南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第66話「相手の弱点をさぐれ!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

 

 f:id:stand16:20190713083954j:plain

【目次】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 


 


 


 

<外伝> 

stand16.hatenablog.com

 

stand16.hatenablog.com

 

 第66話 相手の弱点をさぐれ!の巻

www.youtube.com

 

<登場人物紹介>

矢野:城田高校の1年生エース。速球と大小のカーブが武器。

沢村:城田高校のキャプテンにして正捕手。厳しくも冷静な態度で、矢野をリードしチームを引っ張る。

城田高校野球部監督:白髪混じりの初老の監督。ベテラン指導者らしく、冷静沈着に戦況を分析し、采配を振るう。

 

1.谷口の気づき

―― 二回表。城田の攻撃は、七番安田から始まっていた。マウンド上の谷口は、なおも苦しい投球が続く。

 

 カキ、と音がした。打球は三塁側ベンチ手前を転がっていく。

「また……インコースをファールに。つぎで七球目か」

 細身の七番打者安田は、右打席に立ちバットを短めに握っていた。谷口は足下のロージンバックを拾い、しばし間合いを取る。

「さすが伝統校だ。こっちがアウトコースねらいに気づけば、その対策まで取ってくる」

 谷口は額の汗をぬぐい、ワインドアップモーションから八球目の投球動作を始めた。アウトコース低めのカーブ。それを安田はおっつけるようにして、右方向へ打ち返した。

「……うっ」

 打球はジャンプしたセカンド丸井の頭上を越え、前進してきたライト久保の前でバウンドする。ライト前ヒット、ノーアウト一塁。

 続く八番井上は、始めからバントの構えをした。左足を引き、バットを寝かせる。

 初球。谷口は速球を、バントしづらいインコース高めに投じた。ところが、井上はこれを難なく一塁線のやや内側に、鈍く転がす。

「ファースト!」

 倉橋が叫ぶ。

 前進してきたファースト加藤が捕球し、一瞬二塁を見るが間に合わない。「くそっ」とベースカバーの丸井に送球し、間一髪アウト。

 送りバント成功、ワンアウト二塁。

「むずかしいインコースを、あんなカンタンに……」

 マウンド上で、谷口は唇を噛む。

 そしてまたも細身の打者、九番雪村が左打席に入ってきた。倉橋は「まずコレよ」とサインを出し、谷口が投球動作を始めると同時に、ミットをインコースに構える。

「し、しまった」

 ボールを離した後で、谷口はつぶやく。インコースを突くはずのカーブが、やや真ん中寄りに甘く入ってしまう。雪村のバットが回る。

 バシッ。打球は低いライナーで、三遊間の真ん中を破った。レフト前ヒット。

 あらかじめ外野が前進守備を敷いていたため、二塁ランナーは還れず三塁ストップ。しかし一・三塁とピンチが広がってしまう。

「くっ……」

 スパイクでマウンドの土を均しつつ、谷口は唇を結ぶ。

「ここまでアウトコースに強いチーム、見たことがないぞ。かといってインコースに投げればファールにされる。いったい、どうすれば……」

 その時だった。

「た、タイム!」

 倉橋がアンパイアに合図して、こちらに駆け寄ってくる。

「どうした谷口。力んでるぞ」

 えっ、と声が漏れる。思わぬ相棒の言葉だった。

「そうか?」

「うむ。いつもより力が入っているから、ちょっとずつボールが高いし、キレもない。あれじゃ打たれて当たり前だぜ」

「す、スマン。気づかなかった」

「まあ予選とちがって、相手のことをよく知らないんだし、意識しちまうのも分かるがな」

 渋い顔で、倉橋は言った。

「おまえ一人で守ってるわけじゃない。ここはバックを信じて、打たせていこう」

「あ、ああ……」

