南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第57話「仕切り直しの一戦!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

 

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【目次】

  

 

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 第57話 仕切り直しの一戦!の巻

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1.離脱者の復帰

 

―― 雨中の激闘から一夜明けた。神宮球場の上空は、快晴である。

 雷雨の翌日ということで、観客数の減少が懸念(けねん)されたが、その心配は無用だった。むしろ連日の激戦が、多くの人々の気を引くこととなり、球場はこの日も超満員となったのである。

 われらが墨高ナインは、選手控室にて、すでにユニフォーム姿に着替えていた。誰もが谷原、東実という強豪相手に、二日続けての延長戦を戦った疲れは残しているものの、それ以上の自信を身に付け、どこか余裕すら漂わせている。

 そんな中、たた一人落ち着かない者がいた……

 

「うーん。おそいな、加藤のやつ」

 丸井は控え室内を歩き回りながら、時折ドアを開け通路をのぞいている。

「ハハ、丸井は心配性だな」

 キャプテン谷口が苦笑いした。

「事前に、医務室でチェックを受けてくると言ってたし、それで少し遅れてるだろう。きのう電話で話したが、けっこう元気そうだったぞ」

 ええ、と丸井はうなずく。

「それは聞きましたけど。でも、またとつぜん具合が悪くなるってこともあるので」

「もしそうなったら、それは仕方ないだろう。ただその場合のスタメンは決めてるんだし」

「はあ、もちろん分かってますが」

 不服そうな丸井。その時、一年生の岡村が渋い顔で座りうつむき加減になる。

「どうした岡村?」

 傍らで、三年生の横井が囁き声で問うた。

「あの……きのうのぼくの、ファーストの守備。丸井さんにとっては、そんなに不満だったのかなと」

 岡村の返答に、横井は「なんでえ」と溜息混じりに答える。

「おまえも、しょうもねえこと考えやがって」

「は、はあ……」

「おまえがどうこうじゃないさ。なにせ今日は、決勝戦の再試合。今度こそ、このメンバーで戦える最後の試合になるかもしれんからな」

「ああ、言われてみれば」

「じっさいおまえの守備に、丸井はだいぶ助けられたと思うぜ。けどそれは別として、最後はいつものメンバーで戦って終わりたいつうのが、人情ってやつだろ」

「なるほど。ありがとうございます」

 岡村がうなずくと同時に、部屋の外から駆け足の音が聞こえてきた。そしてドアが開き、ユニフォーム姿の加藤が入ってくる。

「か、加藤!」

 すぐに丸井、鈴木、半田の同級生。そしてキャプテン谷口と正捕手倉橋が、駆け寄った。

「体の具合はどうなんだ?」

「ええ、もうバッチリです」

 その返答に、一同はほうっと安堵の吐息をつく。

「よかった」

 谷口がそう言って、加藤のポンと右肩を叩く。

「おまえがいれば百人力だ。ようし……この勢いで、必ず東実を倒すぞ!」

 キャプテンの言葉に、ナイン達は「ハイ!」と返事する。

 その時、自分のロッカー手前で複雑な表情を浮かべている岡村と、丸井は目が合う。

「オウ岡村。そういうわけだから、今日はレフトの守備をがんばってくれ」

「え、ええ……」

「もしかして、おれっちがそばにいなくてさびしいか? だからって泣くんじゃないぞ」

 あまりにも間の抜けた言葉に、ナイン達は「あーあー」とずっこけた。

 

 

 ほどなく墨高ナインは円座になり、試合前のミーティングが始まった。

 円座の外にはキャプテン谷口、さらに半田がデータ資料をまとめたノートを手に立っている。他のナインは、口をつぐみ話を聞く姿勢を取っていた。

「まず、今日のスタメンを確認しようか。ええと……まず打順だが、丸井とイガラシを、それぞれ一番と五番に戻す」

 誰も口を挟む者はいなかったが、谷口は念のため説明した。

「おとといときのう、イガラシを一番にしたのは、奇襲の意味合いが強かったが、さすがに三日連続ともなると相手も慣れてくる。それにあまりクリーンアップから遠いと、歩かされやすいことも分かったんでな」

