【目次】
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第17話 波乱の前半戦!の巻
1.まさかの一発!
二回表。投球練習を終えた井口が、ふいにタイムを取った。
「キャプテン、倉橋さん。ちょっといいスか」
谷口はすぐに、マウンドへ駆け寄る。少し遅れて、倉橋も小走りにやって来た。
「ここは敬遠します」
二人の「えっ」という声が重なる。
「そりゃ、反対はしないが……」
倉橋が目を丸くして、尋ねる。
「勝負したくないのか? ランナーもいないし、公式戦じゃないし」
ネクストバッターズサークルでは、西将の四番・高山が、二本のマスコットバットを軽々と振り回していた。その口元に、妙な笑みを浮かべている。なんとも不気味な様だ。
「あの高山ってバッターは、西将の中心打者です。試合はまだ序盤、ここで一発浴びるようなことがあれば、チーム全体が乗ってくる気がします。それは避けるべきかと」
なるほど……と、胸の内につぶやく。ちゃんと考えてるのだなと感心した。その上で、谷口は念のため問うてみる。
「作戦としては正しい。しかし、この試合のテーマは、最後まで逃げずに戦うことだと伝えたはずだ。敬遠することで、気持ちが逃げに回ってしまっては、元も子もないぞ」
「キャプテン。これは逃げじゃありません」
井口は、きっぱりと答えた。
「あのバッターと勝負するのは、いまじゃないってことです。この後、何打席も回ってきます。その時こそ、きっちり仕留めてやりますよ」
ふむ、と倉橋がうなずく。
「そこまでハラが決まってるのなら、だいじょうぶそうだな」
「む。何度も言うが井口、攻めていけよ。俺達バックがついてる」
先輩二人に励まされ、井口は「まかせといてくださいよ」と胸を張った。
―― 四番キャッチャー、高山君。
アナウンスより少し遅れて、高山が右打席に入ってきた。相変わらず、口元に笑みを浮かべている。何を考えているのか読み取れない。
やはり堂々たる体躯だ。逸材揃いと言われる西将ナインの中でも、この打者は明らかに雰囲気が違う。しかも大柄なわりに、体の動きが柔らかい。春の甲子園で打率六割、三本のホームランを放ったと聞くが、それも納得だ。
プレイが掛かると、倉橋はすぐに立ち上がり、横に移動した。途端「ええっ」と、スタンドがざわめく。
「なんだよ、つまんねーな」
「公式戦じゃあるまいに。正々堂々、勝負しろよっ」
そんな野次まで飛んできた。ショートのイガラシが、こちらに顔を向け苦笑いする。谷口は黙ってうなずき、肩を竦めた。
井口は好判断だったな。あの高山、まるでプロ野球のスターじゃないか。こういうバッターに打たれたら、相手が勢いづくだけでなく、観客まで向こうの味方しそうだ。
倉橋が四つ目のボールを捕り、高山は一塁へ歩き出す。
「うふふ、やってくれるやないか」
マウンド上を軽く睨み、高山はおどけた口調で言った。その視線の外れた瞬間、こっそり倉橋がサインを出す。
―― 五番レフト、竹田君。
次打者は、本来の主戦投手・竹田だ。長身のなで肩、遠巻きには細身にも見えるが、足腰は太い。典型的な投手の体型である。
竹田は、左打席に入った。井口がセットポジションから、投球動作へと移る。その瞬間、一塁ランナーの高山がスタートを切った。
ところが、倉橋がミットを大きく右に外す。竹田は片手でバットを伸ばし、当てようとするが届かない。
バシッ。空振りになり、倉橋がすかさず二塁へ送球した。すでにベースカバーに入っていたイガラシが捕球し、滑らかな動きでタッチへいく。スライディングした高山の足先を、グラブがはらう。
