南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第2話「イガラシの不安の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※2019.8.2リライト・2019.8.3「続・プレイボール」第2話として再構成)

※前話<第1話「あせるなバッテリー!の巻」> 

stand16.hatenablog.com

 

 

 

 

f:id:stand16:20190713083954j:plain

【目次】

  • ※前話<第1話「あせるなバッテリー!の巻」> 
  •  <主な登場人物>
  • 第2話「イガラシの不安の巻」
    • 1.井口と根岸
    • 2.井口とイガラシ
    •  ※前作「白球の“リアル”」の各話へのリンク

  

 

 <主な登場人物>

 谷口タカオ:三年生。墨谷高校野球部キャプテン。投手兼三塁手。ひたむきに努力する姿勢で、チームを引っ張る。

 

丸井:二年生。谷口の墨谷二中時代からの後輩。情に厚く、面倒見が良い。どんな時にも努力を惜しまない姿勢は、チームメイトの誰もが認める。

 

 

 

イガラシ:一年生。投手兼内野手。天才肌でありながら、努力の量は同じ墨谷二中出身の谷口や丸井にも引けを取らない。

 

井口:一年生。イガラシの幼馴染であり、中学時代には墨谷二中のライバル・江田川中のエースとして、二度に渡り鎬を削った。一昨日の招待野球では、大阪の強豪・西将(せいしょう)学園相手に力投するも、満塁本塁打を浴びるなど七失点を喫した。

 

根岸:一年生。原作には名前のみ登場。リトルリーグ時代には四番打者も務めたスラッガーだが、現在は控えに甘んじている。勝気な性格ながら、キャッチャーらしい冷静さ、観察眼を備えている。

 

www.youtube.com

 

 

 

第2話「イガラシの不安の巻」

  

―― 五月の大型連休最終日。ここ荒川野球場では、墨谷高校と箕輪高校の練習試合が行われていた。

 

 箕輪は、和歌山県屈指の強豪にして、昨年春の甲子園優勝校。今年は初戦敗退を喫したものの、主戦投手を故障で欠きながら、準々決勝まで進んだ広島の代表校相手に延長戦まで縺れ込む激闘を演じ、底力を見せ付けていた。

 

 招待野球で対戦した大阪の名門・西将学園に続き、またも全国トップレベルのチームの胸を借りることとなった墨谷は、この日ついにイガラシが先発のマウンドに上った。

 

 一回表。イガラシは、多彩な変化球と精緻なコントロールを武器に、堂々と箕輪打線に立ち向かう。ヒットは一本許したものの、二つの三振を奪うなど無失点に切り抜ける。

 

 しかし、巧みなバットコントロールと選球眼の優れた箕輪各打者の前に、初回だけで球数は何と三十球。何とも不気味な箕輪というチーム、さらには雲行きの怪しい空模様も相まって、試合は早くも不穏な雰囲気が漂い始めていた。

 

1.井口と根岸

 

「ストライク、バッターアウト。チェンジ!」

 アンパイアのコールが、やたら甲高く響いた。イガラシの投じたチェンジアップに、箕輪の四番・堤野のバットが空を切る。

 井口源次は、大きく吐息をついた。

 すげぇ……箕輪の主軸打者が、掠りもしねぇなんて。大した野郎だ。あれが投球練習を再開して、半月にも満たない奴の投げる球かよ。

「どしたい井口。そんな、呆けた目ぇしやがって」

 傍らで、捕手用プロテクター姿の根岸が、からかうように言った。

「イガラシとは旧知の仲なんだろ。しかも中学の地区大会決勝で、対戦したそうじゃないか。あいつの球、もう飽きるほど見てんじゃねぇか」

 二人は、三塁側ベンチ横のブルペンに立っていた。

 井口は根岸を伴い、ゆっくりながらウォーミングアップを進めている。プレイボールの掛かる直前、キャプテンの谷口から「念のため準備はしておけ」と指示されたのだ。

「……いや。全然、ちげぇよ」

 井口は、つい呻くような声を発した。

「つっても……昨年の時点で、中学レベルでは突出してたがな」

「ほぉ。青葉を完封したおまえが、そこまで言うか」

 吐息混じりに、根岸が相槌を打つ。

「ボールの威力では、俺の方が上だと思う。ただイガラシの場合、相手の弱点を突いたり裏を掻いたり。そういう駆け引きの部分が、並外れているんだ。何せ青葉から四得点した俺達、江田川の打線が、イガラシからは一点も奪えなかったからな」

 苦い記憶が、脳裏を過る。

「けど……そん時と比べても、明らかに違う」

「新しい球種も身に付けたことだしな」

 根岸が、感心しきりにうなずく。

「チェンジアップか。あれもえげつない球だが、それだけじゃねぇ」

 井口は、二、三度かぶりを振った。

「コントロールの良さは元々にしても、スピード、球のキレ、緩急……どれも格段にアップしてやがる。投球練習を再開して、まだ二週間も満たないってのに」

「まぁ、ずっと練習はしてたらしいけどよ」

 根岸の言葉に、思わず「えっ」と声が漏れる。

「……そうなのか」

「あぁ。入部当初……いや、もっと前か。って、何だよ」

 意外そうに、根岸が目を丸くする。

「幼馴染のくせに、知らなかったのか」

 根岸は、かつてリトルリーグで主軸打者を務めたスラッガーだ。ポジションはキャッチャー。墨高野球部の一年生の中では、飛び抜けて長身。がっしりとした体躯の持ち主だ。

しかし、現時点では控えに甘んじている。リトルリーグ時代には未体験だった変化球の対応に苦しみ、まだ本来のポテンシャルを発揮できずにいた。

「俺もたまたまランニングで通り掛かって、知ったんだけどよ。ほら中学校の近く、裏に空き地のある公園があんだろ。ありゃ確か……四月の中頃、谷原戦の前日だったか」

 虚空を仰ぎつつ、根岸は言った。

「とっくに夜の九時を回ってるっていうのに、イガラシの奴、工場の明かりを頼りに、投げ込みをしてやがった。弟の、ええと」

「慎二」

「そうそう、その慎二って弟を相手によ。しかも終わったら、仕上げに十キロのランニングへ行くんだと。ピッチャーでもねぇのに、何でそこまでやるんだって聞いたら……イガラシの奴、何て言ったと思う」

 井口が答えられずにいると、根岸はにやりとして口を開いた。

「『どうせ近々“お呼び”が掛かるさ。俺を内野手専念にしておけるほど、うちの投手陣は盤石じゃないからな』って、あいつ眉一つ動かさずに言いやがった。一年のくせに口が過ぎるぜと、そんときゃ思ったけどよ」

