南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

補足:サッカー日本代表への“最終提案”4つのキーワードに関して ~ “チーム作り”ということを忘れてはならない ~

人気ブログランキングへ  ※スポナビ+より転載

 前回のエントリーを以て、当ブログのスポーツナビ+における最終投稿とする予定だったが、読み返して不十分な点があると感じたので、少し補足させていただきたい。

 この文章の趣旨は、サッカー日本代表(注:日本サッカーではない)に形作って欲しいスタイルとして、4つのキーワードを挙げたことである。前回と重複するが、再度記載する。

 ①チャレンジ(挑戦):世界の強豪に臆することなく立ち向かう姿勢は、今後も不可欠。

 ②ユニット(団結):選手全員の意思統一が図られ、一体感があることは、良いチームの条件。

 ③フェア(公正):アグレッシブさは必要だが、ラフプレーはいらない。

 ④インテリジェンス(知性):強豪と渡り合うには、知性で上回るしかない。

 記事を投稿した後、上記4つの内容に対して批判的なコメントが寄せられた。特に②の「ユニット(団結)」に関しては、“昭和の匂い”“部活の延長線上”と切り捨てておられた。反対意見はむしろ歓迎するのだが、一読して、この方は「チーム作り」という視点を持っておられないと感じた。

 私はここで、意図的に「チーム作り」という表現をしている。

 では、「チーム」とは何か。スポーツライターとして著名な藤島大氏は、ネットコラム「友情と尊敬」の記事の中で、次のように述べている――監督が選手の能力と個性を把握、くっきりとした大枠のもと鍛練を続け、ひとつずつ段階を積み上げながら、大局的には「構成員が信頼で結ばれている」集団を示す(第84回「走って結束」より)――と。

 藤島氏が「くっきりとした大枠のもと鍛練を続け、ひとつずつ段階を積み上げながら」と書かれているように、チームとは“作っていくもの”なのだ。優れた選手を集めただけでは、チームにはならない――それは単なる“寄せ集め”だ。そこで一緒にトレーニングしたり、互いにコミュニケーションを図ったり、といった過程を経て、少しずつチームは作られていく。

 コメントを書かれた方は「理詰めの守備とフィジカルでの肉弾戦、個の輝きからの勝利」を求めておられるそうだが、「理詰めの守備」にしても「フィジカルでの肉弾戦」にしても「個の輝き」にしても、そこに“チーム”がなければ望むべくもない……ということに考えが至っておられるだろうか。

 海外の名門クラブで、有名選手が本来の力を発揮できないというケースは枚挙に暇がない。背景を探っていくと、選手間あるいや選手と指導者との軋轢が生じており、選手個人というよりチーム自体に問題があるということも多い(本田圭佑が所属していた頃のACミランは、まさにチームの体を成していなかったと想像される)。

 そして、正しくチームが作られているかどうかを示す基準が、②の「ユニット(団結)」がどれくらいのレベルにあるかという指標である。

 先に言っておきたいのだが、いわゆる体育会的な“シゴキ”“上下関係”“精神論”といったものを嫌悪したくなる心情は、よく理解できる(そんなものは、私だって大嫌いだ)。だが、ここで言うユニット(団結)とは、そんな表面的なものではない。

 ユニット(団結)の説明として、私は「選手全員の意思統一が図られ、一体感があること」と書いた。何気ない記述のように思われるかもしれないが――選手全員の「意思統一」が図られており「一体感」がある――これこそ、私の考える“チームが完成している状態”だ。

 サッカーにおいて「意思統一」を図ること。これがどれだけ難しいかは、日本サッカーの歴史を辿っていくと、容易に見えてくるはずだ。あのドイツW杯のオーストラリア戦、小野伸二投入後に選手個々人がバラバラの判断をしてしまい、そこから悪夢のような3失点を喫したこと。後に「ドーハの悲劇」と言われた、あのイラク戦――リードを奪ってからの時間の進め方を誤り、終盤にショッキングな同点弾を浴びてしまったこと。

 ここまで結果に直結しなくとも、サッカーにおいて「パスか・シュートか」「縦パスか・横パスか」「上がるのか・下がるのか」「つなぐのか・蹴り出すのか」「単独突破するのか・味方に預けるのか」といった判断が、常に問われる。

