南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第20話「組み合わせ決定!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第20話 組み合わせ決定!の巻
    • 1.谷原の弱点!?
    • 2.片瀬の実力
    • 3.組み合わせ発表!
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

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第20話 組み合わせ決定!の巻

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1.谷原の弱点!?

 

 招待野球から、二十日余りが過ぎた。

 

 この間、墨高ナインの成長は、ますます加速していた。

 六月初旬には、西将学園の監督・中岡の紹介により、春の甲子園に出場した三校と練習試合を実施。墨高は、なんと三連勝を飾ったのである。

 

 また、膝の故障から出遅れていた片瀬が、地道なトレーニングの甲斐あり、ついに実戦登板できるようになった。さらに西将戦で負傷したイガラシも、無事に完治。

 

 いっぽう、対谷原を想定した特訓は、日ごとに厳しさを増していく。

 六月の半ば辺りから、谷口、松川、井口、イガラシの投手陣が、日替わりで登板。しかも速球と変化球を混ぜ、試合さながらに投球するようになる。対応できない者には、容赦なくグラウンド脇にて、追加のトレーニングが課せられた。

 だがこの頃になると、粒ぞろいと言われる一年生達が、少しずつ本領を発揮。根岸や岡村、松本らが、レギュラー陣をおびやかし始める。

 

 気づけば六月の第三週。この週末には梅雨明けとなり、本格的な夏が到来する。

 迎えた水曜日。この日、夏の大会開幕に先立ち、ある行事が組まれていた。その成り行き次第で、かなり大会の行方が左右される、重要な催しだ。

 

 そう、組み合わせ抽選会である。

 

 

 午後四時。墨高ナインは、この日も部室へと集まり、練習の準備を始めていた。

「キャプテン」

 着替え終えたところで、谷口はふいに声を掛けられる。片瀬だった。こちらもユニフォーム姿で、どうやら待っていたらしい。

「少しよろしいでしょうか」

「うむ。どうした?」

「じつは最近、春の甲子園で谷原と西将が戦った試合を、ちょっとずつビデオで見返しているのですが……面白いことが分かったんです」

 谷原というフレーズに、周囲がざわめく。

「ほう。相変わらず、研究熱心だな」

「そ、それで練習後にでも、キャプテンにお伝えしたいのですが」

「いや。せっかくだから、いま聞かせてくれ。練習メニューの参考にもしたいし」

「え……は、はい。分かりました」

 戸惑いながらも、片瀬は説明を始めた。

「その試合、招待野球でぼくらにも投げた、西将の竹田というピッチャーなんですけど……どうも本調子じゃなかったようなんです」

「な、なんだって?」

 思わぬ発言に、つい声が上ずってしまう。

「はい。数えてみたら、四死球を八個も与えてました。毎回、得点圏にランナーを背負って、よく一点に抑えたっていう内容でした」

 丸井が「ははっ」と、意地悪そうに笑う。

「あの高山ってキャッチャー、さぞ苦労したろうな。やつの慌てる顔が見たかったぜ」

「やつって……あの人、先輩だぞ」

 傍らで、加藤が苦笑いする。

「……なぁ片瀬」

 ふと気になることが浮かぶ。

「谷原はその試合、ヒットを打てていたか?」

 質問に、片瀬は目を見上げる。

「そこなんですよ」

 我が意を射たりとばかりに、深くうなずいた。

「あれだけ猛威を振るった打線が、この西将戦だけは、たった七本に抑えられてるんです。いくら竹田さんが並のピッチャーじゃないといっても、明らかに本調子じゃなかったので、もっと打ち込んでも良さそうなものですが」

 その時、しばし沈黙を守っていたイガラシが、独り言のようにつぶやく。

「……ふむ。やはりそうか」

「え、おいイガラシ」

 すぐに丸井が反応した。

「おまえなにか、気づいてたのか?」

「気づいてたというか……ちょっと、引っかかってた程度ですけどね」

 イガラシは、淡々と答えた。

「丸井さん。ぼくらが観戦した谷原と広陽の試合、覚えてます?」

「そ、そりゃもちろん」

 丸井が引きつった笑みを浮かべる。

「谷原がパカパカ打ってた試合だろ。思い出しても、ぞっとすらぁ」

「ですけど……後半の三イニング辺り、打線が鳴りを潜めてたんですよ」

「ん、だったっけ?」

 意外そうに、丸井が首を傾げる。

「言われてみりゃあ、そうだな」

 倉橋がミットを磨く手を止め、話に入ってくる。

「広陽のリリーフ投手が、四死球を連発したもんで、点は入ってたけどな。じつは残り三イニング、谷原のヒットは内野安打の二本だけだったんだよ」

 何人かが「ああっ」と声を発した。イガラシは、微かにうなずく。

「しかも後半は、けっこうボール球に手を出したりして、おかしかったんですよ。ま……点差も開いてたので、つい雑になったのかとも思いましたけど」

 谷口は「なるほど」と、ナイン達を見回して言った。

「つまり谷原は、荒れ球タイプのピッチャーが苦手だってことか」

 ええ、とイガラシは首肯する。

「いっぽう……広陽のエースみたいに、コントロールの良いピッチャーは得意なんじゃないでしょうか。どこに来るか予測できるので、ねらい球は絞りやすいですし」

「そ、そういやぁ」

 ふいに井口が、間の抜けた声を発した。

「キャプテンも、コントロールいいですもんね……テッ」

 丸井がすかさず、拳骨を喰らわせる。

「な、なにするんスか」

「てめーは余計なこと口にすんじゃねぇ。黙って聞いてろ」

「イテテ……は、はぁ」

 谷口は苦笑いした。たしかに、井口の指摘通りだと思う。あの練習試合で、谷原は躊躇なくフルスイングしてきた。こちらの工夫も足りなかったとはいえ、さぞ打ちやすかったことだろう。

「ううむ、リクツは分かったが……しかしなぁ」

 渋い顔をしたのは、横井だった。

「まえに決めた話だと、谷原戦は井口とイガラシ、それに谷口の継投でいくんだろ。三人とも、むしろコントロールは良いもんな」

 たしかに、と戸室が同調する。

「こうなりゃわざと、ノーコンなふりをしてもらうとか」

 冗談めかした一言に、横井は「なに言ってんだ」と突っ掛かる。

「そんなことしたら、フォームがおかしくなっちまうわ。少し考えろよ戸室」

「じ、ジョーダンだよ。んなこと分かってらい」

「どーだか」

「なんだとっ?」

 他愛ない言い合いを始める二人を、谷口は「まぁまぁ」となだめた。そして、また全員を見回して告げる。

「みんな忘れてないか? うちにはもう一人、ピッチャーがいるってこと」

「え……ああっ、そうか」

 横井の声が合図だったかのように、全員の視線がおずおずと、片瀬へ集まっていく。

「たしかに片瀬は、谷原が苦手とするタイプでしょうね」

 イガラシがうなずいて言った。

「ボールが散らばるので、バッターにとっては予測がつきにくいですし。おまけに変則のサイドスロー。谷原でも、これは戸惑うと思いますよ」

「そ、そうかもしんねぇけどよ」

 まだ腑に落ちないらしく、横井は首をひねる。

「片瀬はケガあがりってことで、さほど実戦も積んでないんだぞ。やっと最近、練習試合で少し投げるようになってきてるが。そんなにバッチリ抑えてるわけでもねぇし」

「あのな横井。練習試合では、彼のほんらいの……」

「まてよ、谷口」

 倉橋がそう制して、おもむろに立ち上がった。

「百聞は一見に如かずだ。今日のシート打撃で、片瀬を登板させてみないか」

「む、そうしようか。打ってもらった方が実力も分かるし」

 谷口は快諾して、他のメンバーに声を掛ける。

「となれば……他のメニューもあるし、急がないといけないな。よしみんな、五分後にはランニングを開始する。すぐ外に出て、体をほぐしとくんだ」

「は、はいっ」

 返事を合図に、ナイン達は次々にグラウンドへ出ていく。

「ところで谷口」

 倉橋がこちらに歩み寄り、声を潜めて言った。

「大会の組み合わせ、もう決まる頃じゃねぇか?」

「うむ。三時半開始だったから、そろそろ全チームが籤を引き終えたろう」

「半田のやつ、何時頃に帰ってくるかな」

「電車を乗り継いでだから……早くて五時過ぎだろう。彼が戻ったら、いったん全員を集めよう。みんな気にしてると思うから」

「賛成だ。早く知った方が、練習にも身が入るだろうし」

 そこまで打ち合わせ、二人は部室を出た。

 

 

2.片瀬の実力

 

「……く、くそう」

 右打席にて、横井が左手の甲で、顎の汗を拭う。いつもの飄々とした彼にしては珍しく、唇がへの字になっている。

 マウンド上では、片瀬が顔色ひとつ変えず、僅かに前傾した。

「おい横井。力んだら、まず打てないぞ」

 キャッチャー倉橋の声掛けに、横井は「分かってらぁ」と幾分ムキになる。

 ほどなく片瀬が投球動作へと移る。ほとんど足は上げず、そのまま前方へスライドするように踏み込む。これは重心を保つための工夫だ。そしてサイドスローのフォームから、速球が投じられた。

 コースは真ん中低め。横井が「絶好球!」とばかりにフルスイングした。ところが、ボールは手元で内側に喰い込み、バットの根元に当たる。

「し、しまった……」

 一瞬空を仰ぎ、横井が走り出す。打球はピッチャー正面に転がった。片瀬が滑らかなフィールディングで捌き、一塁へ送球。

「あーあ、またピッチャーゴロかよ」

 苦笑いを浮かべ、横井は戻ってきた。

「クセ球とは聞いてたが、けっこう鋭く曲がるんだな。いまのシュートじゃないのか?」

「いいや。片瀬が言うには、あくまでも真っすぐらしい」

 倉橋がにやりとする。

「なんでもボールの縫い目の指をかける位置を、ちょっとずつ変えてるんだと。他にもぎゃくに曲げたり、落としたりもできる。言ってみりゃナチュラル変化球だな」

「こんなタマがあるなら、どうして練習試合では投げさせなかったんだよ」

「そりゃ実戦登板し始めたばかりだからな。ただでさえブランクが長いんだ。いろいろやりすぎて、また故障したらコトだろ」

「な、なるほど。しかし……いいタマ持ってるじゃねぇか、片瀬のやつ」

 サードのポジションにて、谷口は目を細めた。眼前のマウンド上では、片瀬が自然な動作で、ロージンバックを指に馴染ませる。

 よしいいぞ。ナイン達も、だんだん片瀬の実力を認めてきたようだな。

「……うしっ。今度こそ、打ってやる」

 次のバッターは井口だ。気合を入れて、左打席に入る。

 初球、真ん中やや外寄りの速球。井口はこれを「まってました」とばかりに狙うも、ファールとなり後方へ転がる。

「え……いまのタマ、落ちたのか」

 井口が驚いた目で、マウンド上を凝視する。

「や、やるな。けどボールをしっかり見りゃ」

 試合さながらに、倉橋がサインを出す。片瀬はうなずき、二球目の投球を始めた。今度は一転して、外へ大きな緩いカーブ。

「……なぁっ、と」

 ガキッと鈍い音。井口は完全に泳がされ、セカンドフライ。丸井が「オーライ」とグラブを掲げ、難なく捕球した。

「ふっ、いいカーブじゃないか。俺のスローカーブに匹敵するぜ」

 井口の負け惜しみに、倉橋が「よく言うぜ」と釘を刺す。

「カーブのコントロールは、片瀬の方が上だ。おまえは日によってキレがなかったり、すっぽ抜けたりするだろ」

「は、どうも」

 先輩の指摘に、井口はバツの悪そうな顔をした。

 谷口は、改めてマウンド上を見やる。スラッガーの井口を、これで二打席続けて打ち取った。それよりも、片瀬の落ち着き払った仕草、表情に感心させられる。

 さすが元リトルリーグの優勝投手だな。まるでケガの影響を感じさせない。いやそれがあったからこそ、こうして肝が据わってきたのかも。どっちにしても、井口やイガラシとはまたちがった、いいピッチャーになれそうだ。

 それはともかく、と思い直す。一旦タイムを取り、ナイン達を自分の周囲に集めた。

「どうだみんな。片瀬のチカラ、よく分かっただろう」

 横井が「そりゃもう……」と、苦笑い混じりに答える。

「まだシード校クラスの、本格派ピッチャーの方が打ちやすいってもんだ」

 そうですね、と島田がうなずく。

「どこに来るか分からないうえ、不規則に変化するので、的を絞りづらいですよ」

「む。いっそ谷原戦は、片瀬先発でいいかもな」

 横井の一言に、井口が不服そうな顔をした。倉橋がくすっと笑い、代わりに反論する。

「そりゃ飛躍しすぎだぜ。まえに決めたとおり、井口には力勝負してもらって、まず相手を驚かせることが大事なんだ」

「あ……そ、そうだったな」

 倉橋の言葉を受け、谷口は補足した。

「墨谷は他とちがう攻め方をしてくる。そうやって戸惑っているところに、片瀬のような変則投手をぶつけられたら、どうだ?」

 なるほどっ、と丸井が声を上げる。

「そんなことされたら、ますます混乱しちゃいますね」

 傍らで、加藤も「そうだな」と同調した。

「計算して対応するのが、谷原は得意だからな。そういうチームだからこそ……この戦術は効くんじゃないか」

 ナイン達がその気になったところで、谷口はパチパチと両手を打ち鳴らした。

「感心するのは、これぐらいにしておこう。みんな……そろそろ二巡目も終わるが、ちょっとマズイな」

 意図的に厳しい言葉を投げかける。

「ここまでクリーンヒットは三本だけ。しかも散発だ。これじゃ、片瀬と同じタイプの投手に当たったら、手出しできないってことになるぞ」

「谷口の言うとおりだ」

 倉橋も険しい眼差しで言った。

「しかも同じパターンでやられてる。速球を打ち損じるか、カーブに泳がされる。はっきり言って、打ち取るのはチョロかったぜ」

 まさにその形で仕留められた井口が、気まずそうに下を向く。

「片瀬が打ちづらいと分かったら、ちっとは対策を考えろよ。これが試合なら、ずるずる終盤まで行かれてる。ミイラ取りがミイラになったら、話になんねぇぞ」

 正捕手の檄に、ナイン達は「はいっ」と返事した。

 谷口もサードに戻った。隣で「自分も打ちたいです」と、イガラシが笑う。西将戦で手首を捻挫した彼は、昨日ようやく病院で“完治”と言われていた。

「やめておけ。ま、分かってると思うが」

「ええ。でも一月近く打ってないので、ブランクが心配です」

「なーに、おまえのことだ。すぐに感覚を取り戻すさ」

 眼前の打席には、二年生の加藤が入る。さすがに対策してきた。バットを短く持ち、かなり前寄りに立つ。

 初球。逃げていく軌道の速球を、加藤はおっつけるように弾き返した。谷口とイガラシが飛び付くも、その間を低いライナーが抜けていく。レフト前ヒット。

「……よしっ。なんとか、曲がりっぱなを叩けたぞ」

 一塁ベースを回りかけ、安堵したようにつぶやく。

「加藤さん、ナイスバッティングです」

 片瀬が微笑んで言った。そして、こちらを振り向く。

「キャプテン。正直、あまり抑えられてるって感じじゃないです。みなさん振りが鋭いですし、こうやってすぐ対応してきますもの」

「そりゃそうだよ」

 ホームベース後方で、次打者の戸室が得意げに言った。

「俺達だって、ずっと鍛えられてきたかんな」

「こら戸室。おまえは打ってから言え」

 すかさず倉橋が突っ込む。戸室は「あはっ」と頭を掻いた。最初の打席で、彼は二種類のカーブにタイミングが合わず、三振に倒れている。

 その時、丸井が「あっキャプテン」と声を上げ、校舎を指差す。そこに谷口だけでなく、全員の視線が集まる。

 制服姿の半田が、校舎の手前側を歩いていた。

「おお。いま帰ってきたか」

 谷口はそう言って、ナイン達に「いったん部室に集まろう」と声を掛けた。

 どうやら半田も、部室へと向かうようだ。なぜか足取り重く、明らかにしょんぼりとした表情を浮かべている。

 ふと思い至り、校舎の時計を見やる。すでに六時を過ぎ、予定よりも遅い帰校だ。

「……なぁ。半田のやつ、暗くないか」

 すぐに横井が気づき、頬を引きつらせる。

「こりゃクジ運、悪かったかも」

 加藤が「あり得ますね」と、苦笑いした。

「今回、けっこう有力校がシード漏れしてるんですよ。聖稜や大島工……それに東実も」

 その発言に、周囲がざわつき始める。

 無理もないか……と、谷口は溜息をつく。どこと当たっても構わないつもりではあるが、やはり序盤から厳しい相手は避けたい。それが本音だった。

 

 

3.組み合わせ発表!