 さもおかしそうに、肩を揺する。

「実際……谷口さんは谷原戦で打ち込まれるわ、片瀬は怪我で一時離脱するわ、おまえの調子が上がらないわ。ほんとに、イガラシの言った通りになってやがる」

 相手の何気ない一言が、なぜか胸に刺さる。

「……わ、悪かったな」

「けどよ。ちょっと、らしくないよな」

 大して意味はなかったらしく、根岸はさっさと話を進めた。

「……へっ。何が、らしくないって」

「投球練習を始めたのは、てっきりキャプテンの指示だと思ったんだが、自分から言ったんだってな。やっぱピッチャーに未練あったのか」

「まさか。あいつに限って」

 率直に答える。どのポジションをやりたいとか、何番を打ちたいとか、そういう私的な感情には拘らない男だ。

 イガラシが拘るのは、ただ……勝つことのみ。

「確かに。その方が、むしろ可愛げがあるんだが」

 根岸は一瞬笑いかけたが、またすぐに口元を引き締める。

「けどよ。俺、どうにも気になるんだ」

「気になるって、何が」

「ピッチャーに戻りたいと言い出したのもそうだが、この頃……あいつ、やたら動きが派手じゃねぇか。新しい球種を覚えたり、怪我上がりの片瀬の練習に付き合ったり」

「む。でも、別に悪いことじゃ」

「ああ、そりゃ構わねぇんだが……らしくない動きをしてるってのは、確かだ」

 根岸は、一度唾を嚥下した。

「この試合だって。井口、おまえも気付いてんだろ」

「……ああ」

 不思議と躊躇いなく、返答していた。

「ボールが良過ぎる」

「だよな」

 我が意を射たりとばかりに、根岸は深くうなずいた。

「いくら格上のチームが相手だからって、飛ばし過ぎだ。ありゃ……終盤、ピンチを迎えた時の投球だ。初回からこの調子じゃあ、あっという間にガス欠しちまう」

 同感だった。確かに、らしくない。

「事情は分かるぜ。相手が選抜出場校で、しかも東実が偵察に来てて、弱みを見せたくねぇってのはよ。にしても、ちょっとムキになり過ぎだろ。公式戦とは違うってことぐらい、イガラシなら重々理解してるはずなんだけどな……あのよ、井口」

 根岸は僅かに首を傾げ、独り言のように言った。

「ひょっとして……イガラシの奴、何が不安なのか、自分でもよく分かってねぇのかも」

 思わぬ言葉に、しばし口をつぐむ。

「不安の正体が分からねぇから、さしものイガラシでさえ焦っちまう」

「……まさか。あのイガラシが、正体の分からない不安に怯えるなんてこと」

「怯えはしないさ」

 今度はきっぱりと、根岸は言った。

「けど……イガラシの場合、何か嫌な予感がするとか、少しでもそういう不安の芽があれば、摘んでおきたいって考えるタイプだろ」

 ほぉ、と吐息が漏れる。

「さすがキャッチャー。知り合って間もねぇのに、あいつの性格よく掴んでるな」

「まあな。そういうわけだから、井口」

 ふいに根岸が、にやっと笑う。

「ウォーミングアップのペース、速めていくぞ」

「はぁ?」

 つい声が裏返ってしまう。

「何が、そういう……まさかこの後、俺の登板も」

「十分あり得ると思うぜ」

 あっさり答えると、根岸はマスクを被り直す。

「この試合、イガラシは本調子じゃない。少なくとも……正常なメンタルでは、臨めていない。こりゃ危ねぇよ」

「いや、でも……試合前のミーティングで、キャプテン言ってたじゃないか。今日の二番手は松川さん、三番手は自分が行くって」

「だから、どしたい。そりゃ予定だろ。三人のうち一人でも打ち込まれたら、もう一人リリーフを送らなきゃなんねぇ。あと投げられるのは、おまえしかいねぇだろ。まさか怪我上がりの片瀬を、急ごしらえで投げさせるわけにもいくまい」

「……もういい根岸。ほっとけ、そんな腑抜け野郎のことなんか」

「ほっとけって、何が……うわっ」

 ふいに根岸が、素っ頓狂な声を発した。

「二人とも、いつまでそこで油売ってんだ」

 振り向くと、背後にイガラシが立っていた。

「とっくにうちの攻撃始まってんぞ。せめて、相手投手の観察くらいしろよな」

 マウンドには、箕輪の背番号「6」の選手が立っていた。井口は、ほぉ……と思わず吐息をつく。

「さっきの三番だろう。おまえのシンカーを打ち返した……確か、児玉とかいう」

「ああ。背番号からして、ショートも兼任なんだろう。ぱっと見、上背はあるが、わりに細身って感じだな。その分、動作がしなやかだ」

 根岸が、こくっとうなずく。

「全身バネって感じだな。当然、打者として警戒しなければならないが……投手もこなすとは。箕輪の、まさに攻守の要ってわけだ」

「おまけに、昨年からのレギュラーらしい。経験も豊富。丸井さん、どこまで粘れるか」

 イガラシはそう言って、視線をグラウンドへと流した。

 三人の眼前。外野フェンスの奥、センターバックスクリーンの中央部分には、ボールカウント表示のライトが灯る。

 バッターボックスには、先頭打者の丸井が、必死の形相でマウンド上を睨んでいた。

 児玉が振りかぶり、右腕をしならせる。その指先から放たれたボールは、打者の手元で小さくも鋭く曲がった。丸井は何とかバットを差し出し、カットする。

「ツーストライク、ワンボール。追い込まれたか」

 井口のつぶやきに、根岸は「こりゃ難しいぞ」と相槌を打った。

「初球の甘い球を見逃しちまった。丸井さん、明らかに焦ってる」

 鈍い音がした。内角高めを突いた直球に、詰まらされる。箕輪の三塁手が「オーライ」とグラブを掲げた。難なく捕球し、ワンアウト。

  イガラシが「振り遅れか」と、ため息混じりに言った。

「驚くほどのスピードじゃないが、球質はかなり重そうだ」

「にしても……今のは、良いコースに決まったな。真っすぐは、明らかにボールだったり、甘く入ったりして、そこまでコントロールは良くなさそうだが。偶然か」

 傍らで、根岸が苦笑いを浮かべる。

「ああいう適当に荒れてるタイプ、結構厄介なんだよな。的を絞りづらい」

「そうだな。おまけに……さっきの速いカーブ、あれは鋭かった。半田さんの話だと、他にも遅いが落差のあるカーブ、シュートも投げられるそうだ」

 へぇ……と、井口は一つ吐息をつく。

「半田さん、よく調べているな」

「呑気だなおめぇは」

 イガラシが、なぜか睨む目で言った。

「甲子園出場校の投手ともなりゃ、メディアの取材もあるし、テレビ中継もされる。つまり研究し放題ってこった。それくらいのデータ、簡単に集まるさ。研究されても跳ね返すくらいじゃねぇと、上には行けねぇんだよ」