「アウト!」
二塁塁審が右拳を突き出す。
「ちきしょー、やられたっ」
タッチアウトになった高山は、苦笑いして空を仰いだ。
「初球エンドラン。まさか読んでやがったとは、やるやないか」
まだ余裕があるのだろう、相変わらずおどけた口調で言った。立ち上がり、軽くユニフォームの土を落とすと、足早に引き上げていく。
招待野球第二試合。墨谷と西将学園の一戦は、大方の予想を覆す展開となった。
墨谷の先発・井口は、得意の速球とシュートを駆使し、強気のピッチングで西将の強力打線に立ち向かっていく。二回からは再三ランナーを背負ったものの、あと一本は許さず、四回までスコアボードに「0」を並べたのだった。
一方の墨谷打線は、西将の次期エース・宮西のボールを早くも捉え出す。
初回にイガラシらがヒット性の当たりを放つと、二回には倉橋がチーム初安打。点こそ奪えなかったものの、以降じわじわと塁上をにぎわせるようになる。
四回表を終えて、両チーム無得点。スコアばかりか、内容もほぼ互角と言えた。
その裏――墨高の攻撃は、五番のキャプテン谷口からである。
外角高めの速球を、谷口はカットした。打球は三塁側スタンドに飛び込む。
しまった、いまのはボール一個分外れてたな。もっとよく見ないと。初球はインコース低めにシュート、つぎがアウトコースの高低に真っすぐを続けたから、またそろそろシュートがくる。しっかり備えなきゃ……むっ。
その時、ふと違和感を覚えた。
なんだか配球、分かりやすいぞ。ここまで追い込んだら、どの打者にもすべてシュートを投じてるな。ウラをかいて真っすぐ、あるいは緩い変化球ってテもあるはず。
谷口はちらっと、キャッチャー高山の横顔を見やる。
この人……そういう駆け引きは、むしろ得意そうに見えるが。いや、ひょっとして分かりやすい配球で、わざとねらわせてるのかも。分かってても打たせないつもりなのか、もしくは打たれないという自信を持ちたいのか。
「おやぁ。なにか悩みごとかい?」
高山がそう言って、にやりと笑う。
「ひょっとして、やたらシュートばかり投げてくるなって思ってるとか」
内心ぎくっとするが、努めてポーカーフェイスを装う。
「そんな余裕なんか、ないよ。あの宮西君って子、二番手とは思えないくらい、すごいボール投げるんだもの。こっちは一球一球、喰らいくのに必死さ」
「おおっ。さすが、お目が高い。彼はいま成長株の……って、話をそらすなや」
「ねえ、そろそろ怒られちゃうよ」
「んなことカンケ―あらへん……あっ」
二人の背後で、アンパイアが「オッホン」と咳払いした。
「きみぃ。関係ないとは、どういう意味だね?」
「や、なんでもありません。しっ失礼しやしたぁ」
わざとらしくペコペコと頭を下げ、高山はサインを出す。
いまは置いておくか、と胸の内につぶやく。相手のねらいよりも、こちらのテーマを完遂することが大事だと、谷口は自分に言い聞かせた。
十中八九、シュートだろう。でも、これぐらいなら、イガラシや井口のボールで見慣れてる。けっして打てない球じゃないぞ。
四球目。やはりシュートが投じられた。ほぼ真ん中から、胸元に喰い込む。谷口は、直前にバットの握りを短くし、押し出すように振り切る。
手応えがあった。スタンドが「おおっ」と沸く。
低いライナーが、飛び付いた二塁手のグラブを掠め、外野の芝の上を転がっていく。センター前ヒット。この試合初めて、墨谷は先頭打者を出塁させた。
