【目次】
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<外伝>
第6話 和合監督の助言の巻
<登場人物紹介>
和合中監督:前年の中学選手権決勝で、墨谷と激戦を繰り広げた和合中の指揮官。厳しい指導の反面、決勝戦前にナーバスになっていた選手を気遣う細やかさも持ち合わせている。また勝利至上主義に偏りすぎず、強豪校らしく堂々とプレーすることを選手達に教えている。
村西:和合中の現キャプテンにして正捕手。また四番も務める強打者。
酒井:昨年の墨谷との決勝では、リリーフの準備をしていた。その後大きく成長し、強豪・和合のエースの座を射止める。なお、選抜大会で青葉に投げ勝った阪井投手とは、別人だと設定する。
1.エース打たれる!
―― 連休最終日。墨谷は、昨年の中学選手権で決勝を争った、和合中との再戦を迎えることとなった。
校門前。ユニフォーム姿の近藤、牧野、曽根の三人が待っていると、ほどなくして一台のバスが横付けされた。
「お、来たか」
牧野がつぶやく。
バスのドアが開き、練習試合五連戦の最後の相手、西の雄・和合中学の選手達が続々と降りてくる。こちらもすでにユニフォーム姿だ。縦縞に大きく「和合」の横文字が刺繍されていた。名門校の選手らしく、素早く整列していく。
やがて全員が整列すると、一人の少年が前に進み出た。
「和合中キャプテンの村西です。よろしく」
そう言って、右手を差し出す。
「は、どうも。墨谷二中キャプテンの近藤です。どうか、お手柔らかに」
近藤は村西の右手を握り返す。間の抜けた口調に、牧野と曽根は「あ」とずっこけた。
「いえ、こちらこそ」
村西は真顔のまま、手を離す。その時、バスからもう一人降りてきた人物がいた。
「やあ。ひさしぶりだね」
もみ上げまでの巻き毛が印象的な、和合中の監督である。三人は思わず気をつけの姿勢になり、「こ、こちらこそ」と深く一礼した。
「うむ。選抜での戦いぶりは、見せてもらった」
僅かに笑って、監督は言った。
「一、二年生の多いチームにしては、よく健闘していたね。だいぶ選手層も厚くなった印象だ。あれからどれくらい成長したのか、楽しみにしているよ」
「は、はいっ」
三人は恐縮したふうに、また声を揃えた。
「ほな、グラウンドに案内します」
そう言って、近藤が先導する。
「ワイら、もうウォーミングアップはすませたさかい。どうぞ使うてください」
「いや。こっちも出発前に、準備運動はすませてきたから、その必要はないよ」
監督はきっぱりと言った。
「じつは君らと戦った後、場所を移して青葉とも試合することになってるんだ。あまり時間がないから、すぐに始めよう」
「そうやったんですか」
近藤は返事して、他の二人に囁く。
「聞いたか。あの青葉とも、戦うんやて」
「む。さすが和合、練習試合の相手には事欠かないようだな」
曽根が感心げにうなずく。
「そういや、いま青葉って、どれくらいの力があるんやろ」
近藤の疑問に、牧野が「今年も手強いみたいだぞ」と答える。
「なにせ、おれ達が準々決勝で負けた選抜で、決勝まで進んでるからな」
「せやけど、ワイらがやられた富戸中に、青葉も負けとるやないか。いちがいに向こうが上とは言えへんとちゃうか」
「明らかに向こうが上とは言ってねえよ。ただ少なくとも、互角以上の力はあるってことだ。やつらを倒さない限り、夏は全国大会に出られないだろう」
「ほな、青葉にも練習試合を申しこんでみよか」
曽根が「バカ」と、呆れ顔で言った。
「んなことしたら、やつらに手の内を見せちまうことになるじゃねーか」
「ば、バカって」
近藤がむくれる。まあまあ、と牧野がなだめた。