「お、おう……」

 相手の剣幕に、つい気押されてしまう。

 何だよコイツ、いつになく険しいな。箕輪相手の先発登板で、神経質になっているのか。思うような投球ができなくて、イラついているのか。それとも……根岸の言うように、何か別のことで焦りでもあるのか。

「ところで、根岸」

 イガラシはふいに、囁くような声を発した。

 「松川さん、まだ来てないのか」

「む。ああ、そういやぁ」

 松川は、二番手として登板することになっている。念入りに体をほぐしたいからと、片瀬を伴いベンチ奥の通路に引っ込んだまま、二十分程姿を見せていない。

「……まさか。松川さん、どこか傷めてるんじゃ」

 根岸の懸念を、イガラシは「心配ねぇよ」とあっさり打ち消した。

「今朝のキャッチボールの様子を見てたけど、そういう素振りは見せなかったからな。ただ……疲れは溜まっているのかも。西将戦、かなり力投してたし、それでなくても連日、百球以上の投げ込みを続けてきたからな」

「ちょっと様子見てくる。井口スマンが、ちと待っててくれ」

 根岸は、すぐにベンチへと駆け出した。その背中を見送ると、イガラシはこちらに顔を向ける。

「井口。さっき根岸にも言われてたが、アップのペース速めろ。できれば……そうだな、四回には登板できるように」

「よっ四回だと?」

 つい声が大きくなった。

「いくら何でも早すぎんだろ。おまえ、そんなに抑える自信ねぇのか」

「まさか。しかし、万が一ということがあるからな。念のため準備はしてもらわねぇと」

「にしても……リリーフには、松川さんも谷口さんも控えてるんだぞ。そんなに慌てなくても」

 この男が、単なる思い付きで発言したりしないことは、重々分かっている。それでも、さすがに唐突過ぎるように思えたのだ。

「……ああ。そのことなんだが」

 イガラシがふいに、声を潜めて言った。

「松川さんはともかく……谷口さんは、ダメだ」

「はっ? おまえ、何て……」

 小声ではあるが、きっぱりと告げる。

「谷口さんを今、マウンドに上げちゃダメだ」

 

2.井口とイガラシ

 

「おい、イガラシ。ちゃんと説明しろ」

 顔色が変わるのが、自分でも分かった。思わず、相手の左肩をつかむ。

「いってぇな。そんなにイキリ立つことかよ」

「おまえが妙なこと言うからだよ。投げさせちゃいけないって、どういうこったよ」

「しっ声がでかい」

 イガラシは、人差し指を自分の唇に当て、周囲を見渡した。

「……確証がねぇから、今はおまえだけに話しておく。そのつもりで聞けよ」

 さらに声量を落とし、話し出す。

「西将戦の九回だ。谷口さん、あっけなく二失点したろ。しかも二本、速球を流し打ちでフェンス際まで運ばれてた。よほど球威がなかった証拠だ。あんときゃ八回からの登板で、二イニング目、疲労するほど投げちゃいない。となると……」

「故障か?」

 問うてみると、イガラシは深くうなずいた。

「俺はそう思ってる。たぶん……谷原戦の時だろう」

 驚嘆が、さらに大きくなる。

「まさか……いや、おかしいだろ。あの後もキャプテン、練習試合に投げて、危なげなく抑えてたじゃねぇか」

「だから、俺も今まで気付かなかったんだ。まぁ……違和感はあったけど」

「へっ……何だよ、違和感って」

「速球が全部高かった。抑えて低めを突く投球が、全然できてなかったんだ。相手は格下だったし、ボールの威力だけで抑えてはいたが……それはあの人の持ち味じゃない」

「でも……ちゃんとスピードは出てたぞ。怪我してるのに、そんなことってあるのか」

 イガラシは、二、三度かぶりを振った。

「足腰や、他の部分は何ともないんだろう。おそらく肩か肘だ」

「じゃあ……谷原戦で打ち込まれたのも、その影響か」

 質問すると、イガラシはまた首を横に振る。

「いや。痛めたのは、試合の終盤だ。谷原戦……ほとんど準備も何もなしで、臨んだからな。相手の特徴が分からない以上、ボールの威力だけで勝負するしかない。さらに、あれだけ打たれたら、ますます力んじまう。結果……肩や肘に負担がくる」

 それが不安の正体というわけか。なるほどな……と、胸の内でつぶやく。

 当初、墨高野球部の投手陣は、谷口と松川に加え、一年生の井口と片瀬の四人体制の予定だった。

 ところが、練習試合の谷原戦で主戦投手の谷口が打ち込まれ、直後に片瀬も怪我で一時離脱。井口自身も、思いのほか硬球に慣れるのに時間が掛かり、なかなか本来の力を発揮できずにいた。

 この上、谷口自身が故障を抱えているとなると、確かに大事だ。それに気付いていたのなら、イガラシでなくても焦るだろう。

「まさか、キャプテン……かなり重傷なのか」

「む……今のところは、筋肉の軽い炎症程度だろう」

 安堵の吐息が漏れる。

「何だよ、脅かしやがって。そんなら大した問題じゃ……」

「ちゃんと治療していればな」

 イガラシの眼差しが、さらに険しさを増す。

「けど俺達が知る限り、あの人フリー打撃やら投げ込みやらで、ろくに休息すら取ってねぇだろ。こんな状態で、箕輪相手に投げれば、ほんとに重傷化しちまう」

「そうだな……け、けどよ」

 井口は、首を傾げて言った。

「分からねぇんだよな。あの谷原戦、何であの人、ずっと交代しなかったんだ」

「バカかおめぇは」

 まるで吐き捨てるように、イガラシが返答する。

「なっ、ば……」

 さすがにムッとして、言い返そうとするが、相手はすぐに視線を横に向けた。グラウンド上では、児玉がカウントツーボールからの三球目を投じようとしていた。

 小気味よい音が響く。その瞬間、三塁側ベンチが沸き立つ。

 二番打者の島田が、初球の高めに入った速球を弾き返した。低いライナーがショートの右を破り、箕輪の中堅手の数メートル手前でワンバウンドする。センター前ヒット。

「さすが島田さん。甘く入った球を逃さなかったな」

 イガラシが、感心げにうなずく。

「こらイガラシ。てめぇ、馬鹿にしてんのか」

「ああ、してるさ」

 こちらに目を合わせることなく、冷たく言い放つ。

「こんな簡単なことも、分からねぇんだからな」

「なにぃ?」

 わざとらしくため息をつき、ようやく井口に顔を向ける。

「それはな……おめえらのためだよ」

 意表を突かれ、束の間言葉を失う。

「おめえら下級生を、自分と同じ目に遭わせたくなかったんだよ。入部早々、自信を失わせるわけにはいかない。ならば自分一人で……そういうトコあるからな、あの人」

 そう言うと、イガラシは拳を握り、井口の鳩尾を一突きした。

「……おふっ」

「まったく、てめぇにはガッカリだぜ。いつまで腑抜けてるつもりだ」

「腑抜けって……お、俺は別に」

「丸井さんや谷口さんにつまんねぇことで注意されるわ、硬球に慣れるだけでタラタラ時間喰うわ、不用意な投球で七点も取られるわ。これを腑抜けと言わずして、何と言うんだ」