 谷口がうなずくと、倉橋は一旦踵を返し、ポジションへ戻りかける。しかし、ふいにまたこちらを振り向き、戻ってきた。

「どうした?」

「いいか谷口。おまえはキャプテンであると同時に、うちのエースなんだ。おまえの力投で、あの谷原を倒して甲子園に来られたってこと、忘れるな」

 ポン、とミットで軽く背中を叩かれる。

「たのむぞエース。自信をもって、投げてこい」

 谷口の表情が、フッと緩む。そして「よしきた!」と返事した。

 やがてタイムが解ける。倉橋はホームベース奥に立ち、野手陣へ指示の声を飛ばす。

「内外野、前進守備だ!」

 正捕手の指示に、野手陣が数歩前に出る。

「キャプテン」

 その時、セカンドより丸井が声を掛けてきた。

「ぼくらがついてます。打たせていきましょう」

「む、たのむぞ」

 そう返事して、谷口は背後へ顔を向ける。

「いくぞバック!」

 キャプテンの声に、ナイン達は「オウヨッ」と力強く応えた。

―― 一番、ライト栗原君。

 ウグイス嬢のアナウンスと共に、城田の一番打者栗原が、左打席に入ってくる。

「まずコレよ」

 倉橋はサインを出し、ミットをインコースに構えた。谷口はうなずき、セットポジションから第一球を投じる。

「……うっ」

 栗原が一瞬、身を引いた。カーブが、インコースいっぱいに決まる。

(あれ。やつのカーブ、こんなに鋭く曲がってたっけ……)

 戸惑う栗原。谷口はテンポよく、第二球を投じた。

 今度はインコース高めの速球。栗原はスイングするも、バットは空を切った。バシッ、と倉橋のミットが鳴る。

 しまった、と栗原は唇を噛んだ。

(さっきの打席じゃ、こんなにスピードは出てなかったのに。今のがほんらいのボールってわけか。やつめ、ピンチをむかえて開き直ったな)

 ベンチを振り向くと、監督がサインを出した。えっ、と思わず声が漏れる。

(なるほど、スリーバントスクイズか。これはやつらも予想しちゃいまい)

 栗原はヘルメットのつばを摘まみ、ベンチへ「了解」と合図する。

 一方、墨高バッテリーもサインを交換した。そして倉橋が「つぎはココよ」と、ミットをアウトコース低めに構えた。

「思い切っていこうよ!」

 マウンド上のエースを励ますように、正捕手は声を上げる。

「さあ、バックを信じて」

 谷口は無言でうなずく。

 迎えた三球目。谷口はしばし間を取った後、セットポジションから投球動作を始めた。そして速球をアウトコース低めに投じる。

 その瞬間、栗原はバットを寝かせ、同時に三塁ランナー安田がスタートした。これを見て、ファースト加藤、サード岡村、ピッチャー谷口が一斉にダッシュする。

 ガッ、と鈍い音がした。

「しまった」

 栗原が顔を歪める。小フライが、ファースト加藤の正面に上がる。

「くっ……」

 ダイレクトで捕球されると思ったらしく、ランナー安田は一度立ち止まってしまう。ところが加藤は、前進しながらショートバウンドで打球をファーストミットに収めた。それを見て、安田は再びスタートを切る。

「しめた!」

 加藤はボールを左手に持ち替え、落ち着いた動作でバックホームした。

 立ち止まった分、完全にタイミングが遅れてしまった安田。送球を受けた倉橋が、余裕を持ってタッチする。

「アウト!」

 アンパイアのコールに、安田は頭上を仰ぐ。

 この時、三塁側ベンチでは城田監督が唇を歪めていた。まさか、とつぶやきが漏れる。

「追いこまれていたとはいえ、栗原がバントをしそんじるとは」

 ほどなく、タッチアウトされた安田が帰ってくる。

「す、すみませんでした」

「なにが、すみませんだ」

 頭を下げる安田を、監督は叱り付ける。

スクイズの時は、迷わず突っ込めと、散々練習してきたろう。まったく……カンジンな時に、血迷いおって」

「は、はい」

 安田は気まずそうに、ベンチへと引っ込む。監督は小さく溜息をついた。

「しかし……あの谷口のタマは、見た目以上に威力があるのか。あれがほんらいの力だとしたら、この先そうカンタンにチャンスはもらえないぞ」

 

