南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

町田ゼルビアのサッカーが正当に評価されないうちは、日本サッカーが強豪に登りつめることはない

 

1.町田ゼルビアへの論理的でない批判

 

 J1昇格を果たしたばかりの町田ゼルビアのサッカーが、一部サッカー関係者及びファンから批判を浴びているらしい。

 

 私は鹿島アントラーズのファンではあるが、そこまでサッカーに詳しいわけではない。また、当該試合をYoutubeのハイライトでしか見ていないので、明確な分析ができるわけでもない。

 

 ただ、巷で散見される町田への批判には、どうしても違和感を覚えてしまう。

 

 まあ何度か見られた町田の荒いプレーが批判されるのは、自チームの選手が怪我するかもしれないので、分からなくはない。分からないのは、町田の「ロングスロー」や「時間稼ぎ」(?)まで、批判の対象にされていることだ。

 

 私は野球ファンでもあるが、サッカーにおいてロングスローや時間稼ぎを批判するのは、野球で言うと敬遠や送りバントを批判するのと同じだと思う。

 

 いや――町田のロングスローや時間稼ぎが“勝つために効果的ではない”という意見なら、まだ議論の余地がある。

 

 だが私の見聞きした限りでは、“卑怯”だとか“アンチフットボール”だとか、よく言えば美学的に、悪く言えば論理的でない文脈での批判が目立つ。

 ファンならまだいい。しかし、中には日本代表経験もある元選手までもが、町田のプレーに対し「ちゃんとサッカーしようよ」などと揶揄するような発言も見られた。

 

 こんな批判が「正論」として括られるうちは、日本サッカーが強豪の地位まで登りつめることはないだろう。

 

 

2.“きれいな絵を描くこと”に囚われがちなサッカーの落とし穴

 

 もちろん野球関係者やファンだって、送りバントや敬遠を批判することもある。

 だがその内容は、例えば「なぜチームの首位打者にバントさせたのか?」とか「なぜ今日当たっていない四番を敬遠して五番と勝負したのか」といった、要するに“その作戦が勝つために効果的だったのか”という文脈であって、作戦自体を否定することは少ない(高校野球松井秀喜の全打席敬遠が騒ぎになったこともあるが、それはもう昔の話)。

 

 ロングスローや時間稼ぎも、サッカーにおける作戦の一つであって、それ自体に良し悪しはないはずである。繰り返すが、本来は“勝つために効果的だったかどうか”という文脈で語られるべきではないか。

 

 なぜサッカーが「勝つための合理性」ではなく、論理的でない美学的な文脈に語られることが多いのかというと、一つ一つのプレーがほぼオートマティック化されている野球と比べ、サッカーは選手達の共通の絵を描くことによってプレーを作り出す、言うなれば創造的なスポーツだからだと思う。

 

 どうせ絵を描くなら、誰しもきれいな絵を描きたいと思うだろう。だから見栄えの良さを求めたくなるのだが、そこにサッカーというスポーツの落とし穴がある。

 

 きれいな絵を描こうとするのは悪いことではない。しかしサッカーも他のスポーツと同様、相手がいて初めて成立する。

 

 相手は自分達が絵を描こうとするのを邪魔してくるわけだから、そう簡単に理想の絵は描けない。あるいは、自分達にとっての理想の絵が、相手を倒すために最適なのかどうかは、また別問題である。

 

 ロングスローや時間稼ぎは、確かにきれいな絵ではないかもしれない。だがそれが“勝つために効果的”であるならば、それも一つの絵の描き方だとして認められなければならないはずだ。

 

 

3.「勝つための合理性」が足りない日本サッカー

 

 町田ゼルビアの件だけではない。日本サッカー界には、どうも「勝つための合理性」という考え方が足りないように感じる。

 

 もっと「勝つための合理性」を追求する世界なら、あれだけ海外で活躍する主力選手を多く抱えた代表チームをアジア杯準々決勝で敗退させた監督(しかも選手から戦術のなさに不満が多数挙がっている)を平然と続投させることはしないはずだし、野球における阪神岡田彰布監督やオリックス中嶋聡監督のような知将・名将といわれる日本人指導者が、サッカー界にもっと現れてもおかしくないはずだ。そう、それこそ黒田監督のような。

 

 町田のサッカーが認められないということは、日本サッカーでは依然として「勝つこと」よりも「見栄えの良さ」が重視される傾向があるということである。(しつこいようだが)野球に置き換えると、これは“ホームランかクリーンヒットでしか点を取っちゃいけない”と言っているのと同じだ。

 

 こんな調子じゃ、日本サッカーはいつまで経っても、強豪にまで登りつめることは到底できまい。