 イガラシはふと、意地悪な笑みを浮かべた。

「谷口さんのこたぁ、どうでもいい。おめぇ少しは、自分の心配しろよ。俺がキャプテンなら……今度の夏の大会、おまえを試合に出さない。日によって、いやイニングによって良かったり悪かったり。そんな丁半博打みてぇな奴、誰がトーナメント戦で使うかよ」

「てめぇ。黙って聞いてりゃ、言いたい放題」

「ありがたく思えよ。こちとら、おめぇの現状を、親切に指摘してやってるんだぞ」

 ぐっと唇を噛みしめた。イガラシが自分を愚弄する気などないことぐらい、とっくに分かっている。

「何だよ、黙り込んじまって。情けねぇ奴だぜ。俺達を戦慄させた、あの江田川中の井口は、一体どこに行っちまったんだよ」

 一気に捲し立てると、イガラシは僅かに口調を緩めた。

「まっ俺も人のこと、偉そうに言えた義理じゃねぇがな」

 ふふっと、自嘲の笑みが浮かぶ。

「谷原戦の直後から、何かおかしいな……っていう感覚はあったんだけどよ。その正体が自分でも掴めなくて、妙に一人で焦ったりして。谷口さんが故障してるかもって、はっきり思い至ったのは、今朝のことだ。ははっ、俺もおめえを笑えねぇな」

 そう言うと、イガラシは一転して柔らかな口調になる。 

「井口。おめぇ今日辺り、松川さんや谷口さんを押し退けてでも、アピールしとかねぇと。大会期間中、ずっとブルペンをうろうろするハメになるぜ」

 またも快音。倉橋の打球が、三遊間を襲う。

 抜けるかに思われたが、箕輪の三塁手が横っ飛びで捕球する。起き上がるや否や、滑らかな動作で二塁ベース上へ送球。五-四-三。流れるような併殺プレーが完成した。

「……ちぇっ。ゆっくり話もさせてくれねぇってか」

 イガラシは踵を返し、マウンドへと駆け出した。その背中に倣うように、他の先発メンバーも各々のポジションへと散っていく。

 腑抜けか……と、井口は胸の内につぶやいた。

 確かにそう言われても、仕方ねぇな。実際、なかなか調子を上げられなかったわけだし。俺なりに、頑張ってたつもりなんだが……いや違うか。

 今の環境に不満があるわけではない。墨高野球部は、設備に恵まれているとはお世辞にも言い難かったが、狭いながらも毎日使えるグラウンドがある。広い河川敷の使用許可も得ている。さらに、田所始め熱心なOB達の支援を受けている。

 何より、弱小だった期間が長かったわりに、部員達の士気が高い。

 これは現キャプテンの谷口を始め、上級生が努力を重ねて作り上げてきた雰囲気なのだろう。もう立派に、「勝てるチーム」の空気感だ。

 江田川中野球部は、こうは行かなかった。

 井口が入部した頃、上級生達はすっかり負け犬根性に取り付かれていた。それを裏付けるように、グラウンドは荒れ放題、道具は散らかり放題。

 さほど生真面目な質ではない井口でさえ、「勘弁してくれよ」と頭を抱えてしまうほどだった。

 この劣悪な環境を、井口がいるからと付いてきてくれた同学年の部員達と共に、少しずつ改善していった。そして三年生時には、ようやく体制が整い、全国大会まであと一勝というところまで迫った。

 骨は折れたが、悪くない三年間だったな……と、振り返って思う。

 ここまで思考を巡らせた時、はたと自分の本音に気付く。今まで誤魔化していたものが、明確な形を持って浮き出てくる。

  墨高では、すでに野球に打ち込む環境は整えられている。用具の整理、練習場所の確保、やる気のない上級生達との軋轢。それらに悩まされる心配は、もはやない。逆に言えば……自分がチーム作りに立ち入る余地が、ここには存在しない。

 退屈だな……そう、心のどこかで思った。思ってしまった。

 それなりにはやっていたが、必死ではなかった。そのくせ、つまらないことで突っ張ったりした。イガラシの言った通り、確かに気が抜けていた。何の言い訳もできない。

 あいつ、見透かしてやがったか……

「おい井口」

 ふいに背後から呼ばれる。おうっ、と間の抜けた声を発してしまう。いつの間にか、根岸がブルペンに戻ってきていた。

「何だよ。また呆けた顔しやがって」

「ああ、いや……何でもない」

「まっいいや。んなことより、イガラシの言った通りだ」

 根岸はそう言って、苦い顔になる。

「松川さん、背中と腰にかなり張りがある。やっぱ西将戦、本人も気付かないうちに、かなり消耗しちまってたらしい。あれじゃ……登板しても、二イニング保つかどうかだな」

「そんなにかよ」

「ああ。だから井口、やっぱりのんびりしている余裕はなさそうだぞ」

 グラウンドでは、アンパイアが「プレイ!」と声を掛けた。

 マウンド上。イガラシは、やや前屈みになり、キャッチャー倉橋のサインを覗き込む姿勢になった。ほどなく、首をこくっと縦に振り、そのまま投球動作へと移る。

 

※<第2話「」>へと続く。

 

続きを読む

大船渡・佐々木朗希の起用法を”英断”と讃えるのは良いが、返す刀で興南・宮城大弥の229球を貶めるな!<沖縄の高校野球>

【目次】

  • 0.はじめに
  • 1.夏の高校野球岩手県大会の“異常な日程”
  • 2.興南は、宮城が「連投しても大丈夫」なように準備していた
  •  【関連記事一覧】

 

f:id:stand16:20190707211434j:plain

 

0.はじめに

 

 先に断っておくが、私は興南高校野球部の関係者ではないし、我喜屋優監督の信望者というわけでもない。

 

