南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第16話「西の王者への挑戦!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第16話 西の王者への挑戦!の巻
    • 【登場人物紹介】
    • 1.試合のテーマ
    • 2.一回表
    • 3.おしゃべりなキャッチャー
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

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第16話 西の王者への挑戦!の巻

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【登場人物紹介】

 

高山:小説オリジナルキャラクター。大阪の名門・西将学園の正捕手にして、不動の四番打者。右投げ右打ち。全国ナンバーワンのキャッチャーと噂され、プロからも狙われている。

 ひょうきんな性格で、かなり饒舌な質である。慇懃無礼な物言いで、墨高ナインを挑発するが、内心ではその実力を認めている。

 

※西将学園:大阪の野球名門校。春の甲子園では、準決勝で谷原を下すなど、圧倒的な力を見せ付け優勝した。過去に、何度も全国制覇を果たしており、実績では谷原をも凌ぐ。

 

1.試合のテーマ

 

 日曜日、午前十時。

 先週に続き、神宮球場には大勢の観客が詰めかけていた。まだプレイボールの三十分前だというのに、バックネット裏と内野スタンドはすでに満席だ。

 墨高ナインは、三塁側ベンチに陣取る。

 すでに全体のウォーミングアップは済ませていた。ファールラインの手前で、ナイン達は素振りしたりストレッチ体操をしたりと、それぞれのやるべきことに取り組んでいる。

 

「ひゃあっ。すごい人だぜ」

 内外野のスタンドを見回し、丸井がすっとんきょうな声を発した。

「公式戦でもねぇのに、みんなモノ好きだこと」

 横井が「そらそうよ」と、感心げにうなずく。

「西将っていやぁ、何度も甲子園を制した有名校だもの。とくに今年は……すげぇのがいるって話じゃねぇか」

 そう言って、「なぁ」と傍らにいた片瀬に話を向ける。

「あ、はい。そうなんです」

 柔軟運動の手を止めて、片瀬は答えた。

「なんといってもバッテリーですね。まずピッチャーの竹田さん。快速球と多彩な変化球を武器に、春の甲子園では決勝まで投げて、計四点しか取られてません」

「す、すごいな」

「ええ。その竹田さんのチカラに加えて、キャッチャーの高山さん。打っては不動の四番、守っては頭脳的なリードがさえる、まさにチームの要です。谷原は準決勝で当たって、けっきょく一点取るのがやっとでした」

「や……谷原ですら、打てなかったのかよ」

 ちょっと横井さん、とイガラシが割り込んでくる。

「な、なんだよ」

「もう忘れちゃいましたか? このまえ試合した箕輪が、その竹田ってピッチャーから三点取ってるんですよ。そうだろ、片瀬」

「む、そういえば」

「その箕輪相手に、ぼくら引き分けたじゃないですか。なんとかなりますって」

 気のいい横井は、すぐに「おおっ」と破顔した。

「イガラシに言われると、なんだかやれそうな気がしてきたぜ」

 ナイン達の様子を、谷口はベンチ手前で素振りしながら、注意深く観察していた。

 よかった、いつものみんなだ。ただでさえ強敵が相手というのに、カタくなってしまったら、まず試合にならない。谷原と箕輪、甲子園レベルのチームと戦ったことで、少しずつたくましくなってきている。これなら、どうにかやれそうだ」

「おーい谷口」

 その時、背後から呼ばれた。振り向くと、捕手用プロテクターを装着した倉橋が、こちらに右手を掲げている。

「あと五分程度で、シートノックの時間らしい。いまのうちに、みんなでもう一度、ポイントを確認しとかないか」

「うむ、そうするか」

 集合っ、と谷口は一声掛けた。すぐさまナイン達が、ベンチへと駆けてくる。ブルペンにいた根岸と松川も、投球練習を中断しその輪に加わる。

 谷口はベンチの隅に立ち、その手前にナイン達を座らせた。

「ねんのため、再度オーダーを確認する。昨日も言ったが、この試合の打順は、あくまでも目くらましだ。公式戦の時は、あらためて組み直す。こういうテを使うのは本意じゃないが、どうか理解してほしい」

「いや、当然の策かと」

 きっぱりと言ったのは、イガラシだった。

「今日もたくさん偵察が来てます。シード校のやつら……東実、それに谷原も。これだけ強敵がウヨウヨしてるってのに、手の内をさらすことはないですよ」

 たしかに、と丸井がうなずく。

「俺っちもキャプテンと同じく、だまし合いは好きじゃないス。でも、正攻法で勝たせてくれる相手じゃないってことは、先週の試合でよく分かりましたから」

「や、やめてくれよぉ」

 後方で、戸室が引きつった顔になる。

「谷原のバッティング。思い出すだけでも、ぞっとするぜ」

 横井が「おい」と突っ込む。

「おまえこそ口をつつしめ。せっかく忘れてたのに」

「んなこと言ったって……」

 倉橋が、渋い顔で「こらこら」とたしなめる。

「そんな弱気じゃ、とても今日は戦えないぞ。しっかりしろい」

「わ、わかったよ……」

 ぼやくように返事して、横井がぽりぽりと頬を掻いた。

「まぁまぁ、三人とも」

 谷口は微笑んで、尻のポケットからメンバー表の紙を取り出す。

「ではオーダーを確認する。打順に一部変更があるから、しっかり覚えてくれ。まず一番ショート、イガラシ」

 丸めていた紙を広げ、順に読み上げていく。

「二番、セカンド丸井。三番センター島田。四番……キャッチャー倉橋」

 事前に伝えているにも関わらず、小さなどよめきが起こる。それを「しずかにっ」と制してから、先を続けた。

「五番サードは、俺。六番、ピッチャー井口。七番レフト横井、八番ファースト加藤。そして九番、ライト久保。スタメンは、以上だ」

 横井が「ううむ」と、首をひねる。

「やはり違和感があるな、谷口が四番じゃないってのは」

「む。考えてみりゃ、一年の時からずっとだもんな」

 同学年の戸室もうなずく。

「ぎゃくにいえば……なにをしてくるか分からないイメージを、他校に植えつけることができますね」

 冷静に評したのは、やはりイガラシだ。

「そのとおり。しかし今日の試合は、もっと大切なテーマがある」

「えっ」

 後輩が意外そうに目を見開いた。谷口はうなずき、再び全員を見据える。

「はっきり言って、相手は強い。なにせ、あの谷原さえ及ばなかったチームだ。われわれの力量では、ヒット一本打つのがやっとかもしれない。ヘタすりゃ、先週の試合のように、初回でほぼ勝敗が決まってしまうこともあり得る」

 ごくんと、誰かが唾を飲む音が聴こえた。谷口のシビアな言葉に、ナイン達は押し黙る。

「……それでも、いいかみんな」

 声を明るくして、谷口は話を続けた。

「どんな展開になっても、あきらめない。ぜったいに下を向かない。われわれが今日まで作り上げてきた、ねばりの墨高野球を、最後までまっとうして見せよう。いいなっ」

 ナイン達は、いつものように「はいっ」と、力強く応えた。

 その時、ふいにスタンドがざわめく。谷口と数人がベンチから出ると、ちょうどスコアボード下に両校のスターティングメンバーが表示されたところだった。

「う、ウソだろ」

 半田が呻くようにつぶやく。傍らで、戸室が「どうした?」と尋ねる。

「西将のオーダー、ほぼ春の甲子園のレギュラーです」

 数人が「なんだって?」「ジョーダンだろ」と同時に声を上げた。

「……うむ。たしかに、ピッチャー以外はレギュラーをそろえています」

 片瀬が、淡々とした口調で告げる。

「それに、あの宮西ってピッチャーは、たしか次期エース候補だったかと。春の甲子園でも、ほとんどリリーフでしたけど、けっこう投げてました」

 あちゃぁ……と、丸井がわざとらしく顔を覆う。

「公式戦でもないのに、やつらなに考えてんだよ。俺っちらをどうしようってんだ」

 谷口は、一旦集団から離れ、ベンチの奥に引っ込んだ。そしてキャッチャーの倉橋、さらに先発投手の井口を呼び寄せる。

 ベンチに駆けてきた井口は、かなり発汗していた。どうやらウォーミングアップの段階で、張り切ってだいぶ投げたらしい。

「もう疲れたとか言わねぇよな」

 倉橋が腕組みをして、軽く睨む。

「ま、まさか。これぐらい平気ですよ」

 言葉通り、息は乱れていないようだ。しかも、つい投げ過ぎてしまったということは、体が軽いのだろう。これならピッチングに支障はなさそうだ、と安堵する。

 ちらっと、谷口は倉橋と目を見合わせた。

「……倉橋、いいな?」

「む。分かってる」

 井口が「な、なにか?」と怪訝そうな目になる。谷口は笑って、前日に倉橋と打ち合わせた内容を、この体躯の大きな後輩にも伝えた。

「井口。この試合は、おまえに預ける」

「……は、えっ」

 さすがに戸惑ったらしく、井口は間の抜けた声を発した。

「球種もコースも、おまえの思ったとおりに投げていいぞ」

「そんな。いいんスか?」

 コホン、と倉橋が咳払いする。

「カン違いするなよ井口。投げたい球だけ、好き勝手に投げろっつうんじゃない。相手打線を抑えるために、おまえがベストだと思う組み立てをしてみろってことだ」

 なおも戸惑う後輩に、谷口は説明を付け加える。

「聞いてるぞ。昨年の墨谷二中との決勝で、おまえかなり策を講じて、イガラシ達を苦しめたそうじゃないか。同じことを、あの西将に試してほしい」

「ああ、そういうことスか」

 ようやく理解したらしく、相手は笑みを浮かべた。

「もちろん……それで打たれても、おまえを責めない。どうする?」

「や、やりますっ。まかせてください!」

 井口は勢い込んで言うと、倉橋と連れ立ってブルペンへ向かう。これからサインの確認を行うらしい。

「……へぇ、考えましたね」

 ふいに背後から、声を掛けられる。振り向くとイガラシが立っていた。

「倉橋さんのリードで投げると、他校のやつらに配球パターンを研究されちゃいますからね。それを防ぐために……なるほど、みょう案だと思います」

「ははっ、さすがだな。しかし……それだけじゃないさ」

「と、言いますと?」

「イガラシ達との試合の様子を聞いた限り、井口はボールの威力だけじゃなく、相手打者との駆け引きにも長けているようだからな。そこも磨いてほしいと思ってな」

「ふふ。それと……好きに投げさせた方が、あいつの力量もよく分かりますから」

 愉快そうな口ぶりと裏腹に、イガラシは鋭い眼差しをブルペンへと向ける。

「もしこの試合で、井口があっさり大量失点するようなことがあれば、予定の起用法を見直さなきゃいけなくなりますし」

 怖いことを言う、と谷口は思った。

 実際その通りなのだ。谷原戦の先発投手を、井口に決めたのは、ボールの威力を見込んでのこと。それが簡単に打ち込まれたら、当初の計算が狂ってしまう。

 ほどなく、球場係員がこちらに駆け寄ってくる。

「墨谷高校、シートノックの準備を始めてください」

 谷口は「分かりました」と返事して、再びナイン達を呼び集めた。

 

2.一回表

 

 グラウンド上。後攻の墨高ナインは守備につき、ボール回しを行う。

 すでに西将の先頭打者が、ネクストバッターズサークルで待機していた。他のメンバーは、ベンチから「ねらってけ」「容赦すんな」と声援を送る。

「あーあー、コワイ顔しちゃって」

 イガラシは、こっそりつぶやいた。

 ショートのポジションから、相手の動きを注視する。全国トップのチームというだけあり、レギュラーだけでなく控えメンバーまで、がっしりとした体躯だ。さらに、選手一人一人の眼光の鋭さが、目を引く。

 まるで……獲物に襲いかかる、オオカミの群れだな。

 ほどなく、倉橋が二塁へ送球し、アンパイアが「バッターラップ!」と声を掛ける。それに少し遅れて、ウグイス嬢のアナウンスが響く。

―― 一番センター、月岩君。

 長身の選手が、左バッターボックスへと入ってきた。キャッチャーの倉橋も、墨高ナインの中では上背があるのだが、その彼さえも見下ろされる格好になる。

「プレイボール!」

 右手を突き上げ、アンパイアがコールする。同時に、試合開始を告げるサイレンが鳴った。

 初球。井口は、速球を内角高めに投じた。内にボール一個分ほど外れただけだったが、月岩は上体を大きく仰け反らせる。

「あぶな……気ぃつけんかい、このガキっ」

 月岩の悪態に、すかさずアンパイアはタイムを取る。

「君、口をつつしみたまえっ」

「あ……こりゃどうも、失礼しました」

 注意を受けた月岩は、あっさり引き下がる。

 あやしいぞ、とイガラシは思った。インコースの厳しいコースとはいえ、さほど危ないボールでもなかったし、月岩の立ち位置もベース寄りではない。

 こりゃ……相手ピッチャーを委縮させるための、芝居だな。

「ひるむなよ井口」

 谷口が声を掛ける。どうやら、同じ印象を受けたらしい。

「気持ちのこもったナイスボールだったぞ。この調子で、どんどん攻めていけっ」

「へへっ、まかせといてください」

 振り向くと、井口はにやりと笑った。

 タイムが解け、井口はしばし間を置いてから、二球目の投球動作へと移る。またしても内角高めの速球。今度は、コースいっぱいに決まった。

「どうだい。今度は、文句ねぇだろ」

 井口は返球を捕ると、手のひらでボールを弄びながら、不敵な笑みを浮かべる。

 ははっ。二球続けてインコースとは、強気だな井口。先発をあいつにしといて、正解だったぜ。並のピッチャーなら、さっきの威嚇にビビッて、以後アウトコースにしか投げられなくなるだろうからな。

「いいぞ井口。タマ走ってるじゃねぇか」

 イガラシは、わざと挑発的な言葉を発した。

「敵さん、どうやらインコースが苦手らしい。そこさえ攻めときゃだいじょうぶよ」

「おうよっ。もっとも得意コースだとしても、打たせやしないけどな」

 なにぃっ……と、月岩がこちらを睨み付けてくる。

 三球目。井口は、またも速球をインコースに投じた。今度は低めいっぱい。月岩が、鋭くバットを振り抜く。

 快音が響いた。閃光のような打球が、ライトスタンドのポール際へ飛ぶ。

「ら、ライトっ」

 倉橋がマスクを取り、叫ぶ。ライトの久保は懸命に背走するが、間に合わない。フェンスの数メートル手前で立ち止まった。

「……ファール、ファール!」

 一塁塁審が、両腕を大きく交差する。スタンドの観客から、安堵と落胆の混じったどよめきが漏れた。

「こら井口。いま色気を出して、ストライク取りにいったろ」

 さすがに倉橋が、厳しく指摘する。

「置きにいった分、球威がなかったぞ。ボールになっていいから、しっかり腕を振れ。今日は、チカラでねじ伏せるんだろ」

「は、はいっ」

 しっかり手綱を締めながらも、倉橋はあくまで、井口の闘志を引き出していく腹積もりらしい。また井口も、先輩の心意気に応えようとしている。

 いい傾向だな、とイガラシは思った。バッテリーの呼吸が合ってさえいれば、どうにか戦えそうだ。

 倉橋がマスクを被り直し、ミットを真ん中に構える。

 井口は振りかぶり、右足を踏み出し、思いきり左腕をしならせる。速いボールが、内角へ投じられた。月岩は「待ってました」とばかりにバットを強振する。

 その瞬間、ボールは打者の胸元を抉るように、鋭く変化した。ズバンと、倉橋のミットが乾いた音を立てた。

「ストライク、バッターアウト!」

 心なしか、アンパイアの声が上ずる。

 スタンドが、さっきよりも大きくどよめいた。成長著しい墨高とはいえ、春の甲子園優勝チームの打者を三振に切って取ろうとは、誰しも想像できなかったに違いない。

―― 二番ショート、田中君。

 ざわめきの中、西将の二番打者が右打席に立った。こちらも倉橋を上回る長身だ。とても二番バッターには見えないぜ……と、イガラシはひそかに溜息をつく。

 この田中に対し、井口は速球をアウトコースへ続けた。いずれも決まりツーストライク。

 打者は、バットをぴくりとも動かさない。それでも相変わらず眼光鋭く、倉橋と井口を交互に見やる。シュートをねらってやがるな、とイガラシは直観した。

 三球目。倉橋がまたも、真ん中にミットを構える。ほどなく井口は振りかぶり、速球と同じフォームで左腕をしならせた。

 やはりシュート。右打者に対しては、外へ逃げていく軌道になる。

 ガッ。鈍い音を残し、打球はホームベースとバックネットのほぼ中間地点に、高く上がった。すぐに倉橋が落下点へと入り、難なく捕球する。これでツーアウト。

 ボール回しの後、イガラシはマウンドへ駆け寄った。

「ナイスボール。球威で勝ったな」

 声を掛けると、意外にも井口はかぶりを振る。

紙一重だぜ。いまのバッター、明らかにねらってきやがった」

「ほう。分かってるじゃねぇか」

 イガラシは感心した。力勝負にのぼせ上るのではなく、きちんと状況把握に努めているようだ。これなら自滅の心配はなかろう、と安堵する。

「それで、どうするつもりだ?」

「しばらく力で押していくさ。いまのところ、捉えられたわけじゃないからな」

「同意見だ。力まず、ほんらいのボールさえ投げられれば、そう打たれねぇよ」

「おうよ。まかせとけって」

 相手の返事にうなずき、イガラシは踵を返した。井口もすぐに正面を向き、倉橋とサインを交換する。

―― 三番ファースト、椿原君。

 ウグイス嬢のアナウンスより早く、西将の三番打者が左バッターボックスに入る。この椿原も長身。しかも他の二人より、さらに頭一つ分高い。

 ちぇっ。まるで、大人と子供じゃねぇか。

 軽く舌打ちをして、イガラシは数歩後退した。倉橋と目を見合わせると、こちらに右手を掲げる。「ここで留まれ」という意味だ。強打者を迎える際、内野陣は深めにシフトを敷くことになっている。

