【目次】
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<外伝>
第66話 相手の弱点をさぐれ!の巻
<登場人物紹介>
矢野:城田高校の1年生エース。速球と大小のカーブが武器。
沢村:城田高校のキャプテンにして正捕手。厳しくも冷静な態度で、矢野をリードしチームを引っ張る。
城田高校野球部監督:白髪混じりの初老の監督。ベテラン指導者らしく、冷静沈着に戦況を分析し、采配を振るう。
1.谷口の気づき
―― 二回表。城田の攻撃は、七番安田から始まっていた。マウンド上の谷口は、なおも苦しい投球が続く。
カキ、と音がした。打球は三塁側ベンチ手前を転がっていく。
「また……インコースをファールに。つぎで七球目か」
細身の七番打者安田は、右打席に立ちバットを短めに握っていた。谷口は足下のロージンバックを拾い、しばし間合いを取る。
「さすが伝統校だ。こっちがアウトコースねらいに気づけば、その対策まで取ってくる」
谷口は額の汗をぬぐい、ワインドアップモーションから八球目の投球動作を始めた。アウトコース低めのカーブ。それを安田はおっつけるようにして、右方向へ打ち返した。
「……うっ」
打球はジャンプしたセカンド丸井の頭上を越え、前進してきたライト久保の前でバウンドする。ライト前ヒット、ノーアウト一塁。
続く八番井上は、始めからバントの構えをした。左足を引き、バットを寝かせる。
初球。谷口は速球を、バントしづらいインコース高めに投じた。ところが、井上はこれを難なく一塁線のやや内側に、鈍く転がす。
「ファースト!」
倉橋が叫ぶ。
前進してきたファースト加藤が捕球し、一瞬二塁を見るが間に合わない。「くそっ」とベースカバーの丸井に送球し、間一髪アウト。
送りバント成功、ワンアウト二塁。
「むずかしいインコースを、あんなカンタンに……」
マウンド上で、谷口は唇を噛む。
そしてまたも細身の打者、九番雪村が左打席に入ってきた。倉橋は「まずコレよ」とサインを出し、谷口が投球動作を始めると同時に、ミットをインコースに構える。
「し、しまった」
ボールを離した後で、谷口はつぶやく。インコースを突くはずのカーブが、やや真ん中寄りに甘く入ってしまう。雪村のバットが回る。
バシッ。打球は低いライナーで、三遊間の真ん中を破った。レフト前ヒット。
あらかじめ外野が前進守備を敷いていたため、二塁ランナーは還れず三塁ストップ。しかし一・三塁とピンチが広がってしまう。
「くっ……」
スパイクでマウンドの土を均しつつ、谷口は唇を結ぶ。
「ここまでアウトコースに強いチーム、見たことがないぞ。かといってインコースに投げればファールにされる。いったい、どうすれば……」
その時だった。
「た、タイム!」
倉橋がアンパイアに合図して、こちらに駆け寄ってくる。
「どうした谷口。力んでるぞ」
えっ、と声が漏れる。思わぬ相棒の言葉だった。
「そうか?」
「うむ。いつもより力が入っているから、ちょっとずつボールが高いし、キレもない。あれじゃ打たれて当たり前だぜ」
「す、スマン。気づかなかった」
「まあ予選とちがって、相手のことをよく知らないんだし、意識しちまうのも分かるがな」
渋い顔で、倉橋は言った。
「おまえ一人で守ってるわけじゃない。ここはバックを信じて、打たせていこう」
「あ、ああ……」
谷口がうなずくと、倉橋は一旦踵を返し、ポジションへ戻りかける。しかし、ふいにまたこちらを振り向き、戻ってきた。
「どうした?」
「いいか谷口。おまえはキャプテンであると同時に、うちのエースなんだ。おまえの力投で、あの谷原を倒して甲子園に来られたってこと、忘れるな」
