【目次】
- 【前話へのリンク】
- 第16話 西の王者への挑戦!の巻
- 【登場人物紹介】
- 1.試合のテーマ
- 2.一回表
- 3.おしゃべりなキャッチャー
- <次話へのリンク>
- ※感想掲示板
- 【各話へのリンク】
【前話へのリンク】
第16話 西の王者への挑戦!の巻
【登場人物紹介】
高山:小説オリジナルキャラクター。大阪の名門・西将学園の正捕手にして、不動の四番打者。右投げ右打ち。全国ナンバーワンのキャッチャーと噂され、プロからも狙われている。
ひょうきんな性格で、かなり饒舌な質である。慇懃無礼な物言いで、墨高ナインを挑発するが、内心ではその実力を認めている。
※西将学園:大阪の野球名門校。春の甲子園では、準決勝で谷原を下すなど、圧倒的な力を見せ付け優勝した。過去に、何度も全国制覇を果たしており、実績では谷原をも凌ぐ。
1.試合のテーマ
日曜日、午前十時。
先週に続き、神宮球場には大勢の観客が詰めかけていた。まだプレイボールの三十分前だというのに、バックネット裏と内野スタンドはすでに満席だ。
墨高ナインは、三塁側ベンチに陣取る。
すでに全体のウォーミングアップは済ませていた。ファールラインの手前で、ナイン達は素振りしたりストレッチ体操をしたりと、それぞれのやるべきことに取り組んでいる。
「ひゃあっ。すごい人だぜ」
内外野のスタンドを見回し、丸井がすっとんきょうな声を発した。
「公式戦でもねぇのに、みんなモノ好きだこと」
横井が「そらそうよ」と、感心げにうなずく。
「西将っていやぁ、何度も甲子園を制した有名校だもの。とくに今年は……すげぇのがいるって話じゃねぇか」
そう言って、「なぁ」と傍らにいた片瀬に話を向ける。
「あ、はい。そうなんです」
柔軟運動の手を止めて、片瀬は答えた。
「なんといってもバッテリーですね。まずピッチャーの竹田さん。快速球と多彩な変化球を武器に、春の甲子園では決勝まで投げて、計四点しか取られてません」
「す、すごいな」
「ええ。その竹田さんのチカラに加えて、キャッチャーの高山さん。打っては不動の四番、守っては頭脳的なリードがさえる、まさにチームの要です。谷原は準決勝で当たって、けっきょく一点取るのがやっとでした」
「や……谷原ですら、打てなかったのかよ」
ちょっと横井さん、とイガラシが割り込んでくる。
「な、なんだよ」
「もう忘れちゃいましたか? このまえ試合した箕輪が、その竹田ってピッチャーから三点取ってるんですよ。そうだろ、片瀬」
「む、そういえば」
「その箕輪相手に、ぼくら引き分けたじゃないですか。なんとかなりますって」
気のいい横井は、すぐに「おおっ」と破顔した。
「イガラシに言われると、なんだかやれそうな気がしてきたぜ」
ナイン達の様子を、谷口はベンチ手前で素振りしながら、注意深く観察していた。
よかった、いつものみんなだ。ただでさえ強敵が相手というのに、カタくなってしまったら、まず試合にならない。谷原と箕輪、甲子園レベルのチームと戦ったことで、少しずつたくましくなってきている。これなら、どうにかやれそうだ」
「おーい谷口」
その時、背後から呼ばれた。振り向くと、捕手用プロテクターを装着した倉橋が、こちらに右手を掲げている。
「あと五分程度で、シートノックの時間らしい。いまのうちに、みんなでもう一度、ポイントを確認しとかないか」
「うむ、そうするか」
集合っ、と谷口は一声掛けた。すぐさまナイン達が、ベンチへと駆けてくる。ブルペンにいた根岸と松川も、投球練習を中断しその輪に加わる。
谷口はベンチの隅に立ち、その手前にナイン達を座らせた。
