南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第18話「これが王者の底力!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第18話 これが王者の底力!の巻
    • 1.四番の一撃
    • 2.双方の駆け引き
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

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第18話 これが王者の底力!の巻

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1.四番の一撃

 

 谷口が駆け寄った時、イガラシはまだ頭を伏せていた。

「おいっ。どこを傷めたんだ?」

 すぐに丸井と加藤、他の内野陣も集まってきた。この間、アンパイアはタイムを掛け、遠巻きに見守っている。

「……だ、だいじょうぶですよ」

 やがて、イガラシが立ち上がった。そして苦笑いする。

「ボールが鳩尾に当たっちゃって。一瞬、息が苦しかっただけです」

「しかし、さっきスゴイ音したぞ」

「平気ですって。ほら」

 谷口の目の前で、イガラシは高くジャンプして見せた。

「このとおり、なんともないでしょう?」

「む……そうだな。よかった」

 後輩の無事を確認して、まずは胸を撫で下ろす。

「それよりキャプテン。つぎは、あの四番です」

「分かってる。みんな集まれっ」

 谷口の掛け声に、内野陣はマウンドに集合した。

 墨高ナインの眼前。ネクストバッターズサークルにて、西将の四番高山が素振りしている。なにやら口笛を吹き、余裕の表情だ。

「歩かせた方がいいと思うぞ」

 左手のミットを腰に当て、まず倉橋が発言した。

「ここまで、高山はすべて敬遠だ。それが功を奏して、まだ向こうさんは、打線に勢いがついていない。もうツーアウトだし、後続さえ抑えりゃ」

「でも、その後続が……けっこう打ってますよ」

 丸井が苦笑いを浮かべる。

「五番の竹田さんは、二安打です。両方とも火の出るような当たりで、長打にならなかったのが不思議なくらいでした。タイムリーを打たれたら、投げる方まで調子づくかも」

「ぼくも、ここは勝負すべきだと思います」

 淡々と告げたのは、イガラシだった。

「ピンチで中軸を迎えるっていう状況は、公式戦でもありえます。この機会に、そういう経験をしといた方が、後々いいんじゃないでしょうか」

「しかし……得意のシュートを、ねらわれちまってるからな」

 憂うように、加藤が言った。

「やつら序盤は打ちあぐねてたが、ここにきて捉え出してるし」

 ナイン達の言葉を、谷口はしばし黙って聞いていた。それでも、ほどなく輪の中心に立つ一年生投手へ顔を向け、口を開く。

「井口。おまえの気持ちが、一番大切だぞ」

 こちらと目を見合わせ、井口はきっぱりと答えた。

「勝負します」

 周囲から「おおっ」と吐息が漏れる。

「試合の流れは、いま西将に大きく傾いています。あれじゃ四番を歩かせたところで、やつらの勢いは止まりません。ここはなんとしても、あの高山を打ち取らないと、どっちみち勝ち目はないと思います」

 思いのほか理路整然とした回答に、谷口は感心させられた。

 けっして蛮勇ではなく、冷静に状況判断する力を、この男は有している。それを確認できただけでも、好きに投げさせた意味はあったと思う。

「分かった、やってみろ」

 そう告げて、軽く右拳を突き上げる。

「井口……その代わり、中途半端は許さんぞ。おまえのベストボールで、高山をねじ伏せろ」

 キャプテンの言葉に、井口は「はいっ」と力強くうなずいた。

 タイムが解け、内野陣はそれぞれのポジションへ散っていく。ホームベース奥に、倉橋が屈み込んだ瞬間、スタンドが大きくどよめいた。

「キャッチャーが座ったってことは、勝負する気かよ」

「ずっと歩かせてたのに……まさか、このピンチでか」

「いい度胸してるじゃないか。墨谷のやつら」

 観客のそんな声が聴こえてくる。

「が、ガンバレ墨谷!」

 誰かが叫んだ。さらに、数人が続く。

「そうだ。墨谷負けるなっ」

「もし勝ったらスゴイことだぞ」

「西将なんか、やっつけちまえ!」

 丸井が「ははっ見ろよ」とスタンドを指差す。

「観客も、やっと俺っちらの強さに気づいたようだぜ」

「どうでしょう。いわゆる判官贔屓ってやつじゃないスか」

 イガラシの冷静なツッコミに、丸井は「あら」とずっこける。

 マウンド上。ロージンバックを足元に放り、井口は投球動作へと移った。セットポジションから、右足を踏み出しグラブを掲げ、弓のように左腕をしならせる。

 

 

 アウトコース低めいっぱいの速球を、高山は見逃した。

 この局面で、ええとこ投げよる。スピードとシュートのキレだけやのうで、コントロールも悪うない。これだけのピッチャーが、よく埋もれとったな。

 二球目。カーブが指に引っ掛かったらしく、ホームベース手前でバウンドした。キャッチャー倉橋が、プロテクターに当てて止める。これやもんな……と、ひそかにつぶやく。

 カーブがイマイチやな。他のやつに投げた時も、曲がりきらなかったり、すっぽ抜けたりしとった。これも使えるようになれば、もっと的が絞りづらくなるのやが。速球とシュートの二択じゃ、うちの打線は抑えられへんで。

「井口。これでいいんだっ」

 倉橋が声を掛ける。

「ミスしても俺が止めてやる。いまのように、思いきり腕振れ」

 ほう。このキャッチャー、うまい声かけするやんけ。しかも「止めてやる」なんて、よほどバウンドに自信があるんやな。

 話しかけて、僅かでも集中を削ごうかと考えたが、寸前で思い留まる。

 やめい。この際、小細工はナシや。このチーム、ええ根性しとるで。それやからこそ……俺のバッティングで、真っ向から粉砕したる。

 四球目は、またもアウトコース低めの速球。決まってツーストライクとなった。顔を伏せ、ほくそ笑む。

 つぎは十中八九シュートやろ。一番の得意を投げんで打たれたら、悔いが残るもんな。もしちがう球種だとしても、それは見せダマにするはずや。勝負は、必ずシュート。

 ところが……迎えた五球目。高山は、あっけに取られた。

 またもアウトコース低め。しかしスピードを殺したボールが、大きな弧を描き、倉橋のミットに吸い込まれる。スローカーブ。意表を突かれ、手が出ない。

 しっしもた、見送っちまった……

「ボール!」

 アンパイアのコールに、高山は安堵する。

 スタンドが「おおっ」とどよめく。双方のナインそして観客までも、この勝負に引き込まれていた。やがて歓声が潮のように引き、周囲は静寂に包まれる。

 ふぅ、命拾いしたわぁ。まさか、さっきミスしたスローカーブを、ここで投げてくるとは。しっかし……落差といいコースといい、今度はええボールやったな。

 倉橋が「惜しかったぞ。ナイスボール!」と、微笑んで返球した。それを横目に、高山はバットを握り直し、マウンド上を凝視する。

 ボール半個分てとこか。おたくら、ちとツキがなかったな。気の毒やが……つぎこそ、仕留めさせてもらう。よう覚悟しとき。

 そして六球目。読み通り、井口はシュートを投じてきた。

 速球とほぼ同じスピードで、膝を巻き込むように鋭く曲がる。だがその軌道を、高山はくっきりと捉えていた。躊躇なくフルスイングする。

「……れ、レフト!」

 はらうようにマスクを脱ぎ、倉橋が叫ぶ。左翼手の横井は、必死の形相で背走するも、フェンスの数メートル手前で諦めた。ボールは、レフトスタンド最上段へ飛び込む。

 球場がざわめいた。三塁塁審が、ぐるぐると右腕を回す。スリーランホームラン。

「く、くそうっ」

 井口はグラブを腰にぶつけ、歯ぎしりする。他の内野陣は、悔しげに頭上を仰ぎながらも、すぐに掛け声を発した。

「しゃーない。切りかえよう」

「まだ一点差だ、どうとでもなる」

「井口。よく攻めたぞ、ナイスガッツ!」

 バットを放り、高山は小走りにダイヤモンドを回る。

 にしても相手のバッテリー、よく勝負を決断できたな。いや意図は分かる。竹田が登板した後、うちらは押せ押せだった。敬遠くらいじゃ潮目は変わらない。

 ホームベースを踏み、短く吐息をついた。

 意図は分かるが、フツーできねぇよ。勝負を選んだことじたい、正気の沙汰じゃないが。あの井口ってピッチャーに至っては、失投したのと同じボールを放りやがって。

 しかし紙一重やったな、と胸の内につぶやく。

 もし、あのスローカーブが決まっていれば、いまごろ流れは向こうや。あいつらの図ったとおり。ほんの束の間にしても……追いつめられとったわけやな、墨谷に。

 顔を上げた時、ベンチ奥に佇む、監督の中岡と目が合う。ほとんど無表情に見えたが、微かに口元が緩む。そうか、と高山は合点した。

 分かってきたで。なんでこの試合、監督がレギュラーを起用しとるのか。

 

 

「ナイスバッティング、高山ぁ」

「さっすが四番。よう打ったで!」

 逆転ホームランを放った高山が、味方から手荒な祝福を受けている。

「……って、やめい。おまえら、人の頭をぽんぽん気安く叩くなや」

 その背中がベンチに引っ込むのと同時に、谷口はタイムを取る。そして内野陣に集まるよう指示し、自分もマウンドへ向かった。

 す、スゴイ……とひそかにつぶやく。

 井口のベストボールだった。右打者の膝を巻き込むように、内角のストライクゾーンぎりぎりに飛び込むシュート。並のバッターなら、腰が引けてしまう。

 あれをスタンドまで持っていくとは、恐ろしい力量だ。パワーだけじゃなく、選球眼とスイングのしなやかさ。初めて見るぞ、こんなバッター。

 谷口は、小さくかぶりを振った。敵チームの打者を感心している場合ではない。今こそキャプテンとして、すべきことがある。

 マウンド上。井口が唇を噛み、西将の一塁側ベンチを睨んでいる。

 いい顔してる、と谷口は思った。痛恨の一発を浴びてなお、この一年生投手の闘志は、少しも衰えていない。下を向くようなら、すぐにでも交代させようと思っていたが、その心配はなさそうだ。

「どうだ。さすがに疲れたろう」

 分かった上で、あえて煽るように問いかける。

「いまの一発は、仕方ない。向こうが完全にうまかった。それを差し引いても、五回途中まで三失点。あの西将相手に、ちょっと出来すぎなくらいだ。よく投げてくれたな」

「は、はぁ……」

 井口が、こちらに怪訝そうな目を向けた。

「もう十分だ。ここで無理して、むやみに傷を広げることはない。松川の準備もできてるし、下がっていいぞ」

「な、なにを言うんですかっ」

 相手は左拳を握り、口角を尖らせる。

「打たれるのが怖くて、ピッチャーなんか務まりませんよ。ここで尻尾巻いて逃げ出したんじゃ、悔やんで夜も眠れなくなります。だいたい試合前、向かっていく気持ちが大事だと言ったのは、キャプテンじゃありませんか」

 井口の傍らで、丸井とイガラシが目を見合わせ、くすっと笑う。どうやら、こちらの意図を見抜いたらしい。

「まだ投げられるというのか?」

 尋ね直すと、井口は「あたりまえです」と即答した。

「さっきので通用しないってんなら、それ以上のタマを投げてやりますよ。やつら調子づいてくるでしょうから、こちとらそう甘くねぇって、思い知らせてやんねぇと」

 無言でうなずき、他のメンバーを見回す。

「このとおり、井口の闘志は失われていない。彼の心意気を、俺は大事にしてやりたいと思う。みんなはどうだ?」

「けっ、身の程知らずが」

 丸井がわざとらしい悪態をつく。

「しゃーねぇ。キャプテンに免じて、つき合ってやらぁ。そんかし……半端なタマ投げやがったら、承知しないぞ」

 そのとおりだ、と加藤もうなずく。

「結果はともかく、思いきりよく投げろ。バックがついてる」

「ていうより……いっそ、コテンパンに打たれちまえ」

 辛口の言葉を発したのは、倉橋だった。

「この聞かん坊は、泣くぐらいの思いをした方が、課題を自覚できていいかもな」

「うっ……そ、そんな。倉橋さん」

 井口がバツの悪そうな顔をした。正捕手はにやりとして、付け加える。

「まーいい。やるからには、しっかりな」

 やがてタイムが解け、内野陣はそれぞれのポジションへ散っていく。

 すでに西将の五番打者、エースの竹田が右打席に立つ。倉橋が「しまっていこうぜ!」と叫び、屈み込む。おうよっ、とナイン達も応えた。ほどなくプレイが掛かる。

 初球。井口は、インコース高めへ速球を投じた。竹田のバットが回り、バックネットへファールが飛ぶ。チッ、ガシャンと音が鳴る。

 おや、と谷口は思った。

 二球目は、外寄りの低めにシュート。竹田はぴくりとも反応しない。アウトコースいっぱいに決まり、あっさりツーストライクとなる。

 真っすぐをファールにした後、やはりつぎのシュートは見逃した。彼らは三点取って、どうもシュートねらいをやめたらしいぞ。

 そして三球目。井口は、なんとスローカーブを投じた。さしもの竹田も意表を突かれたのか、手が出ない。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアのコールと同時に、墨高ナインは一斉に駆け出した。

「よくしのいだぞ墨谷。さぁ反撃だっ」

「エリートチームなんか、やっつけちゃえ」

「取られたら取り返せ!」

 スタンドから、力強い声援が降ってくる。健闘を称える拍手も重なる。

 ベンチに入ろうとした時、背後から「キャプテン」と呼ばれた。振り向くと、イガラシが微笑んでいる。

「さっきは、うまく井口をノセましたね」

「む。このレベルの相手には、あいつの闘志が欠かせないからな。ちょっと打たれたからって、ショゲるようじゃ困る」

「ええ。かといって、素直に聞くようなやつじゃありませんから」

 そう言って、ふとイガラシは真顔になる。

「けど、キャプテン。そろそろ代え時は見極めないといけませんね」

「分かってる。彼ら、どうやら制約をなくしたらしい」

「キャプテンも気づいてましたか。一番難しいシュートだけねらって、逆転に成功したわけですし。好きなタマを打つとなれば、やつらどんなチカラを発揮してくるか」

「ああ……しかしそのまえに、われわれの攻撃だぞ」

 イガラシは「はい」とうなずいて、グラブをベンチの隅に置き、バットを拾う。この回の先頭打者は、彼からだ。

「あの竹田というピッチャーは、ちょっと見たことのないレベルだ。いくらおまえでも、そうカンタンには打ち込めないだろうが、喰らいついていけ」

 なぜか返事がされない。こちらに背を向け、うつむき加減で立っている。

「い、イガラシ?」

 改めて声を掛けると、後輩は「えっ」とようやく振り返る。

「あ、スミマセン……ちょっと考えごとを」

「めずらしいな。もしや、ねらいダマでも決めかねてるとか」

「い、いえ。そういうワケじゃないですが」

 なぜか歯切れが悪い。いつものイガラシなら「あれぐらい打ってみせますよ」と、事もなげに言い放ちそうなものだ。

「どうしたイガラシ」

 丸井も傍に来て、怪訝そうに尋ねる。

「ひょっとして、なにか気づいたのか?」

「えっと……まだ確信がないので、たしかめてきます」

 そう返答して、イガラシは打席へと向かう。心なしか足取りが重い。

「なんだよアイツ。腹でも下してんのか」

 丸井が心配そうな目を向けた。

 

 

2.双方の駆け引き

 

 イテテ、やっちゃったぜ……

 打席へ向かう途中、イガラシはそっと左手首を押さえた。さっきショートへの痛烈な打球を捌いた時、ショートバウンドが当たったのだ。すぐにバッティンググローブを嵌めたので、誰には見られずに済んだが、赤く腫れてしまっている。

 眼前のグラウンド上。西将のキャッチャー高山が、二塁送球を投じた。ボールが矢のように、ベールカバーの二塁手のグラブへ吸い込まれる。

「……よし、いいだろう。バッターラップ」

 アンパイアがこちらを振り向き、白線のバッターボックスを指差した。

 イガラシは右打席に入り、短くバットを握った。通常のスイングでは、おそらく当てることすらままならないだろう。

「またせたなボーズ。ほな、いこっか」

 高山が相変わらず、不敵な笑みを浮かべる。

 けっ。自分のホームランで逆転したもんで、余裕しゃくしゃくってツラだな。しかし、こういう時にこそスキが生まれるもの……

「べつに余裕こいてなんか、おらへんで」

 思わぬ一言に、イガラシは「えっ」と声を上げてしまう。

「いま、こいつホームラン打って調子に乗ってる、とか思うてたやろ。そんな余裕あるかい。なにせ……おたくら、けっこう手ゴワイもんな」

 高山はそう告げて、にやりと笑う。

 なるほど。やはり西将、少しも油断はないってか。もっとも慎重になりすぎて、変化球でかわしにくるようなら、そっちの方が攻め手はあるが。

 ズバン。速球がうなりを上げ、インコース高めに飛び込んでくる。

「ストライク!」

 ちぇっ、そう甘くないか。にしても……やはり近くで拝むと、すごい速球だ。こりゃ初打席で、どうにかできるタマじゃないぞ。

 ふと後方を振り向く。ネクストバッターズサークルの丸井が、ベンチの谷口や他のナイン達が、必死の声援を送り続けていた。時折掠れ声が混じる。

「がんばれイガラシ。負けるなよっ」

「思いきりいけぇ。おまえなら打てるぞ」

「ボールをよく見て、喰らいつけ!」

 一旦打席を外し、軽く素振りする。

 でも……なんとかしなきゃ。ここで点を取らなきゃ、おそらく勝ち目はない。

 打席に戻ると、高山が内野陣へ「もっと前だ!」と手振りで指示した。一塁手三塁手がじりじりと前に寄ってくる。

 イガラシは、唇を噛んだ。

 くそっ。ランナーなしで前進守備とは、ナメられたもんだぜ。俺じゃ、あの速球は打ち返せないと踏んだな。あるいは、このキャッチャーのことだ。手首を傷めているとバレちまったかも……むっ、そうだ。

 この時、一つのアイディアが浮かぶ。

 眼前のマウンド上。竹田がロージンバックを足元に放り、振りかぶる。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕をしならせる。

 見てろよ高山さん。この俺を甘く見たこと、後悔させてやるぜっ。

 やはり速球、またもインコース高め。イガラシは、すばやくバントの構えをした。そしてダッシュしてきた三塁手の背後をねらって、バットを押し出す。

 コン。打球は小フライとなり、三塁手の頭上を越えた。

 