ポン、とミットで軽く背中を叩かれる。
「たのむぞエース。自信をもって、投げてこい」
谷口の表情が、フッと緩む。そして「よしきた!」と返事した。
やがてタイムが解ける。倉橋はホームベース奥に立ち、野手陣へ指示の声を飛ばす。
「内外野、前進守備だ!」
正捕手の指示に、野手陣が数歩前に出る。
その時、セカンドより丸井が声を掛けてきた。
「ぼくらがついてます。打たせていきましょう」
「む、たのむぞ」
そう返事して、谷口は背後へ顔を向ける。
「いくぞバック!」
キャプテンの声に、ナイン達は「オウヨッ」と力強く応えた。
―― 一番、ライト栗原君。
ウグイス嬢のアナウンスと共に、城田の一番打者栗原が、左打席に入ってくる。
「まずコレよ」
倉橋はサインを出し、ミットをインコースに構えた。谷口はうなずき、セットポジションから第一球を投じる。
「……うっ」
栗原が一瞬、身を引いた。カーブが、インコースいっぱいに決まる。
(あれ。やつのカーブ、こんなに鋭く曲がってたっけ……)
戸惑う栗原。谷口はテンポよく、第二球を投じた。
今度はインコース高めの速球。栗原はスイングするも、バットは空を切った。バシッ、と倉橋のミットが鳴る。
しまった、と栗原は唇を噛んだ。
(さっきの打席じゃ、こんなにスピードは出てなかったのに。今のがほんらいのボールってわけか。やつめ、ピンチをむかえて開き直ったな)
ベンチを振り向くと、監督がサインを出した。えっ、と思わず声が漏れる。
(なるほど、スリーバントスクイズか。これはやつらも予想しちゃいまい)
栗原はヘルメットのつばを摘まみ、ベンチへ「了解」と合図する。
一方、墨高バッテリーもサインを交換した。そして倉橋が「つぎはココよ」と、ミットをアウトコース低めに構えた。
「思い切っていこうよ!」
マウンド上のエースを励ますように、正捕手は声を上げる。
「さあ、バックを信じて」
谷口は無言でうなずく。
迎えた三球目。谷口はしばし間を取った後、セットポジションから投球動作を始めた。そして速球をアウトコース低めに投じる。
その瞬間、栗原はバットを寝かせ、同時に三塁ランナー安田がスタートした。これを見て、ファースト加藤、サード岡村、ピッチャー谷口が一斉にダッシュする。
ガッ、と鈍い音がした。
「しまった」
栗原が顔を歪める。小フライが、ファースト加藤の正面に上がる。
「くっ……」
ダイレクトで捕球されると思ったらしく、ランナー安田は一度立ち止まってしまう。ところが加藤は、前進しながらショートバウンドで打球をファーストミットに収めた。それを見て、安田は再びスタートを切る。
「しめた!」
加藤はボールを左手に持ち替え、落ち着いた動作でバックホームした。
立ち止まった分、完全にタイミングが遅れてしまった安田。送球を受けた倉橋が、余裕を持ってタッチする。
「アウト!」
アンパイアのコールに、安田は頭上を仰ぐ。
この時、三塁側ベンチでは城田監督が唇を歪めていた。まさか、とつぶやきが漏れる。
「追いこまれていたとはいえ、栗原がバントをしそんじるとは」
ほどなく、タッチアウトされた安田が帰ってくる。
「す、すみませんでした」
「なにが、すみませんだ」
頭を下げる安田を、監督は叱り付ける。
「スクイズの時は、迷わず突っ込めと、散々練習してきたろう。まったく……カンジンな時に、血迷いおって」
「は、はい」
安田は気まずそうに、ベンチへと引っ込む。監督は小さく溜息をついた。
「しかし……あの谷口のタマは、見た目以上に威力があるのか。あれがほんらいの力だとしたら、この先そうカンタンにチャンスはもらえないぞ」
「ツーアウトか」
