南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【過去記事より】忘れがたき名実況――山本浩アナウンサーの“語り”の記憶

 ※この文章は、スポナビ+時代に書いた記事を、再構成したものである。

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<はじめに> 

 

マラドーナ……マラドーナ、マラードーナ、きたぁ! マラドーナァ!」

「放り込んでくる……城のシュートォ! 同点ゴォル!」

「ショットきます……こぼれ球、岡野ォ! ニッポン、フランスへ……」

 

 サッカー日本代表の話題で世間が賑わう時季になると、懐かしく思い出される声がある。言わずと知れたNHKのアナウンサー・山本浩さんの実況だ。

 

 サッカーに限らず、スポーツ観戦の魅力の一つは、私達も選手と共に戦っている気持ちになれることだ。山本さんの“語り”は、遠く離れた場所で戦っている選手達の元へ、私達を誘ってくれた。

 

 今回は、誠に勝手ながら、山本さんの名実況の私的ベスト5を選んでみた。Jリーグが誕生してから、そしてあのドーハの悲劇から、今年で20年になる。日本サッカーが歩んできた道程を、山本さんの語りと共に振り返ってみたい。

 

 

第5位 「声は大地から湧き上っています。新しい時代の、到来を求める声です」

(1993年Jリーグ開幕戦・ヴェルディ川崎横浜マリノス

 

 実は、山本さんのその実況を知ったのは、随分後になってからのことだった。それでもこの実況を聴くと、当時の「これから新しい時代が始まる」というワクワクするような思いが、よく伝わってくる。

 Jリーグの開幕によって、日本サッカーは飛躍的な進歩を遂げた。その大事な第一歩は、まさに山本さんの“語り”と共に踏み出されたと言える。

 

第4位 「実にサッカーを始めた子供が、大人になって、また子供を産んで……28年というのはそれだけ、長い年月でした」

(1996年アトランタ五輪アジア最終予選/日本対サウジアラビア

 

 山本さんの実況を初めて聴いた試合。当時、まだ“山本浩”の名前を認識していないのだが、上記のフレーズは私の記憶の奥深くに刻み込まれた。

 今でこそ、日本はW杯と五輪の常連国となりつつあるが、当時は世界大会へ出場することさえ遠かった。まさに世界への“重い扉”をついにこじ開け、後の日本サッカー快進撃のきっかけとなった試合である。その「価値の重さ」を私達に実感させてくれる、本当に素晴らしい実況だった。

 

第3位 「私達は忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、“非常に強いチーム”があったことを。東京国立競技場、空は今でもまだ……横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」

(1998年天皇杯決勝/横浜フリューゲルス清水エスパルス

 

この試合に立ち会った横浜フリューゲルスサポーター・サッカーファンの思いを、大仰でもなく冷淡でもなく、まさに“的確な言葉”で表現したフレーズである。

私は横浜フリューゲルスのファンというわけではなかったが、それでも一つのチームがなくなってしまう現実は、Jリーグを見続けてきた一人として悲しかった。

 天皇杯優勝の歓喜と、それでもチームが消滅してしまう虚しさ……その複雑な感情を適切に言い表すことは、どんなベテランアナウンサーでも難しいと思われる。

 山本さんの“語り”があったから、まだ少し救われたような気がした。

 

第2位「前園が声をかける! ニッポンに声をかける前園!」

(1996年アトランタ五輪アジア最終予選/日本対サウジアラビア

 

 これもアトランタ五輪予選・日本-サウジアラビア戦から。相手の猛反撃を必死に耐えるチームメイト達へ、キャプテン・前園真聖が懸命に鼓舞する――まさに試合の佳境という場面で発せられた、短いけれど非常に味わい深いフレーズである。

 当時の実況について、山本さんは後に出演したサッカー番組の中で、次のように語った。

 

「『前園がチームメイトに声をかけました』と言うと、たぶん“説明”なんですね。『ニッポンに声を掛けました』って言うと、それがちょっと違う意味があると思うんですよ。そういうものを、前園が『言え』って言っているのが分かるんですよ」

 

 この言葉を聞いて、私は鳥肌が立った。山本さんの人間性、観察眼と感性の鋭さ、そしてフィールドに立つ選手達への敬意……そういった様々なものが、その静かな語り口の中に滲み出ている気がした。

 

第1位 「このピッチの上、円陣を組んで、今散った日本代表は……私達にとって“彼ら”ではありません。これは、“私達そのもの”です」

(1997年フランスW杯アジア最終予選/日本対イラン)

 

 恥ずかしい話、私は今でもこの実況を聴くと、涙が出てしまう……

 山本さんの実況で、特に有名なフレーズの一つだ。私達も、思いは日本代表と共に戦い、一緒にW杯へ行くんだ――そんな気持ちにさせてくれた、今でも忘れられない言葉である。

 前述のサッカー番組内での山本さんの後日談も、更に印象的だった。

 

「それを『言え』って、あの監督の動きと選手がですね、津波のように僕に……押しかけたんですよ」

 

 日本代表が“言わせてくれた”――それだけ試合に「入って」いたからこそ持ち得た感覚だったと思う。あの歴史的な一戦、きっと山本さんも、選手達と共に戦っていたのだろう。それにしても、決して「自分で思い付いた」と言わないところが、謙虚な山本さんらしい。

 

 誇張なく、決して押し付けがましいのではなく……あくまでも静かな語り口でありながら、それでいて熱き魂の込められた言葉の数々は、今でも多くのサッカーファンの心に残っている。

 今後も日本サッカーの歴史が思い出される度、山本さんの実況もまた、象徴的な出来事の一つとして語り継がれていくことになるだろう。

 

 歴史を彩る、幾多の名場面の記憶と共に……

<おわりに>

 記事を書きながら、自分の言葉の貧弱さが恥ずかしかった。山本さんの名実況の数々を、こんな拙い言葉で紹介して良かったのだろうかとさえ思う。

 南アフリカW杯後、山本さんはベスト16へ進出する活躍を見せた日本代表に対し、「大会前にあれだけ批判されたのだから、今はその分賞賛を送るべきだ」という趣旨の発言をされていたという。山本さんらしい、日本サッカーへの温かな眼差しを感じさせる言葉だった。

 山本さんに限らず、NHKアナウンサーのサッカーへの造詣の深さには、いつも感服させられる。それだけ高いプロ意識を持って仕事に臨んでいるのだろう(個人的には、野地俊二さんが好きだ。前回W杯のカメルーン戦、「本田だぁ、チャンスになったー! ニッポン先制点!」のフレーズがとても印象的)。

 現在、山本さんは第一線から退かれたが、その“魂”は後輩のアナウンサー達に受け継がれているように思う。それでも、山本さんの素晴らしい“語り”の記憶は、これからもずっと語り継がれていくことだろう……

 

 

【野球小説】続・プレイボール<第14話「墨高ナインの決断!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第14話 墨高ナインの決断!の巻
    • 1.恐るべき谷原打線
    • 2.まず自分達で……
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 

 

第14話 墨高ナインの決断!の巻

www.youtube.com

 

1.恐るべき谷原打線

 

 日曜日、正午過ぎ。

 神宮球場は、内野だけでなく外野スタンドまで、ほぼ客席は埋まっている。都内隋一の強豪・谷原と、広島の伝統校・広陽(こうよう)。ともに春の甲子園で活躍した両校が対戦するとあって、公式戦でないにもかかわらず、大勢の観客が詰めかけていた。

 もちろん一般の客だけではない。翌月にせまる夏の大会において、打倒・谷原をもくろむ多くの都内有力校も、主力メンバーを伴い偵察に訪れていた。

 当然、墨谷もその一角である。

 この日、墨高ナインは午前中軽めの練習をこなした後、電車で球場へと移動した。早めに到着したからか、係員にバックネット裏の見晴らしが良い席をあてがわれる。

 ナイン達にとっては、大敗した練習試合以来の、谷原との再会。緊張感が漂う中での試合観戦、となるはずだったのだが……

 

「ふぅ……食った、食った」

 鈴木がのんびりとした声を発し、三度目のげっぷをした。球場という喧騒の中にいながら、妙に響き渡る。周囲のナイン達は「あーあー」とずっこけた。

「おいしかったぁ。トンカツに鶏肉、シュウマイ、ご飯も大盛り。おまけにスープつき。こんな豪勢な弁当、初めてです」

 傍らで、OBの田所が「だろう?」と相槌を打つ。露骨なほど得意げだ。

「おまえらが招待野球観戦に行くと聞いたもんで、すぐダチが勤めてる弁当屋に連絡して、手配してもらったんだ。しかも、こいつは通常なら売ってねぇ、特製メニューだかんな」

「た、高くなかったんですか?」

 戸室が、先輩の懐を心配して尋ねる。

「へへっ。交渉して、マケてもらったんだ。なんと一個あたり、たったの二百五十円だ」

 一つ前方の席で、倉橋が溜息をつく。

「あーあ……また知り合いの方に、ムリ言っちゃって」

「なに、悪く思うこたぁねえよ」

 田所は、ドンと自分の胸を叩いた。

「ダチの弁当屋、この春に開業したばかりでな。早くお得意先を作りたいんだと。いい宣伝になるからって、快く聞いてくれたぞ。その代わり、こういう機会があったら、ぜひ利用してくれ。あ……半田、メモしといてくれ。〇〇弁当だ。連絡先は、ええと」

「は、はぁ」

 倉橋の隣で、半田が戸惑う声を発した。それでも告げたられた店名と電話番号を、メモ帳に小さく書き込む。

「まったく……電器屋のはずが、どこの営業してんだか」

 横井の皮肉に、田所は「んだとこらっ」と言い返す。

「これは町内会のオヤジからの受け売りだが、何ごとも共存共栄ってやつが大事なんだ。商売でも人づき合いでもよ。いいか横井、てめーも近く社会に出るんだ。いまのうちに、そこんとこをだな」

「あのねぇセンパイ。そんな先の話より、ぼくらはいま目の前のことに必死なんです。OBなら、それくらい……おっ、余った弁当ひとつもらいますね」

「ありゃっ」

 真面目な反論かと思いきや、食い気を優先させる横井に、今度は田所がずっこける。

 一連の光景を、キャプテン谷口は穏やかな気持ちで見守っていた。右隣で「あいつら置いてくるんだった」と呆れる倉橋を、「まぁまぁ」となだめる。

「いいのかよ。ったく……大事な偵察だってのに、緊張感のないやつらめ」

「ははっ、いまぐらい大目に見てやれよ。始まったら、みんなちゃんと集中するさ」

「……ま、そうだな」

 納得したらしく、倉橋は座り直す。

「呑気にメシ食っていられるような試合、あの谷原がするわけねーか」

 谷口の左隣には、丸井とイガラシが座っている。さすがに二人は、真剣モードだ。

「ふむふむ……ほぉ、けっこう来てるな」

 丸井は周囲を見回し、感心げに言った。

「専修館、明善、川北、聖稜、そして東実。ひょえぇ……こうして見ると、圧巻だな。都内の有力校が、まさに一堂に会すってワケか」

「ちょっと丸井さん。そんなにキョロキョロしたら、目立っちゃいますよ」

 そう言うと、イガラシはこちらに顔を向ける。

「にしても、ありがたいですね。両チームともレギュラーを先発させてくるとは」

「む。とくにエースピッチャーを出してくれたのは、好都合だ。谷原の投打の力がよく分かる」

 バックネットの向こう側。グラウンドにて、谷原ナインが試合前ノックを行っている。やはり、動きは俊敏だ。マウンド上では、ちょうど投球練習が終わるところだった。捕球したキャッチャーが、二塁へ送球する。

 谷原の先発マウンドには、あのエース村井が立つ。

 ほどなく、広陽のトップバッターが、ゆっくりと右打席へ入っていく。そして、アンパイアの「プレイボール!」のコールと同時に、試合開始を告げるサイレンが鳴った。

 初球。速いゴロが、一・二塁間を襲う。束の間スタンドが沸きかけるも、あらかじめ深めに守っていた谷原の二塁手が回り込んで捕球した。軽快なフィールディングで、一塁へ送球する。まずワンアウト。

「むう、惜しい」

 腕組みをして、丸井が渋い顔をする。

「なんだ丸井。相手を応援してるのか?」

 谷口が尋ねると、「まさか」と苦笑いした。

「向こうが簡単にやられちゃったら、谷原の弱点が探しにくくなるじゃないですか」

「なるほど。それは言えてるな」

 バシッと音が鳴る。広陽の二番打者が、今度は三遊間に打ち返した。

 一瞬抜けるかと思いきや、こちらも深めに守っていた谷原のショートが、思いのほか余裕を持って捕球する。すかさず一塁へ投じ、ツーアウト。矢のような送球に、スタンドが「おおっ」とどよめいた。