 

「ツーアウトか」

 マウンド上。谷口は、短く吐息をつく。そしてロージンバックを拾い上げ、右手に馴染ませる。眼前では、城田の二番打者烏丸が右打席に入ってきた。

 倉橋が「まずココよ」とサインを出す。谷口はうなずき、第一球を投じた。

 速球が、インコース高めいっぱいに決まる。倉橋はテンポよく二球目のサインを出し、ミットをアウトコース低めに構える。

 今度はカーブ。烏丸のバットが回る。パシッと快音が響いた。

 一塁線をライナー性の打球が襲う。ファースト加藤がジャンプした。あわや長打コースという当たりだったが、僅かに切れてファール。

 ひょっとして……と、谷口はひそかにつぶやく。

「た、タイム!」

 アンパイアに合図して、倉橋をマウンドに呼び寄せた。

「どうした?」

 訝しげに、正捕手は尋ねてくる。

「どうやら思いちがいをしていたらしい」

 谷口は冷静な口調で言った。

「いまのバッターのスイングだが、軽く当てにいくように振っていたろう」

 む、と倉橋はうなずいた。

「言われてみれば、たしかにそうだな。谷原のように、しっかり振り抜いてくる打ち方じゃない。ということは……」

「うむ。ほんとはアウトコースが苦手なのを隠すために、わざとねらい打ちしてるんだ」

 そう言って、ちらっと打者の様子を見やる。烏丸は打席を外し、素振りしている。

「ただ谷原もそうだったが、甲子園クラスともなると、苦手コースでもねらうとヒットにするだけの力量はあるぞ」

 倉橋は渋い顔で言った。

「現に速球とカーブ、両方ともとらえられてる」

「分かってる。だから、外へ逃げるタマを使おう」

「逃げるタマだと?」

「うむ。つまり左打者にはシュート。右打者には、カーブをもっと外寄りに投げたらいいと思う」

 谷口の提案に、倉橋は「なるほど」と首肯した。

「たしかにあの打ち方じゃ、外へ逃げていくタマには対応しづらそうだからな」

「ああ。ここらで向こうのアウトコースねらいを、ぎゃくに利用してやろう」

「む、そうだな」

 ほどなくタイムが解け、倉橋がポジションに屈み込む。一方、烏丸は打席に戻り、バットを短めに構え直した。

(く……さっきのが、もうちょい内側に入ってりゃな)

 そう胸の内につぶやく。

(けど、追いこまれちまったし。またファールでねばるか)

 やがて眼前のマウンド上にて、谷口が投球動作を始めた。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

「……うっ」

 アウトコースに投じられたカーブは、ボールゾーンからさらに外へ逃げていく。

 ガキ、と鈍い音がした。打球は、右方向へ高々と上がる。セカンド丸井が「オーライ!」と合図して、難なく顔の前で捕球した。スリーアウト、チェンジ。

「ようし。ピンチを切り抜けたぞ」

「キャプテン、ナイスピッチング!」

 墨高ナインは互いに声を掛け合い、駆け足でベンチへと引き上げていく。

 

 

2.城田バッテリーの投球パターン

 二回裏。この回先頭の谷口は、ゆっくりと右打席に入った。そしてバットを短めに握る。

(まだ序盤とはいえ、二点負けている。なるべく早く攻りゃく法を見つけなければ……)

 マウンド上。矢野はキャッチャー沢村のサインにうなずき、第一球を投じてきた。

「……うっ」

 速球がうなりを上げて、インコース高めに飛び込んでくる。谷口は一瞬身を引きかけた。

「ストライク!」

 アンパイアのコール。谷口は、フウと短く息を吐く。

(なるほど。手がたい上位打線が、あっさり打ち取られるわけだ。こりゃ思った以上に威力があるぞ)

 二球目、またもインコース高めの速球。一球目よりもさらに内側。谷口は身をよじる。

「ボール!」

(あぶない。ぶつけられるところだった)