マウンド上。谷口は、短く吐息をつく。そしてロージンバックを拾い上げ、右手に馴染ませる。眼前では、城田の二番打者烏丸が右打席に入ってきた。
倉橋が「まずココよ」とサインを出す。谷口はうなずき、第一球を投じた。
速球が、インコース高めいっぱいに決まる。倉橋はテンポよく二球目のサインを出し、ミットをアウトコース低めに構える。
今度はカーブ。烏丸のバットが回る。パシッと快音が響いた。
一塁線をライナー性の打球が襲う。ファースト加藤がジャンプした。あわや長打コースという当たりだったが、僅かに切れてファール。
ひょっとして……と、谷口はひそかにつぶやく。
「た、タイム!」
アンパイアに合図して、倉橋をマウンドに呼び寄せた。
「どうした?」
訝しげに、正捕手は尋ねてくる。
「どうやら思いちがいをしていたらしい」
谷口は冷静な口調で言った。
「いまのバッターのスイングだが、軽く当てにいくように振っていたろう」
む、と倉橋はうなずいた。
「言われてみれば、たしかにそうだな。谷原のように、しっかり振り抜いてくる打ち方じゃない。ということは……」
「うむ。ほんとはアウトコースが苦手なのを隠すために、わざとねらい打ちしてるんだ」
そう言って、ちらっと打者の様子を見やる。烏丸は打席を外し、素振りしている。
「ただ谷原もそうだったが、甲子園クラスともなると、苦手コースでもねらうとヒットにするだけの力量はあるぞ」
倉橋は渋い顔で言った。
「現に速球とカーブ、両方ともとらえられてる」
「分かってる。だから、外へ逃げるタマを使おう」
「逃げるタマだと?」
「うむ。つまり左打者にはシュート。右打者には、カーブをもっと外寄りに投げたらいいと思う」
谷口の提案に、倉橋は「なるほど」と首肯した。
「たしかにあの打ち方じゃ、外へ逃げていくタマには対応しづらそうだからな」
「ああ。ここらで向こうのアウトコースねらいを、ぎゃくに利用してやろう」
「む、そうだな」
ほどなくタイムが解け、倉橋がポジションに屈み込む。一方、烏丸は打席に戻り、バットを短めに構え直した。
(く……さっきのが、もうちょい内側に入ってりゃな)
そう胸の内につぶやく。
(けど、追いこまれちまったし。またファールでねばるか)
やがて眼前のマウンド上にて、谷口が投球動作を始めた。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。
「……うっ」
アウトコースに投じられたカーブは、ボールゾーンからさらに外へ逃げていく。
ガキ、と鈍い音がした。打球は、右方向へ高々と上がる。セカンド丸井が「オーライ!」と合図して、難なく顔の前で捕球した。スリーアウト、チェンジ。
「ようし。ピンチを切り抜けたぞ」
「キャプテン、ナイスピッチング!」
墨高ナインは互いに声を掛け合い、駆け足でベンチへと引き上げていく。
2.城田バッテリーの投球パターン
二回裏。この回先頭の谷口は、ゆっくりと右打席に入った。そしてバットを短めに握る。
(まだ序盤とはいえ、二点負けている。なるべく早く攻りゃく法を見つけなければ……)
マウンド上。矢野はキャッチャー沢村のサインにうなずき、第一球を投じてきた。
「……うっ」
速球がうなりを上げて、インコース高めに飛び込んでくる。谷口は一瞬身を引きかけた。
「ストライク!」
アンパイアのコール。谷口は、フウと短く息を吐く。
(なるほど。手がたい上位打線が、あっさり打ち取られるわけだ。こりゃ思った以上に威力があるぞ)
二球目、またもインコース高めの速球。一球目よりもさらに内側。谷口は身をよじる。
「ボール!」
(あぶない。ぶつけられるところだった)
一旦打席を外し、数回素振りする。
