南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

高校野球の野球留学を否定するのは、進学校が学業優秀な生徒を集めるのを否定するのと同じである

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 大阪桐蔭が圧倒的に優勝したせいか、野球留学を批判するようなメディアの記事等を見かけるようになってきた。要するに、他県から優秀な選手を集めてまで勝とうとするのは、やりすぎじゃないのかという文脈である。

 

 かく言う私も、一部の学校が甲子園の優勝を独占するより、例えば07年の佐賀北のようなチームが優勝した方が、一ファンとしては面白いと思う。

 

 ただ現実問題として、今は少子化の世の中である。また少年達の好きなスポーツも、野球だけでなくサッカー、バスケットボール、陸上競技等、かなり多様化してきている。野球人口そのものの減少が危惧されている昨今なのだ。

 

 そんな中、名の知られた野球強豪校であれば、黙っていても優秀な選手が入部してくる時代は、もう終わったのだと思う。今は、選手達が求めるニーズに応えられる野球部が生き残っていく――今はそんな時代に入っている。

 

 ただ一言でニーズといっても、選手個々人によって変わる。甲子園に出たいのか。あるいはその先、大学や社会人、プロでの活躍も見据えているのか。それとも純粋に野球を楽しみたいのか(これだって立派なニーズである)。

 

 したがって今後必要なのは、各野球部が選手達の“どんなニーズに応えられるのかを明確にすること”ではないだろうか。

 

 なぜ大阪桐蔭野球部に、あれだけ優秀な選手が集まるのか。それは端的に言って、選手達のニーズに応えられているからに他ならない。甲子園で活躍して、大学、社会人、そしてプロ――その最短距離に、大阪桐蔭があるということではないか。

 

 野球強豪校が有望選手を集めるのは、超進学校が学業優秀な生徒を集めるのと何ら変わらない。強豪野球部にはそれぞれの強化カリキュラムがあり、それに付いてこれる選手に来てもらいたいと思うのは、指導者側としても自然な心理だ。

 

 他府県への野球留学を制限すべきという声も聞かれるが、それは地方の学業優秀な生徒が、東京大学を始めとする有名大学へ進学すべきでない、地元の大学にしろと言っているのと同じである。

 

 とはいえ――強豪校への戦力集中は、確かに問題もある。それは、いわゆる“控えメンバー”の増加である。素質があるのに、競争の激しい強豪野球部に入部したがために、三年間控えというのはもったいない気もする。

 

 個人的には、ある程度の部員数以上の野球部は、複数チームのエントリーを可能にするのはどうだろうか――○○高校A、○○高校Bのように。これはすでに、サッカー等では実施している。

 

 やや話が逸れた。

 

 もちろんファン心理として、一部の学校が甲子園の優勝を独占しては面白くないという気持ちは、よく分かる。

 

 ただ高校野球の魅力は何かといえば、選手達の“一生懸命な姿”や“成長”が見られる点である。それならば、選手達が夢を叶える手段として、他府県の野球強豪校へ進学することを否定すべきでない。あくまで、選手達の意思が最優先でなければならない。

(※もちろん選手獲得を巡り、色々と生臭い話も聞こえてくるが、それらの問題を放置してはならないということは言うまでもない。)

強すぎた大阪桐蔭と、近江・浦和学院それぞれの覚悟 ~第94回選抜高校野球より~

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 選抜高校野球大阪桐蔭-近江の決勝戦は、18-1という大差で大阪桐蔭が圧勝し、四度目の優勝を果たした。

 

 このスコアは仕方がない。大阪桐蔭が強かった。いや、強すぎた。

 

 市立和歌山戦(準々決勝・17-0)と同じである。圧倒的力量を誇る相手に、万全でない状態で臨めば、どんなチームだってそうなる。

 

 近江はエース山田が足を負傷していただけでなく、前日の準決勝・浦和学院戦で十一回を投げ抜き、疲労もかなり溜まっていたはずだ。おそらく彼自身も含め、チーム関係者は決勝戦がこういう結果になることを、覚悟していたのだろう。それも分かった上で、山田にすべてを託したのだと思う。

 

 覚悟といえば、準決勝で敗れた浦和学院にも、別の形でそれが見られた。同点に追いつかれ、延長戦に突入するという緊迫した展開で、最後までエース宮城を登板させなかった。もちろん球数制限のこともあるだろうが、大阪桐蔭相手には主戦投手が万全の状態でなければ歯が立たないと分かった上で、覚悟を決めた“エース温存”だったのではないだろうか。

 

 近江の覚悟。浦和学院の覚悟。私は、そのどちらも尊重したい。

 

 しかし――近江と浦和学院という全国屈指の強豪に、それだけの覚悟を迫るほど、今大会の大阪桐蔭は図抜けた存在であった。

 