 一旦打席を外し、数回素振りする。

(ただこの高めのタマ、それほどコントロールは良くなさそうだぞ。追いこまれるまでは捨ててもよさそうだな)

 さらに三球目、今度はアウトコース高めの速球。これははっきりと外れる。

(やっぱり。高めは見逃せば、半分以上はボール球だ。後でナインに伝えなきゃ)

「力むな矢野。ラクに、ラクに」

 すかさずキャッチャー沢村が、矢野に声を掛ける。矢野はぐるんと両肩を回し、ほぐす仕草をした。

 続く四球目は、アウトコース低めの速球。これはコースいっぱいに決まる。

(これが倉橋達の言ってた低めか。厳しいコースだが、たしかに高めよりも球威は落ちる。ねらえば打ち返せないことはないが……)

 五球目は、一転してインコース低めにカーブ。谷口はこれを強振した。

 快音が響く。打球は、レフトスタンドのポール際へ飛んだ。スタンドが「おおっ」と沸きかける。しかし僅かに切れてファール。

「ああ、くそう。ちょっと打つポイントが前すぎたか」

 すでに駆け出していた谷口は、やや唇を歪めつつ打席へと戻る。

「……フウ、あぶねえ」

 一方、キャッチャー沢村は安堵の吐息をついた。

「小さい体のくせして、けっこうパワーあるな。さすが谷原を破ったチームの四番だ」

 谷口がバットを構えるのと同時に、沢村はサインを出す。

「だが、つぎはこうはいかないぜ」

 そして六球目。矢野はアウトコースに、速いカーブを投じた。ボールは打者の手元で、鋭く曲がる。

「くっ……」

 谷口は体勢を崩しかけながらも、おっつけるように打ち返した。

パシッとボールを捉えた音。右方向へライナーが飛ぶ。しかしセカンド伊予がジャンプ一番、打球をグラブに収める。

「しまった。やはり、あのボールか」

 渋い顔でつぶやき、谷口は引き返す。その時、ネクストバッターズサークルより打席へ向かうイガラシとすれ違う。

「イガラシ、ちょっと」

 谷口は、後輩に声を掛けた。

「さっきの速いカーブだが……」

 はい、とイガラシはうなずく。

「ミートするのはカンタンじゃなさそうですね」

「うむ。あれを決めダマとして使われたら、ちとメンドウだ」

「しかし、なんとか打ち返してみます」

 やや険しい顔つきで、イガラシは応える。

「あのカーブをさけようとすれば、やつらますます多投してくるはずです。そこに、高めの速球まで混ぜられたら、もっと攻りゃくがむずかしくなるでしょう」

「む。やつらを安心させないためにも、たのむぞイガラシ!」

「はいっ」

 後輩は力強くうなずく。

「……ああ、それと」

 谷口が話を付け足そうとすると、イガラシは「分かってます」と僅かに笑んだ。

「なるべく球数を投げさせて、ボールの組み立て方を探れ、でしょう?」

「あ、うむ」

 よく分かってるじゃないか、と谷口は胸の内につぶやく。

「たしかにラクな相手じゃありませんけど」

 表情を引き締め、イガラシは言った。

「あれくらいのピッチャーはゴロゴロしてるのが、甲子園ですからね。優勝をめざす以上、なんとしても打ちくずす手がかりを見つけなきゃ」

 フフと笑んで、イガラシは踵を返した。

「さすがだな」

 谷口は感心して、その背中を見送る。

 

 

―― 五番、ショートイガラシ君。

「た、タイム」

 ウグイス嬢のアナウンスと同時に、キャッチャー沢村はアンパイアに合図して、マウンドに駆け寄る。

「キャプテン」

「分かってるな矢野、やつはおまえと同じ一年生だ。負けるんじゃないぞ」

「ええ……しかし予選じゃ、八割近く打ってるそうじゃありませんか」

「なあに、あのナリだ。たとえ打たれても、コースさえまちがえなけりゃ長打はあるまい」

「じゃあ、低めを打たせていけば」

「もちろん、それ一辺倒ではねらい打ちされるから、高めを見せ球にしてな」

「分かりました」

 それだけ言葉を交わし、沢村は踵を返しポジションに戻る。

 