「いくぞバック!」

 倉橋の掛け声に、ナイン達は「おうっ」と応えた。

 三番椿原に対しての、初球。井口は真ん中低めにシュートを投じた。その直後、パシッと乾いた音がなる。速いゴロが三塁線を襲う。

 やられた……と思った瞬間、サードの谷口が飛び付き捕球する。すかさず片膝立ちになり、ファーストへ送球。ショートバウンドとなったが、加藤のミットが掬い上げた。

「アウト!」

 一塁塁審のコールに、またもスタンドがどよめく。それはすぐに、拍手へと変わる。チームメイト達も「ナイスサード」「たすかったぜ谷口」と、キャプテンの好プレーを讃えた。

「ナイスピッチング」

 マウンドを降りかける井口に、谷口は声を掛ける。

「よく思い切って攻めたな。この調子で、ひるまず向かっていけ」

「う、ウス」

「こらっ」

 通りがかった丸井が「返事はハイだろ」と、横から小突く。

「あ……はいっ。がんばりやす」

 思いのほか素直な返答に、丸井が「ありゃっ」とずっこけた。分かりやすい反応に、谷口は吹き出した。

 ベンチに戻ると、イガラシはグラブを置き、休む間もなくネクストバッターズサークルへと向かう。その眼前、マウンド上では西将の背番号「11」宮西が、ロージンバックを右手に馴染ませている。

「イガラシ、ちょっと」

 谷口がベンチを出て、駆け寄ってくる。

「どうする? 初球から、ねらっていくか」

「いや……できるだけねばって、いろんな球種を投げさせたいと思います」

 きっぱりと答えた。

「どんなピッチャーなのか、情報が少ないので」

「うむ。そりゃチームとしては、たすかるが」

「それだけじゃなく……この試合では、なるべく定石どおりの攻め方がいいと思います。わんさか偵察が来てるので、手の内は見せないように」

「ねんにはねんを……ってことだな。分かった、まかせるよ」

 やがて、宮西が投球動作へと移る。ややサイドスロー気味のフォームから、威力ある速球がキャッチャーのミットに飛び込む。

「は、はえぇっ」

「あれで二番手かよ」

 後方のベンチから、ナイン達の驚く声が漏れる。

 宮西は、速球を二球続けた後、三球目はシュートを投じた。ほとんど速球と変わらないスピードで、鋭く変化する。

「ははっ。すげぇや」

 思わず笑ってしまう。

「あのシュート、井口のものと似てますね」

「うむ。右と左のちがいはあるが、あの直角に曲がる軌道なんか、ソックリだな」

 ほどなく投球練習が終わり、キャッチャーが二塁へ送球した。すぐにアンパイアから「バッターラップ」の声が掛かる。

 

 

3.おしゃべりなキャッチャー

 

 イガラシは打席に入り、わざと白線の内側ぎりぎりに立った。

「おやぁ。どういうつもりかな」

 ふいに背後から、おどけた声が降ってくる。振り向くと、西将のキャッチャー高山が、座りもせず含み笑いを浮かべていた。

 うわっ、でかいな……と胸の内につぶやく。背丈こそ僅かながら椿原に及ばないものの、この高山は肩幅も広く、より迫力ある体躯に感じた。小柄なイガラシは、見下ろされる格好になる。

 この人が、西将の正捕手にして不動の四番打者。全国ナンバーワンのキャッチャーと言われる、高山さんか。

「まさかそれで、インコースを封じようってか」

「……そんなこと、相手のキャッチャーに教えるわけないでしょう」

 イガラシは、素っ気なく返答した。

「さっきの一番バッターといい、やることが姑息じゃありませんか。甲子園優勝チームらしく、正々堂々と勝負しましょうよ」

 屈んでマスクを被り、高山は「甘いなぁ」とうそぶく。

「きみは分かってない。これぐらいの言葉の駆け引き、全国大会ではフツウよ。ま……月岩のを演技と見破ったことは、褒めてあげてよう」

 さっそく注意点が見つかったな、と胸の内につぶやく。短気な丸井さんや井口あたりが、高山の挑発に乗って、我を失ってはかなわない。

 しっかし、おしゃべりなキャッチャーだこと。こんなやつに谷原は……む、まてよ。

「た、タイム!」

 一旦打席をはずし、スパイクの紐を直すふりして、イガラシは考え込む。

 そうだ。この人、あの谷原に勝ってるんだ。うまくノセておけば、ひょっとして谷原攻略のヒントをしゃべってくれるかも……

「おいボーズ、なにを笑うとんのや」

 背中越しに、高山が覗き込んでくる。

「谷原には効きましたか」

「はぁ?」

「こうやって挑発して、集中を切れさせる戦術。こんなテに、あの谷原が引っかかって負けたとは、思いたくないんスけど」

 アハハハ、と相手は高笑いした。

「まさか谷原を倒そうとか、思ってんのか。そら夢見るのは勝手やけど、おたくら……やっとシードを獲ったばかりの新興チームなんやろ。ちぃと身の程知らずなんちゃうか」

「じゃあ、試してみますか?」

「な、なんやて」

「九回まで戦って、それでもぼくらが身の程知らずなのかどうか、試してみますかって聞いてるんですよ。高山さん」

 さすがに怒り出すかと思ったが、高山は「フフフ……」と不敵な笑みを浮かべる。

「イガラシ君とか言うたな。おたく一年坊のわりに、エエ根性しとるやんけ」

 その時、アンパイアが「んん、オホン!」と大きく咳払いした。

「きみぃ、おしゃべりがすぎるぞ。イガラシ君の言うように、他校の選手をからかうなんて、スポーツマン精神に反するんじゃないかね」

「そ、そんなぁ人聞きの悪い。からかおうなんて思っちゃいませんよ。せっかくの機会ですし、他府県の選手とも交流しようと」

「いいから、さっさと始めたまえ。みんな待ちくたびれているようだよ」

「へ……あっ」

 内野に目を移すと、他の西将ナインが、高山を睨んでいた。

「こら高山。いつまで、油売っとんのじゃ」

「早くおっぱじめんかい。正捕手のくせに、ピッチャーの肩を冷やすつもりか」

 傍らで、つい吹き出してしまう。

「ヘイヘイ、分かりましたよ。ったく……しんぼうの足らんやつらめ」

 イガラシが打席に入り直し、ようやくプレイが掛かる。

 初球、スピードのあるボールが胸元に投じられた。当てられてもいいつもりで、その軌道を最後まで追う。変化はせず、そのまま高山のミットに飛び込む。

「ほぉ……のけ反らなかったな。しかし真っすぐでよかった。あいつのボール、けっこう球質重くて、当たると痛いんだぞ」

 高山が愉快そうに言った。イガラシは無視して、その場で軽く素振りする。

「む。返事もしないとは、ええ度胸やないの……はっ」

 アンパイアがまた咳払いする。

「きみぃ、そろそろ指導者に報告だぞ」

「そ、それだけはカンベンを。うちの監督、ほんとおっかないので」

 二球目と三球目も、速球だった。インコースの高めと低め。いずれも決まり、ツーストライク・ワンボール。

 ふん。三球目とも内角ということは、最後は外で仕留めるつもりだな。あるいは俺の体格からして、最後も内で詰まらせようってハラなのかも。いや、まてよ……

 四球目。またもスピードのあるボールが、インコース低めに投じられた。途中までは速球の軌道。しかしホームベース手前で、膝元を抉るように曲がる。

 やはりシュートか、思ったとおりだぜ。

 左足をやや外に開き、バットを振り抜く。手応えがあった。よし、レフト線……と思いきや、西将の三塁手がジャンプ一番、グラブに収める。

「くそっ、捕られちまったか」

 引き返しながらバットを拾い上げると、背後から「やるやないか」と声が降ってくる

「気づいてたんやろ。おたくらのバッテリーが、さっき一番の月岩を打ち取った時と、同じ配球やって」

「はて、なんのことでしょう。ただ来た球をねらっただけですよ」

 とぼけて見せると、高山は黙って肩を竦める。

 イガラシは踵を返し、ベンチへと向かう。その途中、次打者の丸井が「おしかったな」と声を掛けてきた。

「スミマセン。出塁するか、もっと投げさせなかったんですけど、どっちもできなくて」

「しかたねぇよ。ありゃ、向こうの守備がうますぎたんだ。それより……やたら相手のキャッチャーに絡まれてたけど、だいじょうぶか?」

 あっそうだ、と思い出す。これは丸井にこそ伝えなければならない。

「ええ。丸井さん、気をつけてください。あのキャッチャー、わざとシャクに障ることを言って、こっちの集中を切らそうとしてきます。挑発にのらないように」

「心配すんなって。なんとかとケンカは、江戸の華って言うだろ?」

 丸井の気楽な物言いに、イガラシは「あっ」とずっこけた。

 

―― 二番セカンド、丸井君。

 アナウンスと同時に、墨谷の二番打者が右打席へと入ってくる。まるでおにぎりのような顔立ちに、思わず吹き出してしまう。すると、相手が振り向く。

「え……な、なにか?」

 高山は、やや困惑した。その丸井という打者が、こちらを睨み付けてきたからだ。

「ボク、まだなにも言うてへん」

 おどけると、丸井は「けっ」と反転し、バットを短めにして構える。

 笑ったせいかと思ったが、やがて違うと気付く。あのイガラシという少年に、色々と吹き込まれたのだろう。

 ちっとも嫌な気はしない。むしろ、とても愉快な気分だ。

 ホームベース手前にしゃがみ、高山はサインを出す。マウンド上の宮西はうなずき、投球動作へと移る。

 初球は、真ん中低めから膝元に喰い込むシュート。丸井は振り抜いたが、ファールチップとなった。ボールがバックネットへ転がっていく。

「ああ、くそっ……読みどおりだったのに。さすがにキレてるな」

 丸井は空を仰ぎ、悔しそうに顔を歪める。

 オイオイ。ちょっとずれただけで、タイミング合うとるやないか。このシュート、甲子園でも初見で当てられたやつ、なかなかおらへんかったのに。さっきのイガラシといい丸井といい……このチーム、けっこう鍛えられとるぞ。

 二球目と三球目は、内外角へ速球。いずれもボール一個分外したが、丸井はバットをぴくりとも動かさない。明らかに自信を持って、見送られる。

 選球眼もあるんやな。ダテにうちらの対戦相手として、選ばれたわけやないってことかい。

 三球目。高山は、スローカーブを要求した。

 スピードボールを続けた後の遅い球に、丸井は体勢を崩す。しかし残したバットの先で、カットしてしまう。

「丸井さん、ナイスカット!」

 三塁側ベンチから、あのイガラシが掛け声を発した。

「練習の成果、ちゃんと出てますよ。喰らいついていきましょう」

 後輩の励ましに、丸井は「おうよっ」と応える。

 四球目。高山は、さっきよりも内側にシュートを要求した。相手打者のバットが回る。よし、空振りだ……と思った瞬間、乾いた音が鳴る。

 速いゴロが、二遊間を襲う。あわや抜けるかと思われたが、二塁手の平石が逆シングルで捕球し、一塁へ送球。丸井はヘッドスライディングを敢行したが、間一髪アウト。

 やれやれ、また守備にたすけられたな。にしても内に喰い込んでくるボールを、よく反対方向へ打ち返したもんだ。そういう練習をつんでるんやろな。この墨谷ってチーム、思ったより手ごわいぞ。

―― 三番センター、島田君。

 次打者は、前の二人より上背がある。それでも長身の高山と並べば、どうしても見下ろされてしまう。

 その島田は、右打席に入る。初球、高山はまたもシュートを要求した。真ん中から胸元に曲がるボールを、相手は空振りする。

 こいつは、タイミング合うてへんな。シュートをあと二球続ければ……むっ。

「タイム!」

 島田はアンパイアに合図すると、一旦打席を外した。そして左打席に移る。

 なんや。この島田ってやつ、スイッチヒッターかい。たしかに左打席の方が、シュートには合わせやすい。ふふっ……いろいろと、やってくれるでねぇの。

 マウンド上の宮西が、「どうします?」と言いたげに首を傾げる。高山は構わず、再びシュートのサインを出した。

 ひるむんやない。ここで引いたら、向こうの策に屈したことになるぞ。それはあかん。おまえ、次期エースやろ。だったら意地見せて、チカラでねじ伏せんかい。

 宮西はうなずき、二球目を投じた。それが真ん中へ入ってきてしまう。

 う……甘い、と高山は顔をしかめた。島田のバットが回り、快音が響く。ライナー性の打球が左中間を襲う。中堅手ダッシュし、飛び付く。

「……アウト!」

 二塁塁審が、大きく右手を突き上げる。中堅手が飛び付いたグラブの先に、ボールが収まっていた。好守備に、またもスタンドが沸く。

 高山は吐息をつき、小走りにベンチへと向かった。

 あぶなっ。結果は三者凡退だが、ぜんぶヒット性。少し間違えりゃ、二点くらい取られてもおかしくない内容やないか。こら、あんがい……手こずるかも。

 

 

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【野球小説】続・プレイボール<第15話「思わぬ知らせの巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第15話 思わぬ知らせの巻
    • 【登場人物紹介】
    • 1.速球対策!
    • 2.名監督登場
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 


 

 

第15話 思わぬ知らせの巻

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【登場人物紹介】

 

大田原:現・東京都高野連会長。原作『キャプテン』では、全国中学野球連盟の委員長を務めていた。かつて地区大会決勝で、規則違反を犯した青葉学院に対し、墨谷二中と再試合を実施させるという英断を下した。僧のような頭と口元の白髭が印象的な、威厳ある人物。

 

中岡:小説オリジナルキャラクター。大阪の名門・西将学園の監督。春の甲子園において、準決勝で谷原を熱戦の末下すなどして、優勝を果たした。年齢は四十台半ば。インテリ然とした眼鏡が印象的な知将である。

 

1.速球対策!