 この決勝戦。私にとって驚きは、18点を奪ったことではなく、1点しか与えなかったことだ。先発の前田、八回からリリーフした川原は、それだけ高い集中力を持って投球していた証である。どんなに点差が開いても、気を緩めることはなかった。

 

 打線も4本塁打は圧巻だったが、基本的にコンパクトなスイングで、けっして大振りしなかった。ホームランとなった当たりも、甘く入った球を素直に打ち返したら、そのままスタンドに入ったという印象だった。またアウトになった場面でも、ファールで粘ったり際どいコースをきっちり見極めたりして、じわじわと近江投手陣にジャブを打ち続けた。パワーのある打線に技を駆使されるほど、厄介なことはない。

 

 大阪桐蔭の西谷監督は、日頃から選手達に「どんなに大差がついても、1点差のつもりで戦いなさい」と指導しているという。まさにそれを体現する戦いぶりで、彼らは最後まで攻め続けた。その姿勢には、天晴れと言うほかない。

 

 こうして今年(令和4年)の選抜高校野球は、幕を閉じた。しかし“春”の良いところは、負けても“夏”への希望を残せることにある。

 

 大阪桐蔭は、今年も十分に春夏連覇を狙える力量を有している。そんな彼らを倒すチームは、現れるのだろうか。この大敗の雪辱を期す近江か、その近江に惜敗した浦和学院か、大阪桐蔭に唯一接戦を演じた鳴門か。はたまた、別のチームが頭角を表してくるのか。

 

 球児達のさらなる成長と、コロナ禍の終息、そして“夏”の大会の幕開けを、今から心待ちにしたい。

市立和歌山の健闘と、大阪桐蔭の”王者の凄み” ~第94回選抜高校野球より~

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 昨日(令和4年3月28日)の選抜高校野球大会・準々決勝の第4試合・大阪桐蔭-市立和歌山の一戦は、凄惨なゲームとなった。

 大阪桐蔭が打ちも打ったり6本塁打・18安打の猛攻で17得点。投げては3投手の継投で僅か1安打無失点に抑える。まさに完膚なきまでに叩きのめすという内容である。

 

 残酷なようだが、これも高校野球の一部だ。

 見る者を爽やかな気持ちにさせてくれる接戦もあれば、この試合のように、ただただ胸を締め付けられるような大量得点試合もある。

 

 それでも私は、市立和歌山の投手陣に拍手を贈りたい。

 

 けっして判官びいきで言うのではない。市立和歌山は、一回戦、二回戦と際どい試合を制して勝ち上がってきた。選手達には、とりわけ投手陣には、少なからず心身の疲労があったことだろう(実際、二番手として登板した米田投手は、腰の張りがあったと伝えられている)。そんな状態で、強豪の大阪桐蔭を相手にしなければならなかった。

 

 点差がどんどん開いていき、味方の援護も望めなかった絶望的な展開の中で、よくぞ九回を戦い抜いた。これだけでも、彼らは讃えられて良いと私は思う。

 

 正直に言うと――こういう一方的な試合になると、私はある程度予想していた。

 

 前述のように、市立和歌山は万全でないチーム状態で、準々決勝に臨まなければならなかった。そして大阪桐蔭。一回戦は3-1という僅差ゲームながら、私はその強さに戦慄を覚えていた。

 

 あの鳴門の好投手・冨田が僅かな隙を見せただけで、たちまち2点を奪い取り、1点差に迫られた直後、当たり前のようにスクイズで突き放す。これぞ横綱相撲。私はそこに、王者としての凄みを感じていたのである。

 そんなチームに、万全でない状態でぶつかればどうなるか。言うまでもない。

 

 大阪桐蔭、強し。だからこそ市立和歌山の選手達には、胸を張って和歌山に帰って欲しい。

 恥じることはない。私学優勢の今の高校野球において、公立校ながらベスト8まで勝ち残ったのは、立派な戦績である。

 

 かつて智辯和歌山の“一強時代”が続いていた和歌山高校野球に風穴を開けたのは、市立和歌山だと聞く。彼らとの切磋琢磨があったからこそ、昨年の智辯和歌山の全国制覇があったとも思う。今年の夏もまた、両校による熾烈な戦いが繰り広げられることだろう。

 

 そして、勝った大阪桐蔭。試合の大勢が決まった後も、手を抜かずにプレーし続けた姿勢は立派だ。普通の高校生なら気が緩んでもおかしくない状況で、絶対に隙を見せなかった。これぞ王者。まだ準決勝・決勝と残ってはいるが、今最も優勝に近い地点にいるのは、やはり彼らだろうと思う。

 

「ハイサイおじさん」が、沖縄高校野球応援のメイン曲でなければならない理由

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 沖縄高校野球応援のメイン曲「ハイサイおじさん」に対し、“酒飲みの歌は高校野球にふさわしくない”とクレームが付けられ、それ以来何試合か応援曲として使われなかったことがある。