「ねんのため、再度オーダーを確認する。昨日も言ったが、この試合の打順は、あくまでも目くらましだ。公式戦の時は、あらためて組み直す。こういうテを使うのは本意じゃないが、どうか理解してほしい」
「いや、当然の策かと」
きっぱりと言ったのは、イガラシだった。
「今日もたくさん偵察が来てます。シード校のやつら……東実、それに谷原も。これだけ強敵がウヨウヨしてるってのに、手の内をさらすことはないですよ」
たしかに、と丸井がうなずく。
「俺っちもキャプテンと同じく、だまし合いは好きじゃないス。でも、正攻法で勝たせてくれる相手じゃないってことは、先週の試合でよく分かりましたから」
「や、やめてくれよぉ」
後方で、戸室が引きつった顔になる。
「谷原のバッティング。思い出すだけでも、ぞっとするぜ」
横井が「おい」と突っ込む。
「おまえこそ口をつつしめ。せっかく忘れてたのに」
「んなこと言ったって……」
倉橋が、渋い顔で「こらこら」とたしなめる。
「そんな弱気じゃ、とても今日は戦えないぞ。しっかりしろい」
「わ、わかったよ……」
ぼやくように返事して、横井がぽりぽりと頬を掻いた。
「まぁまぁ、三人とも」
谷口は微笑んで、尻のポケットからメンバー表の紙を取り出す。
「ではオーダーを確認する。打順に一部変更があるから、しっかり覚えてくれ。まず一番ショート、イガラシ」
丸めていた紙を広げ、順に読み上げていく。
「二番、セカンド丸井。三番センター島田。四番……キャッチャー倉橋」
事前に伝えているにも関わらず、小さなどよめきが起こる。それを「しずかにっ」と制してから、先を続けた。
「五番サードは、俺。六番、ピッチャー井口。七番レフト横井、八番ファースト加藤。そして九番、ライト久保。スタメンは、以上だ」
横井が「ううむ」と、首をひねる。
「やはり違和感があるな、谷口が四番じゃないってのは」
「む。考えてみりゃ、一年の時からずっとだもんな」
同学年の戸室もうなずく。
「ぎゃくにいえば……なにをしてくるか分からないイメージを、他校に植えつけることができますね」
冷静に評したのは、やはりイガラシだ。
「そのとおり。しかし今日の試合は、もっと大切なテーマがある」
「えっ」
後輩が意外そうに目を見開いた。谷口はうなずき、再び全員を見据える。
「はっきり言って、相手は強い。なにせ、あの谷原さえ及ばなかったチームだ。われわれの力量では、ヒット一本打つのがやっとかもしれない。ヘタすりゃ、先週の試合のように、初回でほぼ勝敗が決まってしまうこともあり得る」
ごくんと、誰かが唾を飲む音が聴こえた。谷口のシビアな言葉に、ナイン達は押し黙る。
「……それでも、いいかみんな」
声を明るくして、谷口は話を続けた。
「どんな展開になっても、あきらめない。ぜったいに下を向かない。われわれが今日まで作り上げてきた、ねばりの墨高野球を、最後までまっとうして見せよう。いいなっ」
ナイン達は、いつものように「はいっ」と、力強く応えた。
その時、ふいにスタンドがざわめく。谷口と数人がベンチから出ると、ちょうどスコアボード下に両校のスターティングメンバーが表示されたところだった。
「う、ウソだろ」
半田が呻くようにつぶやく。傍らで、戸室が「どうした?」と尋ねる。
「西将のオーダー、ほぼ春の甲子園のレギュラーです」
数人が「なんだって?」「ジョーダンだろ」と同時に声を上げた。
「……うむ。たしかに、ピッチャー以外はレギュラーをそろえています」
片瀬が、淡々とした口調で告げる。
「それに、あの宮西ってピッチャーは、たしか次期エース候補だったかと。春の甲子園でも、ほとんどリリーフでしたけど、けっこう投げてました」
あちゃぁ……と、丸井がわざとらしく顔を覆う。