 

 翌、月曜日の墨高グラウンド。

 校舎の時計は、ちょうど四時半を差す。キャプテン谷口は、通常のメニューを一通り消化した後、一旦ナイン達を集合させた。

「昨日に続いて、これから谷原の村井、東実の佐野を打つための特訓を行う」

 円座の中央で、谷口はそう開口一番に告げる。

「なるべく一人当たりの量を増やしたいので、二グループに別れてもらう。レギュラー陣には俺が、控えメンバーには松川が、それぞれ打撃投手を務める」

 キャプテン、と加藤が問うてくる。

「今日もレギュラー組は、三メートル短くするんですか?」

「もちろんだ」

 そう返事すると、加藤は溜息混じりに言った。

「き、キャプテンだって……十分速いと思いますけど」

 加藤の真向かいで、戸室が「まったくだ」と同調する。

「俺なんて、ぜんぜんボール見えなかったもんね」

「……あの、キャプテン」

 おずおずと挙手したのは、島田だった。

「昨日のミーティングでは、全員打てなくてもいいって話だったじゃないですか。打ち返す力量のない者は、バントで揺さぶったりファールで粘ったり、いろいろ工夫した方が効率的じゃありませんか?」

「いや、それはダメだ」

 谷口は、きっぱりと答えた。

「島田、それにみんなも聞いてくれ。ここは大事なトコなんだ」

 語気を強めて言うと、周囲は静まり返る。

「俺はきのう、谷原戦はわれわれの勇気が試されると、言ったはずだ。つまり、最初から打てないと思っていては、勝負にならないということだ。同じ凡打でも、打つつもりで打席に入ったのとそうじゃなかったのとでは、相手に与える印象がまるでちがう」

「キャプテンに賛成です」

 イガラシが、淡々とした口調で言った。

「べつに小細工を否定するわけじゃありませんがね。ただピッチャーの立場から言わせてもらえば、打力のないチームにそれをやられても、ぜんぜん脅威じゃないんですよ。ぎゃくに自信のなさを見透かされて、調子づかせちゃうだけかと」

「まあ、そういうことだ」

 谷口が微笑んで言うと、島田は「分かりました」とうなずいた。

「け、けどよ谷口」

 割って入ったのは、横井だった。まだ腑に落ちないらしい。

「あれだけのピッチャーだぞ。バントしたりファールで粘ったりだって、それなりに鍛錬を積まなくちゃできねぇと思うが」

「うむ。そのとおりだ」

「お、おうっ」

 谷口があっさり認めると、横井は拍子抜けした顔になる。

「ありがとう横井。いろいろ意見を出してくれて、たすかるよ」

 素直に気持ちを伝えた。

 この頃、横井はチームのことを考えて、よく動いてくれている。昨日のミーティングでも、音頭を取ったのは彼だ。上級生としての自覚が出てきたのだろう。全体を指揮しなければならない谷口にとって、とても心強かった。

「よ、よせやい。ただ思ったことを言ったまでさ」

 言葉とは裏腹に、横井はにやけ面だ。戸室がじとっとした目を向ける。

「しかし、心配には及ばんよ」

 声を明るくして、谷口は答える。

「全体練習の締めくくりに、毎日シートバッティングを組み込む。小ワザの練習は、その時にすればいいんだ。もちろんピッチャーには本気で投げてもらう。どうせなら、より実戦に近い形でやった方が効果的だろう」

「あ……けっきょく、両方やるってことね」

 横井のずっこける仕草に、周囲から笑いがこぼれた。

 ほどなく、ナイン達はレギュラー組と控え組に別れ、特訓の準備に取り掛かった。打者とその後続一人、バッテリー以外のメンバーは、グラブを持って球拾いに回る。

「松川、ちょっといいか」

 控え組の特訓へ向かおうとする後輩を、谷口は呼び止める。

「今日から、カーブも混ぜろ。松川から見て、まるで対応できていない者は、どんどん素振りを命じていい。基礎のできていない者が、いくら打っても無意味だからな」

「は、はい」

「じゅうぶん対応できている者は、レギュラー組に行かせてくれ。数人でも打力のある者を増やしたいし、こっちのメンバーの刺激にもなる」

「分かりました」

 谷口は「頼むぞ」と言い置き、マウンドへ駆ける。

 ホームベース奥では、倉橋が捕手用プロテクターを装着していた。谷口はマウンドに上り、軽くスパイクで足元を均す。三メートルも縮めると、まるで至近距離の感覚だ。

 倉橋は準備を終えると、すぐに屈んでミットを構えた。

「よし。いつでも来い」

「おうよっ」

 ボールを握り、投球動作へと移りかけたが、ふと思い至り手を下ろす。

「どうした?」

「さ、最初は……軽くいこうか」

 気遣ったつもりだったが、倉橋に「ばかいえ」と突っ返される。

「んなコトしてたら、日が暮れちまうわ。何年キャッチャーやってると思ってんだ。肩ができてるのなら、すぐ全力で投げろ」

「わ、分かったよ」

 谷口は振りかぶり、全力の真っすぐを投じた。それを二球、三球と繰り返す。ズバン、ズバン……と迫力ある音が鳴る。

 ホームベース横で素振りしていた丸井が、「ひゃあっ」と感嘆の声を発した。

「さっすが倉橋さん。こんな近くでも、カンタンに捕っちゃうんですね」

「おい、ずいぶん気楽そうに言ってくれるな」

 倉橋は苦笑いした。

「こちとら一球一球、必死よ。ただでさえ谷口のやつ、最近またスピードが増してきてるからな。このまえ肘を傷めて、一時ボールを放らなかったのが、かえって幸いしたらしい」

「なるほど、ケガの功名ってやつスね」

 呑気に返事した丸井だったが、ひとたび打席に立つと、やはり真剣な面構えになる。

「お願いします!」

 挑むような眼差しが、なんとも頼もしい。

 谷口はまたも全力で、ど真ん中へ速球を投じた。丸井のバットが回り、パシッと快音が響く。ライナー性の打球がセンター方向へ飛ぶ。

 さすがレギュラーの一番打者だな、と胸の内につぶやく。特訓二日目にして、もうスピードに目が慣れてきている。

「当てにいってるぞ」

 それでも、谷口はあえて注文を付けた。

「バットは振り抜け。真っすぐだと分かっているからミートできるが、変化球も混ぜられたら、このスイングじゃ対応できないぞ」

「はいっ」

 丸井はめげる様子もなく、再びバットを構える。二球目も、ど真ん中の速球。今度は、速いゴロが三塁方向へ飛んだ。

「あちゃあ、引っかけちまったい」

 唇を歪める後輩に、谷口は「悪くないぞ」と声を掛けた。

「へっ、そうなんですか?」

「うむ。たしかに引っかけたが、打球はいまの方が速かったろう。これが試合なら、三遊間を破っていたさ。しっかり振り抜けた証拠だ」

「ありがとうございます。ただ……いまのは打つポイントがまえすぎたので、もっと引きつけてみますね」

「いいぞ丸井。そうやって調整していけば、だんだんタイミングが分かってくる」

 しかし三球目、四球目は振り遅れてしまい、小フライとなった。球拾いに回っていた横井が、難なく捕球する。

「イテテ……ちょっとでもタイミングがずれると、こうなっちゃうんだから」

 痺れる手を振りながら、丸井が悔しげに空を仰ぐ。

「始めはそんなものさ。ほれ、どんどんいくぞ」

 後輩を励まし、谷口はまた振りかぶる。

 それから六球。丸井は、振り遅れたり引っ掛けたりを繰り返し、なかなか思うようなバッティングができずにいた。

「……よし。ラスト一球」

「えっもう、終わりですか」

 丸井は驚いた声を発した。

「なに。一人十球だから、またすぐ順番が回ってくるさ」

 そう言って、谷口はすぐに十球目の投球動作へと移る。丸井がバットを振り抜く。

 バシッ。鋭いライナーが、センター方向へ伸びていく。外野の島田が懸命に背走し、飛び付くが、その数メートル先でバウンドした。フェンスに当たって跳ね返る。

「ナイスバッティング!」

 褒めると、丸井は照れた顔になる。

「いやぁ。たった一本じゃ、まだまだですよ」

「む、その意気だ」

 この後、他のメンバーも交替ずつ打席に立った。さすがにレギュラーなだけあって、始めの数球こそ手こずるものの、段々とヒット性の当たりが増えていく。次回からは、コースに投げ分けたり変化球を混ぜたりして、もう少し難易度を上げても良さそうだ。

 視線をグラウンドの奥へと移す。ちょうど、松川がカーブを投じたところだった。打席には、一年生の岡村が立つ。そのバットが、あっけなく空を切る。

 谷口は、ひそかに溜息をついた。

「岡村、おまえも外れてろ」

 松川に怒鳴られ、岡村は肩を竦めた。そして、すごすごとキャッチャーの背後へ下がり、素振りを始める。バッティングから外されたのは、これで四人目のようだ。

 岡村は代走か、守備固めかな。肩といい脚といい、持っている能力はすばらしいが、いかんせん変化球に弱すぎる。当てるのがやっとじゃ、レギュラーは厳しいぞ……

 実力者揃いの一年生だが、こと変化球への対応という点で、バラつきが目立つ。イガラシや久保、井口のようにさほど苦にしない者と、そうでない者との差が開き始めている。概ね順調なチーム作りにおいて、数少ない誤算の一つだった。

「お願いします」

 イガラシが打席に入り、軽く会釈する。

「む。いくぞっ」

 一声掛け、谷口はさっきまでと同様に、ど真ん中へ速球を投じる。イガラシが鋭くバットを振り抜いた。

 ドンッ。まるで閃光のような打球が、ノーバウンドで外野フェンスを直撃する。

 二球目、三球目と続けるが、結果は同じだった。いずれもフェンスの一番深い場所へ打球が飛んでいく。

「す、すげぇな」

 マウンドの数メートル後方で、横井が目を丸くした。

「あいつ、まるで一年の時の谷口を見ているようだぜ」

「そ、そうだっけ」

 当人に視線を戻すと、涼しい顔で足元を均している。

「イガラシ。ちょっと」

 呼んでみると、相手は「はい?」とまなじりを上げた。

「どうも、おまえにはカンタンすぎるようだ。もっとコースに散らしていいか」

「あ……そうですね。お願いします」

 投球動作に移ろうとした時、ふいに「キャプテン」と呼ばれる。

「どうした?」

「できれば、スローボールも混ぜてもらえますか」

 ほぉ……と、思わず吐息をつく。面白い提案だと思った。

「なるほど。緩急をつけられても、ちゃんと対応できるようにってことか」

「ええ、泳いだり振り遅れたりしないように」

 谷口は振りかぶり、早速スローボールを投じた。

「……くっ」

 さすがにイガラシは体勢を崩したが、それでもバットで掬うようにして、センター方向へ打ち返す。ボールは島田の前で、ワンバウンドした。

「ほう。よく最後まで、バットを残したな」

 倉橋が感心げに言うと、イガラシは首を横に振る。

「いえ……こんなに体勢を崩されちゃ、ダメです」

 その返答に、倉橋は「言うねこいつ」とでも言いたげに、谷口と目を見合わせる。

 続く五球目は、一転して速球を内角高めに投じた。これは僅かにずれ、ファールボールがバックネットに当たる。

「スイングは悪くない。あとは、タイミングだな」

 一言だけアドバイスすると、イガラシは「はい」とうなずいた。

 六球目と七球目は、内外角の低めを突く。これはきっちり捉えて、それぞれレフト線とライト線へ低いライナーを弾き返した。

「ううむ。これだと、いい内野手には捕られちゃうな」

 本人は満足できないらしく、一旦打席を外し二、三度素振りする。

 このイガラシに加え、井口そして久保。中学時代より馴染みの者が、練習試合や紅白戦で結果を残し、レギュラーを手中に収めつつある。

 経験って大きいのだなと、谷口は納得した。イガラシ達は、中学の地区予選決勝や全国大会で、力のある投手としのぎを削ってきている。他の一年生に足りないのは、まさにその部分だ。こればかりは、今すぐどうにかできるものではない。

「よし、あと三球だ」

 そう言って、谷口は再びスローボールを投じる。

 イガラシは、体勢を崩さず振り抜いた。今度はレフト方向へ、ボールが伸びていく。そして、またもダイレクトでフェンスを直撃する。

「へへっ。いまのは、ちゃんと振り抜けたぞ」

 やっと満足げに笑い、イガラシはすぐにバットを構える。

 ラスト二球は、速球とスローボールを投じた。いずれもジャストミートされる。一球はセンター、もう一球はライトのフェンスを直撃した。

「あれまぁ、けっきょく同じでねぇの」

 横井があんぐり口を開け、呆れたように笑う。

「さすがだな。もう、タイミングをつかんだのか」

 谷口は、微笑んで言った。

「い、いえ……その」

 グラブを拾い上げると、なぜかイガラシが気まずそうな顔になる。

「なんだよヘンな顔して」

「言いにくいんですけど。なに投げるか、フォームで丸分かりでした」

 後輩の一言に、思わず「あらっ」とずっこける。

「それより、あれ……だいじょうぶスかね?」

 イガラシは冷静な口調で、グラウンド奥を指差す。

「……ああ、マズイな」

 控え組を見ると、素振りメンバーが五人に増えてしまっていた。つい溜息が漏れる。

「なぁ谷口」

 倉橋がマスクを取り、立ち上がった。

「いま素振りしてるやつら、こっちに呼んだらどうだ。まずスピードに慣れさせて、真っすぐだけでも打てるようにするのが、早いかもしんねぇぞ」

「む、そうするか」

 首肯すると、イガラシが「ぼく呼んできます」と気を利かせる。

「ああ頼む。ついでに、しばらく控え組に混じって、ちょっとアドバイスしてやってくれ」

 後輩は「えっ」と戸惑いの声を発した。

「そんな、悪いですよ。先輩をさしおいて」

「ヘンな遠慮するなよ。おまえらしくもない」

 そう言って、谷口は笑った。

「いつも個人練習の時、みんなイガラシの話を聞きたがるじゃないか。あれと同じように、思ったことを伝えてくれればいい。俺としても、なかなか手が回らないから、その方がたすかる」

「……分かりました。キャプテンが、そう言うのなら」

 イガラシはうなずくと、グラウンド奥へ駆けていく。

「ははぁん、読めたぜ」

 マスクを被り直し、倉橋がおどけた口調で言った。

「な、なんだい倉橋」

「イガラシのリーダー性を見込んで、いまのうちから英才教育してやろうってか」

「まさか。とてもじゃないが、そこまで考える余裕はないさ」

 本心だった。先のことまで見通す余裕は、まったくない。

 昨日、墨高野球部は大きな決断を下した。谷原に勝つため、エース村井の勝負球をあえて狙い、打ち崩すと。そう腹は決まったものの、不安はある。

 しかし、もう引き返すことはできない。

 チームの雰囲気は良い。この様子なら、ナイン達は来るべき決戦の時まで、懸命に取り組んでくれるはず。だからこそ、自分達のやってきたことが間違いではないという確証、それが持てるあと一押しが欲しい。

 初夏の空を仰ぎ、谷口は僅かに首を傾げた。

 

2.名監督登場

 ここは神宮球場より数キロの地点にある、東京都高野連事務局の一室である。

 会長用デスクの手前には、二対の来客用ソファとテーブル。壁付けのショーケースには、優勝旗や記念盾、賞状等が所狭しと並べられている。

 

 ファイルを積んだデスクに向かい、東京都高野連会長・大田原は、しばし瞑目していた。傍らでは、若い男性職員が受話器を片手に、相手方と話し込んでいる。

「……はぁ、ダメ。ご都合がつかないと。わ、分かりました」

 受話器を置き、職員は溜息をつく。

「か、会長。明善高さんも、招待野球には出られないとのことです」

「むう……いよいよ、これは由々しき事態ではないか」

 口元の白髭をひと撫でして、大田原は唸る。

「きみぃ、分かってるのかね。これは伝統ある都高野連の、名誉に関わるのだぞ。広陽と西将学園、いずれも有名校だ。こっちから招待しておいて、対戦相手が見つかりませんなんて、そんな言い訳通るはずなかろう」

 つい口調がきつくなった。

「そ、それは承知しているのですが」

 職員がしどろもどろになったので、さすがに気の毒になる。

「ああスマン。君を責めるのは筋違いだったね……しかし、話がちがいすぎる。前任者は、各校関係者から首尾よく返事がもらえたと言っていたが」

 大田原は、前年まで全国中学野球連盟の委員長を務めており、高野連に携わるのは今年度からである。その最初の大仕事が、この年からスタートする招待野球の実施だったが、いきなり暗礁に乗り上げてしまった。

