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<外伝>
第81話 新たなる挑戦!の巻
1.快進撃の余波
荒川近くの下町は、朝から真夏の日差しが厳しい。時折チュンチュンとスズメが鳴いている。
谷口宅の茶の間では、父が朝食の味噌汁をすすりながら、新聞を広げていた。紙面には「初出場の墨高ベスト8進出!」「九回裏二死無走者からの劇的逆転勝利!!」の見出しとともに、試合後スタンド前で挨拶する墨高ナインの写真が掲載されている。
「見ろよ母ちゃん」
傍らでご飯をかきこむ母に、父は紙面を見せる。
「タカのやつ、えれえことをやっちまいやがったよ」
あれま、と母は目を見開く。
「こんなに大きく新聞にのっちゃって。やっぱり甲子園てのは、そんなにすごいのかい」
「あたりめえよ。なんたって毎年夏の風物詩だし、全国の高校球児にとって憧れの舞台だからな。そこで初出場にしてベストエイト入りつうんだから、いまやタカ達は世間の注目の的ってわけよ」
「そうかい」
母が珍しく感慨深げな目をした。
「気づけばあの子、ずいぶん遠いところに行っちまったんだねえ」
「おうよ。おれ達のセガレも、いまや立派な男だぜ」
そう言って、父は紙面を読み進めていく。
「ふむふむ、準々決勝は明日か。こりゃまた、昼間から大っぴらに酒が……」
ゴチン、と母のゲンコツが飛ぶ。
「調子にのるんじゃないよ。このヨッパライが!」
「オチー、すぐ手が出るんだから。このカンシャク女め」
「なんか言ったかい?」
母に睨まれ、涙目の父は「な、なんでもありましぇん」と笑ってごまかす。
―― この日、甲子園球場では第一試合の後、準々決勝の組み合わせ抽選が行われた。
抽選の結果、墨高は東海の強豪にして優勝候補の一角・中陽(ちゅうよう)との対戦が決まった。
昼下がり。墨高ナインは大阪市内にて、移動のバスの車中にいた。
「みんな、きのうの疲れはないか?」
前方の席より、キャプテン谷口は振り返り、ナイン達に声を掛けた。
「なーに平気さ」
横井が笑って答える。
「午前中、ゆっくり過ごさせてもらったし」
「む。そういや昨晩、田所さんには参ったよな」
隣の席で、戸室が呆れ顔で言った。
「夜分遅く旅館に電話をかけてきて、一人一人かわれ、だってさ」
丸井が後列でプクク、と可笑しそうに肩を揺する。
「かなり興奮した様子でしたものね」
「しかしあの人、あんな調子で電気屋の仕事はまともにこなしてんのかね」
横井の言葉に、倉橋が「まあそう言うな」と、たしなめるように言った。
「おれ達がここまで来られたのも、あの人の数々の支援あってのものだ。そこは忘れないようにしねーと」
「それはそうだな」
横井は素直に認める。
「田所だけじゃないぞ」
ふいに最後尾の席より、部長が発言した。
「おまえ達の活動費、その他もろもろの経費は、すべてOB会を始め本校卒業生、近隣住民の方々といった、多くの人達の寄付金によってまかなわれておる。ちゃんと感謝の気持ちを持たないとな」
ナイン達は「はいっ」と、声を揃える。
バスはさらに大阪市内を走り続けた。真夏の日差しが降り注ぐ繁華街を、人々が汗を拭いながら行き交う。
「それにしても。強豪の聖明館をやっとかっと倒したと思ったら、つぎは優勝候補の一角、中陽と当たるハメになるとはな」
横井が溜息混じりに言った。たしかに、と戸室が同調する。
「たしか中陽のエース野中は、西将(せいしょう)の竹田や箕輪(みのわ)の東と並んで、大会屈指の好投手として名高いやつだろう」
半田が「そうですね」と相槌を打ち、手元のメモ帳を広げる。
「後でくわしく説明しますが、野中投手は速球と多彩な変化球を武器に、ここまでの三試合わずか一点におさえています」
「そういや中陽は、昨夏今春と連続して甲子園に出てるんだっけ?」