「公式戦でもないのに、やつらなに考えてんだよ。俺っちらをどうしようってんだ」
谷口は、一旦集団から離れ、ベンチの奥に引っ込んだ。そしてキャッチャーの倉橋、さらに先発投手の井口を呼び寄せる。
ベンチに駆けてきた井口は、かなり発汗していた。どうやらウォーミングアップの段階で、張り切ってだいぶ投げたらしい。
「もう疲れたとか言わねぇよな」
倉橋が腕組みをして、軽く睨む。
「ま、まさか。これぐらい平気ですよ」
言葉通り、息は乱れていないようだ。しかも、つい投げ過ぎてしまったということは、体が軽いのだろう。これならピッチングに支障はなさそうだ、と安堵する。
ちらっと、谷口は倉橋と目を見合わせた。
「……倉橋、いいな?」
「む。分かってる」
井口が「な、なにか?」と怪訝そうな目になる。谷口は笑って、前日に倉橋と打ち合わせた内容を、この体躯の大きな後輩にも伝えた。
「井口。この試合は、おまえに預ける」
「……は、えっ」
さすがに戸惑ったらしく、井口は間の抜けた声を発した。
「球種もコースも、おまえの思ったとおりに投げていいぞ」
「そんな。いいんスか?」
コホン、と倉橋が咳払いする。
「カン違いするなよ井口。投げたい球だけ、好き勝手に投げろっつうんじゃない。相手打線を抑えるために、おまえがベストだと思う組み立てをしてみろってことだ」
なおも戸惑う後輩に、谷口は説明を付け加える。
「聞いてるぞ。昨年の墨谷二中との決勝で、おまえかなり策を講じて、イガラシ達を苦しめたそうじゃないか。同じことを、あの西将に試してほしい」
「ああ、そういうことスか」
ようやく理解したらしく、相手は笑みを浮かべた。
「もちろん……それで打たれても、おまえを責めない。どうする?」
「や、やりますっ。まかせてください!」
井口は勢い込んで言うと、倉橋と連れ立ってブルペンへ向かう。これからサインの確認を行うらしい。
「……へぇ、考えましたね」
ふいに背後から、声を掛けられる。振り向くとイガラシが立っていた。
「倉橋さんのリードで投げると、他校のやつらに配球パターンを研究されちゃいますからね。それを防ぐために……なるほど、みょう案だと思います」
「ははっ、さすがだな。しかし……それだけじゃないさ」
「と、言いますと?」
「イガラシ達との試合の様子を聞いた限り、井口はボールの威力だけじゃなく、相手打者との駆け引きにも長けているようだからな。そこも磨いてほしいと思ってな」
「ふふ。それと……好きに投げさせた方が、あいつの力量もよく分かりますから」
愉快そうな口ぶりと裏腹に、イガラシは鋭い眼差しをブルペンへと向ける。
「もしこの試合で、井口があっさり大量失点するようなことがあれば、予定の起用法を見直さなきゃいけなくなりますし」
怖いことを言う、と谷口は思った。
実際その通りなのだ。谷原戦の先発投手を、井口に決めたのは、ボールの威力を見込んでのこと。それが簡単に打ち込まれたら、当初の計算が狂ってしまう。
ほどなく、球場係員がこちらに駆け寄ってくる。
「墨谷高校、シートノックの準備を始めてください」
谷口は「分かりました」と返事して、再びナイン達を呼び集めた。
2.一回表
グラウンド上。後攻の墨高ナインは守備につき、ボール回しを行う。
すでに西将の先頭打者が、ネクストバッターズサークルで待機していた。他のメンバーは、ベンチから「ねらってけ」「容赦すんな」と声援を送る。
「あーあー、コワイ顔しちゃって」
イガラシは、こっそりつぶやいた。
ショートのポジションから、相手の動きを注視する。全国トップのチームというだけあり、レギュラーだけでなく控えメンバーまで、がっしりとした体躯だ。さらに、選手一人一人の眼光の鋭さが、目を引く。
