※2019.7.13にリライト(「第8位」を追加)しました。
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第10位――イロモノ的に扱われがちなだが、実は重要な分岐点
<vs金成中(谷口キャプテン時)>
選出理由1:記念すべき“あの男”の初出場試合
何と言っても、イガラシの初出場(もちろん初先発)試合であるということ。二度の青葉学院撃破、選手権優勝へと続く栄光の道も、すべてはこの一戦から始まった。
もっとも、この時のイガラシは、まだ幼い。試合前の金成中マネージャー(?)への対応から「短気な性格」だと見破られてしまうし、実際、思うようにいかない試合展開に苛立ち、「あいつらぶん殴ってくる」と口走ってしまう(丸井に窘められ、反省したが)。
それでも、すぐに気持ちを切り替え「丸井さんのためにも絶対打ってやる」と意気込み、その通りに長打を放ったシーンには、胸のすく思いがした。
この丸井とのやり取り場面、もしかしたらイガラシが初めて、野球において「他者に思いを馳せて」プレーした瞬間だったかもしれない。
それまでのイガラシは、「(試合に)勝ちたい」という思いばかりが先走ってしまい、他者の心情を考える様子が一切見られなかった。
(※ここで注意したいのは、だから「イガラシは自己中心的」だと評すのは違うということ。江田川戦でも、何だかんだ言いながらバット磨きを引き受けていた。
やはりイガラシは「勝利至上」であって、チームがそこに向かわない時、苛立ちを露わにするだけだ。決して「自己中心的」ではない。)
しかし、打席で「丸井さんのためにも……」と口にした時、イガラシはおそらく初めて、仲間の思いを背負ってプレーすることを覚えたのではないだろうか。
イガラシという少年が、単に“チームで一番野球が上手い奴”から、「チームを引っ張っていくリーダー」へと変貌を遂げていく、そのキッカケを掴んだ瞬間だったのではないかと個人的には思う。
選出理由2:谷口が初めて“キャプテンとしての意思”を示す
初戦の江田川戦の時点で、谷口はまだおっかなびっくり、ナインの意見をよく聞き入れる……悪くいえば“流されて”しまいがちなキャプテンだった。
しかし、強敵・金成中との対戦を前にして、谷口は初めて自分の意見、すなわち“キャプテンとしての意思”を示す。
言うまでもない、丸井を外しイガラシをレギュラーに抜擢するという決断である。
当然、軋轢は予想される。この時のイガラシは、他のナイン達(主に上級生)からの反感を買っていた。しかも、外すのは谷口を一番慕っていた丸井である。内心の葛藤は、相当なものだったろう。
だが、それをあえて断行したことで、谷口自身、真の意味で“キャプテン”としての自覚、そして覚悟が芽生えたのではないだろうか。
以後、谷口はナイン達に反感を買いそうな事項であっても、「勝つため」であれば躊躇なく決断するようになっている。その過程で確かに軋轢は生じたが、結果としてさらにナイン達の結束を高め、あの青葉をも撃破するほどチームを強化することができた。
選出理由3:“強豪”墨谷二中誕生のキッカケとなる
谷口が入部した時、墨谷二中野球部は決して強いチームではなかった。というより……せいぜい(井口加入前の)江田川よりは少しマシな程度の、よくある弱小野球部の一つに過ぎなかったのだ。何せ入部当初の(ヘタだった)谷口から、「ここならレギュラーにだってなれるかもしれない」と言われてしまうほどだったのだから。
その墨谷二中野球部にとって、おそらく創部以来初の“格上撃破”である。それもマグレでなく、相手の策を堂々と力で打ち破っての勝利。これは、谷口やイガラシのみならず、多くの部員達の自信へとつながったことだろう。実際、彼らはこの一戦で勢いに乗り、準決勝での隅田川中との苦戦も乗り越え、瞬く間に決勝進出を果たしている。
まとめ
漫画『キャプテン』ファンの間でも、どちらかというとイロモノ的に扱われがちな試合ではある。