「は、はぁ。それは高野連加盟校の責任者による定例会で、各校の指導者の方々から、たしかに『よろこんで出場します』とお約束いただいたのですが」

「書面による確約は、取りつけたのかね?」

 眼鏡越しの鋭い眼光が、職員に向けられる。

「はっ。し、書面ですか」

「わしが連日、なにをしていると思う。加盟校による招待野球出場を承諾する旨の書類をずっと探しているのだが、見当たらんのだ」

「……そ、それは」

「まさか口約束だけで、すませちゃいないだろうね」

「も、申し訳ありません」

 やはり……と、大田原は僧のような頭を抱えた。

「きみぃ。これは、基本だぞ」

 溜息混じりの声になる。

「この頃のアマチュアスポーツには、なんでも勝ちゃいいという風潮がはびこっておる。残念なことだが……われわれは、その現実を踏まえたうえで、事を運ばにゃならんのだよ」

 若い職員は、うなだれて肩を竦めた。

「都のレベルアップを図るために、他府県から有力校を招いて強化試合を行う。たしかに試みとしては、素晴らしい。しかし……目先の勝ちにこだわる学校は、偵察されるのを恐れて、とくにこの時期は出たがらないものだよ」

「な、なるほど」

「聞くところによれば、学校によってはメディアの取材さえ、断るところもあるそうだ。まったく嘆かわしいかぎりだが……しかし、グチってもいられない。こちらには、招待した側としての責任があるのだから」

 そう言って、大田原は立ち上がる。

「出かける。君は、車を回してくれたまえ」

「え……会長、どちらへ?」

「決まっておろう。谷原以外の、都内有力校へ順々に出向く。こうなったら、わしが直々に頭を下げるしかあるまい」

 その時、扉がノックされた。

「はい、どうぞ」

 仕方なく、大田原は一旦椅子に腰掛ける。

「失礼します」

 扉が開き、女性職員が顔をのぞかせる。こちらも若い。

「会長、あの……西将学園の中岡監督が、お見えになっています」

「なにぃっ。せ、西将の」

 よりによって……と、大田原は眉間にしわを寄せた。西将学園は、来る日曜日に試合する予定だ。その表敬訪問だろうが、まさか相手が決まっていないとは言えない。

「じ、事前に連絡は受けとらんが。いま立て込んでいると伝えてくれんかのう」

 大田原が苦しい言い訳をすると、扉の奥から快活な声が聴こえてきた。

「そうカタイことおっしゃらないでくださいよ」

 紺のスーツに眼鏡を掛けた、いかにもインテリ然とした男が姿を現す。

「大田原先生、ご無沙汰しております」

 その男、西将学園野球部監督・中岡は、思わぬ言葉を発した。

「む……ああ、きっ君は」

 相手の面影に、見覚えがあった。

「な、中岡君じゃないか」

「やっと思い出していただけましたか」

 中岡は、大田原が中学校で指導していた頃の、教え子だった。

「いやぁ……あの頃はひょろっとして、目立たない子だったからな。いまと、まったく雰囲気がちがっておる」

「ははっ、懐かしいなぁ。同期のやつらに、よくモヤシだとからかわれたものです」

「しかし……わしもウカツだったよ。いまや天下の名将・中岡監督が、あの中岡君だと、いまのいままで気づかなんだ」

「よしてくださいよ。私など、まだまだです」

「なにを言うとるかね。今回の優勝で、もう春夏合わせて三度目だったろう。西将の名は、いまや全国に轟いておろう」

「ははっ恐れ入ります。お褒めの言葉、ありがたく受け取りますよ」

 中岡を来客用のソファに座らせ、大田原も真向かいに腰を下ろした。ほどなく、女性職員が二人分の茶を運んでくる。

 椀の茶を一口すすり、中岡は「ところで先生」と切り出した。

「まだ我々の相手がどこか、連絡をいただけていないのですが」

 大田原は、あやうく茶を吹きそうになる。

「そ、それについては……明後日に連絡する予定なんだが」

「おやおや。先生にしては、歯切れがよろしくありませんね」

「そうかね? まあ、わしも年を取ったもんでな」

「先生……この期に及んで、隠し事はナシですよ。先生と私の仲じゃありませんか」

 ふふっ、と中岡は含み笑いを漏らした。

「おおかた招待野球への出場を、有力校に渋られているのでしょう」

 ずばり言い当てられ、露骨なほど咳き込んでしまう。

「だいじょうぶですか?」

「……う、うむ」

 もはや観念するほかない。大田原は、潔く認めることにした。

「君の言うとおりだ。中岡君、申し訳ない」

 テーブルに両手をつき、深く頭を下げる。

「いや、先生どうか気に病まないでください。なにせ初めての取り組みですから、いろいろ調整が難しいだろうというのは、想像つきますよ」

「ありがとう中岡君。しかし、こちらの手落ちであることに変わりない。もちろん君達には、けっして迷惑をかけないと約束する」

 ふと見ると、男性職員が大田原の斜め後方で、物言いたげな顔をしている。

「どうしたのかね?」

「じつは、その……まだシード校で連絡していないチームがありまして」

「な、なんじゃとっ」

 つい語気が強くなり、咳き込んでしまう。

「だいじょうぶですか?」

「……か、かまうな。それでどこの学校だね」

「し、しかし……そこは甲子園に出たことがなく、部員数も二十名ちょっとだけです。そんなチームを、西将学園さんのような名門校に当てるのは、失礼ではないかと」

 その時、中岡が「ひょっとして」と割り込んでくる。

「墨谷、という学校じゃありませんか?」

 大田原と職員は、同時に目を向ける。

「中岡君。どうして、墨谷のことを」

「ははっ先生、我々を見くびってもらっちゃ困りますな。知ってのとおり、うちは全国優勝を期待されるチームです。甲子園でライバルになりそうな他地区の動向は、常にチェックを怠りませんよ」

「な、なるほど」

「それと……じつは午前中、何校かあいさつ回りをさせていただきましてね。時期柄、やはり地区予選の展望についての話題になりましたよ」

「では、その時に聞いたのだね?」

「ええ。各校の指導者は、口を揃えて“ダークホースは墨谷”とおっしゃっていました。うちと春の甲子園で戦った、谷原の監督さんに至っては、『底知れぬ可能性を秘めたチーム』だと評しておられましたよ」

 ふと大田原の脳裏に、予感めいたものが閃く。

「君。わしのデスクに、選手名簿のファイルはあるかね?」

「は、はぁ……こちらに」

 職員に手渡されたファイルをめくり、墨谷の頁を開く。そして、大田原は「ほうっ」と声を発した。

 名簿の一番上に、懐かしい名前があった――「キャプテン・谷口タカオ」と。

 やはりあの子か……と、胸の内につぶやく。かつて新聞記者とともに自分を訪ねてきた、純朴そうな少年の顔が浮かぶ。

「おや。谷口タカオ君といえば、あの墨谷二中の元キャプテンじゃありませんか」

 中岡がファイルを覗き込んでくる。

「知っているのかね?」

 大田原は驚いて、問い返した。

「もちろんですとも。三年前でしたか……青葉の不正に端を発した、中学選手権の決勝戦再試合。当時かなりニュースになっていましたから。それが先生のご英断によるものということも、ちゃんと耳にしていますよ」

 愉快そうに、中岡が答える。

「それと、うちにも青葉学院出身の子が、何人かいましてね。なにせ前代未聞の出来事で、さらに試合も激闘だったからか、未だに語り草となっているのですよ」

 傍らで、職員が「どういたしましょう」と尋ねてくる。

「やはり、ここは墨谷に」

「待ちたまえ。いくらわしと縁があるからといって、だから墨谷をあてがうというのは、さすがに安易じゃぞ」

 早まる職員を、大田原は制した。

「君が案じていたように、墨谷はまだ力量不足だ。あまりに一方的な試合となってしまっては、招待する側として失礼だからな」

「ハハハッ」

 ふいに中岡が、高笑いする。

「先生、そんなことを心配しておられたのですか」

「ど、どういう意味だね?」

「ここ数年、われわれと互角に戦えたのは、強打の谷原と試合巧者の箕輪だけです。それ以外のどこが出て来ようが、大して結果はちがわないと思いますよ」

 傲岸な言葉だが、大田原は何も言い返せない。けっして思い上がりではなく、それは事実だからだ。

 中岡は、ちらっと腕時計に目をやり、立ち上がった。

「さて、少々長居しすぎたようです。この後も予定がありますので……そろそろ」

 こう告げて、両手を差し出す。

「うむ。君も、さらなる活躍を期待しているよ」

 大田原も立ち上がり、元教え子と固く握手を交わす。

「はっ。では先生、お元気で」

 中岡を見送った後、大田原は一旦自分の席に戻る。しばし瞑目して、考え込む。束の間の沈黙。時計のカチカチという音だけが、静かに響く。

 やがて大田原は目を見開く。職員に顔を向け、短く伝えた。

「……きみ。電話を、墨谷にたのむ」

 

 シートバッティングの後、谷口はナイン達に素振り百回を命じた。円の隊形になり、お互いバットが当たらないよう約五メートルずつ感覚を空ける。

「みんな、ただ漫然と振るんじゃないぞっ」

 自分もバットを振りながら、全体に指示していく。

「どのボールをねらうのか。あるいはランナーがどこにいて、カウントはいくつなのか。そういう具体的な状況をイメージするんだ」

 ナイン達は、力強く「はいっ」と応えた。

 ふと斜め前方に目をやると、井口がブツブツとつぶやきながら、バットを振っている。どうやら高め、低め、内外角とコースを打ち分けているようだ。

「おい井口」

 谷口が一声掛けると、井口は「はっ」と驚いた顔になる。

「な、なんでしょう」

「いまどんなことを考えてたか、教えてくれ」

「ああ……そ、それは」

 やや戸惑いながらも、井口は答えた。

「ノーアウト一塁で、ヒットエンドラン。それが相手に読まれたっていう場面です」

「……ほう。続けてくれ」

「はい。なので高めに外されたタマを、上から引っぱたく。もしくは低めに落とされたのを、なんとか転がす」

「なるほど、いいぞ井口。かなり実戦をイメージできてるじゃないか」

「ど、どうも」

 照れた顔で、井口はうつむき加減になる。褒められるとは思わなかったらしい。

「ただ……控え組のやつら、おまえらには早いからな」

 倉橋が、そう釘を刺した。

「おまえらは、真っすぐをコースにさからわず、打ち返すことをイメージしろ。腰を入れて、手打ちにならないようにな」

「倉橋の言うとおりだ」

 素振りの手を止め、谷口は同意した。

「物事には、順序ってものがある。焦ってアレコレやっても身につかない。まず自分にできること、すべきことを確実にこなすんだ。けっきょく、それが上達の早道だぞ」

 控え組の一年生達が、素直に「はい」「分かりました」と返事する。

 その時、遠くから「オオイ」と呼ぶ声がした。グラウンドを囲む金網フェンスの向こうから、こちらに駆けてくる影がある。田所だと、すぐに分かった。

 ナイン達の数メートル近くまで来ると、田所は膝に手をつき「あ、あのよ……」と息切れ声を発した。

「息を整えてからでだいじょうぶですよ」

 谷口は、つい苦笑いしてしまう。

「す、すまねぇな……ゼイゼイ」

「そうそう。介抱させられちゃ、かないませんのでね」

 後方で、横井がおどけて言った。怒鳴り返すかと思いきや、田所は「それどころじゃねぇやい」と取り合わない。

 よほど大事な話なのだろうと察して、谷口はナイン達を集めた。バットはベンチの上に並べてさせ、それから小さく円座になるよう指示する。

 呼吸が落ち着くと、田所は切迫した口調で切り出した。

「あ、あのよ……さっき部長と会って、伝言をたのまれたんだ。おまえら急な話で、きっと驚くだろうが、落ち着いて聞いてくれ」

 そこで一呼吸置き、短く告げる。

「ほんの十五分ほど前、高野連から電話があったそうだ。つぎの日曜日……招待野球に、ぜひとも墨谷に出場してもらいたいと」

 途端、ナイン達からどよめきが起こる。

「そ……それは、ほんとうですか?」

 顔が引きつってしまう。谷口自身、にわかには信じられない気持ちだった。

「き、キャプテン!」

 ふいに半田が、すっとんきょうな声を発した。

「つぎの日曜日といったら、相手は……まさか」

「えっ、ああ。そういえば」

 再び田所に顔を向けると、相手はゆっくりとうなずく。

「その、まさかだぜ。相手は、なんと……あの西将学園だ!」

 周囲がもう一度、大きくどよめいた。

 

 

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【過去記事より】忘れがたき名実況――山本浩アナウンサーの“語り”の記憶

 ※この文章は、スポナビ+時代に書いた記事を、再構成したものである。

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<はじめに> 

 

マラドーナ……マラドーナ、マラードーナ、きたぁ! マラドーナァ!」

「放り込んでくる……城のシュートォ! 同点ゴォル!」

「ショットきます……こぼれ球、岡野ォ! ニッポン、フランスへ……」

 

 サッカー日本代表の話題で世間が賑わう時季になると、懐かしく思い出される声がある。言わずと知れたNHKのアナウンサー・山本浩さんの実況だ。

 

 サッカーに限らず、スポーツ観戦の魅力の一つは、私達も選手と共に戦っている気持ちになれることだ。山本さんの“語り”は、遠く離れた場所で戦っている選手達の元へ、私達を誘ってくれた。

 

 今回は、誠に勝手ながら、山本さんの名実況の私的ベスト5を選んでみた。Jリーグが誕生してから、そしてあのドーハの悲劇から、今年で20年になる。日本サッカーが歩んできた道程を、山本さんの語りと共に振り返ってみたい。

 

 

第5位 「声は大地から湧き上っています。新しい時代の、到来を求める声です」

(1993年Jリーグ開幕戦・ヴェルディ川崎横浜マリノス

 

 実は、山本さんのその実況を知ったのは、随分後になってからのことだった。それでもこの実況を聴くと、当時の「これから新しい時代が始まる」というワクワクするような思いが、よく伝わってくる。

 Jリーグの開幕によって、日本サッカーは飛躍的な進歩を遂げた。その大事な第一歩は、まさに山本さんの“語り”と共に踏み出されたと言える。

 

第4位 「実にサッカーを始めた子供が、大人になって、また子供を産んで……28年というのはそれだけ、長い年月でした」

(1996年アトランタ五輪アジア最終予選/日本対サウジアラビア

 

 山本さんの実況を初めて聴いた試合。当時、まだ“山本浩”の名前を認識していないのだが、上記のフレーズは私の記憶の奥深くに刻み込まれた。

 今でこそ、日本はW杯と五輪の常連国となりつつあるが、当時は世界大会へ出場することさえ遠かった。まさに世界への“重い扉”をついにこじ開け、後の日本サッカー快進撃のきっかけとなった試合である。その「価値の重さ」を私達に実感させてくれる、本当に素晴らしい実況だった。

 

第3位 「私達は忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、“非常に強いチーム”があったことを。東京国立競技場、空は今でもまだ……横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」

(1998年天皇杯決勝/横浜フリューゲルス清水エスパルス

 

この試合に立ち会った横浜フリューゲルスサポーター・サッカーファンの思いを、大仰でもなく冷淡でもなく、まさに“的確な言葉”で表現したフレーズである。

私は横浜フリューゲルスのファンというわけではなかったが、それでも一つのチームがなくなってしまう現実は、Jリーグを見続けてきた一人として悲しかった。

 天皇杯優勝の歓喜と、それでもチームが消滅してしまう虚しさ……その複雑な感情を適切に言い表すことは、どんなベテランアナウンサーでも難しいと思われる。

 山本さんの“語り”があったから、まだ少し救われたような気がした。

 

第2位「前園が声をかける! ニッポンに声をかける前園!」

(1996年アトランタ五輪アジア最終予選/日本対サウジアラビア

 

 これもアトランタ五輪予選・日本-サウジアラビア戦から。相手の猛反撃を必死に耐えるチームメイト達へ、キャプテン・前園真聖が懸命に鼓舞する――まさに試合の佳境という場面で発せられた、短いけれど非常に味わい深いフレーズである。

 当時の実況について、山本さんは後に出演したサッカー番組の中で、次のように語った。

 

「『前園がチームメイトに声をかけました』と言うと、たぶん“説明”なんですね。『ニッポンに声を掛けました』って言うと、それがちょっと違う意味があると思うんですよ。そういうものを、前園が『言え』って言っているのが分かるんですよ」