(ただこの高めのタマ、それほどコントロールは良くなさそうだぞ。追いこまれるまでは捨ててもよさそうだな)
さらに三球目、今度はアウトコース高めの速球。これははっきりと外れる。
(やっぱり。高めは見逃せば、半分以上はボール球だ。後でナインに伝えなきゃ)
すかさずキャッチャー沢村が、矢野に声を掛ける。矢野はぐるんと両肩を回し、ほぐす仕草をした。
続く四球目は、アウトコース低めの速球。これはコースいっぱいに決まる。
(これが倉橋達の言ってた低めか。厳しいコースだが、たしかに高めよりも球威は落ちる。ねらえば打ち返せないことはないが……)
五球目は、一転してインコース低めにカーブ。谷口はこれを強振した。
快音が響く。打球は、レフトスタンドのポール際へ飛んだ。スタンドが「おおっ」と沸きかける。しかし僅かに切れてファール。
「ああ、くそう。ちょっと打つポイントが前すぎたか」
すでに駆け出していた谷口は、やや唇を歪めつつ打席へと戻る。
「……フウ、あぶねえ」
一方、キャッチャー沢村は安堵の吐息をついた。
「小さい体のくせして、けっこうパワーあるな。さすが谷原を破ったチームの四番だ」
谷口がバットを構えるのと同時に、沢村はサインを出す。
「だが、つぎはこうはいかないぜ」
そして六球目。矢野はアウトコースに、速いカーブを投じた。ボールは打者の手元で、鋭く曲がる。
「くっ……」
谷口は体勢を崩しかけながらも、おっつけるように打ち返した。
パシッとボールを捉えた音。右方向へライナーが飛ぶ。しかしセカンド伊予がジャンプ一番、打球をグラブに収める。
「しまった。やはり、あのボールか」
渋い顔でつぶやき、谷口は引き返す。その時、ネクストバッターズサークルより打席へ向かうイガラシとすれ違う。
「イガラシ、ちょっと」
谷口は、後輩に声を掛けた。
「さっきの速いカーブだが……」
はい、とイガラシはうなずく。
「ミートするのはカンタンじゃなさそうですね」
「うむ。あれを決めダマとして使われたら、ちとメンドウだ」
「しかし、なんとか打ち返してみます」
やや険しい顔つきで、イガラシは応える。
「あのカーブをさけようとすれば、やつらますます多投してくるはずです。そこに、高めの速球まで混ぜられたら、もっと攻りゃくがむずかしくなるでしょう」
「む。やつらを安心させないためにも、たのむぞイガラシ!」
「はいっ」
後輩は力強くうなずく。
「……ああ、それと」
谷口が話を付け足そうとすると、イガラシは「分かってます」と僅かに笑んだ。
「なるべく球数を投げさせて、ボールの組み立て方を探れ、でしょう?」
「あ、うむ」
よく分かってるじゃないか、と谷口は胸の内につぶやく。
「たしかにラクな相手じゃありませんけど」
表情を引き締め、イガラシは言った。
「あれくらいのピッチャーはゴロゴロしてるのが、甲子園ですからね。優勝をめざす以上、なんとしても打ちくずす手がかりを見つけなきゃ」
フフと笑んで、イガラシは踵を返した。
「さすがだな」
谷口は感心して、その背中を見送る。
―― 五番、ショートイガラシ君。
「た、タイム」
ウグイス嬢のアナウンスと同時に、キャッチャー沢村はアンパイアに合図して、マウンドに駆け寄る。
「分かってるな矢野、やつはおまえと同じ一年生だ。負けるんじゃないぞ」
「ええ……しかし予選じゃ、八割近く打ってるそうじゃありませんか」
「なあに、あのナリだ。たとえ打たれても、コースさえまちがえなけりゃ長打はあるまい」
「じゃあ、低めを打たせていけば」
「もちろん、それ一辺倒ではねらい打ちされるから、高めを見せ球にしてな」
「分かりました」
それだけ言葉を交わし、沢村は踵を返しポジションに戻る。