「ははっ、さすがの守備だ」

 谷口は苦笑いを浮かべ、「それにしても……」とつぶやいた。

「谷原の内野、やはり深いな。あれじゃ簡単には抜けないぞ」

 たしかに、とうなずいたのは、イガラシだった。

「それに……右打者の時はライト寄り、左打者の時はレフト寄りにシフトを変えてます」

「うむ。あれだけの球威だし、そうそう引っ張った打球はこないと踏んでるんだろう」

 二人の間で、丸井が「けっ」と毒づく。

「あんまり余裕こいてちゃ、そのうちイタイ目に……おおっ」

 快音が鳴る。ライナー性の打球が、ライト頭上を襲った。

 越えるか……と思いきや、しかし、谷原の右翼手が一直線にダッシュし、くるっと向き直り捕球する。スリーアウト。

「あ、あのライト。なんて足の速さだっ」

 丸井はさすがに、驚嘆の声を発した。

「しかし……広陽も、あの速球とカーブを難なく打ち返してるぞ」

 谷口が感心げに言うと、丸井も「ええ」と同意する。

「こちとら、なんとか合わせるのが、精一杯だったっていうのに。やはり甲子園で四強に残ったチームはちがいますね」

 その時、イガラシが「キャプテン」と割って入る。

「いまの回、広陽のバッターが打ったのは、すべてアウトコースでしたよね」

「ああ。打った球種のちがいはあったが」

「これって、半田さんの分析と同じじゃないですか。インコースは避けて、アウトコースをねらうっていう」

「む。てことは……半田の話は正しかった、ということになるな」

 谷口がそう言うと、イガラシは目を見上げる。

「キャプテン。なにか、気になることが?」

「え……ま、まあな」

 不意を突かれ、谷口は口ごもる。端的に答えられるほど、整理が付いていない。

 グラウンドでは、広陽ナインがボール回しを行っている。その中央、マウンド上では投球練習が始められていた。谷原と同様、こちらも主戦投手を立ててきている。

「広陽のピッチャー、コントロール良さそうですね」

 丸井が吐息混じりに言った。谷口は「ああ」と首肯する。

「片瀬の話だと、球はそんなに速くないが、丁寧にコーナーを投げ分けるタイプだそうだ。おまけに変化球も多彩らしい」

「むう……あちらさんも、ダテに全国優勝を争ってないってことスね」

 キャッチャーが二塁へ送球し、谷原のトップバッターが打席に入った。ほどなく、アンパイアが「プレイ!」とコールする。

 広陽バッテリーは、初球、二球目とインコースを続けた。いずれもボールとなる速球。

「……ふむ。インコースを見せ球にして、バッターの苦手なアウトコースでストライクを取りにいこうっていう組み立てだな」

 イガラシの予見通り、広陽のキャッチャーは三球目のサインを出した後、今度はアウトコース低めにミットを構える。

「まあ定石だろう」

 丸井が言った。

「このバッター、インコースが得意って話じゃないか」

「はい……それがちょっと、分かりやすすぎます」

 どことなく浮かない顔で、イガラシは答える。

「む。分かりやすいって、どういう……」

 丸井が訝しげに問い返した、次の瞬間だった。

 乾いた打球音とともに、鋭いライナーがライト線を襲う。ボールは白線の内側ぎりぎりでバウンドし、フェンス際まで転がった。一塁塁審が「フェア!」と叫ぶ。

 スタンドは一瞬の静寂の後、どよめいた。

 

 プレイボール直後こそ、和やかな雰囲気だったナイン達。

 しかし、ほどなく彼らは言葉を失う。それは墨高だけでなく、他の有力校の面々も同様だった。あまりにも信じがたい光景が、目の前で繰り広げられたからだ。

 プレイボールが掛かって、約十分後……

 

 スコアボードの一回表の枠には、谷原の得点を示す「4」の数字が刻まれていた。

 

 タイムが解け、内野陣がポジションへと戻っていく。残されたマウンド上、広陽の先発投手は、早くも肩で息をし始めていた。

「……う、ウソだろ」

 傍らで、丸井が震え声になる。

 一回表。五本の長短打と犠牲フライにより、四点を先取した谷原は、なおランナーを一塁と二塁に残す。アウトカウントは、まだ一つのみである。

 谷口自身、そこで繰り広げられる凄惨な光景に、血の気が引いていく思いがした。

「……ば、ばかなっ」

 その時だった。ふいに半田が、大声を発した。

「どうした?」

「き、キャプテン……信じられません」

 半田は青ざめた顔で、グラウンド上を指差した。

「広陽は、ちゃんと谷原のバッターの苦手な所を突いてるんです。な、なのに……こんな」

 複数の部員が、同時に「なんだとっ」と声を上げる。

「向こうのバッテリーも、コースを散らしたり緩急をつけてたりして、的を絞らせないようにしてはいるんだがな」

 倉橋がそう言って、頭を抱える。

「谷原のやつら、広陽の意図を見透かして、それを逆手に取ってやがる」

「……なるほどね」

 呆れ笑いを浮かべて言ったのは、イガラシだった。

「分かりましたよ。どうして谷原のやつらが、偵察されることを承知で、この招待野球への参加を引き受けたのか」

「なんだと。それは、どういう……」

 イガラシは、端的に答えた。

「見せつけるためです」

「み、見せつけるって……他のチームにってことか?」

「ええ。いまどこの有力校も、なんとか谷原の攻略法を探そうと、必死でしょうからね。ぼくらと同じように。そんなことをしてもムダだぞっていう、これはやつらからのメッセージってワケです」

 効果はてき面だったらしい。墨高ナインと同じく、偵察に訪れている有力校の面々が、一様に呆然とした表情を浮かべている。

「ははっ。な、なんてやつらだ……」

 丸井が力なく笑う。

 カチャカチャとスパイクを鳴らし、谷原の七番打者が右打席へと入った。

 広陽のキャッチャーは、外角低めにミットを構える。肩を上下させながら、ピッチャーがうなずく。初球、ほぼキャッチャーの構え通りに、カーブが投じられた。

 直後、ボールを芯で捉えた快音が響く。大飛球が、センター頭上を襲った。広陽の中堅手は、懸命に背走するも、途中で立ち止まった。その眼前で、ボールはフェンスを越える。

 スリーランホームラン。二人のランナーに続き、七番打者もホームを踏んでいく。この回、一挙七点。

「お、俺らがヘボかったわけじゃ、なかったんだな……」

 後列で、横井が呻くように言った。

「甲子園で勝ったピッチャーまで、あんなメッタ打ちにされるんだから」

 さすがに広陽は、先発の主戦投手を降板させた。リリーフとして、背番号「11」のピッチャーが送られる。すぐにマウンド上で、慌ただしく投球練習を始めた。

 

 初回に七点を奪った谷原は、その後も全国四強の広陽を圧倒。

 谷原の誇る強力打線は、登板した相手投手をことごとく粉砕。コールド規定となる七回まで、なんと毎回得点を挙げた。

 守っては、エース村井がさすがの力量を見せ付ける。味方の大量援護もあり、余裕のピッチングで五回を零封した。終盤、ようやく広陽も意地を見せ、谷原の二人のリリーフ投手から二点を返すも、焼け石に水

 結局、七回を終了した時点で、コールドゲームが成立。十六対二という大差で、谷原が広陽を下したのだった。

 

「倉橋、ちょっといいか」

 球場から出て、谷口は隣にいた倉橋を呼び止める。

「なんだい?」

「今後のことで、少し相談したい」

 重要な話だと察したらしく、相手は深くうなずいた。

「……む。分かった」

 すでに他のメンバーは、指定していた並木のベンチ近くに集合している。谷口はそこへ駆けていき、短く告げた。

「みんな。申し訳ないが、先に帰っててくれ」

 ナイン達は「はいっ」と返事すると、連れ立って歩き出す。特に訝しがる者はいなかったが、丸井がふと、こちらに振り向いて言った。

「キャプテン、あまり思いつめちゃダメですよ」

「うむ、分かってるさ。ありがとう丸井」

 気のいい後輩の背中を見送りながら、谷口は唇を結んだ。

 

2.まず自分達で……

 

 学校の部室に戻ると、ナイン達はユニフォームに着替え始めた。この後、午後の練習が組まれている。

「……み、みなさん。ごめんなさい」

 制服のワイシャツ姿のまま、半田が泣きそうな顔で言った。

「ぼくのデータ、ぜんぜん使いモノにならなくて」

 気のいい戸室が、「そう落ち込むなよ」と励ます。

「おまえが悪いんじゃない。ありゃ……谷原がちと、想像以上だったんだ」

「戸室さんの言うとおりだよ」

 近くで着替えながら、加藤も同調する。

「じっさい広陽も、昨日おまえが言ってた苦手コースに投げてたんだし。それを、ああもカンタンに打ち返されちゃあ、お手上げってもんだ」

「やめろよ加藤」

 同学年の島田が、険しい声を発した。

「お手上げなんて言ったら、もうなんの希望もなくなっちまうじゃないか」

「うるせーな。俺は、現実の話をしてんだ。この期に及んで、カッコつけてる場合か」

「な、なんだとっ」

 丸井が「よさんか二人とも」と、慌てて止めに入る。

「キャプテンがいない時に、ケンカなんかおっぱじめてどうすんだ。落ち着けって」

「……おっ、そういやぁ」

 のんびりとした声を発したのは、鈴木だった。

「どうしてキャプテンと倉橋さん、俺達と一緒に帰ってこなかったんだろ」

「こら鈴木。おまえ、そんなことも分からんのか」

 暢気な鈴木を、丸井は叱り付ける。

「さっきの試合を受けて、谷原対策をどうするか。その相談するために決まってんだろ」

「け、けどよ……」

 矛を収めた加藤が、椅子に腰かけて言った。

「対策つったって、どうすんだろう。さっきの広陽のピッチャーだって、かなりのレベルだったんだぞ」

「……まてよ」

 その時、ふいに割って入ったのは、横井だった。こちらは制服姿のまま、向かいの壁側で椅子に座っている。

「加藤、みんなも。その、どうすんだってトコを……いまちょっと考えてみないか」

「えっ」

 不意を突かれ、加藤は束の間口をつぐんだ。他のナイン達も、横井の発した思わぬ一言に、黙り込んでいる。室内を、しばし静寂が包む。

「丸井が言ったようにだ。谷口のやつ、いまごろ倉橋と一緒に、どうすりゃいいか必死に考えてくれているだろう。けど……俺達だって、ずっとあの二人と一緒に戦ってきたんだ」

 横井は、静かに話を続けた。

「あいつらに頼らずとも、そろそろ自分達でどうすべきか考えられるように、ならなきゃいけねぇんじゃないのか」

「……横井。おまえの意気込みは、買うんだけどよ」

 そう言って、戸室が肩を竦める。

「こりゃ、かなりの難題だぞ。さっき見た通り、甲子園で勝ったチームだって、谷原をどう抑えるべきか分からなかったんだ。やはりここは、野球をよく知ってるあの二人の決断を、信じてたくした方が」

「いいんだよ、まちがってても」

 横井は、ふっと穏やかに笑う。

「俺が言いてぇのは……決断を下すって、すごく難しいし、覚悟のいることだろ。それをいつまでも、谷口と倉橋だけに背負わせて、いいのかって話よ」

 ふいに半開きのドアの向こうから、パチパチパチ……と手を叩く音が聴こえた。鈴木が駆け寄って開けると、田所が紙袋を抱えて立っている。

「た、田所さん……どうしてここへ」

 横井が呆れ顔で尋ねると、田所は「バーロイ」と苦笑いした。

「おめえら、すぐに練習を始めると聞いてたから、ずっと外で待ってたってのに。いっこうに出て来ねぇから、心配してのぞきに来たのよ」

 まだナイン達がきょとんとしていると、OBは少しバツの悪そうな顔になる。

「そ、それで……来てみたら、なんだかいい話してたもんでよ。つい聞き入っちまった」

「……あ、荷物持ちます」

 鈴木が両手を差し出すと、田所は「おう」と手渡した。

「ついでに配ってくれ。木のさじも、中に入ってる」

「おっ、アイスクリーム!」

 食いしん坊の鈴木は、舌なめずりをした。紙袋の中には、パックのバニラアイスが数十個も入っている。

「こういう時は甘いモンだ。これ食って、少し元気出せ。ま……あんな試合を見ちまった後じゃ、無理もないがよ。みんなで煮つまってても、しょうがねーだろ」

 ナイン達は、一旦練習に行くのをやめ、アイスクリームを食べ始めた。

「む……なんか食べたこと味だと思ったら、これ昨年も、田所さんが買ってきてくれたやつじゃないですか」

 木の匙を掲げながら、戸室が言った。

「よくおぼえてたな。そうなんだよ、ここの店のアイスは特別うまいからな」

 戸室の傍らで、横井が「これはいくらマケてもらったんです?」と突っ込む。

「てめ……人をケチんぼみたいに言うんじゃねぇ。こっちはちゃんと金払ったよ」

 言い返してから、田所は目を細めた。

「それはそうと、イイコト言うじゃねぇか。まず自分らで考えよう……うむ、そりゃ大事なことだ。後輩の成長が見られて、俺もうれしいぜ」

「か、からかわないでくださいよ」

 横井が頬を赤らめる。

「そんで……おまえとしては、現時点でなんか考えがあるのか?」

 田所のまさしく直球の質問に、横井は「うっ」と声を詰まらせた。

「遠慮すんなよ。まちがっててもいいって、さっきてめぇが言ったろ」

「……あ、あはっ。そうスね」

 半ばヤケクソになったのか、苦笑い混じりに答える。

「たとえばですけど。苦手なところに投げても通じねぇなら……いっそ思い切って、得意なコースに投げ込んでみる、とか」

「はぁ? そりゃ、いくらなんでも」

 横井の返答に、田所が呆れ顔になる。多くの部員達が、ぷぷっと吹き出した。

「……へぇ」

 その時だった。意外な者の発言に、また周囲が静まり返る。

「おもしろいですね、横井さん」

 声の主は、イガラシだった。

「ちぇっイガラシ。おまえまで人のこと、からかいやがって」

 先輩の拗ねた口調に、イガラシはにやっとして、首を横に振った。

「からかうつもりなんか、ありませんよ」

 そう言って立ち上がると、まだ体育座りでしょげている半田の肩を、ぽんと叩く。

「だってぼくも、横井さんと同じ意見ですから」

 イガラシの一言に、室内がざわめいた。

 

 校舎の玄関前で、谷口は腰に手を当てた。

「はて……どこに行ったんだろう、田所さん」

 他のメンバーに遅れること四十分、谷口と倉橋も学校に帰ってきた。先に戻ったはずの田所に用事があったのだが、当人の姿が見当たらない。さらに、もう練習を始めているはずのナイン達も、まだグラウンドに出てきていなかった。

 ふと顔を上げると、倉橋が部室の前で、こっちに手を振っている。先に戻っておくように、さっき頼んでいたのだ。

「おーい倉橋、みんなと田所さんは……」

 そう言いかけると、倉橋は人差し指を立て「シーッ」というジェスチャーをした。谷口は、黙って駆け寄る。

「どうした?」

 囁き声で尋ねると、倉橋は部室をちょんちょんと指差す。

「田所さんは、いまみんなと部室にいる。それより……なんかおもしろそうな話してっから、ここで聴いてようぜ」

「あ、ああ……」

 谷口は戸惑いながらも、部室へと耳を澄ませた。

 

