南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【過去記事より】忘れがたき名実況――山本浩アナウンサーの“語り”の記憶

 ※この文章は、スポナビ+時代に書いた記事を、再構成したものである。

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<はじめに> 

 

マラドーナ……マラドーナ、マラードーナ、きたぁ! マラドーナァ!」

「放り込んでくる……城のシュートォ! 同点ゴォル!」

「ショットきます……こぼれ球、岡野ォ! ニッポン、フランスへ……」

 

 サッカー日本代表の話題で世間が賑わう時季になると、懐かしく思い出される声がある。言わずと知れたNHKのアナウンサー・山本浩さんの実況だ。

 

 サッカーに限らず、スポーツ観戦の魅力の一つは、私達も選手と共に戦っている気持ちになれることだ。山本さんの“語り”は、遠く離れた場所で戦っている選手達の元へ、私達を誘ってくれた。

 

 今回は、誠に勝手ながら、山本さんの名実況の私的ベスト5を選んでみた。Jリーグが誕生してから、そしてあのドーハの悲劇から、今年で20年になる。日本サッカーが歩んできた道程を、山本さんの語りと共に振り返ってみたい。

 

 

第5位 「声は大地から湧き上っています。新しい時代の、到来を求める声です」

(1993年Jリーグ開幕戦・ヴェルディ川崎横浜マリノス

 

 実は、山本さんのその実況を知ったのは、随分後になってからのことだった。それでもこの実況を聴くと、当時の「これから新しい時代が始まる」というワクワクするような思いが、よく伝わってくる。

 Jリーグの開幕によって、日本サッカーは飛躍的な進歩を遂げた。その大事な第一歩は、まさに山本さんの“語り”と共に踏み出されたと言える。

 

第4位 「実にサッカーを始めた子供が、大人になって、また子供を産んで……28年というのはそれだけ、長い年月でした」

(1996年アトランタ五輪アジア最終予選/日本対サウジアラビア

 

 山本さんの実況を初めて聴いた試合。当時、まだ“山本浩”の名前を認識していないのだが、上記のフレーズは私の記憶の奥深くに刻み込まれた。

 今でこそ、日本はW杯と五輪の常連国となりつつあるが、当時は世界大会へ出場することさえ遠かった。まさに世界への“重い扉”をついにこじ開け、後の日本サッカー快進撃のきっかけとなった試合である。その「価値の重さ」を私達に実感させてくれる、本当に素晴らしい実況だった。

 

第3位 「私達は忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、“非常に強いチーム”があったことを。東京国立競技場、空は今でもまだ……横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」

(1998年天皇杯決勝/横浜フリューゲルス清水エスパルス

 

この試合に立ち会った横浜フリューゲルスサポーター・サッカーファンの思いを、大仰でもなく冷淡でもなく、まさに“的確な言葉”で表現したフレーズである。

私は横浜フリューゲルスのファンというわけではなかったが、それでも一つのチームがなくなってしまう現実は、Jリーグを見続けてきた一人として悲しかった。

 天皇杯優勝の歓喜と、それでもチームが消滅してしまう虚しさ……その複雑な感情を適切に言い表すことは、どんなベテランアナウンサーでも難しいと思われる。

 山本さんの“語り”があったから、まだ少し救われたような気がした。

 

第2位「前園が声をかける! ニッポンに声をかける前園!」

(1996年アトランタ五輪アジア最終予選/日本対サウジアラビア

 

 これもアトランタ五輪予選・日本-サウジアラビア戦から。相手の猛反撃を必死に耐えるチームメイト達へ、キャプテン・前園真聖が懸命に鼓舞する――まさに試合の佳境という場面で発せられた、短いけれど非常に味わい深いフレーズである。

 当時の実況について、山本さんは後に出演したサッカー番組の中で、次のように語った。

 

「『前園がチームメイトに声をかけました』と言うと、たぶん“説明”なんですね。『ニッポンに声を掛けました』って言うと、それがちょっと違う意味があると思うんですよ。そういうものを、前園が『言え』って言っているのが分かるんですよ」

 

 この言葉を聞いて、私は鳥肌が立った。山本さんの人間性、観察眼と感性の鋭さ、そしてフィールドに立つ選手達への敬意……そういった様々なものが、その静かな語り口の中に滲み出ている気がした。

 

第1位 「このピッチの上、円陣を組んで、今散った日本代表は……私達にとって“彼ら”ではありません。これは、“私達そのもの”です」

(1997年フランスW杯アジア最終予選/日本対イラン)

 

 恥ずかしい話、私は今でもこの実況を聴くと、涙が出てしまう……

 山本さんの実況で、特に有名なフレーズの一つだ。私達も、思いは日本代表と共に戦い、一緒にW杯へ行くんだ――そんな気持ちにさせてくれた、今でも忘れられない言葉である。

 前述のサッカー番組内での山本さんの後日談も、更に印象的だった。

 

「それを『言え』って、あの監督の動きと選手がですね、津波のように僕に……押しかけたんですよ」

 

 日本代表が“言わせてくれた”――それだけ試合に「入って」いたからこそ持ち得た感覚だったと思う。あの歴史的な一戦、きっと山本さんも、選手達と共に戦っていたのだろう。それにしても、決して「自分で思い付いた」と言わないところが、謙虚な山本さんらしい。

 

 誇張なく、決して押し付けがましいのではなく……あくまでも静かな語り口でありながら、それでいて熱き魂の込められた言葉の数々は、今でも多くのサッカーファンの心に残っている。

 今後も日本サッカーの歴史が思い出される度、山本さんの実況もまた、象徴的な出来事の一つとして語り継がれていくことになるだろう。

 

 歴史を彩る、幾多の名場面の記憶と共に……

<おわりに>

 記事を書きながら、自分の言葉の貧弱さが恥ずかしかった。山本さんの名実況の数々を、こんな拙い言葉で紹介して良かったのだろうかとさえ思う。

 南アフリカW杯後、山本さんはベスト16へ進出する活躍を見せた日本代表に対し、「大会前にあれだけ批判されたのだから、今はその分賞賛を送るべきだ」という趣旨の発言をされていたという。山本さんらしい、日本サッカーへの温かな眼差しを感じさせる言葉だった。

 山本さんに限らず、NHKアナウンサーのサッカーへの造詣の深さには、いつも感服させられる。それだけ高いプロ意識を持って仕事に臨んでいるのだろう(個人的には、野地俊二さんが好きだ。前回W杯のカメルーン戦、「本田だぁ、チャンスになったー! ニッポン先制点!」のフレーズがとても印象的)。

 現在、山本さんは第一線から退かれたが、その“魂”は後輩のアナウンサー達に受け継がれているように思う。それでも、山本さんの素晴らしい“語り”の記憶は、これからもずっと語り継がれていくことだろう……