
~(近藤キャプテン時代)選抜大会準々決勝・墨谷二中対富戸中~
物語のラストゲームに、よりによって何でその相手に負けるんだよ!(笑)
富戸中。おそらく作中、最も好感度の低いチームだろう。
度重なるラフプレーで、近藤キャプテンを激昂させ退場劇を誘発しただけでなく、墨二側に複数の負傷退場者を出した。
初めて読んだ時は、正直「近藤ってほんと短気だなあ」と笑ったものだが、後から読み返してみると、近藤が怒る気持ちもよく分かる。
チームメイトが負傷退場するほどのラフプレーを何度も仕掛けられたのに、結果として相手には(走塁妨害を除いて)ほぼお咎めなしである。メタ的に言えば、あそこまで試合が荒れたのは、審判団にも大いに責任がある(笑)
他の王道スポーツ漫画であれば、こういう相手は最終的に主人公チームのサンドバッグになり消えていくのが常だが、そこに負けて終わるというのが、あまりにも近藤らしい(まだ夏の戦いが残ってはいるが)。
「キャプテン」の物語は、基本的には「強敵に努力で立ち向かい、倒す」というスポーツ漫画の王道路線を踏襲している。ところが、ちばあきお氏は物語の最後に、あえて王道路線から外れて見せたのだ。
王道路線を貫くのであれば、和合中あたりと再戦して惜敗し、チームは悔しさをバネに夏の復権を目指して終わるのがセオリーだろう。
ところが、この富戸中は、とてもラスボスと呼ぶにはふさわしくない相手だ。「大会最高打率」の謳い文句により、強いには違いないが、キャラもその振る舞いからしても明らかにヒール役で、他の作品であれば“最後の相手”として選ばれることはなかったはずだ。
セオリー外しはそれだけはない。何と「キャプテン」におけるラストゲームだというのに、主人公の近藤が退場させられてしまい、途中で試合からいなくなってしまう。これもスポーツ漫画の締めくくりとしては、前代未聞だろう。
ただ――怪我の功名として、実力者である近藤がいなくなったことにより、JOYを中心として1年生選手達が躍動。退場させられ途中までふてくされていた近藤も、試合の潮目が変わり始めると機嫌を直し、リリーフ登板のJOYに助言するなどして、持ち前の面倒見の良さを発揮する。
試合には敗れたものの、墨二の将来を担う1年生達が才能の片鱗を示し、墨二野球部としても「これから強くなっていく形」を見つけ、“未来への希望”を残した状態で物語を締めくくったのである。
話は逸れるが、途中で応援団に加わった丸井が、いい味を出している。
イガラシキャプテン時にも、全国大会の南海戦で張り切って乱闘に加わろうとするなど、もともと血気盛んな性質を見せてくれてはいたが、今回は「応援席からチクリチクリと小出しに野次を飛ばす」という、なかなか意地悪な一面も披露してくれる。野次に杉本が振り向いた沖、すっとぼけて口笛を吹く時の、あの悪い顔!(笑)
さて、原作「キャプテン」ファンの間でも、どうやらこの近藤キャプテン編の評価はあまり芳しくないらしい。
確かに物語のピークとしては、イガラシキャプテン時の全国制覇達成だろう。王道スポーツ漫画のセオリーとしては、ここで物語を締めくくっても良かったはずだ。しかし、ちばあきお氏はそれをしなかった。
いわゆる“大人の事情”は考えないとして、「キャプテン」における「近藤キャプテン編」の意義は何だったのか。最後にそれを考えてみたい。
先に結論を言えば、全力を出し切るということの「新たな形」を示した、ということではないだろうか。
前の記事で、「キャプテン」世界の根本精神は「全力を出し切ることの尊さ」だと述べた。通常「全力を出し切る」といえば、自分自身が上達するためだったり、格上の相手を倒すためにチームとして鍛錬することをイメージしがちである。
しかし、実はそれだけが「全力を出し切る」ということではない。
近藤がしたことは、一見ぬるいように思われがちだが、実は“一人一人の個性や成長具合に合わせ、互いに補い合える強靭なチームを作る”という、谷口やイガラシにさえできなかった難しいチーム作りに挑んでいると見ることもできる(基本的にイガラシ以前の墨二野球部は少数精鋭で、怪我人が出た時に代えがいないという脆さもあった)。
そう、近藤キャプテンだって、ちゃんと彼なりに一生懸命なのだ。そして近藤のやり方もまた、一つの”正解”なのである。
全力を出し切るということには、人それぞれ色々な形があって良い。ちばあきお氏は、最後にそういうメッセージを伝えたかったのだと、私は思いたい。