「おまえさえ万全なら、どこが相手でもそう点は取られないだろう。あとは、こっちの打線がいかにして、点を取るかだ」
そうだな、と曽根が首肯する。
「きのうもバント失敗や走塁ミスで、ずいぶんチャンスを逃したからな。明星中も力はあったが、勝たなきゃいけない試合だったぜ」
その言葉に、近藤と牧野は揃ってうなずく。
試合は、墨谷の先攻で行われることとなった。
和合ナインはベンチに用具を置くと、すぐに守備位置へと散っていく。近藤は自分達のベンチにて、「あれまあ」と声を発した。
「準備体操はおろか、キャッチボールもせんとは。ワイらのこと、ナメとるんやないか」
「そうやってムキになると、力んで打たれちまうぞ」
牧野がたしなめる。
先ほど挨拶してきた長身の和合キャプテン村西は、キャッチャーだった。そしてマウンド上には、これまた上背のあるピッチャーが立ち、左手にロージンバックを馴染ませる。
「なあ、あのピッチャーって」
曽根が目を丸くして言った。
「昨年の選手権決勝で、リリーフの準備をしてたやつじゃねえか」
ほんまや、と近藤はつぶやく。
「昨年見た時は、全然たいしたことないと思うたが。はてはて……あれからどこまで、成長したんか」
その眼前で、相手ピッチャーが練習球の一球目を投じる。
ビシッ。快速球に、村西のミットが悲鳴のような音を発した。途端、ベンチの墨谷ナインは黙り込む。
「いいぞ酒井。調子よさそうだな」
村西の掛け声に、酒井と呼ばれたピッチャーは「おうよ」と応える。
そこから三球、酒井は速球を続ける。球威だけでなく、内外角の際どいコースを突く制球力があることも見て取れた。
「つぎ、カーブいこうか」
キャッチャーの指示に、酒井はうなずき、すぐさま投球動作へと移る。
右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕を振り下ろす。大きなカーブが、低めいっぱいに決まった。落差一メートルはあろうかという鋭い変化である。
「ハハ。やはり、昨年のままなわけねえか」
曽根が呆れ笑いをした。
「さすが名門のエースだぜ」
やがて酒井の投球練習が終わり、アンパイアが「バッターラップ」とコールする。それを聞いて、墨谷の一番打者慎二が右打席に入った。
「プレイ!」
そしてアンパイアが、試合開始を告げる。
初球。酒井は、内角低めに速球を投じてきた。慎二は思い切ってスイングするが、バットは空を切る。
「は、はやい!」
二球目も、同じく内角低めの速球。今度はチップさせ、ボールはバックネット方向へ転がっていく。
「ええぞ慎二。タイミングは合うてる」
近藤が声援を送る。しかし当の慎二は、顔を引きつらせていた。バットを離した両手に、痺れを感じる。
「なんて重いタマなんだ。しっかり振り切らないと、つまらされてしまうぞ」
そして三球目。慎二はバットを短く握り直し、投球に備える。しかし酒井が投じたのは、外角へのカーブだった。
「うっ」
慎二は体勢を崩され、右方向へフライを打たされてしまう。
「オーライ!」
和合のライトが数メートル前進し、顔の前で難なく捕球した。ワンアウト。
―― けっきょくこの回、墨谷は和合エース酒井のボールに対応できず、三人で攻撃を終えることとなった。
「ようし。ラスト一球、こい!」
牧野が声を掛けた時、近藤はマウンドを均していた。落ち着きなさげに、何度もスパイクで土をガッガッと削る。
「近藤?」
「な、なんでもない。ほないくで」
ハッとしたように、近藤は投球動作へと移る。ほぼ真ん中に、速球が投じられた。牧野はこれを捕球すると、素早く二塁へ送球する。
マウンド上。近藤は、一人つぶやく。
「気のせいか。なんだか、やーな感じがするで」
そして和合の先頭打者が、右打席に入ってきた。一番にしては、見るからに腕っぷしの強そうな打者である。