「ぼくは別に何番でも」

 やや醒めた口調で、イガラシは言った。

「それより全体を見ないと、どんなバッティングを心掛ければ打線を機能させられるか、分からないですよ」

「あ、うむ。そうだな」

 後輩の言葉に、谷口は打順発表の続きを話す。

「ということで……一番が、丸井。二番に島田を置きたいが、体調はどうだ?」

「まったく問題ありません!」

 きっぱりと島田は答えた。

「それならよかった。で……三番がキャッチャー倉橋」

「オウ。まかせとけって」

「そして、四番が……」

 なぜか谷口が口ごもる。ふいに立ち上がり、キャプテンの背後からメモの紙をのぞき込んだ倉橋は、「オイ!」とその背中を叩いた。

「この期に及んで、気にしてんじゃねーよ。誰も文句を言うやつはいねえって」

「あ……うむ、分かった」

 正捕手にうながされ、谷口は打順の続きを述べた。

「四番、サード……おれ」

 なんでえ、と丸井がわざとらしく溜息をつく。

「急に黙り込むもんだから、てっきり妙な打順でも組んでるもんだと思いましたよ。四番がキャプテンの谷口さんて、これ以上治まりのいい打順はありませんよ」

「ありがとう丸井」

 谷口は微笑んで、さらに続きを読んでいく。

「五番はピッチャーのイガラシ。六番はショート横井。七番レフト岡村。八番ファースト加藤。九番ライト久保。以上のオーダーだ」

 ようしっ、と数人から気合の声が漏れる。

「東実め。今日もまた、返り討ちにしてやるぜ!」

「見てろよ佐野、目にモノ見せてやるからな」

 谷口が席に座ると、入れ替わるようにして半田が立ち上がる。

「あ……あの、みなさん」

 少し言いにくそうに、半田は話を始めた。

「じつはきのう、言いそびれちゃったことがあるんです」

 おお、とすぐに横井が反応する。

「それって、もしかして佐野のことか」

「はい。きのうの時点では確証(かくしょう)がなくて、言いづらくて」

 谷口は「それはいいから」と、先を促す。

「おまえが気づいたことを、正直に話してみろ」

「はい。じつは東実、おとといの専修館との試合で、ボールの組み立てを変えてたんです」

 ええっ、とナイン達がざわめく中、イガラシが「知ってますよ」と冷静に言った。

「試合の前半は、ちゃんとコーナーを突いてましたけど、後半からはけっこう甘いコースにもきてたって話でしょう?」

「あ……うん。そうだけど」

 また周囲がざわめく。

「まず、その意図からなんだけど……イガラシくんはどう思う?」

「打たせて取るピッチングに切り替えたかったんでしょうね」

 即答するイガラシに、半田は驚いて目を丸くする。

「あ、うん。ぼくも同感だよ」

 ちょっと待て、とふいに井口が割って入る。

「フツウ、ぎゃくじゃねえのか。きのうちゃんとコースを突いてたってことは、佐野はケガや疲れなんじゃなく、わざと打たせようとして、甘いコースに投げてたんだろう」

 ああ、とイガラシは首肯する。

「でも、それをやるのは大概、試合中盤だぞ。とくに終盤になると、相手も目が慣れてくるからな。やっぱり打ちづらいコースに集めるのが、投手心理ってもんだぜ」

 自信満々に答える井口。ところが、イガラシは「フン」と鼻で笑う。

「おまえらしくもない疑問だな、井口」

「な、なんだと!?」

 井口はややムキになる。

「じゃあ、どういうワケなんだよ」

「ワケもなにも……カンタンな話じゃねーか。佐野は、たとえ甘いコースに投げても、専修館には打ち返す力がないと判断したんだよ」

 あ……と、井口はあんぐりと口を開ける。

「ただこういうことをされると、偵察する側としては、投球パターンをつかむのに苦労しますよね」

「そ、そうなんだよ」

 感心げに半田は言った。

「すごいやイガラシくん」

「いえ。それで……佐野の投球パターンをつかむのに、時間がかかったんでしょう?」

「あ、うん」

「まちがっててもいいので、半田さんが感じたことを話してみてくださいよ。もしちがっていたとしても、今ならみんないるので、訂正できるじゃありませんか」