 また、大船渡高校・佐々木朗希を巡る岩手県大会決勝の選手起用に関しても、さして意見することはない。佐々木温存を“英断”と見る人も、批判的に見る人もいるだろうことは、双方理解できる。以前も書いたが、あれは“当事者”が納得すれば良いだけだ。

 

 ただ……これだけは、言わせていただこう。

 

 繰り返すが、佐々木温存を“英断”と讃えるのは良い。しかし、返す刀で興南の宮城大弥が229球投じたことを「古い野球」などと頭ごなしに否定するのは、暴論である。

 

(↓特に違和感があったのは、こちらの記事。 日程に関してはその通りだと思うのだが、一部筆が滑り過ぎたのかもしれない。)
blogos.com

 

1.夏の高校野球岩手県大会の“異常な日程”

 

 そもそも岩手県大会と沖縄県大会は、試合日程からして全然違うのだ。

 

 今年の沖縄県大会は、6月22日から7月21日までの約一ヶ月間。台風接近による順延はあったものの、基本的には土日と祝祭日を使って試合が行われている。

 

 一方、岩手県大会は7月11日に開幕し、決勝戦は同月の25日。何と二週間ちょっとの短い日程で行われている。しかも、四回戦から決勝戦まで、僅か5日。決勝進出校は、5日間で4試合をこなさなければならない。

 

 梅雨入りの時期や、その他諸事情があるのかもしれないが、岩手県大会の日程はどう見ても異常である。選手起用がどうこう以前に、私は岩手県の高校球児達と野球部関係者の方々に、同情する。

 

 決勝戦後、球場で野次を飛ばした不届き者がいたらしいが、大船渡の監督よりも選手達よりも、まず県高野連に抗議すべきだろう。

 

2.興南は、宮城が「連投しても大丈夫」なように準備していた

 

 もう一つ言い据えておきたいのは、興南ベンチが、主戦投手・宮城を決して“酷使”していたわけではない、ということ。

 

 準々決勝を終えた時点で、興南はそれまでの4試合のうち、宮城が完投したのは二試合である。

 

 あとの試合は、他の投手を先発させていた。また、完投した二試合のうち、もう一試合は雨で中止となっているが、その試合も宮城以外の投手を先発させていた(試合が成立しなかったので、記録には残らない)。

 

 また、過去を振り返ってみると、興南ベンチは宮城が相手打線に捕まりかけると、比較的早い段階でスイッチしている。昨秋の県大会決勝・沖縄水産戦然り、夏の甲子園二回戦・木更津総合戦然り。早すぎるんじゃないかと思うほどだった。

 

 さらに、宮城は一年生時から主戦投手級ではあったが、先発完投というよりは、リリーフ・抑えという形での登板が多かった。

 昨夏は、準決勝では温存し、決勝戦で先発。昨秋こそ準決勝・決勝と連投になったが、前述のように早い回で降板している。

 今春も、準決勝で延長十四回を投げ抜いたことを考慮したのか、第1シードの掛かった決勝戦で先発回避。

 

 このように、今までの投手起用法を見ても、興南はなるべく宮城に「無茶をさせない」よう気遣っていたことが分かる。

 

 だから、夏の大会において、宮城が準決勝に続き、決勝戦のマウンドに立った時、私は感慨深かった。最後の夏を迎え、彼も連投できるほど、タフさを身に付けたのだな、と。

 

 そして、これは強く言いたいのだが……興南首脳陣が、宮城が「連投しても大丈夫なように準備を進めてきた」ということ。

 

 ここまで書いてきたように、興南は今まで、宮城を安易に連投させたり、エースだからと打ち込まれた試合で無理に引っ張ることはなかった。その興南が、宮城を二日連続でマウンドに送ったということは、それなりの“根拠”があったはずである。

 

 それを、結果として229球投げたという事実だけを以って「古い野球」などと切って捨てるのは、興南というチーム、さらには宮城本人の努力に対して、あまりに無礼ではないだろうか。

 

 何度でも言うが、大船渡・佐々木朗希の件は“当事者”が納得すれば良いことである。それを殊更持ち上げるつもりも、批判するつもりも、私にはない。しかし……

 

 あの日、宮城大弥の投じた229球は、やはり讃えられなければならない。

 

 これは単に「感動をありがとう」などという、安っぽい話ではない。

 

 連投しても怪我をしないように調整を重ねてきた、興南というチームの苦心と知恵、さらには宮城本人が入学時から重ねてきた努力に対して、きちんと敬意を払うべきだと思うからである。

 

 最後に――宣伝のようになってしまうのだが、興南の我喜屋監督が、宮城を始め引退する三年生部員に対して掛けた、最後の言葉である。やはり深い。

 

 

続きを読む

もし自分が“大船渡高校野球部監督”だったなら、佐々木朗希の起用法をどうするか考えてみた<2019年 選手権・沖縄県大会>

【目次】

  • 0.はじめに
  • 1.足りなかった「言葉」
  • 2.もし自分が監督だったとしたら
  • 3.高校球児の“主体性”と“三年間の重み”を無視すべきではない
  • 4.どっちが良い、悪いの話ではない
  • 5.まとめに代えて ― 大船渡高野球部に足りなかったもの ―
  •  【関連記事一覧】

 

f:id:stand16:20190707211434j:plain

 

0.はじめに

 

 高校野球における「球数制限」の議論について、今最も旬な話題といえば、大船渡高校の主戦投手・佐々木朗希の“決勝戦登板回避”だろう。

 

 賛否両論あるのは当然だと思う。また、佐々木を登板させなかったことについて、同校へ抗議(?)の電話を掛けた大馬鹿者が多数いたらしいが、ただの迷惑行為でしかない。当人達が納得してさえいれば、外野が口を挟むべきではない。

 

 そう、当人達が納得してさえいれば……

 

1.足りなかった「言葉」

 

 この件について、ネット上で次の記事を見付けた。単に持論を展開するのではなく、きちんと現場を取材した方の意見なので、かなり信憑性の高い記事だと判断した。

 

number.bunshun.jp

 

 佐々木のように、有望選手の才能を守ることを優先すべきか。あるいは、ここが高校三年間の集大成として、多少のリスクを背負ってでも全力を尽くすべきか。……どちらも「正論」ではあるし、おそらく答えは出まい。

 

 ただ重要なのは、記事にもあるように「選手達が納得していたか」どうか。より具体的に言えば、納得“できる”ような働きかけを、監督・部長始めチーム関係者が、選手達に対して十分に行っていたか。その一点に尽きる。

 

 記事を読む限り、おそらくそれが……不十分だったのだろう。

 

2.もし自分が監督だったとしたら

 

 いささか不遜な想像ではあるが、自分が“大船渡高野球部の監督”だったとしたら……と考えてみる。

 