礼儀正しい、というより慇懃無礼な金成中ナイン。その奇抜なデータ野球(?)。あの印象深いメガネの制帽の少年(と逆切れ)。後の『キャプテン』世界では考えられない、終盤までお互いを褒め合い進む妙な試合展開。
しかし――後の展開を考えれば、谷口にとっても、そして墨谷二中にとっても、まさしく“分岐点”となった重要な一戦だと分かる。
第9位――野球の難しさ・怖さを巧みに描く
<vs港南中(丸井キャプテン時)>
選出理由1:青葉から10点取ったチームが、2点に抑えられる野球の難しさ
青葉学院は、『キャプテン』世界における大阪桐蔭のような存在である。その青葉から10得点した墨谷二中であれば、それより格の落ちるチームの投手など容易に打ち崩せる、と考えてしまいがちなのだが……そう野球は甘くない。
ただ、この理屈を(メインの読者層である)小中学生にも分かるように描くというのは、意外に難しい気がする。青年向けの漫画であれば「相手投手との相性がどうだ」とか「新チームになって各打者の経験値が」だとか、いくらでも理屈を並べ立てられるのだが。
しかし、作者のちばあきおは、それをたった一言で、簡潔に表現してしまった。それが、イガラシの(敗因を近藤一人に押し付けて騒ぐ)丸井へ向けて放った、次の台詞である。
――どだい相手をよく調べもせずに、大会にのぞんだことじたい、すでに敗因じゃないですか。
そう……今まで、自分達がやっていた「相手を研究する」という行為を怠ったこと。もっと言えば、(青葉の不正がもとで手にしたかりそめの)“全国優勝校”という奢り、慢心という心の隙があったということ。
こちらに隙があれば、相手がどうであれ痛い目にあう。それが如実に表れた一戦だった。
選出理由2:全国優勝を狙う=強い相手を倒す、ではない!
苦い経験となった港南戦だったが、この試合をキッカケとして、墨谷二中は新たな目標として(まともに勝ち上がっての)全国優勝を現実的に見据えるようになる。
―― おれたち、全国大会ってものを考え直さなくちゃいけないんじゃないですか。
青葉を倒すことだけに照準を合わせるのではなく、あらゆる“毛色の違うチームを倒していく”ということ。丸井やイガラシ、墨谷二中ナインの面々が、そういうふうに視野を広げ、これまでと発想を変えていく。
前年度に金成中を破り、決勝と再試合で青葉と死闘を繰り広げた末に倒したことが、彼らにとって第1(地区の強豪へと変貌を遂げる)、第2の分岐点(打倒・青葉を現実の目標とする)だったとしたら、この一戦は第3の分岐点(全国優勝を視野に入れる)だったと言えるのではないだろうか。
まとめ
ネット上で時々見かける言葉に、「パワーインフレ」というものがある。これは漫画等のメディア作品において、敵や味方の強さが急激に高まっていく現象を指すようだ。
主に“バトル漫画”でよく見られるが、これは野球を始めスポーツ漫画にも当てはまる。
よくあるパターンだが――地区大会で強敵を倒し全国の舞台に立ったものの、そこではさらに強い相手がいて、しかも試合を重ねるごとに相手の強さが増していく。準決勝・決勝辺りで「そんなチーム、プロにもいねぇよ」と突っ込みたくなるほど。
実際には、スポーツにおいて勝ち上がるほど「相手が強くなる」ということは、ありそうでない。現実の高校野球においても、例えば(強豪の)大阪桐蔭を破ったチームが、次戦で他の相手にコロッと負けるということは、十分あり得る。
そういった野球の難しさ・怖さを巧みに描いているのが、この港南戦である。
後の『プレイボール』にもつながるのだが、ちばあきおという作家は、この辺りの描写が実に巧みである。まず選手達の心理状態の変化がある。そこから試合の流れが変わり始め、反撃への足掛かりを掴んでいく。その過程が、非常にリアリティを持って我々の脳裏に迫ってくる。
その点からも、やはりちばあきおという作家は、稀有な才を持っていたのだと分かる。下手な現代野球(?)の講釈などからは伝わらない、まさに「野球は人間のやる」スポーツなのだと腹落ちさせられるのである。
第8位――キャプテン谷口の初試合&初勝利。作者・ちばあきおの先見性も光る!