まるで……獲物に襲いかかる、オオカミの群れだな。
ほどなく、倉橋が二塁へ送球し、アンパイアが「バッターラップ!」と声を掛ける。それに少し遅れて、ウグイス嬢のアナウンスが響く。
―― 一番センター、月岩君。
長身の選手が、左バッターボックスへと入ってきた。キャッチャーの倉橋も、墨高ナインの中では上背があるのだが、その彼さえも見下ろされる格好になる。
「プレイボール!」
右手を突き上げ、アンパイアがコールする。同時に、試合開始を告げるサイレンが鳴った。
初球。井口は、速球を内角高めに投じた。内にボール一個分ほど外れただけだったが、月岩は上体を大きく仰け反らせる。
「あぶな……気ぃつけんかい、このガキっ」
月岩の悪態に、すかさずアンパイアはタイムを取る。
「君、口をつつしみたまえっ」
「あ……こりゃどうも、失礼しました」
注意を受けた月岩は、あっさり引き下がる。
あやしいぞ、とイガラシは思った。インコースの厳しいコースとはいえ、さほど危ないボールでもなかったし、月岩の立ち位置もベース寄りではない。
こりゃ……相手ピッチャーを委縮させるための、芝居だな。
「ひるむなよ井口」
谷口が声を掛ける。どうやら、同じ印象を受けたらしい。
「気持ちのこもったナイスボールだったぞ。この調子で、どんどん攻めていけっ」
「へへっ、まかせといてください」
振り向くと、井口はにやりと笑った。
タイムが解け、井口はしばし間を置いてから、二球目の投球動作へと移る。またしても内角高めの速球。今度は、コースいっぱいに決まった。
「どうだい。今度は、文句ねぇだろ」
井口は返球を捕ると、手のひらでボールを弄びながら、不敵な笑みを浮かべる。
ははっ。二球続けてインコースとは、強気だな井口。先発をあいつにしといて、正解だったぜ。並のピッチャーなら、さっきの威嚇にビビッて、以後アウトコースにしか投げられなくなるだろうからな。
「いいぞ井口。タマ走ってるじゃねぇか」
イガラシは、わざと挑発的な言葉を発した。
「敵さん、どうやらインコースが苦手らしい。そこさえ攻めときゃだいじょうぶよ」
「おうよっ。もっとも得意コースだとしても、打たせやしないけどな」
なにぃっ……と、月岩がこちらを睨み付けてくる。
三球目。井口は、またも速球をインコースに投じた。今度は低めいっぱい。月岩が、鋭くバットを振り抜く。
快音が響いた。閃光のような打球が、ライトスタンドのポール際へ飛ぶ。
「ら、ライトっ」
倉橋がマスクを取り、叫ぶ。ライトの久保は懸命に背走するが、間に合わない。フェンスの数メートル手前で立ち止まった。
「……ファール、ファール!」
一塁塁審が、両腕を大きく交差する。スタンドの観客から、安堵と落胆の混じったどよめきが漏れた。
「こら井口。いま色気を出して、ストライク取りにいったろ」
さすがに倉橋が、厳しく指摘する。
「置きにいった分、球威がなかったぞ。ボールになっていいから、しっかり腕を振れ。今日は、チカラでねじ伏せるんだろ」
「は、はいっ」
しっかり手綱を締めながらも、倉橋はあくまで、井口の闘志を引き出していく腹積もりらしい。また井口も、先輩の心意気に応えようとしている。
いい傾向だな、とイガラシは思った。バッテリーの呼吸が合ってさえいれば、どうにか戦えそうだ。
倉橋がマスクを被り直し、ミットを真ん中に構える。
井口は振りかぶり、右足を踏み出し、思いきり左腕をしならせる。速いボールが、内角へ投じられた。月岩は「待ってました」とばかりにバットを強振する。
その瞬間、ボールは打者の胸元を抉るように、鋭く変化した。ズバンと、倉橋のミットが乾いた音を立てた。
