1.勝つために合理的な町田のサッカー
2024年のJ1リーグにおいて、ここまで3勝1分と好スタートを切った町田ゼルビアのサッカーに対して、ファンや関係者の間でなおも賛否分かれる状態が続いている。
以前の記事でも書いたが、サッカーが創造的なスポーツである以上、好き嫌いがあるのは仕方ないだろう(ちなみに私は、無駄なショートパスや横パスばかりの“なんちゃってポゼッション”が嫌いだ)。ただ野球好きの視点で町田のサッカーを見ると、こんな思いが出てくるのである。
町田のサッカーが、異端ではなく日本サッカーの“スタンダード”になれば、間違いなく日本サッカーは数段レベルが上がるだろう、と。
第3節、鹿島アントラーズとの一戦を見た限り、町田ゼルビアのサッカーには次のような印象を抱いた。
・各選手のポジショニングが素晴らしく、チームとしての統制がよく取れている
・パスをつなぐことよりも、ボールを前進させることに重きを置いている
・ブロックを作って相手を引き込むか、思い切って狩りにいくか、その判断が良い
・徹底して勝利から逆算したプレーに徹する
こうして一つずつ挙げていくと、町田は何も特別なことをしているのではないと分かる。さらに付け加えると、町田のサッカーは、むしろ「日本人が本来得意とすること」を忠実に実行しているように思える。例えば、チームとしての統制。例えば、状況判断力。例えば、徹底して勝利にこだわる。
野球を例に出すと、日本人のスポーツの長所がより見えてくる。
いわゆるホームランか三振かといった分かりやすい勝負だけでなく、攻撃時には送りバントや足を絡めた細やかかつ多彩な作戦・パターンを見せ、守備時にはキャッチャーを中心とした堅守を展開し、内野ゴロを打たせて取る。
ここに出てきた「細やかさ」「チームとしての統制」「勝利へのこだわり」等が、日本人の行うスポーツの長所として挙げられる。したがって町田ゼルビアは、サッカーにおいて“日本人の長所”を体現していると言える。
2.町田のサッカーを他チームがなかなか真似できない理由
だから好き嫌いは抜きにして、町田のサッカーを複数クラブ、もっといえば日本代表が実践できるようになれば。高確率で日本サッカーのレベルは上がると思うのだが……おそらくその実現は、それこそ黒田監督を日本代表監督の座に据えない限り、かなり難しいと思われる。
その理由は、町田のサッカーがかなり“自己犠牲”を要求されるからである。
以前の記事でも述べたが、サッカーは創造的なスポーツだ。どうせなら見栄えよく、やっている選手も気持ちよくなるプレーをしたくなる。すなわちショートパスをつないで相手よりボールを保持するサッカーの方が志向されるのは当然だ。
しかし町田のサッカーは、見栄えのよい気持ちのいいサッカーを一旦脇に置いて、まず“勝つために必要なプレー”が徹底して求められる。それが勝つために最も合理的だと分かってはいても、気持ちよくプレーすることを脇に置ける選手というのは、(その選手の個人能力が高ければ高いほど)なかなか難しいと思われる。
ではなぜ、町田ゼルビアではそのサッカーができるのか。
言うまでもなく、黒田剛監督が優秀な指導者であるからに他ならない。細かいポジショニング、ロングパスやロングボール等、ややもすると“つまならい”と言われがちなプレーの必要性を選手達に納得させ、確実に実践させるには、黒田監督の力量がなければ成しえない。
野球で言えば、阪神岡田監督がそうだ。
昨年日本一を達成した阪神の野球は、確実に四球を選び状況によって小技や足を絡めたいわゆる“スモールベースボール”で、ホームランを量産するような見栄えのよい野球ではない。しかし勝つためには合理的、なおかつ日本人の長所を生かす野球である。結局他球団は、阪神の合理的な野球を最後まで止めることはできなかった。
しかし阪神のような合理的な野球を実践するには、岡田監督の力量だけでなく、チームプレーを理解しないワガママな選手は獲得しない等、スカウトにおける球団の方針も不可欠である。
ただ、それにしても勿体ない。
野球ファンや関係者で、昨年の阪神の野球を「異端」だと言う者はいないだろう。
ところがサッカー界では、“日本人の長所”を体現している町田のサッカーが異端扱いされてのだ。このままでは、日本サッカーにおいて日本人の長所は、十分に生かされていないということになるのではないだろうか。
WBCで世界一になった野球ファンの視点で見ると、日本サッカーが世界で勝つための大ヒントがそこに転がっているのに、それが生かされないということは、あまりに勿体ない話だと思う。