倉橋の質問に、片瀬が「ええ」とうなずく。
「今大会で三季連続の出場となりますね。しかも昨夏は四強、今春は八強で敗れてますから、今回はまちがいなく優勝をねらっているはずです」
谷口はもう一度ナイン達を振り返り、「スマン」と苦笑いする。
「抽選で避けられればよかったんだが……」
「なに言ってんだよ」
真顔で口を挟んだのは倉橋だ。
「全国大会のベストエイトなんだぜ。ラクな相手なんて残ってるはずねーよ。どこが来ても、そう大差ないだろうぜ」
「倉橋さんの言うとおりですよ」
イガラシが言葉を重ねた。
「どっちみち優勝をねらうのなら、いずれ倒さなきゃいけない相手ですからね。日程も詰まってきますし、余力のある状態で戦えるのは、むしろラッキーじゃありませんか」
隣で、井口が「ハハ」と呆れ笑いを浮かべる。
「あいかわらず、おまえは強気だな」
「しっかし、まあ倉橋じゃないけどよ」
ふと横井が、吐息混じりに言った。
「自分でも不思議なんだが、正直もうどこが相手と聞いても、さほど気持ちが波立たないんだよ」
「おれも同じです」
後列より、島田も発言する。
「いぜんなら中陽のようなチームと対戦となれば、少なからず動揺してたんですけど、いまはみょうに落ちついていられます」
「それはきっと、慣れじゃないスか」
イガラシが僅かに笑みを浮かべて言った。
「これまでだって、ぼくらは名のあるチームをいくつも破ってきたじゃありませんか。そうして、いまここにいるんですから」
む、と横井がうなずく。
「言われてみりゃ、そのとおりだな。おれ達もっと自信を持っていいんでねえの」
三年生の言葉に、周囲から「ああ」と、同調する声が聞かれる。
一連の光景に、谷口は「へえ」と目を丸くする。
(きのうの試合を乗りこえて、やはりみんな、どこか雰囲気が変わったな)
その時、チョンチョンとユニフォームの袖をつつかれた。
振り向くと、すぐ後ろの席で、丸井が怪訝そうな目を向けている。
「どうしたんスか、そんな狐につままれたような顔して」
「いや……なんでもない」
谷口は微笑んで答えた。
ほどなくバスは繁華街を抜け、この日の練習場所となる大阪市郊外の運動公園へと差し掛かる。
「なんだありゃ」
窓の外の光景に、丸井は目を見開いた。他のナイン達も同様の反応をする。
公園周辺には、人だかりができていた。
「すげえ人だな」
倉橋が呆れたふうに言った。
「ひょっとして、有名歌手のコンサートでもやるんかな」
暢気そうにつぶやいたのは鈴木だ。バカいえ、と丸井が突っ込む。
「もしそうだとしたら、前もって知らされてるはずじゃねえか」
ざわめく車内。そのうち丸井が「あり」と、つぶやく。人々の視線は、どうやら自分達に向けられているらしかった。
「まさか目当ては、おれ達?」
やがて見物人の一人が声を上げた。
「見い、墨谷ナインや」
そして周囲から拍手が沸き起こる。
「きのうの逆転勝ち、すごかったで!」
「うむ。ツーアウトからの逆転ホームラン、ありゃしびれたわあ」
「しかも初出場校の中で、唯一ベストエイトに勝ち残うとる。ほんま大したもんや」
そんな会話も聞こえてくる。
「ほえー」
丸井がすっとんきょうな声を発した。
「おれっちらいつの間にか、こんなに有名になってたのだ」
傍らで、加藤が「む」とうなずく。
「今朝の新聞にも、きのうの試合のこと、大きくのってたものなあ。いまやうちは、大会の注目チームの一つってわけだ」
観衆の中を通り抜けるようにして、バスは公園内の駐車場に停車した。そして墨高ナインは道具を運び出し、グラウンドへと移動する。その間も、数人から声援が飛ぶ。
「墨谷、がんばりやー!」
「応援しとるで。このまま優勝や!!」
鈴木と二人でベース入りの籠を運びながら、丸井は「ハハ」と苦笑いする。
「優勝だって。そりゃいくらなんでも、ちと気が早くねえか」