 

 この言葉を聞いて、私は鳥肌が立った。山本さんの人間性、観察眼と感性の鋭さ、そしてフィールドに立つ選手達への敬意……そういった様々なものが、その静かな語り口の中に滲み出ている気がした。

 

第1位 「このピッチの上、円陣を組んで、今散った日本代表は……私達にとって“彼ら”ではありません。これは、“私達そのもの”です」

(1997年フランスW杯アジア最終予選/日本対イラン)

 

 恥ずかしい話、私は今でもこの実況を聴くと、涙が出てしまう……

 山本さんの実況で、特に有名なフレーズの一つだ。私達も、思いは日本代表と共に戦い、一緒にW杯へ行くんだ――そんな気持ちにさせてくれた、今でも忘れられない言葉である。

 前述のサッカー番組内での山本さんの後日談も、更に印象的だった。

 

「それを『言え』って、あの監督の動きと選手がですね、津波のように僕に……押しかけたんですよ」

 

 日本代表が“言わせてくれた”――それだけ試合に「入って」いたからこそ持ち得た感覚だったと思う。あの歴史的な一戦、きっと山本さんも、選手達と共に戦っていたのだろう。それにしても、決して「自分で思い付いた」と言わないところが、謙虚な山本さんらしい。

 

 誇張なく、決して押し付けがましいのではなく……あくまでも静かな語り口でありながら、それでいて熱き魂の込められた言葉の数々は、今でも多くのサッカーファンの心に残っている。

 今後も日本サッカーの歴史が思い出される度、山本さんの実況もまた、象徴的な出来事の一つとして語り継がれていくことになるだろう。

 

 歴史を彩る、幾多の名場面の記憶と共に……

<おわりに>

 記事を書きながら、自分の言葉の貧弱さが恥ずかしかった。山本さんの名実況の数々を、こんな拙い言葉で紹介して良かったのだろうかとさえ思う。

 南アフリカW杯後、山本さんはベスト16へ進出する活躍を見せた日本代表に対し、「大会前にあれだけ批判されたのだから、今はその分賞賛を送るべきだ」という趣旨の発言をされていたという。山本さんらしい、日本サッカーへの温かな眼差しを感じさせる言葉だった。

 山本さんに限らず、NHKアナウンサーのサッカーへの造詣の深さには、いつも感服させられる。それだけ高いプロ意識を持って仕事に臨んでいるのだろう(個人的には、野地俊二さんが好きだ。前回W杯のカメルーン戦、「本田だぁ、チャンスになったー! ニッポン先制点!」のフレーズがとても印象的)。

 現在、山本さんは第一線から退かれたが、その“魂”は後輩のアナウンサー達に受け継がれているように思う。それでも、山本さんの素晴らしい“語り”の記憶は、これからもずっと語り継がれていくことだろう……

 

 

【野球小説】続・プレイボール<第14話「墨高ナインの決断!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第14話 墨高ナインの決断!の巻
    • 1.恐るべき谷原打線
    • 2.まず自分達で……
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 

 

第14話 墨高ナインの決断!の巻

www.youtube.com

 

1.恐るべき谷原打線

 

 日曜日、正午過ぎ。

 神宮球場は、内野だけでなく外野スタンドまで、ほぼ客席は埋まっている。都内隋一の強豪・谷原と、広島の伝統校・広陽(こうよう)。ともに春の甲子園で活躍した両校が対戦するとあって、公式戦でないにもかかわらず、大勢の観客が詰めかけていた。

 もちろん一般の客だけではない。翌月にせまる夏の大会において、打倒・谷原をもくろむ多くの都内有力校も、主力メンバーを伴い偵察に訪れていた。

 当然、墨谷もその一角である。

 この日、墨高ナインは午前中軽めの練習をこなした後、電車で球場へと移動した。早めに到着したからか、係員にバックネット裏の見晴らしが良い席をあてがわれる。

 ナイン達にとっては、大敗した練習試合以来の、谷原との再会。緊張感が漂う中での試合観戦、となるはずだったのだが……

 

「ふぅ……食った、食った」

 鈴木がのんびりとした声を発し、三度目のげっぷをした。球場という喧騒の中にいながら、妙に響き渡る。周囲のナイン達は「あーあー」とずっこけた。

「おいしかったぁ。トンカツに鶏肉、シュウマイ、ご飯も大盛り。おまけにスープつき。こんな豪勢な弁当、初めてです」

 傍らで、OBの田所が「だろう?」と相槌を打つ。露骨なほど得意げだ。

「おまえらが招待野球観戦に行くと聞いたもんで、すぐダチが勤めてる弁当屋に連絡して、手配してもらったんだ。しかも、こいつは通常なら売ってねぇ、特製メニューだかんな」

「た、高くなかったんですか?」

 戸室が、先輩の懐を心配して尋ねる。

「へへっ。交渉して、マケてもらったんだ。なんと一個あたり、たったの二百五十円だ」

 一つ前方の席で、倉橋が溜息をつく。

「あーあ……また知り合いの方に、ムリ言っちゃって」

「なに、悪く思うこたぁねえよ」

 田所は、ドンと自分の胸を叩いた。

「ダチの弁当屋、この春に開業したばかりでな。早くお得意先を作りたいんだと。いい宣伝になるからって、快く聞いてくれたぞ。その代わり、こういう機会があったら、ぜひ利用してくれ。あ……半田、メモしといてくれ。〇〇弁当だ。連絡先は、ええと」

「は、はぁ」

 倉橋の隣で、半田が戸惑う声を発した。それでも告げたられた店名と電話番号を、メモ帳に小さく書き込む。

「まったく……電器屋のはずが、どこの営業してんだか」

 横井の皮肉に、田所は「んだとこらっ」と言い返す。

「これは町内会のオヤジからの受け売りだが、何ごとも共存共栄ってやつが大事なんだ。商売でも人づき合いでもよ。いいか横井、てめーも近く社会に出るんだ。いまのうちに、そこんとこをだな」

「あのねぇセンパイ。そんな先の話より、ぼくらはいま目の前のことに必死なんです。OBなら、それくらい……おっ、余った弁当ひとつもらいますね」

「ありゃっ」

 真面目な反論かと思いきや、食い気を優先させる横井に、今度は田所がずっこける。

 一連の光景を、キャプテン谷口は穏やかな気持ちで見守っていた。右隣で「あいつら置いてくるんだった」と呆れる倉橋を、「まぁまぁ」となだめる。

「いいのかよ。ったく……大事な偵察だってのに、緊張感のないやつらめ」

「ははっ、いまぐらい大目に見てやれよ。始まったら、みんなちゃんと集中するさ」

「……ま、そうだな」

 納得したらしく、倉橋は座り直す。

「呑気にメシ食っていられるような試合、あの谷原がするわけねーか」

 谷口の左隣には、丸井とイガラシが座っている。さすがに二人は、真剣モードだ。

「ふむふむ……ほぉ、けっこう来てるな」

 丸井は周囲を見回し、感心げに言った。

「専修館、明善、川北、聖稜、そして東実。ひょえぇ……こうして見ると、圧巻だな。都内の有力校が、まさに一堂に会すってワケか」

「ちょっと丸井さん。そんなにキョロキョロしたら、目立っちゃいますよ」

 そう言うと、イガラシはこちらに顔を向ける。

「にしても、ありがたいですね。両チームともレギュラーを先発させてくるとは」

「む。とくにエースピッチャーを出してくれたのは、好都合だ。谷原の投打の力がよく分かる」

 バックネットの向こう側。グラウンドにて、谷原ナインが試合前ノックを行っている。やはり、動きは俊敏だ。マウンド上では、ちょうど投球練習が終わるところだった。捕球したキャッチャーが、二塁へ送球する。

 谷原の先発マウンドには、あのエース村井が立つ。

 ほどなく、広陽のトップバッターが、ゆっくりと右打席へ入っていく。そして、アンパイアの「プレイボール!」のコールと同時に、試合開始を告げるサイレンが鳴った。

 初球。速いゴロが、一・二塁間を襲う。束の間スタンドが沸きかけるも、あらかじめ深めに守っていた谷原の二塁手が回り込んで捕球した。軽快なフィールディングで、一塁へ送球する。まずワンアウト。

「むう、惜しい」

 腕組みをして、丸井が渋い顔をする。

「なんだ丸井。相手を応援してるのか?」

 谷口が尋ねると、「まさか」と苦笑いした。

「向こうが簡単にやられちゃったら、谷原の弱点が探しにくくなるじゃないですか」

「なるほど。それは言えてるな」

 バシッと音が鳴る。広陽の二番打者が、今度は三遊間に打ち返した。

 一瞬抜けるかと思いきや、こちらも深めに守っていた谷原のショートが、思いのほか余裕を持って捕球する。すかさず一塁へ投じ、ツーアウト。矢のような送球に、スタンドが「おおっ」とどよめいた。

「ははっ、さすがの守備だ」

 谷口は苦笑いを浮かべ、「それにしても……」とつぶやいた。

「谷原の内野、やはり深いな。あれじゃ簡単には抜けないぞ」

 たしかに、とうなずいたのは、イガラシだった。

「それに……右打者の時はライト寄り、左打者の時はレフト寄りにシフトを変えてます」

「うむ。あれだけの球威だし、そうそう引っ張った打球はこないと踏んでるんだろう」

 二人の間で、丸井が「けっ」と毒づく。

「あんまり余裕こいてちゃ、そのうちイタイ目に……おおっ」

 快音が鳴る。ライナー性の打球が、ライト頭上を襲った。

 越えるか……と思いきや、しかし、谷原の右翼手が一直線にダッシュし、くるっと向き直り捕球する。スリーアウト。

「あ、あのライト。なんて足の速さだっ」

 丸井はさすがに、驚嘆の声を発した。

「しかし……広陽も、あの速球とカーブを難なく打ち返してるぞ」

 谷口が感心げに言うと、丸井も「ええ」と同意する。

「こちとら、なんとか合わせるのが、精一杯だったっていうのに。やはり甲子園で四強に残ったチームはちがいますね」

 その時、イガラシが「キャプテン」と割って入る。

「いまの回、広陽のバッターが打ったのは、すべてアウトコースでしたよね」

「ああ。打った球種のちがいはあったが」

「これって、半田さんの分析と同じじゃないですか。インコースは避けて、アウトコースをねらうっていう」

「む。てことは……半田の話は正しかった、ということになるな」

 谷口がそう言うと、イガラシは目を見上げる。

「キャプテン。なにか、気になることが?」

「え……ま、まあな」

 不意を突かれ、谷口は口ごもる。端的に答えられるほど、整理が付いていない。

 グラウンドでは、広陽ナインがボール回しを行っている。その中央、マウンド上では投球練習が始められていた。谷原と同様、こちらも主戦投手を立ててきている。

「広陽のピッチャー、コントロール良さそうですね」

 丸井が吐息混じりに言った。谷口は「ああ」と首肯する。

「片瀬の話だと、球はそんなに速くないが、丁寧にコーナーを投げ分けるタイプだそうだ。おまけに変化球も多彩らしい」

「むう……あちらさんも、ダテに全国優勝を争ってないってことスね」

 キャッチャーが二塁へ送球し、谷原のトップバッターが打席に入った。ほどなく、アンパイアが「プレイ!」とコールする。

 広陽バッテリーは、初球、二球目とインコースを続けた。いずれもボールとなる速球。

「……ふむ。インコースを見せ球にして、バッターの苦手なアウトコースでストライクを取りにいこうっていう組み立てだな」

 イガラシの予見通り、広陽のキャッチャーは三球目のサインを出した後、今度はアウトコース低めにミットを構える。

「まあ定石だろう」

 丸井が言った。

「このバッター、インコースが得意って話じゃないか」

「はい……それがちょっと、分かりやすすぎます」

 どことなく浮かない顔で、イガラシは答える。

「む。分かりやすいって、どういう……」

 丸井が訝しげに問い返した、次の瞬間だった。

 乾いた打球音とともに、鋭いライナーがライト線を襲う。ボールは白線の内側ぎりぎりでバウンドし、フェンス際まで転がった。一塁塁審が「フェア!」と叫ぶ。

 スタンドは一瞬の静寂の後、どよめいた。

 

 プレイボール直後こそ、和やかな雰囲気だったナイン達。

 しかし、ほどなく彼らは言葉を失う。それは墨高だけでなく、他の有力校の面々も同様だった。あまりにも信じがたい光景が、目の前で繰り広げられたからだ。

 プレイボールが掛かって、約十分後……

 

 スコアボードの一回表の枠には、谷原の得点を示す「4」の数字が刻まれていた。

 

 タイムが解け、内野陣がポジションへと戻っていく。残されたマウンド上、広陽の先発投手は、早くも肩で息をし始めていた。

「……う、ウソだろ」

 傍らで、丸井が震え声になる。

 一回表。五本の長短打と犠牲フライにより、四点を先取した谷原は、なおランナーを一塁と二塁に残す。アウトカウントは、まだ一つのみである。

 谷口自身、そこで繰り広げられる凄惨な光景に、血の気が引いていく思いがした。

「……ば、ばかなっ」

 その時だった。ふいに半田が、大声を発した。

「どうした?」

「き、キャプテン……信じられません」

 半田は青ざめた顔で、グラウンド上を指差した。

「広陽は、ちゃんと谷原のバッターの苦手な所を突いてるんです。な、なのに……こんな」

 複数の部員が、同時に「なんだとっ」と声を上げる。

「向こうのバッテリーも、コースを散らしたり緩急をつけてたりして、的を絞らせないようにしてはいるんだがな」

 倉橋がそう言って、頭を抱える。

「谷原のやつら、広陽の意図を見透かして、それを逆手に取ってやがる」

「……なるほどね」

 呆れ笑いを浮かべて言ったのは、イガラシだった。

「分かりましたよ。どうして谷原のやつらが、偵察されることを承知で、この招待野球への参加を引き受けたのか」

「なんだと。それは、どういう……」

 イガラシは、端的に答えた。

「見せつけるためです」

「み、見せつけるって……他のチームにってことか?」

「ええ。いまどこの有力校も、なんとか谷原の攻略法を探そうと、必死でしょうからね。ぼくらと同じように。そんなことをしてもムダだぞっていう、これはやつらからのメッセージってワケです」

 効果はてき面だったらしい。墨高ナインと同じく、偵察に訪れている有力校の面々が、一様に呆然とした表情を浮かべている。

「ははっ。な、なんてやつらだ……」

 丸井が力なく笑う。

 カチャカチャとスパイクを鳴らし、谷原の七番打者が右打席へと入った。

 広陽のキャッチャーは、外角低めにミットを構える。肩を上下させながら、ピッチャーがうなずく。初球、ほぼキャッチャーの構え通りに、カーブが投じられた。

 直後、ボールを芯で捉えた快音が響く。大飛球が、センター頭上を襲った。広陽の中堅手は、懸命に背走するも、途中で立ち止まった。その眼前で、ボールはフェンスを越える。

 スリーランホームラン。二人のランナーに続き、七番打者もホームを踏んでいく。この回、一挙七点。

「お、俺らがヘボかったわけじゃ、なかったんだな……」

 後列で、横井が呻くように言った。

「甲子園で勝ったピッチャーまで、あんなメッタ打ちにされるんだから」

 さすがに広陽は、先発の主戦投手を降板させた。リリーフとして、背番号「11」のピッチャーが送られる。すぐにマウンド上で、慌ただしく投球練習を始めた。

 

 初回に七点を奪った谷原は、その後も全国四強の広陽を圧倒。

 谷原の誇る強力打線は、登板した相手投手をことごとく粉砕。コールド規定となる七回まで、なんと毎回得点を挙げた。

 守っては、エース村井がさすがの力量を見せ付ける。味方の大量援護もあり、余裕のピッチングで五回を零封した。終盤、ようやく広陽も意地を見せ、谷原の二人のリリーフ投手から二点を返すも、焼け石に水

 結局、七回を終了した時点で、コールドゲームが成立。十六対二という大差で、谷原が広陽を下したのだった。

 