 

「投げるな!」

 カバーに入った遊撃手に、高山は叫ぶ。この間、イガラシは悠々と、一塁ベースを駆け抜けていた。

 鮮やかなプッシュバントに、墨谷の三塁側ベンチとスタンドが大いに沸く。

「うまいっ」

「さすがイガラシ。まんまと敵の意表を突いたぜ」

 返球を捕り、高山は「スマンみんな」と謝った。

「いまのは、俺の判断ミスや。あのボーズに一杯喰わされたで」

 努めて明るく言うと、二塁手の平石に「こんのボケ」と突っ込まれる。

「おしゃべりがすぎるからや。ま、ええクスリになったやないの」

「うっさいわ平石。キャプテンのくせに、もちっとマシな言い方できひんのかい」

 言い返すと、内野陣から笑いが起きた。よし、ムードは悪うない。守備が崩れる心配はなさそうや……と、ひとまず安堵する。

―― 二番セカンド、丸井君。

 ウグイス嬢のアナウンスと同時に、高山はホームベース手前に屈み込む。ちらっと横目で、一塁ベース上を見やる。

 俺としたことが、ウカツやったな。あのイガラシって一年坊、明らかに動きがおかしいもんで、どこか傷めてるはずと踏んだのやが。まさか小ワザを仕掛けてくるとは。いや、ほんまに怪我してるからこそ、咄嗟にそうしたのかもしれへん。

 短く吐息をつき、サインを出す。

 どちらにせよ、えらい頭の回転の速いガキやな。あれで一年坊っていうんやから、まったく末恐ろしいで。

 丸井は右打席に入り、始めからバントの構えをした。

 初球。アウトコース低めをねらった速球が、大きく高めに外れる。高山は苦笑いして、肩を上下するジェスチャーをした。

「竹田、ラクラクに」

「……う、うむ。分かってる」

 どうも表情が硬い。しまった、とひそかに舌打ちする。

 竹田のやつ、悪いクセが出かかっとる。コマイことやってくる相手に、ちと神経質になりすぎるんや。ボールは一級品やし、けん制もうまいのやから、そこまで気にする必要はないんやがな。

 二球目のサインを出したが、竹田はすぐに投球せず、一塁へ牽制球を放る。

 イガラシは手から返る。そして立ち上がり、今度はだいぶ長くリードを取った。竹田はたまらず牽制球を続けたが、これも余裕を持って帰塁される。

「こら竹田っ。あまりランナーを見るな、後続を仕留めればええんや」

 マスク越しに怒鳴った。竹田がうなずき、ようやく投球動作へと移る。

 ふいに「走った!」と平石が叫ぶ。ランナーに幻惑されたのか、竹田の投球がワンバウンドした。強肩を誇る高山だが、ボールを拾い直した分、送球が遅れてしまう。

「せ、セーフ!」

 二塁塁審が、両手を水平に広げた。再びスタンドが沸き上がる。

「どないした竹田」

 さすがにマスクを取り、立ち上がる。

「ホームに返さなきゃいいって、さっきから言うてるやろ。勝手にコケる気か」

「す、スマン」

「まったく……おまえほどのピッチャーが、なにをうろたえとんのや。もっとビシッとせんかい、ビシッと」

 高山はマスクを被り直し、さらに付け加える。

「けん制はいらんで、かすらせなきゃエエだけや。墨谷なんぞチカラでねじ伏せんかい」

「わ、分かってる」

 サインにうなずき、竹田は三球目の投球動作を始めた。その瞬間、なんとイガラシが再びスタートを切る。

 こ、この俺から三盗だとぉ。ナメんなぁ!

 丸井の体が邪魔にはなったが、高山は手首のスナップだけで送球する。イガラシの滑り込んだ右手に、三塁手のグラブが被さるのが見えた。

 よしっ、アウトや……

「ボーク!」

 三塁塁審が、マウンド上を指差した。

「な、なんでやっ」

 竹田は険しい眼差しになる。

「セットが不十分だった。プレートをきちんと踏んでいなかったよ」

 塁審の返答に、主戦投手はかぶりを振る。

「ウソや。俺は、ちゃんと……」

「やめい竹田、このアホウ!」

 高山はタイムを取り、慌ててマウンドへ駆け寄る。

「見苦しいマネすんなや。あんなに落ち着きをなくせば、そらボークも取られる。自業自得や、少しは反省せいっ」

 きつく叱り付けると、竹田はようやく落ち着きを取り戻す。

「す、スミマセンでした」

 脱帽し、塁審に頭を下げた。

「ま……俺もヒトのこと、言えへん」

 少し声を明るくして、高山は言った。

「あのボーズに搔き回されて、アタマに血が昇っとった。正捕手がこれじゃアカンな」

「なーに、お互いさまや。しっかし……イガラシってやつ、ええ度胸しとんな。続けざまに走ってくるとは」

「ああ。せやから、ここは本気でつぶしにいくで」

 語気を強めて告げる。

「やつらはまだ、おまえのボールを捉えたわけやない。となると……ここで、かく実に点を取ろうと思えば」

 竹田が「スクイズ」と返答した。

「そうや。といってヘタに警戒するのも、球数が増えてシンドイ」

「せ、せやな。どないしよか」

「カンタンなこっちゃ。竹田、アレを使うで」

 その一言に、主戦投手は「なんやと?」と目を見開く。

「あ、アレは……公式戦以外は、封印するっつう話やったろ」

「監督から禁じられたわけやないし、べつにええやろ。しゃーない。ここでハッキリ、やつらに格のちがいを見せつけんと」

「む……そやな。分かった」

 ミットで相手の腰をぽんと叩き、高山は踵を返した。

 

 

 西将ナインは、内外野ともに前進守備を敷く。なんとしても一点を防ぐ構えだ。ほどなく高山がポジションに戻り、屈んでマスクを被る。

 一方、三塁側ベンチの墨高ナイン。

 この時、谷口が「スクイズ」のサインを出した。打席の丸井とランナーのイガラシは、同時にヘルメットのつばを摘まむ。「了解」の合図だ。

 スクイズしかない、とイガラシも思った。

 あのピッチャーからまともに打ち返すのは難しい。しかしバントなら、速いタマでも決められる練習は、ずっと積んできてる。おまけにツーボールとワンストライク。向こうもスリーボールにはしたくないだろうから、外しにくいはずだ。

 やがてタイムが解ける。丸井が「さあ来いっ」と気合の声を発した。

 イガラシは、そっと左手首を押さえた。プッシュバントした時の衝撃で、痛みが増してきている。どうにかポーカーフェイスを装う。

 マウンド上。竹田がセットポジションから、足を上げる。その瞬間、丸井がバントの構えをした。これを見て、イガラシはスタートを切った。

 読みどおり、相手バッテリーは外してこない。しかも速球が、ほぼ真ん中に投じられる。丸井なら簡単に当てられるコースだ。

 ところが……

「な、なにぃっ」

 駆けながら、イガラシは思わず叫んだ。

 竹田のボールは、ホームベースを通過しようとする瞬間、急激に沈んだ。さしもの丸井も、想定外の軌道に反応できない。バントを空振りし、体勢を崩してつんのめる。

 ワンバウンドしたボールを、高山がすぐに拾った。イガラシはその背後に回り込み、僅かな隙間からホームベースへ右手を伸ばす。この時、左手首をひねってしまう。

 指先に、高山のミットが覆い被さる。

「……あ、アウト!」

 アンパイアが、無情のコールを告げた。

 

 

 コールを聴き、高山は安堵の吐息をつく。

 やれやれ……どうにかアウトを奪ったが、ぎりぎりやったな。このボーズ、竹田のフォークがバウンドした一瞬に、回り込んできやがった。拾うのが少しでも遅れたら、タッチを掻いくぐられとったで。

「ち、ちきしょうっ」

 眼前で、丸井がバチンと土を叩き、右拳を震わせる。それでも立ち上がると、まだホームベース手前で伏せている後輩の背中を、ぽんと叩く。

「わ、わりぃイガラシ。当てられなくて」

 なぜか反応がない。高山も訝しく思い、声を掛ける。

「こらボーズ。先輩が、心配しとるで。そんなトコで寝転んでたら」

 その時、微かながら「ぐっ……」と呻き声が漏れた。

「え……おいボーズ、どないしたんや」

「イガラシっ」

 二人の声が重なる。

 それでもほどなく、イガラシは自力で立ち上がった。丸井と目を見合わせ「やられちゃいましたね」と、力なく笑う。

「お、おいイガラシ」

「ワンバウンドしたので、なんとか滑り込みたかったんですけど……うっ」

 ふいにイガラシが、顔を歪めた。

「も、もしや……」

 丸井は何かを察したらしく、後輩の左腕をつかみ、長袖のアンダーシャツをめくる。そして「うわっ」と声を上げた。

「おまえ……手首が真っ赤だぞ。かなり膨れてるじゃねーか」

「ま、丸井さん。こんな所で」

「ばかっ、んなこと言ってる場合かよ。早く手当てしないと」

 その時、墨高ナインの陣取るの三塁側ベンチから、大柄な選手が飛び出してきた。右手に小さな氷袋を携えている。

「おっ根岸、気が利くじゃねぇか」

 丸井が感心げにうなずく。

「あとはまかせてください」

 根岸と呼ばれた選手は、イガラシに氷袋を手渡し、横から肩を支えた。

「こっちは気にせず、先輩は打席に集中しましょう」

「分かってらい。ちゃんと挽回してくるから、よく見といてくれよな」

「ええ、たのみます」

 後輩の励ましに、丸井は「おうよっ」と快活に答えた。負傷のイガラシは、そのまま根岸に付き添われ、ベンチへと引き上げていく。

 傍らで、高山はマスクを被り直す。

 あのヤロウ……こんな手負いの状態で、よう搔き回してくれたの。なかなか見上げた根性しとるわ。もっとも味方は、気が気やないやろうけど。

 ホームベース手前に屈み、ひそかに溜息をつく。

 こういう捨て身で向かってくる相手が、一番怖いんや。認めるのはシャクやが、ええチームやで。やつらもう、とっくに……甲子園へ行けるレベルに達しとるのやないか。

 

 

「やはり隠してたのか。まったく、ムチャしやがって」

 ベンチに座ると、谷口が眼前で腕組みする。

「今日こそ下がってもらうぞ。公式戦でない試合に、ケガ人を出さなきゃならんほど、うちの層は薄くないからな」

 怖い顔で睨まれ、イガラシは「え、ええ」と苦笑いした。

「手首は動くようだから、折れてはいなさそうだな」

 倉橋が打席に向かう準備をしながら、のぞき込んでくる。

「打ぼくとねんざってとこだろう。いまはかなり痛むだろうが、ちゃんと治療すれば、きっと大会には間に合うさ」

 そう解説した後、倉橋は「こっそり余計なことしなけりゃな」と凄む。

「は、はぁ……」

「ねんざってやつは、クセになるんだ。ちゃんと治さないと、ずるずる大会まで引きずって、カンジンの公式戦で力が出せないってことになりかねんぞ」

 そのとおりだ、と谷口が言葉を重ねる。

「傷めた手でプッシュバントだのスライディングだのって、あまりにも無謀すぎる。もし悪化でもして、大会に出られなかったらどうするんだ」

「は、はい。スミマセン」

 イガラシは、素直に謝った。

「……まったく」

 苦笑いして、倉橋がつぶやく。

「いったい誰に似たんだか」

 傍らで、谷口が「あっ」とずっこけた。

「キャプテン。この裏からのポジションは、どうしましょう?」

 ベンチ奥より、加藤が尋ねる。

「む、そうだな。先に確認しておくか」

 谷口は、該当者と目を見合わせ伝えた。

「まずショートは、横井。そしてレフトには、戸室が入ってくれ。こういうアクシデントの時は、やはり三年生の経験がたのみだ」

 横井と戸室は、力強く返事した。

「よし来た」

「まかせとけって」

 さらに谷口は、前列の左隅に腰掛けている、井口を呼んだ。

「井口。おまえは、六回までだ」

「え……そ、そんな」

 肩を上下させ、明らかに疲れている様子だが、やはり納得いかないらしい。

「もっと投げられますよ。終盤、いや最後まで」

「気持ちは分かるが、それは公式戦にとっておいてくれ。おまえが強豪相手にも通用するというのは、じゅうぶん分かった。あとは松川、それと俺も、打たれたイメージを払拭しなきゃいけないのでな」

「……わ、分かりました」

 井口は説明を聞くと、意外にもあっさり引き下がった。

「分かったのなら、さっさとキャッチボールして来い」

 顔を上げ、イガラシは追い払う仕草をした。

「それとも動けないのか。なら、この回で交代してもらった方がいいんじゃねーの」

「ば、ばか言うな」

 幼馴染は立ち上がり、グラブを抱える。

「よしっ。根岸、つき合ってくれ」

「あ、ああ……」

 根岸は戸惑いながらも、連れ立ってベンチから出ていく。

「……ストライク、バッターアウト!」

 グラウンド上。アンパイアが、右拳を高く掲げた。八球粘りながら三振を喫した丸井が、悔しそうな表情で引き上げてくる。

「くそっ、最後もフォークか」

 イガラシのつぶやきに、倉橋が頬を引きつらせる。

「な、なんだよあのボール。ほとんど速球と同じスピードで、すごい落差だったぞ」

「ええ。ど真ん中と思ったボールが、ワンバウンドしましたからね」

「ははっ、まるでプロが混じってるようだな」

 倉橋はそれでも、勇んでネクストバッターズサークルへと向かう。

「キャプテン」

 ふと気になることが浮かび、尋ねてみる。

「なんだイガラシ」

「井口は降板したら、そのままベンチに下げる予定ですか?」

「うむ。そのつもりだが」

 横井が「なんでだよ」と割り込む。

「あいつ今日、ホームラン打ってるんだぞ。まだバッティングに期待できるだろうに」

「……横井さん」

 イガラシは、小さくかぶりを振った。

「きっと、それどころじゃなくなります」

「えっ。そりゃ、どういうこったよ」

「つぎの回から、西将は猛攻をかけてきますよ。逆転して、ピンチの芽も摘んだ。あとやるべきは……ここらで畳みかけて、試合を決めにいくことでしょうから」

 シビアな返答に、横井は言葉を失う。傍らで、谷口が「そういうことだ」うなずく。

「あまり考えたくはないがな。だから横井、戸室。ここからは守備の勝負になる。余計な点だけは与えないように、しっかり備えてくれ」

「お、おう」

「分かったよ」

 横井は返事すると、イガラシの左肩をぽんと叩いた。

「あとはまかせろ。おまえのガッツ、無駄にしないからな」

 

 五回裏。後続の丸井と島田が打ち取られ、墨高はけっきょく無得点に終わる。

 

 

 グラウンド整備の後、迎えた六回表――谷口とイガラシの予感が的中してしまう。

 この回よりシュートねらいの制約をなくした西将打線は、すでに疲労困憊の井口に、容赦なく襲いかかった。先頭打者がツーベースヒットで出塁すると、そこから四連打。一点を追加し、なおもノーアウト満塁と攻め立てる。

 井口はここで降板となった。リリーフには、二年生の松川が告げられる。

 

 

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<私選>21世紀以降の沖縄高校野球・ベストナイン(+DH)で打順を組んでみた! 殊勲賞・MVPも発表!!

 

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<はじめに>……「平成は沖縄高校野球“躍進の時代”」

 

 平成の世が、幕を閉じた。

 

 沖縄高校野球にとって、「平成」はまさに“躍進”の時代であった。沖縄水産の二年連続準優勝に始まり、浦添商業、八重山商工宜野座ら新興勢力の台頭。ついに悲願達成となった11年春・沖縄尚学の選抜初優勝。そして二度目の優勝。そして迎えた22年、興南春夏連覇

 

 本エントリーでは、時代の変わり目ということを踏まえ、今回は平成……とりわけ活躍の著しい21世紀以降という枠組みの中で、印象に残る選手を紹介していくこととする。

 

 具体的には、次の三項目に分け、計13人の選手を取り上げる。まだベストナイン(+DH)については、打順を組んで発表する。

 

①殊勲賞……2人

ベストナイン(+DH)……10人

③MVP……1人

 

 

1.殊勲賞

 

 このコーナーでは、泣く泣くベストナインには選べなかったものの、県球史に残る活躍を見せた2選手を取り上げることとしたい。

 

<その1>

 

→ 金城長靖(八重山商工・2006)

 

 沖縄県球史の中でも、唯一となる離島勢の甲子園春夏連続出場。タレント揃いのチームだったが、その中でひときわ輝きを放った選手である。

 

 まず選抜において、左右両打席でのホームラン。夏の選手権でも、バックスクリーン直撃のスリーラン。さらに、ビハインドを負った終盤、ここで一本欲しい場面での勝負強さも光った。近年の沖縄勢甲子園出場球児の中で、おそらくナンバーワンスラッガーだろう。

 

 そして、金城のもう一つの魅力。なんとピッチャーとしても活躍した。

 とりわけ印象的なのは、夏の県大会準決勝・浦添商業戦。準々決勝までの四試合で、すべて二ケタ得点を挙げていた浦商打線を、六回まで無失点に抑える。続く大嶺裕太との完封リレーで、1-0という僅差の試合をモノにした。エースの大嶺は、好不調の波が激しかったので、もし金城がいなければ浦商には勝てなかっただろう。

 

 ちなみに、翌日の決勝・中部商業戦では、試合を決定づけるバックスクリーン直撃のダメ押しツーラン。投打に渡る大車輪の働きを見せた。

 

 

<その2>

 

→ 比嘉裕(宜野座・2001)

 

 今ではすっかり定着した、選抜の「21世紀枠」最初の出場校・宜野座。この“宜野座旋風”最大の立役者となったのが、背番号は「6」と本来は内野手ながら、この大会でエース級の働きをした比嘉裕である。

 当時、話題となった「宜野座カーブ」を駆使し、神奈川・桐光学園、大阪・浪速と強豪校の並み居る打者を翻弄するさまは、まさに痛快だった。

 当時の映像を見返してみると、比嘉はカーブを内外角へ投げ分けることができた。さらに速球を効果的に混ぜてくるから、相手打者はねらいを絞り切れなかったのだろう。

 近年、県勢の“技巧派投手”が、甲子園で簡単に打ち崩されている。それはインコースへ投げ込むことが、なかなかできないからだろう。比嘉の投球を見ていると、あのベスト4はけっしてマグレではなく、やはり「勝てた理由」があったのだと分かる。

 

 

2.ベストナイン(DH含む)&最優秀投手

 

 以下、ベストナインを記していく。なお選手の特徴から、打順を組んだ。またDHの枠も設け、ピッチャーは打順から外している。

 

一番<セカンド> ――頭脳明晰なリードオフマン。脅威の打率六割超!