「まあいいじゃない、それだけ期待されてるってことで」
相変わらず鈴木は暢気そうだ。
「じっさい、もう甲子園のベストエイトまで来ちゃったわけだし。おれ達ひょっとすると、ひょっとしちゃうかもよ」
「バーロイ。そんな簡単に言うんじゃねえよ」
丸井は青筋を立てて言った。
「倉橋さんも言ってたが、ここまで残ったチームはすべて強敵ぞろいだ。おまけに準々決勝以降は、休みなしで試合をこなさなきゃいけないんだぞ。そんな甘かねえよ」
「なんだ丸井。おまえ弱気になってるのか?」
「んなわけあるか。おれは、現実ってもんの話をしてるの!」
突っ込む鈴木に、ムキになる丸井。すると先にグラウンド入りした谷口が振り返り、声を掛けてくる。
「丸井、鈴木。なにをモタモタしてるんだ! すぐ練習を始めるぞ」
丸井は「あ、すみません」と頭を下げた後、鈴木に向き直りギロッと睨み付ける。
「こんにゃろ。テメーのせいで」
ほどなく、ナイン達はグラウンドで輪になり、ペアを組んでストレッチを始めた。
丸井は土の上に長座し、そっと足を開く。そしてペアを組んだ横井に「あ、あまり強く押さなくて大丈夫スよ」と引きつった顔で言った。
「なーに。遠慮すんなって」
横井は右こぶしを左手でポキポキと鳴らし、ぐいっと丸井の背中を思い切り押す。
「ギャーッ!!」
丸井の悲鳴が響き渡る。隣で、倉橋が呆れたふうに言った。
「あいかわらず、体かてえのな」
倉橋とペアを組む谷口は、くすっと笑う。そして他のナインへ声を掛ける。
「みんなもケガしないように、しっかりほぐすんだぞ」
はいっ、とナイン達は応えた。そして各々ストレッチを行う。
その後、墨高ナインは前後左右の間隔を空け二列になり、キャッチボールを始めた。「へいっ」「よしこい!」と掛け声が飛び交う。
しばし続けた後、谷口は「高橋! 鳥海!」と一年生のペアを呼ぶ。
「無造作に投げるんじゃない。スナップを利かせて、指先でボールを切るようするんだ」
「は、はいっ」
「これは他の者にも言えることだぞ」
今度は全員を見回し、谷口は話を続けた。
「練習で基本をおろそかにして、試合で急にできるはずないからな! どんな時でも基本を忘れるんじゃないぞ」
ナイン達は「ハイ!」と声を揃える。
その間も、グラウンドの周囲を見物人がずらっと取り囲んでいた。
「なるほど。基本を大事にね」
また見物人の一人が言った。
「あのキャプテンええこと言うわ」
「それより見いや、あいつらの様子」
別の見物人が、感嘆の声を発す。
「これだけの観衆に見られとるいうのに、ちいとも動じてへん。ベストエイトまで勝ち残った自信やろな。どいつもこいつも堂々としとる」
「言われてみれば、そやなあ。とても初出場のチームとは思えへんで」
見物人達の前を、白球が左右に飛び交う。ビュ、パシッ、ビュ、パシと、ボールが風を切る音、グラブで捕球する音が交互に聞こえる。
「墨谷って小兵のイメージやったんやが、気のせいやろか」
一人が言った。
「やつら、ずいぶん大きく見えへん?」
「む。だいぶカンロクついてきたで」
別の見物人が答える。
「昔からよく言うやろ、甲子園は選手を一回りも二回りも大きくするって。まして強豪をいくつも倒してきたチームやで。いままさに成長中といったところやないか」
周囲の声をよそに、墨高ナインは淡々と練習を進めていく。キャッチボールの次は、ベースを並べて全員が守備位置に着き、シートノックを始めた。
キャプテン谷口自らがノッカーを務める。
「いくぞ。サード!」
カキッと小気味よい音。三遊間に飛んだゴロを、サードに着いた岡村が軽快にさばき、一塁へ送球する。
「つぎ、ショート!」
谷口の掛け声に、横井が「オウッ」と応えた。その斜め後ろにイガラシが控える。
カキッ。二塁ベース左に飛んだゴロを、横井は回り込み正面で捕球した。そしてすかさず一塁へ送球する。