 

「み、みなさん……ごめんなさい」

 半田が泣き顔になりながらも、学生鞄からA3サイズのザラ紙を取り出し、広げて部室の黒板に貼り付けた。そこにトーナメント表が記されている。

「これ……半田が、書いてくれたのか?」

「え、ええ。そうです」

「だから帰りが遅かったんだな。ありがとう、半田」

 谷口は、まず礼を言った。こういう仕事は抜かりがない。やはり半田は、裏方的な役割が向いているし、それが本人も好きなようだ。

「おい半田。そう、あまりショゲるなよ」

 倉橋が励ます。

「クジ引きは運でしかねーし、それに今年のうちは三回戦からだ。一、二戦を突破してくるチームに、ラクな相手なんてねぇよ」

「……は、はい」

 ようやく半田の顔から悲壮感が消える。

 すでにナイン達は、黒板前に集まっている。つま先立ちしたり、互いに押し合いへし合いしたりしながら、ガヤガヤと騒がしい。

「どれどれ、うちはどのブロックだ」

「こら押すなよ」

「墨谷は……あった。なんでぇ、試合は十日も先じゃねぇか」

「こんニャロ、見えないっつってるだろ」

 二時間近く練習を行った後とは思えないほど、誰もが快活だ。倉橋が「しょうがねーな」と苦笑いする。

 谷口は、まず「墨谷」の位置をチェックして、そこから視線を移していく。

 なるほど……と、小さくつぶやいた。墨谷と同ブロック内に、昨年のシード校「聖稜」の名前があった。さらに隣のブロックには、四強の常連「川北」も控える。

 ナイン達も気づいていた。

「あちゃー。聖稜って、いきなり大物が来たな」

 戸室が素っ頓狂な声を上げる。

「昨年も当たって、だいぶ苦戦したもんな」

 そうそう、と横井が相槌を打つ。

「一時は五点まで離されて、なんとか九回にひっくり返したけどよ。とくに相手ピッチャーのシュートに手こずったんだったな」

「ここに勝っても、つぎはおそらく川北か。なかなかシンドイ組み合わせだ」

 三年生達の会話に、また半田が泣きそうになった。横井は「ははっ、ドンマイよ半田」と慌てて慰める。

「……あっ、キャプテン」

 ふと前方にいた丸井が、こちらを振り向く。

「谷原はこっちです」

「おお、探してくれたのか」

 丸井が指差した場所に、第一シード「谷原」の名前を確認した。そのままトーナメントの山を追って、自分達といつ当たる組み合わせなのか調べに掛かる。すると、後輩が気を利かせ教えてくれた。

「うちとは、準決勝でぶつかる組み合わせです。ちなみに……東実と専修館は、反対側の山でした。当たるとすれば決勝」

 そう言って、丸井は嬉しげな顔になる。

「さすがキャプテン。まえに想定したとおり、ズバリじゃありませんか」

「ああ……いや、これは偶然だよ」

 笑って答えた後、まてよ……と思い直す。

 これはラッキーかもしれないぞ。きっと谷原は、余力を残して勝ち上がってくる。もし決勝で当たっていれば、彼らはそこで力を出し切ろうとするはず。しかし……準決勝なら、翌日のことまで考えなきゃいけない。

 頭の中で、谷口は起こり得る状況をシミュレーションした。

 東実とは決勝でしか当たらないのも、好都合だ。おそらくシード校の中で、一番われわれを警戒しているのが、彼らだ。しかし決勝の相手が、うちか谷原かという二択になれば、その比重は谷原に傾くだろう。こうなると、彼らの警戒も薄れて……

 そこまで考えて、谷口は小さくかぶりを振った。

 いや、よそう。どっちみち厳しい戦いになる。いかんな、俺がこんなこっちゃ。どの試合も、一戦必勝の気持ちで臨まなければ。

「……おっと、またかよ」

 横井のつぶやきに、現へと引き戻される。

「どうした?」

「谷口も覚えてるだろう。昨年やられた、あの明善だよ」

「うむ、もちろん忘れちゃいないさ」

 苦い記憶がよみがえる。昨年の大会で、連日の死闘により消耗しきった墨高は、最悪のコンディションで明善と対戦。準備不足もたたり、〇対八と完敗を喫していた。

「今回もお互い勝ち進めば、準々決勝でぶつかるみたいだ。くそっ……思い出すと、まだ腹が立つぜ。あんな状況でさえ、当たらなければ」

 苦笑いする横井の口の端に、悔しさが滲む。

「ま、あんときゃ仕方ないさ」

 戸室が、なだめるように言った。

「明善だって、あの東実を倒した実力校なんだ。そこにロクな準備もしないまま戦えば、そりゃああなるさ。とはいえ……つぎこそは、勝ちたいもんだ」

「……あ、あのう」

 おずおずと発言したのは、根岸だった。

「先輩方の話を聞いていると、なんだか強いトコばかりのように思えるのですが」

 谷口は微笑み、相手の左肩をぽんと叩く。

「そのとおりだ。与しやすい相手なんて、存在しないぞ」

「は、はぁ……」

 戸惑う後輩を横目に、谷口はナイン達を見回した。

「しかし、かといって恐れる必要もない。どこが相手だろうと、けっきょくやるべきは、自分達のチカラを出すこと。それさえできれば、もうカンタンには負けない。こう言い切れるだけのものを、われわれは積み上げてきたはずだ」

 キャプテンの激励に、墨高ナインは「おうっ」と力強く応える。

「ようし、気合が入ってきた」

「いっちょ墨高のチカラを、見せつけてやるか」

 チームメイト達を頼もしく思いながら、谷口はもう一度トーナメント表を見やった。そして「おや?」と気付く。

 自分達と同ブロック内に、近隣の実力校「城東」の名前を見付けた。

「おお。キャプテン、この城東って」

 すぐに丸井も気付き、問うてくる。

「墨二で一緒だった、松下さんのいるトコじゃないですか」

「う、うむ。覚えててくれたのか」

 内心複雑な思いで、返答する。

「ええ。松下さんといやぁ、かつて同じ釜の飯を食った仲ですし。れ……そういやぁ、城東もけっこう力あるって評判ですよね。ここもマークしとかないと」

「もちろんさ。城東に限らず、当たる可能性のあるチームについては、偵察の予定を組んでる。その時に、どれくらいの実力か見えてくるだろう」

「抜かりなしってことスね。でもなーんか、キャプテンにしては歯切れが悪いような」

「そ、そうか?」

 少しぎくっとした。その時「キャプテン」と、近くにいた加藤が割って入る。彼もまた墨谷二中の出身だ。当然、松下とも面識がある。

「俺から話します。同窓のキャプテンは、言いづらいと思うので」

「どういうこったよ加藤」

 じつはな……と、加藤が話を切り出す。

「丸井は知らないだろうが……じつは昨年と一昨年、うちは城東と対戦してるんだ」

「へっ。キャプテン、そうだったんですか」

 分かりやすく、丸井は驚いた目になる。

「ならそうと、おっしゃってくれれば良かったのに。んで結果は?」

「……それがな」

 加藤じゃ、渋い顔で答えた。

「二試合とも、てんで相手にならなかったんだ。一昨年の墨高は、まだまだ弱かったが、そん時でさえ七回コールド。昨年にもう一度、練習試合で戦った時は……松下さん一イニングもたなかったんじゃないかな」

「あ、あぁ……なるほど。そりゃ言いづらいワケだ」

 こちらに向き直り丸井は「スミマセン」と頭を下げる。

「いやなに、おまえが気にすることじゃないさ」

 谷口は、苦笑い混じりに言った。

「ま……そりゃ松下には、がんばって欲しいと思ってるさ」

 ただ厳しいだろうな、と胸の内につぶやく。

 昨年の時点で、聖稜は墨谷にとって、まだ荷が重い相手だった。いっぽう城東は、自分達に一蹴されている。普通に考えれば、城東が聖稜に勝つのは難しいだろう。

「……松下さんか」

 その時、ふいに黒板前のイガラシが、ぽつりと言った。

「なんだよイガラシ」

 丸井が愉快そうに、パシッと後輩の背中を叩く。

「おまえでも先輩と対戦するのは、フクザツってか」

「あ、いえ……というより」

 やや渋い顔で答える。

「過去に大勝した相手というのは、やりにくいなと思って。こっちは気が緩みがちだし、ぎゃくに相手は死に物狂いで向かってきますし」

「うむ、それは言えてるな」

 イガラシの冷静な意見に、谷口は首肯した。

 おそらく序盤戦は、相手云々よりも、まず自分達の心身のコンディションを整えることが重要となってくる。過去二年間の経験で、それを痛感していた。

「……よし。みんな、だいたいイメージできたか?」

 再び全員を見回し、谷口は声を掛ける。

「分かったら、練習の続きをしよう。ここからは一日もムダにできないぞ」

 ナイン達は「はいっ」と返事して、日の傾くグラウンドへと向かった。

 

 それから十日後……

 

 いよいよ夏の甲子園出場を賭けた、全国高校野球大会東京都予選が、盛大に幕を開けたのだった。キャプテン谷口タカオにとって、これが最後の地区大会である。

 

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【野球小説】続・プレイボール<第19話「つらぬけ、墨高野球!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第19話 つらぬけ、墨高野球!の巻
    • 1.松川の気迫
    • 2.意地の一振り
    • 3.戦いの後で……
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

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第19話 つらぬけ、墨高野球!の巻

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1.松川の気迫

 

 大飛球が、レフト頭上を襲う。

 代わったばかりの戸室が、懸命にバックする。とうとう背中がフェンスに付いた。ボールが落ちてくる。

「……くっ」

 左腕をめいっぱい伸ばす。差し出したグラブの先端に、ボールが引っ掛かる。

「あ、アウト!」

 三塁塁審が、右拳を高く上げた。

 すかさず西将の二塁と三塁のランナーが、同時にタッチアップする。戸室は助走を付け、中継の横井に送球した。この間、三塁ランナーに生還を許す。

 外野スタンドから、拍手が起こった。

「すげぇっ。満塁ホームランをもぎ取りやがった」

「よく捕ったぞレフト!」

「あきらめるなよ墨谷。まだチャンスはあるぞっ」

 横井からの返球を捕り、谷口は「ナイスガッツよ戸室!」と声を掛けた。そしてボールを持ったまま、マウンドへと駆け寄る。

 こちらの顔を見ると、松川は「スミマセン」と頭を下げた。

「低めをねらったんですが、浮いちゃいました」

「分かってるならいいんだ」

 谷口は微笑みかけ、ボールを手渡す。

「それより、いま腕をしっかり振れてたろ。球威があった分、フェンスオーバーはされなかった。だいぶ真っすぐにチカラついてきたじゃないか」

「いや……それでも、点取られちゃったので」

 朴訥とした口調で言うと、目を見上げる。

「つぎは外野にまで、飛ばさせません」

 へぇ、と谷口は驚かされた。

 松川の口から、ここまで強気の言葉を聴くのは、おそらく初めてのことだ。思えばこの半月ばかり、彼はどこか雰囲気が変わりつつある。

「む。たのむぞ松川」

 そう励ますと、松川は低い声で「はい」と返事した。

―― 二番ショート、田中君。

 打順は上位に回っていた。この田中は何でもできる巧打者だが、さらに長打もある。前進守備を敷きたいが、強攻されると間を破られそうなので、通常の守備隊形を選ぶ。

 コンッ。ちょうど三塁線とマウンドの中間に、スクイズバントの打球が転がった。西将のランナーが、躊躇いなくスタートを切る。

「まかせろっ!」

 松川がマウンドを駆け下り、滑らかなフィールディングで捕球した。しかしホームは間に合わない。すかさず一塁へ送球する。打者は駿足だったが、間一髪アウト。

「オーケー。いい判断だぞ、松川」

 声を掛けると、倉橋も同調した。

「ああ、無理することはない。いまはアウトカウントを増やそう」

 先輩二人の言葉に、松川は渋い顔ながらうなずく。

―― 三番ファースト、椿原君

 鈍い音が響いた。バットが折れたらしく、木屑が飛び散る。こちらも強打者の椿原が、痛そうに左手を振りながら、一塁へと駆け出す。

「し、しもた……」

 高いフライが、三塁側ファールグラウンドに上がっていた。谷口はすぐに落下点へと入り、ベンチの数メートル手前で捕球する。

「アウト、チェンジ!」

 三塁塁審のコール。やや疲れた足取りで、墨高ナインはベンチへ向かう。

 松川に、またも驚かされる。球質が重いことは知っていたが、西将のバッターが力負けするほどの威力だとは思わなかった。

 す、スゴイな。いまのは椿原が、ボール気味のタマを無造作に打ってくれたとはいえ、まさかバットをへし折るなんて。

 そういえば……と、谷口は思い出す。

 この頃、松川は遅くまで投げ込みしたり、フォームを修正したりして、ずっと地道な努力を続けてきたんだったな。その成果が、だんだん実を結び始めたか。

 ファールラインを踏み越えたところで、ふと後方を振り返る。スコアボードの五回表と六回表の枠に、こちらの失点を示す「3」が並んでいる。

 二対六。けっきょく四点差、つけられちゃったか。あのピッチャーを相手にして、やはり四点は重いな。でもみんな、それぞれ力を出してくれている。結果はどうあれ、最後まで喰らいついていくんだ。

「おい谷口。みんな待ってるぞ」

 その時、倉橋の声に呼ばれた。視線を向けると、他のナイン達が三塁側ベンチ手前で、すでに円陣を組んでいる。

「……あ、スマン」

 輪に加わった時、谷口はあることに気付いた。

「……あれ、井口は?」

 つい十分ほど前、青ざめた顔でベンチへ下がっていく姿を、見送ったばかりだ。満足にフォローもできなかったので、気に掛かっていた。

「やつなら、心配いりませんよ」

 鈴木がそう言って、ベンチ横を指差す。

「え……な、なにしてんだ」

 なんと井口はブルペンにいた。向かい側に、同学年の平山を座らせ、投球練習を行っている。隣には片瀬と根岸、さらにイガラシも付き添う。

「帰ってきてしばらくは、おとなしくしてたんスけどね。松川の力投に、いてもたってもいられらくなっちゃったみたいで。カーブを練習してきます、だって」

 愉快そうに述べる鈴木を、丸井がじろっと横目で睨む。

「こら鈴木、感心してる場合かよ。あれだけ後輩が台頭してきてるんだ。てめぇも負けないように、隠れて練習するくらいじゃなきゃダメじゃないのか」

 向かい側で、倉橋が「うむ。そうだな」と首肯する。

「いまからでも、素振りとかしてきたらどうだ。たしかバットが一本余ってたろ」

「は、はいっ」

 鈴木はそそくさと輪を抜け、一旦ベンチに引っ込む。やがてバットを探し出すと、それを持ってブルペンへ走った。

「ふん。あのノンビリ屋め」

 丸井の一言に、くすくすと周囲から笑いがこぼれる。

「ま……彼のがんばりには、これから期待するとして」

 一つ咳払いをして、谷口は話を始める。

「このとおり、厳しい展開だ。さすが甲子園優勝校と言うほかないよな」

 ナイン達は苦笑いした。それでも皆黙って、真剣に耳を傾けている。

「でも……われわれだって、無抵抗だったわけじゃない」

 谷口は、力を込めて言った。

「少ないながらチャンスを作り、何度もピンチをしのいできた。どんな状況でもあきらめずに戦う。今日まで作り上げてきた墨高の野球が、あの西将を相手にできているんだ。これを最後まで貫こう」

 やや声を潜めて、さらに付け加える。

「さっきイガラシにかき回されて……あのピッチャー、少し制球を乱してた。どうも揺さぶられると、過剰に意識してしまうクセがあるようだ」

 あっ……と、ナイン達が目を丸くした。

「だから、少しでも喰らいついていこう。そうすればチャンスも出てくるぞ」

 谷口は、語気を強めた。

 

 

2.意地の一振り

 

 キャプテン谷口の励ましに応え、墨高ナインは必死の抵抗を見せた。

 リリーフの松川が、七回も力投し無失点で切り抜けると、八回からは谷口が登板。西将の強力打線にピンチは作られるも、バックの再三の好守と、谷口の緩急を使った巧みなピッチングにより、またも得点は許さず。終盤の三イニングをなんと零封したのだった。

 しかし……竹田と高山の西将バッテリーは、やはり難攻不落である。

 快速球に加え、多彩な変化球。なんとか喰らいつこうとするナイン達だったが、回を追うごとに当てることすら、ままならなくなっていった。

 

 そして――試合は二対六のまま、ついに九回裏を迎える。

 

 先頭の丸井と続く島田は、いずれも追い込まれてから粘ったものの、最後はフォークボールで三振に仕留められた。

 ツーアウト、ランナーなし。墨高はとうとう追いつめられる。

 

 

―― 四番キャッチャー、倉橋君。

 ネクストバッターズサークルに、谷口は控える。マスコットバットで素振りしながら、倉橋の打席を見守った。

 チッ。辛うじてバットに当てた打球が、バックネットへ転がっていく。

「くそっ、振り遅れちまった」

 倉橋は一旦打席を外し、軽く左手を振る。どうやら痺れたらしい。

「ドウモ」

 会釈して打席に戻ると、バットの握りをさらに短くした。

「ふふん。そんな持ち方で、打ち返せるのかいな」

 高山が揶揄してきたが、倉橋は無視した。

 二球目。露骨にアウトコースへ投じてきた速球を、踏み込んで狙い打つ。ところが力負けしてしまい、一塁側ファールグラウンドへ打球が上がる。

「し、しまった……」

 倉橋が顔を歪めた。しかしフライが風に流され、スタンドに落ちる。

「ファール!」

 一塁塁審のコールに、打者は「あぶねぇ」と吐息をつく。

「おたく、命拾いしたな」

 マスクを被りながら、高山がまた挑発してくる。

「ねらってくると思うとったで。ま……たとえねらわれても、竹田のタマはそう容易に打てないからな」

「あ、そう。大した自信だこと」

 打者は軽く受け流し、さっきと同様にバットを構える。

 いいぞ倉橋。高山のちょっかいに、少しも惑わされてない。ちゃんと集中を保って、ねらいダマを見定めてる。

 ただ……と、谷口はひそかに溜息をつく。

 これでツーストライク、追い込まれちゃったな。そうなると向こうのバッテリーは、きっとフォークを投げてくる。ほかのボールも厄介だが、あれはちょっと別格だ。いくら倉橋でも、さすがに厳しいだろう。