 

→ 国吉大陸(興南・2010)

 

 ご存知、興南“最強打線”における不動のリードオフマン

 

 野球の実力もさることながら、学業面でも「オール5」という秀才。野球部内で開かれていた勉強会で、成績不振の部員に勉強を教えていたというエピソードは有名である。優秀な頭脳を生かし、春夏連覇メンバーの中で、唯一高校卒業後はすぱっと野球から離れ、猛勉強を積む。その甲斐あって、現在は公認会計士として活躍している。

 

 最後の夏の甲子園では、野球を“これが最後”と決めていたこともあったのか、野手陣の中でひときわ輝きを放った。

 初戦の鳴門戦でダメ押しのツーランホームランを放つなど、大爆発。大会六試合で、打率は脅威の六割超え。準決勝・報徳学園戦の逆転劇につながるセンター前、決勝・東海大相模戦の二本の技ありのヒットなど、重要な場面での一打も多かった。

 

 また忘れちゃいけないのが、報徳戦の九回裏。あわやライト前へ抜けそうな当たりを横っ飛びで好捕し、先頭打者を打ち取った。このワンプレーにより、興南の決勝進出を大きく手繰り寄せた。

 

 セカンドは、他にも2008選抜の優勝メンバーである仲宗根一晟、近年では最強スラッガーの呼び声高い水谷留佳(いずれも沖縄尚学)ら、名選手が目白押しであったため、かなり選考に悩んだが、大舞台での戦績がずば抜けているので、国吉を選出した。

 

二番<センター> ――鮮烈な選抜決勝のランニングホームラン!

 

→ 伊古聖(沖縄尚学・2008)

 

 打ってよし・守ってよし・走ってよし。まさに走攻守、三拍子揃った名外野手。

 沖尚が二度目の優勝を果たした2008年の選抜。攻守において、試合のキーになる場面での活躍が印象的である。

 

 初戦の聖光学院戦と決勝・聖望学園戦の初回、いずれも先取点につながる三塁打。そして聖望戦の五回には、トドメのランニングスリーランホームランを放った。際どいタイミングながら、片手でホームベースをさっと払う瞬間のプレーは、鮮やかだった。

 

 ラストゲームとなった夏の県大会・浦商戦では、追撃のタイムリーとなるフェンス直撃のツーベースを放つ。小柄ながら、意外にパワーも備えていた。もし、あのままスタンドインしていれば……興南よりも先に春夏連覇を果たしていたのは、この年の沖尚だったかもしれない。

 

三番<サード> ――県民の胸を打った名スピーチ。これぞ“沖縄のキャプテン”

 

→ 我如古盛次(興南・2010)

 

 言わずと知れた興南の三番キャプテン。島袋洋奨とともに、春夏連覇メンバーの主役として、沖縄球史にその名を刻まれる存在である。

 

 まず春の選抜における、いずれも大会タイ記録となる八打席連続安打と大会通算十三安打。

 

 さらに夏の選手権では、一時不調にも陥りかけたが、ラスト二試合では「これぞ主役」という働きぶりを見せた。

 準決勝・報徳学園戦の同点タイムリスリーベース、決勝・東海大相模戦の優勝をほぼ決定付けるスリーランホームラン。“ここぞの場面”での一打が光った。

 

 そして我如古キャプテンといえば忘れちゃいけないのが、夏の優勝インタビューにおける、沖縄の高校野球ファンの心を打ったあの名言。

 

―― 今日の優勝は、沖縄県民で勝ち取った優勝だと思っているので、本当にありがとうございました!

 

 まさに「記録にも記憶にも残る」名キャプテンであった。

 

四番<DH> ――沖縄球児の出世頭! 誰もが認める“練習の虫”

 

→ 山川穂高(中部商業・2009)

 

 いまや西武ライオンズの四番打者にして、パリーグの2年連続ホームラン王。あまりにも突出した存在であるため、ベストナインの中では、唯一甲子園出場の経験はないものの、迷いなく「四番」に据えることとした。

 

 高校時代より、その才能には光るものがあった。

 とりわけ印象的なのは、09年のチャレンジマッチ・興南戦。翌年の春夏連覇投手・島袋洋奨から逆方向へ弾丸ライナーで放った同点2ランには、度肝を抜かれた。

 もっとも再戦となった夏決勝では、島袋もお返し。二回の満塁のチャンスで、山川は三振に仕留められた。それでも、やられっ放しでは終わらず、終盤に追撃のタイムリーを放つ。

 山川と島袋の対決、近年では最もハイレベルな打者対投手の真っ向勝負だった。この経験が、島袋の翌年への大いなる糧となったのは、想像に難くない。

 また山川自身も、島袋を相当意識していたようで、特にスライダーを打つためにかなり練習を積んでいたそうである。チャレンジマッチのホームランは、その成果だった。

 

 このエピソードからも分かるように、山川は当時から練習熱心として知られていた。

 一時期、沖縄出身の選手はプロで大成できないと言われていたが、彼の出現がそれを覆してくれた。何のことはない。誰よりも努力することが、成功の近道だということ。

 

 山川の野球への姿勢は、あの落合博満氏も認めるほど。今後、さらなる飛躍が期待される選手である。

 

五番<ライト> ――ミートの天才! 今の球児も参考にすべきバッティング技術

 

→ 銘苅圭介(興南・2010)

 

 個人的には、興南の優勝メンバーの中で“打撃センスナンバーワン”だったと思う。ホームランこそないものの、広角に打ち分ける高い技術を誇る。チームメイトからも「ミートの天才」と称されていたらしい。

 

 とりわけ印象深いのは、夏の準々決勝で、聖光学院の二年生エース・歳内宏明のスプリットを、鮮やかにセンター前へ弾き返したものである。勝負球をいとも簡単に打たれた歳内は、この後「ストレート一辺倒」になり、それを興南の各打者が狙い打ちされる。試合の流れを左右した、重要な一打であった。

 

 さらに、点にこそつながらなかったが、準決勝・報徳学園戦で逆転した直後のセーフティバント。決勝戦、逆方向への当たりで外野の頭上を越したツーベース。そのどれも、彼の技術の高さが詰まっている。

 

 銘苅のバッティングは、今の沖縄高校球児達にも参考にして欲しいと思う。

 よく逆方向へのバッティングというが、それは単なる“流し打ち”ではない。彼は、コンパクトなスイングながら、しっかり「振り切って」いる。だから逆方向へも長打が打てた。

 

 近年、沖縄大会ではホームランが極端に減少している。これはパワー不足と同時に、バッティングが“技”に偏りすぎた弊害ではないかと思う。長打のない「巧いだけのバッター」など、ちっとも怖くない。長打力のあるバッターが“要所では単打も狙う”からこそ、相手にとって脅威なのだ。

 

 バッティングの基本は、しっかり振り切ること。このことを、沖縄の高校球児達には、いま一度思い出してもらいたい。

 

 

六番<レフト> ――前向きな言動で、チームを引っ張るサブリーダー!

 

→ 伊禮伸也(興南・2010)

 

 エース島袋やキャプテン我如古ら、個性派揃いの2010興南のメンバーの中で、意外な存在感を発揮した選手。実は、チームの副主将である。

 

 伊禮といえば、まず選抜優勝後のテレビ取材にて、レポーターから拝借したであろうマイクを使って、チームメイト達にインタビューしていたユーモラスな姿が印象深い(その際、島袋から「(ノーヒットに終わった)伊禮君の分まで打てて良かったです」と見事な返しをもらう)。

 同じことを夏優勝後の地元テレビ局の特番にて、我喜屋優監督にもやらされていたが、さすがに緊張していた(笑)。ちなみに、監督からも「(うれしかったのは)打てない伊禮君が打ったことです」とイジられた。

 

 打てない? いや、そんな印象はない。夏の明徳義塾戦、一点差とされた直後に突き放すソロホームラン。決勝の東海大相模戦での先制タイムリーと、要所できっちり仕事を果たす。打てない試合はサッパリだが、打つときは固め打ちをしていた。

 

 また、我喜屋監督が著書の中で「気持ちの切り替えがうまい」と評していたのも印象的。選抜決勝の日大三高戦。三失点目を喫した後、平凡なフライを落球。普通ならここでショゲてしまいそうだが、直後のレフト前ヒットは焦らず処理し、見事な中継プレーで二走をホームで刺す。

 著書によれば、伊禮はベンチに帰ってくると「甲子園に魔物はいないけど、幽霊がいたみたいです」と発言、その場を和ませたという。こういう選手がいると、劣勢に立たされた時でも、雰囲気が暗くならずに済む。

 

 余談だが、興南は(キャプテン我如古の他にも)この伊禮に加え、国吉大陸・大将の兄弟や島袋ら、他校に行けばキャプテンを務められそうなリーダー性のある子が多かった。それ故か、チームとして“大人の雰囲気”があった。これも強さの秘訣だったように思う。

 

七番<ファースト> ――捉えた瞬間の打球音! 名将も認めた“真の四番”

 

→ 真栄平大輝(興南・2010)

 

 言わずと知れた興南春夏連覇メンバーの不動の四番。

 当たった瞬間、閃光のような打球がライトへ飛ぶのをご記憶の方も、多いのではないだろうか。甲子園でのホームランは、2年夏と3年春に一本ずつ記録。2年夏は、大分・明豊の“怪童”今宮健太(現ソフトバンク)から放ったもの。

 個人的には、3年春の智弁和歌山戦、センターバックスクリーンへの一発が印象的。県勢が過去一度も勝てなかった智弁へ引導を渡す一打となった。

 

 また3年夏は、打撃不振に陥ったものの、我喜屋優監督は決して打順を変えることはしなかった。著書では、彼が四番打者として日々やるべきことをこなしていた姿を知っているから、不振でもあえて外さなかったとのこと(このエピソード好き)。

 

 そして準決勝の報徳学園戦、逆転タイムリーはこの真栄平が打つのである。前進守備の間を抜く渋い当たりだったが、紛れもなく四番の仕事を果たした。また決勝で、久々に真栄平らしい豪快なフェンス直撃の当たりも放った。

 

八番<キャッチャー> ――巧リードで、投手の力を引き出す。プロでも活躍!

 

→ 嶺井博希(沖縄尚学・2008)

 

 沖尚が二度目の優勝を果たした2008年選抜にて、唯一の2年生のレギュラー。

 特筆すべきは、3年春の戦績だ。選抜の5試合をすべて2点以下に抑えている。しかも初戦から、聖光学院(福島)、明徳義塾(高知)、天理(奈良)、東洋大姫路(兵庫)、聖望学園(埼玉)と、名だたる強豪ばかり相手にして、である。

 

 ピッチャー(東浜巨)が良かったから? それもあるが、例えば島袋洋奨(興南)や伊波翔悟(浦添商)といった他の名投手も、打たれる時は打たれていた。だからこれは、東浜だけの力ではなく、嶺井のリードによるところも大きい。とりわけインコースアウトコースのコンビネーションが、素晴らしかった(これは確かに、東浜のコントロールの良さあったのものだが)。

 

 また負け試合ではあるが、あの浦添商との決勝、初回に五点を失った後は配球を変え、二回以降はピシャリと相手打線を封じた。高校生が試合中に修正するのは、なかなか出来ることではない。

 

 現在は、横浜DeNAベイスターズに所属。躍進著しいチームの力となっている。

 

九番<ショート>――史上最強チームの“ラストピース”

 

→ 大城滉二(興南・2010)

 

 おそらく沖縄県高校野球史上でも、1,2を争うショートだろう。

 選考の際は、西銘生悟(沖縄尚学・2010)との二択で迷ったが、春夏ともに活躍したという点と、唯一の二年生レギュラーということを加味した。

 

 この大城こそ、最強チーム・興南の“ラストピース”である。

 

 大城がレギュラーとして起用されるまで、興南は「そこそこ強い」くらいのレベルだった。前年の秋九州では、打線のつながりがなく、さらに内野守備の乱れも絡み準決勝敗退。県決勝で完勝した嘉手納の後塵を拝す。このように、まだまだ粗があり、とても甲子園優勝をねらうチームの雰囲気ではなかったのだ。

 

 ところが翌年の選抜。大城のショート抜擢により、興南は本当に隙がなくなった。

 なにせこの大城、優勝メンバーの中でも明らかに動きが違う。抜かれると思った打球をいとも簡単にさばき、一体いくつアウトにしたことか。

 そして、起用した我喜屋監督も「嬉しい誤算」と語ったのが、バッティングである。選抜準決勝の大垣日大戦、センターオーバーの打球を放った際に、NHKの解説者が「九番バッターのスイングじゃありませんね」とコメントしたのが印象的。

 

 さらに夏の甲子園では、四割近いアベレージを記録。これで九番なのだから、いかにこの年の興南が恐ろしい打線だったか分かるだろう。

 

 個人的には、春夏連覇レギュラーの中で、プロで活躍しそうなメンバーは大城だと思っていたが、その期待通り、オリックス・バファローズにドラフト3位指名(2015年)。今年(2019年)は九十一試合に出場し3本塁打を放つなど、レギュラー争いに名乗りを上げている。

 

<ピッチャー>――1点でもリードすれば一安心。県勢二人目の甲子園優勝投手

 

→ 東浜巨沖縄尚学・2010)

 

 えっ島袋じゃないの? と思われた方が多いのではないだろうか。しかし、筆者にとっての沖縄ナンバーワン投手は、東浜巨をおいて他にいない。

 

 なぜ、そこまで東浜を推すのか。一番の理由は、彼の「終盤の勝負強さ」である。なんと彼は、高校三年間の公式戦において「先発登板した試合」で、同点ないし逆転されたことが一度も(※リリーフした試合では、二度ほど点を取られていたが)ないのだ! ここが、島袋を凌ぐ部分である。

 

 圧巻だったのは、優勝した2008選抜の五試合。決勝戦を除き、すべて1~2点差の接戦だった。しかし、当時ご覧になった方は共感していただけると思うが、僅差にも関わらず「これで勝ったな」という安心感を抱いたものだ。

 

 さらに、当時のハイレベルだった沖縄県大会において、錚々たる好投手と何度も投げ合い、激闘を繰り広げた。

 とりわけ、浦添商業・伊波翔悟との三度に渡る激戦(一年時の新人戦も含めると四度)は、見る者の心を震わせた。最後の夏は、浦商の執念の前に屈したものの、東浜の気迫の投球には、胸を打つものがあった。

 

 なお浦商に敗れる前日には、興南の一年生投手・島袋とも投げ合い、こちらも好勝負を演じている。選抜優勝投手と、後の春夏連覇投手が相まみえた、まさに黄金カードだった。

 

 筆者が、初めて東浜の投球を見たのは、彼が一年時の夏準々決勝・宜野座戦である。当時まだ130キロ前後だったはずの速球に、宜野座の各打者がことごとく詰まらされている。捉えたと思ったタイミングで、もうひと伸びしてくる感じだ。この試合、宜野座は一本もクリーンヒットを打てなかった。

 

 東浜がどれほどの才能を秘めていたかは、後の大学、さらにプロ野球ソフトバンクホークスにおける戦績で、もう十分証明されたといって良いだろう。

 ただし、あの一年夏に衝撃を受けた筆者からすれば、まだ物足りない。それこそ侍ジャパンに選ばれるくらいの活躍を夢見てしまう。今季(2019年)は手術により戦列から離れたが、来年の復活を大いに期待したい。

 

3.MVP(最優秀選手賞)

――最後に語るべき、伝説となった”あの男”

 

 発表の前に、ちょっと衝撃的なお断りを入れさせていただく。

 

 実は……このMVPを、私はベストナイン(+DH)の中から選んでいない(!)。

 上記メンバーは、ほぼ能力優先で選考した。しかし、このMVPに関しては、能力はもちろんのこと、さらに「沖縄高校野球に与えた影響・インパクト」の大きさも加味して、総合的に選ぶ必要があると考え、このような結論となった。

 

 なんで? オカシイだろう、と思われるのも、重々承知だ。しかし……その選手の名前を見たら、きっと納得していただけるはずである。

 

 それでは、いよいよ発表することとしよう。

 

 

→ 島袋洋奨(興南・2010)

 

 最後は、やはりこの男を取り上げないわけにはいくまい。

 沖縄球史のみならず、高校野球の歴史にその名を刻まれた春夏連覇投手。伝説となった“トルネード左腕”――それが島袋洋奨である。

 

 前述のように、純粋なピッチャーとしての才能で見るなら、東浜の方が上だと思っている。それは、両者の明暗が分かれたプロでの戦績から見ても、明らかだろう。

 その上で、私はそれでも島袋を「21世紀沖縄高校球児」のMVPに推したい。

 

 なぜなら……「才能では一番じゃなかった彼が、甲子園球史の中でもトップクラスの戦績を残した」という事実自体が、春夏連覇を果たした興南というチームの、まさに象徴だからである。

 

 島袋が、初めてその名を知らしめたのは、1年夏の県大会だ。

 

 彼の投球を筆者が初めて見たのは、準々決勝の名護戦。

 この時の名護は、かつて宜野座を選抜ベスト4に導いた知将・奥濱正監督の野球が浸透し、県立普通校とは思えないほどのハイレベルなチームであった(対戦した我喜屋監督も「名護は勝ち方を知っているチーム」と評している)。

 その名護相手に、島袋は九回二失点の力投。打者が差し込まれる“手元で伸びる速球”の威力は、あの東浜を髣髴とさせた。

 

 そして――なんといっても準決勝。あの選抜優勝校・沖尚相手に、あわや大金星かと思える力投。八回に力尽きたものの、観戦した誰もが「次の沖縄高校野球を引っぱっていくのは島袋だ」との思いを強くしたことだろう。

 

 ところが、意外にも……島袋は全国大会での勝ち星が遠かった。

 

 当時よく言われたように、なかなか援護に恵まれなかったのもある。

 ただ彼自身、「ここを抑えれば」という局面で、よく点を取られていた印象がある――1年秋準決勝の神村学園戦(4-5)然り、2年春九州決勝の九州国際大付属戦(1-2)然り、同夏の甲子園・明豊戦(3-4)然り。

 

 勝てる投手というものは、まさに“ここ”という場面で抑えるものだ。その力が、2年生時点の彼には、まだ足りなかった。

 

 しかし……ここからが、島袋洋奨の真骨頂だった。

 