 私なら、前日のミーティングにて、まず佐々木抜きで部員達を集める。そして正直に、佐々木を「明日投げさせると故障のリスクがある」という旨、さらに「ここまで甲子園を目指すために頑張ってきたが、将来のある佐々木に無理をさせたくない」と本音を告げる。

 

 ここで、選手達に「どう思うか?」と尋ねる。

 

 いろいろな反応があることは予想される。大事なのは、選手達の意見を「受け止める」ということだ。自分(監督)と意見が違っていても構わない。繰り返すが、一度はお互いに腹を割って話したという事実が重要なのだ。

 

 ここからは推測。おそらく大船渡の選手達ならば、「佐々木のおかげで決勝まで来られたのだから、あいつの好きにさせて欲しい」と言うだろう。ここで「分かった」とだけ返答し、一旦解散する。

 

 次に、佐々木を呼び出す。

 

 佐々木には、はっきりと「故障のリスクがあり、本音では投げさせたくない」という本音、部員達が「おまえの好きにさせて欲しい」と言っていたこととを両方伝える。

 

 ここでも重要なのは、本音を引き出すこと。「投げたい」でも「投げたくない」でも、どちらでも構わない。とにかく一度、“監督は俺の思いを受け止めてくれた”という事実が大事なのだ。

 

 そして、おそらく佐々木のことだから「投げたい」と口にするだろう。

 

 私(監督)は「分かった」と返答し、その上で「ただし試合中、少しでもおかしな兆候が見られたら降板させる。それでもいいか?」と念押しする。こう言えば、さすがに本人も納得するだろう。

 

 迎えた当日。球場へ出発する前のミーティングで、佐々木本人に自分の思いを語らせる。

 

――監督には、怪我と将来のことを心配された。でも、俺にとってはみんなと戦う最後の夏が大事だからと、ワガママを聞いてもらった。その代わり、俺はみんなのために全力で投げる。みんな、それでいいか?

 

 チームを引っ張ってきたエースの言葉に、全員の覚悟と結束が固まるだろう。ここまでやれば……たとえ、初回で一死も取れずに降板となったとしても、誰もが「仕方ない」と納得するだろう。

 

3.高校球児の“主体性”と“三年間の重み”を無視すべきではない

 

 この「球数制限」に限らず、高校野球を巡る様々な意見を見聞きする度に思うのだが、意見自体の是非は別として、どうも高校球児の“主体性”と“三年間の重み”というものの存在が、軽く扱われがちである。

 

 高校球児は、断じて監督や大人達の“ロボット”ではない。

 

 厳しい指導で知られる興南我喜屋優監督も、沖縄県大会決勝において、体力の限界を迎えつつあった宮城大弥に降板を促しはしたが、最終的には本人の意思を尊重した。

 

www.youtube.com

 

 我喜屋監督が、単に勝利至上の監督なら、最初から降板を促しはしない。あるいは、故障のリスクを思うのなら、本人の意思を問うことなく、強制的に降板させていたはずだ。

 

 降板を促した上で、結果的に最後まで交代させなかったのは、やはり宮城本人の意思、彼らの“最後の夏”に賭ける思いを尊重したからだと思う。我喜屋監督でさえ、それを軽く扱うことはできなかったのだ。

 

 投げさせるにしても、投げさせないにしても、その“重み”を理解した上での意見でなければ、当事者である彼らには届くまい。

 

4.どっちが良い、悪いの話ではない

 

 酷なようだが、大船渡高野球部には、監督と選手達との間の“共通理解”が、十分でなかったように感じる。

 

 前回エントリーでも述べたが――目的は「甲子園へ行くこと」なのか「佐々木をプロで活躍する選手に育てること」なのか。

 

stand16.hatenablog.com

 

 

 

 

 どっちの結論が良い、悪いの話ではない。

 

 はっきりと「甲子園へ行くこと」が目的なのだとしたら、たとえ故障のリスクがあったとしても、それを貫徹すべきである。直前で方針転換するとしたら、他の部員達が納得できるように、何度でも話し合いを持つ必要があった。

 

 あるいは、佐々木の将来を考えるなら、そういう選手起用もあり得ると“大会の開幕前”に伝えるべきだ。

 

 共通理解が十分に図られていなかったから、試合後の腑に落ちない選手達の表情があったのだろう。

 

5.まとめに代えて ― 大船渡高野球部に足りなかったもの ―

 

 結局のところ――この件において、足りなかったのは「言葉」である。

 

 佐々木のエースとしての思い、他のチームメイトの思い、監督の思い、父母の思い。……それらを虚心坦懐に、お互い打ち明ける「言葉」があったなら。たとえ“登板回避”という結果は同じだったとしても、まるで違った試合後の光景があったのではないか。

 

 繰り返すが、基本的にはこの件、外野があれこれ口を挟むべきではない――そう、当事者が納得できているのであれば。

 

 しかし、この“納得”ということと、高校球児にとっての“三年間の重み”ということ。それがあまり理解されなかったという点が、今回のケースにおける「寂しさ」の正体ではないかと私は思う。

 

続きを読む

「球数制限」の導入に賛成できない二つの理由<2019年選手権・沖縄県大会>

【目次】

  • 0.はじめに
  • 1.他にやれることがあるのでは?
  • 2.「球数制限」に賛成できない二つの理由
    • ①“野球の質”の低下を招く
    • 高校野球は、“野球少年の集大成”である
  • 3.各校の野球部は、“方針”を明確にすべき
  • 4.まとめ
  •  【関連記事一覧】

 

 

f:id:stand16:20190707211434j:plain

 

 

0.はじめに

 

 延長十三回の死闘となった、沖縄尚学興南の一戦。

 

www.youtube.com

 

 Twitter始めネット上では、疲労困憊ながら最後まで投げ抜いた興南の主戦投手・宮城大弥を讃えるコメントで溢れた。一方で、宮城のあまりの消耗具合を心配する声や、そこから「球数制限」の議論へとつなげる意見も見られる。

 

 とりわけ、まさしく「球数制限」の議論が沸き起こる契機となった“当事者の一人”である、元沖縄水産大野倫氏の以下の文章は注目を集めた。

 

yakyumirairyukyu.ti-da.net

 

 

 大野氏だけでなく様々な声があることを承知の上で、今回はこの「球数制限」の議論について、私なりの見解を述べてみることとしたい。

 

 結論から言えば――私は、高校野球における「球数制限」の導入に“反対”である。

 

1.他にやれることがあるのでは?

