南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第71話「遠い1点の巻」>――ちばあきお『プレイボール』二次小説

 

 

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【目次】

  

 

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<外伝> 

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 第71話 遠い1点の巻

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1.江島の戦法

 

 二回裏、江島(えじま)の攻撃。すでに墨高ナインは守備位置に着いている。

「さあ、しまっていこうぜ!」

 キャッチャー倉橋が声を掛けた。ナイン達は「オウヨッ」と応える。

 倉橋がホームベース奥に座ると、江島の四番橋本が右打席に入ってきた。そしてバットを斜めに寝かせ、クローズドスタンスの構えをする。

 なにっ、と倉橋は目を見開く。橋本の構えは、墨高ナインのそれと同じだったからである。

(おれ達の打法をマネるなんて。こいつ、どういうつもりだ)

 それでも倉橋は、強気でマウンド上の井口にサインを出す。

(気にするな井口。思いつきで打法をマネたところで、そうカンタンにおまえのタマは打てやしねえよ)

 初球。井口はインコース高めに、速球を投じた。チッと音がする。ボールは倉橋のミットを掠め、バックネット方向へ転がった。ファール。

(ほう。井口の速球にいきなり当てるとは、さすが四番だな)

 感心しつつも、正捕手は動じない。

(だが今の様子じゃ、当てるのがやっとって感じだな。この調子でどんどん攻めるぞ)

 二球目は、アウトコースにシュート。キレが鋭く、橋本はバットを出すも、空振りしてしまう。これでツーストライク。

「ナイスボールよ井口」

 倉橋からの返球を受け、井口はフンと鼻を鳴らす。

(構えをマネただけで打てりゃ、苦労しないぜ。おれのタマを甘く見るなよ)

 続く三球目も、アウトコースのシュート。橋本はバットの先端に当て、どうにかファールにする。へえ、と倉橋は目を丸くした。

(さすが四番だな。たった二球で、井口のシュートに当てるとは)

 三球目はスローカーブ。四球目は速球を投じた。橋本はいずれもバットの先端に当て、ファールにする。

 マウンド上。井口はロージンバックを拾い、しばし間合いを取る。

「こんにゃろ、しつこいぜ」

 そしてロージンバックを足下に放り、倉橋とサインを交換する。

 五球目と六球目は、いずれもアウトコース低めにシュートを投じた。際どいコースだったが、橋本は二球とも見逃し、判定はボール。イーブンカウントとなる。

 マズイな、と倉橋は唇を歪める。

(あまり球数を投げさせられちゃ……井口のやつ、まだ予選でケガした右足に不安がある。いい加減、さっさと片づけねえと)

 そして七球目。井口はインコース高めにシュートを投じた。橋本のバットが回る。これは空を切り、バシッと倉橋のミットを鳴らす。空振り三振。

「フウ、どうにかしとめたぜ」

 ほどなく次打者の坂田が、右打席に入ってくる。こちらも墨高の打者の真似をして、バットを斜めに寝かせクローズドスタンスで立つ。

(この五番もか。おれ達をマネたからって、そんな急には打てねーよ。ただ……またねばられるのは、ちとイヤだな)

 倉橋はそう胸の内につぶやく。

 坂田は二球続けてファールにした後、際どいコースの球を三つ見送り、フルカウントとなった。ちぇっ、と倉橋は舌打ちする。

(こいつキャッチャーなだけあって、目はいいな。スイングからして長打を浴びるこわさはねえが、こうもコツコツ当てられるとメンドウだ)

 さらに坂田は、三球続けてファールにする。マウンド上の井口は顔を歪めた。

「くそっ。しつこいヤロウだぜ」

 そして九球目。井口は真ん中低めにスローカーブを投じた。カキという音を残し、打球はショート正面のゴロ。イガラシが軽快にさばき、一塁へ送球。ツーアウト。

(ヤレヤレ、ようやく二つ目のアウトか。手こずらせやがって)

 井口は小さく溜息をついた。

(おれのタマをマトモに打ち返せないからって、せこいマネを)