 そして三球目。竹田は、やはりフォークを投じてきた。

 倉橋は一瞬バットを出しかけるが、寸前で止める。内角を突いたボールが、倉橋の足元でワンバウンドした。

 アンパイアが立ち上がり、パチンと膝を打つジェスチャーをした。そして一塁を指差し、やや甲高い声で告げる。

「デッドボール!」

 死球の判定に、僅かながらスタンドがざわめく。

「こ、こら竹田。ねらいすぎやで」

 高山がマスクを取り、苦笑いした。その傍らで、倉橋は「やれやれ」とつぶやき、小走りで一塁へと向かう。ベースを踏むと、こちらに顔を向ける。

「よく見たぞ倉橋!」

 声を掛けると、相手は渋い顔で「おう」と返事した。

「つぎはフォークと踏んでたんだ。イチかバチかだったが、見逃せばボールだと思って、振らないことにしたんだ。あやうく手が出そうになったがな」

 そうだ、思いきりだ……と、谷口は自分に言い聞かせる。危険を承知のうえで、迷いなくプレーする。それを学ぶための戦いが、今日の試合なのだ。

―― 五番ピッチャー、谷口君。

 アナウンスを聴き、打席へと入る。一度深呼吸し肩を上下させ、力を抜く。それから速球に備えるため、やはりバットの握りを短くした。

 横目で、ちらっと高山を見やる。何か言ってくるかと思ったが、意外にも今度は、こちらに目もくれず。代わりに、マウンド上の竹田へ声を掛ける。

「おい竹田。ここまで来たんだ、もうバッターのことは考えなくてええぞ。投げ込みのつもりで、あと三球、おまえのベストボールを見せてくれや」

 へぇ、うまい言い方だな。投げ込みのつもりで、ベストボールを……か。たしかに、これだけのタマを投げられるピッチャーなのだから、バッターより投げることに集中させるのも、一つのテではあるな。

 他人事のように思った後、つい含み笑いが漏れた。

 でも……わざわざ口にするってことは、やはりこういう場面で、竹田は力んでしまうクセがあるんだ。倉橋にツーナッシングから、死球を与えたくらいだからな。焦りというより、たぶんきれいに終わらせようとしすぎなんだろう。

 初球。おそらく引っ掛かったのだろう、ホームベース手前でバウンドする。高山が両肩を回し「ラクに」と合図した。

 おや、と谷口は気付く。

 いまのボール、あまり力がなかったな。力むとうまく指にかからなくて、こういうタマを投げちゃうんだ。ここに来て、やっと彼の弱点が見えてきたぞ。

「うーん。たまに、変なタマ投げてきよる」

 高山がおどけた声を発した。

「つぎ、もし顔とかにきたら……カンニンな。ちゃんとよけるんやで」

 脅しているのだと、すぐに察した。

「だいじょうぶだよ」

 微笑んで、谷口は答えた。

「うちの野球部、至近距離でノックとかよくやるし」

 事実を答えただけなのだが、高山は「おっかな」と顔をしかめる。

 谷口がバットを構えると、キャッチャーもようやく屈み込んだ。サインを交換すると、マウンド上の竹田が投球動作へと移る。

 アウトコース高めに、抜けダマがきた。

 やはり力がない。高山が慌てた様子で、腰を浮かせミットの左手を伸ばす。明かなボール球だったが、谷口はこれを強振した。

「……くわっ!」

 パシッ。打球は、ライト頭上へ舞い上がる。上がりすぎたかと一瞬思ったが、西将の右翼手がじりじりと後退し、とうとう背中が外野フェンスに付く。

 ボールは、そのままスタンドへと吸い込まれた。ツーランホームラン。

「や、やった」

 小走りにダイヤモンドを回りながら、谷口はぐっと右拳を握り込んだ。

 

 

 土壇場に飛び出した一発。内外野のスタンドは、大いに沸き上がる。

「す、すげぇ。西将のエースからホームラン打っちゃうなんて」

「墨谷って、こんなに強いのかよ。初めてシードされたばかりなんだろ」

「それより二点差だ。こりゃ、まだ分からんぞ」

 観客のそんな声が聴こえてきた。どよめきは、やがて拍手へと変わっていく。

「……けっ、判官贔屓もええとこやで。こんなん焼け石に水やないか」

 高山がぼやくと、竹田は「そうだな。ははっ」と笑い声を上げた。

「こら、そこのエース」

 すかさず突っ込みを入れる。

「打たれといて、笑うとる場合か。なんやあの力のないタマは」

「わ、わりぃ。ちょっと滑っちゃって」

「あたりまえや。足元のロージンは、飾りか?」

 竹田は慌ててロージンバックを拾い、指先に馴染ませる。

「ふん、ええクスリになったやろ。もうちょいシャキッとしぃや」

 そう言って、ひそかに溜息をつく。

 にしても……まさかあの抜けダマを、ねらってくるとは。ランナーを出すと、ああいうボールを投げよる。気にはしてたが、どうせストライクにならへんから、いままで矯正しなかったんや。フツウ、誰もあんなクソボール打たへんし。

 くくっ、と思わず笑ってしまう。

 けど、考えてみりゃ……わりと合理的やな。いくらボール球でも、力のないタマをねらった方が、ヒットにできる確率は高い。やつらホンマに、僅かでも突破口を見つけたら、強引にでもこじ開けよる。

 その時、ウグイス嬢のアナウンスが流れた。

―― 墨谷高校、選手の交代をお知らせ致します。六番の岡村君に代わりまして、根岸君。バッターは、根岸君。

 ほう、ここで代打かい。やつらまだ……あきらめてへんってことやな。

 わりと大柄なバッターが、右打席に入ってきた。イガラシが負傷した時、連れにきた選手だと気付く。その後は、ずっとブルペン捕手を務めている。

 根岸は、白線の内側ぎりぎりに立ち、バスターの構えをした。

 こいつ……なんや、その構えと立ち位置は。インコースを投げにくくさせようとしているのか、それとも誘っているのか。あるいはアウトコース一本に絞っているのか。

 高山は屈み込み、サインを出した。要求はアウトコースの速球。

 何を考えてようが、カンケ―あらへん。ここはもう、竹田のベストボールを引き出すだけや。打てるもんなら打ってみぃ。

 マウンド上。竹田はうなずき、投球動作へと移る。ワインドアップから、強く右腕をしならせ、第一球を投じた。

 眼前の右打席。根岸は、一転してヒッティングの構え。やはりバスターだ。おっつけるようにバットを差し出す。

 ガッ。鈍い音が響くのと同時に、根岸は「くそっ」と唇を噛んだ。

 速球の威力に、打者は力負けした。しかし思いのほか伸びる。セカンド平石の頭上を越え、外野の芝へと落ちていく。

 その瞬間、ダッシュしてきた右翼手が飛び付いた。

「……あ、アウト!」

 ボールは、差し出したグラブの先に引っ掛かっていた。三塁塁審が、大きく右手を突き上げる。内外野のスタンドから、安堵と落胆の混じった溜息が漏れた。

 

 招待野球第二試合は、こうして幕を閉じた。

 春の甲子園優勝校・西将学園に対し、墨谷は最後まで食い下がるも、あと一歩及ばず。四対六。地力に勝る西将が、墨谷を振り切ったのである。

 予想外ともいえる白熱した好勝負に、観客達は胸を打たれる。試合後には、両校のナインに対し、スタンドから惜しみない拍手が送られたのだった。

 

 

3.戦いの後で……

 

 三塁側選手控室に、墨高ナインは集まっていた。

 ほとんどの者が、すでに着替えを済ませ帰り支度を整えている。試合後にも関わらず、疲れているのか敗戦の悔しさなのか、口を開く者は少ない。

「……お待たせしました」

 通路へ出るドアが開き、イガラシが医務室から戻ってくる。負傷した直後、一度手当てを受けているが、念のため試合後にも行かせていた。

「おう。どうだった?」

 キャッチャー用具をまとめながら、倉橋が尋ねる。

「倉橋さんの言ったとおりでした」

 包帯の左手を掲げ、イガラシは苦笑いした。

「打ぼくと軽いねんざだと言われました。いまは、かなり腫れていますけど。夏の大会には、なんとか間に合いそうです」

 谷口は、胸を撫で下ろした。周囲からも安堵の吐息が漏れる。

「……おまえってやつは。ほんとに、ムチャしやがって」

 傍らで、倉橋が「まったくだぜ」と首肯する。

「イガラシ。あまり谷口のマネばかり、すんじゃねぇぞ」

「あっ」

 ついずっこけてしまう。ぷぷっと、数人が吹き出した。しばし重かったナイン達の雰囲気に、ほんの少し明るさが戻る。

「ところでイガラシ」

 ちょうど着替え終えた丸井が、声を掛ける。

「向こうの高山ってキャッチャーに、なんで突っかかっていったんだ。アタマにきてるふうでもなかったし。なにか意図でもあったのか?」

「ははっ。さすが丸井さん、気づいてましたか」

 イガラシは、笑って返答した。

「おしゃべりな人でしたからね。うまくノセておけば、ぽろっと谷原の弱点とか、口にしてくれるんじゃないかと」

「そ、そうかっ。やつら甲子園で、あの谷原と戦ってるんだ」

 そう言って、丸井はイガラシの左手をつかむ。

「……テッ。ま、丸井さん。左手はちょっと」

「あぁスマン。しかし……いまからでも、遅くないぞ」

「えっ、なにがです?」

「決まってるだろ。あの高山をつかまえて、谷原の攻りゃく法を聞き出すんだよ」

「ううむ……それは、どうでしょう」

 後輩は、小さくかぶりを振った。

「あの人が口をすべらせるならともかく、親切に教えてくれるとは思えませんし」

「む。たしかに、意地悪そうな感じだったな」

「それに考えてみりゃ、うちとはチームの特徴も戦力も大きくちがうので。聞いたところで参考にならないんじゃないかと」

 よくそこまで頭が回るものだなと、谷口は半ば呆れながらも感心した。もしイガラシが最後まで出場できていたら、今日の結果は違っていただろう。

「なあ丸井。それに、みんなも」

 静かに問いかける。

「どう谷原と戦うべきか。それはもう、ほとんど分かってるだろう」

「え……まぁ、そうスね」

 はっとしたように、丸井がうなずく。

「今日だって、みんな最後まで、粘り強く戦えたじゃないか。負けたとはいえ当初のテーマは、完遂できた。あとは……どれだけ鍛錬を積めるかだよ」

 谷口の言葉に、倉橋が「うむ」と相槌を打つ。

「相手は強かったが、なにもできなかったワケじゃない。井口はよく投げてたし、リリーフの二人も。七回から点はやらなかったしな」

 横井が「それによ」と割り込む。

「第一、俺らが谷原用の特訓を始めて、まだ一週間もならないからな。それですぐ、あのクラスのチームを倒そうなんて、虫が良すぎるか」

 ええ、とイガラシも首肯する。

「横井さんの言うとおりですよ。正直、思ったよりは渡り合えたので、やり方はあれでいいと思います。及ばなかったのは……けっきょく、まだ練習が足りないんです」

「とくに俺は、竹田の変化球にやられすぎたのが、反省だよ」

 バツの悪そうに横井が言うと、戸室が隣で「そりゃ俺もだ」と苦笑いした。

「まぁまぁ。あれは、慣れの問題もありますし」

 イガラシはそう言って、ふと何かを考え込むような顔をした。

「あの……学校に帰ったら、ぼくが打撃投手やりましょうか? フォークは投げられないですけど、落ちるシュートとチェンジアップなら」

 ええっ、と周囲がどよめく。

「ばか。ケガしてるってのに、なに言ってんだよ」

 丸井がたしなめると、イガラシは「なーに」と笑う。

「利き腕じゃないですし、投げるだけならワケないですよ。もちろん打球は捕れませんけど。たしか防御用ネットがあったので、それを使わせてもらえば」

 ナイン達のやり取りに、谷口は感嘆の吐息を漏らした。

 みんな……す、スゴイじゃないか。負けて悔しがるだけじゃなく、つぎなにをすればいいかまで、自分達で話し合えるなんて。これなら、うちはもっと強くなれる。あの谷原にも、勝てるかもしれないぞ。

「ありがとうイガラシ」

 無鉄砲な後輩と目を見合わせ、谷口は一つ咳払いして言った。

「でも、それは俺がやる。なにかあったら困るからな」

「キャプテン」

「それより井口のランニングにつき合ってくれ。まだウエイトを落とさなきゃならん」

 井口が「へっ?」と、間の抜けた声を発した。

「あ、なるほど。分かりました」

 イガラシは素直に返事して、口を半開きにしている幼馴染を小突く。

「……テッ」

「なんだよ。その間抜けヅラは」

「俺、西将相手に投げて、疲れてんだぞ」

「だからこそのランニングじゃないか。肩や肘の負担も、気にしなくていいしな」

「うっ。トホホ……」

 しょんぼりと井口が下を向く。周囲から、くすくすと笑いがこぼれた。

 

 

 その時、控室のドアがノックされる。

「どうぞ」

 谷口が返事すると、すぐにドアが開く。若い男が姿を現した。

 白地のポロシャツに「実行委員会」と記された腕章。どうやら招待野球の運営に携わる球場係員らしい。

「失礼します。キャプテンの谷口君は、きみかい?」

「ええ、そうですが」

「きみにお客さんが来てる。そんなに時間は取らせないので、ちょっといいかな」

「は、はぁ……」

 戸惑いながらも、谷口は男に付き添われ、通路に出た。

「監督。墨谷のキャプテン、谷口君をお連れしました」

 彼が手をかざした先に、もう一人の立っていた。野球のユニフォームに、ウインドブレーカーを身に纏っている。眼鏡を掛け、いかにもインテリ然とした紳士。

 その人物が誰なのか、谷口はすぐに思い当たる。

「あ……さ、さっきはドウモ」

 彼こそ西将学園の監督、中岡その人であった。思わぬ敵指揮官との対面に、つい狼狽えてしまう。

「おおっ来てくれたか。休んでいるところ、すまないね」

「いえ、そんな……わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」

「ハハハ。そう、かしこまることはない。あらためて……中岡です、よろしく」

 中岡はそう言って、右手を差し出した。

「たっ谷口です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 二人は固く握手した。百戦錬磨の男の手は、意外にも柔らかい。

「さて。あまり時間がないので、急ぎ用件を伝える」

 名将は柔らかな表情で、話し始める。

「まずは……この招待野球に参加してくれて、感謝するよ」

「か、感謝ですか?」

 やや訝しく思いながらも、谷口は答えた。

「そんな……とんでもありません。ぼくらこそ、貴重な経験になりました」

「ふふっ、すまない。説明不足だったね」

 中岡は、にやりとして言った。

「あの……と、おっしゃいますと?」

「きみも知っているだろうが、なかなかうちの相手が決まらなくて、困っていたのだよ。君達が引き受けてくれて、助かったんだ。そればかりか、こんなに良い戦いをしてくれて……おかげで私の恩師が、面目を保てたよ」

「は、はぁ……恩師の方が」

「うむ。ちなみに、きみも知っている人だ」

 思わぬ一言に、谷口は目を見開く。

「きみも覚えているだろう」

 相手は、愉快そうに告げる。

「昨年まで、全国中学野球連盟の委員長を務めておられた、大田原先生だよ。私は先生の、中学教員時代の生徒でね」

「お、大田原先生って……ああっ」

 思わず声を上げていた。

「以前、青葉との再試合を決めた」

 数々のトロフィーや賞状の飾られた一室で、自分と新聞記者を出迎えた、あの気難しそうな顔が浮かぶ。

「きみと墨高の活やくを期待している、と先生からの伝言だ。今日の内容を聞いたら、きっと喜んでくれるだろう」

 中岡はそう言って、さらに「もう一つ」と付け加える。

「試合の後、観戦に来ていた知り合いの監督達と、何人か会ってね。来週、この近辺まで遠征に来るそうだが、ぜひ練習試合がしたいと言ってたよ」

「えっ、ぼくらとですか?」

 こちらの戸惑いをよそに、中岡は一枚の紙を差し出す。

「これがリストだ。お互いの都合もあるだろうから、あとは調整してくれと伝えたよ」

 紙を広げると、三つの学校と連絡先が記されていた。その名前に驚かされる。

「あ、あの……ここってもしや、ぜんぶ春の甲子園に出てたトコじゃ」

「うむ。そうだが」

 名将は、事もなげに答えた。

「いいんですか? ぼくらが、こんな……」

「なにをうろたえているのかね、いまさら」

 可笑しそうに肩を揺する。

「うちとあそこまで渡り合えたのだから、もうコワイものはなかろう」

「ええっ。そ、それは」

 帽子を被り直し、名将は穏やかに微笑んだ。

「きみらはもう……どこと戦っても、恥ずかしくない試合ができるはずだよ。じかにやり合った、この私が保障する。自信を持ちたまえ」

 そう言って、また右手を差し出す。

「ありがとうございます。ご期待に沿うよう、がんばります」

 谷口は深く一礼して、もう一度中岡と握手を交わした。

 