「もういっちょ。ショート!」
同じく二塁ベース横へのゴロを、今度はイガラシが回り込んで捕球した。そして一塁へ矢のような送球。バシッ、とファースト加藤のミットが鳴る。
「ほほう。見事なもんや」
「守備はどこの常連校と比べても、見劣りせえへんで」
見物人から感嘆の声が上がった。
(初のナイター試合の翌日だが、思ったよりみんな動きはいいな)
ノックを続けながら、谷口は胸の内につぶやく。
(これなら明日も、ほぼベストコンディションで臨めそうだ)
その後もグラウンド上では、カキッカキッという打球音、ナイン達の「へいへい」「さあこい!」という活気ある声が飛び交う。
やがて時間が過ぎ、大勢いた見物人もまばらになっていく。
「谷口、そろそろ」
傍らの倉橋に声を掛けられ、谷口は「そうだな」とうなずく。そして他のナインに「集合!」と声を掛けた。
墨高ナインはグラウンド隅の木陰の下へ移動し、車座になる。
「やれやれ。ようやく静かになったぜ」
横井が苦笑いして言った。む、と隣で戸室が同調する。
「注目されるのは悪い気はしないが、これだけ人目があると、おちおちミーティングもできないからな」
風が吹き、ナイン達の頭上の木の葉がザワザワと揺れる。ミーンミーンとセミの鳴き声がひっきりなしに聞こえてくる。
「じゃあ谷口、たのむよ」
「うむ」
倉橋に促され、谷口が口を開いた。
「対戦相手のことを話す前に、最大あと三試合と考えて、投手陣のローテーションを決めておこうと思う」
そして投手陣一人一人と目を合わせ、登板予定を伝える。
「まず明日の準々決勝だが、先発は井口。その後はおれが継投する。いけるか井口?」
「もちろんっス。まかせといてくださいよ!」
井口は鼻息荒くして答えた。
「ああ。それから翌日の準決勝は、先発が松川。リリーフはイガラシでたのむ」
松川は「分かりました」と神妙な顔で返事をし、イガラシは「はい」とポーカーフェイスでうなずく。
「そして最後の決勝は、おれも含めて疲労の少ない者から、順に投げていく」
谷口はそう告げて、今度は全員を見回す。
「投手陣だけじゃない。野手陣も、レギュラーだけでなく控えの者も、いつ出番が回ってきてもいいように準備しておいて欲しい。これからさらに相手も強くなるし、おまけに決勝まで連戦になる。この厳しい戦いを、チーム全員で乗りこえるんだ。いいな!」
キャプテンの檄に、ナイン達は「オウヨッ」と快活に応えた。
「さて」
やや声をひそめて、谷口はちらっと周囲を見やる。もうほとんど見物人の姿はない。
「つぎは、いよいよ準々決勝の相手・中陽の対策について話し合おう。半田」
「あ、はい」
名前を呼ばれた半田は、ユニフォームの尻ポケットから手帳を取り出し、立ち上がる。
「まずはみなさんもご存じ、中陽のエース野中について説明します。彼の特徴は……」
墨高ナインの頭上には、夏の青空が広がっている。白い雲がゆっくりと移動していく。
2.チームの成長
とある高校のグラウンド。こちらも周囲を大勢の見物人が取り囲んでいる。その視線の先では、中陽ナインがフリーバッティングを行っていた。
「つぎも、まっすぐいくぞ」
「よしきた。さあこい!」
選手が一人ずつ打席に立ち、打撃投手の投じた速球を鋭いスイングで打ち返す。カキッという打球音の数秒後、外野の金網の上部にガシャンと音を立ててボールが当たる。
「さ、どんどんこい」
「おうよっ」
カキッ、ガシャン。カキッ、ガシャン。打ち返された打球は、そのすべてが当然のように外野の金網を直撃した。球拾いに回っている他の野手陣は、ボールを目で追うだけで、ほとんど足を動かすこともできない。
「ひゃあ。さっきから誰が打っても、ずっとこないな調子や」
見物人の一人が言った。
「さすが優勝候補と言われるチームやなあ。ピッチャーばかり注目されとるが、打線もかなりの破壊力やないの」