「倉橋、ちょっといいか」

 球場から出て、谷口は隣にいた倉橋を呼び止める。

「なんだい?」

「今後のことで、少し相談したい」

 重要な話だと察したらしく、相手は深くうなずいた。

「……む。分かった」

 すでに他のメンバーは、指定していた並木のベンチ近くに集合している。谷口はそこへ駆けていき、短く告げた。

「みんな。申し訳ないが、先に帰っててくれ」

 ナイン達は「はいっ」と返事すると、連れ立って歩き出す。特に訝しがる者はいなかったが、丸井がふと、こちらに振り向いて言った。

「キャプテン、あまり思いつめちゃダメですよ」

「うむ、分かってるさ。ありがとう丸井」

 気のいい後輩の背中を見送りながら、谷口は唇を結んだ。

 

2.まず自分達で……

 

 学校の部室に戻ると、ナイン達はユニフォームに着替え始めた。この後、午後の練習が組まれている。

「……み、みなさん。ごめんなさい」

 制服のワイシャツ姿のまま、半田が泣きそうな顔で言った。

「ぼくのデータ、ぜんぜん使いモノにならなくて」

 気のいい戸室が、「そう落ち込むなよ」と励ます。

「おまえが悪いんじゃない。ありゃ……谷原がちと、想像以上だったんだ」

「戸室さんの言うとおりだよ」

 近くで着替えながら、加藤も同調する。

「じっさい広陽も、昨日おまえが言ってた苦手コースに投げてたんだし。それを、ああもカンタンに打ち返されちゃあ、お手上げってもんだ」

「やめろよ加藤」

 同学年の島田が、険しい声を発した。

「お手上げなんて言ったら、もうなんの希望もなくなっちまうじゃないか」

「うるせーな。俺は、現実の話をしてんだ。この期に及んで、カッコつけてる場合か」

「な、なんだとっ」

 丸井が「よさんか二人とも」と、慌てて止めに入る。

「キャプテンがいない時に、ケンカなんかおっぱじめてどうすんだ。落ち着けって」

「……おっ、そういやぁ」

 のんびりとした声を発したのは、鈴木だった。

「どうしてキャプテンと倉橋さん、俺達と一緒に帰ってこなかったんだろ」

「こら鈴木。おまえ、そんなことも分からんのか」

 暢気な鈴木を、丸井は叱り付ける。

「さっきの試合を受けて、谷原対策をどうするか。その相談するために決まってんだろ」

「け、けどよ……」

 矛を収めた加藤が、椅子に腰かけて言った。

「対策つったって、どうすんだろう。さっきの広陽のピッチャーだって、かなりのレベルだったんだぞ」

「……まてよ」

 その時、ふいに割って入ったのは、横井だった。こちらは制服姿のまま、向かいの壁側で椅子に座っている。

「加藤、みんなも。その、どうすんだってトコを……いまちょっと考えてみないか」

「えっ」

 不意を突かれ、加藤は束の間口をつぐんだ。他のナイン達も、横井の発した思わぬ一言に、黙り込んでいる。室内を、しばし静寂が包む。

「丸井が言ったようにだ。谷口のやつ、いまごろ倉橋と一緒に、どうすりゃいいか必死に考えてくれているだろう。けど……俺達だって、ずっとあの二人と一緒に戦ってきたんだ」

 横井は、静かに話を続けた。

「あいつらに頼らずとも、そろそろ自分達でどうすべきか考えられるように、ならなきゃいけねぇんじゃないのか」

「……横井。おまえの意気込みは、買うんだけどよ」

 そう言って、戸室が肩を竦める。

「こりゃ、かなりの難題だぞ。さっき見た通り、甲子園で勝ったチームだって、谷原をどう抑えるべきか分からなかったんだ。やはりここは、野球をよく知ってるあの二人の決断を、信じてたくした方が」

「いいんだよ、まちがってても」

 横井は、ふっと穏やかに笑う。

「俺が言いてぇのは……決断を下すって、すごく難しいし、覚悟のいることだろ。それをいつまでも、谷口と倉橋だけに背負わせて、いいのかって話よ」

 ふいに半開きのドアの向こうから、パチパチパチ……と手を叩く音が聴こえた。鈴木が駆け寄って開けると、田所が紙袋を抱えて立っている。

「た、田所さん……どうしてここへ」

 横井が呆れ顔で尋ねると、田所は「バーロイ」と苦笑いした。

「おめえら、すぐに練習を始めると聞いてたから、ずっと外で待ってたってのに。いっこうに出て来ねぇから、心配してのぞきに来たのよ」

 まだナイン達がきょとんとしていると、OBは少しバツの悪そうな顔になる。

「そ、それで……来てみたら、なんだかいい話してたもんでよ。つい聞き入っちまった」

「……あ、荷物持ちます」

 鈴木が両手を差し出すと、田所は「おう」と手渡した。

「ついでに配ってくれ。木のさじも、中に入ってる」

「おっ、アイスクリーム!」

 食いしん坊の鈴木は、舌なめずりをした。紙袋の中には、パックのバニラアイスが数十個も入っている。

「こういう時は甘いモンだ。これ食って、少し元気出せ。ま……あんな試合を見ちまった後じゃ、無理もないがよ。みんなで煮つまってても、しょうがねーだろ」

 ナイン達は、一旦練習に行くのをやめ、アイスクリームを食べ始めた。

「む……なんか食べたこと味だと思ったら、これ昨年も、田所さんが買ってきてくれたやつじゃないですか」

 木の匙を掲げながら、戸室が言った。

「よくおぼえてたな。そうなんだよ、ここの店のアイスは特別うまいからな」

 戸室の傍らで、横井が「これはいくらマケてもらったんです?」と突っ込む。

「てめ……人をケチんぼみたいに言うんじゃねぇ。こっちはちゃんと金払ったよ」

 言い返してから、田所は目を細めた。

「それはそうと、イイコト言うじゃねぇか。まず自分らで考えよう……うむ、そりゃ大事なことだ。後輩の成長が見られて、俺もうれしいぜ」

「か、からかわないでくださいよ」

 横井が頬を赤らめる。

「そんで……おまえとしては、現時点でなんか考えがあるのか?」

 田所のまさしく直球の質問に、横井は「うっ」と声を詰まらせた。

「遠慮すんなよ。まちがっててもいいって、さっきてめぇが言ったろ」

「……あ、あはっ。そうスね」

 半ばヤケクソになったのか、苦笑い混じりに答える。

「たとえばですけど。苦手なところに投げても通じねぇなら……いっそ思い切って、得意なコースに投げ込んでみる、とか」

「はぁ? そりゃ、いくらなんでも」

 横井の返答に、田所が呆れ顔になる。多くの部員達が、ぷぷっと吹き出した。

「……へぇ」

 その時だった。意外な者の発言に、また周囲が静まり返る。

「おもしろいですね、横井さん」

 声の主は、イガラシだった。

「ちぇっイガラシ。おまえまで人のこと、からかいやがって」

 先輩の拗ねた口調に、イガラシはにやっとして、首を横に振った。

「からかうつもりなんか、ありませんよ」

 そう言って立ち上がると、まだ体育座りでしょげている半田の肩を、ぽんと叩く。

「だってぼくも、横井さんと同じ意見ですから」

 イガラシの一言に、室内がざわめいた。

 

 校舎の玄関前で、谷口は腰に手を当てた。

「はて……どこに行ったんだろう、田所さん」

 他のメンバーに遅れること四十分、谷口と倉橋も学校に帰ってきた。先に戻ったはずの田所に用事があったのだが、当人の姿が見当たらない。さらに、もう練習を始めているはずのナイン達も、まだグラウンドに出てきていなかった。

 ふと顔を上げると、倉橋が部室の前で、こっちに手を振っている。先に戻っておくように、さっき頼んでいたのだ。

「おーい倉橋、みんなと田所さんは……」

 そう言いかけると、倉橋は人差し指を立て「シーッ」というジェスチャーをした。谷口は、黙って駆け寄る。

「どうした?」

 囁き声で尋ねると、倉橋は部室をちょんちょんと指差す。

「田所さんは、いまみんなと部室にいる。それより……なんかおもしろそうな話してっから、ここで聴いてようぜ」

「あ、ああ……」

 谷口は戸惑いながらも、部室へと耳を澄ませた。

 

「お、おい……本気かよ」

 田所は、溜息混じりに言った。口元がひくつく。

「広陽は苦手なところを突いて、あれだけ打たれたんだぞ。得意コースに投げ込んだら……そらもう、打ってくださいって言ってるようなもんじゃねぇか」

 口ではそう言いながらも、内心では興味を惹かれていた。田所の知る限り、このイガラシという少年は、どこまでも現実的に考える質だ。単なる思い付きのはずがない。

「……そのまえに」

 イガラシはこちらの目を見上げ、淡々と答えた。

「どうして広陽が、あんなに打たれたのか、少し整理しておきましょうか……高橋、鳥嶋」

 唐突に、同じ一年生の二人を呼ぶ。

「お、おうっ」

「なんだよ」

 高橋と鳥嶋は、地区の有力校・金成中の出身だ。

「わりぃ。思い出したくもないだろうが……昨年の地区予選で、俺ら墨二と当たったろう。どんな対策をしたか教えてくれ」

 二人は一瞬、気まずそうに目を見合わせる。

「……そ、それはもう」

 重そうに口を開いたのは、高橋だった。

「半田さんと一緒さ。墨二打線の上位から下位まで、徹底的に調べた。知ってのとおり、うちはデータ収集に力を入れているからな。もっとも、結果は……」

「あ、もういい。それ以上言うな」

 イガラシは珍しく、すまなそうに言った。そして「久保」と、今度は同じ中学出身の同級生に声を掛ける。

「そういう攻め方をされて、おまえどう感じた?」

「うむ。正直ちょっと嫌だな、くらいは思ったよ。ただ二人には悪いが、苦手コースを突いてくると分かったら……かえって、ねらい打ちしやすかったな」

 かつてのライバルの言葉に、高橋と鳥嶋はいっそう赤面した。同時に、他のメンバーは一様に、口をあんぐり開ける。

「……な、なるほど」

 ぽん、と丸井が手を打つ。

「谷原の連中にとっちゃ、相手が苦手コースを突いてくるのなんざ、お見通しだったっつうことか。それで、あんなカンタンに……」

「ま、待てよ」

 戸室が割って入る。

「いぜん川北や他の強豪と戦った時は、このやり方がそれなりに効果あったんだぞ。どうして谷原には、まるで通じないんだ」

「そこが……谷原の、怖いところです」

 声を潜めて、イガラシは言った。

「谷原のように、全国優勝をねらうチームともなれば、相手に研究されるのは慣れっこなんですよ。分かった上で、やつらはそれを逆手に取った。さらに招待野球という舞台を使って、地区を争う他校の面々に、思い知らせたってわけです。いくら調べてもムダだぞってね」

 横井が「ははっ」と苦笑いを浮かべる。

「俺……なんだか寒気がしてきた」

 俺も、と戸室が同意した。二人だけでなく、その場にいる誰もが、あらためて谷原という壁の高さを痛感させられる。

「なぁに、そう心配いりませんって」

 イガラシは場違いなほど、声を明るくして告げた。

「向こうのねらいさえ分かれば、あとはその対策を練るだけです。だから……半田さん、ショゲてる場合じゃないんですよ」

「えっ」

 半田が意外そうに、目を見上げる。

「使えないどころか、あのデータは大きな武器になります。ただ方法がちがってただけで」

「そ、そうなの?」

「……おいイガラシ」

 田所は、口を挟んだ。

「そ、その正しい方法ってのが……さっき横井の言ってた、あえて得意コースに投げるっていうやつか」

「ええ。そういうことです」

 あっさりとした返答に、ますます戸惑ってしまう。

「相手が気づいたら、一転して苦手を攻めるとか、駆け引きは必要でしょうけど」

 こちらの不安を察したらしく、イガラシは「だいじょうぶですよ」と笑った。

「もしねらわれたって、井口のボールはそう簡単に打てやしませんよ。いくら相手が谷原でも。スカウトした田所さんなら、よく知ってるはずでしょう」

「し、しかしだな」

「もちろん打たれる危険はありますけどね」

「なぬっ」

 またも思わぬ一言に、あやうくずっこけそうになった。

「き、危険だと承知してんなら……なんで」

「それでも引いちゃダメです」

 ふいにイガラシが、鋭い眼差しになる。その迫力に、田所は一瞬たじろいだ。

「さっきの試合で、じゅうぶん分かったはずですよ。どんなに工夫してボールを散らしたとしても、やつらの土俵で戦っているうちは、まず太刀打ちできないってことが」

 イガラシはそう言うと、隅っこで椅子に腰掛けている、幼馴染に顔を向けた。

「井口。まえにも話したが、一番大事なのは……おまえの気持ちだぞ」

 相手は無言で、目を見上げる。

「いま言ったのは、あくまでも俺の考えだ。おまえが納得できないのなら、ここで撤回したっていい。田所さんの言うように、打ち込まれる危険も少なくないからな」

「こらイガラシ。さっきから聞いてりゃ……俺が打たれる前提で、話すんじゃねぇっ」

 井口が唇を尖らせる。

「昨日も言ったろ。チマチマ投げんのは、俺の性に合わないからな。ふふん、あの谷原を力でねじ伏せるたぁ、こんな痛快なことはねぇって」

「口ではなんとでも言えるぜ。一発たたき込まれてから、後悔すんじゃねぇぞ」

「てめぇ、俺を見くびってんのか」

 二人の喧嘩のようなやり取りに、しかし田所は感心していた。

 昨日話したってことは……イガラシのやつ、今日のこの展開を読んでたのか。井口は井口で、谷原のあんな試合を見せられても、まだ強気を保ってやがる。まったく、大したヤロウどもだぜ。

「……あっ」

 ふとイガラシが、はっとしたように全員を見回す。

「こ、これはあくまで、ぼくの考えを言ったまでです。やるかどうかは……みなさん全員の心意気と、覚悟しだいかと」

 丸井が「ふん」と鼻を鳴らす。

「あいかわらず、すぱすぱ耳の痛いこと、言ってくれるでねぇの」

「ど、どうも」

 イガラシは苦笑いした。丸井は一つ咳払いして、返答する。

「俺はのるぜ」

「丸井さん……」

「なにもしねぇでムザムザと、向こうさんの餌食になるのはゴメンだからな。これしかないって言うのなら」

「ありがとうございます。丸井さんがその気なら、心強いですよ」

「けっ、似合わないお世辞言うんじゃねぇ」

 丸井のすました返答に、イガラシは「あっ」とずっこける。

「おい、三人とも」

 不服そうに割り込んだのは、横井だった。

「先輩を抜きにして、勝手に話を進めるんじゃねぇ。言い出したのは俺だかんな」

「こら横井。おまえの場合、苦し紛れの思いつきだったろ」

 田所が突っ込むと、横井はにやっとした。

「な、なんだよ」

「あまり見くびらないでくださいよ。俺にだって、ちゃんと考えがあるんですから」

 そう言うと、後輩の三人に顔を向ける。

「イガラシの話を聞いて、思ったんだけどよ。強気で攻めるってのは……ひょっとしてバッティングでも、同じことが言えねぇか」

 へぇ……と、イガラシは興味深げに目を見上げた。

「おもしろいですね。たとえば、どんな具合です?」

「む、そうだな。たとえば……村井の勝負球、インコースをねらう、とかはどうだ」

 周囲の溜息をよそに、横井は勢い込んで言った。

「半田の話では、いままで打たれたことがないんだろ。そのボールを捉えられたら、向こうのバッテリー、かなり動揺すんじゃねぇか」

 イガラシは、微笑んで答える。

「た、たしかに。それはぼくも考えましたけど」

「おっ。さすがイガラシ、分かってる」

「ただ、打てなかった場合……相手バッテリーを助けることになっちゃうので」

「なんだよ、イガラシらしくもねぇ。そりゃ、いますぐ打てるとは言わねぇが、大会までにしっかり練習すりゃ」

 戸室が「よく言うぜ」と、呆れ顔で突っ込んだ。

「そもそも練習したって、おまえに打てるのかよ」

「むっ。やるまえから、そんな弱気でどうすんだよ。打ってやろうっていう意気込みは、大事じゃねぇか」

「イガラシならともかく、おまえの力量じゃな」

「んだとっ」

 丸井が「まぁまぁ」と、二人をとりなした。そして後輩に尋ねる。

「おまえとしてはどうなんだよ。村井さんのインコース、打てる自信あるのか?」

「もちろんです」

 イガラシは即答した。

「というより、打たなきゃいけないと思ってます。戸室さんの言うように、全員はムリだとしても。何人か打てたら、それだけで相手にダメージを与えられます」

「……たしかに、そうだと思う」

 ふいに口を開いたのは、松川だった。

「横井さんとイガラシの言うように、勝負球を打たれるのは、ピッチャーにとってショックが大きい。まして、ほとんど打たれたことがないタマであれば、なおさらです」

 朴訥とした口調ながら、同じ投手である松川の発言には、かなり説得力があった。

「ち、ちょっと……いいですか」

 その時、半田がおずおずと挙手する。

「二人の意見も良いと思うんですけど、ほかにも……昨年の専修館戦で、百瀬さんを攻略した方法は、どうですか?」

 おおっ、と島田が声を発した。

「わざとキャッチャー寄りに立って、カーブを封じたやつだな」

「うむ。このやり方なら、村井さんのインコースを打てる打てないに関係なく、誰にでもやれるから」

「打てなくてもいいって言うのなら、まだあるぜ」

 加藤が口を挟む。

「あの箕輪がやったように、バントの構えをしたりファールで粘ったりして、揺さぶるんだ。それをしつこく続ければ、あの村井さんもコントロールを乱すかも」

「よ、よしっ」

 横井が、声色を明るくして言った。

「ひとまず……ここまでの意見、まとめてみるか」

 そう言ってチョークを手に取り、小黒板に箇条書きする。

 