 

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【野球小説】続・プレイボール<第18話「これが王者の底力!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第18話 これが王者の底力!の巻
    • 1.四番の一撃
    • 2.双方の駆け引き
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 


 

 

第18話 これが王者の底力!の巻

www.youtube.com

 

  

 

1.四番の一撃

 

 谷口が駆け寄った時、イガラシはまだ頭を伏せていた。

「おいっ。どこを傷めたんだ?」

 すぐに丸井と加藤、他の内野陣も集まってきた。この間、アンパイアはタイムを掛け、遠巻きに見守っている。

「……だ、だいじょうぶですよ」

 やがて、イガラシが立ち上がった。そして苦笑いする。

「ボールが鳩尾に当たっちゃって。一瞬、息が苦しかっただけです」

「しかし、さっきスゴイ音したぞ」

「平気ですって。ほら」

 谷口の目の前で、イガラシは高くジャンプして見せた。

「このとおり、なんともないでしょう?」

「む……そうだな。よかった」

 後輩の無事を確認して、まずは胸を撫で下ろす。

「それよりキャプテン。つぎは、あの四番です」

「分かってる。みんな集まれっ」

 谷口の掛け声に、内野陣はマウンドに集合した。

 墨高ナインの眼前。ネクストバッターズサークルにて、西将の四番高山が素振りしている。なにやら口笛を吹き、余裕の表情だ。

「歩かせた方がいいと思うぞ」

 左手のミットを腰に当て、まず倉橋が発言した。

「ここまで、高山はすべて敬遠だ。それが功を奏して、まだ向こうさんは、打線に勢いがついていない。もうツーアウトだし、後続さえ抑えりゃ」

「でも、その後続が……けっこう打ってますよ」

 丸井が苦笑いを浮かべる。

「五番の竹田さんは、二安打です。両方とも火の出るような当たりで、長打にならなかったのが不思議なくらいでした。タイムリーを打たれたら、投げる方まで調子づくかも」

「ぼくも、ここは勝負すべきだと思います」

 淡々と告げたのは、イガラシだった。

「ピンチで中軸を迎えるっていう状況は、公式戦でもありえます。この機会に、そういう経験をしといた方が、後々いいんじゃないでしょうか」

「しかし……得意のシュートを、ねらわれちまってるからな」

 憂うように、加藤が言った。

「やつら序盤は打ちあぐねてたが、ここにきて捉え出してるし」

 ナイン達の言葉を、谷口はしばし黙って聞いていた。それでも、ほどなく輪の中心に立つ一年生投手へ顔を向け、口を開く。

「井口。おまえの気持ちが、一番大切だぞ」

 こちらと目を見合わせ、井口はきっぱりと答えた。

「勝負します」

 周囲から「おおっ」と吐息が漏れる。

「試合の流れは、いま西将に大きく傾いています。あれじゃ四番を歩かせたところで、やつらの勢いは止まりません。ここはなんとしても、あの高山を打ち取らないと、どっちみち勝ち目はないと思います」

 思いのほか理路整然とした回答に、谷口は感心させられた。

 けっして蛮勇ではなく、冷静に状況判断する力を、この男は有している。それを確認できただけでも、好きに投げさせた意味はあったと思う。

「分かった、やってみろ」

 そう告げて、軽く右拳を突き上げる。

「井口……その代わり、中途半端は許さんぞ。おまえのベストボールで、高山をねじ伏せろ」

 キャプテンの言葉に、井口は「はいっ」と力強くうなずいた。

 タイムが解け、内野陣はそれぞれのポジションへ散っていく。ホームベース奥に、倉橋が屈み込んだ瞬間、スタンドが大きくどよめいた。

「キャッチャーが座ったってことは、勝負する気かよ」

「ずっと歩かせてたのに……まさか、このピンチでか」

「いい度胸してるじゃないか。墨谷のやつら」

 観客のそんな声が聴こえてくる。

「が、ガンバレ墨谷!」

 誰かが叫んだ。さらに、数人が続く。

「そうだ。墨谷負けるなっ」

「もし勝ったらスゴイことだぞ」

「西将なんか、やっつけちまえ!」

 丸井が「ははっ見ろよ」とスタンドを指差す。

「観客も、やっと俺っちらの強さに気づいたようだぜ」

「どうでしょう。いわゆる判官贔屓ってやつじゃないスか」

 イガラシの冷静なツッコミに、丸井は「あら」とずっこける。

 マウンド上。ロージンバックを足元に放り、井口は投球動作へと移った。セットポジションから、右足を踏み出しグラブを掲げ、弓のように左腕をしならせる。

 

 

 アウトコース低めいっぱいの速球を、高山は見逃した。

 この局面で、ええとこ投げよる。スピードとシュートのキレだけやのうで、コントロールも悪うない。これだけのピッチャーが、よく埋もれとったな。

 二球目。カーブが指に引っ掛かったらしく、ホームベース手前でバウンドした。キャッチャー倉橋が、プロテクターに当てて止める。これやもんな……と、ひそかにつぶやく。

 カーブがイマイチやな。他のやつに投げた時も、曲がりきらなかったり、すっぽ抜けたりしとった。これも使えるようになれば、もっと的が絞りづらくなるのやが。速球とシュートの二択じゃ、うちの打線は抑えられへんで。

「井口。これでいいんだっ」

 倉橋が声を掛ける。

「ミスしても俺が止めてやる。いまのように、思いきり腕振れ」

 ほう。このキャッチャー、うまい声かけするやんけ。しかも「止めてやる」なんて、よほどバウンドに自信があるんやな。

 話しかけて、僅かでも集中を削ごうかと考えたが、寸前で思い留まる。

 やめい。この際、小細工はナシや。このチーム、ええ根性しとるで。それやからこそ……俺のバッティングで、真っ向から粉砕したる。

 四球目は、またもアウトコース低めの速球。決まってツーストライクとなった。顔を伏せ、ほくそ笑む。

 つぎは十中八九シュートやろ。一番の得意を投げんで打たれたら、悔いが残るもんな。もしちがう球種だとしても、それは見せダマにするはずや。勝負は、必ずシュート。

 ところが……迎えた五球目。高山は、あっけに取られた。

 またもアウトコース低め。しかしスピードを殺したボールが、大きな弧を描き、倉橋のミットに吸い込まれる。スローカーブ。意表を突かれ、手が出ない。

 しっしもた、見送っちまった……

「ボール!」

 アンパイアのコールに、高山は安堵する。

 スタンドが「おおっ」とどよめく。双方のナインそして観客までも、この勝負に引き込まれていた。やがて歓声が潮のように引き、周囲は静寂に包まれる。

 ふぅ、命拾いしたわぁ。まさか、さっきミスしたスローカーブを、ここで投げてくるとは。しっかし……落差といいコースといい、今度はええボールやったな。

 倉橋が「惜しかったぞ。ナイスボール!」と、微笑んで返球した。それを横目に、高山はバットを握り直し、マウンド上を凝視する。

 ボール半個分てとこか。おたくら、ちとツキがなかったな。気の毒やが……つぎこそ、仕留めさせてもらう。よう覚悟しとき。

 そして六球目。読み通り、井口はシュートを投じてきた。

 速球とほぼ同じスピードで、膝を巻き込むように鋭く曲がる。だがその軌道を、高山はくっきりと捉えていた。躊躇なくフルスイングする。

「……れ、レフト!」

 はらうようにマスクを脱ぎ、倉橋が叫ぶ。左翼手の横井は、必死の形相で背走するも、フェンスの数メートル手前で諦めた。ボールは、レフトスタンド最上段へ飛び込む。

 球場がざわめいた。三塁塁審が、ぐるぐると右腕を回す。スリーランホームラン。

「く、くそうっ」

 井口はグラブを腰にぶつけ、歯ぎしりする。他の内野陣は、悔しげに頭上を仰ぎながらも、すぐに掛け声を発した。

「しゃーない。切りかえよう」

「まだ一点差だ、どうとでもなる」

「井口。よく攻めたぞ、ナイスガッツ!」

 バットを放り、高山は小走りにダイヤモンドを回る。

 にしても相手のバッテリー、よく勝負を決断できたな。いや意図は分かる。竹田が登板した後、うちらは押せ押せだった。敬遠くらいじゃ潮目は変わらない。

 ホームベースを踏み、短く吐息をついた。

 意図は分かるが、フツーできねぇよ。勝負を選んだことじたい、正気の沙汰じゃないが。あの井口ってピッチャーに至っては、失投したのと同じボールを放りやがって。

 しかし紙一重やったな、と胸の内につぶやく。

 もし、あのスローカーブが決まっていれば、いまごろ流れは向こうや。あいつらの図ったとおり。ほんの束の間にしても……追いつめられとったわけやな、墨谷に。

 顔を上げた時、ベンチ奥に佇む、監督の中岡と目が合う。ほとんど無表情に見えたが、微かに口元が緩む。そうか、と高山は合点した。

 分かってきたで。なんでこの試合、監督がレギュラーを起用しとるのか。

 

 

「ナイスバッティング、高山ぁ」

「さっすが四番。よう打ったで!」

 逆転ホームランを放った高山が、味方から手荒な祝福を受けている。

「……って、やめい。おまえら、人の頭をぽんぽん気安く叩くなや」

 その背中がベンチに引っ込むのと同時に、谷口はタイムを取る。そして内野陣に集まるよう指示し、自分もマウンドへ向かった。

 す、スゴイ……とひそかにつぶやく。

 井口のベストボールだった。右打者の膝を巻き込むように、内角のストライクゾーンぎりぎりに飛び込むシュート。並のバッターなら、腰が引けてしまう。

 あれをスタンドまで持っていくとは、恐ろしい力量だ。パワーだけじゃなく、選球眼とスイングのしなやかさ。初めて見るぞ、こんなバッター。

 谷口は、小さくかぶりを振った。敵チームの打者を感心している場合ではない。今こそキャプテンとして、すべきことがある。

 マウンド上。井口が唇を噛み、西将の一塁側ベンチを睨んでいる。

 いい顔してる、と谷口は思った。痛恨の一発を浴びてなお、この一年生投手の闘志は、少しも衰えていない。下を向くようなら、すぐにでも交代させようと思っていたが、その心配はなさそうだ。

「どうだ。さすがに疲れたろう」

 分かった上で、あえて煽るように問いかける。

「いまの一発は、仕方ない。向こうが完全にうまかった。それを差し引いても、五回途中まで三失点。あの西将相手に、ちょっと出来すぎなくらいだ。よく投げてくれたな」

「は、はぁ……」

 井口が、こちらに怪訝そうな目を向けた。

「もう十分だ。ここで無理して、むやみに傷を広げることはない。松川の準備もできてるし、下がっていいぞ」

「な、なにを言うんですかっ」

 相手は左拳を握り、口角を尖らせる。

「打たれるのが怖くて、ピッチャーなんか務まりませんよ。ここで尻尾巻いて逃げ出したんじゃ、悔やんで夜も眠れなくなります。だいたい試合前、向かっていく気持ちが大事だと言ったのは、キャプテンじゃありませんか」

 井口の傍らで、丸井とイガラシが目を見合わせ、くすっと笑う。どうやら、こちらの意図を見抜いたらしい。

「まだ投げられるというのか?」

 尋ね直すと、井口は「あたりまえです」と即答した。

「さっきので通用しないってんなら、それ以上のタマを投げてやりますよ。やつら調子づいてくるでしょうから、こちとらそう甘くねぇって、思い知らせてやんねぇと」

 無言でうなずき、他のメンバーを見回す。

「このとおり、井口の闘志は失われていない。彼の心意気を、俺は大事にしてやりたいと思う。みんなはどうだ?」

「けっ、身の程知らずが」

 丸井がわざとらしい悪態をつく。

「しゃーねぇ。キャプテンに免じて、つき合ってやらぁ。そんかし……半端なタマ投げやがったら、承知しないぞ」

 そのとおりだ、と加藤もうなずく。

「結果はともかく、思いきりよく投げろ。バックがついてる」

「ていうより……いっそ、コテンパンに打たれちまえ」

 辛口の言葉を発したのは、倉橋だった。

「この聞かん坊は、泣くぐらいの思いをした方が、課題を自覚できていいかもな」

「うっ……そ、そんな。倉橋さん」

 井口がバツの悪そうな顔をした。正捕手はにやりとして、付け加える。

「まーいい。やるからには、しっかりな」

 やがてタイムが解け、内野陣はそれぞれのポジションへ散っていく。

 すでに西将の五番打者、エースの竹田が右打席に立つ。倉橋が「しまっていこうぜ!」と叫び、屈み込む。おうよっ、とナイン達も応えた。ほどなくプレイが掛かる。

 初球。井口は、インコース高めへ速球を投じた。竹田のバットが回り、バックネットへファールが飛ぶ。チッ、ガシャンと音が鳴る。

 おや、と谷口は思った。

 二球目は、外寄りの低めにシュート。竹田はぴくりとも反応しない。アウトコースいっぱいに決まり、あっさりツーストライクとなる。

 真っすぐをファールにした後、やはりつぎのシュートは見逃した。彼らは三点取って、どうもシュートねらいをやめたらしいぞ。

 そして三球目。井口は、なんとスローカーブを投じた。さしもの竹田も意表を突かれたのか、手が出ない。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアのコールと同時に、墨高ナインは一斉に駆け出した。

「よくしのいだぞ墨谷。さぁ反撃だっ」

「エリートチームなんか、やっつけちゃえ」

「取られたら取り返せ!」

 スタンドから、力強い声援が降ってくる。健闘を称える拍手も重なる。

 ベンチに入ろうとした時、背後から「キャプテン」と呼ばれた。振り向くと、イガラシが微笑んでいる。

「さっきは、うまく井口をノセましたね」

「む。このレベルの相手には、あいつの闘志が欠かせないからな。ちょっと打たれたからって、ショゲるようじゃ困る」

「ええ。かといって、素直に聞くようなやつじゃありませんから」

 そう言って、ふとイガラシは真顔になる。

「けど、キャプテン。そろそろ代え時は見極めないといけませんね」

「分かってる。彼ら、どうやら制約をなくしたらしい」

「キャプテンも気づいてましたか。一番難しいシュートだけねらって、逆転に成功したわけですし。好きなタマを打つとなれば、やつらどんなチカラを発揮してくるか」

「ああ……しかしそのまえに、われわれの攻撃だぞ」

 イガラシは「はい」とうなずいて、グラブをベンチの隅に置き、バットを拾う。この回の先頭打者は、彼からだ。

「あの竹田というピッチャーは、ちょっと見たことのないレベルだ。いくらおまえでも、そうカンタンには打ち込めないだろうが、喰らいついていけ」

 なぜか返事がされない。こちらに背を向け、うつむき加減で立っている。

「い、イガラシ?」

 改めて声を掛けると、後輩は「えっ」とようやく振り返る。

「あ、スミマセン……ちょっと考えごとを」

「めずらしいな。もしや、ねらいダマでも決めかねてるとか」

「い、いえ。そういうワケじゃないですが」

 なぜか歯切れが悪い。いつものイガラシなら「あれぐらい打ってみせますよ」と、事もなげに言い放ちそうなものだ。

「どうしたイガラシ」

 丸井も傍に来て、怪訝そうに尋ねる。

「ひょっとして、なにか気づいたのか?」

「えっと……まだ確信がないので、たしかめてきます」

 そう返答して、イガラシは打席へと向かう。心なしか足取りが重い。

「なんだよアイツ。腹でも下してんのか」

 丸井が心配そうな目を向けた。

 

 

2.双方の駆け引き

 

 イテテ、やっちゃったぜ……

 打席へ向かう途中、イガラシはそっと左手首を押さえた。さっきショートへの痛烈な打球を捌いた時、ショートバウンドが当たったのだ。すぐにバッティンググローブを嵌めたので、誰には見られずに済んだが、赤く腫れてしまっている。

 眼前のグラウンド上。西将のキャッチャー高山が、二塁送球を投じた。ボールが矢のように、ベールカバーの二塁手のグラブへ吸い込まれる。

「……よし、いいだろう。バッターラップ」

 アンパイアがこちらを振り向き、白線のバッターボックスを指差した。

 イガラシは右打席に入り、短くバットを握った。通常のスイングでは、おそらく当てることすらままならないだろう。

「またせたなボーズ。ほな、いこっか」

 高山が相変わらず、不敵な笑みを浮かべる。

 けっ。自分のホームランで逆転したもんで、余裕しゃくしゃくってツラだな。しかし、こういう時にこそスキが生まれるもの……

「べつに余裕こいてなんか、おらへんで」

 思わぬ一言に、イガラシは「えっ」と声を上げてしまう。

「いま、こいつホームラン打って調子に乗ってる、とか思うてたやろ。そんな余裕あるかい。なにせ……おたくら、けっこう手ゴワイもんな」

 高山はそう告げて、にやりと笑う。

 なるほど。やはり西将、少しも油断はないってか。もっとも慎重になりすぎて、変化球でかわしにくるようなら、そっちの方が攻め手はあるが。

 ズバン。速球がうなりを上げ、インコース高めに飛び込んでくる。

「ストライク!」

 ちぇっ、そう甘くないか。にしても……やはり近くで拝むと、すごい速球だ。こりゃ初打席で、どうにかできるタマじゃないぞ。

 ふと後方を振り向く。ネクストバッターズサークルの丸井が、ベンチの谷口や他のナイン達が、必死の声援を送り続けていた。時折掠れ声が混じる。

「がんばれイガラシ。負けるなよっ」

「思いきりいけぇ。おまえなら打てるぞ」

「ボールをよく見て、喰らいつけ!」

 一旦打席を外し、軽く素振りする。

 でも……なんとかしなきゃ。ここで点を取らなきゃ、おそらく勝ち目はない。

 打席に戻ると、高山が内野陣へ「もっと前だ!」と手振りで指示した。一塁手三塁手がじりじりと前に寄ってくる。

 イガラシは、唇を噛んだ。

 くそっ。ランナーなしで前進守備とは、ナメられたもんだぜ。俺じゃ、あの速球は打ち返せないと踏んだな。あるいは、このキャッチャーのことだ。手首を傷めているとバレちまったかも……むっ、そうだ。