「お、おい……本気かよ」

 田所は、溜息混じりに言った。口元がひくつく。

「広陽は苦手なところを突いて、あれだけ打たれたんだぞ。得意コースに投げ込んだら……そらもう、打ってくださいって言ってるようなもんじゃねぇか」

 口ではそう言いながらも、内心では興味を惹かれていた。田所の知る限り、このイガラシという少年は、どこまでも現実的に考える質だ。単なる思い付きのはずがない。

「……そのまえに」

 イガラシはこちらの目を見上げ、淡々と答えた。

「どうして広陽が、あんなに打たれたのか、少し整理しておきましょうか……高橋、鳥嶋」

 唐突に、同じ一年生の二人を呼ぶ。

「お、おうっ」

「なんだよ」

 高橋と鳥嶋は、地区の有力校・金成中の出身だ。

「わりぃ。思い出したくもないだろうが……昨年の地区予選で、俺ら墨二と当たったろう。どんな対策をしたか教えてくれ」

 二人は一瞬、気まずそうに目を見合わせる。

「……そ、それはもう」

 重そうに口を開いたのは、高橋だった。

「半田さんと一緒さ。墨二打線の上位から下位まで、徹底的に調べた。知ってのとおり、うちはデータ収集に力を入れているからな。もっとも、結果は……」

「あ、もういい。それ以上言うな」

 イガラシは珍しく、すまなそうに言った。そして「久保」と、今度は同じ中学出身の同級生に声を掛ける。

「そういう攻め方をされて、おまえどう感じた?」

「うむ。正直ちょっと嫌だな、くらいは思ったよ。ただ二人には悪いが、苦手コースを突いてくると分かったら……かえって、ねらい打ちしやすかったな」

 かつてのライバルの言葉に、高橋と鳥嶋はいっそう赤面した。同時に、他のメンバーは一様に、口をあんぐり開ける。

「……な、なるほど」

 ぽん、と丸井が手を打つ。

「谷原の連中にとっちゃ、相手が苦手コースを突いてくるのなんざ、お見通しだったっつうことか。それで、あんなカンタンに……」

「ま、待てよ」

 戸室が割って入る。

「いぜん川北や他の強豪と戦った時は、このやり方がそれなりに効果あったんだぞ。どうして谷原には、まるで通じないんだ」

「そこが……谷原の、怖いところです」

 声を潜めて、イガラシは言った。

「谷原のように、全国優勝をねらうチームともなれば、相手に研究されるのは慣れっこなんですよ。分かった上で、やつらはそれを逆手に取った。さらに招待野球という舞台を使って、地区を争う他校の面々に、思い知らせたってわけです。いくら調べてもムダだぞってね」

 横井が「ははっ」と苦笑いを浮かべる。

「俺……なんだか寒気がしてきた」

 俺も、と戸室が同意した。二人だけでなく、その場にいる誰もが、あらためて谷原という壁の高さを痛感させられる。

「なぁに、そう心配いりませんって」

 イガラシは場違いなほど、声を明るくして告げた。

「向こうのねらいさえ分かれば、あとはその対策を練るだけです。だから……半田さん、ショゲてる場合じゃないんですよ」

「えっ」

 半田が意外そうに、目を見上げる。

「使えないどころか、あのデータは大きな武器になります。ただ方法がちがってただけで」

「そ、そうなの?」

「……おいイガラシ」

 田所は、口を挟んだ。

「そ、その正しい方法ってのが……さっき横井の言ってた、あえて得意コースに投げるっていうやつか」

「ええ。そういうことです」

 あっさりとした返答に、ますます戸惑ってしまう。

「相手が気づいたら、一転して苦手を攻めるとか、駆け引きは必要でしょうけど」

 こちらの不安を察したらしく、イガラシは「だいじょうぶですよ」と笑った。

「もしねらわれたって、井口のボールはそう簡単に打てやしませんよ。いくら相手が谷原でも。スカウトした田所さんなら、よく知ってるはずでしょう」

「し、しかしだな」

「もちろん打たれる危険はありますけどね」

「なぬっ」

 またも思わぬ一言に、あやうくずっこけそうになった。

「き、危険だと承知してんなら……なんで」

「それでも引いちゃダメです」

 ふいにイガラシが、鋭い眼差しになる。その迫力に、田所は一瞬たじろいだ。

「さっきの試合で、じゅうぶん分かったはずですよ。どんなに工夫してボールを散らしたとしても、やつらの土俵で戦っているうちは、まず太刀打ちできないってことが」

 イガラシはそう言うと、隅っこで椅子に腰掛けている、幼馴染に顔を向けた。

「井口。まえにも話したが、一番大事なのは……おまえの気持ちだぞ」

 相手は無言で、目を見上げる。

「いま言ったのは、あくまでも俺の考えだ。おまえが納得できないのなら、ここで撤回したっていい。田所さんの言うように、打ち込まれる危険も少なくないからな」

「こらイガラシ。さっきから聞いてりゃ……俺が打たれる前提で、話すんじゃねぇっ」

 井口が唇を尖らせる。

「昨日も言ったろ。チマチマ投げんのは、俺の性に合わないからな。ふふん、あの谷原を力でねじ伏せるたぁ、こんな痛快なことはねぇって」

「口ではなんとでも言えるぜ。一発たたき込まれてから、後悔すんじゃねぇぞ」

「てめぇ、俺を見くびってんのか」

 二人の喧嘩のようなやり取りに、しかし田所は感心していた。

 昨日話したってことは……イガラシのやつ、今日のこの展開を読んでたのか。井口は井口で、谷原のあんな試合を見せられても、まだ強気を保ってやがる。まったく、大したヤロウどもだぜ。

「……あっ」

 ふとイガラシが、はっとしたように全員を見回す。

「こ、これはあくまで、ぼくの考えを言ったまでです。やるかどうかは……みなさん全員の心意気と、覚悟しだいかと」

 丸井が「ふん」と鼻を鳴らす。

「あいかわらず、すぱすぱ耳の痛いこと、言ってくれるでねぇの」

「ど、どうも」

 イガラシは苦笑いした。丸井は一つ咳払いして、返答する。

「俺はのるぜ」

「丸井さん……」

「なにもしねぇでムザムザと、向こうさんの餌食になるのはゴメンだからな。これしかないって言うのなら」

「ありがとうございます。丸井さんがその気なら、心強いですよ」

「けっ、似合わないお世辞言うんじゃねぇ」

 丸井のすました返答に、イガラシは「あっ」とずっこける。

「おい、三人とも」

 不服そうに割り込んだのは、横井だった。

「先輩を抜きにして、勝手に話を進めるんじゃねぇ。言い出したのは俺だかんな」

「こら横井。おまえの場合、苦し紛れの思いつきだったろ」

 田所が突っ込むと、横井はにやっとした。

「な、なんだよ」

「あまり見くびらないでくださいよ。俺にだって、ちゃんと考えがあるんですから」

 そう言うと、後輩の三人に顔を向ける。

「イガラシの話を聞いて、思ったんだけどよ。強気で攻めるってのは……ひょっとしてバッティングでも、同じことが言えねぇか」

 へぇ……と、イガラシは興味深げに目を見上げた。

「おもしろいですね。たとえば、どんな具合です?」

「む、そうだな。たとえば……村井の勝負球、インコースをねらう、とかはどうだ」

 周囲の溜息をよそに、横井は勢い込んで言った。

「半田の話では、いままで打たれたことがないんだろ。そのボールを捉えられたら、向こうのバッテリー、かなり動揺すんじゃねぇか」

 イガラシは、微笑んで答える。

「た、たしかに。それはぼくも考えましたけど」

「おっ。さすがイガラシ、分かってる」

「ただ、打てなかった場合……相手バッテリーを助けることになっちゃうので」

「なんだよ、イガラシらしくもねぇ。そりゃ、いますぐ打てるとは言わねぇが、大会までにしっかり練習すりゃ」

 戸室が「よく言うぜ」と、呆れ顔で突っ込んだ。

「そもそも練習したって、おまえに打てるのかよ」

「むっ。やるまえから、そんな弱気でどうすんだよ。打ってやろうっていう意気込みは、大事じゃねぇか」

「イガラシならともかく、おまえの力量じゃな」

「んだとっ」

 丸井が「まぁまぁ」と、二人をとりなした。そして後輩に尋ねる。

「おまえとしてはどうなんだよ。村井さんのインコース、打てる自信あるのか?」

「もちろんです」

 イガラシは即答した。

「というより、打たなきゃいけないと思ってます。戸室さんの言うように、全員はムリだとしても。何人か打てたら、それだけで相手にダメージを与えられます」

「……たしかに、そうだと思う」

 ふいに口を開いたのは、松川だった。

「横井さんとイガラシの言うように、勝負球を打たれるのは、ピッチャーにとってショックが大きい。まして、ほとんど打たれたことがないタマであれば、なおさらです」

 朴訥とした口調ながら、同じ投手である松川の発言には、かなり説得力があった。

「ち、ちょっと……いいですか」

 その時、半田がおずおずと挙手する。

「二人の意見も良いと思うんですけど、ほかにも……昨年の専修館戦で、百瀬さんを攻略した方法は、どうですか?」

 おおっ、と島田が声を発した。

「わざとキャッチャー寄りに立って、カーブを封じたやつだな」

「うむ。このやり方なら、村井さんのインコースを打てる打てないに関係なく、誰にでもやれるから」

「打てなくてもいいって言うのなら、まだあるぜ」

 加藤が口を挟む。

「あの箕輪がやったように、バントの構えをしたりファールで粘ったりして、揺さぶるんだ。それをしつこく続ければ、あの村井さんもコントロールを乱すかも」

「よ、よしっ」

 横井が、声色を明るくして言った。

「ひとまず……ここまでの意見、まとめてみるか」

 そう言ってチョークを手に取り、小黒板に箇条書きする。

 

「谷原の攻りゃく法」

・わざと相手バッターの得意コースに投げ、配球を読まれないようにする

・エース村井の勝負球・インコースの真っすぐとカーブをあえてねらう

・キャッチャーの近くに立ち、インコースへ投げにくくする

・バントの構えで揺さぶったり、ファールで粘ったりする

 

 書き終えると、横井は短く吐息をついた。

「……ふむ。こうして話し合うと、あんがい出てくるもんだな」

 戸室が「ああ」とうなずく。

「それにインコース打ちはともかく、ほかのは誰にでもできることだからな。少し気が楽になってきたぜ」

 一連の議論を、田所は半ば呆然と眺めていた。おまえらなぁ……と、独り言が漏れる。

「なんでしょう?」

 横井が振り向いて言った。

「ああ、いや……よくもこんなに考えついたなと思ってよ。しかし、言うは易く行うは難しだ。これらの戦法を、あの谷原相手に実行するには、それなりに鍛錬ってもんが必要だぞ」

 後輩達を頼もしく思いながらも、田所は案じてしまう。意気込みは買うが、ただの向こう見ずではいけない。

「先輩。いまさら、なにをおっしゃるんです」

 胸を張って、横井は答える。

「いままでも、俺達ずっと谷口にシゴかれながら、いくつも強敵を倒してきたんスよ。ムチャをやるのは、もう慣れっこです」

 加藤が「それは言えてる」と、笑ってつぶやいた。真向かいで、島田もうなずく。

「そうやって、あの東実も専修館もやっつけたんだ。やって、やれないことはない」

 戸室が「あちゃぁ」と、腰に手を当てて苦笑いする。

「うちの野球部、なんでいつもこうなるんだか。しゃーない。どうせおかしいなら、みんなでってか」

「ふふ、まったくだ」

 返事した後、横井は首を傾げる。

「あとは……こうして話し合ったことを、ちゃんと谷口と倉橋に伝えなきゃいけないが。はて、どう説明したものか」

「その必要はねーよ」

 ふいにカチャリと音がして、ドアが開けられた。全員がそこに視線を向けると、谷口と倉橋が姿を現した。

「き、キャプテンっ。それに倉橋さんも」

 丸井が口をあんぐり開ける。

「みんなの話、聞かせてもらったよ」

 倉橋の傍らで、谷口はややバツが悪そうに言った。

「な、なんでぇ。帰ってきてんのなら、そう言ってくれりゃいいのに」

 横井が唇を尖らせる。

「スマン。みんなの話が、おもしろくてな。つい……聞き入ってしまったんだ」

 そ、それで……と尋ねたのは、丸井だった。

「キャプテンは、どう思います? ぼくらの意見」

「うむ。それなんだが」

 谷口は、表情を引き締めて答える。

「じつは……俺も、同じことを考えてた」

 途端、ナイン達から「ええっ」と驚く声が上がる。

「谷原の試合の後、倉橋とその話をしてたんだ。どうも定石通りの配球が、通用する相手じゃない。それより打たれるのを覚悟で、思い切った攻め方をすべきなんじゃないかって」

「ま、こっちも似たようなことは思ってたし。いいんじゃないかって答えたんだが」

 ぽりぽりと頬を掻きながら、倉橋が吐息混じりに言った。

「しかし……正直、驚かされたぜ。こっちと同じ結論を出した上に、その発想をバッティングにまで応用させるとは」

「そ、そうだろう?」

 横井が胸を反らせる。

「どうだ倉橋。俺らもけっこう、やるだろう」

「なに気取ってやがる。ほとんどイガラシの入れ知恵だったくせに」

 倉橋の突っ込みに、横井は「あらっ」とずっこける。

 谷口は、部屋の中央へと移動し、周囲の部員達を見回す。

「……よし。ここまでの話を、結論としていいか」

 キャプテンの問いかけに、全員がうなずく。

「なぁみんな」

 さらに畳み掛けて、谷口は言った。

「さっきイガラシも言ってたが、つぎ谷原と戦う時は、絶対に引いちゃダメだ。この試合は、われわれの勇気が試される一戦になる。どんな展開になっても、あきらめずに喰らいついていく。そういうチームを、ともに作り上げていこう!」

 キャプテンの言葉に、ナイン達は力強く応える。

「よしきたっ」

「おうよ、やってやろうぜ」

「俺もついていきます」

 田所は、不覚にも涙腺が緩んだ。ハンカチを取り出し、目元を拭う。

「お、おまえら……すっかりたくましくなりやがって。ううっ」

「……あ、あの。田所さん」

 ふと顔を上げると、鈴木が立っていた。なにやら顔が引きつっている。

「な、なんだよ鈴木。人がせっかく感動に浸ってる時に」

「すみません、ちょっと言いにくいんスけど……」

 一つ吐息をつき、鈴木は言った。

「アイス溶けちゃってます」

「え……ああっ、いけねぇ!」

 田所は慌てて、部室の隅で置きっぱなしになっている、アイスクリームの紙袋に手を伸ばした。

 