 ひと冬超えた、3年春。彼自身、自分の課題をよく自覚していたのだろう。一回り足腰が太くなり、スタミナを蓄えた。ハイライトは、選抜大会決勝。強打の日大三高相手に、十二回を完投。そこには、終盤の勝負所で打たれていた、前年までの姿はなかった。

 

 だが、これに満足することなく、島袋はさらに鍛錬を続ける。雨合羽を着込んでの投げ込みには、我喜屋監督をして「死ぬ前にやめておけよ」と言わしめるほどだった。

 

 迎えた夏の甲子園大会。その素晴らしいクライマックスについては、ここで取り立てて触れる必要もないだろう。

 

 近しい人と、時々「なぜ興南春夏連覇できたんだろう」という話になる。

 

 力量ある選手が揃っていたから? 我喜屋監督の采配がスゴイから? いや……もちろん、それも当然だが、なにせ“春夏連覇”という球史に残る大偉業である。選手の能力、監督の采配だけでは、説明がつかない。

 

 私は、こう思っている――2010年の興南は、チームとしての「成長する力・成長しようとする意思」が、ずば抜けていたのだと。

 

 夏の甲子園興南のラスト三試合を思い出して欲しい。

 

 島袋のピッチングはもちろんのこと、他の選手達のプレーが、試合を重ねるごとに研ぎ澄まされていく。準々決勝、準決勝、決勝……と、投打ともに、まるで精密機械を思わせるような精度の高さだった。

 

 試合ごとの成長――よく言われることだが、これはそう容易ではない。

 

 疲労も溜まってくるし、相手も研究する。それらを乗り越えて、これまで以上のパフォーマンスを発揮するというのは、並大抵のことではないのだ。

 

 まして興南は、すでに「選抜優勝」という結果を残した後である。フツウなら、これに満足して、停滞してしまってもオカシクない状況だった。しかし、それでも彼らは“成長しようとする意思”を持ち続けた。それだけでなく、実際に成し得て見せた。

 

 高校野球史上、どこよりも“成長する力が強かったチーム”それが興南である。島袋は、まさにその象徴だったのだ。

 

 さらに付け加えると――当時、私は何人かの高校野球関係者に、話を伺う機会があったが、誰もが口を揃えて、島袋洋奨は「人間として素晴らしい子だ」と評していた。

 

 実直な人柄は、テレビ取材で見せた通りだったそうだ。さらに、練習にはいつも真っ先に来て、面倒な用具の準備を進んで行っていたと聞く。これこそ、誰もが理想とする“高校球児”そのものだろう。

 

 

 あえて言えば……人間としての美質を備えすぎていた点が、島袋の選手生命を縮めてしまった要因なのかもしれない。生き馬の目を抜くようなプロの世界では、彼の人間性が、かえって邪魔をした部分があったのではないかと思う。

 

 しかし、プロで成功しなかったことは、彼の甲子園での輝きを損ねるものではない。むしろこの経験とて、いずれ後進を指導する際には、必ず生きてくるものと思う。

 

 島袋洋奨投手。ひとまず、お疲れ様でした。彼のその後の人生に、幸多からんことを祈って、本稿を閉じることとしたい。

【野球小説】続・プレイボール<第17話「波乱の前半戦!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第17話 波乱の前半戦!の巻
    • 1.まさかの一発!
    • 2.エース登板
    • 3.大ピンチ!
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 

 

第17話 波乱の前半戦!の巻

www.youtube.com

 

  

1.まさかの一発!

 

 二回表。投球練習を終えた井口が、ふいにタイムを取った。

「キャプテン、倉橋さん。ちょっといいスか」

 谷口はすぐに、マウンドへ駆け寄る。少し遅れて、倉橋も小走りにやって来た。

「ここは敬遠します」

 二人の「えっ」という声が重なる。

「そりゃ、反対はしないが……」

 倉橋が目を丸くして、尋ねる。

「勝負したくないのか? ランナーもいないし、公式戦じゃないし」

 ネクストバッターズサークルでは、西将の四番・高山が、二本のマスコットバットを軽々と振り回していた。その口元に、妙な笑みを浮かべている。なんとも不気味な様だ。

「あの高山ってバッターは、西将の中心打者です。試合はまだ序盤、ここで一発浴びるようなことがあれば、チーム全体が乗ってくる気がします。それは避けるべきかと」

 なるほど……と、胸の内につぶやく。ちゃんと考えてるのだなと感心した。その上で、谷口は念のため問うてみる。

「作戦としては正しい。しかし、この試合のテーマは、最後まで逃げずに戦うことだと伝えたはずだ。敬遠することで、気持ちが逃げに回ってしまっては、元も子もないぞ」

「キャプテン。これは逃げじゃありません」

 井口は、きっぱりと答えた。

「あのバッターと勝負するのは、いまじゃないってことです。この後、何打席も回ってきます。その時こそ、きっちり仕留めてやりますよ」

 ふむ、と倉橋がうなずく。

「そこまでハラが決まってるのなら、だいじょうぶそうだな」

「む。何度も言うが井口、攻めていけよ。俺達バックがついてる」

 先輩二人に励まされ、井口は「まかせといてくださいよ」と胸を張った。

―― 四番キャッチャー、高山君。

 アナウンスより少し遅れて、高山が右打席に入ってきた。相変わらず、口元に笑みを浮かべている。何を考えているのか読み取れない。

 やはり堂々たる体躯だ。逸材揃いと言われる西将ナインの中でも、この打者は明らかに雰囲気が違う。しかも大柄なわりに、体の動きが柔らかい。春の甲子園で打率六割、三本のホームランを放ったと聞くが、それも納得だ。

 プレイが掛かると、倉橋はすぐに立ち上がり、横に移動した。途端「ええっ」と、スタンドがざわめく。

「なんだよ、つまんねーな」

「公式戦じゃあるまいに。正々堂々、勝負しろよっ」

 そんな野次まで飛んできた。ショートのイガラシが、こちらに顔を向け苦笑いする。谷口は黙ってうなずき、肩を竦めた。

 井口は好判断だったな。あの高山、まるでプロ野球のスターじゃないか。こういうバッターに打たれたら、相手が勢いづくだけでなく、観客まで向こうの味方しそうだ。

 倉橋が四つ目のボールを捕り、高山は一塁へ歩き出す。

「うふふ、やってくれるやないか」

 マウンド上を軽く睨み、高山はおどけた口調で言った。その視線の外れた瞬間、こっそり倉橋がサインを出す。

―― 五番レフト、竹田君。

 次打者は、本来の主戦投手・竹田だ。長身のなで肩、遠巻きには細身にも見えるが、足腰は太い。典型的な投手の体型である。

 竹田は、左打席に入った。井口がセットポジションから、投球動作へと移る。その瞬間、一塁ランナーの高山がスタートを切った。

 ところが、倉橋がミットを大きく右に外す。竹田は片手でバットを伸ばし、当てようとするが届かない。

 バシッ。空振りになり、倉橋がすかさず二塁へ送球した。すでにベースカバーに入っていたイガラシが捕球し、滑らかな動きでタッチへいく。スライディングした高山の足先を、グラブがはらう。

「アウト!」

 二塁塁審が右拳を突き出す。

「ちきしょー、やられたっ」

 タッチアウトになった高山は、苦笑いして空を仰いだ。

「初球エンドラン。まさか読んでやがったとは、やるやないか」

 まだ余裕があるのだろう、相変わらずおどけた口調で言った。立ち上がり、軽くユニフォームの土を落とすと、足早に引き上げていく。

 

 

 招待野球第二試合。墨谷と西将学園の一戦は、大方の予想を覆す展開となった。

 墨谷の先発・井口は、得意の速球とシュートを駆使し、強気のピッチングで西将の強力打線に立ち向かっていく。二回からは再三ランナーを背負ったものの、あと一本は許さず、四回までスコアボードに「0」を並べたのだった。

 一方の墨谷打線は、西将の次期エース・宮西のボールを早くも捉え出す。

 初回にイガラシらがヒット性の当たりを放つと、二回には倉橋がチーム初安打。点こそ奪えなかったものの、以降じわじわと塁上をにぎわせるようになる。

 四回表を終えて、両チーム無得点。スコアばかりか、内容もほぼ互角と言えた。

 

 その裏――墨高の攻撃は、五番のキャプテン谷口からである。

 

 

 外角高めの速球を、谷口はカットした。打球は三塁側スタンドに飛び込む。

 しまった、いまのはボール一個分外れてたな。もっとよく見ないと。初球はインコース低めにシュート、つぎがアウトコースの高低に真っすぐを続けたから、またそろそろシュートがくる。しっかり備えなきゃ……むっ。

 その時、ふと違和感を覚えた。

 なんだか配球、分かりやすいぞ。ここまで追い込んだら、どの打者にもすべてシュートを投じてるな。ウラをかいて真っすぐ、あるいは緩い変化球ってテもあるはず。

 谷口はちらっと、キャッチャー高山の横顔を見やる。

 この人……そういう駆け引きは、むしろ得意そうに見えるが。いや、ひょっとして分かりやすい配球で、わざとねらわせてるのかも。分かってても打たせないつもりなのか、もしくは打たれないという自信を持ちたいのか。

「おやぁ。なにか悩みごとかい?」

 高山がそう言って、にやりと笑う。

「ひょっとして、やたらシュートばかり投げてくるなって思ってるとか」

 内心ぎくっとするが、努めてポーカーフェイスを装う。

「そんな余裕なんか、ないよ。あの宮西君って子、二番手とは思えないくらい、すごいボール投げるんだもの。こっちは一球一球、喰らいくのに必死さ」

「おおっ。さすが、お目が高い。彼はいま成長株の……って、話をそらすなや」

「ねえ、そろそろ怒られちゃうよ」

「んなことカンケ―あらへん……あっ」

 二人の背後で、アンパイアが「オッホン」と咳払いした。

「きみぃ。関係ないとは、どういう意味だね?」

「や、なんでもありません。しっ失礼しやしたぁ」

 わざとらしくペコペコと頭を下げ、高山はサインを出す。

 いまは置いておくか、と胸の内につぶやく。相手のねらいよりも、こちらのテーマを完遂することが大事だと、谷口は自分に言い聞かせた。

 十中八九、シュートだろう。でも、これぐらいなら、イガラシや井口のボールで見慣れてる。けっして打てない球じゃないぞ。

 四球目。やはりシュートが投じられた。ほぼ真ん中から、胸元に喰い込む。谷口は、直前にバットの握りを短くし、押し出すように振り切る。

 手応えがあった。スタンドが「おおっ」と沸く。

 低いライナーが、飛び付いた二塁手のグラブを掠め、外野の芝の上を転がっていく。センター前ヒット。この試合初めて、墨谷は先頭打者を出塁させた。

 

 

 センターから内野へと、ボールが返ってくる。

「ノーアウト一塁。ランナー、脚を使ってくるぞ」

 内野陣にそう伝えてから、高山は屈み込んだ。ひそかに溜息をつく。

 やはり打たれたか。ミエミエの配球とはいえ、迷いなく振ってきたな。やつら練習で、あの一年坊のタマを打たされてるせいか、シュートに目が慣れてやがる。ちがう組み立てをすれば、抑えられるだろうが、それだと今日のテーマから外れちまうし……

 タイムを取り、一旦マウンドへと向かう。

「た、高山さん」

 こちらの顔を見ると、宮西は不安げな目を向けてきた。

「俺のシュート、どこかおかしいですか?」

「いーや。キレもコントロールも、とくに問題ねぇよ」

「だったら……どうしてあんな、カンタンに」

 マズイな、と胸の内につぶやく。

 宮西は明らかに動揺していた。彼にとって、シュートは勝負球だ。それを初回から捉えられているのだから、平静さを失うのも無理はない。

「心配なら、シュートは見せ球にして、ほかで仕留める組み立てにしようか?」

 提案するも、すぐに「だいじょうぶです」とかぶりを振った。

「今日のテーマは、ねらっても打てないボールを完成させることじゃないですか。俺にとって、それはシュートです。あんな新興チームに打たれるはず……」

「こら宮西。強気でいくのと、強がりは、別やぞ」

 語気を強めて、後輩をたしなめる。

「やつらがシュートに強いのは、もう分かるやろ。よほど練習を積んできとるんや。それを認めたうえで、どうすべきか考えな」

「ええ。それでも、シュートでいかせてください」

 まだ引きつった顔で、宮西は答える。

「来年は俺がエースです。ねらわれて打たれるくらいじゃ、西将のエースは務まりません。必ず抑えて見せます。だから……」

「わかったわかった。まったく、ガンコなやっちゃ」

 強情な後輩に、高山は苦笑いした。

「そのかわり、抑えようと力むなよ。キレがなくなっちまうぞ」

「まかせといてくださいっ」

 快活な返事に、かえって不安を覚える。

―― 六番ピッチャー、井口君。

 高山がポジションに戻ると、例の一年坊、井口が左打席に入ってきた。学年のわりに大柄である。顔つきからして、かなり鼻っ柱が強そうだ。

「よっ大将、ナイスピッチング!」

 おどけて声を掛けるが、相手は反応しない。こいつ無視しやがって……と思いかけたが、よく見ると耳栓をしている。挑発に乗らないように、策を講じたらしい。

 おやまっ。見かけによらず、可愛げのないチームだこと。

 間もなくプレイが掛かる。高山は、速球を二球続けさせた。いずれも内外角の低めいっぱいに決まる。三球目は、カーブをアウトコースへ。これは外れて、ツーストライク・ワンボール。

 井口は、ぴくりとも反応しない。シュート狙いは明らかだ。

 四球目。高山は、速球とカーブのサインを出したが、両方とも首を振られる。後輩はどうしても、シュートで勝負したいらしい。

 しゃーない。ただしストライクは、あかんぞ。こいつ前の打席は三振やったが、タイミングは合うてたからな。外角ぎりぎり、ストライクからボールになる軌道や。

 宮西はうなずき、セットポジションから第二球を投じた。

 思わず「アホッ」と口走ってしまう。コースは真ん中高め。高山が避けたかった、まさにストライクゾーンに入ってきた。井口は、躊躇なくフルスイングする。

 大飛球がライト頭上を襲った。右翼手はしばし背走するが、フェンスの数メートル手前で立ち止まり、呆然と見送る。

 井口の打球は、ライトスタンド中段に飛び込む。ツーランホームラン。満員のスタンドが、大きくどよめいた。

 

 

2.エース登板

 

「井口のやつ、ハデにぶち込みやがって」

 三塁側ブルペンで、イガラシは溜息混じりに言った。

「うれしくないのかい?」

 投球練習の合間に、松川が問うてくる。

「あの西将から点を取った。しかも、ホームランで。すごいじゃないか」

「いや、まぁ……そんなこともないですがね」

 イガラシ達の眼前では、ベンチに帰ってきた井口と谷口が、味方から手荒な祝福を受けている。一方、まさかの失点を喫した西将ナインは、明らかに怒りの形相だ。

 キャッチャー高山が、ここでタイムを取る。内野陣がマウンドに集まった。

「向こうさん……点が取れなくてイラついてたところに、この一発ですからね。この後、きっと目の色変えてくるんじゃないかと」

「しかし井口も、ここまでよく抑えてるじゃないか」

「そりゃ抑えられるでしょうよ。向こうはまだ、ほんとうの力を隠してますから」

 ふと見ると、キャッチャーの根岸が傍に来ていた。

「どういうことだよ。西将は、手を抜いてるってことか?」

 根岸の質問に、イガラシは「いいや」と首を横に振る。

「というより、難しいことをやろうとしてる、という方が正しいだろうな。見ていて気づかないか? やつら、井口のシュートばかり打ちにきてるだろ」

「む、そういやぁ。でもどうして」

「シュートは井口の勝負球だ。相手のもっとも得意とするところで、力の差を見せつけようってのが、やつらの作戦なんだろう」

 松川は「そ、そうか」と引きつった顔になる。

「勝負球を打たれたら、どんなピッチャーでも動揺する。西将はそれをねらって」

「ええ。ただ思いのほか、井口のボールにチカラがあったので、ここまでは打ちあぐねていますけどね。けど、何本かヒットは出てますし、そろそろ目も慣れてきた頃です。松川さん、早めに仕上げといた方がいいと思いますよ」

「おまえ、それを言うために来たのか」

 先輩が苦笑いした。イガラシは、真顔でうなずく。

 大仰に言うのは憚られたが、もう猶予はないと思っていた。向こうがその気になれば、打ち崩すのは容易だろう。

 その時だった。

 一塁側ベンチから、西将の控え選手が一人、グラウンドに出てくる。その選手は、まずアンパイアに何事か告げた後、マウンド上の内野陣の輪に加わった。

 グラウンドに視線を向け、松川が「ま、まさか……」とつぶやく。

 直後、レフトを守っていた西将の背番号「1」竹田が、マウンドへ駆け出す。スタンドがざわつき始める。そして、ウグイス嬢のアナウンスが響く。

 

―― 西将学園高校、シートの変更をお知らせ致します。ピッチャー宮西君が、レフト。レフトの竹田君がピッチャーへ、それぞれ入れ替わります。

 八番レフト、宮西君。五番……ピッチャー、竹田君。

 

 甲子園優勝投手の登場に、球場は大いに盛り上がった。

「ちぇっ。向こうさん、メンドウなことしてくれるぜ」

 舌打ちして、イガラシは言った。

「点を取って、ここから畳みかけようって時に、流れを断ち切りやがった」

 傍らで、根岸が呆れ笑いを浮かべる。

「しっかし……すごい人気だな。王や長島じゃあるめぇに」

 松川が「仕方ないよ」と溜息をつく。

「なにせ甲子園の優勝投手だもの。噂じゃ、ジャイアンツやタイガース辺りが、ドラフトで指名するって話もあるみたいだし」

 三人の眼前で、竹田がロージンバックを放り、投球動作へと移る。理想的なオーバーハンドのフォームから、高山のミットへ速球を投げ込む。

 ズドン。迫力ある音が、球場内に響き渡る。

 竹田は速球を三つ続けた後、変化球も投じた。二種類のカーブ。スピードを殺し大きく曲がるものと、ほぼ速球と同じスピードで小さく曲がるものとがある。

「ははっ、こりゃすげぇや」

 苦笑い混じりに、イガラシは言った。中学時代より、何人もの好投手と対戦してきたが、ここまでのレベルの投手は見たことがない。

―― 七番レフト、横井君。

 おっかなびっくりという表情で、横井が打席へと向かう。

「横井、喰らいついていこうぜ」

 ベンチより、谷口が声援を送る。他のメンバーも続いた。

「ひるむな横井、思い切っていけ」

「相手は立ち上がりだ。まだ本調子じゃねぇぞ、ねらいダマしぼって叩きつけろ」

 味方の励ましに、横井は「おうっ」と応える。

 強気でいくんだったな……と、胸の内につぶやく。思いのほか快活な声を発した先輩の背中を、イガラシは黙って見守った。

 