「お、おい。見てみいや」
別の見物人が、グラウンド隅を指差す。
「その注目エースのお出ましやで」
そこには長身の中陽エース野中が、正捕手の小山を伴い立っていた。
野中はその場にこしらえたマウンドを、しばしスパイクで均す。ほどなく相棒の小山が正面で屈み込むと、白球を右手に「いくぞ」と声を掛けた。
「おう。さあこい!」
小山は力強く応え、ミットを構える。
野中は振りかぶり、力強いワインドアップモーションから右腕を振り下ろす。シュッと風を切る音。快速球が小山のミットをピシッと鳴らす。
おおっ、と見物人達がどよめく。
返球を受けた野中は、続けてカーブ、シュート、ドロップと投げ込んでいく。いずれも鋭く曲がり、落ちた。
「さすが評判の野中や」
「せやな。速球のノビ、変化球のキレ、どれも一級品や」
見物人達は口々に感想を述べる。
「当然やろ。なにせやつは、昨夏から甲子園で鳴らしとるからな。しかも大会後にはドラフト指名も確実視されとるちゅう話やし」
「む。つぎの相手は墨谷やが、いくらやつらに勢いがあるゆうても、この野中を打ちくずすんはちと難しいやろな」
周囲の声をよそに、野中はフフと笑みを浮かべ、自信たっぷりな顔で次の一球を投げ込む。またピシッ、とミットが迫力ある音を立てる。
(調子はいい。つぎは完封できそうだな)
一方、キャッチャーの小山は、どこか冴えない表情だ。すぐに返球しないので、野中が「おいボール!」と声を掛ける。
「あ、わりい」
小山は苦笑いして返球した。野中は訝しげな顔になり、マウンドを降りて相棒のところへ駆け寄る。
「どしたい小山。そんな浮かない顔しちゃってよ」
「う、うむ。つぎの対戦相手なんだが」
「墨谷のことか?」
「そうだ」
他のメンバーがフリーバッティングを続ける中、二人はホームベース手前でしばし話し込む。
「想定じゃ、準々決勝以降は名の知れた強豪と戦う腹づもりだったからな。まさか初出場のチームと当たるとは」
「それがどしたい。むしろラッキーじゃねえか、前評判の高い相手を避けられて」
「む。フツーに考えりゃ、そうなんだが」
声をひそめて、小山は話を続ける。
「やつらのここまでの勝ち上がりを見たら、なんとも得体の知れないチームに思えてしかたねえんだ。予選であの谷原を倒したうえ、三回戦じゃこっちがマークしてた聖明館を土壇場でうっちゃったりしてな」
「たしかにきのうの試合は、おれも驚いたが」
「ああ。ひょっとしてやつら、想像以上に手ごわい相手なんじゃ」
「だとしてもだ、小山」
エースはきっぱりと言った。
「おれがほんらいの力を出しさえすれば、そうそう点を取られることはない。それはおまえもよく知ってくれてるじゃないか」
「うむ、それもそうだな」
小山の表情が、少し和らぐ。
「なあ小山。ここまできて、ジタバタするこたあねえよ」
野中は力強い口調で、軽く右こぶしを突き上げる。
「自分達の力を信じて、今度こそ全国優勝を手にしようじゃないか」
小山はうなずき、短く「よしきた」と応えた。
翌日。甲子園球場内のロッカールーム近くの通路に、墨高ナインの姿があった。制服姿で二列に並ぶ彼らの眼前で、白いポロシャツの球場係員が、先に試合を終えたチームの選手達を誘導している。
「さ、急いで。つぎのチームが来てる」
係員が声を掛ける選手達の背中は、うなだれていた。中には涙をこぼす者もいる。
「いつも思うんだけどよ」
ふと横井がぽつりとつぶやく。
「おれ達も、負けたらあんな……」
「ば、バカ言うな」
隣の戸室がたしなめるように言った。
「縁起でもねえ。おれたちゃ、これから試合なんだぞ」
「そりゃ分かってるけどよ」
横井は僅かに笑みを浮かべる。
「気づけばこのチームで戦えるのも、多くてあと三試合。おれ達の夏も、かく実に終わりに近づいてるんだよな」
三年生の感慨深げな言葉に、束の間ナイン達は押し黙る。その時だった。