 

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【野球小説】続・プレイボール<第13話「考えよ!墨高ナインの巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】stand16.hatenablog.com
  • 第13話 考えよ!墨高ナインの巻
    • 1.半田によるデータ分析
    • 2.二人の懸念
    • <次話へのリンク> 
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】
stand16.hatenablog.com

 


 


 


 

第13話 考えよ!墨高ナインの巻

www.youtube.com

 

1.半田によるデータ分析

 

 河川敷のミーティングから、五日間が過ぎた。

 キャプテン谷口のもと、あらためて「谷原を倒して甲子園へ行く」という目標を誓い合った墨高ナインは、よりいっそう練習に熱が入るようになる。

 さらには、引き分けに持ち込んだ箕輪戦を始め、このところの対外試合の好調ぶりもあり、すでに誰もが「自分達はやれる」との思いを、胸の内に抱き始めていた。

 そして土曜日。ナイン達は、全体練習をいつもより早く切り上げ、部室へと集まる。

 翌日には、招待野球に出場する谷原の試合を、全員で偵察へ行く予定を組んでいた。その予習として、かねてより半田が進めていた谷原の詳細な分析結果が、全体ミーティングの場で披露されたのだ。

 

「……ええと、つぎは九番の村井さんです」

 半田は、持ち込んだ小黒板に、A4サイズの紙を貼り換えながら言った。紙には、各選手の特徴が、マジックペンで細かく書かれている。

「村井って、あのエースの」

「そういやぁ……俺達との試合でも、けっこう打ってたような」

 ナイン達からざわめきが漏れた。

「はい。みなさんもご存知の通り、村井さんはバッターとしても要注意です」

 差し棒を使い、半田が項目ごとに説明していく。

「ピッチャーということで打順こそ九番ですが、その打力はクリーンアップに匹敵します。これも片瀬君と一緒に調べたのですが」

 長机の隅の席で、片瀬が小さくうなずいた。この分析には、全国大会に詳しい彼もかなり協力している。

「村井さん……春の甲子園では、打率五割近く。しかも半分以上が長打、ホームランも二本打っています」

 横井が「おいおい」と、溜息混じりに言った。

「九番バッターが五割近く打つなんて、やはり恐ろしい打線だな」

「だ、だいじょうぶです。おさえる方法はありますよ」

 にこっと笑い、半田は話を続ける。

「村井さんは、じっくりとボールを見てくる傾向にあります。追い込まれても対応する自信があるのでしょう。とくに……カーブやフォーク、チェンジアップなど、緩い低めの変化球を得意としています」

 その言葉に、倉橋が「ほぉ」と声を発した。

「いま半田が言ったこと、俺も覚えがある。まえに当たった時、やつには三安打を許しちまったが、たしかにフォークとカーブをうまく打たれた」

「ですが、緩いボールに強い分……どうやら真っすぐを苦手としているようです」

 半田がこう言うと、倉橋は目を丸くした。

「む、そうなのか」

「はい。春の甲子園のビデオを見たら、真っすぐを続けられると、押されてフライを上げてしまっていました。しかも、コースを突かれた時だけじゃなく、けっこう甘めのところでも、打ち損じていました」

「なるほど……たしかにまえの対戦では、谷口が力んじまって、なかなか速球でストライクが取れなかったからな」

 倉橋の傍らで、谷口が「メンボクない」と頬を赤らめる。

「……そ、それと。打線としての特徴ですが」

 コホン、と半田は咳払いを一つして、説明を再開した。

「ぼくらと戦った時が、そうだったように、ほとんど小細工はしてきません。する必要もないと思っているのでしょう。バッターとの勝負に集中できる分、ある意味……箕輪よりはやりやすいかもしれません」

 よかったぁ……とつぶやいたのは、井口だった。

「小細工してくるチーム、苦手なんだよ。力勝負なら望むところ……あっ」

 途端、ぎろっと丸井が睨む。

「テメェはだまってろ」

「す、すみません」

 井口の隣で、イガラシが「ぷっ」と吹き出した。

「は、話変わって……ピッチャーの村井さんについて説明します」

 半田がまた、黒板の紙を貼り換える。

「みなさんも対戦して、よく分かっているでしょうが、村井さんは左のいわゆる本格派投手です。剛速球にくわえて、鋭く曲がるカーブ。あとシュートとチェンジアップも持っているようですが、ほぼ速球とカーブを使い分けます」

 ふむ、と谷口が相槌を打つ。

「いぜん戦った時も、たしかに半田の言うように、ほどんどこの二択だったな」

「ええ。速球とカーブの威力に、よほど自信があると見えます」

 倉橋が「コントロールも抜群だったぞ」と、苦笑いを浮かべる。

インコースアウトコース、高低。まさに自由自在という感じだったな。だから、速球とカーブだけで足りるんだろう」

「はい、まさにそうなんです」

 半田は、深く首肯した。

「とくにインコースへ真っすぐとカーブは、春の甲子園でも、ほぼ打たれていないようです。ただ……ここからが、大事なんですけど」

 ナイン達はやや前傾して、少しも聞き漏らすまいと静聴している。

「やや球質が軽いのか、ミートしさえすれば飛びます。いいですか……ねらい目は、アウトコースの真っすぐ」

 何人かのごくりと唾を飲み込む音が、静かな部室に響く。

春の甲子園で、点を取られた場面では、このボールをねらい打たれたものです。というか、ぼくらとの試合でも……後半みなさんの目が慣れてからは、いい当たりも増えてました」

 横井が「た、たしかに!」と声を上げた。

「あ……スマン。けど言われてみりゃあ、あの村井ってピッチャーに関して言えば、まるで打てそうにないってほどじゃなかったな」

「俺もそう思います」

 向かい側で、島田が同意した。

「打席に立っていて、けっしてミートできない球だとは思いませんでした」

「ま、待てよ」

 口を挟んだのは、戸室だった。

「そんなら六回以降、なぜ一点も取れなかったんだ」

「守備ですよ」

 おもむろに、イガラシが答える。

「ランナーのいない時、やつら内野守備は深めにシフトを敷いていましたから。よほどうまく打たない限り、抜けませんよ。おまけに外野は前に出てきてたので、ポテンヒットも望めませんでした」

「まぁ待てよ、みんな」

 横井が割って入る。

「あん時、俺達はまったく対策も取らずに臨んだんだ。それで、いい当たりを打てたんだから、しっかり練習すりゃあ……」

「お、おう。そうだな」

 今度は、戸室も同調した。

「いままでも俺達……そうやって東実の中尾さんとか専修館の百瀬さんとか、好投手を攻略してきたんだ。だよな、谷口」

 急に話を向けられ、谷口は「あ、あぁ」と曖昧に返事する。

「でも、みなさん。だからって油断しちゃダメです」

 半田が声のトーンを落とし、戒める口調で告げた。

「追い込まれてしまうと、もうお手上げです。例のインコースに、速球かカーブがきます。ここへ投げ込まれると、選抜に出たバッターでも、ほとんど打てていませんから。谷原に勝った西将学園でさえ、避けていましたから」

「ま、いずれにしろ」

 倉橋が腕組みをして、渋い顔で言った。

「前回のように大量失点してしまうと、多少反撃したところで、焼け石に水だがな」

 丸井に脇腹を小突かれ、井口は「う、ウス」と返事する。

 谷口は、ちらっとイガラシに目をやった。しばし沈黙したまま、何やら考え込むような表情だ。こういう時の彼は、異論をあえて控えていたりするから、気に掛かる。

「……む、そういやぁ」

 戸室の声に、現へと引き戻される。

「谷原に勝った、その西将学園ってトコも……来週来るんだったよな」

 なあ谷口、と話を向けられる。

「うむ。たしか田所さんが、先週言ってたな」

 井口が、ふいに「へぇっ」と声を発した。

「キャプテン。せっかくだし、来週も見に行きませんか? 高校生は無料だそうですし」

「こら井口。おまえ……」

 勢い込んで言った後輩を、戸室は睨む。

「ちと骨休みしたいもんで、そう言ってるんじゃねぇだろうな」

「そ、そんな戸室さん」

 苦笑い混じりに、井口は軽く抗議した。

「もちろん夏大のためですよ。なにせ、谷原を破ったとこですし。戦い方とか、参考になるかもしれないじゃないスか」

「わ、わかった。そうムキになるなよ」

 戸室は一転して、井口をなだめる。思いのほか相手が生真面目に答えたので、かえって戸惑ったらしい。

「……うむ。検討しておくよ」

 谷口はしばし考えてから、返答した。

「参考になるかどうかはともかく、レベルの高い野球を見ておくのも勉強になるだろうし」

「さっすがキャプテン。お話、分かります」

 その時、ちょっといいですか……と、加藤が話に入ってきた。

「キャプテン。その件ですが、どうも揉めているらしいですね」

「どういうことだ?」

「あ、知らないですか。今朝の新聞に載ってましたよ」

 加藤は、幾分スキャンダラスに言った。

「この招待野球、谷原以外は……参加を打診したシード校に、ことごとく断られてるみたいですよ。どうやら出場校の規定、ちゃんと決めてなかったらしくて」

「あっその記事、俺も読んだぞ」

 戸室が反応する。

高野連が、だいぶ慌ててるそうじゃないか。あんな有名校を招待しておいて、対戦校も用意できないとなれば、おエライさんのメンツは丸潰れってとこだな」

「ええ……まぁ、断る気持ちも分かりますけどね」

 やや首を傾げて、加藤は言った。

「今年の夏は、どこも打倒谷原で血眼になってるってのに。招待野球なんて目立つトコで試合するなんざ、ライバルにわざわざ手の内を晒すようなもんじゃないですか」

 淡々とした口調で、かなり生々しいことを言う。

「三チームで総当たり戦とかすりゃいいのに」

 戸室がもっともな意見を述べると、加藤は「それが……」とかぶりを振った。

「全国大会で当たったチーム同士は、組まないってルールを、先に作っちゃったらしいですよ。谷原と西将は、春の甲子園で対戦してるので」

 妙なところで盛り上がり出したので、谷口は「もうその辺にしておけ」と制した。

「……おっと、もう六時前じゃねぇか」

 部室の時計を確認し、倉橋が言った。

「半田。話はもう、以上か?」

「はい。ぼくの方からは、これで終わりです」

「ここまで、よく調べてくれたな。大いに参考になったよ」

 珍しく褒められ、半田は「そ、そんな……」と照れた顔になる。

「半田。俺からも、礼を言う。ありがとう」

 そう言って、谷口は立ち上がった。半田がますます真っ赤になる。

「……よし。明日も早いし、みんな今日は解散しよう」

 横井から「ちがうだろ」と、思わぬ反論がきた。

「えっ?」

「どうせ明日は、招待野球で時間を取られるんだ。いまからでも素振りとかダッシュとか、十分やれることはあるじゃないか」

「そ、そうだな」

「……あの、キャプテン」

 今度は、一年生の久保が挙手する。

「ぼくら、これから集まってトスバッティングと素振りをやる予定なんです。ですから、しばらく道具を貸していただけないでしょうか」

「お、おう。もちろんさ」

 横井が「あ、ずりーぞ」と突っ込む。

「トスバッティング、俺もやろうと思ってたのに」

「こらっ」

 くすっと笑い、倉橋は横井をたしなめた。

「後輩の練習をジャマするなんて、大人げねーぞ。それにおまえ、いま素振りとダッシュをしてくると言ってたろ」

「わ、わかったよ。しっかし」

 一つ吐息をつき、横井が目を細める。

「今年の一年は、どいつもこいつも練習の虫だな。俺らもウカウカしてらんねーぜ」

「ふん。心がけとしては、悪くないんじゃねぇか」

 倉橋はそう言って、ぽんと横井の肩を叩く。

「……キャプテン」

 ふいに声を掛けられ、はっとする。イガラシだった。

「さっきの加藤さんの話、気になりませんか?」

 他の一年生と道具を準備しながら、問うてくる。

「気になるって……招待野球の出場校が、決まらないって話か」

「ええ。ぼくも、他のチームが断るのは、分かるんですけど……それなら谷原は、どうして引き受けたんでしょうね」

 谷口は、思わず「えっ」と声を発していた。さっきは考えもしなかった指摘だ。

「どうしてって……あれだけ実績のあるチームなんだし、余裕なんじゃねぇか」

 傍らで根岸が呑気そうに言うと、イガラシは「ばかいえ」と返した。

「周りに警戒された中で、また地区を勝ち上がるってのは、生半可なことじゃないんだぞ。そんなことも分からないチームが、全国の四強になんか進めるかよ」

 小さく吐息をつき、独り言のように言った。

「谷原こそ、断ってもいいはずなんだ。やつら……なにを企んでやがる」

「まぁ、イガラシ」

 谷口は、ぽんと後輩の肩を叩いた。

「いったん後回しにしよう。どっちみち明日になれば、はっきりする。ほら……これからみんなと、練習するんだろう」

 部室のドア付近には、一年生達が集まっている。イガラシを待っているらしい。

「あ。はい、そうでした」

 思いのほか、イガラシはあっさり引き下がった。そして久保や根岸達と道具を抱え、外へ運び出す。

「じゃ、俺もダッシュしてくるか」

 横井もそう言い置き、戸室らと連れ立って部室を出ていく。

「ははっ。一年生はともかく、おどろかされるのは上級生達だよな」

 谷口の傍らで、倉橋が笑った。

「ついこの間までは、練習がキツイだの早く帰りたいだの、ブツクサ言ってた連中がよ」

 その倉橋を、ふいに松川が「先輩」と呼ぶ。さっきまで爪の手入れをしていたが、どうやら済んだらしい。

「おう。どしたい松川」

「もう少しだけ、受けてもらえませんか」

 思わぬ一言に、さしもの倉橋も「はぁ?」と間の抜けた声を発した。

「おまえ、今日さんざん……二百球近く投げ込んだじゃねぇか」

「まだ足りません。早いうちに、感覚をつかみたいんです」

 ほぉ……と、谷口は吐息をつく。

「そういえば、松川はちょっとフォームを修正してるんだったな」

「ああ。といっても、踏み出す足の歩幅を、ちょっと短くしただけだが」

 倉橋が答えた。

「昨日試しにやってみたんだが、けっこうハマってな。いぜんよりも、ずっと球威が増してきてる感触だ」

「へぇ……倉橋が言うのだから、そうとうだな」

 この頃、松川は目の色が違ってきている。打ち込まれた箕輪戦のショックを振り払いたいのか、それとも上級生としての自覚が芽生えつつあるのか。いずれにしても、後輩の成長は素直に嬉しい。