「うん。そうだね……」

 しばし考えてから、半田は再び口を開けた。

「佐野くん、基本的にはバッターの様子を見ながら、投げるタマを決めてたようなんだけど」

 全員が「うんうん」というように、うなずく。

「ある状況とカウントの時だけ、九十パーセント近い確率で、同じタマを投げてたんだ」

 えーっ、と全員が声を揃える。

「やい半田。どうしてそれを、きのう言ってくれなかったんだよ」

 丸井が噛み付いた。

「ご、ゴメン……」

「言ってくれてりゃ、きのうで勝ってたかもしれねえのによ」

「丸井さん!」

 イガラシが割って入り、諭すように言った。

「そんな甘い話じゃなかったんスよ」

「はあ? どーいうこったよ」

「例えばですけど……ツーアウト二塁で、佐野が必ずインコースフォークボールを投げると分かってたとして。丸井さん、それ打てますか?」

「なに……ふぉ、フォーク? 佐野のかよ」

「ええ、まあ打てりゃいいですけど。打てなかった場合、向こうのバッテリーはどうしてくると思いますか?」

 横井が「そりゃ決まってるぜ」と。溜息混じりに言った。

「つぎの打席では、ねらってくると踏んで、ボールの組み立てを変えてくるだろうさ」

 ええ、とイガラシはうなずく。

「丸井さん、これで分かりましたか」

「あ……ああ。なんとなくだが」

 顔を引きつらせながら、丸井は答える。

「決まった組み立てをしてることを読まれるとマズイから、半田は言えなかったんだな」

「そ、そうなんだ」

 渋い顔で、半田は言った。

「もし伝えて、攻りゃくできればいいけど、うまくいかないうちに組み立てを変えられたら、ますます打ちくずせなくなると思って」

 半田は「あ、でも……」と付け加える。

「たしかそれまでの試合でも、その状況とカウントは変わってなかったので、今のうちにみなさんに教えときましょうか?」

「……いや。それは、まだ早いと思う」

 キャプテン谷口が、きっぱりと答えた。

「きのうの内容じゃ、佐野はうちの打線を脅威に感じたことだろう。であれば……まちがいなくコースを突いてくる。その時、うちがねらいダマを打ち損じたら、組み立てを変えられてさらに攻りゃくがむずかしくなるだろう」

 戸室が「じゃあ、どうすんだよ」と唇を尖らせる。

「せっかく、いい情報があるってのによ」

「カンタンなことです」

 あっさりと言ったのは、やはりイガラシだ。

「ぼくらが佐野を確実に打てる時……つまり、佐野が疲れたりして、ほんらいのボールが投げられなくなった時、半田さんの情報でねらいダマをしぼればいいんスよ」

「ああ……な、なるほど」

 戸室はすぐに納得したようで、深く首を縦に振る。

「けどよ、半田」

 今度は倉橋が、口を挟む。

「きっとそのチャンスは、一度あるかないかだろうな」

 その一言に、他のナイン達は押し黙る。倉橋は話を続けた。

「佐野と村野。東実のバッテリーは、修正能力が高い。狙われてると気付けば、即座に組み立てを変えてくるだろう。つまりチャンスは、おそらく佐野が疲れてきた終盤……それも打者二、三人でということに」

「た……たった二、三人で」

 横井が、正捕手の言葉を繰り返す。

「それだけの人数で佐野を打ちくずすのは、ちと厳しいな」

「なーに」

 気楽そうに言ったのは、またもイガラシだった。

「警戒するのは当然ですけど。そこまで気にするのは、杞憂ってもんですよ。要は……ぼくがやつらに、点をやらなきゃいいわけでしょう?」

 強気の発言に、またも全員が押し黙る。

「……あ、そうそう」

 束の間の沈黙を、数分後に半田が破る。

「向こうのメンバー表をもらってきたから、黒板に書くね。けっこう入れかえてきてるし」

 

<東実・スターティングオーダー>

 1(遊)杉谷

 2(右)竹下

 3(投)佐野

 4(捕)村野

 5(左)小堀

 6(三)中井

 7(一)中尾

 8(中)熊井

 9(二)三嶋

 