「ストライク、バッターアウト!」
心なしか、アンパイアの声が上ずる。
スタンドが、さっきよりも大きくどよめいた。成長著しい墨高とはいえ、春の甲子園優勝チームの打者を三振に切って取ろうとは、誰しも想像できなかったに違いない。
―― 二番ショート、田中君。
ざわめきの中、西将の二番打者が右打席に立った。こちらも倉橋を上回る長身だ。とても二番バッターには見えないぜ……と、イガラシはひそかに溜息をつく。
この田中に対し、井口は速球をアウトコースへ続けた。いずれも決まりツーストライク。
打者は、バットをぴくりとも動かさない。それでも相変わらず眼光鋭く、倉橋と井口を交互に見やる。シュートをねらってやがるな、とイガラシは直観した。
三球目。倉橋がまたも、真ん中にミットを構える。ほどなく井口は振りかぶり、速球と同じフォームで左腕をしならせた。
やはりシュート。右打者に対しては、外へ逃げていく軌道になる。
ガッ。鈍い音を残し、打球はホームベースとバックネットのほぼ中間地点に、高く上がった。すぐに倉橋が落下点へと入り、難なく捕球する。これでツーアウト。
ボール回しの後、イガラシはマウンドへ駆け寄った。
「ナイスボール。球威で勝ったな」
声を掛けると、意外にも井口はかぶりを振る。
「紙一重だぜ。いまのバッター、明らかにねらってきやがった」
「ほう。分かってるじゃねぇか」
イガラシは感心した。力勝負にのぼせ上るのではなく、きちんと状況把握に努めているようだ。これなら自滅の心配はなかろう、と安堵する。
「それで、どうするつもりだ?」
「しばらく力で押していくさ。いまのところ、捉えられたわけじゃないからな」
「同意見だ。力まず、ほんらいのボールさえ投げられれば、そう打たれねぇよ」
「おうよ。まかせとけって」
相手の返事にうなずき、イガラシは踵を返した。井口もすぐに正面を向き、倉橋とサインを交換する。
―― 三番ファースト、椿原君。
ウグイス嬢のアナウンスより早く、西将の三番打者が左バッターボックスに入る。この椿原も長身。しかも他の二人より、さらに頭一つ分高い。
ちぇっ。まるで、大人と子供じゃねぇか。
軽く舌打ちをして、イガラシは数歩後退した。倉橋と目を見合わせると、こちらに右手を掲げる。「ここで留まれ」という意味だ。強打者を迎える際、内野陣は深めにシフトを敷くことになっている。
「いくぞバック!」
倉橋の掛け声に、ナイン達は「おうっ」と応えた。
三番椿原に対しての、初球。井口は真ん中低めにシュートを投じた。その直後、パシッと乾いた音がなる。速いゴロが三塁線を襲う。
やられた……と思った瞬間、サードの谷口が飛び付き捕球する。すかさず片膝立ちになり、ファーストへ送球。ショートバウンドとなったが、加藤のミットが掬い上げた。
「アウト!」
一塁塁審のコールに、またもスタンドがどよめく。それはすぐに、拍手へと変わる。チームメイト達も「ナイスサード」「たすかったぜ谷口」と、キャプテンの好プレーを讃えた。
「ナイスピッチング」
マウンドを降りかける井口に、谷口は声を掛ける。
「よく思い切って攻めたな。この調子で、ひるまず向かっていけ」
「う、ウス」
「こらっ」
通りがかった丸井が「返事はハイだろ」と、横から小突く。
「あ……はいっ。がんばりやす」
思いのほか素直な返答に、丸井が「ありゃっ」とずっこけた。分かりやすい反応に、谷口は吹き出した。
ベンチに戻ると、イガラシはグラブを置き、休む間もなくネクストバッターズサークルへと向かう。その眼前、マウンド上では西将の背番号「11」宮西が、ロージンバックを右手に馴染ませている。
「イガラシ、ちょっと」