傍らで、イガラシは数回素振りした。ビュッ、ビュッ、と風を切る音。そして右打席に入ってくる。ほう……と、沢村はひそかに吐息をつく。
(こいつ。ナリに似合わず、鋭い振りをしやがる。高めのストライクは禁物だぞ)
サインを出し、ミットをインコース高めに構える。
(分かってるな矢野、ボールにするんだぞ)
マウンド上。矢野はサインにうなずき、第一球を投じてきた。要求通り、インコース高めの速球。イガラシは眉一つ動かさず、悠然とボールを見送る。
(ほう……まばたきすらしないとは。よほど速球には慣れてるようだな)
続く二球目。沢村は、ミットをさらに内側へとずらす。
(せめて上体を起こさせねえと)
矢野はワインドアップモーションから、再び速球を沢村のミット目掛けて投じた。しかし今度は、やや外へずれてストライクコースに入ってくる。
「し、しまった……」
沢村の視界の端で、イガラシは上体にバットを巻きつけるようにして、強振した。パシッと快音が響く。大飛球が、レフトのポール際へ吸い込まれていく。しかし僅かに左へ切れ、ファール。
「なんでえ、あと少しだったのに」
言葉とは裏腹に、イガラシはさほど悔しがる素振りも見せず、小走りに引き上げてくる。
「矢野! コースが甘いぞ」
沢村が叱責すると、矢野は「スミマセン」と頭を下げる。
(まったく……しかし、見事なバットコントロールだ。どうりで八割近く打つわけだぜ)
三球目と四球目は、縦のカーブを続けさせた。しかし、いずれも低く外れ、スリーボール。
(うーむ、ちと力が入ってるな)
沢村は手振りで指示を伝える。
「ロージンだ」
矢野はロージンバックを拾い上げ、しばし間を取った。ほどなく、沢村は次のサインを出し、ミットをアウトコース低めに構える。
(つぎはコレよ)
五球目。矢野はアウトコース低めに、あの速いカーブを投じた。イガラシははらうようにバットを出す。辛うじてその先端に当てた。ファール。
「く……あぶない。なんて鋭く曲がるんだ」
唇を歪めるイガラシ。一方、沢村も苦い顔になる。
(ファールとはいえ、うまく当てやがったな。カンタンには打ち取らせてくれないか)
六球目も速いカーブを、今度はインコースに投じた。イガラシは引っ張り、これもファールにする。
(くそっ、喰らいついてきやがるな)
マウンド上の矢野が、「どうします?」と言いたげな目を向けてくる。
(予定どおり、低めを打たせよう)
沢村はサインを出し、ミットをアウトコース低めに構えた。矢野はうなずき、ワインドアップモーションから第七球を投じる。
アウトコース低めの速球。イガラシのバットが回る。パシッ、と快音が響く。
「なにっ」
思わず沢村は声を上げた。低いライナーが、あっという間に一・二塁間を破る。
「や、やった!」
その瞬間、墨高の三塁側ベンチが沸き立つ。
「よし、甲子園初ヒットだ」
「さすがイガラシ。低めの速球にねらいをしぼって、うまく打ち返しやがった」
「うむ。あの低めは、どういうわけか少し球威が落ちるものな」
イガラシは一塁を回りかけて止まる。喜ぶ仲間達をよそに、ポーカーフェイスのままだ。
「さあ、つづけよ横井!」
ベンチよりナイン達が、次打者の横井に声援を送る。
「タイム!」
谷口はアンパイアに合図して、ネクストバッターズサークルの横井を呼び戻す。
「なんだい?」
「横井、バントはなしだ。ねらっていけ」
そう短く告げる。
「向こうのここまでの投球を見て、だいたい分かったと思うが。どうもボール先行になると、低めの速球でカウントを取りにくるようだ」
「う、うむ。しかしストライクが先行すると、あの速いカーブがくるぞ」
横井は渋い顔になる。谷口は「なーに」と微笑んだ。