 

 傍らで、イガラシは数回素振りした。ビュッ、ビュッ、と風を切る音。そして右打席に入ってくる。ほう……と、沢村はひそかに吐息をつく。

(こいつ。ナリに似合わず、鋭い振りをしやがる。高めのストライクは禁物だぞ)

 サインを出し、ミットをインコース高めに構える。

(分かってるな矢野、ボールにするんだぞ)

 マウンド上。矢野はサインにうなずき、第一球を投じてきた。要求通り、インコース高めの速球。イガラシは眉一つ動かさず、悠然とボールを見送る。

(ほう……まばたきすらしないとは。よほど速球には慣れてるようだな)

 続く二球目。沢村は、ミットをさらに内側へとずらす。

(せめて上体を起こさせねえと)

 矢野はワインドアップモーションから、再び速球を沢村のミット目掛けて投じた。しかし今度は、やや外へずれてストライクコースに入ってくる。

「し、しまった……」

 沢村の視界の端で、イガラシは上体にバットを巻きつけるようにして、強振した。パシッと快音が響く。大飛球が、レフトのポール際へ吸い込まれていく。しかし僅かに左へ切れ、ファール。

「なんでえ、あと少しだったのに」

 言葉とは裏腹に、イガラシはさほど悔しがる素振りも見せず、小走りに引き上げてくる。

「矢野! コースが甘いぞ」

 沢村が叱責すると、矢野は「スミマセン」と頭を下げる。

(まったく……しかし、見事なバットコントロールだ。どうりで八割近く打つわけだぜ)

 三球目と四球目は、縦のカーブを続けさせた。しかし、いずれも低く外れ、スリーボール。

(うーむ、ちと力が入ってるな)

 沢村は手振りで指示を伝える。

「ロージンだ」

 矢野はロージンバックを拾い上げ、しばし間を取った。ほどなく、沢村は次のサインを出し、ミットをアウトコース低めに構える。

(つぎはコレよ)

 五球目。矢野はアウトコース低めに、あの速いカーブを投じた。イガラシははらうようにバットを出す。辛うじてその先端に当てた。ファール。

「く……あぶない。なんて鋭く曲がるんだ」

 唇を歪めるイガラシ。一方、沢村も苦い顔になる。

(ファールとはいえ、うまく当てやがったな。カンタンには打ち取らせてくれないか)

 六球目も速いカーブを、今度はインコースに投じた。イガラシは引っ張り、これもファールにする。

(くそっ、喰らいついてきやがるな)

 マウンド上の矢野が、「どうします?」と言いたげな目を向けてくる。

(予定どおり、低めを打たせよう)