 W杯に出場する、国内最高クラスの選手達の集団でさえ、バラバラの判断をしてしまうことがあるのだ。したがって「意思統一を図る」こと、つまりユニット(団結)のレベルを上げていくことは、チーム作りにおいて重要、というより不可欠な作業なのだ。

 ユニット(団結)のレベルが低ければ、当然ながら選手個々のパフォーマンスも落ちる。

 フィジカルでの肉弾戦? 意思統一の図れていないチームなど、わざわざ肉弾戦を仕掛けるまでもなく、綻びの大きい部分を突けば簡単に点が奪える。個の輝き? コンビネーション皆無の単騎突破だと分かれば、簡単に潰せる。理詰めの守備? それこそ意思統一と、仲間への信頼がなければ成し得ない。……意地悪な書き方になってしまったが、これがサッカーの“現実”なのだと思う。

 もう一つ、前回のエントリーに補足したいことがある。

 戦術を選手達に植え付けていく作業の過程で、私は「(アジア予選突破までは)従来の通り“ポゼッションサッカー”主体でチーム作りを進め、アジア予選終了後に“カウンターサッカー”へと切り替えを図る」という流れで進めていくことを提案したが、これではまだ抽象論の域を脱していないと反省した。そこで、いささか大胆ではあるが、もう少し具体例を挙げることとする。

 はっきり言おう――日本代表には、鹿島アントラーズ川崎フロンターレのサッカーをベースとした戦術を採り入れて欲しい。

 その根拠は、鹿島と川崎の「安定性」と「継続性」にある。両チームとも、毎年のように上位に付けており、かつ長年に渡りほぼ変わらないサッカーを展開している。すなわち選手が入れ替わっても、サッカーの質が大きく落ちないということが期待できる。

 鹿島と川崎の試合を見ていると、そんなに特殊なサッカーをしているわけではない。特に鹿島は、ほぼセオリー通りのプレーの連続だ……相手がゴール前を固めればサイドからの突破を図り、片方のサイドに人が集まればサイドチェンジパスで揺さぶり、リードを奪えば敵陣でボールキープし時間を稼ぎ、相手が前掛かりになればカウンターのチャンスを伺う。そう、別に難しいことをしているのではない……だが、強い。

 しばしば勘違いされるのだが、「戦術の細かさ」と「強さ」は、必ずしも比例しない。鹿島に関しては「戦い方がずっと変わらないから、チームとしてブレがない」「誰が(試合に)出ても“鹿島は鹿島”」とよく言われる。川崎も、前線のアタッカーの個人能力を生かしたカウンターアタックの威力を、長年維持している。

 これこそ、チームとして“意思統一”がなされている状態である。

 同じ「Jリーグの強豪」であれば、全盛期のジュビロ磐田浦和レッズも当てはまる。ただ、鹿島や川崎との違いは、選手が入れ替わるとサッカーの質自体も大きく変わってしまう(どちらが優れているという意味ではない、念のため)。

 戦術はなるべくシンプルなものの方が、意思統一も図りやすい。国内組の選手だけでなく、海外組の選手もJリーグ出身者がほとんどだから、「鹿島や川崎のサッカー」と考えればイメージもしやすい。

 もっとも戦術を覚えたから、それで十分というわけではない。戦術を覚えることで身に着くのは、大まかに言えば“どのように”攻め、“どのように”守るのかということ。次に考えなければならないのは――“いつ”仕掛けるのか、“いつ”上がるのか、といった状況判断である。

 例えば、ブラジルやドイツのような強豪を相手にした時は、90分間ほとんどボールを支配されるという展開もあり得る。苦しい状況でも何とか攻め上がるタイミングを見出し、ここぞという時に仕掛ける。あるいは、リードを奪い残り時間が十数分程度となった時、どのように試合を終わらせるか……ボールキープして時間を稼ぐか、カウンターで追加点を狙いにいくか。

 こうした状況判断と、状況に応じて適切なプレーを選択できることこそが、③で挙げた「インテリジェンス(知性)」である。

 私は、この「インテリジェンス(知性)」こそが、サッカー日本代表に最も欠けている部分だと感じている。日本代表の試合を見ていると、攻める必要のない時間に攻め上がったり、ハイボールが有効な相手にショートパスをつないだり、といった状況判断の拙さが目に付くことが少なくない。