 続く六番打者も、やはり同じ構えで右打席に立つ。

「まったく。どいつもこいつも」

 さすがに苛立つ井口。すぐに倉橋が「おちつけ井口」と声を掛ける。

「そうやって、おまえをいら立たせるのが、江島のねらいだぞ。向こうの思うツボにはまるなよ」

「は、はい」

 正捕手に諭され、一年生投手は真顔に戻る。

 一球目。井口はインコースに速球を投じた。打者はバットを出すが完全に振り遅れ、空振りしてしまう。

(フン。やはり下位打線は、おれのボールについてこれないようだな)

 鼻息荒くする井口。そしてすぐに二球目を投じた。アウトコースへのシュート鋭く曲がるボールに、打者はまたも空振りする。まったくタイミングが合わず。

「そうだ、それでいいんだ」

 倉橋がまた声を掛ける。

「おまえが力を出せば、そうカンタンに打たれはしない」

 当然スよ、と井口は応える。

 そして三球目。井口はインコース高めに速球を投じた。打者のバットが回る。どうにかチップさせるが、ボールはそのまま倉橋のミットに収まった。空振り三振、スリーアウト。

「ナイスピーよ井口」

 キャプテン谷口が声を掛ける。

 墨高ナインはグラウンドから引き上げると、すぐにベンチ手前で円陣を組んだ。そして倉橋が「ほれ、谷口」と話を促す。

「みんな、あせることはない」

 まず谷口は、そうナイン達に告げた。

「向こうの好守備で、点こそ奪えていないが、チャンスは作れてる。井口も相手に少しねばられたが、最後はねじふせた。これまで自分達がやってきたこと、自分の力を信じよう。いいな!」

 ナイン達は「はいっ」と声を揃える。

 

 

 

―― 三回表。墨高はまたもチャンスを作ったものの、江島のエース橋本のねばり強い投球と、バックの採算の好守により、またも得点することができなかった。

 つづく三回裏、江島の攻撃。すでにワンアウトである。

 

 

 

 江島の八番打者が右打席に入る。そしてやはり、墨高の打者と同じ構えをした。

「まったく。あんなモノマネで、おれのタマが打てると思ってるのかね」

 マウンド上、井口は溜息混じりにつぶやく。そして倉橋とサインを交換し、ワインドアップモーションから投球動作を始めた。インコース低めの速球。

「なにっ」

 井口は声を上げる。投球と同時に、打者はバントの構えに切り替えた。サード谷口、ファースト加藤、そして井口が同時にダッシュする。

 バシッ。打者のバントは空を切り、ボールは倉橋のミットを鳴らす。

「へん。どうせ、そんなこったろうと思ったぜ」

 返球を受け、井口はつぶやく。

「バントにかえたところで、そうたやすくおれのタマを、前に飛ばせるわけねえだろう」

 二球目。打者はまたもヒッティングから、バントに切り替える。再び三人がダッシュ。今度はボールの下を掠めたが、バックネット方向へ転がる。ファール。

「フン。当てたのはほめてやるが、どっちみち前に飛ばなきゃなにも起こらないぜ」

 余裕綽々の井口。一方、谷口はその様子を、心配そうに眺めている。

(たしかに江島には、井口のタマをまともに打ち返す力はなさそうだが……だからわざとゆさぶりをかけてきている。毎回バントの構えをされちゃ、ピッチャーはその都度走らなきゃいけない。右足に不安のある井口が、あまりゆさぶられるとマズイな)

 三球目。井口はアウトコース低めにシュートを投じた。

 打者は、今度はヒッティングの構えのまま、シュートを右方向へ打ち返した。えっ、と井口が驚いた顔をする。

 しかし打球はセカンド正面のゴロ。丸井が軽快にさばき、一塁へ送球。ツーアウト。

(こいつら、ほんと目がいいな)

 倉橋が感心して、胸の内につぶやく。

(そういや前の試合でも、あまりランナーは出なかったが、ストライクとボールの見きわめだけは、きっちりできてたからな。それで広陽のピッチャーも追いつめられたのか)