 この時、一つのアイディアが浮かぶ。

 眼前のマウンド上。竹田がロージンバックを足元に放り、振りかぶる。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕をしならせる。

 見てろよ高山さん。この俺を甘く見たこと、後悔させてやるぜっ。

 やはり速球、またもインコース高め。イガラシは、すばやくバントの構えをした。そしてダッシュしてきた三塁手の背後をねらって、バットを押し出す。

 コン。打球は小フライとなり、三塁手の頭上を越えた。

 

 

「投げるな!」

 カバーに入った遊撃手に、高山は叫ぶ。この間、イガラシは悠々と、一塁ベースを駆け抜けていた。

 鮮やかなプッシュバントに、墨谷の三塁側ベンチとスタンドが大いに沸く。

「うまいっ」

「さすがイガラシ。まんまと敵の意表を突いたぜ」

 返球を捕り、高山は「スマンみんな」と謝った。

「いまのは、俺の判断ミスや。あのボーズに一杯喰わされたで」

 努めて明るく言うと、二塁手の平石に「こんのボケ」と突っ込まれる。

「おしゃべりがすぎるからや。ま、ええクスリになったやないの」

「うっさいわ平石。キャプテンのくせに、もちっとマシな言い方できひんのかい」

 言い返すと、内野陣から笑いが起きた。よし、ムードは悪うない。守備が崩れる心配はなさそうや……と、ひとまず安堵する。

―― 二番セカンド、丸井君。

 ウグイス嬢のアナウンスと同時に、高山はホームベース手前に屈み込む。ちらっと横目で、一塁ベース上を見やる。

 俺としたことが、ウカツやったな。あのイガラシって一年坊、明らかに動きがおかしいもんで、どこか傷めてるはずと踏んだのやが。まさか小ワザを仕掛けてくるとは。いや、ほんまに怪我してるからこそ、咄嗟にそうしたのかもしれへん。

 短く吐息をつき、サインを出す。

 どちらにせよ、えらい頭の回転の速いガキやな。あれで一年坊っていうんやから、まったく末恐ろしいで。

 丸井は右打席に入り、始めからバントの構えをした。

 初球。アウトコース低めをねらった速球が、大きく高めに外れる。高山は苦笑いして、肩を上下するジェスチャーをした。

「竹田、ラクラクに」

「……う、うむ。分かってる」

 どうも表情が硬い。しまった、とひそかに舌打ちする。

 竹田のやつ、悪いクセが出かかっとる。コマイことやってくる相手に、ちと神経質になりすぎるんや。ボールは一級品やし、けん制もうまいのやから、そこまで気にする必要はないんやがな。

 二球目のサインを出したが、竹田はすぐに投球せず、一塁へ牽制球を放る。

 イガラシは手から返る。そして立ち上がり、今度はだいぶ長くリードを取った。竹田はたまらず牽制球を続けたが、これも余裕を持って帰塁される。

「こら竹田っ。あまりランナーを見るな、後続を仕留めればええんや」

 マスク越しに怒鳴った。竹田がうなずき、ようやく投球動作へと移る。

 ふいに「走った!」と平石が叫ぶ。ランナーに幻惑されたのか、竹田の投球がワンバウンドした。強肩を誇る高山だが、ボールを拾い直した分、送球が遅れてしまう。

「せ、セーフ!」

 二塁塁審が、両手を水平に広げた。再びスタンドが沸き上がる。

「どないした竹田」

 さすがにマスクを取り、立ち上がる。

「ホームに返さなきゃいいって、さっきから言うてるやろ。勝手にコケる気か」

「す、スマン」

「まったく……おまえほどのピッチャーが、なにをうろたえとんのや。もっとビシッとせんかい、ビシッと」

 高山はマスクを被り直し、さらに付け加える。

「けん制はいらんで、かすらせなきゃエエだけや。墨谷なんぞチカラでねじ伏せんかい」

「わ、分かってる」

 サインにうなずき、竹田は三球目の投球動作を始めた。その瞬間、なんとイガラシが再びスタートを切る。

 こ、この俺から三盗だとぉ。ナメんなぁ!

 丸井の体が邪魔にはなったが、高山は手首のスナップだけで送球する。イガラシの滑り込んだ右手に、三塁手のグラブが被さるのが見えた。

 よしっ、アウトや……

「ボーク!」

 三塁塁審が、マウンド上を指差した。

「な、なんでやっ」

 竹田は険しい眼差しになる。

「セットが不十分だった。プレートをきちんと踏んでいなかったよ」

 塁審の返答に、主戦投手はかぶりを振る。

「ウソや。俺は、ちゃんと……」

「やめい竹田、このアホウ!」

 高山はタイムを取り、慌ててマウンドへ駆け寄る。

「見苦しいマネすんなや。あんなに落ち着きをなくせば、そらボークも取られる。自業自得や、少しは反省せいっ」

 きつく叱り付けると、竹田はようやく落ち着きを取り戻す。

「す、スミマセンでした」

 脱帽し、塁審に頭を下げた。

「ま……俺もヒトのこと、言えへん」

 少し声を明るくして、高山は言った。

「あのボーズに搔き回されて、アタマに血が昇っとった。正捕手がこれじゃアカンな」

「なーに、お互いさまや。しっかし……イガラシってやつ、ええ度胸しとんな。続けざまに走ってくるとは」

「ああ。せやから、ここは本気でつぶしにいくで」

 語気を強めて告げる。

「やつらはまだ、おまえのボールを捉えたわけやない。となると……ここで、かく実に点を取ろうと思えば」

 竹田が「スクイズ」と返答した。

「そうや。といってヘタに警戒するのも、球数が増えてシンドイ」

「せ、せやな。どないしよか」

「カンタンなこっちゃ。竹田、アレを使うで」

 その一言に、主戦投手は「なんやと?」と目を見開く。

「あ、アレは……公式戦以外は、封印するっつう話やったろ」

「監督から禁じられたわけやないし、べつにええやろ。しゃーない。ここでハッキリ、やつらに格のちがいを見せつけんと」

「む……そやな。分かった」

 ミットで相手の腰をぽんと叩き、高山は踵を返した。

 

 

 西将ナインは、内外野ともに前進守備を敷く。なんとしても一点を防ぐ構えだ。ほどなく高山がポジションに戻り、屈んでマスクを被る。

 一方、三塁側ベンチの墨高ナイン。

 この時、谷口が「スクイズ」のサインを出した。打席の丸井とランナーのイガラシは、同時にヘルメットのつばを摘まむ。「了解」の合図だ。

 スクイズしかない、とイガラシも思った。

 あのピッチャーからまともに打ち返すのは難しい。しかしバントなら、速いタマでも決められる練習は、ずっと積んできてる。おまけにツーボールとワンストライク。向こうもスリーボールにはしたくないだろうから、外しにくいはずだ。

 やがてタイムが解ける。丸井が「さあ来いっ」と気合の声を発した。

 イガラシは、そっと左手首を押さえた。プッシュバントした時の衝撃で、痛みが増してきている。どうにかポーカーフェイスを装う。

 マウンド上。竹田がセットポジションから、足を上げる。その瞬間、丸井がバントの構えをした。これを見て、イガラシはスタートを切った。

 読みどおり、相手バッテリーは外してこない。しかも速球が、ほぼ真ん中に投じられる。丸井なら簡単に当てられるコースだ。

 ところが……

「な、なにぃっ」

 駆けながら、イガラシは思わず叫んだ。

 竹田のボールは、ホームベースを通過しようとする瞬間、急激に沈んだ。さしもの丸井も、想定外の軌道に反応できない。バントを空振りし、体勢を崩してつんのめる。

 ワンバウンドしたボールを、高山がすぐに拾った。イガラシはその背後に回り込み、僅かな隙間からホームベースへ右手を伸ばす。この時、左手首をひねってしまう。

 指先に、高山のミットが覆い被さる。

「……あ、アウト!」

 アンパイアが、無情のコールを告げた。

 

 

 コールを聴き、高山は安堵の吐息をつく。

 やれやれ……どうにかアウトを奪ったが、ぎりぎりやったな。このボーズ、竹田のフォークがバウンドした一瞬に、回り込んできやがった。拾うのが少しでも遅れたら、タッチを掻いくぐられとったで。

「ち、ちきしょうっ」

 眼前で、丸井がバチンと土を叩き、右拳を震わせる。それでも立ち上がると、まだホームベース手前で伏せている後輩の背中を、ぽんと叩く。

「わ、わりぃイガラシ。当てられなくて」

 なぜか反応がない。高山も訝しく思い、声を掛ける。

「こらボーズ。先輩が、心配しとるで。そんなトコで寝転んでたら」

 その時、微かながら「ぐっ……」と呻き声が漏れた。

「え……おいボーズ、どないしたんや」

「イガラシっ」

 二人の声が重なる。

 それでもほどなく、イガラシは自力で立ち上がった。丸井と目を見合わせ「やられちゃいましたね」と、力なく笑う。

「お、おいイガラシ」

「ワンバウンドしたので、なんとか滑り込みたかったんですけど……うっ」

 ふいにイガラシが、顔を歪めた。

「も、もしや……」

 丸井は何かを察したらしく、後輩の左腕をつかみ、長袖のアンダーシャツをめくる。そして「うわっ」と声を上げた。

「おまえ……手首が真っ赤だぞ。かなり膨れてるじゃねーか」

「ま、丸井さん。こんな所で」

「ばかっ、んなこと言ってる場合かよ。早く手当てしないと」

 その時、墨高ナインの陣取るの三塁側ベンチから、大柄な選手が飛び出してきた。右手に小さな氷袋を携えている。

「おっ根岸、気が利くじゃねぇか」

 丸井が感心げにうなずく。

「あとはまかせてください」

 根岸と呼ばれた選手は、イガラシに氷袋を手渡し、横から肩を支えた。

「こっちは気にせず、先輩は打席に集中しましょう」

「分かってらい。ちゃんと挽回してくるから、よく見といてくれよな」

「ええ、たのみます」

 後輩の励ましに、丸井は「おうよっ」と快活に答えた。負傷のイガラシは、そのまま根岸に付き添われ、ベンチへと引き上げていく。

 傍らで、高山はマスクを被り直す。

 あのヤロウ……こんな手負いの状態で、よう搔き回してくれたの。なかなか見上げた根性しとるわ。もっとも味方は、気が気やないやろうけど。

 ホームベース手前に屈み、ひそかに溜息をつく。

 こういう捨て身で向かってくる相手が、一番怖いんや。認めるのはシャクやが、ええチームやで。やつらもう、とっくに……甲子園へ行けるレベルに達しとるのやないか。

 

 

「やはり隠してたのか。まったく、ムチャしやがって」

 ベンチに座ると、谷口が眼前で腕組みする。

「今日こそ下がってもらうぞ。公式戦でない試合に、ケガ人を出さなきゃならんほど、うちの層は薄くないからな」

 怖い顔で睨まれ、イガラシは「え、ええ」と苦笑いした。

「手首は動くようだから、折れてはいなさそうだな」

 倉橋が打席に向かう準備をしながら、のぞき込んでくる。

「打ぼくとねんざってとこだろう。いまはかなり痛むだろうが、ちゃんと治療すれば、きっと大会には間に合うさ」

 そう解説した後、倉橋は「こっそり余計なことしなけりゃな」と凄む。

「は、はぁ……」

「ねんざってやつは、クセになるんだ。ちゃんと治さないと、ずるずる大会まで引きずって、カンジンの公式戦で力が出せないってことになりかねんぞ」

 そのとおりだ、と谷口が言葉を重ねる。

「傷めた手でプッシュバントだのスライディングだのって、あまりにも無謀すぎる。もし悪化でもして、大会に出られなかったらどうするんだ」

「は、はい。スミマセン」

 イガラシは、素直に謝った。

「……まったく」

 苦笑いして、倉橋がつぶやく。

「いったい誰に似たんだか」

 傍らで、谷口が「あっ」とずっこけた。

「キャプテン。この裏からのポジションは、どうしましょう?」

 ベンチ奥より、加藤が尋ねる。

「む、そうだな。先に確認しておくか」

 谷口は、該当者と目を見合わせ伝えた。

「まずショートは、横井。そしてレフトには、戸室が入ってくれ。こういうアクシデントの時は、やはり三年生の経験がたのみだ」

 横井と戸室は、力強く返事した。

「よし来た」

「まかせとけって」

 さらに谷口は、前列の左隅に腰掛けている、井口を呼んだ。

「井口。おまえは、六回までだ」

「え……そ、そんな」

 肩を上下させ、明らかに疲れている様子だが、やはり納得いかないらしい。

「もっと投げられますよ。終盤、いや最後まで」

「気持ちは分かるが、それは公式戦にとっておいてくれ。おまえが強豪相手にも通用するというのは、じゅうぶん分かった。あとは松川、それと俺も、打たれたイメージを払拭しなきゃいけないのでな」

「……わ、分かりました」

 井口は説明を聞くと、意外にもあっさり引き下がった。

「分かったのなら、さっさとキャッチボールして来い」

 顔を上げ、イガラシは追い払う仕草をした。

「それとも動けないのか。なら、この回で交代してもらった方がいいんじゃねーの」

「ば、ばか言うな」

 幼馴染は立ち上がり、グラブを抱える。

「よしっ。根岸、つき合ってくれ」

「あ、ああ……」

 根岸は戸惑いながらも、連れ立ってベンチから出ていく。

「……ストライク、バッターアウト!」

 グラウンド上。アンパイアが、右拳を高く掲げた。八球粘りながら三振を喫した丸井が、悔しそうな表情で引き上げてくる。

「くそっ、最後もフォークか」

 イガラシのつぶやきに、倉橋が頬を引きつらせる。

「な、なんだよあのボール。ほとんど速球と同じスピードで、すごい落差だったぞ」

「ええ。ど真ん中と思ったボールが、ワンバウンドしましたからね」

「ははっ、まるでプロが混じってるようだな」

 倉橋はそれでも、勇んでネクストバッターズサークルへと向かう。

「キャプテン」

 ふと気になることが浮かび、尋ねてみる。

「なんだイガラシ」

「井口は降板したら、そのままベンチに下げる予定ですか?」

「うむ。そのつもりだが」

 横井が「なんでだよ」と割り込む。

「あいつ今日、ホームラン打ってるんだぞ。まだバッティングに期待できるだろうに」

「……横井さん」

 イガラシは、小さくかぶりを振った。

「きっと、それどころじゃなくなります」

「えっ。そりゃ、どういうこったよ」

「つぎの回から、西将は猛攻をかけてきますよ。逆転して、ピンチの芽も摘んだ。あとやるべきは……ここらで畳みかけて、試合を決めにいくことでしょうから」

 シビアな返答に、横井は言葉を失う。傍らで、谷口が「そういうことだ」うなずく。

「あまり考えたくはないがな。だから横井、戸室。ここからは守備の勝負になる。余計な点だけは与えないように、しっかり備えてくれ」

「お、おう」

「分かったよ」

 横井は返事すると、イガラシの左肩をぽんと叩いた。

「あとはまかせろ。おまえのガッツ、無駄にしないからな」

 

 五回裏。後続の丸井と島田が打ち取られ、墨高はけっきょく無得点に終わる。

 

 

 グラウンド整備の後、迎えた六回表――谷口とイガラシの予感が的中してしまう。

 この回よりシュートねらいの制約をなくした西将打線は、すでに疲労困憊の井口に、容赦なく襲いかかった。先頭打者がツーベースヒットで出塁すると、そこから四連打。一点を追加し、なおもノーアウト満塁と攻め立てる。

 井口はここで降板となった。リリーフには、二年生の松川が告げられる。

 

 

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<私選>21世紀以降の沖縄高校野球・ベストナイン(+DH)で打順を組んでみた! 殊勲賞・MVPも発表!!