「まずココよ」
プレイが掛かった後の初球。牧野は外角低めを要求してきた。近藤は「む」とうなずき、第一球目を投じる。
打者は、左足を踏み込んでフルスイングした。
パシッ。ライナー性の打球が、右中間を破る。ライトのJOY、センターの山下が懸命に追いかける。打球はフェンスに当たり、跳ね返る。
ようやくJOYがボールを拾い、中継の松尾へ投げ返す。だがその間、打者は三塁へ頭から滑り込んでいた。スリーベースヒット。
「くそっ、いきなりか」
牧野は唇を歪める。一方、マウンド上の近藤は、口をあんぐり開けて呆然としている。
「近藤。また始まったばかりだぞ」
正捕手の掛け声に、エースは「わ、分かっとるがな」と応える。
続く二番打者は、小柄な左バッターだった。ややバットを短めに握る。牧野は「タイミングを外そうか」と、カーブを要求した。近藤はサインにうなずき、セットポジションから第一球を投じる。
落差のあるカーブが、内角低めに決まった。打者は手を出さず。
「いまのは、様子を見たって感じやな」
牧野からの返球を受け、近藤はそうつぶやく。
二球目も、続けて内角低めのカーブ。打者のバットが回る。パシッと快音が響いた。打球はワンバウンドして、簡単に三遊間を破る。
タイムリーヒット。和合が、あっさりと一点を先取した。
「ちぇっ、うまく合わせやがったな」
牧野は舌打ちして、マスクを被り直し屈み込む。
「しかし近藤がこうもカンタンに打たれるとは。やはり、おぼえられちまってるのか」
パシッ。続く三番打者は、初球の外角の速球を打ち返した。速いゴロが、一・二塁間を抜けていく。一塁ランナーは一気に三塁まで到達した。ノーアウト一・三塁。
迎えた四番打者は、和合のキャプテンにして正捕手の村西である。
墨谷バッテリーは、さすがに慎重になった。一球目、二球目と、内外角の際どいコースを突く。しかし、いずれも見極められる。
「く、くそっ」
三球目。近藤は速球を投じるが、力んで高く浮いてしまう。
パシッ。大飛球が、やや深めに守っていたセンター山下の頭上をあっさり越えていく。三塁ランナー、そして一塁ランナーまでもが一気に生還した。
ようやくボールを拾った山下だが、中継の曽根へ返球するのが精一杯。打った村西はスライディングもせず、悠々と二塁へ到達していた。二点タイムリーツーベースヒット。
―― この後も、和合は攻撃の手を緩めず、さらに一点を追加する。墨谷にとっては、いきなり四点をリードされる最悪の立ち上がりとなった。
2.和合監督の助言と試合後ミーティング
―― エース近藤がいきなり集中打を浴びたショックからか、この後、墨谷は攻守ともに精彩を欠いた。
攻撃では、和合のエース酒井の速球に押され、チャンスらしいチャンスを作れず。終盤に代わった控えピッチャーから、一点を返すに留まる。
また守備では、近藤が二回以降はどうにか踏んばり続けたものの、六回に力尽きもう二点を追加される。リリーフのJOYも打ちこまれ、計九点を失う。
けっきょく、試合は九対一と完敗。五連戦の最後を飾ることはできなかった。
試合後。近藤と牧野は、和合中ナインをバスまで見送る。
「やあ、ご苦労さん」
選手達がバスに乗り終えた後、一人残った和合監督は、右手を差し出してきた。そして一人ずつ、握手を交わす。
「あ、あのう」
うつむき加減で、近藤は言った。
「すんまへんでした。こんな試合になってしもうて」
「いやいや、点差ほどの余裕はなかったよ」
真顔で監督は答える。
「君達は、おとといから五連戦を戦ってきたのだろう。そろそろ疲れが出て当然だし、近藤君。自覚はなかったかもしれないが、君ほんらいのボールじゃなかった」
「は、はあ」