 

 インコース高めの速球を、横井は空振りした。バットの握りをかなり短くしていたが、それで打てるほど甘くはない。

「よっしゃ。いいボール、来てるでぇ」

 高山は立ち上がり、マウンドの竹田へ返球する。

 また屈んでサインを出しながら、打者の動きを確認する。横井は、短くした握りはそのままで、さらにバットを寝かせた。ほとんどバントのような構えだ。

 こいつ。なにがなんでも、当てようってか。

 二球目も同じコース、同じボールを要求した。またも威力ある速球が、ミットに飛び込んでくる。しかし、今度は僅かながら、掠った音がした。

「あ……当たった」

 口元を緩め、横井はベンチに向かって叫ぶ。

「当たるぞみんな。喰らいついていけば、どうにかなる」

 味方も「いいぞ横井!」と応えた。

「その調子だ。ねばってねばって、一球でも多く投げさせろっ」

「気持ちで負けるなよ、向かっていけっ」

 高山は、こっそり溜息をつく。

 ふん、チーム一丸ってやつか。かすっただけで、こんなに盛り上がれるなんて、シアワセやな。うらやましいこった。

 とはいえ……と、高山は思い直す。

 向かってくるチームは、けっこう侮れんぞ。たいがいのチームは、竹田のボールを見せられると、一気に戦意喪失してしまうもんやからな。現実に、二点取られちゃったし。気ぃ引きしめてかからんと。

 三球目、またもインコース高めの速球。横井は、またもバットに当てた。これは捕球しきれず、バックネットまで転がる。

 なんやこいつ、えらい真っすぐに目が慣れるの早いな。変化球を使ってないのもあるが、甲子園でも初見のバッターは、そうカンタンに当てられへんかったのに。

 高山はこの時、ふと思い出す。

 そうや。こいつら、あの谷原を倒そうとしとるんやった。なら当然、速球に慣れる練習も積んどるはずや。谷原のエース村井は、左の本格派。俺らも勝ったとはいえ、だいぶ手こずったもんな。

 替えのボールをアンパイアから受け取り、竹田に返球する。

 しゃーない。先頭打者には、真っすぐを同じコースに続けて、チカラでねじ伏せるつもりやったが……ちと危険やな。少し目先を変えていかんと。

 サインを出し、内角高めに構える。しかし、竹田が投球動作を始めた瞬間、高山はミットをアウトコースに移動した。

 ボールを追い掛けるように、横井のバットが回る。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアのコールと同時に、高山は「へいっ」と一塁へ送球する。そのまま内野でボール回しを行い、リズムを作っていく。

「くそぅ、やられたっ」

 横井は悔しげに、空を仰いだ。

 

 やはり竹田は、全国トップのピッチャーである。

 この後、西将バッテリーは墨谷の八番加藤、九番久保にもすべて速球。七番の横井に続き、なんと三連続三振を奪う。

 墨谷もバットの握りを短くしたり、バントの構えをしたりと手は打ったが、そう簡単にどうにかできる相手ではなかった。

 

 

 チェンジとなった際、高山はタイムを取り、レギュラー陣を集めた。一塁側ベンチ手前で、小さく円座にさせ、自分もその輪に加わる。

「シュートねらい、どないしよか?」

 高山の問いかけに、まずエースの竹田が答える。

「俺は、続けてええと思うで。そもそも監督の指示やろ?」

「いや。監督の指示は、相手の長所で勝負しろっつうことや。必ずシュートを打てとは、言われてへん。初回の攻撃の後、みんなで決めたやろ」

「そ、そうやったな。すんまへん」

「このボケ。ほな……月岩は、どない思う?」

 話を振ると、月岩は「せやなぁ」と渋い顔をした。

「あの一年坊……思うてたより、しぶといで。塁には出とるが、けっきょく四回まで零点や。俺はそろそろ、ねらいダマを変えてもいい頃やと思う」

 キャプテンの平石が、くすっと笑う。

「おまえ見かけとちごて、慎重派やからな」

「ほっとけ」

「けど……俺も月岩に賛成や。まさか墨谷なんて、聞いたこともないチームのピッチャーが、あんなタマ放るとは思わへんかったしな」

 三番打者の椿原が「まったくや」とうなずく。

「あの井口って一年坊、スピードといいシュートのキレといい、十分うちでもエースを争えるレベルやで」

 そう言って、こちらに目を向ける。

「高山。おまえの意見は?」

「む……俺は、どっちでもええ。ただ、迷ってはいけないとは思うとる」

 全員を見回しながら、高山は発言した。

「もしみんなが、シュートねらいに不安を感じてるなら、きっぱりやめた方がええ。迷ってプレーすると、つけ込まれるぞ。なにせ……曲者がおるのでな」

「おお。さっきおまえが絡んどった、あのイガラシってボウヤか」

 平石が、愉快そうに言った。

「たしかに生意気そうなツラやったな。もっともおまえに比べると、あれでもだいぶ可愛いもんやが。月とスッポンぐらいの差があるで」

「なんやその、よう分からん例えは。こら平石。おまえキャプテンのくせに、いらんことヌカすんやない」

 その時だった。ふいに監督の中岡が、ベンチから出てくる。

「かっ監督!」

 西将ナインは慌てて立ち上がり、脱帽する。

「どうした高山。おまえにしては、歯切れが悪いな」

「は、はぁ……」

 めずらしいな、と高山は訝しく思う。練習試合でも公式戦でも、こういうレギュラー陣の話し合いに、中岡が今まで口を挟んでくることはなかった。

「はっきり言ったらどうだ。いまシュートねらいをやめるのは、得策じゃないと」

 なるほど……と、こっそりつぶやく。やはり見透かしとったか。ちとシャクやが、この人には、かなわへんなぁ。

「監督の、おっしゃるとおりです」

 正直に答える。

「ここでやめたら、俺らがシュートに手こずっていると、墨谷に教えるようなもんや。そうなると……向こうは勝負所で、シュートを多投してくるで」

 ナイン達から「あっ」と声が漏れた。

「ほかのボールは、いつでも打てるやろ。それをするなら、シュートを打ってからの方が、より効果的やぞ。向こうはなに投げていいか、分からなくなるはずや」

「ふふ、やっと本音を言ったな」

 高山の話を受け、中岡は微笑みを湛えた目で告げる。

「あとは……この先われわれが、どこを目指すのかということを、よくよく諸君らには考えてもらいたい。春を制した後は、当然夏もねらう。そのために、どんな戦い方がふさわしのかをな」

 ナイン達は、神妙な面持ちで「はいっ」と返事した。

 

 

3.大ピンチ!

 

 大飛球が、レフト頭上を襲う。

 横井が懸命にダッシュし、フェンスの数メートル手前で飛び付いた。そして倒れ込んだまま、グラブを掲げる。中に、ボールの白がのぞく。

「アウトっ」

 三塁塁審が、右拳を突き上げた。またも飛び出した好きプレーに、スタンドは沸く。西将の九番打者が、腰に手を当てて苦笑いする。

「ナイスガッツ横井!」

 三塁側ファールグラウンドより、谷口は叫んだ。

「フェンス際、よく勇気を出して飛び込んだな」

「どうってことねぇよ」

 横井は白い歯をこぼし、中継に入っていたイガラシに返球する。

―― 一番センター、月岩君。

 西将の打順は、トップに返る。これで三回り目だ。月岩は、最初の打席では三振に仕留めたものの、二打席目はきっちりライト前へ弾き返している。

 サードのポジションに戻り、谷口は「マズイぞ」とつぶやいた。

 いまのもシュートを捉えられた。西将のバッター、だいぶ慣れてきてる。ここにきて、初回からねらい打ちにしてきた効果が、あらわれ始めたぞ。バッテリーも気づいて、他のボールを混ぜてはいるが……

 月岩に対して、井口は速球とカーブであっさり追い込む。

 しかし、そこから粘られた。際どいコースの速球は見極められ、カーブは簡単にカットされる。とうとうフルカウントとなる。

「オーケー井口。いいタマきてるぞ」

 倉橋がそう励まして、返球する。

 ボールを捕ると、井口はすぐに投球せず、足元のロージンバックを拾う。指先が滑らないようにではなく、これは間を取るためだ。

 うまいぞ井口。投げる間合いを短くしたり、長くしたりして、バッターがすっきり打てないように工夫してる。これで少しは、相手がリズムを崩してくれればいいが。

 井口はやがて、八球目の投球動作へと移る。初回に三振を奪った時と同じ、内角低めへのシュート。鋭く膝元へ喰い込む。

 ヒュッ。閃光のような打球が、一・二塁間を抜けていく。好守を誇る丸井と加藤が、一歩も動けない。ライト前ヒット。

「な、なんて打球だよ」

 イガラシが珍しく、引きつった顔になる。

―― 二番ショート、田中君。

 気の抜けない打者が続く。ここまで田中はノーヒットだが、二打席目は八球粘られた後、センターへあわやホームランかという当たりを放っていた。

 井口は初球、二球目と速球を内外角へ投じたが、いずれも僅かに外れる。

 続く三球目。選んだ球種は、この試合初めて投じるスローカーブだった。それが真ん中高めに入る。やられた……と、谷口は目を瞑りかけた。

「ストライク!」

 アンパイアのコールに、数人が安堵の吐息をつく。

「あ、あぶねぇ」

 加藤と丸井が目を見合わせ、苦笑いする。

「いまの、ねらわれてたら……ホームランだぜ」

「うむ。見逃してくれて、たすかったよ」

「井口!」

 谷口はタイムを取り、力投の一年生を呼んだ。

「あ……はいっ」

 さすがに失投だったと自覚しているようで、井口はバツの悪そうな顔をしていた。

 中途半端なことはするなと、注意するつもりだった。こちらの知る限り、井口はずっとスローカーブの練習に取り組んでいるものの、まだ制球は安定していない。

 でも……と、谷口は思い留まる。

 ダメだ。まかせると決めたからには、最後までそうしなきゃ。失投だったとはいえ、井口なりに考えての選択だ。ここで口を出せば、彼の成長の機会を奪ってしまう。

「な、なにか?」

 訝しがる後輩に、谷口は別の言葉を伝えた。

「いいか井口。打たれても暴投してもいいから、しっかり腕を振るんだ」

「き、キャプテン……」

 意外に思ったらしく、相手は目を丸くする。

「強気でいくんだろ。どんな時も、それを忘れるなっ」

「……は、はいっ」

 井口は、力強くうなずいた。

 ほどなくタイムが解ける。井口はセットポジションから、第四球を投じた。

 思い切りよく内角高めを突く。しかし、それが内側のラインぎりぎりに立っていた田中の、ユニフォームの袖を掠めてしまう。

ボールデッド!」

 アンパイアはそう告げて、ファーストベースを指差す。死球となり、一塁二塁とピンチが広がった。田中はバットを置き、ゆっくりと一塁へ向かう。

「井口、引きずるなよっ」

 ショートのポジションから、イガラシが声を掛けた。

「当てたからって腕が縮こまったら、叩き込まれるぞ。あと一回ぶつけるぐらいの気持ちで、思い切りいけ!」

「おうっ。つぎこそ三振に取ってやるから、よく見とけ」

 幼馴染の檄に、井口は強気で返す。

 たいしたもんだな、と胸の内につぶやく。このレベルの相手に、追い詰められてなお気迫を保てるのだから、やはり並のピッチャーではない。谷口は、いっそう井口を見直した。

―― 三番ファースト、椿原君。

 得点圏にランナーを置いて、打順はクリーンアップに回る。この椿原は、初回に早くも井口のシュートを捉え、強い当たりのサードゴロ。二打席目はセンターライナーと、いずれもヒット性の当たりだった。

 初球、シュートが真ん中に入る。明らかにコントロールミスだ。椿原は、躊躇いなくフルスイングした。ショートへ痛烈な打球が飛ぶ。

 バシッ。正面に回り込んだイガラシが、体で止めた。

 谷口は「へいっ」と合図して、三塁ベースを踏んだ。その動きに合わせ、イガラシが一旦こぼしたボールを拾い直し、素早くトスする。

 足から滑り込んだ月岩の頭上で、三塁塁審が「アウト!」と右拳を掲げた。

 三塁フォースアウトとなり、ツーアウト一・二塁に状況は変わる。勇気ある一年生のプレーに、スタンドから拍手が送られた。

「ナイスガッツ! よく止めたぞイガラシ」

 声を掛けるも返事がない。いつもの照れ隠しかと思い、相手の顔をのぞき込むと、唇を歪めていた。やがて、その場に片膝をつく。

「いっ……イガラシ!」

 谷口は、慌てて駆け寄った。

 

 

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【野球小説】続・プレイボール<第16話「西の王者への挑戦!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第16話 西の王者への挑戦!の巻
    • 【登場人物紹介】
    • 1.試合のテーマ
    • 2.一回表
    • 3.おしゃべりなキャッチャー
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 

 

第16話 西の王者への挑戦!の巻

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【登場人物紹介】

 

高山:小説オリジナルキャラクター。大阪の名門・西将学園の正捕手にして、不動の四番打者。右投げ右打ち。全国ナンバーワンのキャッチャーと噂され、プロからも狙われている。

 ひょうきんな性格で、かなり饒舌な質である。慇懃無礼な物言いで、墨高ナインを挑発するが、内心ではその実力を認めている。

 

※西将学園:大阪の野球名門校。春の甲子園では、準決勝で谷原を下すなど、圧倒的な力を見せ付け優勝した。過去に、何度も全国制覇を果たしており、実績では谷原をも凌ぐ。

 

1.試合のテーマ

 

 日曜日、午前十時。

 先週に続き、神宮球場には大勢の観客が詰めかけていた。まだプレイボールの三十分前だというのに、バックネット裏と内野スタンドはすでに満席だ。

 墨高ナインは、三塁側ベンチに陣取る。

 すでに全体のウォーミングアップは済ませていた。ファールラインの手前で、ナイン達は素振りしたりストレッチ体操をしたりと、それぞれのやるべきことに取り組んでいる。

 

「ひゃあっ。すごい人だぜ」

 内外野のスタンドを見回し、丸井がすっとんきょうな声を発した。

「公式戦でもねぇのに、みんなモノ好きだこと」

 横井が「そらそうよ」と、感心げにうなずく。

「西将っていやぁ、何度も甲子園を制した有名校だもの。とくに今年は……すげぇのがいるって話じゃねぇか」

 そう言って、「なぁ」と傍らにいた片瀬に話を向ける。

「あ、はい。そうなんです」

 柔軟運動の手を止めて、片瀬は答えた。

「なんといってもバッテリーですね。まずピッチャーの竹田さん。快速球と多彩な変化球を武器に、春の甲子園では決勝まで投げて、計四点しか取られてません」

「す、すごいな」

「ええ。その竹田さんのチカラに加えて、キャッチャーの高山さん。打っては不動の四番、守っては頭脳的なリードがさえる、まさにチームの要です。谷原は準決勝で当たって、けっきょく一点取るのがやっとでした」

「や……谷原ですら、打てなかったのかよ」

 ちょっと横井さん、とイガラシが割り込んでくる。

「な、なんだよ」

「もう忘れちゃいましたか? このまえ試合した箕輪が、その竹田ってピッチャーから三点取ってるんですよ。そうだろ、片瀬」

「む、そういえば」

「その箕輪相手に、ぼくら引き分けたじゃないですか。なんとかなりますって」

 気のいい横井は、すぐに「おおっ」と破顔した。

「イガラシに言われると、なんだかやれそうな気がしてきたぜ」

 ナイン達の様子を、谷口はベンチ手前で素振りしながら、注意深く観察していた。

 よかった、いつものみんなだ。ただでさえ強敵が相手というのに、カタくなってしまったら、まず試合にならない。谷原と箕輪、甲子園レベルのチームと戦ったことで、少しずつたくましくなってきている。これなら、どうにかやれそうだ」

「おーい谷口」

 その時、背後から呼ばれた。振り向くと、捕手用プロテクターを装着した倉橋が、こちらに右手を掲げている。

「あと五分程度で、シートノックの時間らしい。いまのうちに、みんなでもう一度、ポイントを確認しとかないか」

「うむ、そうするか」

 集合っ、と谷口は一声掛けた。すぐさまナイン達が、ベンチへと駆けてくる。ブルペンにいた根岸と松川も、投球練習を中断しその輪に加わる。

 谷口はベンチの隅に立ち、その手前にナイン達を座らせた。

「ねんのため、再度オーダーを確認する。昨日も言ったが、この試合の打順は、あくまでも目くらましだ。公式戦の時は、あらためて組み直す。こういうテを使うのは本意じゃないが、どうか理解してほしい」

「いや、当然の策かと」

 きっぱりと言ったのは、イガラシだった。

「今日もたくさん偵察が来てます。シード校のやつら……東実、それに谷原も。これだけ強敵がウヨウヨしてるってのに、手の内をさらすことはないですよ」

 たしかに、と丸井がうなずく。

「俺っちもキャプテンと同じく、だまし合いは好きじゃないス。でも、正攻法で勝たせてくれる相手じゃないってことは、先週の試合でよく分かりましたから」

「や、やめてくれよぉ」

 後方で、戸室が引きつった顔になる。

「谷原のバッティング。思い出すだけでも、ぞっとするぜ」

 横井が「おい」と突っ込む。

「おまえこそ口をつつしめ。せっかく忘れてたのに」

「んなこと言ったって……」

 倉橋が、渋い顔で「こらこら」とたしなめる。

「そんな弱気じゃ、とても今日は戦えないぞ。しっかりしろい」

「わ、わかったよ……」

 ぼやくように返事して、横井がぽりぽりと頬を掻いた。

「まぁまぁ、三人とも」

 谷口は微笑んで、尻のポケットからメンバー表の紙を取り出す。

「ではオーダーを確認する。打順に一部変更があるから、しっかり覚えてくれ。まず一番ショート、イガラシ」

 丸めていた紙を広げ、順に読み上げていく。

「二番、セカンド丸井。三番センター島田。四番……キャッチャー倉橋」

 事前に伝えているにも関わらず、小さなどよめきが起こる。それを「しずかにっ」と制してから、先を続けた。

「五番サードは、俺。六番、ピッチャー井口。七番レフト横井、八番ファースト加藤。そして九番、ライト久保。スタメンは、以上だ」

 横井が「ううむ」と、首をひねる。

「やはり違和感があるな、谷口が四番じゃないってのは」

「む。考えてみりゃ、一年の時からずっとだもんな」

 同学年の戸室もうなずく。

「ぎゃくにいえば……なにをしてくるか分からないイメージを、他校に植えつけることができますね」

 冷静に評したのは、やはりイガラシだ。

「そのとおり。しかし今日の試合は、もっと大切なテーマがある」

「えっ」

 後輩が意外そうに目を見開いた。谷口はうなずき、再び全員を見据える。

「はっきり言って、相手は強い。なにせ、あの谷原さえ及ばなかったチームだ。われわれの力量では、ヒット一本打つのがやっとかもしれない。ヘタすりゃ、先週の試合のように、初回でほぼ勝敗が決まってしまうこともあり得る」