 

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<はじめに>……「平成は沖縄高校野球“躍進の時代”」

 

 平成の世が、幕を閉じた。

 

 沖縄高校野球にとって、「平成」はまさに“躍進”の時代であった。沖縄水産の二年連続準優勝に始まり、浦添商業、八重山商工宜野座ら新興勢力の台頭。ついに悲願達成となった11年春・沖縄尚学の選抜初優勝。そして二度目の優勝。そして迎えた22年、興南春夏連覇

 

 本エントリーでは、時代の変わり目ということを踏まえ、今回は平成……とりわけ活躍の著しい21世紀以降という枠組みの中で、印象に残る選手を紹介していくこととする。

 

 具体的には、次の三項目に分け、計13人の選手を取り上げる。まだベストナイン(+DH)については、打順を組んで発表する。

 

①殊勲賞……2人

ベストナイン(+DH)……10人

③MVP……1人

 

 

1.殊勲賞

 

 このコーナーでは、泣く泣くベストナインには選べなかったものの、県球史に残る活躍を見せた2選手を取り上げることとしたい。

 

<その1>

 

→ 金城長靖(八重山商工・2006)

 

 沖縄県球史の中でも、唯一となる離島勢の甲子園春夏連続出場。タレント揃いのチームだったが、その中でひときわ輝きを放った選手である。

 

 まず選抜において、左右両打席でのホームラン。夏の選手権でも、バックスクリーン直撃のスリーラン。さらに、ビハインドを負った終盤、ここで一本欲しい場面での勝負強さも光った。近年の沖縄勢甲子園出場球児の中で、おそらくナンバーワンスラッガーだろう。

 

 そして、金城のもう一つの魅力。なんとピッチャーとしても活躍した。

 とりわけ印象的なのは、夏の県大会準決勝・浦添商業戦。準々決勝までの四試合で、すべて二ケタ得点を挙げていた浦商打線を、六回まで無失点に抑える。続く大嶺裕太との完封リレーで、1-0という僅差の試合をモノにした。エースの大嶺は、好不調の波が激しかったので、もし金城がいなければ浦商には勝てなかっただろう。

 

 ちなみに、翌日の決勝・中部商業戦では、試合を決定づけるバックスクリーン直撃のダメ押しツーラン。投打に渡る大車輪の働きを見せた。

 

 

<その2>

 

→ 比嘉裕(宜野座・2001)

 

 今ではすっかり定着した、選抜の「21世紀枠」最初の出場校・宜野座。この“宜野座旋風”最大の立役者となったのが、背番号は「6」と本来は内野手ながら、この大会でエース級の働きをした比嘉裕である。

 当時、話題となった「宜野座カーブ」を駆使し、神奈川・桐光学園、大阪・浪速と強豪校の並み居る打者を翻弄するさまは、まさに痛快だった。

 当時の映像を見返してみると、比嘉はカーブを内外角へ投げ分けることができた。さらに速球を効果的に混ぜてくるから、相手打者はねらいを絞り切れなかったのだろう。

 近年、県勢の“技巧派投手”が、甲子園で簡単に打ち崩されている。それはインコースへ投げ込むことが、なかなかできないからだろう。比嘉の投球を見ていると、あのベスト4はけっしてマグレではなく、やはり「勝てた理由」があったのだと分かる。

 

 

2.ベストナイン(DH含む)&最優秀投手

 

 以下、ベストナインを記していく。なお選手の特徴から、打順を組んだ。またDHの枠も設け、ピッチャーは打順から外している。

 

一番<セカンド> ――頭脳明晰なリードオフマン。脅威の打率六割超!

 

→ 国吉大陸(興南・2010)

 

 ご存知、興南“最強打線”における不動のリードオフマン

 

 野球の実力もさることながら、学業面でも「オール5」という秀才。野球部内で開かれていた勉強会で、成績不振の部員に勉強を教えていたというエピソードは有名である。優秀な頭脳を生かし、春夏連覇メンバーの中で、唯一高校卒業後はすぱっと野球から離れ、猛勉強を積む。その甲斐あって、現在は公認会計士として活躍している。

 

 最後の夏の甲子園では、野球を“これが最後”と決めていたこともあったのか、野手陣の中でひときわ輝きを放った。

 初戦の鳴門戦でダメ押しのツーランホームランを放つなど、大爆発。大会六試合で、打率は脅威の六割超え。準決勝・報徳学園戦の逆転劇につながるセンター前、決勝・東海大相模戦の二本の技ありのヒットなど、重要な場面での一打も多かった。

 

 また忘れちゃいけないのが、報徳戦の九回裏。あわやライト前へ抜けそうな当たりを横っ飛びで好捕し、先頭打者を打ち取った。このワンプレーにより、興南の決勝進出を大きく手繰り寄せた。

 

 セカンドは、他にも2008選抜の優勝メンバーである仲宗根一晟、近年では最強スラッガーの呼び声高い水谷留佳(いずれも沖縄尚学)ら、名選手が目白押しであったため、かなり選考に悩んだが、大舞台での戦績がずば抜けているので、国吉を選出した。

 

二番<センター> ――鮮烈な選抜決勝のランニングホームラン!

 

→ 伊古聖(沖縄尚学・2008)

 

 打ってよし・守ってよし・走ってよし。まさに走攻守、三拍子揃った名外野手。

 沖尚が二度目の優勝を果たした2008年の選抜。攻守において、試合のキーになる場面での活躍が印象的である。

 

 初戦の聖光学院戦と決勝・聖望学園戦の初回、いずれも先取点につながる三塁打。そして聖望戦の五回には、トドメのランニングスリーランホームランを放った。際どいタイミングながら、片手でホームベースをさっと払う瞬間のプレーは、鮮やかだった。

 

 ラストゲームとなった夏の県大会・浦商戦では、追撃のタイムリーとなるフェンス直撃のツーベースを放つ。小柄ながら、意外にパワーも備えていた。もし、あのままスタンドインしていれば……興南よりも先に春夏連覇を果たしていたのは、この年の沖尚だったかもしれない。

 

三番<サード> ――県民の胸を打った名スピーチ。これぞ“沖縄のキャプテン”

 

→ 我如古盛次(興南・2010)

 

 言わずと知れた興南の三番キャプテン。島袋洋奨とともに、春夏連覇メンバーの主役として、沖縄球史にその名を刻まれる存在である。

 

 まず春の選抜における、いずれも大会タイ記録となる八打席連続安打と大会通算十三安打。

 

 さらに夏の選手権では、一時不調にも陥りかけたが、ラスト二試合では「これぞ主役」という働きぶりを見せた。

 準決勝・報徳学園戦の同点タイムリスリーベース、決勝・東海大相模戦の優勝をほぼ決定付けるスリーランホームラン。“ここぞの場面”での一打が光った。

 

 そして我如古キャプテンといえば忘れちゃいけないのが、夏の優勝インタビューにおける、沖縄の高校野球ファンの心を打ったあの名言。

 

―― 今日の優勝は、沖縄県民で勝ち取った優勝だと思っているので、本当にありがとうございました!

 

 まさに「記録にも記憶にも残る」名キャプテンであった。

 

四番<DH> ――沖縄球児の出世頭! 誰もが認める“練習の虫”

 

→ 山川穂高(中部商業・2009)

 

 いまや西武ライオンズの四番打者にして、パリーグの2年連続ホームラン王。あまりにも突出した存在であるため、ベストナインの中では、唯一甲子園出場の経験はないものの、迷いなく「四番」に据えることとした。

 

 高校時代より、その才能には光るものがあった。

 とりわけ印象的なのは、09年のチャレンジマッチ・興南戦。翌年の春夏連覇投手・島袋洋奨から逆方向へ弾丸ライナーで放った同点2ランには、度肝を抜かれた。

 もっとも再戦となった夏決勝では、島袋もお返し。二回の満塁のチャンスで、山川は三振に仕留められた。それでも、やられっ放しでは終わらず、終盤に追撃のタイムリーを放つ。

 山川と島袋の対決、近年では最もハイレベルな打者対投手の真っ向勝負だった。この経験が、島袋の翌年への大いなる糧となったのは、想像に難くない。

 また山川自身も、島袋を相当意識していたようで、特にスライダーを打つためにかなり練習を積んでいたそうである。チャレンジマッチのホームランは、その成果だった。

 

 このエピソードからも分かるように、山川は当時から練習熱心として知られていた。

 一時期、沖縄出身の選手はプロで大成できないと言われていたが、彼の出現がそれを覆してくれた。何のことはない。誰よりも努力することが、成功の近道だということ。

 

 山川の野球への姿勢は、あの落合博満氏も認めるほど。今後、さらなる飛躍が期待される選手である。

 

五番<ライト> ――ミートの天才! 今の球児も参考にすべきバッティング技術

 

→ 銘苅圭介(興南・2010)

 

 個人的には、興南の優勝メンバーの中で“打撃センスナンバーワン”だったと思う。ホームランこそないものの、広角に打ち分ける高い技術を誇る。チームメイトからも「ミートの天才」と称されていたらしい。

 

 とりわけ印象深いのは、夏の準々決勝で、聖光学院の二年生エース・歳内宏明のスプリットを、鮮やかにセンター前へ弾き返したものである。勝負球をいとも簡単に打たれた歳内は、この後「ストレート一辺倒」になり、それを興南の各打者が狙い打ちされる。試合の流れを左右した、重要な一打であった。

 

 さらに、点にこそつながらなかったが、準決勝・報徳学園戦で逆転した直後のセーフティバント。決勝戦、逆方向への当たりで外野の頭上を越したツーベース。そのどれも、彼の技術の高さが詰まっている。

 

 銘苅のバッティングは、今の沖縄高校球児達にも参考にして欲しいと思う。

 よく逆方向へのバッティングというが、それは単なる“流し打ち”ではない。彼は、コンパクトなスイングながら、しっかり「振り切って」いる。だから逆方向へも長打が打てた。

 

 近年、沖縄大会ではホームランが極端に減少している。これはパワー不足と同時に、バッティングが“技”に偏りすぎた弊害ではないかと思う。長打のない「巧いだけのバッター」など、ちっとも怖くない。長打力のあるバッターが“要所では単打も狙う”からこそ、相手にとって脅威なのだ。

 

 バッティングの基本は、しっかり振り切ること。このことを、沖縄の高校球児達には、いま一度思い出してもらいたい。

 

 

六番<レフト> ――前向きな言動で、チームを引っ張るサブリーダー!

 

→ 伊禮伸也(興南・2010)

 

 エース島袋やキャプテン我如古ら、個性派揃いの2010興南のメンバーの中で、意外な存在感を発揮した選手。実は、チームの副主将である。

 

 伊禮といえば、まず選抜優勝後のテレビ取材にて、レポーターから拝借したであろうマイクを使って、チームメイト達にインタビューしていたユーモラスな姿が印象深い(その際、島袋から「(ノーヒットに終わった)伊禮君の分まで打てて良かったです」と見事な返しをもらう)。

 同じことを夏優勝後の地元テレビ局の特番にて、我喜屋優監督にもやらされていたが、さすがに緊張していた(笑)。ちなみに、監督からも「(うれしかったのは)打てない伊禮君が打ったことです」とイジられた。

 

 打てない? いや、そんな印象はない。夏の明徳義塾戦、一点差とされた直後に突き放すソロホームラン。決勝の東海大相模戦での先制タイムリーと、要所できっちり仕事を果たす。打てない試合はサッパリだが、打つときは固め打ちをしていた。

 

 また、我喜屋監督が著書の中で「気持ちの切り替えがうまい」と評していたのも印象的。選抜決勝の日大三高戦。三失点目を喫した後、平凡なフライを落球。普通ならここでショゲてしまいそうだが、直後のレフト前ヒットは焦らず処理し、見事な中継プレーで二走をホームで刺す。

 著書によれば、伊禮はベンチに帰ってくると「甲子園に魔物はいないけど、幽霊がいたみたいです」と発言、その場を和ませたという。こういう選手がいると、劣勢に立たされた時でも、雰囲気が暗くならずに済む。

 

 余談だが、興南は(キャプテン我如古の他にも)この伊禮に加え、国吉大陸・大将の兄弟や島袋ら、他校に行けばキャプテンを務められそうなリーダー性のある子が多かった。それ故か、チームとして“大人の雰囲気”があった。これも強さの秘訣だったように思う。

 

七番<ファースト> ――捉えた瞬間の打球音! 名将も認めた“真の四番”

 

→ 真栄平大輝(興南・2010)

 

 言わずと知れた興南春夏連覇メンバーの不動の四番。

 当たった瞬間、閃光のような打球がライトへ飛ぶのをご記憶の方も、多いのではないだろうか。甲子園でのホームランは、2年夏と3年春に一本ずつ記録。2年夏は、大分・明豊の“怪童”今宮健太(現ソフトバンク)から放ったもの。

 個人的には、3年春の智弁和歌山戦、センターバックスクリーンへの一発が印象的。県勢が過去一度も勝てなかった智弁へ引導を渡す一打となった。

 

 また3年夏は、打撃不振に陥ったものの、我喜屋優監督は決して打順を変えることはしなかった。著書では、彼が四番打者として日々やるべきことをこなしていた姿を知っているから、不振でもあえて外さなかったとのこと(このエピソード好き)。

 

 そして準決勝の報徳学園戦、逆転タイムリーはこの真栄平が打つのである。前進守備の間を抜く渋い当たりだったが、紛れもなく四番の仕事を果たした。また決勝で、久々に真栄平らしい豪快なフェンス直撃の当たりも放った。

 

八番<キャッチャー> ――巧リードで、投手の力を引き出す。プロでも活躍!

 

→ 嶺井博希(沖縄尚学・2008)

 

 沖尚が二度目の優勝を果たした2008年選抜にて、唯一の2年生のレギュラー。

 特筆すべきは、3年春の戦績だ。選抜の5試合をすべて2点以下に抑えている。しかも初戦から、聖光学院(福島)、明徳義塾(高知)、天理(奈良)、東洋大姫路(兵庫)、聖望学園(埼玉)と、名だたる強豪ばかり相手にして、である。

 

 ピッチャー(東浜巨)が良かったから? それもあるが、例えば島袋洋奨(興南)や伊波翔悟(浦添商)といった他の名投手も、打たれる時は打たれていた。だからこれは、東浜だけの力ではなく、嶺井のリードによるところも大きい。とりわけインコースアウトコースのコンビネーションが、素晴らしかった(これは確かに、東浜のコントロールの良さあったのものだが)。

 

 また負け試合ではあるが、あの浦添商との決勝、初回に五点を失った後は配球を変え、二回以降はピシャリと相手打線を封じた。高校生が試合中に修正するのは、なかなか出来ることではない。

 

 現在は、横浜DeNAベイスターズに所属。躍進著しいチームの力となっている。

 

九番<ショート>――史上最強チームの“ラストピース”

 

→ 大城滉二(興南・2010)

 

 おそらく沖縄県高校野球史上でも、1,2を争うショートだろう。

 選考の際は、西銘生悟(沖縄尚学・2010)との二択で迷ったが、春夏ともに活躍したという点と、唯一の二年生レギュラーということを加味した。

 

 この大城こそ、最強チーム・興南の“ラストピース”である。

 

 大城がレギュラーとして起用されるまで、興南は「そこそこ強い」くらいのレベルだった。前年の秋九州では、打線のつながりがなく、さらに内野守備の乱れも絡み準決勝敗退。県決勝で完勝した嘉手納の後塵を拝す。このように、まだまだ粗があり、とても甲子園優勝をねらうチームの雰囲気ではなかったのだ。

 

 ところが翌年の選抜。大城のショート抜擢により、興南は本当に隙がなくなった。

 なにせこの大城、優勝メンバーの中でも明らかに動きが違う。抜かれると思った打球をいとも簡単にさばき、一体いくつアウトにしたことか。

 そして、起用した我喜屋監督も「嬉しい誤算」と語ったのが、バッティングである。選抜準決勝の大垣日大戦、センターオーバーの打球を放った際に、NHKの解説者が「九番バッターのスイングじゃありませんね」とコメントしたのが印象的。

 

 さらに夏の甲子園では、四割近いアベレージを記録。これで九番なのだから、いかにこの年の興南が恐ろしい打線だったか分かるだろう。

 

 個人的には、春夏連覇レギュラーの中で、プロで活躍しそうなメンバーは大城だと思っていたが、その期待通り、オリックス・バファローズにドラフト3位指名(2015年)。今年(2019年)は九十一試合に出場し3本塁打を放つなど、レギュラー争いに名乗りを上げている。

 

<ピッチャー>――1点でもリードすれば一安心。県勢二人目の甲子園優勝投手

 

→ 東浜巨沖縄尚学・2010)

 

 えっ島袋じゃないの? と思われた方が多いのではないだろうか。しかし、筆者にとっての沖縄ナンバーワン投手は、東浜巨をおいて他にいない。

 

 なぜ、そこまで東浜を推すのか。一番の理由は、彼の「終盤の勝負強さ」である。なんと彼は、高校三年間の公式戦において「先発登板した試合」で、同点ないし逆転されたことが一度も(※リリーフした試合では、二度ほど点を取られていたが)ないのだ! ここが、島袋を凌ぐ部分である。

 

 圧巻だったのは、優勝した2008選抜の五試合。決勝戦を除き、すべて1~2点差の接戦だった。しかし、当時ご覧になった方は共感していただけると思うが、僅差にも関わらず「これで勝ったな」という安心感を抱いたものだ。

 

 さらに、当時のハイレベルだった沖縄県大会において、錚々たる好投手と何度も投げ合い、激闘を繰り広げた。

 とりわけ、浦添商業・伊波翔悟との三度に渡る激戦(一年時の新人戦も含めると四度)は、見る者の心を震わせた。最後の夏は、浦商の執念の前に屈したものの、東浜の気迫の投球には、胸を打つものがあった。

 

 なお浦商に敗れる前日には、興南の一年生投手・島袋とも投げ合い、こちらも好勝負を演じている。選抜優勝投手と、後の春夏連覇投手が相まみえた、まさに黄金カードだった。

 

 筆者が、初めて東浜の投球を見たのは、彼が一年時の夏準々決勝・宜野座戦である。当時まだ130キロ前後だったはずの速球に、宜野座の各打者がことごとく詰まらされている。捉えたと思ったタイミングで、もうひと伸びしてくる感じだ。この試合、宜野座は一本もクリーンヒットを打てなかった。