「各打者の振りも鋭かったし。ヒット数こそ少なかったが、うちのバッテリーも一人一人をおさえるのには神経を使ったろう」
相手指揮官の思わぬ言葉に、戸惑う二人。
「ただ、一ついいかね?」
監督はそう言って、僅かに笑む。
「ほかの選手から聞いたよ。今は来年強くなるように、チーム作りを進めているらしいね。言いかえれば、どこかで今年は負けてもいいと思っているわけだ」
近藤は戸惑いながら「は、はいな」と返事する。
「その気持ちは分からないでもない。かなり有望な一年生がそろっているようだから」
しかしね、と監督は話を続けた。
「ワシに言わせれば、本気で勝とうと思わなければ、身につけられないものがあるんだ。プレーにしても、練習態度にしても」
「ま、負けてもいいとは思ってません」
牧野が反論する。
「今年だって、やれることは精一杯……」
「それができていれば、こんな大敗はしなかったんじゃないかね」
厳しい指摘に、正捕手は口をつぐむ。
「ほんらい、こうしてよそのチームの方針に口出しするのは、あまりほめられたことじゃないが。あえて言わせてもらうよ」
あくまでも穏やかな口調で、監督は告げた。
「夏の大会は、本気で連覇をねらいなさい。これだけの素質がそろってるんだ。けっして、不可能なことじゃない。いまのままじゃ、すべてが中途半端に終わってしまうよ」
それから監督は、フフと笑い声をこぼす。
「あとはきみ達しだいだ。夏の選手権では、われわれも昨年の雪辱をかけて、君達と再戦できることを願っている」
そう言い置き、監督は踵を返した。
近藤と牧野が部室に入ると、すでにミーティングの準備が整っていた。長テーブルがコの字に置かれ、二、三年生だけでなく、試合に出場した一年生も含め、合わせて二十人程度が席に着く。
「おう、またせたな」
牧野はそう言って、空いた席に座った。近藤もその隣に腰掛ける。
「五試合を戦って、一勝四敗と負け越した」
こう切り出し、牧野が話し出す。
「知ってのとおり、選抜の準々決勝で敗れて以後、おれ達は来年強くなることを目標にチーム作りを進めてきた。しかしこの五連戦を終えて、それぞれ思うところもあると思う。今日はそれを、諸君らに率直に話してもらいたい」
正捕手の言葉に、早速二年生の山下が挙手する。
「む。じゃあ、山下から」
「ぼくは……来年強くなるようにっていう計画は、やっぱりムリがあると思います」
なんやて、と近藤が立ち上がりかける。傍らで曽根が「まあまあ」と制し、先を促した。
「つづけてくれ」
「はい。計画では、ちみつなプレーが完全に身につくのは、来年って話でしたけど。それって問題を先送りしてるだけのような気がします」
牧野が「どういうことだ?」と尋ねる。
「けっきょく、今までは一年生の間で身につけていたことを、翌年に回すってことですよね。でも来年は来年で、また新入生が入ってくるんですよ。ぼくらは来年、いまの一年生にも新入生にも同じことを教えなきゃいけなくなって、余計に手間がかかるじゃありませんか」
「なあ山下」
後輩の疑問に、正捕手は応える。
「おれ達は、なにもそこまでおまえ達に……」
「ですが勝つためには、どうしたって必要でしょう」
山下は納得しない。
「ぼくらはまだしも、今の一年生達は、ちみつなプレーを身につけるための練習を知らないまま、二年生に上がるんですよ。それでほんとうに、勝てるチームを作れるんでしょうか」
「山下。ちとまってえな」
近藤が口を挟む。
「おまえの言うてることにも一理あるがな。今のやり方で、だいぶ選手層が厚くなったことは、たしかやないか。そこまで否定するんか」
「そ、それは……」
反論され、山下は黙り込む。
「ま。山下があせるのも、分からなくはないぞ」