 

 私はこのクレームに対し、断固として反対の意を示したい。

 

 なるほど歌詞を見れば、確かに「酒飲みのオジサン」の日常をのように思われるかもしれない。だが、それだけでは読みが浅い。どうしてオジサンが、酒浸りになってしまったのか、その背景を考える必要がある。

 

 詳細はここでは書かないが――オジサンがそうなってしまった原因は、戦争である。つまり「ハイサイおじさん」は、れっきとした“反戦歌”なのだ。

 

 「ハイサイおじさん」を“反戦歌”だと見ると、もっと奥深く歌詞を読み取ることができる。ユーモラスな歌詞の奥に、戦中・戦後の悲惨な境遇さえも笑い飛ばして、逞しく生き抜いていこうとするウチナーンチュの姿が見えてこないだろうか。

 

 悲惨な境遇に打ちひしがれるのではなく、明るく前向きに立ち向かって見せる。その精神は、戦後ウチナーンチュの希望の星となった沖縄高校野球の戦いと重なる――私にはそう思えるのである。

 

 だから沖縄高校野球の応援曲は、「ハイサイおじさん」じゃないとダメなのだ。あの曲には、戦後の沖縄の歩みと、そこで生きてきた人々の思い、そのすべてが詰まっている。

 

 急いで断っておくが、高校野球と戦争を結び付けることには反対だ。両者はあまりにもかけ離れ過ぎている。

 

 ただ戦後を生き抜いてきた沖縄の人々が、高校野球に希望を託したこと。それは確かな事実である。もちろん現役の高校球児達が、沖縄の重い歴史までも背負うことはない。

 

 しかし自然と、沖縄の球児達は、沖縄の人々にとって希望の象徴となっていくのだろう。それはきっと、これからも変わらないと思う。

逆方向へのバッティングは、なぜ必要なのか!? ~第94回選抜高校野球より~

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 プロ野球だけでなく、高校野球でもレベルの高い試合になると、いわゆる“逆方向へのバッティング”が重要と言われている。念のために説明すると、右打者が右方向へ、左打者が左方向へ打ち返すことが「逆方向」である。

 

 そもそも、なぜ“逆方向へのバッティング”が重要だと言われてるのか。

 もちろんヒットエンドラン等、作戦で使うということもある。だがそれ以上に、現代のピッチャーはほとんどが横に曲がる球、すなわちスライダーを持ち球としていることが、逆方向へのバッティングが重要とされる理由である。

 

 一般に、右打者及び右投手が多い。右打者から見て、右投手のスライダーは外へ逃げていく軌道になる。実際に打ってみれば分かると思うが、逃げていくボールは引っ張り込んで打つと引っ掛けてしまい、ゴロになりやすい。引っ張るのではなく、おっつけるようなスイングの方が、芯で捉えてライナー性の打球を打ち返しやすい。

 

 だから私は、試合観戦においてチームの打撃のレベルを計る時、打球方向を見る。

 どんなに長打が多くても、引っぱった打球ばかりのチームは、好投手と当たればきっと抑えられるだろうと推測する。一方、さほど長打は多くなくても、逆方向へ打ち返せるチームはどんな投手からでも得点できると思う。

 

 ただし――ここで一つ断っておかねばならないのは、“引っぱり”のバッティングがダメというわけではない。むしろ、引っぱって速い打球を打つことができない打者が、逆方向へ打てたとしても、それは単なる手打ちか振り遅れの場合が多い。

 

 やはり基本はフルスイングなのだ。フルスイングで長打の打てるチームが、相手投手のレベルや状況に応じて、逆方向にも打ち返せるから、効果的なのだ。最初から長打を捨てているチームなど、まったく怖くない。インコースに速球を集めれば、簡単に詰まらせられる。

 

 もし不器用で、引っぱりしかできないバッターでも、対応策はある。要するに、アウトコースの逃げていく球を捨てればよいのだ。

 

 捨て方は二通りある。一つは「見逃せば半分以上はボール球」と割り切って、手を出さないこと。もう一つは、ファールで逃げる技術を身につけることである。

 

 どんなにコントロールが良い投手でも、全球アウトコースの厳しいコースを突ける投手というのは、そうはいない。どれかは内寄りに入ってくるはずだ。その内寄りにきた球をねらえばよい。

 

 なんだかんだでピッチャーにとって怖いのは、一発長打のあるチームである。“力と技”とはよく言ったものだが、技を磨くのはもちろん大切なことだが、それにより力を捨ててしまうと、持てる能力の半分しか出せなくなってしまう。

 

 バッティング一つとっても、引っぱりか逆方向かという二者択一ではなく、「どうすれば勝つ確率を上げられるか」という視点で、各チーム及び各選手には、日々の練習に取り組んでもらいたい。