センターから内野へと、ボールが返ってくる。
「ノーアウト一塁。ランナー、脚を使ってくるぞ」
内野陣にそう伝えてから、高山は屈み込んだ。ひそかに溜息をつく。
やはり打たれたか。ミエミエの配球とはいえ、迷いなく振ってきたな。やつら練習で、あの一年坊のタマを打たされてるせいか、シュートに目が慣れてやがる。ちがう組み立てをすれば、抑えられるだろうが、それだと今日のテーマから外れちまうし……
タイムを取り、一旦マウンドへと向かう。
「た、高山さん」
こちらの顔を見ると、宮西は不安げな目を向けてきた。
「俺のシュート、どこかおかしいですか?」
「いーや。キレもコントロールも、とくに問題ねぇよ」
「だったら……どうしてあんな、カンタンに」
マズイな、と胸の内につぶやく。
宮西は明らかに動揺していた。彼にとって、シュートは勝負球だ。それを初回から捉えられているのだから、平静さを失うのも無理はない。
「心配なら、シュートは見せ球にして、ほかで仕留める組み立てにしようか?」
提案するも、すぐに「だいじょうぶです」とかぶりを振った。
「今日のテーマは、ねらっても打てないボールを完成させることじゃないですか。俺にとって、それはシュートです。あんな新興チームに打たれるはず……」
「こら宮西。強気でいくのと、強がりは、別やぞ」
語気を強めて、後輩をたしなめる。
「やつらがシュートに強いのは、もう分かるやろ。よほど練習を積んできとるんや。それを認めたうえで、どうすべきか考えな」
「ええ。それでも、シュートでいかせてください」
まだ引きつった顔で、宮西は答える。
「来年は俺がエースです。ねらわれて打たれるくらいじゃ、西将のエースは務まりません。必ず抑えて見せます。だから……」
「わかったわかった。まったく、ガンコなやっちゃ」
強情な後輩に、高山は苦笑いした。
「そのかわり、抑えようと力むなよ。キレがなくなっちまうぞ」
「まかせといてくださいっ」
快活な返事に、かえって不安を覚える。
―― 六番ピッチャー、井口君。
高山がポジションに戻ると、例の一年坊、井口が左打席に入ってきた。学年のわりに大柄である。顔つきからして、かなり鼻っ柱が強そうだ。
「よっ大将、ナイスピッチング!」
おどけて声を掛けるが、相手は反応しない。こいつ無視しやがって……と思いかけたが、よく見ると耳栓をしている。挑発に乗らないように、策を講じたらしい。
おやまっ。見かけによらず、可愛げのないチームだこと。
間もなくプレイが掛かる。高山は、速球を二球続けさせた。いずれも内外角の低めいっぱいに決まる。三球目は、カーブをアウトコースへ。これは外れて、ツーストライク・ワンボール。
井口は、ぴくりとも反応しない。シュート狙いは明らかだ。
四球目。高山は、速球とカーブのサインを出したが、両方とも首を振られる。後輩はどうしても、シュートで勝負したいらしい。
しゃーない。ただしストライクは、あかんぞ。こいつ前の打席は三振やったが、タイミングは合うてたからな。外角ぎりぎり、ストライクからボールになる軌道や。
宮西はうなずき、セットポジションから第二球を投じた。
思わず「アホッ」と口走ってしまう。コースは真ん中高め。高山が避けたかった、まさにストライクゾーンに入ってきた。井口は、躊躇なくフルスイングする。
大飛球がライト頭上を襲った。右翼手はしばし背走するが、フェンスの数メートル手前で立ち止まり、呆然と見送る。
井口の打球は、ライトスタンド中段に飛び込む。ツーランホームラン。満員のスタンドが、大きくどよめいた。