谷口がベンチを出て、駆け寄ってくる。
「どうする? 初球から、ねらっていくか」
「いや……できるだけねばって、いろんな球種を投げさせたいと思います」
きっぱりと答えた。
「どんなピッチャーなのか、情報が少ないので」
「うむ。そりゃチームとしては、たすかるが」
「それだけじゃなく……この試合では、なるべく定石どおりの攻め方がいいと思います。わんさか偵察が来てるので、手の内は見せないように」
「ねんにはねんを……ってことだな。分かった、まかせるよ」
やがて、宮西が投球動作へと移る。ややサイドスロー気味のフォームから、威力ある速球がキャッチャーのミットに飛び込む。
「は、はえぇっ」
「あれで二番手かよ」
後方のベンチから、ナイン達の驚く声が漏れる。
宮西は、速球を二球続けた後、三球目はシュートを投じた。ほとんど速球と変わらないスピードで、鋭く変化する。
「ははっ。すげぇや」
思わず笑ってしまう。
「あのシュート、井口のものと似てますね」
「うむ。右と左のちがいはあるが、あの直角に曲がる軌道なんか、ソックリだな」
ほどなく投球練習が終わり、キャッチャーが二塁へ送球した。すぐにアンパイアから「バッターラップ」の声が掛かる。
3.おしゃべりなキャッチャー
イガラシは打席に入り、わざと白線の内側ぎりぎりに立った。
「おやぁ。どういうつもりかな」
ふいに背後から、おどけた声が降ってくる。振り向くと、西将のキャッチャー高山が、座りもせず含み笑いを浮かべていた。
うわっ、でかいな……と胸の内につぶやく。背丈こそ僅かながら椿原に及ばないものの、この高山は肩幅も広く、より迫力ある体躯に感じた。小柄なイガラシは、見下ろされる格好になる。
この人が、西将の正捕手にして不動の四番打者。全国ナンバーワンのキャッチャーと言われる、高山さんか。
「まさかそれで、インコースを封じようってか」
「……そんなこと、相手のキャッチャーに教えるわけないでしょう」
イガラシは、素っ気なく返答した。
「さっきの一番バッターといい、やることが姑息じゃありませんか。甲子園優勝チームらしく、正々堂々と勝負しましょうよ」
屈んでマスクを被り、高山は「甘いなぁ」とうそぶく。
「きみは分かってない。これぐらいの言葉の駆け引き、全国大会ではフツウよ。ま……月岩のを演技と見破ったことは、褒めてあげてよう」
さっそく注意点が見つかったな、と胸の内につぶやく。短気な丸井さんや井口あたりが、高山の挑発に乗って、我を失ってはかなわない。
しっかし、おしゃべりなキャッチャーだこと。こんなやつに谷原は……む、まてよ。
「た、タイム!」
一旦打席をはずし、スパイクの紐を直すふりして、イガラシは考え込む。
そうだ。この人、あの谷原に勝ってるんだ。うまくノセておけば、ひょっとして谷原攻略のヒントをしゃべってくれるかも……
「おいボーズ、なにを笑うとんのや」
背中越しに、高山が覗き込んでくる。
「谷原には効きましたか」
「はぁ?」
「こうやって挑発して、集中を切れさせる戦術。こんなテに、あの谷原が引っかかって負けたとは、思いたくないんスけど」
アハハハ、と相手は高笑いした。
「まさか谷原を倒そうとか、思ってんのか。そら夢見るのは勝手やけど、おたくら……やっとシードを獲ったばかりの新興チームなんやろ。ちぃと身の程知らずなんちゃうか」
「じゃあ、試してみますか?」
「な、なんやて」
「九回まで戦って、それでもぼくらが身の程知らずなのかどうか、試してみますかって聞いてるんですよ。高山さん」
さすがに怒り出すかと思ったが、高山は「フフフ……」と不敵な笑みを浮かべる。
「イガラシ君とか言うたな。おたく一年坊のわりに、エエ根性しとるやんけ」