「……あのぅ。お取込み中、失礼なんですが」

 もう一人部室に残っていた丸井が、ひらひらと手を振った。

「よかったら、俺っちが松川につき合いますよ」

 丸井はそう言うと、こちらにウインクする。気を利かせたつもりらしい。

「え……いいのか、丸井」

 戸惑う松川に、丸井は「お安い御用さ」とおどけて言った。

「た、助かるよ」

「なーに。その代わり、バッターの目線で、きっちり意見は言わせてもらうぞ。あ……なのでキャプテンと倉橋さんは、ご心配なさらず。たまには早く帰って休まれてください」

「……うむ。じゃ、そうさせてもらうよ」

 谷口は、微笑んでうなずいた。

  

2.二人の懸念

 

「よう谷口」

 校門をくぐると、ワイシャツ姿の倉橋が外灯下に立っていた。先に部室を出たはずだが、どうやら待っていたらしい。

 二人は並んで、荒川沿いの道を歩き出した。

「倉橋。松川に付いてやらなくて、よかったのか?」

 尋ねると、「よく言うぜ」と返される。

「谷口こそ。いつもなら他のやつを教えたり、自分の練習をしたりして、遅くまで残ってるじゃねぇの。それが珍しく、一人さっさと引き上げようなんてよ」

「あ……そうだったな」

 しばし間を置き、倉橋が問うてくる。

「なに悩んでんだよ」

「えっ。そう見えるか?」

「顔に書いてあんぞ。半田がしゃべってる時から、ずっと浮かない表情だったな」

「それは、まぁ……色々と」

 誤魔化そうとすると、倉橋は「おいおい」と苦笑いした。

「水くさいじゃねぇか。他の部員もいねぇんだし、俺にくらい話してくれてもいいだろ。それに一人で悩むより、二人で考えた方が、良い知恵も浮かぶってもんだ」

「た、たしかに。それは言えてるな」

 谷口は納得して、正直に考えを打ち明けることにした。

「さっき半田が話してた、各打者の苦手コースを突くって話だが……たしかに昨年は、そのやり方が有効だった。しかし同じ方法が、あの谷原にも通じるだろうか」

 傍らで、倉橋はしばし黙って話を聞いていた。

「思い出したくもないが。前に戦った時だって、コースや球種を散らして、どうにか打ち取ろうとしたじゃないか。それでも、彼らは難なく対応してきた。あれは……ちょっとやそっと工夫したくらいじゃ、どうにもならないほどの力量差だった」

「うーむ……俺は、あんときゃ谷口も本調子じゃなかったから、つぎも同じ結果にはならないと思ってるがな」

「ありがとう。ただ、もう一つ気になることがあるんだ」

 吐息混じりに、谷口は言った。

「なんだい?」

「さっきイガラシの話を聞いて、ふと気づいたんだが……谷原が他から警戒されるのは、なにもいまに始まった話じゃない」

「む。たしかに現チームは別格にしても、毎年のように優勝候補に挙げられるからな」

「だから、あんなふうに研究されて、弱点を突かれるっていう状況……もしかして谷原は、慣れっこなんじゃないか」

 さすがに、倉橋の顔色が変わった。

「……な、なるほど。つまり俺達のやろうとしていることなんざ、谷原にとっちゃ、ちっとも脅威じゃないってことか」

 ふいに突風が吹いた。足元の小石が、僅かながら跳ね上げられていく。

 

 谷口と同じ懸念を抱いている者が、もう一人いた。

 

 グラウンドの隅で、イガラシは籠の古いボールで、トスを放っていた。ボールを打ち返す打者は、同学年の久保だ。

 カキッ、バスン。カキッ、バスン。ボールとネットが、交互に小気味よい音を立てる。

「……よし。そろそろコース、投げ分けるぞ」

 久保の斜め前に立ち、イガラシは声を掛けた。

「ああ、たのむ」

 ボールを真ん中、高低、左右……と、まんべんなく散らしていく。久保は、さすがにレギュラーをほぼ手中にしているだけあり、どのコースも難なく捉えてきた。しかし、あえて注文を付ける。

「当てにいくスイングになってるぞ。しっかり振り抜け」

「おうっ」

 それから五球投じる。久保はすべてミートしたが、イガラシは首を横に振った。かつては共に、墨谷二中のクリーンアップを担った。実力を認めるからこそ、自然と求めるレベルも上がる。

「この振りじゃ、速いボールには差し込まれちまうぞ。たとえミートできても、シングルヒット止まりだ。ピッチャーからすりゃ長打のないバッターなんて、ちっても怖かねぇよ」

「……わ、わかった」

「ほれ、つぎいくぞ」

 そう告げて、ほぼ真ん中にトスした。久保は力んだのか、ボールの下を叩いてしまう。

「ばかっ。誰が振り回せっつったよ」

「す、すまん」

 相手が苦笑いした。イガラシは、小さく吐息をつく。

「ほかの一年のやつにも言えることだが、どうも変化球を意識しすぎて、スイングが小さくなっているようだ」

「そ、そうなんだよ」

 溜息混じりに、久保はうなずく。

「中学では地区の四強クラスとでも当たらない限り、あんなたくさんの球種を投げ分けるピッチャーを対戦することなんて、なかったのに。やはり高校はちがうな」

「そりゃトップレベルともなれば、いますぐプロでも通用しそうなピッチャーのいる世界だからな。中学のようにはいかんさ」

 イガラシは「けど……」と、語気を強めて言った。

「だからといって、自分のスイングを見失うようじゃ話にならんぞ。ピッチャーの立場から言やぁ、やはり怖いのは、しっかり振ってくるバッターだ」

「む。そうありたいが、まだちょっとフルスイングは勇気がいるよ」

「おまえ……ちと、カン違いしてるようだな」

 イガラシはそう言うと、自分のバットを手にした。

「三球でいい。俺の打ち方、よく見てろ」

「うむ、わかった」

 言われるまま、久保がトスを上げた。イガラシはそれを打ち返す。

 カッ、ズドン。明らかに、さっきより迫力ある音が鳴った。久保は、驚いたのか「わっ」と声を上げる。

「どしたい。ぼんやりしてたら、日が暮れちまうぞ」

「……あ、あぁ」

 イガラシに促され、久保はトスを続ける。二球目は内角低め、三球目は外角低めといずれも難しいコースだったが、難なく弾き返した。ネットを裂くような音が、立て続けに響く。

「す、すげぇっ」

「これで分かったろ。俺だって、なにも振り回してるわけじゃない。バットにボールが当たる時、いちばん力が出るようにしてるだけだ」

「たしかに打ち始める時は、むしろ脱力してるな」

「ああ。ぎゃくに……おまえのスイングは、ミートの瞬間に力が逃げちまってる。バットコントロールがうまいだけに、もったいない」

 久保はバットを拾い、二、三度素振りする。

「なにか、コツはあるだろうか?」

「そんなら墨二時代……俺、さんざん言ったろう」

 含み笑いを浮かべ、イガラシは答えた。

「わきをしめてシャープに振る。それと、コースにさからわず打ち返す」

 なるほど、と久保がうなずく。

「けっきょくは、基本が大事ってことか」

「そういうこと。ほれ、分かったら続けるぞ。俺の打つ時間がなくなっちまう」

「よしきたっ」

 二人は、およそ五十球を打ち合う。

「……むっ。なんだ?」

 ボールを集めようとして、イガラシがふと振り返ると、数人が集まっていた。

「どしたい。おまえらバット持ったまま、そこに突っ立ってやがって」

 馴染みの根岸や井口だけでなく、岡村や平山、松本、旗野。半数近くの一年生がそこに来ている。

「い、いやぁ……イガラシの話、かなり参考になると思って」

 岡村が照れた顔で言うと、松本もうなずく。

「俺なんてこのまえの試合、イガラシから聞いた通りに打ってみたら、ヒット二本も出ちゃったもんな」

「うむ。やはり全国優勝チームのキャプテンだっただけあって、説得力がちがうよな。おいイガラシ、根岸や久保だけじゃなくて、俺達にも教えてくれよ」

 大きく溜息をつき、イガラシは「ばーか」と返答した。

「人に頼ってばっかいないで、ちっとは自分で工夫しろよな。それに松本。おまえの二安打は、たまたま相手の野手がいないところに飛んだだけだ。もっとねらってセンターへ打ち返せるようにならねぇと……な、なんだよ久保」

 隣で、久保がくすっと笑い声を漏らした。

「文句言いながらも、けっきょくアドバイスしてるじゃねーか。あんがい優しいのな」

「よ、よせやい」

 ボールを拾い終え、籠をネットの手前に置く。

「ほれ、平山に旗野。つぎは二人の番だろ。ムダ口を叩いてたら、あっという間にボールが見えなくなるぞ。それと……井口、根岸。ちょっといいか」

 イガラシは二人を呼び寄せた。そこに久保も加わる。グラウンドの隅に、四人で小さく円座になった。

「井口。ボール一個もしくは半個分の出し入れ、意図してできるか?」

「当たり前だろ」

 井口は得意げにうなずいた。

「昨年対戦して、おまえも十二分にわかってるだろ。まだカーブは、ちと自信ねぇが……速球とシュートなら自由自在さ」

「じゃあ根岸と組んで、それを一球のミスなく投げられるように練習しといてくれ。もちろん俺も手伝う」

 その時、久保が「なぁイガラシ」と割って入る。

「なんだか、さっきから浮かない顔だな。心配事でもあるのかい?」

「……うむ。まぁ、いずれ話そうと思ってたし」

 イガラシは、率直に答えた。

「半田さんが説明してた、谷原の攻略法だが。ありゃ……おそらく通じねぇよ」

 三人が、同時に「なんだって!」と声を上げる。

「ばかっ、声が大きい。いまは、ここだけの話にしておくから、静かに聞いてくれ」

「で、でもよ……あれだけ細かく調べたデータだぞ」

 久保が両手を広げ、納得いかないジェスチャーをした。イガラシは苦笑いする。

「あのデータが使えない、なんて言ってねぇよ。むしろ有効に活用できれば、大きな武器になるだろう。問題は……その使い方だ」

「つ、使い方だと?」

 井口が目を丸くする。

「久保、ぎゃくの立場で考えてみろよ。墨二時代、俺らも金成中を始め、他のチームに研究されて、苦手なコースを突かれたてたろ。それ、どう感じてたよ」

「うむ。そういやぁ、大して手は焼かなかったよな。他校がそんなことしてくるのは、百も承知だったし。やはり井口のいた江田川のように、ほんとの実力がないと……」

 話す途中で、久保は「ああっ」と声を発した。

「やっと気づいたかい。それと同じことを、うちは谷原にやろうとしてるんだ。百戦錬磨の向こうさんにとっちゃ、なんの脅威でもねぇ」

「おいイガラシ」

 根岸が口を挟む。

「そこまで分かってんなら、なにか策があるのか?」

「もちろん」

 あっさり答えると、三人は驚いた顔になる。

「ど、どうするんだ」

「しっかりしろよ根岸。おまえ、キャッチャーだろう」

 からかうように言って、イガラシは口元を引き締めた。

「さほど難しい発想じゃねぇよ。ただ、やるのはちょいと、覚悟が必要だぞ」

 四人から数十メートルの距離で、岡村が素振りしている。その少し手前で、平山と旗野がトスバッティングを続けていた。

 また外野側のブルペンから、投球練習の音が響いてくる。丸井と松川、片瀬だろう。さらにグラウンドの奥では、上級生達が走り込みを行っていた。

 誰もが来るべき決戦の時に備え、自分のやるべきことに取り組んでいる。

「そうだな。俺なら……」

 淡々と語られるイガラシの言葉に、三人は黙して耳を傾けた。

 

 

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※過去記事より【2013年・秋季九州大会決勝】沖縄尚学-美里工業<名勝負プレイバック> 

 

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1.はじめに

 

 先日、ある美里工業OBの方より、DMをいただいた。詳細を明かすことはできないが、当時の悔しさは今でも鮮明に覚えているとのこと。

 本人の胸中は察してあまりあるが、しかし沖縄高校野球の一ファンの立場からすれば、球児達がそれくらいの情熱を賭けていたという事実は、何とも嬉しいものだ。

 その彼とのやり取りがあって後、ワードの文書ファイルを開いてみると、スポナビ+時代に書いた記事のデータが出てきた。せっかくなので、ここに再アップする。

 奇しくも、今世代でも沖尚と美里工業は、夏の覇権を争うライバル関係である。現役の球児達の参考に……とまでは言わないが(笑)、沖縄県勢同士で九州の決勝を戦った、その激闘を振り返ってみたい。

 

2.過去記事から

 

【決勝戦】 沖縄尚学(沖縄) 4-3 美里工業(沖縄)

 

 間違いなく、今大会最高レベルの試合だったと思う。また同時に、「今までで一番強い相手」だとお互いに感じたのではないだろうか。

 

 沖縄尚学と、美里工業。両チームの選手達の個人能力、チーム戦術、体力、集中力、そして気迫……これらを総合的に見ると、やはり“沖縄2強”と呼ばれた彼らが、勝つべくして勝ったのだ。そのことを改めて実感させられた、秋季九州大会のクライマックスだった。

 

 この決勝戦のハイレベルさを、何よりも物語っていたのは――自分達の長所であったはずの部分で、双方とも思うように力を発揮できなかったことだ。

 

 まずは一回表。美里工が2番西蔵當祥の左中間への二塁打を皮切りに、沖尚の先発・山城大智に4連打を浴びせ1点を先制する。準決勝までの三試合で抜群の安定感を誇っていた山城が、初回からこれだけ集中打を浴びるのは、秋季県大会・九州大会を通じて初めて見る光景だった。

 

 山城本人の不調もあったかもしれないが、ここは美里工の“チームバッティングの徹底ぶり”を褒めるべきだろう。4連打の内訳は、いずれも「センターから逆方向」へ打ち返したものである。これが山城クラスの好投手に対してできるのは、日頃の練習からそういう意識を持って取り組んでいることの証だ。