代弁するように、曽根が言った。
「この五試合で、やっぱり細かいミスが目立ったからな。それに盤石だと思った投手陣さえ、打たれることはあるってことも分かった」
そうですと言いたげに、山下はこくっとうなずく。
「とくに今日は、和合に手も足も出なかった。こんな試合をしてりゃ、全国大会はおろか、予選突破も厳しいんじゃないかと、不安に思って当然だよな」
曽根の言葉に、ナイン達はしばしうつむき加減になった。その時である。
「あのう」
沈黙を破り挙手したのは、慎二だった。
「みなさん。ちょっと、むずかしく考えすぎじゃありませんか」
その一言に、他のメンバー達はハッとしたように顔を上げる。
「ようするに、今のレギュラーがちみつなプレーを身につけることと、来年レギュラーになれそうなメンバーの強化が、両立できればいいってことでしょう」
ああ、と牧野がうなずく。
「でしたら、最近始めたレベル別のグループに分かれて練習する方法を、今後も続けていけばいいんじゃないでしょうか」
「おっ、そうだな」
レギュラーの一塁手佐藤が同調する。
「慎二の言いたいことをまとめると、つまりみんな、それぞれ成長できればいいってことだろう?」
「そういうことです」
慎二は僅かに笑んで、さらに付け加えた。
「あとはいかに、レギュラー争いを活発化させるかでしょう。たとえば……レギュラーと他のグループとの、メンバーの入れ替えをひんぱんにするとか」
「ああ、なるほどね」
曽根もうなずく。
「そうすりゃレギュラーの者は、代えられないように必死になるし、下のグループのやつらもレギュラーを追い越そうと士気を高められるな」
その時「ほかにもありますよ」と、意外な者が発言した。なんとJOYである。
「時々、紅白戦をやるってのはどうです? 下のグループの者でも、上達ぶりをアピールしやすいじゃありませんか」
ふむ、と牧野が腕組みする。
「こうして話し合ってみると、けっこういろんなアイディアが出てくるものだな」
そう言って、全員を見渡し問いかける。
「じゃあ、いまの慎二とJOYのアイディアを、明日からの練習に取り入れていくということでいいか?」
ナイン達は「異議なし!」と、声を揃えた。
ミーティングの後、その日は解散することとなった。
他のメンバーが制服に着替える中、近藤は席に座ったまま、黙り込んでいた。しかしやがて立ち上がり、ユニフォーム姿のまま部室を出ようとする。
「近藤。どこへ行くんだ?」
牧野の問いかけに、近藤は「決まってるやろ」と真顔で答える。
「グラウンドで走ってくるんや」
えっ、と牧野は目を見張る。
「おいおい。今日は罰を受けること、ないんだぞ」
「罰やない」
近藤はきっぱりと言った。
「もっと足腰をきたえなあかんと、自分で思うたから走るんや」
そしてまだユニフォーム姿のJOYにも声を掛ける。
「JOY、おまえもつき合うんや。今日は二人して、反省せなあかん」
「分かりました!」
JOYはむしろうれしそうに、エースの後についていく。やがて「ファイト、ファイト!」とグラウンドを走る掛け声が聞こえてきた。
「おれ、夢でも見てるんかな」
渋い顔で、牧野はつぶやく。傍らで曽根が「まったくだ」と苦笑いする。
「あの近藤が、自分から走りに行くとは。それもJOYをさそって」
「む。和合に打ちこまれたのが、よっぽどこたえたらしいな」
「しかし、ああしてやつが努力ってものを覚えたなら、今以上にレベルアップできるかもな」
その時「あの……」と、慎二が割って入る。
「おう。どうした慎二」
曽根が尋ねると、慎二は思わぬことを口にした。
「ぼくもピッチャーの練習をしようと思うのですが」
三年生の二人は、揃って「ええっ」と声を上げる。
「いや。慎二には、内野に専念してもらいてえ」