 その原因の一つとして、選手達が監督に指示された戦術を「消化(実行)することに精一杯」になっているということが考えられる。また、この「戦術理解に時間がかかる」という点が、新戦力の台頭を阻む要因にもなっている。

 だったら、なるべくシンプルな戦術にした方が良いと思う。その代わり、ピッチでの判断力を上げていく。戦術消化に時間を掛けるよりも、この方がスムーズに強化を進められるのではないだろうか。

 さらに付け加えておくと、強豪相手に苦戦を強いられている状況でも、リスクを冒して仕掛けなければならない時がある。その際に必要なのは、やはり①の「チャレンジ(挑戦)」の気持ちだ。判断と決断は、違う。チャレンジ(挑戦)の気持ちが、“今仕掛ける”という決断の支えとなる。

 さて……私は「どうすれば“勝てる”チームを作れるか」という視点で論じている。いわば“指導者の視点”に近い。

 なぜ“指導者の視点”とわざわざ書くのかといえば、一方で“観客の視点”での論じ方というものもあるからだ。視点が違えば、見る部分も変わってくる。だから、日本代表を“観客の視点”で論じている方とは、ほとんど話が噛み合わなないだろう。

 コメントの方は、明らかに“観客の視点”だ(それが悪いと言っているのではない)。この方は「チャレンジとかフェアとか、どうでもいいんですよね。ユニットとか知性とか興味ありません。おもしろいサッカー(攻撃だけでなく、守備を含めて)をして、とにかく勝ってくれ!」と書かれているが、観客の視点に立てば、確かにそうだろう。

 だが、“指導者の視点”に立てば、「勝つため」にユニットや知性、チャレンジが必要だと考える。そして「おもしろいサッカー」かどうかは、二の次だ。勝つための最善策を尽くして、“結果として”観客にも楽しんでもらえるような「おもしろいサッカー」で勝てたら上出来、というふうに思うはずだ。

 もっとも、私とて日本代表のチーム練習なり合宿なりを実際に見たわけではないから、なるべく“指導者の視点”で論じようとしても、限界はある。それでもピッチ上、日本代表の試合を見て、そこからどんな“チーム作り”を行ったのかを推察することはできる。こうして浮かび上がってきた様々な事象から、「これは重要だ」と思える要素をピックアップした。

 このような思考を経て、4つのキーワードを“抽出”した。……ここまで説明すれば、私が単なる思い付きで書いたのではないと分かっていただけるだろうか。

 もう一つ、具体例を出そう。これら4つのキーワードは、あるチームの試合ぶりをイメージした上で、考え出したものだ。もしかしたら、既にお気付きの方もいらっしゃるかもしれない。

 そう、南アフリカW杯の日本代表である。

 あのチームは、本大会においては最高レベルと言えるほど選手間の意思統一がなされており、また一体感もあった。試合中にシステムを修正する(デンマーク戦)知性もあった。また、ラフプレーで他国のサッカーファンから眉を顰められたという話も聞かない(フェア)。そして何より、監督の岡田武史自ら「ベスト4を狙う」と公言するチャレンジ(挑戦)の精神もあった。

 チームとしての完成度の高さは、後にも先にも、彼らを超えられた日本代表は存在しないだろう。守備的すぎてつまらない、との批判も聴こえたが、現時点で最も世界8強に近づいたあのチームを正当に評価できないようでは、日本サッカーは「どんなチームを作れば良いのか」さえ分からないだろう。

 あのチームを作り上げるために、岡田監督以下、コーチ陣やチームスタッフ、そして選手達がどのように力を尽くしたのか。その記録が、おそらくJFA内部には資料として残っているだろうが、日本サッカー界の“共有財産”として今後も活用して欲しい。確実に言えるのは――少なくとも南アフリカW杯の日本代表を超えられなければ、ベスト8の壁は破れないということ。

 ④のフェア(公正)については、機会を改めて論じたい。

 とにかく、私が日本代表のスタイルとして①~④のキーワードを挙げたのは、それらがいずれも“チーム作り”の根幹に関わるものであり、また“チーム作り”という視点を抜きにした「スタイルの構築」はあり得ない、と考えるからである。

 取り急ぎ……ここで文章を終えることとする。まだ論じたいことはあるが、それは回を改めて。