 ごくんと、誰かが唾を飲む音が聴こえた。谷口のシビアな言葉に、ナイン達は押し黙る。

「……それでも、いいかみんな」

 声を明るくして、谷口は話を続けた。

「どんな展開になっても、あきらめない。ぜったいに下を向かない。われわれが今日まで作り上げてきた、ねばりの墨高野球を、最後までまっとうして見せよう。いいなっ」

 ナイン達は、いつものように「はいっ」と、力強く応えた。

 その時、ふいにスタンドがざわめく。谷口と数人がベンチから出ると、ちょうどスコアボード下に両校のスターティングメンバーが表示されたところだった。

「う、ウソだろ」

 半田が呻くようにつぶやく。傍らで、戸室が「どうした?」と尋ねる。

「西将のオーダー、ほぼ春の甲子園のレギュラーです」

 数人が「なんだって?」「ジョーダンだろ」と同時に声を上げた。

「……うむ。たしかに、ピッチャー以外はレギュラーをそろえています」

 片瀬が、淡々とした口調で告げる。

「それに、あの宮西ってピッチャーは、たしか次期エース候補だったかと。春の甲子園でも、ほとんどリリーフでしたけど、けっこう投げてました」

 あちゃぁ……と、丸井がわざとらしく顔を覆う。

「公式戦でもないのに、やつらなに考えてんだよ。俺っちらをどうしようってんだ」

 谷口は、一旦集団から離れ、ベンチの奥に引っ込んだ。そしてキャッチャーの倉橋、さらに先発投手の井口を呼び寄せる。

 ベンチに駆けてきた井口は、かなり発汗していた。どうやらウォーミングアップの段階で、張り切ってだいぶ投げたらしい。

「もう疲れたとか言わねぇよな」

 倉橋が腕組みをして、軽く睨む。

「ま、まさか。これぐらい平気ですよ」

 言葉通り、息は乱れていないようだ。しかも、つい投げ過ぎてしまったということは、体が軽いのだろう。これならピッチングに支障はなさそうだ、と安堵する。

 ちらっと、谷口は倉橋と目を見合わせた。

「……倉橋、いいな?」

「む。分かってる」

 井口が「な、なにか?」と怪訝そうな目になる。谷口は笑って、前日に倉橋と打ち合わせた内容を、この体躯の大きな後輩にも伝えた。

「井口。この試合は、おまえに預ける」

「……は、えっ」

 さすがに戸惑ったらしく、井口は間の抜けた声を発した。

「球種もコースも、おまえの思ったとおりに投げていいぞ」

「そんな。いいんスか?」

 コホン、と倉橋が咳払いする。

「カン違いするなよ井口。投げたい球だけ、好き勝手に投げろっつうんじゃない。相手打線を抑えるために、おまえがベストだと思う組み立てをしてみろってことだ」

 なおも戸惑う後輩に、谷口は説明を付け加える。

「聞いてるぞ。昨年の墨谷二中との決勝で、おまえかなり策を講じて、イガラシ達を苦しめたそうじゃないか。同じことを、あの西将に試してほしい」

「ああ、そういうことスか」

 ようやく理解したらしく、相手は笑みを浮かべた。

「もちろん……それで打たれても、おまえを責めない。どうする?」

「や、やりますっ。まかせてください!」

 井口は勢い込んで言うと、倉橋と連れ立ってブルペンへ向かう。これからサインの確認を行うらしい。

「……へぇ、考えましたね」

 ふいに背後から、声を掛けられる。振り向くとイガラシが立っていた。

「倉橋さんのリードで投げると、他校のやつらに配球パターンを研究されちゃいますからね。それを防ぐために……なるほど、みょう案だと思います」

「ははっ、さすがだな。しかし……それだけじゃないさ」

「と、言いますと?」

「イガラシ達との試合の様子を聞いた限り、井口はボールの威力だけじゃなく、相手打者との駆け引きにも長けているようだからな。そこも磨いてほしいと思ってな」

「ふふ。それと……好きに投げさせた方が、あいつの力量もよく分かりますから」

 愉快そうな口ぶりと裏腹に、イガラシは鋭い眼差しをブルペンへと向ける。

「もしこの試合で、井口があっさり大量失点するようなことがあれば、予定の起用法を見直さなきゃいけなくなりますし」

 怖いことを言う、と谷口は思った。

 実際その通りなのだ。谷原戦の先発投手を、井口に決めたのは、ボールの威力を見込んでのこと。それが簡単に打ち込まれたら、当初の計算が狂ってしまう。

 ほどなく、球場係員がこちらに駆け寄ってくる。

「墨谷高校、シートノックの準備を始めてください」

 谷口は「分かりました」と返事して、再びナイン達を呼び集めた。

 

2.一回表

 

 グラウンド上。後攻の墨高ナインは守備につき、ボール回しを行う。

 すでに西将の先頭打者が、ネクストバッターズサークルで待機していた。他のメンバーは、ベンチから「ねらってけ」「容赦すんな」と声援を送る。

「あーあー、コワイ顔しちゃって」

 イガラシは、こっそりつぶやいた。

 ショートのポジションから、相手の動きを注視する。全国トップのチームというだけあり、レギュラーだけでなく控えメンバーまで、がっしりとした体躯だ。さらに、選手一人一人の眼光の鋭さが、目を引く。

 まるで……獲物に襲いかかる、オオカミの群れだな。

 ほどなく、倉橋が二塁へ送球し、アンパイアが「バッターラップ!」と声を掛ける。それに少し遅れて、ウグイス嬢のアナウンスが響く。

―― 一番センター、月岩君。

 長身の選手が、左バッターボックスへと入ってきた。キャッチャーの倉橋も、墨高ナインの中では上背があるのだが、その彼さえも見下ろされる格好になる。

「プレイボール!」

 右手を突き上げ、アンパイアがコールする。同時に、試合開始を告げるサイレンが鳴った。

 初球。井口は、速球を内角高めに投じた。内にボール一個分ほど外れただけだったが、月岩は上体を大きく仰け反らせる。

「あぶな……気ぃつけんかい、このガキっ」

 月岩の悪態に、すかさずアンパイアはタイムを取る。

「君、口をつつしみたまえっ」

「あ……こりゃどうも、失礼しました」

 注意を受けた月岩は、あっさり引き下がる。

 あやしいぞ、とイガラシは思った。インコースの厳しいコースとはいえ、さほど危ないボールでもなかったし、月岩の立ち位置もベース寄りではない。

 こりゃ……相手ピッチャーを委縮させるための、芝居だな。

「ひるむなよ井口」

 谷口が声を掛ける。どうやら、同じ印象を受けたらしい。

「気持ちのこもったナイスボールだったぞ。この調子で、どんどん攻めていけっ」

「へへっ、まかせといてください」

 振り向くと、井口はにやりと笑った。

 タイムが解け、井口はしばし間を置いてから、二球目の投球動作へと移る。またしても内角高めの速球。今度は、コースいっぱいに決まった。

「どうだい。今度は、文句ねぇだろ」

 井口は返球を捕ると、手のひらでボールを弄びながら、不敵な笑みを浮かべる。

 ははっ。二球続けてインコースとは、強気だな井口。先発をあいつにしといて、正解だったぜ。並のピッチャーなら、さっきの威嚇にビビッて、以後アウトコースにしか投げられなくなるだろうからな。

「いいぞ井口。タマ走ってるじゃねぇか」

 イガラシは、わざと挑発的な言葉を発した。

「敵さん、どうやらインコースが苦手らしい。そこさえ攻めときゃだいじょうぶよ」

「おうよっ。もっとも得意コースだとしても、打たせやしないけどな」

 なにぃっ……と、月岩がこちらを睨み付けてくる。

 三球目。井口は、またも速球をインコースに投じた。今度は低めいっぱい。月岩が、鋭くバットを振り抜く。

 快音が響いた。閃光のような打球が、ライトスタンドのポール際へ飛ぶ。

「ら、ライトっ」

 倉橋がマスクを取り、叫ぶ。ライトの久保は懸命に背走するが、間に合わない。フェンスの数メートル手前で立ち止まった。

「……ファール、ファール!」

 一塁塁審が、両腕を大きく交差する。スタンドの観客から、安堵と落胆の混じったどよめきが漏れた。

「こら井口。いま色気を出して、ストライク取りにいったろ」

 さすがに倉橋が、厳しく指摘する。

「置きにいった分、球威がなかったぞ。ボールになっていいから、しっかり腕を振れ。今日は、チカラでねじ伏せるんだろ」

「は、はいっ」

 しっかり手綱を締めながらも、倉橋はあくまで、井口の闘志を引き出していく腹積もりらしい。また井口も、先輩の心意気に応えようとしている。

 いい傾向だな、とイガラシは思った。バッテリーの呼吸が合ってさえいれば、どうにか戦えそうだ。

 倉橋がマスクを被り直し、ミットを真ん中に構える。

 井口は振りかぶり、右足を踏み出し、思いきり左腕をしならせる。速いボールが、内角へ投じられた。月岩は「待ってました」とばかりにバットを強振する。

 その瞬間、ボールは打者の胸元を抉るように、鋭く変化した。ズバンと、倉橋のミットが乾いた音を立てた。

「ストライク、バッターアウト!」

 心なしか、アンパイアの声が上ずる。

 スタンドが、さっきよりも大きくどよめいた。成長著しい墨高とはいえ、春の甲子園優勝チームの打者を三振に切って取ろうとは、誰しも想像できなかったに違いない。

―― 二番ショート、田中君。

 ざわめきの中、西将の二番打者が右打席に立った。こちらも倉橋を上回る長身だ。とても二番バッターには見えないぜ……と、イガラシはひそかに溜息をつく。

 この田中に対し、井口は速球をアウトコースへ続けた。いずれも決まりツーストライク。

 打者は、バットをぴくりとも動かさない。それでも相変わらず眼光鋭く、倉橋と井口を交互に見やる。シュートをねらってやがるな、とイガラシは直観した。

 三球目。倉橋がまたも、真ん中にミットを構える。ほどなく井口は振りかぶり、速球と同じフォームで左腕をしならせた。

 やはりシュート。右打者に対しては、外へ逃げていく軌道になる。

 ガッ。鈍い音を残し、打球はホームベースとバックネットのほぼ中間地点に、高く上がった。すぐに倉橋が落下点へと入り、難なく捕球する。これでツーアウト。

 ボール回しの後、イガラシはマウンドへ駆け寄った。

「ナイスボール。球威で勝ったな」

 声を掛けると、意外にも井口はかぶりを振る。

紙一重だぜ。いまのバッター、明らかにねらってきやがった」

「ほう。分かってるじゃねぇか」

 イガラシは感心した。力勝負にのぼせ上るのではなく、きちんと状況把握に努めているようだ。これなら自滅の心配はなかろう、と安堵する。

「それで、どうするつもりだ?」

「しばらく力で押していくさ。いまのところ、捉えられたわけじゃないからな」

「同意見だ。力まず、ほんらいのボールさえ投げられれば、そう打たれねぇよ」

「おうよ。まかせとけって」

 相手の返事にうなずき、イガラシは踵を返した。井口もすぐに正面を向き、倉橋とサインを交換する。

―― 三番ファースト、椿原君。

 ウグイス嬢のアナウンスより早く、西将の三番打者が左バッターボックスに入る。この椿原も長身。しかも他の二人より、さらに頭一つ分高い。

 ちぇっ。まるで、大人と子供じゃねぇか。

 軽く舌打ちをして、イガラシは数歩後退した。倉橋と目を見合わせると、こちらに右手を掲げる。「ここで留まれ」という意味だ。強打者を迎える際、内野陣は深めにシフトを敷くことになっている。

「いくぞバック!」

 倉橋の掛け声に、ナイン達は「おうっ」と応えた。

 三番椿原に対しての、初球。井口は真ん中低めにシュートを投じた。その直後、パシッと乾いた音がなる。速いゴロが三塁線を襲う。

 やられた……と思った瞬間、サードの谷口が飛び付き捕球する。すかさず片膝立ちになり、ファーストへ送球。ショートバウンドとなったが、加藤のミットが掬い上げた。

「アウト!」

 一塁塁審のコールに、またもスタンドがどよめく。それはすぐに、拍手へと変わる。チームメイト達も「ナイスサード」「たすかったぜ谷口」と、キャプテンの好プレーを讃えた。

「ナイスピッチング」

 マウンドを降りかける井口に、谷口は声を掛ける。

「よく思い切って攻めたな。この調子で、ひるまず向かっていけ」

「う、ウス」

「こらっ」

 通りがかった丸井が「返事はハイだろ」と、横から小突く。

「あ……はいっ。がんばりやす」

 思いのほか素直な返答に、丸井が「ありゃっ」とずっこけた。分かりやすい反応に、谷口は吹き出した。

 ベンチに戻ると、イガラシはグラブを置き、休む間もなくネクストバッターズサークルへと向かう。その眼前、マウンド上では西将の背番号「11」宮西が、ロージンバックを右手に馴染ませている。

「イガラシ、ちょっと」

 谷口がベンチを出て、駆け寄ってくる。

「どうする? 初球から、ねらっていくか」

「いや……できるだけねばって、いろんな球種を投げさせたいと思います」

 きっぱりと答えた。

「どんなピッチャーなのか、情報が少ないので」

「うむ。そりゃチームとしては、たすかるが」

「それだけじゃなく……この試合では、なるべく定石どおりの攻め方がいいと思います。わんさか偵察が来てるので、手の内は見せないように」

「ねんにはねんを……ってことだな。分かった、まかせるよ」

 やがて、宮西が投球動作へと移る。ややサイドスロー気味のフォームから、威力ある速球がキャッチャーのミットに飛び込む。

「は、はえぇっ」

「あれで二番手かよ」

 後方のベンチから、ナイン達の驚く声が漏れる。

 宮西は、速球を二球続けた後、三球目はシュートを投じた。ほとんど速球と変わらないスピードで、鋭く変化する。

「ははっ。すげぇや」

 思わず笑ってしまう。

「あのシュート、井口のものと似てますね」

「うむ。右と左のちがいはあるが、あの直角に曲がる軌道なんか、ソックリだな」

 ほどなく投球練習が終わり、キャッチャーが二塁へ送球した。すぐにアンパイアから「バッターラップ」の声が掛かる。

 

 

3.おしゃべりなキャッチャー

 

 イガラシは打席に入り、わざと白線の内側ぎりぎりに立った。

「おやぁ。どういうつもりかな」

 ふいに背後から、おどけた声が降ってくる。振り向くと、西将のキャッチャー高山が、座りもせず含み笑いを浮かべていた。

 うわっ、でかいな……と胸の内につぶやく。背丈こそ僅かながら椿原に及ばないものの、この高山は肩幅も広く、より迫力ある体躯に感じた。小柄なイガラシは、見下ろされる格好になる。

 この人が、西将の正捕手にして不動の四番打者。全国ナンバーワンのキャッチャーと言われる、高山さんか。

「まさかそれで、インコースを封じようってか」

「……そんなこと、相手のキャッチャーに教えるわけないでしょう」

 イガラシは、素っ気なく返答した。

「さっきの一番バッターといい、やることが姑息じゃありませんか。甲子園優勝チームらしく、正々堂々と勝負しましょうよ」

 屈んでマスクを被り、高山は「甘いなぁ」とうそぶく。

「きみは分かってない。これぐらいの言葉の駆け引き、全国大会ではフツウよ。ま……月岩のを演技と見破ったことは、褒めてあげてよう」

 さっそく注意点が見つかったな、と胸の内につぶやく。短気な丸井さんや井口あたりが、高山の挑発に乗って、我を失ってはかなわない。

 しっかし、おしゃべりなキャッチャーだこと。こんなやつに谷原は……む、まてよ。

「た、タイム!」

 一旦打席をはずし、スパイクの紐を直すふりして、イガラシは考え込む。

 そうだ。この人、あの谷原に勝ってるんだ。うまくノセておけば、ひょっとして谷原攻略のヒントをしゃべってくれるかも……

「おいボーズ、なにを笑うとんのや」

 背中越しに、高山が覗き込んでくる。

「谷原には効きましたか」

「はぁ?」

「こうやって挑発して、集中を切れさせる戦術。こんなテに、あの谷原が引っかかって負けたとは、思いたくないんスけど」

 アハハハ、と相手は高笑いした。

「まさか谷原を倒そうとか、思ってんのか。そら夢見るのは勝手やけど、おたくら……やっとシードを獲ったばかりの新興チームなんやろ。ちぃと身の程知らずなんちゃうか」

「じゃあ、試してみますか?」

「な、なんやて」

「九回まで戦って、それでもぼくらが身の程知らずなのかどうか、試してみますかって聞いてるんですよ。高山さん」

 さすがに怒り出すかと思ったが、高山は「フフフ……」と不敵な笑みを浮かべる。

「イガラシ君とか言うたな。おたく一年坊のわりに、エエ根性しとるやんけ」

 その時、アンパイアが「んん、オホン!」と大きく咳払いした。

「きみぃ、おしゃべりがすぎるぞ。イガラシ君の言うように、他校の選手をからかうなんて、スポーツマン精神に反するんじゃないかね」

「そ、そんなぁ人聞きの悪い。からかおうなんて思っちゃいませんよ。せっかくの機会ですし、他府県の選手とも交流しようと」

「いいから、さっさと始めたまえ。みんな待ちくたびれているようだよ」

「へ……あっ」

 内野に目を移すと、他の西将ナインが、高山を睨んでいた。

「こら高山。いつまで、油売っとんのじゃ」

「早くおっぱじめんかい。正捕手のくせに、ピッチャーの肩を冷やすつもりか」

 傍らで、つい吹き出してしまう。

「ヘイヘイ、分かりましたよ。ったく……しんぼうの足らんやつらめ」

 イガラシが打席に入り直し、ようやくプレイが掛かる。

 初球、スピードのあるボールが胸元に投じられた。当てられてもいいつもりで、その軌道を最後まで追う。変化はせず、そのまま高山のミットに飛び込む。

「ほぉ……のけ反らなかったな。しかし真っすぐでよかった。あいつのボール、けっこう球質重くて、当たると痛いんだぞ」

 高山が愉快そうに言った。イガラシは無視して、その場で軽く素振りする。

「む。返事もしないとは、ええ度胸やないの……はっ」

 アンパイアがまた咳払いする。

「きみぃ、そろそろ指導者に報告だぞ」

「そ、それだけはカンベンを。うちの監督、ほんとおっかないので」

 二球目と三球目も、速球だった。インコースの高めと低め。いずれも決まり、ツーストライク・ワンボール。

 ふん。三球目とも内角ということは、最後は外で仕留めるつもりだな。あるいは俺の体格からして、最後も内で詰まらせようってハラなのかも。いや、まてよ……

 四球目。またもスピードのあるボールが、インコース低めに投じられた。途中までは速球の軌道。しかしホームベース手前で、膝元を抉るように曲がる。

 やはりシュートか、思ったとおりだぜ。

 左足をやや外に開き、バットを振り抜く。手応えがあった。よし、レフト線……と思いきや、西将の三塁手がジャンプ一番、グラブに収める。

「くそっ、捕られちまったか」

 引き返しながらバットを拾い上げると、背後から「やるやないか」と声が降ってくる

「気づいてたんやろ。おたくらのバッテリーが、さっき一番の月岩を打ち取った時と、同じ配球やって」

「はて、なんのことでしょう。ただ来た球をねらっただけですよ」

 とぼけて見せると、高山は黙って肩を竦める。

 イガラシは踵を返し、ベンチへと向かう。その途中、次打者の丸井が「おしかったな」と声を掛けてきた。

「スミマセン。出塁するか、もっと投げさせなかったんですけど、どっちもできなくて」

「しかたねぇよ。ありゃ、向こうの守備がうますぎたんだ。それより……やたら相手のキャッチャーに絡まれてたけど、だいじょうぶか?」

 あっそうだ、と思い出す。これは丸井にこそ伝えなければならない。

「ええ。丸井さん、気をつけてください。あのキャッチャー、わざとシャクに障ることを言って、こっちの集中を切らそうとしてきます。挑発にのらないように」

「心配すんなって。なんとかとケンカは、江戸の華って言うだろ?」

 丸井の気楽な物言いに、イガラシは「あっ」とずっこけた。

 