 ちとウカツだったな、と倉橋はポリポリと頬を掻く。

(テレビで見たかぎりじゃ、ここまでしぶとい野球をしてくるチームとは思わなかったからな。これが予選じゃ、もう少しくわしく調べられたのに……なんてグチってもしかたねえがよ)

 次の九番打者は、左打席に入った。こちらもやはり、他の打者と同じ構えをする。

 初球。井口はワインドアップモーションから、アウトコース低めに速球を投じた。打者は悠然と見送る。判定はボール。

(手が出なかったか?)

 倉橋は思案する。

(いや……今のは、はっきりボールだとわかって見送った反応だ。この九番も、いい目してるぜ)

 二球目はカーブ。インコース低めを狙ったが、これがショートバウンドする。倉橋はグラブを縦にして捕球した。どうやら井口はボールを引っ掛けてしまったらしく、左手をひらひらさせる。

「井口。ラクラクに」

 倉橋の声掛けに、井口は両肩をぐるんと回す。

 そして三球目。井口はインコースに再びカーブを投じた。ところが、今度はボールが曲がりすぎてしまい、打者のユニフォームの袖を掠める。

「あ、やっちまった」

 渋い顔になる井口。ツーアウトながら、この試合初めて出塁を許してしまう。

「ドンマイよ井口。今のはしかたねえ」

 倉橋は井口を励ましつつも、「なんだかいやな感じだな」と胸の内につぶやく。

(井口のやつ、少し力んでたな。江島のゆさぶりに動じてなきゃいいが)

 続く一番打者は、右打席に入ってきた。その初球、井口はセットポジションから、アウトコース低めに速球を投じる。

 打者は踏み込んでスイングした。ガッと鈍い音。しかしマウンド手前で高く跳ねる。打球を井口が捕球した時、打者はすでに一塁ベースを駆け抜けていた。

 内野安打。ツーアウト一・二塁。

「くそっ。ツキを向こうに持っていかれちまったか」

 倉橋が唇を歪める。

 

 

 

 電気屋の営業用軽トラックを運転しながら、田所はラジオの甲子園実況を聴いていた。

―― さあ江島高校、この試合初めて得点圏に走者を進めました。対する墨高は、思わぬ形でむかえたピンチをしのぐことができるでしょうか。

「くっ、なんだか煮えきらねえ展開だな」

 田所はつぶやいた。

「江島が相手なら、もうちょいラクな試合になると思ったが。やはり甲子園に出てくるトコで、弱いチームはねえんだな」

 営業先の住宅手前で車を停め、田所は両手を組み祈る。

「でもたのむ。倉橋、井口。なんとかここはふんばってくれ」

 

 

 

 墨谷内野陣はタイムを取り、マウンドに集まる。

「ま、そう心配することはありませんよ」

 井口は気楽そうに言った。

「ちとツキがなかっただけですし。あとワンアウト、軽く取れば」

「いや、井口」

 キャプテン谷口は、険しい表情で言った。

「ここは気を引きしめて、全力でいけ」

 えっ、と井口は目を見開く。

「たしかにうちにとっちゃツイてなかったが、彼らは自分達でツキを呼びこんだ。我々の打法をマネしたり、おまえにゆさぶりをかけたりしてな」

 谷口の言葉に、井口は唇を結ぶ。

「それに」

 今度はイガラシが口を開いた。

「おまえはやつらのゆさぶりにいら立って、力んで死球を与えたろう。井口。今のおまえは、やつらの術中にはまりかけてるんだ」

 井口は「うっ」と苦い顔になる。

「だからといって、必要以上に気負うこともない」

 谷口が、やや表情を柔らかくして言った。

「たのむぞ井口。おまえの力を出しさえすれば、おさえられない相手じゃないんだからな」

「はいっ、まかせてください」

 そう返事して、一年生投手は小さく左こぶしを突き上げた。

 やがてタイムが解かれ、内野陣はそれぞれの守備位置へと散っていく。井口はマウンド上でロージンバックを拾い、倉橋はホームベース奥に屈む。

(まずコレで様子を見るか)