その時、アンパイアが「んん、オホン!」と大きく咳払いした。
「きみぃ、おしゃべりがすぎるぞ。イガラシ君の言うように、他校の選手をからかうなんて、スポーツマン精神に反するんじゃないかね」
「そ、そんなぁ人聞きの悪い。からかおうなんて思っちゃいませんよ。せっかくの機会ですし、他府県の選手とも交流しようと」
「いいから、さっさと始めたまえ。みんな待ちくたびれているようだよ」
「へ……あっ」
内野に目を移すと、他の西将ナインが、高山を睨んでいた。
「こら高山。いつまで、油売っとんのじゃ」
「早くおっぱじめんかい。正捕手のくせに、ピッチャーの肩を冷やすつもりか」
傍らで、つい吹き出してしまう。
「ヘイヘイ、分かりましたよ。ったく……しんぼうの足らんやつらめ」
イガラシが打席に入り直し、ようやくプレイが掛かる。
初球、スピードのあるボールが胸元に投じられた。当てられてもいいつもりで、その軌道を最後まで追う。変化はせず、そのまま高山のミットに飛び込む。
「ほぉ……のけ反らなかったな。しかし真っすぐでよかった。あいつのボール、けっこう球質重くて、当たると痛いんだぞ」
高山が愉快そうに言った。イガラシは無視して、その場で軽く素振りする。
「む。返事もしないとは、ええ度胸やないの……はっ」
アンパイアがまた咳払いする。
「きみぃ、そろそろ指導者に報告だぞ」
「そ、それだけはカンベンを。うちの監督、ほんとおっかないので」
二球目と三球目も、速球だった。インコースの高めと低め。いずれも決まり、ツーストライク・ワンボール。
ふん。三球目とも内角ということは、最後は外で仕留めるつもりだな。あるいは俺の体格からして、最後も内で詰まらせようってハラなのかも。いや、まてよ……
四球目。またもスピードのあるボールが、インコース低めに投じられた。途中までは速球の軌道。しかしホームベース手前で、膝元を抉るように曲がる。
やはりシュートか、思ったとおりだぜ。
左足をやや外に開き、バットを振り抜く。手応えがあった。よし、レフト線……と思いきや、西将の三塁手がジャンプ一番、グラブに収める。
「くそっ、捕られちまったか」
引き返しながらバットを拾い上げると、背後から「やるやないか」と声が降ってくる
「気づいてたんやろ。おたくらのバッテリーが、さっき一番の月岩を打ち取った時と、同じ配球やって」
「はて、なんのことでしょう。ただ来た球をねらっただけですよ」
とぼけて見せると、高山は黙って肩を竦める。
イガラシは踵を返し、ベンチへと向かう。その途中、次打者の丸井が「おしかったな」と声を掛けてきた。
「スミマセン。出塁するか、もっと投げさせなかったんですけど、どっちもできなくて」
「しかたねぇよ。ありゃ、向こうの守備がうますぎたんだ。それより……やたら相手のキャッチャーに絡まれてたけど、だいじょうぶか?」
あっそうだ、と思い出す。これは丸井にこそ伝えなければならない。
「ええ。丸井さん、気をつけてください。あのキャッチャー、わざとシャクに障ることを言って、こっちの集中を切らそうとしてきます。挑発にのらないように」
「心配すんなって。なんとかとケンカは、江戸の華って言うだろ?」
丸井の気楽な物言いに、イガラシは「あっ」とずっこけた。
―― 二番セカンド、丸井君。
アナウンスと同時に、墨谷の二番打者が右打席へと入ってくる。まるでおにぎりのような顔立ちに、思わず吹き出してしまう。すると、相手が振り向く。
「え……な、なにか?」
高山は、やや困惑した。その丸井という打者が、こちらを睨み付けてきたからだ。
「ボク、まだなにも言うてへん」