―― 二番セカンド、丸井君。

 アナウンスと同時に、墨谷の二番打者が右打席へと入ってくる。まるでおにぎりのような顔立ちに、思わず吹き出してしまう。すると、相手が振り向く。

「え……な、なにか?」

 高山は、やや困惑した。その丸井という打者が、こちらを睨み付けてきたからだ。

「ボク、まだなにも言うてへん」

 おどけると、丸井は「けっ」と反転し、バットを短めにして構える。

 笑ったせいかと思ったが、やがて違うと気付く。あのイガラシという少年に、色々と吹き込まれたのだろう。

 ちっとも嫌な気はしない。むしろ、とても愉快な気分だ。

 ホームベース手前にしゃがみ、高山はサインを出す。マウンド上の宮西はうなずき、投球動作へと移る。

 初球は、真ん中低めから膝元に喰い込むシュート。丸井は振り抜いたが、ファールチップとなった。ボールがバックネットへ転がっていく。

「ああ、くそっ……読みどおりだったのに。さすがにキレてるな」

 丸井は空を仰ぎ、悔しそうに顔を歪める。

 オイオイ。ちょっとずれただけで、タイミング合うとるやないか。このシュート、甲子園でも初見で当てられたやつ、なかなかおらへんかったのに。さっきのイガラシといい丸井といい……このチーム、けっこう鍛えられとるぞ。

 二球目と三球目は、内外角へ速球。いずれもボール一個分外したが、丸井はバットをぴくりとも動かさない。明らかに自信を持って、見送られる。

 選球眼もあるんやな。ダテにうちらの対戦相手として、選ばれたわけやないってことかい。

 三球目。高山は、スローカーブを要求した。

 スピードボールを続けた後の遅い球に、丸井は体勢を崩す。しかし残したバットの先で、カットしてしまう。

「丸井さん、ナイスカット!」

 三塁側ベンチから、あのイガラシが掛け声を発した。

「練習の成果、ちゃんと出てますよ。喰らいついていきましょう」

 後輩の励ましに、丸井は「おうよっ」と応える。

 四球目。高山は、さっきよりも内側にシュートを要求した。相手打者のバットが回る。よし、空振りだ……と思った瞬間、乾いた音が鳴る。

 速いゴロが、二遊間を襲う。あわや抜けるかと思われたが、二塁手の平石が逆シングルで捕球し、一塁へ送球。丸井はヘッドスライディングを敢行したが、間一髪アウト。

 やれやれ、また守備にたすけられたな。にしても内に喰い込んでくるボールを、よく反対方向へ打ち返したもんだ。そういう練習をつんでるんやろな。この墨谷ってチーム、思ったより手ごわいぞ。

―― 三番センター、島田君。

 次打者は、前の二人より上背がある。それでも長身の高山と並べば、どうしても見下ろされてしまう。

 その島田は、右打席に入る。初球、高山はまたもシュートを要求した。真ん中から胸元に曲がるボールを、相手は空振りする。

 こいつは、タイミング合うてへんな。シュートをあと二球続ければ……むっ。

「タイム!」

 島田はアンパイアに合図すると、一旦打席を外した。そして左打席に移る。

 なんや。この島田ってやつ、スイッチヒッターかい。たしかに左打席の方が、シュートには合わせやすい。ふふっ……いろいろと、やってくれるでねぇの。

 マウンド上の宮西が、「どうします?」と言いたげに首を傾げる。高山は構わず、再びシュートのサインを出した。

 ひるむんやない。ここで引いたら、向こうの策に屈したことになるぞ。それはあかん。おまえ、次期エースやろ。だったら意地見せて、チカラでねじ伏せんかい。

 宮西はうなずき、二球目を投じた。それが真ん中へ入ってきてしまう。

 う……甘い、と高山は顔をしかめた。島田のバットが回り、快音が響く。ライナー性の打球が左中間を襲う。中堅手ダッシュし、飛び付く。

「……アウト!」

 二塁塁審が、大きく右手を突き上げる。中堅手が飛び付いたグラブの先に、ボールが収まっていた。好守備に、またもスタンドが沸く。

 高山は吐息をつき、小走りにベンチへと向かった。

 あぶなっ。結果は三者凡退だが、ぜんぶヒット性。少し間違えりゃ、二点くらい取られてもおかしくない内容やないか。こら、あんがい……手こずるかも。

 

 

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【野球小説】続・プレイボール<第15話「思わぬ知らせの巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第15話 思わぬ知らせの巻
    • 【登場人物紹介】
    • 1.速球対策!
    • 2.名監督登場
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 


 

 

第15話 思わぬ知らせの巻

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【登場人物紹介】

 

大田原:現・東京都高野連会長。原作『キャプテン』では、全国中学野球連盟の委員長を務めていた。かつて地区大会決勝で、規則違反を犯した青葉学院に対し、墨谷二中と再試合を実施させるという英断を下した。僧のような頭と口元の白髭が印象的な、威厳ある人物。

 

中岡:小説オリジナルキャラクター。大阪の名門・西将学園の監督。春の甲子園において、準決勝で谷原を熱戦の末下すなどして、優勝を果たした。年齢は四十台半ば。インテリ然とした眼鏡が印象的な知将である。

 

1.速球対策!

 

 翌、月曜日の墨高グラウンド。

 校舎の時計は、ちょうど四時半を差す。キャプテン谷口は、通常のメニューを一通り消化した後、一旦ナイン達を集合させた。

「昨日に続いて、これから谷原の村井、東実の佐野を打つための特訓を行う」

 円座の中央で、谷口はそう開口一番に告げる。

「なるべく一人当たりの量を増やしたいので、二グループに別れてもらう。レギュラー陣には俺が、控えメンバーには松川が、それぞれ打撃投手を務める」

 キャプテン、と加藤が問うてくる。

「今日もレギュラー組は、三メートル短くするんですか?」

「もちろんだ」

 そう返事すると、加藤は溜息混じりに言った。

「き、キャプテンだって……十分速いと思いますけど」

 加藤の真向かいで、戸室が「まったくだ」と同調する。

「俺なんて、ぜんぜんボール見えなかったもんね」

「……あの、キャプテン」

 おずおずと挙手したのは、島田だった。

「昨日のミーティングでは、全員打てなくてもいいって話だったじゃないですか。打ち返す力量のない者は、バントで揺さぶったりファールで粘ったり、いろいろ工夫した方が効率的じゃありませんか?」

「いや、それはダメだ」

 谷口は、きっぱりと答えた。

「島田、それにみんなも聞いてくれ。ここは大事なトコなんだ」

 語気を強めて言うと、周囲は静まり返る。

「俺はきのう、谷原戦はわれわれの勇気が試されると、言ったはずだ。つまり、最初から打てないと思っていては、勝負にならないということだ。同じ凡打でも、打つつもりで打席に入ったのとそうじゃなかったのとでは、相手に与える印象がまるでちがう」

「キャプテンに賛成です」

 イガラシが、淡々とした口調で言った。

「べつに小細工を否定するわけじゃありませんがね。ただピッチャーの立場から言わせてもらえば、打力のないチームにそれをやられても、ぜんぜん脅威じゃないんですよ。ぎゃくに自信のなさを見透かされて、調子づかせちゃうだけかと」

「まあ、そういうことだ」

 谷口が微笑んで言うと、島田は「分かりました」とうなずいた。

「け、けどよ谷口」

 割って入ったのは、横井だった。まだ腑に落ちないらしい。

「あれだけのピッチャーだぞ。バントしたりファールで粘ったりだって、それなりに鍛錬を積まなくちゃできねぇと思うが」

「うむ。そのとおりだ」

「お、おうっ」

 谷口があっさり認めると、横井は拍子抜けした顔になる。

「ありがとう横井。いろいろ意見を出してくれて、たすかるよ」

 素直に気持ちを伝えた。

 この頃、横井はチームのことを考えて、よく動いてくれている。昨日のミーティングでも、音頭を取ったのは彼だ。上級生としての自覚が出てきたのだろう。全体を指揮しなければならない谷口にとって、とても心強かった。

「よ、よせやい。ただ思ったことを言ったまでさ」

 言葉とは裏腹に、横井はにやけ面だ。戸室がじとっとした目を向ける。

「しかし、心配には及ばんよ」

 声を明るくして、谷口は答える。

「全体練習の締めくくりに、毎日シートバッティングを組み込む。小ワザの練習は、その時にすればいいんだ。もちろんピッチャーには本気で投げてもらう。どうせなら、より実戦に近い形でやった方が効果的だろう」

「あ……けっきょく、両方やるってことね」

 横井のずっこける仕草に、周囲から笑いがこぼれた。

 ほどなく、ナイン達はレギュラー組と控え組に別れ、特訓の準備に取り掛かった。打者とその後続一人、バッテリー以外のメンバーは、グラブを持って球拾いに回る。

「松川、ちょっといいか」

 控え組の特訓へ向かおうとする後輩を、谷口は呼び止める。

「今日から、カーブも混ぜろ。松川から見て、まるで対応できていない者は、どんどん素振りを命じていい。基礎のできていない者が、いくら打っても無意味だからな」

「は、はい」

「じゅうぶん対応できている者は、レギュラー組に行かせてくれ。数人でも打力のある者を増やしたいし、こっちのメンバーの刺激にもなる」

「分かりました」

 谷口は「頼むぞ」と言い置き、マウンドへ駆ける。

 ホームベース奥では、倉橋が捕手用プロテクターを装着していた。谷口はマウンドに上り、軽くスパイクで足元を均す。三メートルも縮めると、まるで至近距離の感覚だ。

 倉橋は準備を終えると、すぐに屈んでミットを構えた。

「よし。いつでも来い」

「おうよっ」

 ボールを握り、投球動作へと移りかけたが、ふと思い至り手を下ろす。

「どうした?」

「さ、最初は……軽くいこうか」

 気遣ったつもりだったが、倉橋に「ばかいえ」と突っ返される。

「んなコトしてたら、日が暮れちまうわ。何年キャッチャーやってると思ってんだ。肩ができてるのなら、すぐ全力で投げろ」

「わ、分かったよ」

 谷口は振りかぶり、全力の真っすぐを投じた。それを二球、三球と繰り返す。ズバン、ズバン……と迫力ある音が鳴る。

 ホームベース横で素振りしていた丸井が、「ひゃあっ」と感嘆の声を発した。

「さっすが倉橋さん。こんな近くでも、カンタンに捕っちゃうんですね」

「おい、ずいぶん気楽そうに言ってくれるな」

 倉橋は苦笑いした。

「こちとら一球一球、必死よ。ただでさえ谷口のやつ、最近またスピードが増してきてるからな。このまえ肘を傷めて、一時ボールを放らなかったのが、かえって幸いしたらしい」

「なるほど、ケガの功名ってやつスね」

 呑気に返事した丸井だったが、ひとたび打席に立つと、やはり真剣な面構えになる。

「お願いします!」

 挑むような眼差しが、なんとも頼もしい。

 谷口はまたも全力で、ど真ん中へ速球を投じた。丸井のバットが回り、パシッと快音が響く。ライナー性の打球がセンター方向へ飛ぶ。

 さすがレギュラーの一番打者だな、と胸の内につぶやく。特訓二日目にして、もうスピードに目が慣れてきている。

「当てにいってるぞ」

 それでも、谷口はあえて注文を付けた。

「バットは振り抜け。真っすぐだと分かっているからミートできるが、変化球も混ぜられたら、このスイングじゃ対応できないぞ」

「はいっ」

 丸井はめげる様子もなく、再びバットを構える。二球目も、ど真ん中の速球。今度は、速いゴロが三塁方向へ飛んだ。

「あちゃあ、引っかけちまったい」

 唇を歪める後輩に、谷口は「悪くないぞ」と声を掛けた。

「へっ、そうなんですか?」

「うむ。たしかに引っかけたが、打球はいまの方が速かったろう。これが試合なら、三遊間を破っていたさ。しっかり振り抜けた証拠だ」

「ありがとうございます。ただ……いまのは打つポイントがまえすぎたので、もっと引きつけてみますね」

「いいぞ丸井。そうやって調整していけば、だんだんタイミングが分かってくる」

 しかし三球目、四球目は振り遅れてしまい、小フライとなった。球拾いに回っていた横井が、難なく捕球する。

「イテテ……ちょっとでもタイミングがずれると、こうなっちゃうんだから」

 痺れる手を振りながら、丸井が悔しげに空を仰ぐ。

「始めはそんなものさ。ほれ、どんどんいくぞ」

 後輩を励まし、谷口はまた振りかぶる。

 それから六球。丸井は、振り遅れたり引っ掛けたりを繰り返し、なかなか思うようなバッティングができずにいた。

「……よし。ラスト一球」

「えっもう、終わりですか」

 丸井は驚いた声を発した。

「なに。一人十球だから、またすぐ順番が回ってくるさ」

 そう言って、谷口はすぐに十球目の投球動作へと移る。丸井がバットを振り抜く。

 バシッ。鋭いライナーが、センター方向へ伸びていく。外野の島田が懸命に背走し、飛び付くが、その数メートル先でバウンドした。フェンスに当たって跳ね返る。

「ナイスバッティング!」

 褒めると、丸井は照れた顔になる。

「いやぁ。たった一本じゃ、まだまだですよ」

「む、その意気だ」

 この後、他のメンバーも交替ずつ打席に立った。さすがにレギュラーなだけあって、始めの数球こそ手こずるものの、段々とヒット性の当たりが増えていく。次回からは、コースに投げ分けたり変化球を混ぜたりして、もう少し難易度を上げても良さそうだ。

 視線をグラウンドの奥へと移す。ちょうど、松川がカーブを投じたところだった。打席には、一年生の岡村が立つ。そのバットが、あっけなく空を切る。

 谷口は、ひそかに溜息をついた。

「岡村、おまえも外れてろ」

 松川に怒鳴られ、岡村は肩を竦めた。そして、すごすごとキャッチャーの背後へ下がり、素振りを始める。バッティングから外されたのは、これで四人目のようだ。

 岡村は代走か、守備固めかな。肩といい脚といい、持っている能力はすばらしいが、いかんせん変化球に弱すぎる。当てるのがやっとじゃ、レギュラーは厳しいぞ……

 実力者揃いの一年生だが、こと変化球への対応という点で、バラつきが目立つ。イガラシや久保、井口のようにさほど苦にしない者と、そうでない者との差が開き始めている。概ね順調なチーム作りにおいて、数少ない誤算の一つだった。

「お願いします」

 イガラシが打席に入り、軽く会釈する。

「む。いくぞっ」

 一声掛け、谷口はさっきまでと同様に、ど真ん中へ速球を投じる。イガラシが鋭くバットを振り抜いた。

 ドンッ。まるで閃光のような打球が、ノーバウンドで外野フェンスを直撃する。

 二球目、三球目と続けるが、結果は同じだった。いずれもフェンスの一番深い場所へ打球が飛んでいく。

「す、すげぇな」

 マウンドの数メートル後方で、横井が目を丸くした。

「あいつ、まるで一年の時の谷口を見ているようだぜ」

「そ、そうだっけ」

 当人に視線を戻すと、涼しい顔で足元を均している。

「イガラシ。ちょっと」

 呼んでみると、相手は「はい?」とまなじりを上げた。

「どうも、おまえにはカンタンすぎるようだ。もっとコースに散らしていいか」

「あ……そうですね。お願いします」

 投球動作に移ろうとした時、ふいに「キャプテン」と呼ばれる。

「どうした?」

「できれば、スローボールも混ぜてもらえますか」

 ほぉ……と、思わず吐息をつく。面白い提案だと思った。

「なるほど。緩急をつけられても、ちゃんと対応できるようにってことか」

「ええ、泳いだり振り遅れたりしないように」

 谷口は振りかぶり、早速スローボールを投じた。

「……くっ」

 さすがにイガラシは体勢を崩したが、それでもバットで掬うようにして、センター方向へ打ち返す。ボールは島田の前で、ワンバウンドした。

「ほう。よく最後まで、バットを残したな」

 倉橋が感心げに言うと、イガラシは首を横に振る。

「いえ……こんなに体勢を崩されちゃ、ダメです」

 その返答に、倉橋は「言うねこいつ」とでも言いたげに、谷口と目を見合わせる。

 続く五球目は、一転して速球を内角高めに投じた。これは僅かにずれ、ファールボールがバックネットに当たる。

「スイングは悪くない。あとは、タイミングだな」

 一言だけアドバイスすると、イガラシは「はい」とうなずいた。

 六球目と七球目は、内外角の低めを突く。これはきっちり捉えて、それぞれレフト線とライト線へ低いライナーを弾き返した。

「ううむ。これだと、いい内野手には捕られちゃうな」

 本人は満足できないらしく、一旦打席を外し二、三度素振りする。

 このイガラシに加え、井口そして久保。中学時代より馴染みの者が、練習試合や紅白戦で結果を残し、レギュラーを手中に収めつつある。

 経験って大きいのだなと、谷口は納得した。イガラシ達は、中学の地区予選決勝や全国大会で、力のある投手としのぎを削ってきている。他の一年生に足りないのは、まさにその部分だ。こればかりは、今すぐどうにかできるものではない。