 倉橋のサインに、井口はうなずく。そして投球動作へと移る。初球はアウトコースへの速いカーブ。

 その瞬間、二人の走者が同時にスタートを切った。藻類を手助けするように、打者は空振りする。

「なんだとっ」

 倉橋は捕球してすぐに三塁へ送球するが、意表を突かれた分、僅かにタイミングが遅れた。二塁走者はカバーに入った谷口のタッチを掻いくぐり、三塁に頭から滑り込む。

 二塁三塁オールセーフ。さらにピンチが広がってしまう。

(しまった。まさかここで、ダブルスチールをしかけてくるとは)

 唇を歪める倉橋。その時、谷口が「気にするなバッテリー」と声を掛けた。

「ここはバッターを打ち取ればいい。切りかえるんだ」

「お、オウ」

 それもそうだな、と倉橋は胸の内につぶやく。

 ワンストライクから試合が再開される。この打者もやはり、墨高の打法を真似て打席に立った。倉橋は「ちとイヤだな」と渋い顔になる。

(この構えはボールに当てやすい。クリーンヒットはむずかしくても、さっきのように処理しづらい打球になったら、少なくとも一点入っちまう)

 しばし思案の後、倉橋はサインを出す。

 二球目は、インコース低めにシュートを投じる。打者はスイングするもボールの上を叩き、打球は一塁側ベンチ方向へ転がっていく。ファール。

(タイミングは合わせてきたが、まだシュートの軌道をつかむまではいかないようだな)

 手応えを感じる倉橋。そしてテンポよく、三球目のサインを出した。

 マウンド上。井口はワインドアップモーションから投球動作へと移る。右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕を振り下ろす。

 インコース高めのシュート。打者のバットは空を切った。空振り三振。井口は「よしっ」と軽く左こぶしを突き上げ、マウンドを駆け下りた。

「よく投げたぞ井口」

「うちをマネたからって、そうカンタンに点を取れるかってんだ」

 他のナイン達も一年生投手に声を掛けつつ、足取り軽くベンチへと引き上げていく。

 一方、一塁側ベンチからは「ああ……」と溜息が漏れる。

「くそっ、もう一歩のところで」

 悔しがる坂田。傍らで、橋本が「まあまあ」となだめるように言った。

「あれだけゆさぶれば、あの一年生投手からチャンスを作れると分かっただけでも収かくじゃないか。この後も、ねばっこく攻めていこう」

「……む、そうだな」

 渋い顔で応えて、坂田はマスクを脱ぎ立ち上がる。

 

 

 

2.先制なるか!?

 

 続く四回表。墨高の攻撃は、五番イガラシからである。

(こいつは、ちと注意しねえとな)

 坂田はマスクを被りつつ、警戒心を募らせる。

(さっきもアウトになったとはいえ、むずかしいコースを打ち返されたし)

そして思案の後、サインを出す。

 初球。橋本はワインドアップモーションから、投球動作を始めた。アウトコースへのスローカーブ。イガラシは反応せず。判定はボール。

 二球目もスローカーブを、今度はインコース低めに投じる。際どく外れ、ボール。イガラシはやはり手を出さず。

(いい目をしてやがるぜ)

 坂田は胸の内につぶやいた。

(これだけ際どいコースを突いてるのに、ピクリとも反応しねえ)

 三球目は、インコース高めに速球を投じた。イガラシはまたも手を出さず。しかしこれはコースいっぱいに決まり、ワンストライク。

(こいつ、なにねらってやがる)