 ほう、と倉橋が吐息をついた。

「全員ではないが、準決勝までのメンツを戻してきてるな。一、二……三人か」

 半田は「ええ」とうなずく。

「きのう代打で出た小堀さんは、今日は五番に入ってます」

当然だろう、と正捕手は応える。

「あれだけ器用なバッターだ。いままでレギュラーじゃなかったのが、おかしいぜ」

「はい。ええと、ほかの二人については……」

 半田が資料のノートを捲り始めた時、おもむろに片瀬が「二人ともパワーヒッターです」と割って入る。

「どちらも打率は三割を少し超える程度ですが、二人ともヒットの半分以上は長打。しかも八番の熊井さんは、ホームランを二本放っています」

 メンドウだな、と戸室が首を捻る。

「やつら今度こそ、ほんらいのパワー野球をやろうってハラか。もともと打撃がカンバンのチームにそれをされると、いくらイガラシでも……」

「いいえ、そうとは限りませんよ」

 ふいに岡村が口を挟む。

「きのうの東実は、松川さんにかなりの球数を投げさせて、ほぼねらいどおりの野球ができたわけですが。けっきょくうちの投手陣を攻りゃくできなかったんです」

 なるほと、と戸室が相槌を打つ。

「このスタメン変更は、やつらがしびれをきらしたってことか」

「ぼくはそう思います」

 二人のやり取りに、背後で横井が「おれも賛成だな」と口を挟む。

「いくら佐野と倉田の両輪がそろってると言っても、やつらここまでのチーム打率は、四強の中で最低だったんだ。それできのうは、まずうちの投手を疲れさせる作戦に出たが、けっきょく取れたのは二点だけだったしな」

 あの……と、おもむろに昨日欠場の加藤が割って入った。

「こっちの投手陣のことも、考えなきゃいけないんじゃ」

 横井が「どういうことだ?」と尋ねる。

「きのうはぼく、ずっとラジオで試合の様子を聞いてたんスけど。松川だけじゃなく、イガラシもずいぶん神経を使って、しかも長いイニングを投げさせられてたじゃありませんか」

 それもそうだな、と戸室がうなずく。

「はい。イガラシが万全ならともかく、きのうの疲れを残してるなら、かえってブンブン振ってこられた方が怖いんじゃないかと」

 当のイガラシは、一人椅子から下りて股割りをしていた。その傍に、半田が走り寄る。

「イガラシくん。東実打線のことなんだけど……」

「どっちも一理あると思いますよ」

 澄ました顔で、イガラシは答えた。

「え、どっちもって……」

「横井さんと戸室さんの意見も、加藤さんの意見もです」

「ていうか……ぼくらの話、聞いてたんだ」

 半田の突っ込みに、イガラシは「あ」とずっこける。

「イガラシくんは、どっちが嫌かい?」

 半田が続けて尋ねる。

「きのうの試合みたいにねばっこくやられるのと、いつもの東実どおり、ブンブン振ってこられるのと」

「それもいちがいには、言えませんね」

 渋い顔で、イガラシは言った。

「連投になったのは計算外なので、これ以上ねばられると、体力がもつかどうか。といって……知ってのとおりぼくのタマは軽いので、一歩まちがえるとホームランの危険がありますから」

 言葉とは裏腹に、なぜかイガラシは、口元に笑みを浮かべた。

「どうしたの?」

「あ、いや……とにかく今は、向こうの意図が知れませんから」

 半田の問いに、一年生は苦笑いする。

「早くやつらのねらいをつかんで、どう対応すべきか。半田さんもそう思ってるでしょう?」

「あ……うん、それはそうだけど」

「だったら今ここで、その話をしても仕方ないんじゃありませんか?」

 イガラシの言葉に、控え室内は静まり返った。丸井だけが「あいつ……」とつぶやく。

 

 

2.墨高ナインの余裕

 

 ほどなく、墨高ナインは前日と同じ一塁側ベンチへ通された。キャプテン谷口は、バッグからグラブを取り出し、しばし感慨にふける。

「この球場で戦うのも、おそらく今日が最後か……」

 その時、傍らで「キャプテン」と丸井に声を掛けられる。

「どうした?」

「イガラシのやつ、ちょっと様子がおかしくないですか」

「と、言うと?」

「言葉じゃ珍しく、弱気なことを言ってましたけど。顔を見てると、なんだか余裕があるような感じもして」

「うーむ、そのままじゃないのか?」

 意外な返答に、丸井は「えっ」と尋ね返す。

「どういうことです」

「だから自分の疲労度も含めて、東実を警戒はしてるんだろう。しかし、きのうけっきょく一試合分投げてるし、向こうの実力もよく分かった。だから、必要以上におそれてもいないんだろう」