 

 更に注目すべきは、美里工は駿足巧打の神田大輝・県大会で2本塁打を放った宮城諒大ら、各選手の能力も高いということだ。素質のある打者が揃うと、攻撃は「選手の能力任せ」になってしまいがちだが……美里工は能力の高い選手を擁しながらも、それに頼り切らないというところが強みである。

 

 しかし、沖尚もこのまま黙ってはいなかった。

 1点ビハインドで迎えた四回表、それまで好投していた美里工の先発・長嶺飛翔がやや制球を乱し、2つの四球で二死ながら一・二塁とチャンスを得る。そして迎えた7番伊良部渉太が、外角寄りにやや甘く入った変化球を見逃さなかった……打球はライト線を破る2点適時二塁打となり、沖尚が2-1と逆転に成功する。

 

 その後再逆転を許すが、八回裏にまたしても沖尚打線が底力を見せ付ける。

 この日はリリーフ登板だった美里工の主戦・伊波友和に対し、二死後に4番安里健が一・二塁間を破るヒットで出塁。続く5番上原康汰は、初球を左中間へ弾き返し二塁打となる。二死二・三塁とチャンスを拡げ、迎えた代打・金城太希が、今度はレフト線を破る2点適時打を放つ。

 二死無走者から一気の3連打、鮮やかな逆転劇である。

 

 今度は、美里工が計算を狂わされる番だった。

 彼らは今大会、本調子でないながら「要所での集中力・プレー精度の高さ」で相手を上回り、厳しい試合をモノにして勝ち上がってきた。これはチームバッティングと並ぶ、彼らの大きな武器だ。

 

 だが……そんな彼らとて、どうにもならない時がある。試合の要所で、相手に自分達を上回る集中力・プレー精度を発揮された場合だ。

 

 美里工が今大会で初めて対戦した、「要所での集中力・プレー精度の高さ」の部分でも自分達と互角以上の相手――それが、同県のライバル校・沖尚だったのである。

 

 それにしても、日南学園戦・安里健の先制2点本塁打や波佐見戦の四回・五回の集中打、そして美里工戦の四回・八回の逆転劇……今大会における沖尚の勝負強さ、甘い球を確実に仕留める“一振りの精度”の高さには、何か“凄み”さえ感じる。単に「打力がある」というだけなら、沖尚より上の強豪校は全国に幾らでもあるだろう。だが、それを勝負所で発揮できるかという点で、沖尚に匹敵するチームは数少ないと思う。

 

 また今大会の沖尚は、各選手の「技術面でのレベルアップ」にも、目を見張るものがあった。

 

 県大会まで、沖尚は変化球投手を苦手とする傾向が見られた。特に美里工との県大会決勝では、その弱点を突かれ、長嶺-伊波の投手リレーの前に僅か2安打に抑えられてしまう。まったく手が出ないというわけではないのだが、内外角の厳しいコースに決められると、強引に打ちにいって凡打に仕留められるシーンが目立っていた。

 

 だが、九州大会では見事にその“解答”を示すことができた。

 その兆しが見られたのは、波佐見戦だった。各打者がベース寄りに立ち、外角の変化球を逆方向へ打ち返す――このバッティングが形になり、変化球でかわそうとした相手投手陣から大量得点を奪った。続く鎮西戦でも、同様のバッティングでサイドハンド投手・須崎琢朗から13安打を放つ。

 

 美里工との再戦となった決勝では、更に「相手に外角へ投げさせる」工夫も見られた。逆転した八回裏、沖尚の各打者はラインの内側ギリギリに立ち、「内角を封じる」策に出る。

 

 前日の疲れからか、この日の伊波はやや制球にバラつきがあった。だから沖尚の内角封じに、美里工バッテリーは“痛い所を衝かれた”と思ったことだろう。結果として、それまで内外角へ効果的に投げ分けていた伊波が、この八回裏に限っては外角一辺倒になってしまう……そこに、沖尚打線が襲いかかった。

 

 試合はそのまま、沖尚が4-3で美里工を振り切った。苦戦の連続だった美里工に比べ、大会を通して安定したパフォーマンスを発揮した沖尚が、その分だけ僅かに上回ったという印象だ。

 

 逆に言えば、それ以外はほとんど差がなかったということである。次当たった時は、おそらく同じ結果にはならないだろう。現時点で、両チームは戦力的にも戦術的にも「ほぼ互角」と見るのが妥当だ。

 

 個人的には、ここまでハイレベルな攻防を見せられると……途中から、もうどっちが勝とうが良いじゃないかという気持ちにさせられた。

 

 他の都道府県に比べると人材の限られている我が県において、全国に通用するチームが同じ世代に2つも現れたということ。それ自体が素晴らしい快挙であるし、沖縄の高校野球ファンの一人として、こんなに誇らしいことはない。夏はどちらかが出られないということが惜しい気もするが、それも贅沢な悩みだ。

  

 最後に――秋季九州大会関連記事の締めくくりとして、言わせていただきたい。

ありがとう、沖縄尚学並びに美里工業関係者の皆さん! 来年の選抜大会、あなた方が甲子園の舞台で躍動する姿を見るのが、今から本当に待ち遠しい。

 

3.終わりに

 

 沖尚と美里工業。結果として、両者は大きく明暗を分かつこととなる。

 この県勢対決を制した沖尚は、その勢いのまま明治神宮大会で優勝。さらに、翌年の春夏の甲子園大会で、ともにベスト8へ進出を果たした。

 一方、美里工業は春の選抜初戦で、関東一高と好勝負を演じたものの、終盤の逆転負けで敗退。さらに、続く春九州で初戦コールド負けを喫すると、夏の県大会では準々決勝で浦添商業に惜敗(奇しくも神谷嘉宗監督の前任校である)。沖尚との最後の決着を付けることなく、無念の夏を終えることとなった。

 

 そして、昨年秋。1年生大会の準決勝で、両校は相まみえた。

 時は巡り、メンバーも違うのだが、当時を髣髴とさせるほと素晴らしい熱戦だった。沖尚はもちろん、敗れた美里工業にも大いに期待したのだが。

……美里工業野球部諸君、そろそろ「終盤の逃げ切り方」を覚えてくれ!(苦笑)。私はほうぼうに、「美里工がまた復活する」と言いふらしているのだが、そろそろ私の見識が疑われる(笑)。

 

 冗談はさておき、今年もこの二校による、素晴らしい熱戦を期待したい。

【野球小説】続・プレイボール<第12話「河川敷のミーティングの巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第12話 河川敷のミーティングの巻
    • 1.OB田所が見た、墨高野球部の成長
    • 2.打倒・谷原への誓い
    • <次話へのリンク>stand16.hatenablog.com
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 


 


 

第12話 河川敷のミーティングの巻

www.youtube.com

 

 

※ 文中、墨高ナインが豆乳を飲むシーンがあります。これは、あくまでもOBの田所が、差し入れで持ってきそうなモノとして浮かんだので、書いただけです(なお、豆乳を飲んでいる野球部は、実際に存在します)。もちろん豆乳の効果を喧伝するためではないので、誤解なさらぬようお願い申し上げます。

 

1.OB田所が見た、墨高野球部の成長

 

 荒川近くに差し掛かると、野球の声が聴こえてきた。三叉路を左折すると、すぐに河川敷グラウンドの光景が飛び込んでくる。

「……おっ。やってるやってる」

 軽トラックのブレーキを踏みながら、田所はつぶやいた。ユニフォーム姿の後輩達が、いつものように白球を追っている。

 田所が、墨高野球部の練習に訪れるのは、約一ヶ月ぶりだ。あの谷原に、衝撃的な大敗を喫した日以来である。

 ショックを受けたであろう後輩達を励ましたかったが、話もそこそこに片瀬を病院へ連れて行くことになり、ほとんど何も言えずじまいだった。さらにあの後、家業が急に忙しくなり、母校へ顔を出す時間すら作れずにいた。

 まったく。商売繁盛はありがてぇが、この大事な時期に、OBとして何もできなかったのは心苦しいぜ……

 路肩に車を停める。降り立った瞬間、田所はびくっとした。

「よぉし。つぎは、ワンアウト一・三塁だ」

 ノックバット片手に、倉橋が野太い声を響かせる。

ダブルプレーをねらうか、バックホームか、それとも確実に一つアウトを取るか。一瞬でも迷ったら、傷口を広げてしまうぞ。判断はすばやく、いいな!」

 おうっ、とナイン達は力強い声を発した。

 どうやらシートノックの最中らしい。各ポジションに一人ずつ、さらにランナーも置き、かなり実践的だ。学校のグラウンドよりも広く使えるので、余ったメンバーは離れた場所で、個人ノックを行っている。

 マウンドには、松川が立っていた。また一塁ランナーとして、田所がスカウトした一人、駿足の岡村を置く。

 倉橋がバットを構える。その刹那、松川は一塁へ牽制球を放った。

「……わっ」

 岡村は逆を突かれたが、間一髪セーフ。

「松川、いい牽制だぞ!」

 キャプテンの谷口が、サードのポジションから声を掛けた。松川は微かにうなずく。

「おい岡村」

 今度は、倉橋が後輩に助言する。

「いまの牽制でびびってたら、相手をラクにするだけだぞ。ひるまず、つぎも長めにリードを取れ。バッテリーとしては、こういうランナーが脅威だからな」

 岡村は「はいっ」と返事して、自らを奮い立たせるように短く吐息をついた。

 倉橋が、今度はバットを振る。速いゴロが、三遊間へ飛んだ。あらかじめ深めに守っていたイガラシが捕球し、まず三塁ランナーを制してから、二塁へ。そのままセカンドの丸井、ファーストの加藤へと渡り、六-四-三のダブルプレーが完成する。

 三塁ランナー役は、島田が務めていた。すぐにキャプテンの声が飛ぶ。

「島田。安全第一もいいが、もうちょっと内野手にプレッシャーを掛けろよ」

「あ……スタートを切るふりをするとか、ですか?」

「そういうことだ。もし送球されても、俊敏なおまえなら、十分還れるだろ」

「は、はい」

 谷口は他の野手陣に向き直り、厳しい顔つきで言った。

「ほかのみんなにも言えることだが、ここまで来たら、どれだけ細かい部分まで徹底してやれるかだ。どんなプレーが効果的か、各自しっかり考えろ。そして決めたら、迷わず実行するんだ。いいなっ」

「はい!」

 眼前の光景に、すげぇ……と田所はつぶやいた。

 こりゃとても、いぜんのように「よっおまえら」なんて、気楽に入っていける雰囲気じゃねぇ。一所懸命なのはずっとだが、なんつうか、一人一人の顔つきが全然ちがう。谷原、そして箕輪と戦った経験が、こんなにもあいつらを変えたのか。

 トラックの傍らに座り、しばらく眺めていることにした。

 にしても……松川のやつ、見違えるほど牽制うまくなったな。あの岡村が、刺されそうになるなんて。

 グラウンド上。倉橋が「スクイズ!」と叫び、三塁線へ緩いゴロを転がす。サードの谷口は鋭くダッシュし、まるでボールを叩くようにグラブトスをした。キャッチャー役の根岸が捕球し、タッチアウト。

「くそっ、うまくすべり込んだと思ったのに」

 ホームベースを島田がバチっと叩き、悔しがる。谷口は「おしかったな」と励ました。

「走塁じたいは、よかったぞ。ただ頭からすべるのではなく、回り込んでベースの隅をはらうようにしたろ。こんなふうに、ちょっとした工夫が大事なんだ」

「あ、ありがとうございます」

 キャプテンはまた、全員に呼びかける。

「いまの島田の走塁、みんなも頭に入れておけ。確実にやれることをやる。こういうスキのない野球をめざそう」

 ナイン達は「おうっ」と返事した。

 遠巻きに一連の光景を眺めながら、田所は深くうなずく。あいかわらず、うまい言い方しやがるぜ……と、胸の内につぶやく。

 結果ではなく、それぞれの工夫と積極性を尊重するキャプテンの姿勢。またナイン達もよくそれに応え、緊張感はありながらも前向きな気持ちで取り組んでいる。

 これは一日やそこらで、作られる雰囲気じゃないな。日々の積み重ねだ。毎日、こんなふうに練習してたら……なるほど、強くなるワケだ。

 それから十球程度打った後、倉橋がライトの鈴木を呼んだ。

「は、はいっ」

 怒られると思ったのか、鈴木が肩を竦める。

「なにビクついてんだ」

 倉橋は苦笑いした。

「そろそろ個人ノックに回れ。代わりに、久保をこっちによこしてくれ」

「あ、はい……」

 やや安堵した顔で、鈴木は走り出す。

 田所が視線を移すと、個人ノック組には半田と数人の一年生が入っている。そのうちの一人、久保が鈴木と入れ替わり、ダイヤモンドへと駆けていく。また、ノッカーは三年生の横井が務めていた。

「おーい。平山と松本」

 倉橋が、個人ノック組の一年生二人に声を掛ける。

「二人もそろそろ呼ぶから、しっかり準備しておけよ」

「はいっ」

「わ、わかりました!」

 田所は、ごくんと唾を飲み込む。

 なるほど。レギュラー組、控え組と分けているんじゃなく、数人ずつ入れ替えながら両方させてるのか。つまり全員をレギュラーとして扱うってことだな。粒ぞろいの一年生のチカラを見込んでのことだろうし、公平っちゃ公平だが……させられる方は大変だぞ。

「ほら松本。いくぞっ」

 横井が速いゴロを打つ。松本は、少し間を置いてからダッシュした。ところが捕球しようとした時、打球がイレギュラーして横に逸らしてしまう。

「す、すみません」

「捕れたかどうかよりも……いま一瞬、迷ったろ?」

「はい」

「その迷いが、試合では命取りになるぞ。出るなら出る、待つなら待つ。さっきキャプテンも言ってたが、決めたら迷うなっ」

「わ、分かりました」

 へぇ……と、田所は吐息をついた。不覚にも、うるっと涙腺が緩んでしまう。

 あの頼りなかった横井が、後輩にここまで的確なアドバイスをできるようになるとは。ここで二年以上過ごして、やつも成長したなぁ。

 田所の感涙をよそに、横井はもう一度速いゴロを打つ。

 松本が、今度は鋭くダッシュした。またもボールはイレギュラーして、捕球し損ねたが、体に当てて止める。すかさず拾い直し、キャッチャー役の平山に送球した。

「オーケー。ナイスプレーよ、松本!」

 横井は、軽くこぶしを突き上げた。

「おまえはグラブさばきがうまい分、きれいに捕ろうとしすぎるクセがある。悪いこっちゃねぇが、よほどきれいなグラウンドじゃない限り、こんなイレギュラーはけっこうあるんだ。そんな時は、いまのように体で止めりゃいい」