 

 反対の理由については、後述する。また、高校球児に過大な負担を強いている現状については、当然変えなければならないとも思う。ただ、もっと他にやれることがあるのではないだろうか。

 

 具体的には、大会の「試合開始時刻」や「日程」。

 

 試合開始時刻については、これだけ酷暑が毎年問題となっているのだから、せめて昼間の最も暑さの厳しい時間帯は避けるべきだ。

 

 例えば……思い切って、夏の大会でも一日3試合とする。さらに、朝1試合(8時~10時半頃)、夕方2試合(4時~)というふうに設定する。そうすれば、球児だけでなく観客の熱中症予防にもなる。

 

 また日程については、もっと試合の間隔を空ける。現行では準々決勝と準決勝との間を休養日としているが、他にも三回戦と準々決勝、準決勝と決勝との間に、それぞれ二~三日くらいずつ設定すれば、もっと球児の負担を軽減することができる。

 

 ただ、甲子園球場をそう長い期間使う訳にもいかない事情があるのは分かる。プロ野球公式戦、その他の行事等との絡みがある。

 

 そこで提案だが――甲子園球場だけでなく、複数の球場で大会を実施するというのはどうだろう。

 

 何もそう難しい話ではない。高校サッカーがそのように実施しているし、高校野球も以前は西宮球場で全国大会を行っていた時期があった(ちなみに我が沖縄の全国大会初勝利も西宮球場)。

 

 もちろん、甲子園を目指してきた球児達にとっては、そこの球場で試合ができないというのは面白くないだろう。

 

 それなら、例えば――まず初戦は、どの試合も甲子園球場で行う。

 二戦目以降は、それ以外の球場で。そしてラスト3日間、準々決勝以降は再び甲子園球場で。こうすれば「甲子園で戦いたい」という球児の夢を潰すこともないし、日程にも余裕を持たせることができる。

 

 このように、「球数制限」を導入する前に、やれることは幾らでもある。

 

2.「球数制限」に賛成できない二つの理由

 

 私が「球数制限」に賛成できない理由は、次の二点である。

 

①“野球の質”の低下を招く

 

 高校野球において、レベルの高い試合になればなるほど、一球を巡る駆け引きが激しく繰り広げられる。わざと一球外してみる。あえて見逃す。ファールで粘る。……といった部分である。

 

 ところが「球数制限」が導入されると、この“駆け引き”の部分がごっそり削られてしまう。これは明らかに“野球の質”の低下を招くことになる。

 

 また、次のようなケースも考えられる。

 

 仮に、球数制限が「100球」だとする。

 

 私が高校野球の監督をしており、相手チームに好投手がいれば、自チームの選手にはファールで粘らせる。ボールを真っ向から打ち返すのではなく、ファールで粘る練習を積ませる。そうして100球に達すれば、相手投手は強制的にマウンドから降りざるを得なくなる。

 

……こんな野球、やる方も見る方も、つまらないだろう。

 

高校野球は、“野球少年の集大成”である

 

 あまり言われていないことだが、高校球児達の中には「野球は高校まで」と決めている者も多い。大学や社会人、ましてプロまで野球を続けていく方が、むしろ少数だろう。

 

 で、あれば……なるべく彼らに「納得のいく終わり方」をさせたい。

 

 何千校とある中で、最後まで勝って終われるのは、たったの一校である。他はすべて、負けて終わるのだ。すっきりとした思いで引退していく者は、あまりいないのではないだろうか。

 

 だからこそ、少しでも彼らが「納得」して終われるように、舞台を整えるべきだ。

 

 打たれたのでもなく負けたのではなく、ルール上の「球数制限」で強制的に降板させられる。それが最後のマウンドとなった場合、本人はその終わり方に“納得”できるのだろか。

 

3.各校の野球部は、“方針”を明確にすべき

 

 もう一つ提案したいのだが、各校の野球部は“方針”を明確にすべきだと思う。つまり、チームの目的が「甲子園で勝つこと」なのか「プロ選手を育てること」なのか。

 

 ここをはっきりさせておけば、将来プロに進みたい子が、連投で故障するリスクも減る。方針を「プロ選手を育てること」としているのに、選手を酷使する野球部があれば、容赦なく批判すれば良い。

 

 また、それでも「甲子園で勝ちたい」という子は、多少の無理も承知の上で、無理に耐えられるように日頃の練習から備えていく。

 

 中途半端が、一番良くない。目標が「将来プロで活躍すること」なのか「甲子園で勝つこと」なのか、はっきりさせておけば、本人も周囲も納得の上で、あるいは“覚悟”を持ってプレーすることができる。

 

4.まとめ

 

 とはいえ、「球数制限」を提案する方の気持ちも分かる。繰り返すが、球児に過大な負担を強いる高校野球の現状を、そのままにしておいて良いはずがない。

 

 ただ改善の方法として、「球数制限」はあまり適してないと考えているだけだ。

 

 球児達の負担を軽減する方法を探っていくのは、当然である。それと同時に、球児達が「納得」した上でプレーできること、さらに試合の質そのものが低下しないような改善策であることにも留意したい。

 

 難しいことは承知しているが、何とか両者のバランスの取った具体策を提案してみた。近い将来、それが実現に向かうことを願う。

 

続きを読む

【決勝・沖縄尚学8-7興南(戦評)】沖縄高校野球、復活の狼煙上がる<2019年 選手権・沖縄県大会>

【目次】

  •  はじめに
  • 1.宮城大弥が“2年生”だったら……
  • 2.沖尚、待ち望んだ“全国レベルの投手”の登場
  • 3.あえて沖尚の“勝因”を挙げるなら……
  • 4.夏の甲子園大会以降の展望
  •  【関連記事】

 

 

f:id:stand16:20190707211434j:plain

 

www.youtube.com

 

 

 はじめに

 

 壮絶な死闘だった。間違いなく、後に語り継がれる一戦だろう。戦評を述べる際、幾らでもエモーショナルな言葉を紡いでいくことは容易い。

 

 しかし……あえて、それは控えようと思う。

 

 なぜなら、この試合が到達点であっては困るからだ。あれは“狼煙”である。低迷していた沖縄の高校野球が、ここから復活を遂げようとする“最初の狼煙”としなければ。

 

 死力を尽くした選手達は、当然讃えたい。ただ一夜明け、冷静にこの一戦を振り返った時、胸の内に複雑な思いが過(よぎ)るのだ。

 

 率直に言えば――勝った沖尚にしても敗れた興南にしても、双方に「物足りない点」や「惜しいと感じる点」が残る。

 

 だから、繰り返すが「到達点」であっては困るのだ。とりわけ新チームに残る1,2年生の選手達には、昨日の一戦を“きっかけ”として、あるいは“教訓”として、これからもっと強くなるためのヒントを探して欲しい。

 