「小さく曲がるカーブなら、片瀬のタマで練習してきたろう。あれに少しスピードを加えた感じだ。予測がついてりゃ、どうにかなるさ」
「わ、分かった」
やや戸惑いながらも、横井はうなずいた。
一方、沢村は再びマウンドに駆け寄る。
「スマン矢野。ちと、正直すぎたようだ」
「あ、いえ。しかし急な速球をきっちり打ち返してくるなんて、やはり並のバッターじゃありませんね」
「うむ、長打でなくて助かったよ」
「つぎはどうします?」
「なに。下位打線だし、今までどおりにやりゃおさえられるさ」
沢村はそう言って、ポンと後輩の背中を叩く。
「まだ一本打たれただけだ。自信を持っていこうぜ」
「は、はい」
先輩の励ましに、矢野は僅かに笑んだ。
3.甲子園初得点
沢村がポジションに戻り、マスクを被り直したタイミングで、ウグイス嬢のアナウンスが流れてくる。
―― 六番、レフト横井君。
横井は右打席に入り、バットを短めに構えた。
初球。矢野はセットポジションに着き、すぐに投球動作を始めた。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕をしならせる。
インコース高めの速球。横井は手が出ず、ストライクぎりぎりに決まった。
「は、はやい……」
横井は唇を歪める。
「スピードだけなら、村井や佐野とそう変わらないじゃねえか」
二球目。またも速球が、インコース高めに飛び込んでくる。横井はスイングするも、チップさせるのが精一杯。あっという間にツーストライクと追い込まれる。
「し、しまった。どうし……」
三塁側ベンチを振り返ると、谷口がサインを出した。
(え、エンドラン? なんとか喰らいつけってことか)
横井は一旦打席を外し、ぺっぺっと唾で両手を湿らせる。
(つぎはあのカーブがくる。せめて右方向へ転がさなきゃ)
そして打席に戻り、バットを構え直す。
「プレイ!」
アンパイアのコールを聞くと、矢野はすぐに投球動作へと移る。そして三球目を投じてきた。この間、一塁ランナーのイガラシがスタートを切る。
「き、きたっ」
読み通り、アウトコースへの速いカーブ。
横井はバットをはらうようにしてスイングした。ガッと鈍い音。一・二塁間へ緩いゴロが転がる。城田のセカンドは一瞬二塁を見たが、間に合わない。すかさず一塁へ送球しアウト一つを奪う。それでも進塁打となり、墨高はこの試合初めて、得点圏にランナーを置く。
「やれやれ。どうにか最低限のことはできたぜ」
苦笑いしつつ、横井はベンチに引き上げる。
「く……当てられたか」
沢村は渋い顔になる。
「けどまあ、ツーアウト目は奪ったわけだし。つぎをおさえりゃ問題ない」
ほどなく墨高の七番岡村が、右打席に入ってきた。こちらもバットを短めに握る。
(たしかこいつも一年生だったな。イガラシとちがってパワーはなさそうだが、身のこなしから見て、当てるのはうまそうだ)
初球。沢村は、インコース高めの速球を要求した。しかし矢野の投球は、沢村の構えるミットよりも高く外れてしまう。二球目も同様に、高めに浮いた。これでツーボール。
沢村がマスク越しに声を掛けると、矢野は二、三度深呼吸する仕草を見せた。
(初めてのピンチとあって、かたくなってるのかな)
ミットをアウトコース低めに構え、沢村は「さあ力を抜いて」と胸の内につぶやく。矢野はうなずき、投球動作へと移る。
要求通り、アウトコース低めの速球。岡村は左足を踏み込み、おっつけるようにスイングした。パシッと快音が鳴る。
(しまった、ヤマをはられた……)
速いゴロが、一・二塁間を抜けていく。
素早くスタートを切っていたイガラシが、三塁ベースを蹴りホームへと向かう。捕球したライトがセカンドへ中継。しかしセカンド伊予がボールを受けた時、イガラシはすでにホームベースへ右足から滑り込んでいた。