2.エース登板
「井口のやつ、ハデにぶち込みやがって」
三塁側ブルペンで、イガラシは溜息混じりに言った。
「うれしくないのかい?」
投球練習の合間に、松川が問うてくる。
「あの西将から点を取った。しかも、ホームランで。すごいじゃないか」
「いや、まぁ……そんなこともないですがね」
イガラシ達の眼前では、ベンチに帰ってきた井口と谷口が、味方から手荒な祝福を受けている。一方、まさかの失点を喫した西将ナインは、明らかに怒りの形相だ。
キャッチャー高山が、ここでタイムを取る。内野陣がマウンドに集まった。
「向こうさん……点が取れなくてイラついてたところに、この一発ですからね。この後、きっと目の色変えてくるんじゃないかと」
「しかし井口も、ここまでよく抑えてるじゃないか」
「そりゃ抑えられるでしょうよ。向こうはまだ、ほんとうの力を隠してますから」
ふと見ると、キャッチャーの根岸が傍に来ていた。
「どういうことだよ。西将は、手を抜いてるってことか?」
根岸の質問に、イガラシは「いいや」と首を横に振る。
「というより、難しいことをやろうとしてる、という方が正しいだろうな。見ていて気づかないか? やつら、井口のシュートばかり打ちにきてるだろ」
「む、そういやぁ。でもどうして」
「シュートは井口の勝負球だ。相手のもっとも得意とするところで、力の差を見せつけようってのが、やつらの作戦なんだろう」
松川は「そ、そうか」と引きつった顔になる。
「勝負球を打たれたら、どんなピッチャーでも動揺する。西将はそれをねらって」
「ええ。ただ思いのほか、井口のボールにチカラがあったので、ここまでは打ちあぐねていますけどね。けど、何本かヒットは出てますし、そろそろ目も慣れてきた頃です。松川さん、早めに仕上げといた方がいいと思いますよ」
「おまえ、それを言うために来たのか」
先輩が苦笑いした。イガラシは、真顔でうなずく。
大仰に言うのは憚られたが、もう猶予はないと思っていた。向こうがその気になれば、打ち崩すのは容易だろう。
その時だった。
一塁側ベンチから、西将の控え選手が一人、グラウンドに出てくる。その選手は、まずアンパイアに何事か告げた後、マウンド上の内野陣の輪に加わった。
グラウンドに視線を向け、松川が「ま、まさか……」とつぶやく。
直後、レフトを守っていた西将の背番号「1」竹田が、マウンドへ駆け出す。スタンドがざわつき始める。そして、ウグイス嬢のアナウンスが響く。
―― 西将学園高校、シートの変更をお知らせ致します。ピッチャー宮西君が、レフト。レフトの竹田君がピッチャーへ、それぞれ入れ替わります。
八番レフト、宮西君。五番……ピッチャー、竹田君。
甲子園優勝投手の登場に、球場は大いに盛り上がった。
「ちぇっ。向こうさん、メンドウなことしてくれるぜ」
舌打ちして、イガラシは言った。
「点を取って、ここから畳みかけようって時に、流れを断ち切りやがった」
傍らで、根岸が呆れ笑いを浮かべる。
「しっかし……すごい人気だな。王や長島じゃあるめぇに」
松川が「仕方ないよ」と溜息をつく。
「なにせ甲子園の優勝投手だもの。噂じゃ、ジャイアンツやタイガース辺りが、ドラフトで指名するって話もあるみたいだし」
三人の眼前で、竹田がロージンバックを放り、投球動作へと移る。理想的なオーバーハンドのフォームから、高山のミットへ速球を投げ込む。
ズドン。迫力ある音が、球場内に響き渡る。