 谷口はそう言って、フフと笑う。

「丸井。そう言うおまえだって、今日はいつも以上に落ちついているようだぞ」

「え、そうですか?」

 意外そうに、丸井は目を丸くする。

「ああ。さすが、起死回生の同点アーチを放った男だな」

 キャプテンに褒められ、後輩は「やめてくださいよ」と顔を真っ赤にした。

 

 

 ベンチ内の準備が終わったところで、谷口は全員に声を掛ける。

「ようし、キャッチボールを始めるぞ!」

「ハイ!」

 キャプテンの一言に、墨高ナインはすぐさま二人一組になる。そして互いに適当な距離を取り、すぐにキャッチボールを始めた。

 一塁側スタンド。毎朝新聞の記者・清水は、眼下の光景に「ほほう」と感心げな声を漏らした。傍らで、カメラマンがパシャパシャとシャッターを切る。

「ベンチ入りしてから数分で、もうキャッチボール開始か。さすが機敏だな」

 カメラマンは隣の席に座ると、「それがどうかしたのか?」と尋ねる。

「強豪と言われるチームの特徴なんだよ」

 清水は得意げに答えた。

「機敏な行動だけじゃない。見たまえ、ベンチの様子を」

 二人とも立ち上がり、バックネットから一塁側ベンチをのぞき込む格好になる。

「バッグやヘルメット、バットなんかが整然と並べられているだろう」

「む、そうだな」

 カメラマンはうなずいて、その光景も写真に収める。

「分かったかね? 優秀な新聞記者は、選手が語らない部分も……」

 清水が自慢をし始めた時、背後から「すみませーん!」と呼び掛けられた。振り向くと、学ラン姿の墨高応援団の一人が、困り顔で立っている。

「そこに荷物を置かれると、ジャマなんですけど」

 あら、と清水はずっこける。隣でカメラマンが、クスクス笑った。

 しばらく墨高ナインがキャッチボールをしていると、白いポロシャツ姿の係員が声を掛けてくる。

「墨谷高校、そろそろシートノックの準備を始めなさい」

 谷口が「分かりました」と返事して、一旦全員をベンチへと引き上げさせる。そしてノッカーとボール出し役の高橋と鳥海以外の全員が、素早く守備位置へと散っていく。

「いきますよ! まず……サード!」

 速いゴロが、谷口の正面やや左側に飛んでくる。それを右足だけ動かし、シングルハンドで捕球して一塁へ送球した。うっ、と唇を歪める。

「まだちょっと痛いが……しかし、なんだか心地いいな」

 高橋が「サードもういっちょ!」と、今度は松川へノックを放つ。高いバウンドだったが、松川もその打球をリズムよく捕球し、素早く一塁へ送球する。

「不思議だな」

 思わず、キャプテンはつぶやく。

「大事な決勝再試合の前だというのに、まるで緊張が伝わってこない。かといって、だらけてるわけでもないし」

 あ、そうそう……と、ようやく適当な言葉を見つけた。

「落ちついてる、というのか」

 サードから始まったシートノックは、その後ショート、セカンド、ファースト、そして外野へとテンポよく進んでいく。そしていよいよ、ラストのキャッチャーの番となった。

「キャッチャー!」

 高々と舞い上がった打球を、倉橋が「オーライ!」と半身になりながら追いかけ、それから正面を向いて顔の前で捕球する。

「ナイスキャッチャー!」

 谷口がそう声を掛けると、倉橋は「どうってことねえよ」と照れた顔で言った。他のナイン達も、互いに「よく集中してるぞ」「試合もこの調子でいこうぜ」と声を掛け合いながら、一旦グラウンドを後にする。

 ベンチに戻ると、今度は逆に倉橋から「おい谷口」と、話しかけられる。

「みんなもうちょい緊張してもいいはずだが、だいぶ落ちついてるな。かといって、難しいバウンドの捕球なんかも、思いきりやってたし」

「なあ倉橋。ひょっとして……」

 フフ、とキャプテンは微笑む。

「このチーム……きのう、おとといと激闘を経験して、また一皮むけようとしているのかもしれんぞ」

 正捕手も口元に笑みを浮かべ、「ああ」とうなずいた。

 

 

3.東実の焦燥

 