ライト前タイムリーヒット。墨高、一点差に詰め寄る。
沸き立つ三塁側ベンチとスタンド。その時、一塁側ベンチにて城田監督が立ち上がる。
「タイム! 沢村、矢野」
バッテリー二人を呼んだ。
「は、はいっ」
沢村と矢野は駆け寄り、監督の前で直立不動の姿勢になる。
「今のはヤマをはられたようだな」
監督の言葉に、沢村は「ええ」と唇を歪める。
「予選とちがって、向こうがなかなかボール球に手を出してくれないもので。かく実にストライクを取れるのが、アウトコースの速球だけなので」
「む。しかしそれを、やつらは気づき始めてるぞ」
「どうしましょうか?」
沢村の問いかけに、監督は「うーむ」としばし考え込む。そして口を開いた。
「こうなったら、ほかのタマも混ぜていくことだな」
「しかし際どいコースは、やつら手を出してきませんが」
「多少、四球でランナーを出してしまうのは、仕方あるまい」
渋面で、指揮官は答える。
「それに今のところ、向こうがねらいダマを絞れているのは、ボール先行した時だけだ。ストライク先行でいけば、多少ボール気味でも手を出してくれるだろう」
「ただそうなると、今度は初球からねらわれる可能性も……」
「どうした沢村」
監督は苦笑いした。
「そんな弱気で、おまえらしくもない。もともと、たった二点を守りきる想定じゃないだろう。なにせ相手は、あの谷原を破ったチームなんだからな」
「は、はい……」
「さあ二人とも。バックを信じて、思いきりいくんだ」
指揮官の励ましに、バッテリー二人は「分かりました!」と、声を揃えた。
「ボール、ハイ!」
インコース高めの速球が、また高く外れた。左打席の八番加藤が、これを見送る。
(うーむ。どうしても高めのコントロールが、イマイチだなあ)
ツーボール・ワンストライク。沢村は小さく溜息をつく。
(予選じゃ、相手が手を出してくれたんだが、甲子園ともなるとそうはいかんか)
ミットを真ん中低めに構え、「つぎはコレよ」とサインを出す。
(低めの速球はねらわれているからな。ちがうタマで様子を見るか)
矢野はうなずき、セットポジションから四球目を投じた。縦に大きく割れるカーブ。それがやや高めに入ってくる。
「しまった……」
そうつぶやいた矢野の眼前で、加藤のバットが回る。快音を残し、速いゴロが打ち返された。足下をすり抜け、二遊間を襲う。
「くわっ」
セカンド伊予が飛び付き、なんとグラブの先で捕球した。そのままベースカバーのショート烏丸へトスし、フォースアウト。
「フウ、どうにか切り抜けたぜ」
沢村は苦笑いして、ベンチへと引き上げる。
(よく喰らいついてくるな)
一塁側ベンチにて、城田監督はグラウンド上へ険しい眼差しを向けていた。
(データはなかったはずだが、早くもうちの弱点を見抜きつつある。この試合……ヘタすりゃ、ひどい目にあうぞ)
そして、傍らのナイン達へ声を掛ける。
「おまえ達、気を引きしめていけよ。相手は谷原を破ったチームだということを忘れるな。早くつぎの点を取らないと、ずるずると向こうのペースに引きこまれるぞ」
城田ナインは「は、はいっ」と返事した。
―― 監督の思惑とは逆に、この後城田打線は鳴りを潜めることになる。墨高のエース谷口のシュートをおりまぜた投球に、凡打の山を築く。
一方、墨高打線は城田バッテリーのボールを散らす苦心の投球に、ランナーは出すもののあと一本が出ず。
1-2のまま、試合は終盤七回をむかえたのである。
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