「谷原の攻りゃく法」

・わざと相手バッターの得意コースに投げ、配球を読まれないようにする

・エース村井の勝負球・インコースの真っすぐとカーブをあえてねらう

・キャッチャーの近くに立ち、インコースへ投げにくくする

・バントの構えで揺さぶったり、ファールで粘ったりする

 

 書き終えると、横井は短く吐息をついた。

「……ふむ。こうして話し合うと、あんがい出てくるもんだな」

 戸室が「ああ」とうなずく。

「それにインコース打ちはともかく、ほかのは誰にでもできることだからな。少し気が楽になってきたぜ」

 一連の議論を、田所は半ば呆然と眺めていた。おまえらなぁ……と、独り言が漏れる。

「なんでしょう?」

 横井が振り向いて言った。

「ああ、いや……よくもこんなに考えついたなと思ってよ。しかし、言うは易く行うは難しだ。これらの戦法を、あの谷原相手に実行するには、それなりに鍛錬ってもんが必要だぞ」

 後輩達を頼もしく思いながらも、田所は案じてしまう。意気込みは買うが、ただの向こう見ずではいけない。

「先輩。いまさら、なにをおっしゃるんです」

 胸を張って、横井は答える。

「いままでも、俺達ずっと谷口にシゴかれながら、いくつも強敵を倒してきたんスよ。ムチャをやるのは、もう慣れっこです」

 加藤が「それは言えてる」と、笑ってつぶやいた。真向かいで、島田もうなずく。

「そうやって、あの東実も専修館もやっつけたんだ。やって、やれないことはない」

 戸室が「あちゃぁ」と、腰に手を当てて苦笑いする。

「うちの野球部、なんでいつもこうなるんだか。しゃーない。どうせおかしいなら、みんなでってか」

「ふふ、まったくだ」

 返事した後、横井は首を傾げる。

「あとは……こうして話し合ったことを、ちゃんと谷口と倉橋に伝えなきゃいけないが。はて、どう説明したものか」

「その必要はねーよ」

 ふいにカチャリと音がして、ドアが開けられた。全員がそこに視線を向けると、谷口と倉橋が姿を現した。

「き、キャプテンっ。それに倉橋さんも」

 丸井が口をあんぐり開ける。

「みんなの話、聞かせてもらったよ」

 倉橋の傍らで、谷口はややバツが悪そうに言った。

「な、なんでぇ。帰ってきてんのなら、そう言ってくれりゃいいのに」

 横井が唇を尖らせる。

「スマン。みんなの話が、おもしろくてな。つい……聞き入ってしまったんだ」

 そ、それで……と尋ねたのは、丸井だった。

「キャプテンは、どう思います? ぼくらの意見」

「うむ。それなんだが」

 谷口は、表情を引き締めて答える。

「じつは……俺も、同じことを考えてた」

 途端、ナイン達から「ええっ」と驚く声が上がる。

「谷原の試合の後、倉橋とその話をしてたんだ。どうも定石通りの配球が、通用する相手じゃない。それより打たれるのを覚悟で、思い切った攻め方をすべきなんじゃないかって」

「ま、こっちも似たようなことは思ってたし。いいんじゃないかって答えたんだが」

 ぽりぽりと頬を掻きながら、倉橋が吐息混じりに言った。

「しかし……正直、驚かされたぜ。こっちと同じ結論を出した上に、その発想をバッティングにまで応用させるとは」

「そ、そうだろう?」

 横井が胸を反らせる。

「どうだ倉橋。俺らもけっこう、やるだろう」

「なに気取ってやがる。ほとんどイガラシの入れ知恵だったくせに」

 倉橋の突っ込みに、横井は「あらっ」とずっこける。

 谷口は、部屋の中央へと移動し、周囲の部員達を見回す。

「……よし。ここまでの話を、結論としていいか」

 キャプテンの問いかけに、全員がうなずく。

「なぁみんな」

 さらに畳み掛けて、谷口は言った。

「さっきイガラシも言ってたが、つぎ谷原と戦う時は、絶対に引いちゃダメだ。この試合は、われわれの勇気が試される一戦になる。どんな展開になっても、あきらめずに喰らいついていく。そういうチームを、ともに作り上げていこう!」

 キャプテンの言葉に、ナイン達は力強く応える。

「よしきたっ」

「おうよ、やってやろうぜ」

「俺もついていきます」

 田所は、不覚にも涙腺が緩んだ。ハンカチを取り出し、目元を拭う。

「お、おまえら……すっかりたくましくなりやがって。ううっ」

「……あ、あの。田所さん」

 ふと顔を上げると、鈴木が立っていた。なにやら顔が引きつっている。

「な、なんだよ鈴木。人がせっかく感動に浸ってる時に」

「すみません、ちょっと言いにくいんスけど……」

 一つ吐息をつき、鈴木は言った。

「アイス溶けちゃってます」

「え……ああっ、いけねぇ!」

 田所は慌てて、部室の隅で置きっぱなしになっている、アイスクリームの紙袋に手を伸ばした。

 

 

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【野球小説】続・プレイボール<第13話「考えよ!墨高ナインの巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】stand16.hatenablog.com
  • 第13話 考えよ!墨高ナインの巻
    • 1.半田によるデータ分析
    • 2.二人の懸念
    • <次話へのリンク> 
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】
stand16.hatenablog.com

 


 


 


 

第13話 考えよ!墨高ナインの巻

www.youtube.com

 

1.半田によるデータ分析

 

 河川敷のミーティングから、五日間が過ぎた。

 キャプテン谷口のもと、あらためて「谷原を倒して甲子園へ行く」という目標を誓い合った墨高ナインは、よりいっそう練習に熱が入るようになる。

 さらには、引き分けに持ち込んだ箕輪戦を始め、このところの対外試合の好調ぶりもあり、すでに誰もが「自分達はやれる」との思いを、胸の内に抱き始めていた。

 そして土曜日。ナイン達は、全体練習をいつもより早く切り上げ、部室へと集まる。

 翌日には、招待野球に出場する谷原の試合を、全員で偵察へ行く予定を組んでいた。その予習として、かねてより半田が進めていた谷原の詳細な分析結果が、全体ミーティングの場で披露されたのだ。

 

「……ええと、つぎは九番の村井さんです」

 半田は、持ち込んだ小黒板に、A4サイズの紙を貼り換えながら言った。紙には、各選手の特徴が、マジックペンで細かく書かれている。

「村井って、あのエースの」

「そういやぁ……俺達との試合でも、けっこう打ってたような」

 ナイン達からざわめきが漏れた。

「はい。みなさんもご存知の通り、村井さんはバッターとしても要注意です」

 差し棒を使い、半田が項目ごとに説明していく。

「ピッチャーということで打順こそ九番ですが、その打力はクリーンアップに匹敵します。これも片瀬君と一緒に調べたのですが」

 長机の隅の席で、片瀬が小さくうなずいた。この分析には、全国大会に詳しい彼もかなり協力している。

「村井さん……春の甲子園では、打率五割近く。しかも半分以上が長打、ホームランも二本打っています」

 横井が「おいおい」と、溜息混じりに言った。

「九番バッターが五割近く打つなんて、やはり恐ろしい打線だな」

「だ、だいじょうぶです。おさえる方法はありますよ」

 にこっと笑い、半田は話を続ける。

「村井さんは、じっくりとボールを見てくる傾向にあります。追い込まれても対応する自信があるのでしょう。とくに……カーブやフォーク、チェンジアップなど、緩い低めの変化球を得意としています」

 その言葉に、倉橋が「ほぉ」と声を発した。

「いま半田が言ったこと、俺も覚えがある。まえに当たった時、やつには三安打を許しちまったが、たしかにフォークとカーブをうまく打たれた」

「ですが、緩いボールに強い分……どうやら真っすぐを苦手としているようです」

 半田がこう言うと、倉橋は目を丸くした。

「む、そうなのか」

「はい。春の甲子園のビデオを見たら、真っすぐを続けられると、押されてフライを上げてしまっていました。しかも、コースを突かれた時だけじゃなく、けっこう甘めのところでも、打ち損じていました」

「なるほど……たしかにまえの対戦では、谷口が力んじまって、なかなか速球でストライクが取れなかったからな」

 倉橋の傍らで、谷口が「メンボクない」と頬を赤らめる。

「……そ、それと。打線としての特徴ですが」

 コホン、と半田は咳払いを一つして、説明を再開した。

「ぼくらと戦った時が、そうだったように、ほとんど小細工はしてきません。する必要もないと思っているのでしょう。バッターとの勝負に集中できる分、ある意味……箕輪よりはやりやすいかもしれません」

 よかったぁ……とつぶやいたのは、井口だった。

「小細工してくるチーム、苦手なんだよ。力勝負なら望むところ……あっ」

 途端、ぎろっと丸井が睨む。

「テメェはだまってろ」

「す、すみません」

 井口の隣で、イガラシが「ぷっ」と吹き出した。

「は、話変わって……ピッチャーの村井さんについて説明します」

 半田がまた、黒板の紙を貼り換える。

「みなさんも対戦して、よく分かっているでしょうが、村井さんは左のいわゆる本格派投手です。剛速球にくわえて、鋭く曲がるカーブ。あとシュートとチェンジアップも持っているようですが、ほぼ速球とカーブを使い分けます」

 ふむ、と谷口が相槌を打つ。

「いぜん戦った時も、たしかに半田の言うように、ほどんどこの二択だったな」

「ええ。速球とカーブの威力に、よほど自信があると見えます」

 倉橋が「コントロールも抜群だったぞ」と、苦笑いを浮かべる。

インコースアウトコース、高低。まさに自由自在という感じだったな。だから、速球とカーブだけで足りるんだろう」

「はい、まさにそうなんです」

 半田は、深く首肯した。

「とくにインコースへ真っすぐとカーブは、春の甲子園でも、ほぼ打たれていないようです。ただ……ここからが、大事なんですけど」

 ナイン達はやや前傾して、少しも聞き漏らすまいと静聴している。

「やや球質が軽いのか、ミートしさえすれば飛びます。いいですか……ねらい目は、アウトコースの真っすぐ」

 何人かのごくりと唾を飲み込む音が、静かな部室に響く。

春の甲子園で、点を取られた場面では、このボールをねらい打たれたものです。というか、ぼくらとの試合でも……後半みなさんの目が慣れてからは、いい当たりも増えてました」

 横井が「た、たしかに!」と声を上げた。

「あ……スマン。けど言われてみりゃあ、あの村井ってピッチャーに関して言えば、まるで打てそうにないってほどじゃなかったな」

「俺もそう思います」

 向かい側で、島田が同意した。

「打席に立っていて、けっしてミートできない球だとは思いませんでした」

「ま、待てよ」

 口を挟んだのは、戸室だった。

「そんなら六回以降、なぜ一点も取れなかったんだ」

「守備ですよ」

 おもむろに、イガラシが答える。

「ランナーのいない時、やつら内野守備は深めにシフトを敷いていましたから。よほどうまく打たない限り、抜けませんよ。おまけに外野は前に出てきてたので、ポテンヒットも望めませんでした」

「まぁ待てよ、みんな」

 横井が割って入る。

「あん時、俺達はまったく対策も取らずに臨んだんだ。それで、いい当たりを打てたんだから、しっかり練習すりゃあ……」

「お、おう。そうだな」

 今度は、戸室も同調した。

「いままでも俺達……そうやって東実の中尾さんとか専修館の百瀬さんとか、好投手を攻略してきたんだ。だよな、谷口」

 急に話を向けられ、谷口は「あ、あぁ」と曖昧に返事する。

「でも、みなさん。だからって油断しちゃダメです」

 半田が声のトーンを落とし、戒める口調で告げた。

「追い込まれてしまうと、もうお手上げです。例のインコースに、速球かカーブがきます。ここへ投げ込まれると、選抜に出たバッターでも、ほとんど打てていませんから。谷原に勝った西将学園でさえ、避けていましたから」