「よし、あと三球だ」

 そう言って、谷口は再びスローボールを投じる。

 イガラシは、体勢を崩さず振り抜いた。今度はレフト方向へ、ボールが伸びていく。そして、またもダイレクトでフェンスを直撃する。

「へへっ。いまのは、ちゃんと振り抜けたぞ」

 やっと満足げに笑い、イガラシはすぐにバットを構える。

 ラスト二球は、速球とスローボールを投じた。いずれもジャストミートされる。一球はセンター、もう一球はライトのフェンスを直撃した。

「あれまぁ、けっきょく同じでねぇの」

 横井があんぐり口を開け、呆れたように笑う。

「さすがだな。もう、タイミングをつかんだのか」

 谷口は、微笑んで言った。

「い、いえ……その」

 グラブを拾い上げると、なぜかイガラシが気まずそうな顔になる。

「なんだよヘンな顔して」

「言いにくいんですけど。なに投げるか、フォームで丸分かりでした」

 後輩の一言に、思わず「あらっ」とずっこける。

「それより、あれ……だいじょうぶスかね?」

 イガラシは冷静な口調で、グラウンド奥を指差す。

「……ああ、マズイな」

 控え組を見ると、素振りメンバーが五人に増えてしまっていた。つい溜息が漏れる。

「なぁ谷口」

 倉橋がマスクを取り、立ち上がった。

「いま素振りしてるやつら、こっちに呼んだらどうだ。まずスピードに慣れさせて、真っすぐだけでも打てるようにするのが、早いかもしんねぇぞ」

「む、そうするか」

 首肯すると、イガラシが「ぼく呼んできます」と気を利かせる。

「ああ頼む。ついでに、しばらく控え組に混じって、ちょっとアドバイスしてやってくれ」

 後輩は「えっ」と戸惑いの声を発した。

「そんな、悪いですよ。先輩をさしおいて」

「ヘンな遠慮するなよ。おまえらしくもない」

 そう言って、谷口は笑った。

「いつも個人練習の時、みんなイガラシの話を聞きたがるじゃないか。あれと同じように、思ったことを伝えてくれればいい。俺としても、なかなか手が回らないから、その方がたすかる」

「……分かりました。キャプテンが、そう言うのなら」

 イガラシはうなずくと、グラウンド奥へ駆けていく。

「ははぁん、読めたぜ」

 マスクを被り直し、倉橋がおどけた口調で言った。

「な、なんだい倉橋」

「イガラシのリーダー性を見込んで、いまのうちから英才教育してやろうってか」

「まさか。とてもじゃないが、そこまで考える余裕はないさ」

 本心だった。先のことまで見通す余裕は、まったくない。

 昨日、墨高野球部は大きな決断を下した。谷原に勝つため、エース村井の勝負球をあえて狙い、打ち崩すと。そう腹は決まったものの、不安はある。

 しかし、もう引き返すことはできない。

 チームの雰囲気は良い。この様子なら、ナイン達は来るべき決戦の時まで、懸命に取り組んでくれるはず。だからこそ、自分達のやってきたことが間違いではないという確証、それが持てるあと一押しが欲しい。

 初夏の空を仰ぎ、谷口は僅かに首を傾げた。

 

2.名監督登場

 ここは神宮球場より数キロの地点にある、東京都高野連事務局の一室である。

 会長用デスクの手前には、二対の来客用ソファとテーブル。壁付けのショーケースには、優勝旗や記念盾、賞状等が所狭しと並べられている。

 

 ファイルを積んだデスクに向かい、東京都高野連会長・大田原は、しばし瞑目していた。傍らでは、若い男性職員が受話器を片手に、相手方と話し込んでいる。

「……はぁ、ダメ。ご都合がつかないと。わ、分かりました」

 受話器を置き、職員は溜息をつく。

「か、会長。明善高さんも、招待野球には出られないとのことです」

「むう……いよいよ、これは由々しき事態ではないか」

 口元の白髭をひと撫でして、大田原は唸る。

「きみぃ、分かってるのかね。これは伝統ある都高野連の、名誉に関わるのだぞ。広陽と西将学園、いずれも有名校だ。こっちから招待しておいて、対戦相手が見つかりませんなんて、そんな言い訳通るはずなかろう」

 つい口調がきつくなった。

「そ、それは承知しているのですが」

 職員がしどろもどろになったので、さすがに気の毒になる。

「ああスマン。君を責めるのは筋違いだったね……しかし、話がちがいすぎる。前任者は、各校関係者から首尾よく返事がもらえたと言っていたが」

 大田原は、前年まで全国中学野球連盟の委員長を務めており、高野連に携わるのは今年度からである。その最初の大仕事が、この年からスタートする招待野球の実施だったが、いきなり暗礁に乗り上げてしまった。

「は、はぁ。それは高野連加盟校の責任者による定例会で、各校の指導者の方々から、たしかに『よろこんで出場します』とお約束いただいたのですが」

「書面による確約は、取りつけたのかね?」

 眼鏡越しの鋭い眼光が、職員に向けられる。

「はっ。し、書面ですか」

「わしが連日、なにをしていると思う。加盟校による招待野球出場を承諾する旨の書類をずっと探しているのだが、見当たらんのだ」

「……そ、それは」

「まさか口約束だけで、すませちゃいないだろうね」

「も、申し訳ありません」

 やはり……と、大田原は僧のような頭を抱えた。

「きみぃ。これは、基本だぞ」

 溜息混じりの声になる。

「この頃のアマチュアスポーツには、なんでも勝ちゃいいという風潮がはびこっておる。残念なことだが……われわれは、その現実を踏まえたうえで、事を運ばにゃならんのだよ」

 若い職員は、うなだれて肩を竦めた。

「都のレベルアップを図るために、他府県から有力校を招いて強化試合を行う。たしかに試みとしては、素晴らしい。しかし……目先の勝ちにこだわる学校は、偵察されるのを恐れて、とくにこの時期は出たがらないものだよ」

「な、なるほど」

「聞くところによれば、学校によってはメディアの取材さえ、断るところもあるそうだ。まったく嘆かわしいかぎりだが……しかし、グチってもいられない。こちらには、招待した側としての責任があるのだから」

 そう言って、大田原は立ち上がる。

「出かける。君は、車を回してくれたまえ」

「え……会長、どちらへ?」

「決まっておろう。谷原以外の、都内有力校へ順々に出向く。こうなったら、わしが直々に頭を下げるしかあるまい」

 その時、扉がノックされた。

「はい、どうぞ」

 仕方なく、大田原は一旦椅子に腰掛ける。

「失礼します」

 扉が開き、女性職員が顔をのぞかせる。こちらも若い。

「会長、あの……西将学園の中岡監督が、お見えになっています」

「なにぃっ。せ、西将の」

 よりによって……と、大田原は眉間にしわを寄せた。西将学園は、来る日曜日に試合する予定だ。その表敬訪問だろうが、まさか相手が決まっていないとは言えない。

「じ、事前に連絡は受けとらんが。いま立て込んでいると伝えてくれんかのう」

 大田原が苦しい言い訳をすると、扉の奥から快活な声が聴こえてきた。

「そうカタイことおっしゃらないでくださいよ」

 紺のスーツに眼鏡を掛けた、いかにもインテリ然とした男が姿を現す。

「大田原先生、ご無沙汰しております」

 その男、西将学園野球部監督・中岡は、思わぬ言葉を発した。

「む……ああ、きっ君は」

 相手の面影に、見覚えがあった。

「な、中岡君じゃないか」

「やっと思い出していただけましたか」

 中岡は、大田原が中学校で指導していた頃の、教え子だった。

「いやぁ……あの頃はひょろっとして、目立たない子だったからな。いまと、まったく雰囲気がちがっておる」

「ははっ、懐かしいなぁ。同期のやつらに、よくモヤシだとからかわれたものです」

「しかし……わしもウカツだったよ。いまや天下の名将・中岡監督が、あの中岡君だと、いまのいままで気づかなんだ」

「よしてくださいよ。私など、まだまだです」

「なにを言うとるかね。今回の優勝で、もう春夏合わせて三度目だったろう。西将の名は、いまや全国に轟いておろう」

「ははっ恐れ入ります。お褒めの言葉、ありがたく受け取りますよ」

 中岡を来客用のソファに座らせ、大田原も真向かいに腰を下ろした。ほどなく、女性職員が二人分の茶を運んでくる。

 椀の茶を一口すすり、中岡は「ところで先生」と切り出した。

「まだ我々の相手がどこか、連絡をいただけていないのですが」

 大田原は、あやうく茶を吹きそうになる。

「そ、それについては……明後日に連絡する予定なんだが」

「おやおや。先生にしては、歯切れがよろしくありませんね」

「そうかね? まあ、わしも年を取ったもんでな」

「先生……この期に及んで、隠し事はナシですよ。先生と私の仲じゃありませんか」

 ふふっ、と中岡は含み笑いを漏らした。

「おおかた招待野球への出場を、有力校に渋られているのでしょう」

 ずばり言い当てられ、露骨なほど咳き込んでしまう。

「だいじょうぶですか?」

「……う、うむ」

 もはや観念するほかない。大田原は、潔く認めることにした。

「君の言うとおりだ。中岡君、申し訳ない」

 テーブルに両手をつき、深く頭を下げる。

「いや、先生どうか気に病まないでください。なにせ初めての取り組みですから、いろいろ調整が難しいだろうというのは、想像つきますよ」

「ありがとう中岡君。しかし、こちらの手落ちであることに変わりない。もちろん君達には、けっして迷惑をかけないと約束する」

 ふと見ると、男性職員が大田原の斜め後方で、物言いたげな顔をしている。

「どうしたのかね?」

「じつは、その……まだシード校で連絡していないチームがありまして」

「な、なんじゃとっ」

 つい語気が強くなり、咳き込んでしまう。

「だいじょうぶですか?」

「……か、かまうな。それでどこの学校だね」

「し、しかし……そこは甲子園に出たことがなく、部員数も二十名ちょっとだけです。そんなチームを、西将学園さんのような名門校に当てるのは、失礼ではないかと」

 その時、中岡が「ひょっとして」と割り込んでくる。

「墨谷、という学校じゃありませんか?」

 大田原と職員は、同時に目を向ける。

「中岡君。どうして、墨谷のことを」

「ははっ先生、我々を見くびってもらっちゃ困りますな。知ってのとおり、うちは全国優勝を期待されるチームです。甲子園でライバルになりそうな他地区の動向は、常にチェックを怠りませんよ」

「な、なるほど」

「それと……じつは午前中、何校かあいさつ回りをさせていただきましてね。時期柄、やはり地区予選の展望についての話題になりましたよ」

「では、その時に聞いたのだね?」

「ええ。各校の指導者は、口を揃えて“ダークホースは墨谷”とおっしゃっていました。うちと春の甲子園で戦った、谷原の監督さんに至っては、『底知れぬ可能性を秘めたチーム』だと評しておられましたよ」

 ふと大田原の脳裏に、予感めいたものが閃く。

「君。わしのデスクに、選手名簿のファイルはあるかね?」

「は、はぁ……こちらに」

 職員に手渡されたファイルをめくり、墨谷の頁を開く。そして、大田原は「ほうっ」と声を発した。

 名簿の一番上に、懐かしい名前があった――「キャプテン・谷口タカオ」と。

 やはりあの子か……と、胸の内につぶやく。かつて新聞記者とともに自分を訪ねてきた、純朴そうな少年の顔が浮かぶ。

「おや。谷口タカオ君といえば、あの墨谷二中の元キャプテンじゃありませんか」

 中岡がファイルを覗き込んでくる。

「知っているのかね?」

 大田原は驚いて、問い返した。

「もちろんですとも。三年前でしたか……青葉の不正に端を発した、中学選手権の決勝戦再試合。当時かなりニュースになっていましたから。それが先生のご英断によるものということも、ちゃんと耳にしていますよ」

 愉快そうに、中岡が答える。

「それと、うちにも青葉学院出身の子が、何人かいましてね。なにせ前代未聞の出来事で、さらに試合も激闘だったからか、未だに語り草となっているのですよ」

 傍らで、職員が「どういたしましょう」と尋ねてくる。

「やはり、ここは墨谷に」

「待ちたまえ。いくらわしと縁があるからといって、だから墨谷をあてがうというのは、さすがに安易じゃぞ」

 早まる職員を、大田原は制した。

「君が案じていたように、墨谷はまだ力量不足だ。あまりに一方的な試合となってしまっては、招待する側として失礼だからな」

「ハハハッ」

 ふいに中岡が、高笑いする。

「先生、そんなことを心配しておられたのですか」

「ど、どういう意味だね?」

「ここ数年、われわれと互角に戦えたのは、強打の谷原と試合巧者の箕輪だけです。それ以外のどこが出て来ようが、大して結果はちがわないと思いますよ」

 傲岸な言葉だが、大田原は何も言い返せない。けっして思い上がりではなく、それは事実だからだ。

 中岡は、ちらっと腕時計に目をやり、立ち上がった。

「さて、少々長居しすぎたようです。この後も予定がありますので……そろそろ」

 こう告げて、両手を差し出す。

「うむ。君も、さらなる活躍を期待しているよ」

 大田原も立ち上がり、元教え子と固く握手を交わす。

「はっ。では先生、お元気で」

 中岡を見送った後、大田原は一旦自分の席に戻る。しばし瞑目して、考え込む。束の間の沈黙。時計のカチカチという音だけが、静かに響く。

 やがて大田原は目を見開く。職員に顔を向け、短く伝えた。

「……きみ。電話を、墨谷にたのむ」

 

 シートバッティングの後、谷口はナイン達に素振り百回を命じた。円の隊形になり、お互いバットが当たらないよう約五メートルずつ感覚を空ける。

「みんな、ただ漫然と振るんじゃないぞっ」

 自分もバットを振りながら、全体に指示していく。

「どのボールをねらうのか。あるいはランナーがどこにいて、カウントはいくつなのか。そういう具体的な状況をイメージするんだ」

 ナイン達は、力強く「はいっ」と応えた。

 ふと斜め前方に目をやると、井口がブツブツとつぶやきながら、バットを振っている。どうやら高め、低め、内外角とコースを打ち分けているようだ。

「おい井口」

 谷口が一声掛けると、井口は「はっ」と驚いた顔になる。

「な、なんでしょう」

「いまどんなことを考えてたか、教えてくれ」

「ああ……そ、それは」

 やや戸惑いながらも、井口は答えた。

「ノーアウト一塁で、ヒットエンドラン。それが相手に読まれたっていう場面です」

「……ほう。続けてくれ」

「はい。なので高めに外されたタマを、上から引っぱたく。もしくは低めに落とされたのを、なんとか転がす」

「なるほど、いいぞ井口。かなり実戦をイメージできてるじゃないか」

「ど、どうも」

 照れた顔で、井口はうつむき加減になる。褒められるとは思わなかったらしい。

「ただ……控え組のやつら、おまえらには早いからな」

 倉橋が、そう釘を刺した。

「おまえらは、真っすぐをコースにさからわず、打ち返すことをイメージしろ。腰を入れて、手打ちにならないようにな」

「倉橋の言うとおりだ」

 素振りの手を止め、谷口は同意した。

「物事には、順序ってものがある。焦ってアレコレやっても身につかない。まず自分にできること、すべきことを確実にこなすんだ。けっきょく、それが上達の早道だぞ」

 控え組の一年生達が、素直に「はい」「分かりました」と返事する。

 その時、遠くから「オオイ」と呼ぶ声がした。グラウンドを囲む金網フェンスの向こうから、こちらに駆けてくる影がある。田所だと、すぐに分かった。

 ナイン達の数メートル近くまで来ると、田所は膝に手をつき「あ、あのよ……」と息切れ声を発した。

「息を整えてからでだいじょうぶですよ」

 谷口は、つい苦笑いしてしまう。

「す、すまねぇな……ゼイゼイ」

「そうそう。介抱させられちゃ、かないませんのでね」

 後方で、横井がおどけて言った。怒鳴り返すかと思いきや、田所は「それどころじゃねぇやい」と取り合わない。

 よほど大事な話なのだろうと察して、谷口はナイン達を集めた。バットはベンチの上に並べてさせ、それから小さく円座になるよう指示する。

 呼吸が落ち着くと、田所は切迫した口調で切り出した。

「あ、あのよ……さっき部長と会って、伝言をたのまれたんだ。おまえら急な話で、きっと驚くだろうが、落ち着いて聞いてくれ」

 そこで一呼吸置き、短く告げる。

「ほんの十五分ほど前、高野連から電話があったそうだ。つぎの日曜日……招待野球に、ぜひとも墨谷に出場してもらいたいと」

 途端、ナイン達からどよめきが起こる。

「そ……それは、ほんとうですか?」

 顔が引きつってしまう。谷口自身、にわかには信じられない気持ちだった。

「き、キャプテン!」

 ふいに半田が、すっとんきょうな声を発した。

「つぎの日曜日といったら、相手は……まさか」

「えっ、ああ。そういえば」

 再び田所に顔を向けると、相手はゆっくりとうなずく。

「その、まさかだぜ。相手は、なんと……あの西将学園だ!」

 周囲がもう一度、大きくどよめいた。

 

 

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