<vs江田川中>
選出理由1:『キャプテン』世界における初試合
キャプテン・谷口タカオにとっての記念すべき初勝利試合というだけでなく、実はこれが『キャプテン』世界において、初めて描かれた試合である。
初試合ということもあり、主要人物達のキャラ付けが、かなり色濃く表れている。
谷口は優柔不断で、それが試合展開に(悪い意味で)影響を及ぼしてしまっている。「判断」自体は正しいのだが、意思を明確にして試合におけるチームの方向性を「決断」することができなかった。リーダーシップにおいて「判断と決断は違う」と言われるが、それがよく分かるシーンである。
丸井はよく言えば世話好き、悪く言えば“お節介”(自分のポジションに危機が迫っているとも知らずに・笑)。ただ、少しでも谷口をリラックスさせてあげようと声を掛ける姿は、何というかけなげ(こういうところも、谷口が次のキャプテンに丸井を指名した要因の一つかもしれない)。
そしてイガラシは、尖り方が極端である。チームメイトに的確なアドバイスを送るのは良いのだが、言い方がキツ過ぎて試合中に先輩達とトラブルを起こしてしまう(「デッドボールになりゃいい」と言われたら、誰だって怒るだろうよ……苦笑)。
ただ、何だかんだ言いながらベンチでバットを磨き、井口に「何やってんの」と問われ「見りゃ分かるだろ」と顔を赤らめて答える姿は、かなり可愛い(笑)。かなり貴重なシーンと言える。
そうそう、井口もこれが初登場(この時点では名前の表記はないが)。かの名投手・江夏豊がモデルというだけあり、図々しく、ふてぶてしく、しかし才能はピカイチという、作中最強クラスのライバル・キャラクターとしてふさわしい描かれ方をしている。
選出理由2:運動部の“暗黙の了解”に斬り込んだ、作者ちばあきおの先見性!
今日まで『キャプテン』『プレイボール』が読み継がれる理由の一つとして、「現代の視点から見ても共感できる」という声がよく挙がる。それはつまり、作者ちばあきおが、当時としてはかなり先見の明を持っていたということが言える。
だから、所謂「運動部特有の文化」に対しても、鋭く斬り込んでいる。
是非は別として、今でも中学・高校の運動部には、この頃の墨谷二中野球部と同様に「どんなに上手くても試合には出さない」「新入部員は草むしりや道具の手入れ等、雑用をするのが当然」といった“暗黙の了解”がある。
これに、作者はイガラシというキャラクターを通して「異議申し立て」を行っている。
「草むしりをしたからって野球がうまくなるわけじゃあるまいし」
「一年生だって力があれば投げさせてくれるんですよ。あの学校はね」
「やってみなくちゃわからないでしょ」
「ハハハ。野球ってからだつきでするんだって」
……読者はどうしても、イガラシ側に立ってしまうから、素直に受け入れられるのだが、これを実際に面と向かって後輩から言われれば、腹を立てない人の方が少数だろう。
当時の他のスポーツ漫画であれば、この「運動部特有の文化」については、むしろ肯定的に描く……少なくとも、大きく否定しない描かれ方がされている。
例えば、主人公が「これぐらい乗り越えないでどうするんだ」などと自らに発破をかける、といった具合である。これに正面から噛み付き、結果として自分の意思を通してしまった漫画キャラクターは、当時としてはイガラシくらいではないだろうか。
いや、平成以降の作品なら分かる。運動部の厳しい上下関係やシゴキが問題視され、見直しが高まってきた現在であれば、何の不思議もない。
でも『キャプテン』って、1970年代の漫画ですよ? 運動部では(理不尽な)上下関係・シゴキが当然とされていた時代に、ああいうテーマを盛り込むって凄くないですか?
まとめ&独り言(愚痴)
……ついつい熱くなってしまった(笑)。少し余談を挟むこととする。
だから、私は『プレイボール2』『キャプテン2』作者の“上から目線”が許せないのである。
とりわけ『キャプテン2』において、厳しい練習“そのもの”を否定しているが、これは「努力を描き切った」ちばあきお作品への冒涜だと思う。もっと言えば、当時としては普通の感覚だったものを、頭ごなしに否定するような描き方は、傲慢だ。
前述したように、運動部の理不尽な上下関係・シゴキが当然とされていた(当時の)空気感の中で、そこから不必要なモノを削り取っていったことが凄いのである。
多くの人が同意するだろうが、『キャプテン』世界はけっして優しいものではない。今なら確実に問題にされそうな長時間練習、至近距離からのノック……etc。
しかしそれらは、けっして「運動部特有の文化」ではなく、あくまでも“勝つために必要”だから行うのである。どうやらコージィ氏は、その区別も付かないらしい。だから『プレイボール2』も『キャプテン2』もツマラナイのだなと。
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