「はいっ。どんな打球でも、せめて前にこぼして、必ずアウトにして見せます!」

 素直な一年生に、横井は目を細める。

「そうだ、その意気だっ。よし……つぎは、旗野いくぞっ」

「よしきたっ」

 田所は、しばし後輩達の成長ぶりに見惚れていたが、やがてハタと気付く。

 い、いけね。こうしてただ見てるだけじゃ、来た意味ねぇや。ちったぁ手伝わないと。差し入れも持ってきたし、それに……大事な伝言もある。

 よしっ、と立ち上がり、河川敷の斜面を下りていく。タイミングを見て、こちらから話しかけるつもりだったが、ナイン達にすぐ気付かれてしまう。

「た、田所さん。おひさしぶりですっ」

 横井が、まず声を掛けてきた。それに続いて、他のメンバーも練習を止め、脱帽して次々に挨拶してくる。

「こんにちはっ」

「ようこそ先輩。どうぞ、こちらに」

 田所は慌てて、右手を大きく左右に振った。

「い、いいから。俺にかまうな。気にせず、練習を続けててくれ」

 イガラシが「ははっ」と、笑い声を上げた。

「後輩思いの奥ゆかしいOBの方で、ぼくら幸せですね。そう思いませんか、丸井さん」

「あ、うむ。そうだな……って、こらイガラシ。俺が出しゃばりだって言いてぇのか」

 丸井はぎろっと、イガラシを睨む。途端、同じ墨谷二中出身の久保と加藤が、同時に吹き出した。その傍らで、島田が困ったような顔になる。

「……おい。てめぇら言いたいことは、ハッキリ言うもんだ」

「よしましょうよ。せっかく、田所さんがいらしてるのに」

「先におまえが、ヘンなこと言うからじゃねぇか」

 田所は、苦笑いしていた。

 イガラシのやつ……入部当初はもうちょいおとなしかったのに、これが地か。ずけずけ言うタイプといやぁ、倉橋もそうだったな。いまは周りも実力者ばかりだから、イガラシが浮き上がってしまう心配はなさそうだが。

「……も、もういいだろう」

 その倉橋が、笑いを堪えながら言った。

「忙しい先輩が、こうして見に来てくださってるんだ。いいとこ見せようなんて、気負う必要はねぇが、気の抜けたプレーだけはするんじゃねぇぞ」

 ナイン達の「はいっ」という返事とともに、練習が再開される。

 田所は、そのまま個人ノック組に付き添うことにした。もう一度ノックバットを持った横井に、「代わるぜ」と声を掛ける。

「後輩のコーチもいいが、それだとおまえの練習ができねぇだろ」

「えっ、だいじょうぶですよ。交替ずつやってますし。今年の一年生、中学でキャプテンしてたやつ多いので、みんなノック打てるんスよ」

「ほぉ。いや、遠慮はいらねーよ。じつはな……おまえらが谷原に負けたりケガ人が出たりして大変だった時に、OBとしてなにもできなかったのが、ちと引っかかってたんだ」

「……は、はぁ」

 横井が納得したような戸惑うような、曖昧な声を発した。

「ま、これは俺の勝手なんだが。ようするに……俺はいつでも、おまえ達のチカラになりたいってこった。だから気にしないで、なんでも言ってくれ」

「そっそれじゃあ、おねがいします」

 ノックバットを差し出すと、横井は十メートル程度下がった。そこに他の内野手も二人。さらに二十メートルほど後方には、外野手の三人がそれぞれ控える。

「さ、思いきりお願いします!」

 後輩の掛け声に、田所は「おうよっ」と答える。平山からボールを受け取り、左手でぽんっと浮かせ、バットを振った。

 しかし、ボールはバットを掠めただけで、田所の足元に転がる。

「……れ、おかしいな。このところ仕事ばっかで、ちと体がなまっちまって」

「センパーイ。無理しなくて、いいっスよ」

 横井が、妙に間延びした言い方をした。

「ケガでもされて、仕事にさわったりしたら、ぼくらも引っかかっちゃいますし」

 明らかにからかう口調だ。周囲の部員達も、一斉に吹き出す。

「ば、バーロイ! てめぇなんかに、心配される筋合いなんか、ねぇよ」

 田所はボールを拾い、もう一度バットを振り抜く。

 今度は手応えがあった。痛烈なゴロが飛ぶ。田所が「外野カバー」と言いかけたその時、横井がボールに飛び付く。バシッと音が鳴る。

 起き上がった右手に、ボールが握られていた。すかさず片膝立ちになり、送球する。ワンバウンドながら、平山はほとんどミットを動かすことなく捕球した。

 よ、横井のやつ。いつの間に、こんな腕を上げやがったんだ……

「田所さん、どうしたんです。あんぐり口を開けちゃったりして」

 ユニフォームの土をはらいながら、横井は涼しい顔で言った。後ろの数人が、またも「ぷぷっ」と吹き出し、腹を抱えている。

「まさか。もう、疲れちゃったとか?」

「ば、バカヤロー! てめぇごときが、気取りやがって」

 再びバットを構え、田所は言い放つ。

「ここから続けざまにいくからな。ほれ、後ろのやつらも構えろ。覚悟しやがれっ」

 言うやいなや、ボールを立て続けに打ち返す。カキ、カキッ……と、小気味よい音が響いた。さすがにグラブが間に合わず、外野まで転がる。

「おらぁ、どしたい。口ほどにもねぇ」

 挑発すると、横井が唇を尖らせる。

「みょうなタイミングだからですよ。まともに打ってくれたら、ちゃんと捕れますって」

「言ったな。これなら、どうだ」

「さぁ来いっ」

 火を吹くような田所の打球に、後輩達は負けじと喰らい付いた。

 

 

2.打倒・谷原への誓い

 

 日曜日とはいえ、もはや墨高ナインに休日という気分はない。

 この日も早朝から、軽いランニングと体操に始まり、キャッチボール、柔軟運動、そしてシートノック・個人ノックと、ほぼノンストップで進められていく。

 ノックの後も、僅かな休憩を挟んだだけで、ほどなく筋力トレーニングが開始された。

 

「……八十二、八十三……ほら。みんながんばれっ」

 キャプテン谷口の掛け声に、ナイン達は「おうっ」と応えた。全員で輪になり、腕立て伏せを行っている。この前に五十本ダッシュも消化しているから、すでに半数近くの部員は顔が苦しげだ。

 既定の百回を終えると、ナイン達は一斉に倒れ込む。

「はぁ。長かった」

「こ、これは……きくぜ」

 谷口は、あえて「みんな起きろ」と厳しい口調で告げた。

「これぐらい序の口だ。上級生は、夏の大会がどれだけ体力を消耗するか、よく知ってるだろ。一年生もよくおぼえとけ。あの炎天下で、何試合も勝ち抜かなきゃいけないんだ。相手より先にバテちゃ、話にならないぞ」

「……わ、わかってるよ」

 横井が息を荒げながらも、むくっと起き上がる。周囲もそれに習った。

「よし。つぎは、いつものように二人一組になれ。腹筋と背筋を五十回ずつ」

 はいっ、とナイン達はすぐにペアを作り、腹筋から始める。なんだかんだで、こちらの意図を理解してくれているな……と、谷口は満足した。

 谷口は、半田とペアを組んだ。OBの田所には、鈴木に付いてもらう。実力と意欲の両面で、とりわけ心配な二人だった。

 まだ半分もいかないところで、半田が「ううっ」と苦しげな吐息を漏らす。

「息が上がるのが、ちょっと早すぎるぞ」

 あえて厳しい言葉を掛けた。

「マネージャーの仕事にかまけて、自分も選手だってことを忘れちゃダメじゃないか。もしケガ人が出たら、君にも出番が回ってくるぞ」

 少し口調を柔らかくして、話を続ける。

「半田。うまい下手は、いい。それよりも……うちの野球部は、全員ができることを一所懸命やる。この精神を大事にしたい。君もその一翼を担っていること、忘れるな」

「……は、はい」

 顔を歪めつつも、半田はどうにか回数をこなしていく。その傍らで、鈴木も腹筋を続けている。時折小さい角度で止めようとして、田所に「妥協すんな」と叱責されたが。

 谷口は、何とか二人が五十回をこなしたタイミングで、次の指示を与えた。

「半田と鈴木。二人には、別メニューを与える」

 筋力トレーニングから解放され、二人が安堵の表情になる。すかさず「カン違いするなよ」と叱り付けた。

「二人とも、ちょっと基礎的な体力が不足している」

「は、はいっ」

「すみません……」

 背筋をぴんと伸ばして返事するので、「そんなにかしこまらなくても」と苦笑いが浮かぶ。

「そこで……これから河川敷の端から端まで、ダッシュしてもらう。せいぜい二百メートル程度だから、四十本はいけるだろ」

 二人が同時に「よ、四十本!」と声を上げる。

「これを苦しいと感じているうちは、夏の炎天下の試合で、まともにプレーできやしない。ほれ、少しは上級生として意地を見せて来い」

 観念したのか、二人は目を見合わせ「やるしかないか」とでも言いたげに、うなずく。

「田所さん。そのまま二人に、付いててもらえますか?」

 谷口がそう頼むと、田所は「まかせとけ」と快く引き受けた。

「さ、そうと決まったら……行くぞ二人とも」

「はい。お、おてやわらかに」

 鈴木が泣きそうな声で言うのを、元キャプテンは「甘ったれんな!」と一蹴した。他の部員達は、二人を幾分同情するような目で眺めている。

「この期に及んで、ダッシュ四十本たぁ……ちと気の毒だな」

 走るのが苦手な井口は、溜息混じりにつぶやく。

「なに他人事みてぇに言ってやがる」

 井口の真向かいで、根岸とペアを組むイガラシが、辛辣に言った。

「全体練習の後、俺はいつも十キロ走に出ているが、今日はおまえもつき合ってもらう。箕輪戦でよく分かったと思うが、強い相手にねばり強く投げるには、絶対的な体力が不可欠なんだ。その点、おまえはまだ足りない」

「そんな急に……く、倉橋さんの許可も取らないと」

 井口が引きつった顔で言うと、ちょうど腹筋を終えた倉橋が「俺がなんだって?」と口を挟む。いつも既定より倍の回数をこなすので、少し時間が掛かっていた。

「あ、倉橋さん。後でこいつを、ランニングに連れ出してもかまいませんか?」

 イガラシの質問に、倉橋はにやっと笑う。

「おう、もちろんだとも。なにも遠慮するこたぁない」

 正捕手の返答に、井口はがくっと肩を落とす。

 当のイガラシは、根岸と代わって腹筋運動を始めると、あっという間に五十回を終えてしまった。涼しい顔で「たりねぇな」とつぶやき、さらに回数を追加する。

「おまえ……少しペース配分とか、考えないのか」

 ペアを組む根岸が、呆れ顔で尋ねる。

「朝一人で、ランニングやら筋トレやら、散々こなしてたろ」

「なにが? あれでも午後から練習試合があるってんで、だいぶ軽めにしといたんだ。これだと物足りないから、やっぱり昼食の後にでもするかな。根岸、手伝ってくれよ」

「手伝うだけだよな? 俺までつき合わされるのは、カンベンだぞ」

「ったく、だらしねぇ。そんなんだから、このまえの練習試合で、四つも盗塁を許しちまうんだよ」

「かっカンケーねぇだろ」

「いいや大アリだ。おまえはまだ、顔つきといいプレーといい、控え丸出しなのさ。そりゃ相手にナメられる。倉橋さんから正捕手を奪うぐらい、もっと必死になんねえと、また走られ放題だぞ」

 倉橋は、二人の会話に「ぷっ」と吹き出した。

「わ、わーったよ」

 腹筋の体勢になり、根岸が言い放つ。

「百でも二百でも、つき合ってやる。こうなりゃ勝負だ。イガラシこそ、先にバテて、泣くんじゃねぇぞ。そんで……正捕手の座も、奪ってやる」

「ばかっ。失礼だぞ」

 イガラシに肘で小突かれ、あっ……と根岸が青ざめた。倉橋が「ほぉ」と凄む。

「いい度胸だな、根岸。やれるもんならやってみろよ」

「そ、そういう意味じゃ。やはり正捕手は倉橋さんじゃないと」

「安心しろ。志が高いと、感心してるのさ。そんなら……後のキャッチャー練習で、もっとビシバシやんねぇとな。覚悟しとけ」

「は、はい。ううっ」

 根岸は、涙目で返事した。

 練習風景を眺めながら、谷口は目を細めた。日々の厳しい練習に、ナイン達は何だかんだ言いながらも、誰もが前向きな姿勢で取り組んでいる。キャプテンとして、それが何よりも嬉しい。

 これなら、と胸の内につぶやいた。一月後には、夏の大会が開幕する。時期的にも、ちょうど良いタイミングだ。

 みんなに、そろそろ伝えていい頃だろう。谷原の攻略法を……

 

 すべてのメニューを消化した後、墨高ナインは一日の仕上げとして、神奈川の昨夏八強のチームと練習試合を行う。

 谷原、箕輪と対戦したナイン達にとって、もはやこのレベルの相手は問題にならなかった。谷口ら主力を温存した布陣ながら、五対〇と完勝を飾る。

 

 