竹田は速球を三つ続けた後、変化球も投じた。二種類のカーブ。スピードを殺し大きく曲がるものと、ほぼ速球と同じスピードで小さく曲がるものとがある。
「ははっ、こりゃすげぇや」
苦笑い混じりに、イガラシは言った。中学時代より、何人もの好投手と対戦してきたが、ここまでのレベルの投手は見たことがない。
―― 七番レフト、横井君。
おっかなびっくりという表情で、横井が打席へと向かう。
「横井、喰らいついていこうぜ」
ベンチより、谷口が声援を送る。他のメンバーも続いた。
「ひるむな横井、思い切っていけ」
「相手は立ち上がりだ。まだ本調子じゃねぇぞ、ねらいダマしぼって叩きつけろ」
味方の励ましに、横井は「おうっ」と応える。
強気でいくんだったな……と、胸の内につぶやく。思いのほか快活な声を発した先輩の背中を、イガラシは黙って見守った。
インコース高めの速球を、横井は空振りした。バットの握りをかなり短くしていたが、それで打てるほど甘くはない。
「よっしゃ。いいボール、来てるでぇ」
高山は立ち上がり、マウンドの竹田へ返球する。
また屈んでサインを出しながら、打者の動きを確認する。横井は、短くした握りはそのままで、さらにバットを寝かせた。ほとんどバントのような構えだ。
こいつ。なにがなんでも、当てようってか。
二球目も同じコース、同じボールを要求した。またも威力ある速球が、ミットに飛び込んでくる。しかし、今度は僅かながら、掠った音がした。
「あ……当たった」
口元を緩め、横井はベンチに向かって叫ぶ。
「当たるぞみんな。喰らいついていけば、どうにかなる」
味方も「いいぞ横井!」と応えた。
「その調子だ。ねばってねばって、一球でも多く投げさせろっ」
「気持ちで負けるなよ、向かっていけっ」
高山は、こっそり溜息をつく。
ふん、チーム一丸ってやつか。かすっただけで、こんなに盛り上がれるなんて、シアワセやな。うらやましいこった。
とはいえ……と、高山は思い直す。
向かってくるチームは、けっこう侮れんぞ。たいがいのチームは、竹田のボールを見せられると、一気に戦意喪失してしまうもんやからな。現実に、二点取られちゃったし。気ぃ引きしめてかからんと。
三球目、またもインコース高めの速球。横井は、またもバットに当てた。これは捕球しきれず、バックネットまで転がる。
なんやこいつ、えらい真っすぐに目が慣れるの早いな。変化球を使ってないのもあるが、甲子園でも初見のバッターは、そうカンタンに当てられへんかったのに。
高山はこの時、ふと思い出す。
そうや。こいつら、あの谷原を倒そうとしとるんやった。なら当然、速球に慣れる練習も積んどるはずや。谷原のエース村井は、左の本格派。俺らも勝ったとはいえ、だいぶ手こずったもんな。
替えのボールをアンパイアから受け取り、竹田に返球する。
しゃーない。先頭打者には、真っすぐを同じコースに続けて、チカラでねじ伏せるつもりやったが……ちと危険やな。少し目先を変えていかんと。
サインを出し、内角高めに構える。しかし、竹田が投球動作を始めた瞬間、高山はミットをアウトコースに移動した。
ボールを追い掛けるように、横井のバットが回る。
「ストライク、バッターアウト!」
アンパイアのコールと同時に、高山は「へいっ」と一塁へ送球する。そのまま内野でボール回しを行い、リズムを作っていく。
「くそぅ、やられたっ」
横井は悔しげに、空を仰いだ。
やはり竹田は、全国トップのピッチャーである。
この後、西将バッテリーは墨谷の八番加藤、九番久保にもすべて速球。七番の横井に続き、なんと三連続三振を奪う。