 カッ。打球音と同時に、東実のノッカーが「キャッチャー!」と声を上げる。

 東実の正捕手村野は、やや左に走りすぐ落下点に入るが、一瞬「おっと」と危うく落球しかけた。それでもどうにかミットに収める。

「まったく、村野まで!」

 ライトでノックを受けていた佐野は、村野のところへ駆け寄った。

「おい。てめえまで、どしたい」

 ついきつい口調になる。

「あ、ああ……ちょっと太陽が目に入っちまってよ」

 苦笑いする村野。ほら、と佐野はブルペンを指差す。

「時間がねえ。五、六球でいいから、急いで投球練習するぞ」

「お……おい佐野」

 頬をポリポリ掻きつつ、村野は言った。

「おまえなにをそんな、けわしい顔してんだよ」

「あたりめーだろ!」

 とうとう佐野は怒鳴った。

「なんだよ、いまのシートノックは。きのうの疲れが残ってるからって、どいつもこいつもタラタラしやがって。いまのを墨谷が見てたら、さぞ付け入りやすそうなチームに見えるだろうよ」

村野は「ま、まあ仕方ねーよ」と、どうにか諭そうとする。

「やつらとちがって、こっちは今大会、初めての延長戦だからな。少しくらい疲れを見せても、試合じゃ何とかするだろうよ」

「ああ、そうかい」

 呆れ笑いをして、佐野はブルペンへと走った。胸の内に一人つぶやく。

「みんな分かってんのか。墨谷相手じゃ、その少しくらいが命取りになるんだぞ」

 正捕手が屈み込むのを見て、佐野は一球目から全力で投げ込む。ズバンとミットが迫力ある音を立て、ボールがこぼれる。

「おい佐野。ちととばしすぎじゃねーか」

 村野が憂いつつ返球してきた。それを無言で捕り、佐野は立て続けに投球する。

今度はカーブ。大きな弧を描き、村野の構えた外角低めに寸分違わず吸い込まれた。スタンドから歓声が聞かれる。

「すげえぞ佐野!」

「いまのボールじゃ、墨谷打線は手も足も出ねえぜ」

 

 

「おいおい。どうしたんだ、佐野のやつ」

 一塁側ベンチ。倉橋が、目を丸くする。

「なんだか忙しねーな。ひょっとして、ちとあせってんのか」

「佐野だけじゃないぞ」

 キャプテン谷口が、鋭い目で言った。

「東実というチーム全体が、今日はなんだか落ち着かない」

 たしかに、と正捕手はうなずく。

「ノックの時も、めずらしくポロポロこぼしてやがったもんな。こりゃ序盤は、うちにチャンスがくるんじゃねーの?」

 しかし谷口はその問いに答えず、「みんな集合だ」と、ダッグアウト手前にナイン全員を集めた。

「見てのとおり、東実はどうも落ち着きがない。だがこういう時は、往々にして相手に合わせてしまいがちだ。向こうが不調に見えるからって、緊張の糸を緩めるなよ」

 倉橋は「なるほど、それでか」と、苦笑いした。そして油断の生じかけた自分を、改めて戒める。

「……そこで最初の攻め方だが」

 声のトーンを落とし、キャプテンは話を続ける。

「それぞれが得意なことをやってくれ」

 思わぬ発言に、ナイン達から「ええっ」という声が漏れる。

「ヒッティングでも、バントで揺さぶってもファールでねばっても、なんでもいいということですか?」

 丸井の質問に、谷口は「そういうことだ」と答えた。一堂が戸惑いの雰囲気のまま、キャプテンは話を続ける。

「知ってのとおり、東実はもともと打撃がカンバンのチームだ。それをきのう、うちを倒すためにあえて捨てた。だがそれでも、けっきょく勝ち切れなかった。その事実を……向こうがどう捉えているか、知りたい」

「……なるほどね」

 イガラシがフフと微笑みつつ、言葉を返す。

「やっと意味が分かりましたよ。うちに勝ち切れなかったことを向こうがどう捉えているのか、やつらの序盤のプレーぶりで分かるということですね」

「うむ、そうことだ」

 二人は分かり合ったようだが、他のナインの多くは、まだポカンとした顔をしている。

「あれ……分かりませんか、みなさん」

 不思議そうに、イガラシが尋ねる。

「ちょっとイガラシ。おれっち、アタマが痛くなってきたよ」

 丸井が帽子越しに頭を掻きむしる。

「じゃあ丸井さん、聞きますけど」

 微笑みを湛えた目で、イガラシは尋ねる。

「得意じゃないことをやって、それでうまくいかなかったら、つぎはどうします?」

「それは、得意なことに戻すに決まって……ああ」

 丸井もようやく気付いたようだ。他のメンバーも、理解したように互いにうなずき合う。

「そ……そうか」

 満面の笑みで、丸井は答えた。

「東実がきのうと同じ野球をやってくるか、それとも昨年までの力の野球にもどすか、それを試すんですね!」

「む。やっと分かってくれたか」

 キャプテンは、満足げにうなずく。

「いまのノックを見る限り、東実も精彩を欠いている。レギュラーを復帰させてきたということは、今までの力の野球に戻す可能性が高いかもしれんが、断定はできないだろう。そこで序盤は様子を見るんだ」