 それ故、野暮なようだが……あえてシビアに分析を述べることとしたい。

 

1.宮城大弥が“2年生”だったら……

 

 試合が決した後、私がまず思ったことは……興南の主戦投手・宮城大弥が今「2年生だったら良かったのに」ということ。

 

 ある意味“負けても言い訳の利く”全国の舞台ではなく、県大会の段階で「同県のライバル校とギリギリの戦いを演じる」という経験は、間違いなくチーム……特に投手を大きく成長させる。

 

 例えば東浜巨沖縄尚学)は、2年生時から伊波翔悟擁する浦添商業と新人戦、春季大会、秋季大会と激戦を重ねていくことで、3年春の選抜優勝へとつなげた(これは伊波翔悟にとっての東浜と沖尚もそう)。

 

 例えば島袋洋奨は、1年生時には選抜優勝の沖尚、2年生時には山川穂高擁する中部商業、今宮健太擁する明豊(大分)と戦い、全国のトップレベルを体感したことで、3年時の春夏連覇への下地を作れた。

 

 では、宮城は? 残念なことに、彼は1,2年生の段階で「県内のライバルと鎬を削る」経験を得られなかった。3年夏になって、前日の美里工業、この日の沖尚と、ようやくライバルと呼べる相手に巡り会えたのだが……さすがに遅すぎた。

 

 死力を尽くした彼を批判するつもりは、毛頭ないのだが……やはり勝負所で「経験値の不足」からくるミス、というより“隙”が、この一戦で露呈してしまっていた。

 

 まず初回――4点は、取られ過ぎである。

 

 この回、宮城はなかなか変化球が決まらず、直球を狙い打ちされていた。厳しい言い方をすれば、これは“準備不足”である。

 

 なぜなら、沖尚は三回戦でやはり速球派の沖縄水産・国吉吹(いぶき)を攻略していることから、「沖尚が「ストレートに強い」というデータは入っていたはずなのだ。

 

 事実、変化球が決まり出した二回以降は、沖尚打線を封じ込めている。立ち上がりが不安定なのは仕方ないにしても、せめて1,2点に抑えていれば、沖尚の先発投手も乱調だったため、もっと優位に試合を進めることができた。

 

 さらに、六回表に許した「同点スクイズ」の場面。二塁への牽制球が相手走者に当たり、三塁への進塁されたことが失点につながった、またしても“余計な失点”である。

 

 ミス自体を問題としたいのではない。

 

 あれは、調子よく相手打線を抑えている時、投手はちょっとした“エアポケット”のような状態に陥りやすい。経験豊富な投手であれば、その辺りにも気を配れたのだろうが、宮城はそこまでの「想定」ができていなかった。

 

 なぜ「想定」できなかったのかと言えば……これもやはり、ギリギリの試合での経験値の不足に他ならない。

 

 これは宮城と興南の責任ではない。ここ数年は沖縄高校野球全体が低迷期にあり、県予選の段階では、一昨日のように「ちょっとしたミスが命取りになる」レベルの試合を経なくとも、九州大会や甲子園へ出ることができた。

 

 以前のエントリー(↓)でも書いたのだが、県内のライバルに恵まれなかったことが、宮城と興南の不運だったなと、あらためて感じることとなった。

stand16.hatenablog.com

 

 

2.沖尚、待ち望んだ“全国レベルの投手”の登場

 

 以前のエントリーにて「沖尚は全国レベルの投手がいれば、すぐに復活する」と書いたのだが、まさにその“全国レベルの投手”が、久々に登場した。

 

 それが、三回からリリーフ登板の2年生右腕・永山蒼である。

 

 変則気味のフォームから繰り出される、140キロ前後の速球。球速自体は驚くほどのものではないが、見た目以上に球威があるのだろう。興南の各打者が差し込まれる場面が目に付いた。

 

 やや荒れ気味で球数が多くなるのと、変化球の精度はもう少し改善が必要だろうが、球威自体はすでに宮城を凌ぐ。最後はさすがに力尽き、同点打を許してしまったが、2年生の時点でここまで投げられれば十分だ。

 

3.あえて沖尚の“勝因”を挙げるなら……

 

 どちらに転んでもおかしくない試合ではあった。ただ、あえて沖尚の“勝因”を挙げるとするならば……興南を「成長スピードで上回った」ということだと思う。

 

 誤解なきように。興南の選手達も、1年生時から比べると成長はしていた。昨年、一昨年と彼らの試合を見続けてきたが、間違いなく今年のチームが一番強かったと思う。

 

 ただ……沖尚の選手達の“成長スピード”が、あまりに凄まじかったということ。

 

 言わば「若さの爆発力」である。高校野球には、時々このような現象が起こり得る。大したことないと目されていた選手が、チームが、何かのきっかけに豹変する。まるで別の存在へと生まれ変わる。

 

 こういう瞬間があるから、高校野球は“面白い”のだ。

 

 もう一つ付け加えるなら……月並みな言い方ではあるが、ここ数年の「悔しさをエネルギーに変えられたこと」だろう。

 

 過去2年間、沖尚は甲子園どころか4強にさえ残れなかった。有望選手が集まらなかったのなら、まだ諦めもつくが、1年生大会では連覇を果たしているから、比嘉公也監督始めチーム関係者の葛藤は相当なものがあったと想像する。

 

 しかし……何かの壁を突き破ろうとする時、悔しさは何よりのエネルギーとなる。負けの悔しさを知るチームは、ぎりぎりの状況になればなるほど、強い。

 

4.夏の甲子園大会以降の展望

 

 迎える夏の甲子園大会――こう言うと叱られそうだが、今回の沖尚には、個人的にはあまり期待していない。

 

 もちろん応援はするし、沖尚の選手達は本気で勝ちに行くだろうと思う。ただ状況的に、今回はまだ甲子園で勝つための“戦い方”は未整備だろうし、それを本大会までに完成させるのも、あまり現実的ではない。

 

 それよりも、やはり全国レベルを体感し、夏の甲子園で勝ち抜くためのヒントを一つでも手に入れて欲しい。

 

 また沖尚にとって、さらに幸運なのは……興南がなかなか巡り合えなかった県内のライバルチームが、彼らにはいるということ。甲子園だけでなく、秋季県大会それ以降の戦いで、レベルアップする機会が数多くある。

 

 それが、1年生大会準決勝で熱戦を演じた、美里工業である。

 

 この美里工と沖尚が、秋以降の沖縄高校野球を引っ張っていく存在となるはずだ。これに沖縄水産興南が加われば、ますます熾烈な争いとなる。

 

 沖縄高校野球、復活の狼煙上がる――今年の夏の沖縄県大会は、まさにその一言で総括される大会となった。

 

続きを読む