「……れ、けっこう飲みやすいスね」

 水筒のコップを一口含み、横井が不思議そうな顔で言った。

「へっ。そ、そうなのか」

 戸室が手元をのぞき込んでくる。

「ああ、おまえも飲んでみろよ」

 横井に勧められるがまま、戸室も少量ながら飲み下す。

「む……ほ、ほんと。けっこうイケるぜ」

 二人の背後から、丸井が「ぼくにも一口」と手を伸ばす。

 試合後。グラウンド整備を済ませると、ナイン達は河原近くに集まった。しばし一息つく彼らに、田所から差し入れの豆乳が振る舞われる。

「おまえら慌てんな」

 田所はそう言って、持ってきたバッグから別の水筒を三本取り出した。

「ちゃんと全員分あるから、みんなでやってくれ」

「……む。飲みやすいどころか、おいしいスね」

 倉橋が珍しく、目を丸くする。

「そうだろう。この豆乳は、俺んちの近所の豆腐屋でしか扱ってない、上等なやつだからな。クセのある他の店のとは、一味ちがうわけよ」

 田所が得意げに言うと、横井がすかさず「よく田所さんの給料で買えましたね」と軽く突っ込んだ。先輩は「ありゃっ」と、分かりやすくずっこける。

「よ、余計なお世話だっ。ふふ……聞いて驚くな。この豆乳は、俺がそこの店主に頼んで、おまえらのために準備してもらったのよ」

「ええっ」

 根が生真面目な倉橋は、憂うように眉をひそめる。

「そ、そりゃ……ありがたいスけど。ちゃんと採算は取れてるんですか?」

「なぁに。うちの電器店とそこの豆腐屋は、古いつき合いでな。冷蔵庫が故障したりなんかした時に、うちが格安で修理を請け負ってるんだよ。そのよしみでな」

「でも……どうして、豆乳を?」

 鈴木が質問する。

「そりゃ、おめぇ。体にいいからに決まってんだろ」

 田所が答えると、横から丸井が補足した。

たんぱく質だから、骨や筋肉をじょうぶにするんスよね。ケガの予防にもなるとか」

「……そ、そうなんだよ」

 どうやら持ってきた本人も、よく分かっていなかったらしい。口調がしどろもどろだ。

 加藤が「それにしても」と、首を傾ける。

「この豆乳、キンキンに冷えてますね。まるで、さっき冷蔵庫から出したみたい」

「へへっ。よくぞ、聞いてくれました」

 妙に破顔して、田所は答えた。

「この水筒、いわゆる魔法瓶ってやつでな。冷たいものでも熱いものでも、そのまま保つことができるのさ。今度、うちで新発売するんだ」

「ちゃっかり自分の店の宣伝、してるじゃないスか」

 また横井が突っ込む。周囲から、どっと笑い声が上がった。

 夕方の穏やかなひと時。それを破るように、谷口はパンパンと、強く手を叩いた。ナイン達が一斉に、こちらを振り向く。

「休んでいるところ、すまない。みんなに話しておきたいことがある」

 丸井が気を利かせ「立ちますか?」と尋ねてきたが、谷口はそれを制した。

「いや、座ったままでいい。そのかわり……全員しっかり聞いてくれ」

 しばし間を置いてから、話の趣旨を告げる。

「あの谷原と、どうやって戦うのかという話だ」

 途端、辺りを緊張が走る。

「この夏、俺はほんきで甲子園をねらいたい」

 キャプテン谷口は、きっぱりと告げた。

「そのつもりで、強化を進めていきたいのだが……みんなはどうだろう」

 倉橋がすぐに「異論はねぇよ」と答えた。

「この一ヶ月半。俺達はずっと、谷原を倒すことを目標としてきた。その結果、あの箕輪高とも善戦したばかりか、他地区のシード校を圧倒できるまでになれた。こうなりゃ甲子園を射程に収めないと……むしろ、はり合いがねぇよ」

「なるほど。他のみんなも、倉橋と同意見なのか」

 少し間はあったが、ほどなく次々に声が上がる。

「もちろんじゃないですか」

「あれ……俺はとっくに、そういうつもりでしたけど」

「やってやりましょう!」

 中には無言の者もいたが、否定の顔つきではない。あの半田や鈴木でさえ、真剣な面持ちで聞いている。そして、全員が深くうなずいた。

 谷口は立ち上がり、チームメイト達へ「ありがとう」と一礼する。

「よし。全員の気持ちが固まったところで、具体的な話をしていこう」

 そう告げて、いったん谷口も座り込んだ。

「谷原について触れる前に、じつは……もう一つ懸念していることがある。上級生は、昨年かなり痛感したことと思う。すなわち日程だ」

 ああ……と、数人が溜息を漏らす。

「下級生のために、少し補足しておく」

 回想しながら、努めて端的に話を続けた。

「昨夏の五回戦で、われわれは優勝候補の専修館を破った。ところが疲労の蓄積により、続く準々決勝では力を発揮することができず、明善高に完敗した。今年も事情はほぼ変わらない。大会が進むにつれ、中二日や中一日、さらに休みなし……と厳しい日程になる」

「ち、ちょっと待て」

 戸室が挙手して発言する。

「昨年とは、だいぶ状況がちがうだろ。今回はシードを獲ったことで、俺達の試合は三回戦からだ。少しは余裕も……」

「おまえ分かってねぇな」

 横から、倉橋が答える。

「そりゃ準々決勝で終わるのなら、昨年よりは余裕あるだろうさ。けど、その先も勝ち進むとなったら、決勝まで数えると六戦。試合数は、じつは昨年と変わらねぇんだ」

「おまけに……相手のレベルも、全然ちがうぞ」

 横井が苦笑いを浮かべる。

「五回戦以降は、あの聖稜や専修館クラスのチームと連戦になる。そこまで乗り越えて、やっと谷原戦だからな。よほどうまく戦わないと……もたねぇよ」

 雰囲気が暗くなったので、谷口はとりなすように言った。

「まぁまぁ。今年は、少なくとも昨年よりも選手層が厚くなったし。あれほど消耗することはないと思う」

 やや声のトーンを落とし、話を進める。

「それより心配なのは、谷原と、どんな日程でぶつかるかだ。かりに準決勝だとしたら、勝っても翌日には決勝を戦わなければならない」

 ここで束の間、谷口は瞑目した。そして口を開く。

「俺が、もっとも恐れているのは……あの東実が、谷原戦の前後にくる場合だ」

 キャプテンの言葉に、周囲がざわめく。

「もちろん現段階で、決まったわけじゃない。しかし……これを想定しておかないと、いざそうなった時に慌ててしまう。」

 谷口は「そこで、だ」と、膝を進めた。

「この二試合、投手陣を分担して臨もうと思う」

 まず反応したのは、イガラシだった。

「なるほど。どちらか一方の試合にしか、登板させないというわけですね」

「ふふっ。さすが飲み込みが早いな」

 後輩の聡明さに、満足する。

「万全の状態でも、難しい相手だ。疲労で調子を崩していれば、まちがいなくメッタ打ちにあう。せめて先発投手は、ベストコンディションでのぞませたい」

「おい、谷口」

 ふいに倉橋が、問うてきた。

「そこまで考えてるなら、もう誰をどの試合に投げさせるかってとこまで、構想できてるんじゃないのか」

「……ああ」

 谷口は、短く答えた。またも周囲から、どよめきが起こる。

「しかし、それは後で倉橋と相談してから、ちゃんと決めようと」

「いや。きっと相談してもしなくても、結論はそう変わらねぇよ」

 倉橋は、穏やかな目で言った。

「それより、せっかく全員いるんだ。いま明らかにして、みんなで戦い方のイメージを共有した方が、ずっとチームのためだと思うが」

「……そうか。分かった」

 束の間、谷口は瞑目した。やがて口を開く。

「まず谷原戦。先発は、井口。そして後半、俺が継投する」

 井口はしばし無言だったが、イガラシに脇腹を小突かれ、ようやく「はいっ」と返事した。

「つぎに東実戦。こっちの先発は、松川。そして継投は、イガラシだ。また展開によっては、こっちも俺が、どこかで登板しようと思う」

「……ふむ。いいんじゃないの」

 にやっと倉橋が笑う。どうやら、ほぼ同じ考えだったようだ。

「その根拠も聞かせてくれたら、ありがてねぇな」

「もちろんさ」

 谷口はうなずき、質問に答える。

「谷原戦に、井口を起用したい理由は……彼の図太さと負けん気を買ってのことだ」

 井口が「いっ?」と妙な声を発した。ばーか、とイガラシに突っ込まれる。

「はっきり言って、谷原打線を完全に抑えることは難しい。ある程度の失点は覚悟しなきゃならない。だからこの試合は、打たれても打たれても、最後まで闘志を失わないことが不可欠だ。井口なら、それができると思う」

 ここで一つ吐息をつき、キャプテンは話を進めていく。

「一方で、東実戦はちょっと展開が読めない。なぜなら彼らも、うちをかなり警戒しているからだ。エース自ら偵察にやって来るくらいだからな。そこで……経験豊富な松川、さらに箕輪相手に力投したイガラシを起用したい。二人なら、相手に応じた投球ができる」

 その時、イガラシが挙手した。

「……あの、ちょっといいですか」

「うむ。なんだ?」

「谷原戦のことです。いくら井口が図太いといっても……あまり考えたくはないですけど、たとえば序盤で五、六点取られるようなことがあれば、そりゃ替えざるをえないじゃないですか。その場合、キャプテンが早い回から投げなきゃいけなくなります」

 二、三度うなずき、谷口は口を開いた。

「言いたいことは分かる。早い回からリリーフして、終盤までもつかってことだろう?」

「あ、はい」

「その件について……イガラシ。おまえにはもう一つ、役割を与える」

 さしものイガラシも「えっ?」と、目を丸くした。

「もし井口が序盤で捕まった場合は、おまえを緊急リリーフとして送りたい。一イニングだけでもしのいでくれたら、俺は余裕を持って登板できる」

「……ああ、なるほど」

 イガラシはすぐに首肯した。

「ち、ちょっと待ってください」

 丸井が口を挟む。

「つまりイガラシだけ、二試合投げるってことになるじゃないですか。いま一イニングだけっておっしゃいましたけど、相手が相手ですし、そうなるとも限らないですよ。次戦に疲れを残していたら、いくらイガラシでも」

「丸井。そのケースなら、あえて考える必要はない」

 谷口はそう言って、静かに微笑んだ。

「というのも……イガラシがそんなに長く投げなきゃいけなくなるということは、つまりうちの負けだ。東実戦にしても同様。そして敗色濃厚となれば、いずれの試合も、俺が最後のマウンドに立つ。だから、次戦のことは考えなくていい」

 ごくんと、丸井が唾を飲み込む。

「みんなも腹を決めてくれ」

 一転して、キャプテンは厳しい口調になる。

「投手陣だけじゃない。この二試合は、チーム全員が役割を果たさなければ、負ける。そのつもりで、明日からの練習に取り組んでほしい」

 そう言って、今度は口調を明るくした。

「あ、そうそう……もう一つ言っておくことがある」

 谷口は、ある一人の部員に顔を向けた。

「片瀬。立ってくれ」

「……え。あ、はい」

 思わぬ指名に、片瀬は戸惑いながらも立ち上がった。

「ケガでつらかったろうが、よくがんばってくれているな。おまえが復調したら……この二試合、もっと余裕を持って投手起用ができる」

「キャプテン。それはぼくにも、出番があるかもしれないってことですか?」

「そういうことだ」

 本人よりも、周囲がざわめく。

「みんな静かにしろ」

 倉橋が、一喝した。

「片瀬のボール、ほとんどのやつは見たことないだろ。言っておくが、いまレギュラーの者でさえ、簡単には打てねぇぞ。こいつの実力は、俺が保証する」

「あ、あの……キャプテン」

 立ったまま、片瀬がおずおずと言った。

「ぼくだけじゃなく、他のピッチャーもそうだと思うのですが、あの谷原打線をどうやって抑えていくか。その具体策がまだ見えません」

 谷口は、内心苦笑いする。痛い所を突かれたと思った。冷静で穏やかな質だが、長らく怪我と戦ってきたからか肝が据わっており、そして賢い。

 オホン……と、ふいに田所が咳払いした。

「その点について、おまえらに朗報を持ってきた」

 すぐさまナイン達の視線が、気のいいOBに集中する。

「じつはな。昨日……あの谷原高の近くに、営業へ行ってきたんだ。そしたら、近所の住人が噂してたのよ。再来週、招待野球ってのがあるらしい。都の高野連主催でな」

 ナイン達は、一様に考え込む仕草をした。

「招待野球って?」

「はて、そんなもの……あったっけ」

 田所は、笑って言った。

「おまえらが知らないのも、無理はねぇよ。なにせ、今年からだからな。まだ対戦カードも正式に決まってないらしいから、新聞報道もされてない。しかし、すでに第一シードの谷原には打診があり、やつら引き受けたそうだ」

「そりゃいいっスね!」

 ぽん、と丸井が膝を打つ。

「この機会に、やつらをじっくり偵察する。各バッターの弱点も、そん時に探り出すことができるじゃねぇか」

「……で、でも」

 加藤が、引きつった顔で言った。

「ぎゃくに……やつらの強さを、見せつけられるだけたったりして」

「いや、それも心配いらねぇよ」

 胸を張って、田所は答える。

「聞いて驚くな。来るのは……なんと、広島の広陽(こうよう)。さらに大阪の、西将(せいしょう)学園だ」

「へえ、広陽に西将ですかっ」

 全国大会に詳しい片瀬が、真っ先に声を上げる。

「えっ。そんなに、強いのか?」

 加藤が尋ねると、片瀬は深くうなずく。

「強いも何も……広陽は、昨夏の全国準優勝校。この春も四強まで進んでます。そして、なんといっても西将は、春の優勝校。準決勝で、あの谷原を破ってるんです」

 片瀬の言葉に、ナイン達はざわめく。

「まあ、そういうこった」

 田所は、吐息混じりに言った。

「そこは天下の高野連ってわけよ。谷原にコテンパンにされるような、ヘボいチームを呼んだりしたら、メンツにも関わるからな」

「……ていうか、先輩」

 なぜか横井が、田所に流し目を向ける。

「な、なんだよ」

「豆乳とか魔法瓶とか、どうでもいい話してないで、こっちを先に聞かせてくださいよ」

「ど、どうでもいいとはなんだっ。こちとら後輩のためにだな」

「もちろん感謝はしてますがね。ただ、ちと前置きが長すぎるかなと」

「そりゃ、おめーの辛抱がたらねぇんだ」

 倉橋が「あーあ」と、わざとらしい溜息をつく。

「あいかわらず、すぐムキになる先輩だぜ。わかってても、つい高めの吊り球に手を出しちまうタイプだな」

 正捕手の的を射たOB評に、ナイン達は吹き出した。

 

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