 

 東浜がどれほどの才能を秘めていたかは、後の大学、さらにプロ野球ソフトバンクホークスにおける戦績で、もう十分証明されたといって良いだろう。

 ただし、あの一年夏に衝撃を受けた筆者からすれば、まだ物足りない。それこそ侍ジャパンに選ばれるくらいの活躍を夢見てしまう。今季(2019年)は手術により戦列から離れたが、来年の復活を大いに期待したい。

 

3.MVP(最優秀選手賞)

――最後に語るべき、伝説となった”あの男”

 

 発表の前に、ちょっと衝撃的なお断りを入れさせていただく。

 

 実は……このMVPを、私はベストナイン(+DH)の中から選んでいない(!)。

 上記メンバーは、ほぼ能力優先で選考した。しかし、このMVPに関しては、能力はもちろんのこと、さらに「沖縄高校野球に与えた影響・インパクト」の大きさも加味して、総合的に選ぶ必要があると考え、このような結論となった。

 

 なんで? オカシイだろう、と思われるのも、重々承知だ。しかし……その選手の名前を見たら、きっと納得していただけるはずである。

 

 それでは、いよいよ発表することとしよう。

 

 

→ 島袋洋奨(興南・2010)

 

 最後は、やはりこの男を取り上げないわけにはいくまい。

 沖縄球史のみならず、高校野球の歴史にその名を刻まれた春夏連覇投手。伝説となった“トルネード左腕”――それが島袋洋奨である。

 

 前述のように、純粋なピッチャーとしての才能で見るなら、東浜の方が上だと思っている。それは、両者の明暗が分かれたプロでの戦績から見ても、明らかだろう。

 その上で、私はそれでも島袋を「21世紀沖縄高校球児」のMVPに推したい。

 

 なぜなら……「才能では一番じゃなかった彼が、甲子園球史の中でもトップクラスの戦績を残した」という事実自体が、春夏連覇を果たした興南というチームの、まさに象徴だからである。

 

 島袋が、初めてその名を知らしめたのは、1年夏の県大会だ。

 

 彼の投球を筆者が初めて見たのは、準々決勝の名護戦。

 この時の名護は、かつて宜野座を選抜ベスト4に導いた知将・奥濱正監督の野球が浸透し、県立普通校とは思えないほどのハイレベルなチームであった(対戦した我喜屋監督も「名護は勝ち方を知っているチーム」と評している)。

 その名護相手に、島袋は九回二失点の力投。打者が差し込まれる“手元で伸びる速球”の威力は、あの東浜を髣髴とさせた。

 

 そして――なんといっても準決勝。あの選抜優勝校・沖尚相手に、あわや大金星かと思える力投。八回に力尽きたものの、観戦した誰もが「次の沖縄高校野球を引っぱっていくのは島袋だ」との思いを強くしたことだろう。

 

 ところが、意外にも……島袋は全国大会での勝ち星が遠かった。

 

 当時よく言われたように、なかなか援護に恵まれなかったのもある。

 ただ彼自身、「ここを抑えれば」という局面で、よく点を取られていた印象がある――1年秋準決勝の神村学園戦(4-5)然り、2年春九州決勝の九州国際大付属戦(1-2)然り、同夏の甲子園・明豊戦(3-4)然り。

 

 勝てる投手というものは、まさに“ここ”という場面で抑えるものだ。その力が、2年生時点の彼には、まだ足りなかった。

 

 しかし……ここからが、島袋洋奨の真骨頂だった。

 

 ひと冬超えた、3年春。彼自身、自分の課題をよく自覚していたのだろう。一回り足腰が太くなり、スタミナを蓄えた。ハイライトは、選抜大会決勝。強打の日大三高相手に、十二回を完投。そこには、終盤の勝負所で打たれていた、前年までの姿はなかった。

 

 だが、これに満足することなく、島袋はさらに鍛錬を続ける。雨合羽を着込んでの投げ込みには、我喜屋監督をして「死ぬ前にやめておけよ」と言わしめるほどだった。

 

 迎えた夏の甲子園大会。その素晴らしいクライマックスについては、ここで取り立てて触れる必要もないだろう。

 

 近しい人と、時々「なぜ興南春夏連覇できたんだろう」という話になる。

 

 力量ある選手が揃っていたから? 我喜屋監督の采配がスゴイから? いや……もちろん、それも当然だが、なにせ“春夏連覇”という球史に残る大偉業である。選手の能力、監督の采配だけでは、説明がつかない。

 

 私は、こう思っている――2010年の興南は、チームとしての「成長する力・成長しようとする意思」が、ずば抜けていたのだと。

 

 夏の甲子園興南のラスト三試合を思い出して欲しい。

 

 島袋のピッチングはもちろんのこと、他の選手達のプレーが、試合を重ねるごとに研ぎ澄まされていく。準々決勝、準決勝、決勝……と、投打ともに、まるで精密機械を思わせるような精度の高さだった。

 

 試合ごとの成長――よく言われることだが、これはそう容易ではない。

 

 疲労も溜まってくるし、相手も研究する。それらを乗り越えて、これまで以上のパフォーマンスを発揮するというのは、並大抵のことではないのだ。

 

 まして興南は、すでに「選抜優勝」という結果を残した後である。フツウなら、これに満足して、停滞してしまってもオカシクない状況だった。しかし、それでも彼らは“成長しようとする意思”を持ち続けた。それだけでなく、実際に成し得て見せた。

 

 高校野球史上、どこよりも“成長する力が強かったチーム”それが興南である。島袋は、まさにその象徴だったのだ。

 

 さらに付け加えると――当時、私は何人かの高校野球関係者に、話を伺う機会があったが、誰もが口を揃えて、島袋洋奨は「人間として素晴らしい子だ」と評していた。

 

 実直な人柄は、テレビ取材で見せた通りだったそうだ。さらに、練習にはいつも真っ先に来て、面倒な用具の準備を進んで行っていたと聞く。これこそ、誰もが理想とする“高校球児”そのものだろう。

 

 

 あえて言えば……人間としての美質を備えすぎていた点が、島袋の選手生命を縮めてしまった要因なのかもしれない。生き馬の目を抜くようなプロの世界では、彼の人間性が、かえって邪魔をした部分があったのではないかと思う。

 

 しかし、プロで成功しなかったことは、彼の甲子園での輝きを損ねるものではない。むしろこの経験とて、いずれ後進を指導する際には、必ず生きてくるものと思う。

 

 島袋洋奨投手。ひとまず、お疲れ様でした。彼のその後の人生に、幸多からんことを祈って、本稿を閉じることとしたい。

【野球小説】続・プレイボール<第17話「波乱の前半戦!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • 第17話 波乱の前半戦!の巻
    • 1.まさかの一発!
    • 2.エース登板
    • 3.大ピンチ!
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 

 

第17話 波乱の前半戦!の巻

www.youtube.com

 

  

1.まさかの一発!

 

 二回表。投球練習を終えた井口が、ふいにタイムを取った。

「キャプテン、倉橋さん。ちょっといいスか」

 谷口はすぐに、マウンドへ駆け寄る。少し遅れて、倉橋も小走りにやって来た。

「ここは敬遠します」

 二人の「えっ」という声が重なる。

「そりゃ、反対はしないが……」

 倉橋が目を丸くして、尋ねる。

「勝負したくないのか? ランナーもいないし、公式戦じゃないし」

 ネクストバッターズサークルでは、西将の四番・高山が、二本のマスコットバットを軽々と振り回していた。その口元に、妙な笑みを浮かべている。なんとも不気味な様だ。

「あの高山ってバッターは、西将の中心打者です。試合はまだ序盤、ここで一発浴びるようなことがあれば、チーム全体が乗ってくる気がします。それは避けるべきかと」

 なるほど……と、胸の内につぶやく。ちゃんと考えてるのだなと感心した。その上で、谷口は念のため問うてみる。

「作戦としては正しい。しかし、この試合のテーマは、最後まで逃げずに戦うことだと伝えたはずだ。敬遠することで、気持ちが逃げに回ってしまっては、元も子もないぞ」

「キャプテン。これは逃げじゃありません」

 井口は、きっぱりと答えた。

「あのバッターと勝負するのは、いまじゃないってことです。この後、何打席も回ってきます。その時こそ、きっちり仕留めてやりますよ」

 ふむ、と倉橋がうなずく。

「そこまでハラが決まってるのなら、だいじょうぶそうだな」

「む。何度も言うが井口、攻めていけよ。俺達バックがついてる」

 先輩二人に励まされ、井口は「まかせといてくださいよ」と胸を張った。

―― 四番キャッチャー、高山君。

 アナウンスより少し遅れて、高山が右打席に入ってきた。相変わらず、口元に笑みを浮かべている。何を考えているのか読み取れない。

 やはり堂々たる体躯だ。逸材揃いと言われる西将ナインの中でも、この打者は明らかに雰囲気が違う。しかも大柄なわりに、体の動きが柔らかい。春の甲子園で打率六割、三本のホームランを放ったと聞くが、それも納得だ。

 プレイが掛かると、倉橋はすぐに立ち上がり、横に移動した。途端「ええっ」と、スタンドがざわめく。

「なんだよ、つまんねーな」

「公式戦じゃあるまいに。正々堂々、勝負しろよっ」

 そんな野次まで飛んできた。ショートのイガラシが、こちらに顔を向け苦笑いする。谷口は黙ってうなずき、肩を竦めた。

 井口は好判断だったな。あの高山、まるでプロ野球のスターじゃないか。こういうバッターに打たれたら、相手が勢いづくだけでなく、観客まで向こうの味方しそうだ。

 倉橋が四つ目のボールを捕り、高山は一塁へ歩き出す。

「うふふ、やってくれるやないか」

 マウンド上を軽く睨み、高山はおどけた口調で言った。その視線の外れた瞬間、こっそり倉橋がサインを出す。

―― 五番レフト、竹田君。

 次打者は、本来の主戦投手・竹田だ。長身のなで肩、遠巻きには細身にも見えるが、足腰は太い。典型的な投手の体型である。

 竹田は、左打席に入った。井口がセットポジションから、投球動作へと移る。その瞬間、一塁ランナーの高山がスタートを切った。

 ところが、倉橋がミットを大きく右に外す。竹田は片手でバットを伸ばし、当てようとするが届かない。

 バシッ。空振りになり、倉橋がすかさず二塁へ送球した。すでにベースカバーに入っていたイガラシが捕球し、滑らかな動きでタッチへいく。スライディングした高山の足先を、グラブがはらう。

「アウト!」

 二塁塁審が右拳を突き出す。

「ちきしょー、やられたっ」

 タッチアウトになった高山は、苦笑いして空を仰いだ。

「初球エンドラン。まさか読んでやがったとは、やるやないか」

 まだ余裕があるのだろう、相変わらずおどけた口調で言った。立ち上がり、軽くユニフォームの土を落とすと、足早に引き上げていく。

 

 

 招待野球第二試合。墨谷と西将学園の一戦は、大方の予想を覆す展開となった。

 墨谷の先発・井口は、得意の速球とシュートを駆使し、強気のピッチングで西将の強力打線に立ち向かっていく。二回からは再三ランナーを背負ったものの、あと一本は許さず、四回までスコアボードに「0」を並べたのだった。

 一方の墨谷打線は、西将の次期エース・宮西のボールを早くも捉え出す。

 初回にイガラシらがヒット性の当たりを放つと、二回には倉橋がチーム初安打。点こそ奪えなかったものの、以降じわじわと塁上をにぎわせるようになる。

 四回表を終えて、両チーム無得点。スコアばかりか、内容もほぼ互角と言えた。

 

 その裏――墨高の攻撃は、五番のキャプテン谷口からである。

 

 

 外角高めの速球を、谷口はカットした。打球は三塁側スタンドに飛び込む。

 しまった、いまのはボール一個分外れてたな。もっとよく見ないと。初球はインコース低めにシュート、つぎがアウトコースの高低に真っすぐを続けたから、またそろそろシュートがくる。しっかり備えなきゃ……むっ。

 その時、ふと違和感を覚えた。

 なんだか配球、分かりやすいぞ。ここまで追い込んだら、どの打者にもすべてシュートを投じてるな。ウラをかいて真っすぐ、あるいは緩い変化球ってテもあるはず。

 谷口はちらっと、キャッチャー高山の横顔を見やる。

 この人……そういう駆け引きは、むしろ得意そうに見えるが。いや、ひょっとして分かりやすい配球で、わざとねらわせてるのかも。分かってても打たせないつもりなのか、もしくは打たれないという自信を持ちたいのか。

「おやぁ。なにか悩みごとかい?」

 高山がそう言って、にやりと笑う。

「ひょっとして、やたらシュートばかり投げてくるなって思ってるとか」

 内心ぎくっとするが、努めてポーカーフェイスを装う。

「そんな余裕なんか、ないよ。あの宮西君って子、二番手とは思えないくらい、すごいボール投げるんだもの。こっちは一球一球、喰らいくのに必死さ」

「おおっ。さすが、お目が高い。彼はいま成長株の……って、話をそらすなや」

「ねえ、そろそろ怒られちゃうよ」

「んなことカンケ―あらへん……あっ」

 二人の背後で、アンパイアが「オッホン」と咳払いした。

「きみぃ。関係ないとは、どういう意味だね?」

「や、なんでもありません。しっ失礼しやしたぁ」

 わざとらしくペコペコと頭を下げ、高山はサインを出す。

 いまは置いておくか、と胸の内につぶやく。相手のねらいよりも、こちらのテーマを完遂することが大事だと、谷口は自分に言い聞かせた。

 十中八九、シュートだろう。でも、これぐらいなら、イガラシや井口のボールで見慣れてる。けっして打てない球じゃないぞ。

 四球目。やはりシュートが投じられた。ほぼ真ん中から、胸元に喰い込む。谷口は、直前にバットの握りを短くし、押し出すように振り切る。

 手応えがあった。スタンドが「おおっ」と沸く。

 低いライナーが、飛び付いた二塁手のグラブを掠め、外野の芝の上を転がっていく。センター前ヒット。この試合初めて、墨谷は先頭打者を出塁させた。

 

 

 センターから内野へと、ボールが返ってくる。

「ノーアウト一塁。ランナー、脚を使ってくるぞ」

 内野陣にそう伝えてから、高山は屈み込んだ。ひそかに溜息をつく。

 やはり打たれたか。ミエミエの配球とはいえ、迷いなく振ってきたな。やつら練習で、あの一年坊のタマを打たされてるせいか、シュートに目が慣れてやがる。ちがう組み立てをすれば、抑えられるだろうが、それだと今日のテーマから外れちまうし……

 タイムを取り、一旦マウンドへと向かう。

「た、高山さん」

 こちらの顔を見ると、宮西は不安げな目を向けてきた。

「俺のシュート、どこかおかしいですか?」

「いーや。キレもコントロールも、とくに問題ねぇよ」

「だったら……どうしてあんな、カンタンに」

 マズイな、と胸の内につぶやく。

 宮西は明らかに動揺していた。彼にとって、シュートは勝負球だ。それを初回から捉えられているのだから、平静さを失うのも無理はない。

「心配なら、シュートは見せ球にして、ほかで仕留める組み立てにしようか?」

 提案するも、すぐに「だいじょうぶです」とかぶりを振った。

「今日のテーマは、ねらっても打てないボールを完成させることじゃないですか。俺にとって、それはシュートです。あんな新興チームに打たれるはず……」

「こら宮西。強気でいくのと、強がりは、別やぞ」

 語気を強めて、後輩をたしなめる。

「やつらがシュートに強いのは、もう分かるやろ。よほど練習を積んできとるんや。それを認めたうえで、どうすべきか考えな」

「ええ。それでも、シュートでいかせてください」

 まだ引きつった顔で、宮西は答える。

「来年は俺がエースです。ねらわれて打たれるくらいじゃ、西将のエースは務まりません。必ず抑えて見せます。だから……」

「わかったわかった。まったく、ガンコなやっちゃ」

 強情な後輩に、高山は苦笑いした。

「そのかわり、抑えようと力むなよ。キレがなくなっちまうぞ」

「まかせといてくださいっ」

 快活な返事に、かえって不安を覚える。

―― 六番ピッチャー、井口君。

 高山がポジションに戻ると、例の一年坊、井口が左打席に入ってきた。学年のわりに大柄である。顔つきからして、かなり鼻っ柱が強そうだ。

「よっ大将、ナイスピッチング!」

 おどけて声を掛けるが、相手は反応しない。こいつ無視しやがって……と思いかけたが、よく見ると耳栓をしている。挑発に乗らないように、策を講じたらしい。

 おやまっ。見かけによらず、可愛げのないチームだこと。

 間もなくプレイが掛かる。高山は、速球を二球続けさせた。いずれも内外角の低めいっぱいに決まる。三球目は、カーブをアウトコースへ。これは外れて、ツーストライク・ワンボール。

 井口は、ぴくりとも反応しない。シュート狙いは明らかだ。

 四球目。高山は、速球とカーブのサインを出したが、両方とも首を振られる。後輩はどうしても、シュートで勝負したいらしい。

 しゃーない。ただしストライクは、あかんぞ。こいつ前の打席は三振やったが、タイミングは合うてたからな。外角ぎりぎり、ストライクからボールになる軌道や。

 宮西はうなずき、セットポジションから第二球を投じた。

 思わず「アホッ」と口走ってしまう。コースは真ん中高め。高山が避けたかった、まさにストライクゾーンに入ってきた。井口は、躊躇なくフルスイングする。

 大飛球がライト頭上を襲った。右翼手はしばし背走するが、フェンスの数メートル手前で立ち止まり、呆然と見送る。

 井口の打球は、ライトスタンド中段に飛び込む。ツーランホームラン。満員のスタンドが、大きくどよめいた。

 