墨谷もバットの握りを短くしたり、バントの構えをしたりと手は打ったが、そう簡単にどうにかできる相手ではなかった。
チェンジとなった際、高山はタイムを取り、レギュラー陣を集めた。一塁側ベンチ手前で、小さく円座にさせ、自分もその輪に加わる。
「シュートねらい、どないしよか?」
高山の問いかけに、まずエースの竹田が答える。
「俺は、続けてええと思うで。そもそも監督の指示やろ?」
「いや。監督の指示は、相手の長所で勝負しろっつうことや。必ずシュートを打てとは、言われてへん。初回の攻撃の後、みんなで決めたやろ」
「そ、そうやったな。すんまへん」
「このボケ。ほな……月岩は、どない思う?」
話を振ると、月岩は「せやなぁ」と渋い顔をした。
「あの一年坊……思うてたより、しぶといで。塁には出とるが、けっきょく四回まで零点や。俺はそろそろ、ねらいダマを変えてもいい頃やと思う」
キャプテンの平石が、くすっと笑う。
「おまえ見かけとちごて、慎重派やからな」
「ほっとけ」
「けど……俺も月岩に賛成や。まさか墨谷なんて、聞いたこともないチームのピッチャーが、あんなタマ放るとは思わへんかったしな」
三番打者の椿原が「まったくや」とうなずく。
「あの井口って一年坊、スピードといいシュートのキレといい、十分うちでもエースを争えるレベルやで」
そう言って、こちらに目を向ける。
「高山。おまえの意見は?」
「む……俺は、どっちでもええ。ただ、迷ってはいけないとは思うとる」
全員を見回しながら、高山は発言した。
「もしみんなが、シュートねらいに不安を感じてるなら、きっぱりやめた方がええ。迷ってプレーすると、つけ込まれるぞ。なにせ……曲者がおるのでな」
「おお。さっきおまえが絡んどった、あのイガラシってボウヤか」
平石が、愉快そうに言った。
「たしかに生意気そうなツラやったな。もっともおまえに比べると、あれでもだいぶ可愛いもんやが。月とスッポンぐらいの差があるで」
「なんやその、よう分からん例えは。こら平石。おまえキャプテンのくせに、いらんことヌカすんやない」
その時だった。ふいに監督の中岡が、ベンチから出てくる。
「かっ監督!」
西将ナインは慌てて立ち上がり、脱帽する。
「どうした高山。おまえにしては、歯切れが悪いな」
「は、はぁ……」
めずらしいな、と高山は訝しく思う。練習試合でも公式戦でも、こういうレギュラー陣の話し合いに、中岡が今まで口を挟んでくることはなかった。
「はっきり言ったらどうだ。いまシュートねらいをやめるのは、得策じゃないと」
なるほど……と、こっそりつぶやく。やはり見透かしとったか。ちとシャクやが、この人には、かなわへんなぁ。
「監督の、おっしゃるとおりです」
正直に答える。
「ここでやめたら、俺らがシュートに手こずっていると、墨谷に教えるようなもんや。そうなると……向こうは勝負所で、シュートを多投してくるで」
ナイン達から「あっ」と声が漏れた。
「ほかのボールは、いつでも打てるやろ。それをするなら、シュートを打ってからの方が、より効果的やぞ。向こうはなに投げていいか、分からなくなるはずや」
「ふふ、やっと本音を言ったな」
高山の話を受け、中岡は微笑みを湛えた目で告げる。
「あとは……この先われわれが、どこを目指すのかということを、よくよく諸君らには考えてもらいたい。春を制した後は、当然夏もねらう。そのために、どんな戦い方がふさわしのかをな」
ナイン達は、神妙な面持ちで「はいっ」と返事した。
3.大ピンチ!