牧野は率直に答えた。
「おまえは貴重な、昨年からのレギュラーだからな。内野からおまえが抜けたら、うちの守備力は大きく落ちてしまう」
「ええ、それは分かってるんですけど」
そう言って、慎二はやや声を潜める。
「今日のように、近藤さんやJOYが打ちこまれることだって、あるでしょう。そうなった時に、まだリリーフとしてほかの一年生には荷が重いと思うんですよ」
「しかしおまえ、ずっと内野だろう。ピッチャーなんてできるのか?」
牧野の問いかけに、慎二は二ッと笑う。
「そう言われると思いまして。じつは家に帰る前、兄と一緒に練習してたんですよ」
へえ、と正捕手はうなずく。
「そこまで言うなら。いまからでも、受けてやろうか」
「はい、よろこんで!」
慎二は口元をほころばせた。
グラウンドに出ると、近藤とJOYはまだ走っていた。牧野は呆れ顔になる。
「あいつら、いつまで続ける気だ?」
ランニングの邪魔にならないよう、二人は三塁側ファールグラウンドのフェンス寄りに移動した。
慎二は「これぐらいかな」と間隔を空け、その正面に牧野はミットを手に屈み込む。
「よし、いいぞ」
牧野はミットを構えた。その眼前で、慎二は小さな体をいっぱいに使うフォームで、速球を投げ込んでくる。
ズバンと、ボールがミットを強く叩いた。思わぬスピードに、牧野はやや面食らう。
「こいつ、いつの間に」
慎二はさらに、速球を三球続けて投げ込む。すべて内外角の低めに決まる。
「速いだけじゃない。やはりアニキゆずりか、コントロールもいいぞ」
そして、慎二は「つぎカーブいきます」と声を掛けてきた
「なにっ、カーブだと?」
牧野が返事する前に、慎二はもう投球動作を始めていた。そしてカーブを投じる。
「うっ」
ホームベース手前で、曲がりは小さいものの速いスピードで変化した。牧野はこれを捕り損ねてしまう。ボールはミットを弾き、後方へ転々とする。
「わ、わりい」
ボールを拾いに走りながら、牧野は感心していた。
「まえに見た時は、ほんとにションベンカーブだったのに。なるほど。曲がりが小さいなら、スピードを速くってか」
それからまた同じボールを、慎二は続けて投じる。牧野はその軌道を必死に目で追いながら、何とか捕球した。
「なにっ、慎二がピッチングやて!?」
グラウンドをランニングする近藤の横目に、投球練習する慎二と受ける牧野の姿が飛び込んでくる。
「見たかJOY」
すぐ後ろを走るJOYに声を掛けた。ええ、という声が返ってくる。
「慎二のやつ。なんで今さらピッチングなんか」
「そりゃ決まってるでしょう」
のんびりとした口調で、JOYが言った。
「ぼくと近藤さんの投球に、不安を感じたからじゃないですか」
うっ、と近藤は顔を歪める。
「しかし慎二さん、すごくいいタマ投げますね」
「こらこら。感心しとる場合やないで」
暢気そうな後輩をたしなめた。
「慎二がピッチャーとしてそこまでいいのなら、ワイのエースの座が危うなってしまうやないか」
近藤の言葉に、JOYは「なにをおっしゃるんです」と言って、僅かに笑む。
「最後にエースの座を勝ち取るのは、このぼくですから!」
「な、なにをっ」
後輩の一言に、近藤はついムキになる。
「せやったら、ワイも投球練習して帰るか。JOY、おまえはどうする?」
「ぼくもやります!」
「分かった。ほな、二人でかわりばんこにな」
「じゃあラスト一周は、全力疾走で」
JOYはそう言って、いきなりスピードを上げる。
「なっ、こらJOY。前には行かせへんで!」
そうして、二人はまるで鬼ごっこのように、グラウンドを駆けた。
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