「ま、いずれにしろ」

 倉橋が腕組みをして、渋い顔で言った。

「前回のように大量失点してしまうと、多少反撃したところで、焼け石に水だがな」

 丸井に脇腹を小突かれ、井口は「う、ウス」と返事する。

 谷口は、ちらっとイガラシに目をやった。しばし沈黙したまま、何やら考え込むような表情だ。こういう時の彼は、異論をあえて控えていたりするから、気に掛かる。

「……む、そういやぁ」

 戸室の声に、現へと引き戻される。

「谷原に勝った、その西将学園ってトコも……来週来るんだったよな」

 なあ谷口、と話を向けられる。

「うむ。たしか田所さんが、先週言ってたな」

 井口が、ふいに「へぇっ」と声を発した。

「キャプテン。せっかくだし、来週も見に行きませんか? 高校生は無料だそうですし」

「こら井口。おまえ……」

 勢い込んで言った後輩を、戸室は睨む。

「ちと骨休みしたいもんで、そう言ってるんじゃねぇだろうな」

「そ、そんな戸室さん」

 苦笑い混じりに、井口は軽く抗議した。

「もちろん夏大のためですよ。なにせ、谷原を破ったとこですし。戦い方とか、参考になるかもしれないじゃないスか」

「わ、わかった。そうムキになるなよ」

 戸室は一転して、井口をなだめる。思いのほか相手が生真面目に答えたので、かえって戸惑ったらしい。

「……うむ。検討しておくよ」

 谷口はしばし考えてから、返答した。

「参考になるかどうかはともかく、レベルの高い野球を見ておくのも勉強になるだろうし」

「さっすがキャプテン。お話、分かります」

 その時、ちょっといいですか……と、加藤が話に入ってきた。

「キャプテン。その件ですが、どうも揉めているらしいですね」

「どういうことだ?」

「あ、知らないですか。今朝の新聞に載ってましたよ」

 加藤は、幾分スキャンダラスに言った。

「この招待野球、谷原以外は……参加を打診したシード校に、ことごとく断られてるみたいですよ。どうやら出場校の規定、ちゃんと決めてなかったらしくて」

「あっその記事、俺も読んだぞ」

 戸室が反応する。

高野連が、だいぶ慌ててるそうじゃないか。あんな有名校を招待しておいて、対戦校も用意できないとなれば、おエライさんのメンツは丸潰れってとこだな」

「ええ……まぁ、断る気持ちも分かりますけどね」

 やや首を傾げて、加藤は言った。

「今年の夏は、どこも打倒谷原で血眼になってるってのに。招待野球なんて目立つトコで試合するなんざ、ライバルにわざわざ手の内を晒すようなもんじゃないですか」

 淡々とした口調で、かなり生々しいことを言う。

「三チームで総当たり戦とかすりゃいいのに」

 戸室がもっともな意見を述べると、加藤は「それが……」とかぶりを振った。

「全国大会で当たったチーム同士は、組まないってルールを、先に作っちゃったらしいですよ。谷原と西将は、春の甲子園で対戦してるので」

 妙なところで盛り上がり出したので、谷口は「もうその辺にしておけ」と制した。

「……おっと、もう六時前じゃねぇか」

 部室の時計を確認し、倉橋が言った。

「半田。話はもう、以上か?」

「はい。ぼくの方からは、これで終わりです」

「ここまで、よく調べてくれたな。大いに参考になったよ」

 珍しく褒められ、半田は「そ、そんな……」と照れた顔になる。

「半田。俺からも、礼を言う。ありがとう」

 そう言って、谷口は立ち上がった。半田がますます真っ赤になる。

「……よし。明日も早いし、みんな今日は解散しよう」

 横井から「ちがうだろ」と、思わぬ反論がきた。

「えっ?」

「どうせ明日は、招待野球で時間を取られるんだ。いまからでも素振りとかダッシュとか、十分やれることはあるじゃないか」

「そ、そうだな」

「……あの、キャプテン」

 今度は、一年生の久保が挙手する。

「ぼくら、これから集まってトスバッティングと素振りをやる予定なんです。ですから、しばらく道具を貸していただけないでしょうか」

「お、おう。もちろんさ」

 横井が「あ、ずりーぞ」と突っ込む。

「トスバッティング、俺もやろうと思ってたのに」

「こらっ」

 くすっと笑い、倉橋は横井をたしなめた。

「後輩の練習をジャマするなんて、大人げねーぞ。それにおまえ、いま素振りとダッシュをしてくると言ってたろ」

「わ、わかったよ。しっかし」

 一つ吐息をつき、横井が目を細める。

「今年の一年は、どいつもこいつも練習の虫だな。俺らもウカウカしてらんねーぜ」

「ふん。心がけとしては、悪くないんじゃねぇか」

 倉橋はそう言って、ぽんと横井の肩を叩く。

「……キャプテン」

 ふいに声を掛けられ、はっとする。イガラシだった。

「さっきの加藤さんの話、気になりませんか?」

 他の一年生と道具を準備しながら、問うてくる。

「気になるって……招待野球の出場校が、決まらないって話か」

「ええ。ぼくも、他のチームが断るのは、分かるんですけど……それなら谷原は、どうして引き受けたんでしょうね」

 谷口は、思わず「えっ」と声を発していた。さっきは考えもしなかった指摘だ。

「どうしてって……あれだけ実績のあるチームなんだし、余裕なんじゃねぇか」

 傍らで根岸が呑気そうに言うと、イガラシは「ばかいえ」と返した。

「周りに警戒された中で、また地区を勝ち上がるってのは、生半可なことじゃないんだぞ。そんなことも分からないチームが、全国の四強になんか進めるかよ」

 小さく吐息をつき、独り言のように言った。

「谷原こそ、断ってもいいはずなんだ。やつら……なにを企んでやがる」

「まぁ、イガラシ」

 谷口は、ぽんと後輩の肩を叩いた。

「いったん後回しにしよう。どっちみち明日になれば、はっきりする。ほら……これからみんなと、練習するんだろう」

 部室のドア付近には、一年生達が集まっている。イガラシを待っているらしい。

「あ。はい、そうでした」

 思いのほか、イガラシはあっさり引き下がった。そして久保や根岸達と道具を抱え、外へ運び出す。

「じゃ、俺もダッシュしてくるか」

 横井もそう言い置き、戸室らと連れ立って部室を出ていく。

「ははっ。一年生はともかく、おどろかされるのは上級生達だよな」

 谷口の傍らで、倉橋が笑った。

「ついこの間までは、練習がキツイだの早く帰りたいだの、ブツクサ言ってた連中がよ」

 その倉橋を、ふいに松川が「先輩」と呼ぶ。さっきまで爪の手入れをしていたが、どうやら済んだらしい。

「おう。どしたい松川」

「もう少しだけ、受けてもらえませんか」

 思わぬ一言に、さしもの倉橋も「はぁ?」と間の抜けた声を発した。

「おまえ、今日さんざん……二百球近く投げ込んだじゃねぇか」

「まだ足りません。早いうちに、感覚をつかみたいんです」

 ほぉ……と、谷口は吐息をつく。

「そういえば、松川はちょっとフォームを修正してるんだったな」

「ああ。といっても、踏み出す足の歩幅を、ちょっと短くしただけだが」

 倉橋が答えた。

「昨日試しにやってみたんだが、けっこうハマってな。いぜんよりも、ずっと球威が増してきてる感触だ」

「へぇ……倉橋が言うのだから、そうとうだな」

 この頃、松川は目の色が違ってきている。打ち込まれた箕輪戦のショックを振り払いたいのか、それとも上級生としての自覚が芽生えつつあるのか。いずれにしても、後輩の成長は素直に嬉しい。

「……あのぅ。お取込み中、失礼なんですが」

 もう一人部室に残っていた丸井が、ひらひらと手を振った。

「よかったら、俺っちが松川につき合いますよ」

 丸井はそう言うと、こちらにウインクする。気を利かせたつもりらしい。

「え……いいのか、丸井」

 戸惑う松川に、丸井は「お安い御用さ」とおどけて言った。

「た、助かるよ」

「なーに。その代わり、バッターの目線で、きっちり意見は言わせてもらうぞ。あ……なのでキャプテンと倉橋さんは、ご心配なさらず。たまには早く帰って休まれてください」

「……うむ。じゃ、そうさせてもらうよ」

 谷口は、微笑んでうなずいた。

  

2.二人の懸念

 

「よう谷口」

 校門をくぐると、ワイシャツ姿の倉橋が外灯下に立っていた。先に部室を出たはずだが、どうやら待っていたらしい。

 二人は並んで、荒川沿いの道を歩き出した。

「倉橋。松川に付いてやらなくて、よかったのか?」

 尋ねると、「よく言うぜ」と返される。

「谷口こそ。いつもなら他のやつを教えたり、自分の練習をしたりして、遅くまで残ってるじゃねぇの。それが珍しく、一人さっさと引き上げようなんてよ」

「あ……そうだったな」

 しばし間を置き、倉橋が問うてくる。

「なに悩んでんだよ」

「えっ。そう見えるか?」

「顔に書いてあんぞ。半田がしゃべってる時から、ずっと浮かない表情だったな」

「それは、まぁ……色々と」

 誤魔化そうとすると、倉橋は「おいおい」と苦笑いした。

「水くさいじゃねぇか。他の部員もいねぇんだし、俺にくらい話してくれてもいいだろ。それに一人で悩むより、二人で考えた方が、良い知恵も浮かぶってもんだ」

「た、たしかに。それは言えてるな」

 谷口は納得して、正直に考えを打ち明けることにした。

「さっき半田が話してた、各打者の苦手コースを突くって話だが……たしかに昨年は、そのやり方が有効だった。しかし同じ方法が、あの谷原にも通じるだろうか」

 傍らで、倉橋はしばし黙って話を聞いていた。

「思い出したくもないが。前に戦った時だって、コースや球種を散らして、どうにか打ち取ろうとしたじゃないか。それでも、彼らは難なく対応してきた。あれは……ちょっとやそっと工夫したくらいじゃ、どうにもならないほどの力量差だった」

「うーむ……俺は、あんときゃ谷口も本調子じゃなかったから、つぎも同じ結果にはならないと思ってるがな」

「ありがとう。ただ、もう一つ気になることがあるんだ」

 吐息混じりに、谷口は言った。

「なんだい?」

「さっきイガラシの話を聞いて、ふと気づいたんだが……谷原が他から警戒されるのは、なにもいまに始まった話じゃない」

「む。たしかに現チームは別格にしても、毎年のように優勝候補に挙げられるからな」

「だから、あんなふうに研究されて、弱点を突かれるっていう状況……もしかして谷原は、慣れっこなんじゃないか」

 さすがに、倉橋の顔色が変わった。

「……な、なるほど。つまり俺達のやろうとしていることなんざ、谷原にとっちゃ、ちっとも脅威じゃないってことか」

 ふいに突風が吹いた。足元の小石が、僅かながら跳ね上げられていく。

 

 谷口と同じ懸念を抱いている者が、もう一人いた。

 

 グラウンドの隅で、イガラシは籠の古いボールで、トスを放っていた。ボールを打ち返す打者は、同学年の久保だ。

 カキッ、バスン。カキッ、バスン。ボールとネットが、交互に小気味よい音を立てる。

「……よし。そろそろコース、投げ分けるぞ」

 久保の斜め前に立ち、イガラシは声を掛けた。

「ああ、たのむ」

 ボールを真ん中、高低、左右……と、まんべんなく散らしていく。久保は、さすがにレギュラーをほぼ手中にしているだけあり、どのコースも難なく捉えてきた。しかし、あえて注文を付ける。

「当てにいくスイングになってるぞ。しっかり振り抜け」

「おうっ」

 それから五球投じる。久保はすべてミートしたが、イガラシは首を横に振った。かつては共に、墨谷二中のクリーンアップを担った。実力を認めるからこそ、自然と求めるレベルも上がる。

「この振りじゃ、速いボールには差し込まれちまうぞ。たとえミートできても、シングルヒット止まりだ。ピッチャーからすりゃ長打のないバッターなんて、ちっても怖かねぇよ」

「……わ、わかった」

「ほれ、つぎいくぞ」

 そう告げて、ほぼ真ん中にトスした。久保は力んだのか、ボールの下を叩いてしまう。

「ばかっ。誰が振り回せっつったよ」

「す、すまん」

 相手が苦笑いした。イガラシは、小さく吐息をつく。

「ほかの一年のやつにも言えることだが、どうも変化球を意識しすぎて、スイングが小さくなっているようだ」

「そ、そうなんだよ」

 溜息混じりに、久保はうなずく。

「中学では地区の四強クラスとでも当たらない限り、あんなたくさんの球種を投げ分けるピッチャーを対戦することなんて、なかったのに。やはり高校はちがうな」

「そりゃトップレベルともなれば、いますぐプロでも通用しそうなピッチャーのいる世界だからな。中学のようにはいかんさ」

 イガラシは「けど……」と、語気を強めて言った。

「だからといって、自分のスイングを見失うようじゃ話にならんぞ。ピッチャーの立場から言やぁ、やはり怖いのは、しっかり振ってくるバッターだ」

「む。そうありたいが、まだちょっとフルスイングは勇気がいるよ」

「おまえ……ちと、カン違いしてるようだな」

 イガラシはそう言うと、自分のバットを手にした。

「三球でいい。俺の打ち方、よく見てろ」

「うむ、わかった」

 言われるまま、久保がトスを上げた。イガラシはそれを打ち返す。

 カッ、ズドン。明らかに、さっきより迫力ある音が鳴った。久保は、驚いたのか「わっ」と声を上げる。

「どしたい。ぼんやりしてたら、日が暮れちまうぞ」

「……あ、あぁ」

 イガラシに促され、久保はトスを続ける。二球目は内角低め、三球目は外角低めといずれも難しいコースだったが、難なく弾き返した。ネットを裂くような音が、立て続けに響く。

「す、すげぇっ」

「これで分かったろ。俺だって、なにも振り回してるわけじゃない。バットにボールが当たる時、いちばん力が出るようにしてるだけだ」

「たしかに打ち始める時は、むしろ脱力してるな」

「ああ。ぎゃくに……おまえのスイングは、ミートの瞬間に力が逃げちまってる。バットコントロールがうまいだけに、もったいない」

 久保はバットを拾い、二、三度素振りする。

「なにか、コツはあるだろうか?」

「そんなら墨二時代……俺、さんざん言ったろう」

 含み笑いを浮かべ、イガラシは答えた。

「わきをしめてシャープに振る。それと、コースにさからわず打ち返す」

 なるほど、と久保がうなずく。

「けっきょくは、基本が大事ってことか」

「そういうこと。ほれ、分かったら続けるぞ。俺の打つ時間がなくなっちまう」

「よしきたっ」

 二人は、およそ五十球を打ち合う。

「……むっ。なんだ?」

 ボールを集めようとして、イガラシがふと振り返ると、数人が集まっていた。

「どしたい。おまえらバット持ったまま、そこに突っ立ってやがって」

 馴染みの根岸や井口だけでなく、岡村や平山、松本、旗野。半数近くの一年生がそこに来ている。

「い、いやぁ……イガラシの話、かなり参考になると思って」

 岡村が照れた顔で言うと、松本もうなずく。

「俺なんてこのまえの試合、イガラシから聞いた通りに打ってみたら、ヒット二本も出ちゃったもんな」

「うむ。やはり全国優勝チームのキャプテンだっただけあって、説得力がちがうよな。おいイガラシ、根岸や久保だけじゃなくて、俺達にも教えてくれよ」

 大きく溜息をつき、イガラシは「ばーか」と返答した。

「人に頼ってばっかいないで、ちっとは自分で工夫しろよな。それに松本。おまえの二安打は、たまたま相手の野手がいないところに飛んだだけだ。もっとねらってセンターへ打ち返せるようにならねぇと……な、なんだよ久保」

 隣で、久保がくすっと笑い声を漏らした。

「文句言いながらも、けっきょくアドバイスしてるじゃねーか。あんがい優しいのな」

「よ、よせやい」

 ボールを拾い終え、籠をネットの手前に置く。

「ほれ、平山に旗野。つぎは二人の番だろ。ムダ口を叩いてたら、あっという間にボールが見えなくなるぞ。それと……井口、根岸。ちょっといいか」

 イガラシは二人を呼び寄せた。そこに久保も加わる。グラウンドの隅に、四人で小さく円座になった。

「井口。ボール一個もしくは半個分の出し入れ、意図してできるか?」

「当たり前だろ」

 井口は得意げにうなずいた。

「昨年対戦して、おまえも十二分にわかってるだろ。まだカーブは、ちと自信ねぇが……速球とシュートなら自由自在さ」

「じゃあ根岸と組んで、それを一球のミスなく投げられるように練習しといてくれ。もちろん俺も手伝う」

 その時、久保が「なぁイガラシ」と割って入る。

「なんだか、さっきから浮かない顔だな。心配事でもあるのかい?」

「……うむ。まぁ、いずれ話そうと思ってたし」

 イガラシは、率直に答えた。

「半田さんが説明してた、谷原の攻略法だが。ありゃ……おそらく通じねぇよ」

 三人が、同時に「なんだって!」と声を上げる。

「ばかっ、声が大きい。いまは、ここだけの話にしておくから、静かに聞いてくれ」

「で、でもよ……あれだけ細かく調べたデータだぞ」

 久保が両手を広げ、納得いかないジェスチャーをした。イガラシは苦笑いする。

「あのデータが使えない、なんて言ってねぇよ。むしろ有効に活用できれば、大きな武器になるだろう。問題は……その使い方だ」

「つ、使い方だと?」

 井口が目を丸くする。

「久保、ぎゃくの立場で考えてみろよ。墨二時代、俺らも金成中を始め、他のチームに研究されて、苦手なコースを突かれたてたろ。それ、どう感じてたよ」

「うむ。そういやぁ、大して手は焼かなかったよな。他校がそんなことしてくるのは、百も承知だったし。やはり井口のいた江田川のように、ほんとの実力がないと……」

 話す途中で、久保は「ああっ」と声を発した。

「やっと気づいたかい。それと同じことを、うちは谷原にやろうとしてるんだ。百戦錬磨の向こうさんにとっちゃ、なんの脅威でもねぇ」

「おいイガラシ」

 根岸が口を挟む。

「そこまで分かってんなら、なにか策があるのか?」

「もちろん」

 あっさり答えると、三人は驚いた顔になる。

「ど、どうするんだ」

「しっかりしろよ根岸。おまえ、キャッチャーだろう」

 からかうように言って、イガラシは口元を引き締めた。

「さほど難しい発想じゃねぇよ。ただ、やるのはちょいと、覚悟が必要だぞ」

 四人から数十メートルの距離で、岡村が素振りしている。その少し手前で、平山と旗野がトスバッティングを続けていた。

 また外野側のブルペンから、投球練習の音が響いてくる。丸井と松川、片瀬だろう。さらにグラウンドの奥では、上級生達が走り込みを行っていた。

 誰もが来るべき決戦の時に備え、自分のやるべきことに取り組んでいる。

「そうだな。俺なら……」

 淡々と語られるイガラシの言葉に、三人は黙して耳を傾けた。

 

 

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