 訝しく思いながら、坂田は次のサインを出す。

 三球目は、アウトコース低めに速いカーブを投じた。イガラシのバットが回る。パシッと快音が響いた。打球はセンター頭上を襲う。

「センター!」

 坂田が指示の声を出す前に、江島のセンターが走り出していた。やがてフェンスに背中をつけ、ジャンプする。

 精一杯伸ばしたグラブの先に、ボールが引っ掛かる。センターライナー、ワンアウト。

「く……やってくれるじゃねえか」

 イガラシは苦笑いして、バットを拾いベンチへと引き上げる。一方、江島バッテリーは二人とも、安堵の表情を浮かべた。

「センター、ナイスプレーよ!」

 橋本が好守備のセンターに声を掛ける。坂田は深く溜息をつき、マスクを被り直す。

(あぶねえ。橋本のタマがもうちょい高けりゃ、フェンスを越されてたぜ)

 ほどなく次打者の六番横井が、右打席に入ってくる。

「こいつはコレからいこうか」

 坂田のサインに、橋本は「む」とうなずき、すぐに投球動作を始めた。ワインドアップモーションから、第一球を投じる。

 真ん中低めから、すうっと沈む。ドロップボール。

 横井のバットが回る。パシッと快音が響いた。打球はマウンド横をすり抜け、そのまま二遊間を破る。センター前ヒット、ワンアウト一塁。

「ちぇ。うまく打ったな」

 橋本は渋い顔になる。

「た、ライム」

 坂田がアンパイアに合図して、マウンドに駆け寄ってきた。その間、次打者の七番井口が左打席に入る。

「つぎは、さっき長打を浴びた七番だぜ」

 背後を振り向きつつ、坂田は言った。

「どうする。歩かせるか」

 相棒の問いに、橋本は「いや」と首を横に振る。

「さっきは、速球のコントロールミスをねらい打たれただけだ。今度はうまく攻めるさ」

「だいじょうぶか?」

「うむ。得点圏にランナーがいるわけでもないのに、ここで逃げると、弱気だと思われてやつらを勢いづかせちまいかねないしな」

 分かったよ、と坂田はうなずく。

「そこまで言うなら、しっかり投げてこいよ」

 橋本は「よしきた」と応えた。

 坂田がポジションに戻り屈み込むと、アンパイアはすぐに「プレイ!」とコールした。橋本は坂田のサインを確認し、セットポジションから第一球を投じる。

 インコースの速球。井口のバットが回る。パシッと快音を残し、打球はライトポール際へ飛ぶ。墨高の三塁側ベンチとスタントが「おおっ」と沸きかけるが、打球はポールの数メートル手前で切れ、ファール。

「いけね、ボール球に手を出しちまった」

 苦笑いする井口。一方、肝を冷やしたバッテリー二人は、同時に安堵の溜息をつく。

「あぶなかった……」

 橋本は溜息混じりにつぶやいた。

(こいつ。ただパワーだけかと思ったら、バットコントロールもなかなかじゃねえか。肘をたたんで、うまく打ち返しやがって)

 けどよ、と橋本は打席の一年生を睨む。

(二打席続けてやられるほど、おれも甘くないぜ)

 坂田のサインにうなずき、橋本は二球目の投球動作へと移る。今度はインコース低めに、速いカーブを投じた。

 ガッと鈍い音。井口は、今度は芯を外してしまい、打球は一塁側ベンチ前を転がっていく。

(しまった。これも見逃せばボールか)

 井口は唇を歪める。

(しかし……今のカーブ、かなりキレがあったな)

 そして三球目。橋本はアウトコースに、スローカーブを投じた。

(これは外れる)

 井口は咄嗟にそう思い、見送る。ところがボールは大きく曲がり、アウトコースのストライクゾーンいっぱいに決まった。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアのコールに、井口は呆然とする。

(やられた。まさかあそこから曲がって、ストライクに入ってくるとは)

 一方、坂田はフウと一つ吐息をつく。

(どうにかひとヤマこえたな。つぎで調子よく切り抜けたいところだが……)

 井口と入れ替わりに、八番加藤が左打席に立つ。やはり今までと同じ構えだ。

(こいつには、さっき速いカーブを打たれてる。だから、ちとコイツで様子を見るか)