 沢村はサインを出し、ミットをアウトコース低めに構えた。矢野はうなずき、ワインドアップモーションから第七球を投じる。

 アウトコース低めの速球。イガラシのバットが回る。パシッ、と快音が響く。

「なにっ」

 思わず沢村は声を上げた。低いライナーが、あっという間に一・二塁間を破る。

「や、やった!」

 その瞬間、墨高の三塁側ベンチが沸き立つ。

「よし、甲子園初ヒットだ」

「さすがイガラシ。低めの速球にねらいをしぼって、うまく打ち返しやがった」

「うむ。あの低めは、どういうわけか少し球威が落ちるものな」

 イガラシは一塁を回りかけて止まる。喜ぶ仲間達をよそに、ポーカーフェイスのままだ。

「さあ、つづけよ横井!」

 ベンチよりナイン達が、次打者の横井に声援を送る。

「タイム!」

 谷口はアンパイアに合図して、ネクストバッターズサークルの横井を呼び戻す。

「なんだい?」

「横井、バントはなしだ。ねらっていけ」

 そう短く告げる。

「向こうのここまでの投球を見て、だいたい分かったと思うが。どうもボール先行になると、低めの速球でカウントを取りにくるようだ」

「う、うむ。しかしストライクが先行すると、あの速いカーブがくるぞ」

 横井は渋い顔になる。谷口は「なーに」と微笑んだ。

「小さく曲がるカーブなら、片瀬のタマで練習してきたろう。あれに少しスピードを加えた感じだ。予測がついてりゃ、どうにかなるさ」

「わ、分かった」

 やや戸惑いながらも、横井はうなずいた。

 一方、沢村は再びマウンドに駆け寄る。

「スマン矢野。ちと、正直すぎたようだ」

「あ、いえ。しかし急な速球をきっちり打ち返してくるなんて、やはり並のバッターじゃありませんね」

「うむ、長打でなくて助かったよ」

「つぎはどうします?」

「なに。下位打線だし、今までどおりにやりゃおさえられるさ」

 沢村はそう言って、ポンと後輩の背中を叩く。

「まだ一本打たれただけだ。自信を持っていこうぜ」

「は、はい」

 先輩の励ましに、矢野は僅かに笑んだ。

 

 

3.甲子園初得点

 沢村がポジションに戻り、マスクを被り直したタイミングで、ウグイス嬢のアナウンスが流れてくる。

―― 六番、レフト横井君。

 横井は右打席に入り、バットを短めに構えた。

 初球。矢野はセットポジションに着き、すぐに投球動作を始めた。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕をしならせる。

 インコース高めの速球。横井は手が出ず、ストライクぎりぎりに決まった。

「は、はやい……」

 横井は唇を歪める。

「スピードだけなら、村井や佐野とそう変わらないじゃねえか」

 二球目。またも速球が、インコース高めに飛び込んでくる。横井はスイングするも、チップさせるのが精一杯。あっという間にツーストライクと追い込まれる。

「し、しまった。どうし……」

 三塁側ベンチを振り返ると、谷口がサインを出した。

(え、エンドラン? なんとか喰らいつけってことか)

 横井は一旦打席を外し、ぺっぺっと唾で両手を湿らせる。

(つぎはあのカーブがくる。せめて右方向へ転がさなきゃ)

 そして打席に戻り、バットを構え直す。

「プレイ!」

 アンパイアのコールを聞くと、矢野はすぐに投球動作へと移る。そして三球目を投じてきた。この間、一塁ランナーのイガラシがスタートを切る。

「き、きたっ」

読み通り、アウトコースへの速いカーブ。

横井はバットをはらうようにしてスイングした。ガッと鈍い音。一・二塁間へ緩いゴロが転がる。城田のセカンドは一瞬二塁を見たが、間に合わない。すかさず一塁へ送球しアウト一つを奪う。それでも進塁打となり、墨高はこの試合初めて、得点圏にランナーを置く。

「やれやれ。どうにか最低限のことはできたぜ」

 苦笑いしつつ、横井はベンチに引き上げる。

 

 

「く……当てられたか」

 沢村は渋い顔になる。

「けどまあ、ツーアウト目は奪ったわけだし。つぎをおさえりゃ問題ない」

 ほどなく墨高の七番岡村が、右打席に入ってきた。こちらもバットを短めに握る。

(たしかこいつも一年生だったな。イガラシとちがってパワーはなさそうだが、身のこなしから見て、当てるのはうまそうだ)

 初球。沢村は、インコース高めの速球を要求した。しかし矢野の投球は、沢村の構えるミットよりも高く外れてしまう。二球目も同様に、高めに浮いた。これでツーボール。

「矢野。ラクに、ラクに」

 沢村がマスク越しに声を掛けると、矢野は二、三度深呼吸する仕草を見せた。

(初めてのピンチとあって、かたくなってるのかな)

 ミットをアウトコース低めに構え、沢村は「さあ力を抜いて」と胸の内につぶやく。矢野はうなずき、投球動作へと移る。

 要求通り、アウトコース低めの速球。岡村は左足を踏み込み、おっつけるようにスイングした。パシッと快音が鳴る。

(しまった、ヤマをはられた……)

 速いゴロが、一・二塁間を抜けていく。

 素早くスタートを切っていたイガラシが、三塁ベースを蹴りホームへと向かう。捕球したライトがセカンドへ中継。しかしセカンド伊予がボールを受けた時、イガラシはすでにホームベースへ右足から滑り込んでいた。