「おーい!」
後方から呼ぶ声に、ナイン達は振り向く。あ、と谷口は小さく声を発した。中学時代より馴染みの新聞記者・清水が初老のカメラマンを伴い駆け寄ってくる。
「やあ谷口君。都大会決勝の時以来だね」
清水は眼鏡を直しつつ、話しかけてきた。
「ど、ドウモ」
谷口は制帽を取り、軽く会釈する。
「試合前にすまないが、少し話を聞かせてくれないか?」
「ええ。どうぞ」
返事すると、清水は素早くメモ帳とペンを取り出し、質問を始めた。
「都大会優勝も十分快挙だったが、この甲子園でも勝ち進んでベストエイト入り。ここまで来れた要因はなんだと思う?」
「それは……あの、みんなでがんばったからだと思います」
お決まりの返答に、清水は「あら」とずっこける。傍らで、倉橋がくすっと笑う。
「な、なるほど。ただ都大会の時は、対戦相手のデータを集めて優位に試合を進めることができたけれど、甲子園ではなかなか難しかったはず。そこは、どうしてきたのかい?」
「おっしゃるように、データ収集がしづらいのは、都大会とちがう甲子園の難しさですね」
やや表情を引き締め、谷口は話を続けた。
「しかしいまでは、試合中に相手を観察して特ちょうを探るということもしていますし、相手がどうこうより、まず自分達の力を出すという戦い方もできます。その点は、都大会の時と比べてチームの成長を感じています」
「ほう。チームの成長、ね……」
相手の言葉を反すうしつつ、清水はさらさらとペンを走らせる。
「じゃあ最後に、今後の戦いへ向けての意気込みを聞かせてもらえるかな?」
そうですね、と谷口は束の間うつむき加減になる。
「こ、ここまで来たら……どのチームにも最後まで勝ち残るチャンスがあるわけですから」
「ふむふむ」
清水は一旦ペンを止め、谷口の返答を待つ。
「チャンスがあるから、なんだい?」
谷口は顔を上げ、明らかに照れた表情で答えた。
「あの……が、がんばります」
またもお決まりの言葉に、ナイン達は「あーあー」とずっこける。
やがて球場係員が、こちらに振り向き声を掛けてきた。
「墨高のみなさん、お待たせしました。どうぞ中へ」
「あ、はい。ありがとうございます」
谷口は係員に返事した後、もう一度清水に顔を向け会釈した。
「それじゃあ」
「む。がんばりたまえ」
清水とカメラマンの眼前で、墨高ナインはロッカールームへと入っていく。
「がんばる、がんばる、か」
カメラマンが呆れたふうにつぶやく。
「彼はあいかわらずだな。初出場でベストエイト入りしたのは立派だが、これじゃ先が思いやられる」
「フフ。分かってないな」
笑みを浮かべ、清水は得意げに言った。カメラマンはムッとした顔になる。
「なにが、分かってないって?」
「あの控えめな谷口君が、はっきりと口にしたじゃないか。最後まで勝ち残るって」
清水の言葉に、カメラマンは「あっ」と口を半開きにする。
「彼がそう言ったからには、自分達にもそのチャンスがあると、十分な手応えをつかんでいるはずだよ」
谷口と墨高ナインのいなくなった通路の奥を眺めつつ、清水は目を細める。
「どうやら今日の試合、おもしろくなりそうだ」
清水の取材から約一時間後。谷口率いる墨高ナインは、三塁側ベンチ前に整列していた。
一方の野中、小山擁する中陽ナインも一塁側ベンチ前で整列を済ませ、試合開始の時を待っている。
ほどなくバックネット下の扉が開き、アンパイアを中心に四人の審判団が出てきた。
「両チーム、集合!」
アンパイアが右手を掲げ、コールする。
谷口は列の先頭で、他のメンバーに声を掛けた。
「よし。いくぞ!」
「オウッ」
キャプテンの掛け声と同時に、ナイン達は一斉にグラウンドへと駆け出した。
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