 ここで声のトーンを上げ、谷口は全員を見回して言った。

「とにかく……われわれはもう、なにもおそれることはない。なにもできないことはないんだ。残り九イニング、しっかりと力を出し切る。そして……」

 しばし間を置き、そして宣言する。

「みんなで、甲子園へ行こう!!」

 ナイン達は「オウヨ!」と、力強く応えた。

 

 

 数分後――両チームのナインがそれぞれのベンチ前に、中腰で並ぶ。

 そしてほどなく、カチャリと音がしてバックネット下の門が開き、四人の審判団がグラウンドに入ってくる。やがてアンパイアが、右手を掲げる。

「集合!」

 そのコールを聞いて、墨高と東実の両チームが「よし行くぞ!」「さあ、行こうか」と駆け出し、ホームベースを挟んで整列する。

 アンパイアが再び、右腕を掲げる。

「これより墨高対東実の優勝戦を行う。墨高の先行で、試合を開始する。一堂、礼!」

 コールを聞いて、両チームは脱帽し「ヨロシクオネガイシマス!」と、互いに力強い声で挨拶する。そのまま東実ナインは守備位置へ散り、墨高ナインはベンチへと戻る。

 

 

 一回表。守る東実のマウンドには、昨日はリリーフ登板だった佐野がそのまま上がる。一方、墨高の先頭打者は、前日は二番だった丸井である。

「フフ。久しぶりにトップで打てるとは、うれしいねえ」

 打席に入り、丸井はやや短めにバットを握る。

「きのうに続いて、スタンドにたたきこんでやろうか」

 ほどなく、アンパイアが「プレイ!」とコールして、試合開始を告げるサイレンが球場内に鳴り響いた。

 初球。佐野はアウトコース低めに、シュートを投じてきた。途中まで真っすぐと同じ軌道だったが、ホームベース手前で鋭く切れた外へ逃げていく。

「ヘンだな」

 丸井は思わずつぶやいた。

「きのうは最後まで軌道を追えなかったというのに、今日は最後まで見えたぞ」

 そ、そうか……と、マウンド上を睨む。

「連チャンで当たったのが幸いして、おれの目が慣れてきたんだ」

 二球目。今度は内角高めいっぱいに、速球が飛び込んでくる。苦手コースだったが、丸井は微動だにしない。

「ヘン。何度もここに投げられたら、さすがに慣れてくるぜ」

 そして三球目。外角低めに、またもシュートを投じられた。しかし丸井は左足を踏み込み、おっつけるようにして打ち返す。

「それっ!」

 打球は低いライナーで一・二塁間を破った。ライト前ヒット。墨高、いきなりノーアウト一塁のチャンスを作る。

「へへっ。ホームランとはいかなかったが、トップバッターの役目は果たせたぜ」

 丸井は得意げに、一塁側ベンチを振り向いた。そのベンチ前列では、キャプテン谷口がすかさず次のサインを送る。

 次打者は、前日途中出場なった二番島田である。カーブを二球続けて見逃し、ワンストライクは取られたものの、三球目の速球を緩くピッチャー前に転がす。

 佐野は一瞬二塁を見たものの、すぐに諦め一塁送球。これでワンアウト二塁。

その間、谷口はダッグアウト隅のバットケースから自分のバットを一本抜き取り、ネクストバッターズへ向かう。そして、サインをそこから出す。

「打て倉橋! ……あっ」

 しかし東実バッテリーは、倉橋が打席に入ると同時に立ち上がり、左打席の外側に立つ。そして佐野は、山なりのボールを四球放った。敬遠四球、ワンアウト一・二塁。

「……よしっ」

 小さく気合の声を発し、谷口は立ち上がる。そしてゆっくりと打席へ向かった。

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