物語の記憶

沖縄在住。ちばあきお「キャプテン」「プレイボール」感想&二次小説。沖縄高校野球、鹿島アントラーズ応援。

【「キャプテン」名勝負紹介②】前代未聞の「キャプテン」ラストゲーム! 「全力を出し切る」ことには、色々な形があって良い!! <ちばあきお「キャプテン」「プレイボール」関連コラム>

 

 

~(近藤キャプテン時代)選抜大会準々決勝・墨谷二中対富戸中~

 

 物語のラストゲームに、よりによって何でその相手に負けるんだよ!(笑)

 

 富戸中。おそらく作中、最も好感度の低いチームだろう。

 度重なるラフプレーで、近藤キャプテンを激昂させ退場劇を誘発しただけでなく、墨二側に複数の負傷退場者を出した。

 初めて読んだ時は、正直「近藤ってほんと短気だなあ」と笑ったものだが、後から読み返してみると、近藤が怒る気持ちもよく分かる。

 チームメイトが負傷退場するほどのラフプレーを何度も仕掛けられたのに、結果として相手には(走塁妨害を除いて)ほぼお咎めなしである。メタ的に言えば、あそこまで試合が荒れたのは、審判団にも大いに責任がある(笑)

 

 他の王道スポーツ漫画であれば、こういう相手は最終的に主人公チームのサンドバッグになり消えていくのが常だが、そこに負けて終わるというのが、あまりにも近藤らしい(まだ夏の戦いが残ってはいるが)。

 

 「キャプテン」の物語は、基本的には「強敵に努力で立ち向かい、倒す」というスポーツ漫画の王道路線を踏襲している。ところが、ちばあきお氏は物語の最後に、あえて王道路線から外れて見せたのだ。

 

 王道路線を貫くのであれば、和合中あたりと再戦して惜敗し、チームは悔しさをバネに夏の復権を目指して終わるのがセオリーだろう。

 ところが、この富戸中は、とてもラスボスと呼ぶにはふさわしくない相手だ。「大会最高打率」の謳い文句により、強いには違いないが、キャラもその振る舞いからしても明らかにヒール役で、他の作品であれば“最後の相手”として選ばれることはなかったはずだ。

 

 セオリー外しはそれだけはない。何と「キャプテン」におけるラストゲームだというのに、主人公の近藤が退場させられてしまい、途中で試合からいなくなってしまう。これもスポーツ漫画の締めくくりとしては、前代未聞だろう。

 

 ただ――怪我の功名として、実力者である近藤がいなくなったことにより、JOYを中心として1年生選手達が躍動。退場させられ途中までふてくされていた近藤も、試合の潮目が変わり始めると機嫌を直し、リリーフ登板のJOYに助言するなどして、持ち前の面倒見の良さを発揮する。

 試合には敗れたものの、墨二の将来を担う1年生達が才能の片鱗を示し、墨二野球部としても「これから強くなっていく形」を見つけ、“未来への希望”を残した状態で物語を締めくくったのである。

 

 話は逸れるが、途中で応援団に加わった丸井が、いい味を出している。

 イガラシキャプテン時にも、全国大会の南海戦で張り切って乱闘に加わろうとするなど、もともと血気盛んな性質を見せてくれてはいたが、今回は「応援席からチクリチクリと小出しに野次を飛ばす」という、なかなか意地悪な一面も披露してくれる。野次に杉本が振り向いた沖、すっとぼけて口笛を吹く時の、あの悪い顔!(笑)

 

 さて、原作「キャプテン」ファンの間でも、どうやらこの近藤キャプテン編の評価はあまり芳しくないらしい。

 

 確かに物語のピークとしては、イガラシキャプテン時の全国制覇達成だろう。王道スポーツ漫画のセオリーとしては、ここで物語を締めくくっても良かったはずだ。しかし、ちばあきお氏はそれをしなかった。

 

 いわゆる“大人の事情”は考えないとして、「キャプテン」における「近藤キャプテン編」の意義は何だったのか。最後にそれを考えてみたい。

 

 先に結論を言えば、全力を出し切るということの「新たな形」を示した、ということではないだろうか。

 

 前の記事で、「キャプテン」世界の根本精神は「全力を出し切ることの尊さ」だと述べた。通常「全力を出し切る」といえば、自分自身が上達するためだったり、格上の相手を倒すためにチームとして鍛錬することをイメージしがちである。

 

 しかし、実はそれだけが「全力を出し切る」ということではない。

 近藤がしたことは、一見ぬるいように思われがちだが、実は“一人一人の個性や成長具合に合わせ、互いに補い合える強靭なチームを作る”という、谷口やイガラシにさえできなかった難しいチーム作りに挑んでいると見ることもできる(基本的にイガラシ以前の墨二野球部は少数精鋭で、怪我人が出た時に代えがいないという脆さもあった)。

 

 そう、近藤キャプテンだって、ちゃんと彼なりに一生懸命なのだ。そして近藤のやり方もまた、一つの”正解”なのである。

 全力を出し切るということには、人それぞれ色々な形があって良い。ちばあきお氏は、最後にそういうメッセージを伝えたかったのだと、私は思いたい。

 

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