おどけると、丸井は「けっ」と反転し、バットを短めにして構える。
笑ったせいかと思ったが、やがて違うと気付く。あのイガラシという少年に、色々と吹き込まれたのだろう。
ちっとも嫌な気はしない。むしろ、とても愉快な気分だ。
ホームベース手前にしゃがみ、高山はサインを出す。マウンド上の宮西はうなずき、投球動作へと移る。
初球は、真ん中低めから膝元に喰い込むシュート。丸井は振り抜いたが、ファールチップとなった。ボールがバックネットへ転がっていく。
「ああ、くそっ……読みどおりだったのに。さすがにキレてるな」
丸井は空を仰ぎ、悔しそうに顔を歪める。
オイオイ。ちょっとずれただけで、タイミング合うとるやないか。このシュート、甲子園でも初見で当てられたやつ、なかなかおらへんかったのに。さっきのイガラシといい丸井といい……このチーム、けっこう鍛えられとるぞ。
二球目と三球目は、内外角へ速球。いずれもボール一個分外したが、丸井はバットをぴくりとも動かさない。明らかに自信を持って、見送られる。
選球眼もあるんやな。ダテにうちらの対戦相手として、選ばれたわけやないってことかい。
三球目。高山は、スローカーブを要求した。
スピードボールを続けた後の遅い球に、丸井は体勢を崩す。しかし残したバットの先で、カットしてしまう。
「丸井さん、ナイスカット!」
三塁側ベンチから、あのイガラシが掛け声を発した。
「練習の成果、ちゃんと出てますよ。喰らいついていきましょう」
後輩の励ましに、丸井は「おうよっ」と応える。
四球目。高山は、さっきよりも内側にシュートを要求した。相手打者のバットが回る。よし、空振りだ……と思った瞬間、乾いた音が鳴る。
速いゴロが、二遊間を襲う。あわや抜けるかと思われたが、二塁手の平石が逆シングルで捕球し、一塁へ送球。丸井はヘッドスライディングを敢行したが、間一髪アウト。
やれやれ、また守備にたすけられたな。にしても内に喰い込んでくるボールを、よく反対方向へ打ち返したもんだ。そういう練習をつんでるんやろな。この墨谷ってチーム、思ったより手ごわいぞ。
―― 三番センター、島田君。
次打者は、前の二人より上背がある。それでも長身の高山と並べば、どうしても見下ろされてしまう。
その島田は、右打席に入る。初球、高山はまたもシュートを要求した。真ん中から胸元に曲がるボールを、相手は空振りする。
こいつは、タイミング合うてへんな。シュートをあと二球続ければ……むっ。
「タイム!」
島田はアンパイアに合図すると、一旦打席を外した。そして左打席に移る。
なんや。この島田ってやつ、スイッチヒッターかい。たしかに左打席の方が、シュートには合わせやすい。ふふっ……いろいろと、やってくれるでねぇの。
マウンド上の宮西が、「どうします?」と言いたげに首を傾げる。高山は構わず、再びシュートのサインを出した。
ひるむんやない。ここで引いたら、向こうの策に屈したことになるぞ。それはあかん。おまえ、次期エースやろ。だったら意地見せて、チカラでねじ伏せんかい。
宮西はうなずき、二球目を投じた。それが真ん中へ入ってきてしまう。
う……甘い、と高山は顔をしかめた。島田のバットが回り、快音が響く。ライナー性の打球が左中間を襲う。中堅手がダッシュし、飛び付く。
「……アウト!」
二塁塁審が、大きく右手を突き上げる。中堅手が飛び付いたグラブの先に、ボールが収まっていた。好守備に、またもスタンドが沸く。
高山は吐息をつき、小走りにベンチへと向かった。
あぶなっ。結果は三者凡退だが、ぜんぶヒット性。少し間違えりゃ、二点くらい取られてもおかしくない内容やないか。こら、あんがい……手こずるかも。
続きを読む