 

2.エース登板

 

「井口のやつ、ハデにぶち込みやがって」

 三塁側ブルペンで、イガラシは溜息混じりに言った。

「うれしくないのかい?」

 投球練習の合間に、松川が問うてくる。

「あの西将から点を取った。しかも、ホームランで。すごいじゃないか」

「いや、まぁ……そんなこともないですがね」

 イガラシ達の眼前では、ベンチに帰ってきた井口と谷口が、味方から手荒な祝福を受けている。一方、まさかの失点を喫した西将ナインは、明らかに怒りの形相だ。

 キャッチャー高山が、ここでタイムを取る。内野陣がマウンドに集まった。

「向こうさん……点が取れなくてイラついてたところに、この一発ですからね。この後、きっと目の色変えてくるんじゃないかと」

「しかし井口も、ここまでよく抑えてるじゃないか」

「そりゃ抑えられるでしょうよ。向こうはまだ、ほんとうの力を隠してますから」

 ふと見ると、キャッチャーの根岸が傍に来ていた。

「どういうことだよ。西将は、手を抜いてるってことか?」

 根岸の質問に、イガラシは「いいや」と首を横に振る。

「というより、難しいことをやろうとしてる、という方が正しいだろうな。見ていて気づかないか? やつら、井口のシュートばかり打ちにきてるだろ」

「む、そういやぁ。でもどうして」

「シュートは井口の勝負球だ。相手のもっとも得意とするところで、力の差を見せつけようってのが、やつらの作戦なんだろう」

 松川は「そ、そうか」と引きつった顔になる。

「勝負球を打たれたら、どんなピッチャーでも動揺する。西将はそれをねらって」

「ええ。ただ思いのほか、井口のボールにチカラがあったので、ここまでは打ちあぐねていますけどね。けど、何本かヒットは出てますし、そろそろ目も慣れてきた頃です。松川さん、早めに仕上げといた方がいいと思いますよ」

「おまえ、それを言うために来たのか」

 先輩が苦笑いした。イガラシは、真顔でうなずく。

 大仰に言うのは憚られたが、もう猶予はないと思っていた。向こうがその気になれば、打ち崩すのは容易だろう。

 その時だった。

 一塁側ベンチから、西将の控え選手が一人、グラウンドに出てくる。その選手は、まずアンパイアに何事か告げた後、マウンド上の内野陣の輪に加わった。

 グラウンドに視線を向け、松川が「ま、まさか……」とつぶやく。

 直後、レフトを守っていた西将の背番号「1」竹田が、マウンドへ駆け出す。スタンドがざわつき始める。そして、ウグイス嬢のアナウンスが響く。

 

―― 西将学園高校、シートの変更をお知らせ致します。ピッチャー宮西君が、レフト。レフトの竹田君がピッチャーへ、それぞれ入れ替わります。

 八番レフト、宮西君。五番……ピッチャー、竹田君。

 

 甲子園優勝投手の登場に、球場は大いに盛り上がった。

「ちぇっ。向こうさん、メンドウなことしてくれるぜ」

 舌打ちして、イガラシは言った。

「点を取って、ここから畳みかけようって時に、流れを断ち切りやがった」

 傍らで、根岸が呆れ笑いを浮かべる。

「しっかし……すごい人気だな。王や長島じゃあるめぇに」

 松川が「仕方ないよ」と溜息をつく。

「なにせ甲子園の優勝投手だもの。噂じゃ、ジャイアンツやタイガース辺りが、ドラフトで指名するって話もあるみたいだし」

 三人の眼前で、竹田がロージンバックを放り、投球動作へと移る。理想的なオーバーハンドのフォームから、高山のミットへ速球を投げ込む。

 ズドン。迫力ある音が、球場内に響き渡る。

 竹田は速球を三つ続けた後、変化球も投じた。二種類のカーブ。スピードを殺し大きく曲がるものと、ほぼ速球と同じスピードで小さく曲がるものとがある。

「ははっ、こりゃすげぇや」

 苦笑い混じりに、イガラシは言った。中学時代より、何人もの好投手と対戦してきたが、ここまでのレベルの投手は見たことがない。

―― 七番レフト、横井君。

 おっかなびっくりという表情で、横井が打席へと向かう。

「横井、喰らいついていこうぜ」

 ベンチより、谷口が声援を送る。他のメンバーも続いた。

「ひるむな横井、思い切っていけ」

「相手は立ち上がりだ。まだ本調子じゃねぇぞ、ねらいダマしぼって叩きつけろ」

 味方の励ましに、横井は「おうっ」と応える。

 強気でいくんだったな……と、胸の内につぶやく。思いのほか快活な声を発した先輩の背中を、イガラシは黙って見守った。

 

 

 インコース高めの速球を、横井は空振りした。バットの握りをかなり短くしていたが、それで打てるほど甘くはない。

「よっしゃ。いいボール、来てるでぇ」

 高山は立ち上がり、マウンドの竹田へ返球する。

 また屈んでサインを出しながら、打者の動きを確認する。横井は、短くした握りはそのままで、さらにバットを寝かせた。ほとんどバントのような構えだ。

 こいつ。なにがなんでも、当てようってか。

 二球目も同じコース、同じボールを要求した。またも威力ある速球が、ミットに飛び込んでくる。しかし、今度は僅かながら、掠った音がした。

「あ……当たった」

 口元を緩め、横井はベンチに向かって叫ぶ。

「当たるぞみんな。喰らいついていけば、どうにかなる」

 味方も「いいぞ横井!」と応えた。

「その調子だ。ねばってねばって、一球でも多く投げさせろっ」

「気持ちで負けるなよ、向かっていけっ」

 高山は、こっそり溜息をつく。

 ふん、チーム一丸ってやつか。かすっただけで、こんなに盛り上がれるなんて、シアワセやな。うらやましいこった。

 とはいえ……と、高山は思い直す。

 向かってくるチームは、けっこう侮れんぞ。たいがいのチームは、竹田のボールを見せられると、一気に戦意喪失してしまうもんやからな。現実に、二点取られちゃったし。気ぃ引きしめてかからんと。

 三球目、またもインコース高めの速球。横井は、またもバットに当てた。これは捕球しきれず、バックネットまで転がる。

 なんやこいつ、えらい真っすぐに目が慣れるの早いな。変化球を使ってないのもあるが、甲子園でも初見のバッターは、そうカンタンに当てられへんかったのに。

 高山はこの時、ふと思い出す。

 そうや。こいつら、あの谷原を倒そうとしとるんやった。なら当然、速球に慣れる練習も積んどるはずや。谷原のエース村井は、左の本格派。俺らも勝ったとはいえ、だいぶ手こずったもんな。

 替えのボールをアンパイアから受け取り、竹田に返球する。

 しゃーない。先頭打者には、真っすぐを同じコースに続けて、チカラでねじ伏せるつもりやったが……ちと危険やな。少し目先を変えていかんと。

 サインを出し、内角高めに構える。しかし、竹田が投球動作を始めた瞬間、高山はミットをアウトコースに移動した。

 ボールを追い掛けるように、横井のバットが回る。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアのコールと同時に、高山は「へいっ」と一塁へ送球する。そのまま内野でボール回しを行い、リズムを作っていく。

「くそぅ、やられたっ」

 横井は悔しげに、空を仰いだ。

 

 やはり竹田は、全国トップのピッチャーである。

 この後、西将バッテリーは墨谷の八番加藤、九番久保にもすべて速球。七番の横井に続き、なんと三連続三振を奪う。

 墨谷もバットの握りを短くしたり、バントの構えをしたりと手は打ったが、そう簡単にどうにかできる相手ではなかった。

 

 

 チェンジとなった際、高山はタイムを取り、レギュラー陣を集めた。一塁側ベンチ手前で、小さく円座にさせ、自分もその輪に加わる。

「シュートねらい、どないしよか?」

 高山の問いかけに、まずエースの竹田が答える。

「俺は、続けてええと思うで。そもそも監督の指示やろ?」

「いや。監督の指示は、相手の長所で勝負しろっつうことや。必ずシュートを打てとは、言われてへん。初回の攻撃の後、みんなで決めたやろ」

「そ、そうやったな。すんまへん」

「このボケ。ほな……月岩は、どない思う?」

 話を振ると、月岩は「せやなぁ」と渋い顔をした。

「あの一年坊……思うてたより、しぶといで。塁には出とるが、けっきょく四回まで零点や。俺はそろそろ、ねらいダマを変えてもいい頃やと思う」

 キャプテンの平石が、くすっと笑う。

「おまえ見かけとちごて、慎重派やからな」

「ほっとけ」

「けど……俺も月岩に賛成や。まさか墨谷なんて、聞いたこともないチームのピッチャーが、あんなタマ放るとは思わへんかったしな」

 三番打者の椿原が「まったくや」とうなずく。

「あの井口って一年坊、スピードといいシュートのキレといい、十分うちでもエースを争えるレベルやで」

 そう言って、こちらに目を向ける。

「高山。おまえの意見は?」

「む……俺は、どっちでもええ。ただ、迷ってはいけないとは思うとる」

 全員を見回しながら、高山は発言した。

「もしみんなが、シュートねらいに不安を感じてるなら、きっぱりやめた方がええ。迷ってプレーすると、つけ込まれるぞ。なにせ……曲者がおるのでな」

「おお。さっきおまえが絡んどった、あのイガラシってボウヤか」

 平石が、愉快そうに言った。

「たしかに生意気そうなツラやったな。もっともおまえに比べると、あれでもだいぶ可愛いもんやが。月とスッポンぐらいの差があるで」

「なんやその、よう分からん例えは。こら平石。おまえキャプテンのくせに、いらんことヌカすんやない」

 その時だった。ふいに監督の中岡が、ベンチから出てくる。

「かっ監督!」

 西将ナインは慌てて立ち上がり、脱帽する。

「どうした高山。おまえにしては、歯切れが悪いな」

「は、はぁ……」

 めずらしいな、と高山は訝しく思う。練習試合でも公式戦でも、こういうレギュラー陣の話し合いに、中岡が今まで口を挟んでくることはなかった。

「はっきり言ったらどうだ。いまシュートねらいをやめるのは、得策じゃないと」

 なるほど……と、こっそりつぶやく。やはり見透かしとったか。ちとシャクやが、この人には、かなわへんなぁ。

「監督の、おっしゃるとおりです」

 正直に答える。

「ここでやめたら、俺らがシュートに手こずっていると、墨谷に教えるようなもんや。そうなると……向こうは勝負所で、シュートを多投してくるで」

 ナイン達から「あっ」と声が漏れた。

「ほかのボールは、いつでも打てるやろ。それをするなら、シュートを打ってからの方が、より効果的やぞ。向こうはなに投げていいか、分からなくなるはずや」

「ふふ、やっと本音を言ったな」

 高山の話を受け、中岡は微笑みを湛えた目で告げる。

「あとは……この先われわれが、どこを目指すのかということを、よくよく諸君らには考えてもらいたい。春を制した後は、当然夏もねらう。そのために、どんな戦い方がふさわしのかをな」

 ナイン達は、神妙な面持ちで「はいっ」と返事した。

 

 

3.大ピンチ!

 

 大飛球が、レフト頭上を襲う。

 横井が懸命にダッシュし、フェンスの数メートル手前で飛び付いた。そして倒れ込んだまま、グラブを掲げる。中に、ボールの白がのぞく。

「アウトっ」

 三塁塁審が、右拳を突き上げた。またも飛び出した好きプレーに、スタンドは沸く。西将の九番打者が、腰に手を当てて苦笑いする。

「ナイスガッツ横井!」

 三塁側ファールグラウンドより、谷口は叫んだ。

「フェンス際、よく勇気を出して飛び込んだな」

「どうってことねぇよ」

 横井は白い歯をこぼし、中継に入っていたイガラシに返球する。

―― 一番センター、月岩君。

 西将の打順は、トップに返る。これで三回り目だ。月岩は、最初の打席では三振に仕留めたものの、二打席目はきっちりライト前へ弾き返している。

 サードのポジションに戻り、谷口は「マズイぞ」とつぶやいた。

 いまのもシュートを捉えられた。西将のバッター、だいぶ慣れてきてる。ここにきて、初回からねらい打ちにしてきた効果が、あらわれ始めたぞ。バッテリーも気づいて、他のボールを混ぜてはいるが……

 月岩に対して、井口は速球とカーブであっさり追い込む。

 しかし、そこから粘られた。際どいコースの速球は見極められ、カーブは簡単にカットされる。とうとうフルカウントとなる。

「オーケー井口。いいタマきてるぞ」

 倉橋がそう励まして、返球する。

 ボールを捕ると、井口はすぐに投球せず、足元のロージンバックを拾う。指先が滑らないようにではなく、これは間を取るためだ。

 うまいぞ井口。投げる間合いを短くしたり、長くしたりして、バッターがすっきり打てないように工夫してる。これで少しは、相手がリズムを崩してくれればいいが。

 井口はやがて、八球目の投球動作へと移る。初回に三振を奪った時と同じ、内角低めへのシュート。鋭く膝元へ喰い込む。

 ヒュッ。閃光のような打球が、一・二塁間を抜けていく。好守を誇る丸井と加藤が、一歩も動けない。ライト前ヒット。

「な、なんて打球だよ」

 イガラシが珍しく、引きつった顔になる。

―― 二番ショート、田中君。

 気の抜けない打者が続く。ここまで田中はノーヒットだが、二打席目は八球粘られた後、センターへあわやホームランかという当たりを放っていた。

 井口は初球、二球目と速球を内外角へ投じたが、いずれも僅かに外れる。

 続く三球目。選んだ球種は、この試合初めて投じるスローカーブだった。それが真ん中高めに入る。やられた……と、谷口は目を瞑りかけた。

「ストライク!」

 アンパイアのコールに、数人が安堵の吐息をつく。

「あ、あぶねぇ」

 加藤と丸井が目を見合わせ、苦笑いする。

「いまの、ねらわれてたら……ホームランだぜ」

「うむ。見逃してくれて、たすかったよ」

「井口!」

 谷口はタイムを取り、力投の一年生を呼んだ。

「あ……はいっ」

 さすがに失投だったと自覚しているようで、井口はバツの悪そうな顔をしていた。

 中途半端なことはするなと、注意するつもりだった。こちらの知る限り、井口はずっとスローカーブの練習に取り組んでいるものの、まだ制球は安定していない。

 でも……と、谷口は思い留まる。

 ダメだ。まかせると決めたからには、最後までそうしなきゃ。失投だったとはいえ、井口なりに考えての選択だ。ここで口を出せば、彼の成長の機会を奪ってしまう。

「な、なにか?」

 訝しがる後輩に、谷口は別の言葉を伝えた。

「いいか井口。打たれても暴投してもいいから、しっかり腕を振るんだ」

「き、キャプテン……」

 意外に思ったらしく、相手は目を丸くする。

「強気でいくんだろ。どんな時も、それを忘れるなっ」

「……は、はいっ」

 井口は、力強くうなずいた。

 ほどなくタイムが解ける。井口はセットポジションから、第四球を投じた。

 思い切りよく内角高めを突く。しかし、それが内側のラインぎりぎりに立っていた田中の、ユニフォームの袖を掠めてしまう。

ボールデッド!」

 アンパイアはそう告げて、ファーストベースを指差す。死球となり、一塁二塁とピンチが広がった。田中はバットを置き、ゆっくりと一塁へ向かう。

「井口、引きずるなよっ」

 ショートのポジションから、イガラシが声を掛けた。

「当てたからって腕が縮こまったら、叩き込まれるぞ。あと一回ぶつけるぐらいの気持ちで、思い切りいけ!」

「おうっ。つぎこそ三振に取ってやるから、よく見とけ」

 幼馴染の檄に、井口は強気で返す。

 たいしたもんだな、と胸の内につぶやく。このレベルの相手に、追い詰められてなお気迫を保てるのだから、やはり並のピッチャーではない。谷口は、いっそう井口を見直した。

―― 三番ファースト、椿原君。

 得点圏にランナーを置いて、打順はクリーンアップに回る。この椿原は、初回に早くも井口のシュートを捉え、強い当たりのサードゴロ。二打席目はセンターライナーと、いずれもヒット性の当たりだった。

 初球、シュートが真ん中に入る。明らかにコントロールミスだ。椿原は、躊躇いなくフルスイングした。ショートへ痛烈な打球が飛ぶ。

 バシッ。正面に回り込んだイガラシが、体で止めた。

 谷口は「へいっ」と合図して、三塁ベースを踏んだ。その動きに合わせ、イガラシが一旦こぼしたボールを拾い直し、素早くトスする。

 足から滑り込んだ月岩の頭上で、三塁塁審が「アウト!」と右拳を掲げた。

 三塁フォースアウトとなり、ツーアウト一・二塁に状況は変わる。勇気ある一年生のプレーに、スタンドから拍手が送られた。

「ナイスガッツ! よく止めたぞイガラシ」

 声を掛けるも返事がない。いつもの照れ隠しかと思い、相手の顔をのぞき込むと、唇を歪めていた。やがて、その場に片膝をつく。

「いっ……イガラシ!」

 谷口は、慌てて駆け寄った。

 

 

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