 坂田のサインにうなずくと、橋本はセットポジションに着きしばし間合いを取ってから、第一球を投じた。アウトコースへのスローカーブ

 その瞬間、一塁ランナーの横井がスタートを切った。

 すかさずセカンドが二塁ベースカバーに入る。ところが加藤は、スローカーブを強引に引っ張り、がら空きになった一・二塁間へ打ち返した。速いゴロがライトへ抜けていく。

 ライトが捕球した時、すでに一塁走者は二塁ベースを蹴り、三塁へと向かっていた。中継でボールを受けたセカンドに、坂田は「投げるな!」と指示する。

 ヒットエンドラン成功、ツーアウト一・三塁。

(しまった。ここで足を使ってくるとは……)

 坂田は唇を歪める。

 やがて九番久保が、右打席に入ってきた。一旦ベンチを振り向き、キャプテン谷口のサインを確認してから、バットを構える。

(九番か。こいつも一発があるから、注意して攻めないと)

 初球。橋本はアウトコース低めに、速球を投じた。僅かに外れてボール。この時、一塁走者加藤の離塁が大きくなっていた。

 坂田はすぐに一塁へ牽制球を投じる。加藤は飛び出してしまい、二塁へと向かうも、今度はファーストがセカンドへ送球。加藤を一・二塁間に挟み、追い込んでいく。

その時、三塁走者の横井がスタートした。ホームスチール。

「ボールバック!」

 坂田が叫ぶ。セカンドがすかさずバックホームした。

 横井はタッチを搔いくぐろうと、坂田の背後に回り、ホームベースへ左手を伸ばす。坂田はベースタッチを阻止すべく、振り向きざまにミットを寄せる。本塁上のクロスプレー。

「……あ、アウト!」

 アンパイアのコールに、内外野のスタンドは「おおっ」とどよめき、そして拍手が沸き起こった。

 三塁側ベンチ。キャプテン谷口は「くっ」と右こぶしを握る。

「奇襲でもダメか。あんなとっさに、正確な送球ができるなんて。やはり、守備はよくきたえられてるな」

 やがて、タッチアウトとなった横井が戻ってくる。

「スマン谷口」

「いや、おまえはよく走った」

 横井を励まし、谷口はグラブを手に取る。

「今のは相手をほめるしかないさ」

 そう言って、攻守交代のためベンチから駆け出した。

(……ただ)

 サードのポジションに着き、谷口は胸の内につぶやく。

(これだけのチャンスがあって点が取れないとなると、ちょっとイヤな流れだな)

 

 

―― 谷口の予感は当たった。

 墨高はその後もチャンスを作りながら、江島の堅い守りと、橋本の巧みな投球を前に、五回六回そして七回と、どうしても一点が遠い。

 一方の江島は、クリーンヒットこそないものの、各打者のしつようなねばりから、たびたび四死球で出塁するようになり、もはやチャンスの数では墨高と互角近くになっていた。

 そしてむかえた七回裏――

 

 

 ガシャン。ファールボールが、バックネットに当たる。打席には、江島の九番打者が、左打席に立つ。

 

 カキ。またもファール。今度は三塁側スタンドに吸い込まれる。

(くそっ、これでファールは五球目だ。しつけーな)

 マウンド上の井口は、唇を歪める。一方、キャッチャー倉橋はフウと小さく溜息をついた。

(マズイな。これだけファールされるということは、もうだいぶ井口のタマに目が慣れているということだ)

 倉橋のサインにうなずき、井口は投球動作を始めた。インコースのシュート。際どいコースだが、打者は手を出さず。

「ボール! スリーボール、ツーストライク」

 アンパイアのコール。これでフルカウントとなった。

(く……今のコースを見きわめられるとは)

 渋面になる倉橋。そしてしばし思案の後、次のサインを出す。井口はうなずき、投球動作を始める。

 インコースの速球。これが高く外れてしまう。

「ボール! テイクワンベース」

 打者はバットを放り、一塁へと歩き出す。井口は「しまった」とつぶやいた。

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