 ライト前タイムリーヒット。墨高、一点差に詰め寄る。

 

 

 沸き立つ三塁側ベンチとスタンド。その時、一塁側ベンチにて城田監督が立ち上がる。

「タイム! 沢村、矢野」

 バッテリー二人を呼んだ。

「は、はいっ」

沢村と矢野は駆け寄り、監督の前で直立不動の姿勢になる。

「今のはヤマをはられたようだな」

 監督の言葉に、沢村は「ええ」と唇を歪める。

「予選とちがって、向こうがなかなかボール球に手を出してくれないもので。かく実にストライクを取れるのが、アウトコースの速球だけなので」

「む。しかしそれを、やつらは気づき始めてるぞ」

「どうしましょうか?」

 沢村の問いかけに、監督は「うーむ」としばし考え込む。そして口を開いた。

「こうなったら、ほかのタマも混ぜていくことだな」

「しかし際どいコースは、やつら手を出してきませんが」

「多少、四球でランナーを出してしまうのは、仕方あるまい」

 渋面で、指揮官は答える。

「それに今のところ、向こうがねらいダマを絞れているのは、ボール先行した時だけだ。ストライク先行でいけば、多少ボール気味でも手を出してくれるだろう」

「ただそうなると、今度は初球からねらわれる可能性も……」

「どうした沢村」

 監督は苦笑いした。

「そんな弱気で、おまえらしくもない。もともと、たった二点を守りきる想定じゃないだろう。なにせ相手は、あの谷原を破ったチームなんだからな」

「は、はい……」

「さあ二人とも。バックを信じて、思いきりいくんだ」

 指揮官の励ましに、バッテリー二人は「分かりました!」と、声を揃えた。

 

 

「ボール、ハイ!」

 インコース高めの速球が、また高く外れた。左打席の八番加藤が、これを見送る。

(うーむ。どうしても高めのコントロールが、イマイチだなあ)

 ツーボール・ワンストライク。沢村は小さく溜息をつく。

(予選じゃ、相手が手を出してくれたんだが、甲子園ともなるとそうはいかんか)

 ミットを真ん中低めに構え、「つぎはコレよ」とサインを出す。

(低めの速球はねらわれているからな。ちがうタマで様子を見るか)

 矢野はうなずき、セットポジションから四球目を投じた。縦に大きく割れるカーブ。それがやや高めに入ってくる。

「しまった……」

 そうつぶやいた矢野の眼前で、加藤のバットが回る。快音を残し、速いゴロが打ち返された。足下をすり抜け、二遊間を襲う。

「くわっ」

 セカンド伊予が飛び付き、なんとグラブの先で捕球した。そのままベースカバーのショート烏丸へトスし、フォースアウト

「フウ、どうにか切り抜けたぜ」

 沢村は苦笑いして、ベンチへと引き上げる。 

 

 

(よく喰らいついてくるな)

 一塁側ベンチにて、城田監督はグラウンド上へ険しい眼差しを向けていた。

(データはなかったはずだが、早くもうちの弱点を見抜きつつある。この試合……ヘタすりゃ、ひどい目にあうぞ)

 そして、傍らのナイン達へ声を掛ける。

「おまえ達、気を引きしめていけよ。相手は谷原を破ったチームだということを忘れるな。早くつぎの点を取らないと、ずるずると向こうのペースに引きこまれるぞ」

 城田ナインは「は、はいっ」と返事した。

 

―― 監督の思惑とは逆に、この後城田打線は鳴りを潜めることになる。墨高のエース谷口のシュートをおりまぜた投球に、凡打の山を築く。

 一方、墨高打線は城田バッテリーのボールを散らす苦心の投球に、ランナーは出すもののあと一本が出ず。

 1-2のまま、試合は終盤七回をむかえたのである。

<次話へのリンク>

 

 

※感想掲示

minamikaze2022.bbs.fc2.com

 

【各話へのリンク】

stand16.hatenablog.com