかったか」

 半田がまた「ええ、そうです」と首肯した。

「予選の成績を見る限り、打撃がカンバンのチームに思えるんだが、どうして甲子園では二試合ともさほど点を取れなかったんだろう」

「どうしてって、谷口」

 横井が不思議そうな顔で、口を挟む。

「予選と甲子園じゃ、レベルが違うだろう。相手投手にしても、そこまで突出した力はないにせよ、地区大会を勝ち抜いてきてるわけなんだし」

「たしかにそうだな」

 キャプテンはあっさり認めて、苦笑いした。

「おれの考えすぎかもしれん。ただ、ちょっと気になってな」

 丸井が「まあまあ」と背後で微笑む。

「キャプテンとしては、最後まで勝ち抜くつもりでいるのなら、不安材料はないにこしたことはありませんからね」

「なーに、心配いりませんよ」

 今度は井口が口を挟む。

「もし次戦で想定以上に点を取られたとしても、その分打って取り返せばいいじゃないですか」

「ああ。そうだな井口」

 谷口は微笑んだ。井口はさらに話を続ける。

「あのナントカというピッチャー、キャプテンと同じタイプなんでしょ。だったら、おれらは練習で慣れてるし、だいぶ打ちやすいんじゃありませんか。って……あれ?」

 一年生の失言に、その場は一瞬しらけた空気になる。丸井が井口をギロッと睨む。

「ど、どうも」

 井口は気まずさを誤魔化すように、ゴホンと一つ咳払いした。

 

 

 翌朝。墨高ナインはとある学校のグラウンドにて、練習の準備を始めていた。

 二十一名の部員で作業を分担し、イガラシら一年生はトンボを掛け、丸井、横井ら二、三年生は塁間を測りベースを並べていく。倉橋は松川ら投手陣とブルペンを作る。

 キャプテン谷口も、ラインカーを持って作業に参加する。

「あ、キャプテン!」

 谷口がラインを引いていると、丸井が駆け寄ってきた。

「キャプテンはいいんですよ。そんなことしなくても」

 恐縮する後輩に、キャプテンは「いいんだ」と微笑んで言葉を返す。

「うちは部員数が少ないし、土の状態も把握しとかなきゃいけないんだ。へこみに気づかずケガ人でも出したらコトだしな」

「キャプテンがそうおっしゃるなら……」

 丸井はうなずき、胸の内で「谷口さんらしいな」とつぶやく。

「それにしても、甲子園出場校ってのはエラいもんですね」

 中学からの後輩は、おどけた言い方をした。

「ああして学校の部活を休んでまで、グラウンドを貸してくれるんスから」

 そうだな、と谷口はライン引きの手を止めてうなずく。

「この学校の人達の分まで、がんばらなきゃな」

「はい!」

 丸井は快活に返事した。

 ほどなく、墨高ナインは二列になり、軽いジョギングを始めた。

「ワッセ、ワッセ、ワッセ、ワッセ!」

 ナイン達の掛け声が高らかに響く。

 そのうち、グラウンドを囲む金網の外に、見物客が集まってきた。その数はみるみるうちに増えていく。

「おい。ありゃ予選で谷原を倒した、墨谷ちゃうか」

「甲子園でもまたたく間に三回戦へ進出してしもて、前評判にたがわぬ戦いぶりやな」

「こうして見ると意外に小兵やけど、堂々たるもんや」

 やがて、見物客の一人が「がんばれよ墨谷!」と声援を送った。ナイン達はジョギングを続けながら、脱帽して会釈して。自然とその場で拍手が沸き起こる。

 その後、ナイン達はシートバッティングを始めた。バッティング投手は、キャプテン谷口自ら務める。

「さあこい!」

 打席には横井が立ち、バットをやや短めに構える。

「いくぞ」

 一声掛け、谷口は思い切りよく速球を投げ込んだ。ガッと鈍い音。打球は丸井の守るセカンド頭上に高々と上がる。

「オーライ!」

 丸井が顔の前でキャッチした。横井はバットを手に「いけね」と、唇を歪める。

「どうした横井」

 マウンドより、谷口が厳しい口調で言った。

「わきをしめてシャープに振らなきゃ、ミートできないぞ」

「う、うむ。分かってるよ」

 横井は打席に戻り、傍らの倉橋につぶやく。

「谷口のやつ、また速くなってねえか」

 ああ、と倉橋はうなずいた。

「今に始まったことじゃねえよ。あの練習試合で谷原にやられて以降、ぐんと力量を上げてきやがった」

「フフ。谷口らしいぜ」

 それだけ言葉を交わし、横井は再びバットを構える。

 谷口は続けて速球を投げ込んできた。横井はシャープなスイングで、今度はジャストミートする。ライナー性の打球が二遊間を破り、センター島田の前で弾む。

「ナイスバッティング! いいぞ横井」

 軽く右こぶしを突き上げ微笑んだ後、谷口はなぜか束の間黙り込む。

「谷口?」

「あ、ああ……」

 返球しようとした倉橋に声を掛けられ、ようやく顔を上げる。そしてボールを受け取ると、ふいに「タイム!」と告げた。

「なんだっていうんだ」

 訝しむ倉橋をよそに、谷口は「片瀬、根岸」とブルペンの一年生二人を呼び寄せる。

「は、はい」

「なんでしょうか」

 すぐに二人は駆け寄ってきた。

「片瀬。ひょっとしたら次の試合、登板があるかもしれない。そのつもりで練習しておいてくれ」

 片瀬は戸惑いながらも「わ、分かりました」と返事する。

「おい谷口。どういうことだ?」

 ホームベース手前より、倉橋が問うてきた。

「次の試合は、松川が先発する予定のはずだろ。リリーフなら、おまえやイガラシでも」

「ね、念のためだよ」

 谷口は苦笑いして返答した。そして「うーむ」とひそかにつぶやく。

(まだナインに説明できる確証がない。ただ、おれの予感が当たっているとすれば……)

 一人夏空を仰ぎ、フウと息を吐き出す。

(つぎの聖明館戦は、きっとむずかしい試合になる)

 

―― こうして墨高ナインは、厳しい三回戦の戦いへと挑むことになるのである。

 

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