大飛球が、レフト頭上を襲う。
横井が懸命にダッシュし、フェンスの数メートル手前で飛び付いた。そして倒れ込んだまま、グラブを掲げる。中に、ボールの白がのぞく。
「アウトっ」
三塁塁審が、右拳を突き上げた。またも飛び出した好きプレーに、スタンドは沸く。西将の九番打者が、腰に手を当てて苦笑いする。
「ナイスガッツ横井!」
三塁側ファールグラウンドより、谷口は叫んだ。
「フェンス際、よく勇気を出して飛び込んだな」
「どうってことねぇよ」
横井は白い歯をこぼし、中継に入っていたイガラシに返球する。
―― 一番センター、月岩君。
西将の打順は、トップに返る。これで三回り目だ。月岩は、最初の打席では三振に仕留めたものの、二打席目はきっちりライト前へ弾き返している。
サードのポジションに戻り、谷口は「マズイぞ」とつぶやいた。
いまのもシュートを捉えられた。西将のバッター、だいぶ慣れてきてる。ここにきて、初回からねらい打ちにしてきた効果が、あらわれ始めたぞ。バッテリーも気づいて、他のボールを混ぜてはいるが……
月岩に対して、井口は速球とカーブであっさり追い込む。
しかし、そこから粘られた。際どいコースの速球は見極められ、カーブは簡単にカットされる。とうとうフルカウントとなる。
「オーケー井口。いいタマきてるぞ」
倉橋がそう励まして、返球する。
ボールを捕ると、井口はすぐに投球せず、足元のロージンバックを拾う。指先が滑らないようにではなく、これは間を取るためだ。
うまいぞ井口。投げる間合いを短くしたり、長くしたりして、バッターがすっきり打てないように工夫してる。これで少しは、相手がリズムを崩してくれればいいが。
井口はやがて、八球目の投球動作へと移る。初回に三振を奪った時と同じ、内角低めへのシュート。鋭く膝元へ喰い込む。
ヒュッ。閃光のような打球が、一・二塁間を抜けていく。好守を誇る丸井と加藤が、一歩も動けない。ライト前ヒット。
「な、なんて打球だよ」
イガラシが珍しく、引きつった顔になる。
―― 二番ショート、田中君。
気の抜けない打者が続く。ここまで田中はノーヒットだが、二打席目は八球粘られた後、センターへあわやホームランかという当たりを放っていた。
井口は初球、二球目と速球を内外角へ投じたが、いずれも僅かに外れる。
続く三球目。選んだ球種は、この試合初めて投じるスローカーブだった。それが真ん中高めに入る。やられた……と、谷口は目を瞑りかけた。
「ストライク!」
アンパイアのコールに、数人が安堵の吐息をつく。
「あ、あぶねぇ」
加藤と丸井が目を見合わせ、苦笑いする。
「いまの、ねらわれてたら……ホームランだぜ」
「うむ。見逃してくれて、たすかったよ」
「井口!」
谷口はタイムを取り、力投の一年生を呼んだ。
「あ……はいっ」
さすがに失投だったと自覚しているようで、井口はバツの悪そうな顔をしていた。
中途半端なことはするなと、注意するつもりだった。こちらの知る限り、井口はずっとスローカーブの練習に取り組んでいるものの、まだ制球は安定していない。
でも……と、谷口は思い留まる。
ダメだ。まかせると決めたからには、最後までそうしなきゃ。失投だったとはいえ、井口なりに考えての選択だ。ここで口を出せば、彼の成長の機会を奪ってしまう。
「な、なにか?」
訝しがる後輩に、谷口は別の言葉を伝えた。
「いいか井口。打たれても暴投してもいいから、しっかり腕を振るんだ」
「き、キャプテン……」
意外に思ったらしく、相手は目を丸くする。
「強気でいくんだろ。どんな時も、それを忘れるなっ」
「……は、はいっ」
井口は、力強くうなずいた。
ほどなくタイムが解ける。井口はセットポジションから、第四球を投じた。
思い切りよく内角高めを突く。しかし、それが内側のラインぎりぎりに立っていた田中の、ユニフォームの袖を掠めてしまう。
「ボールデッド!」
アンパイアはそう告げて、ファーストベースを指差す。死球となり、一塁二塁とピンチが広がった。田中はバットを置き、ゆっくりと一塁へ向かう。
「井口、引きずるなよっ」
ショートのポジションから、イガラシが声を掛けた。
「当てたからって腕が縮こまったら、叩き込まれるぞ。あと一回ぶつけるぐらいの気持ちで、思い切りいけ!」
「おうっ。つぎこそ三振に取ってやるから、よく見とけ」
幼馴染の檄に、井口は強気で返す。
たいしたもんだな、と胸の内につぶやく。このレベルの相手に、追い詰められてなお気迫を保てるのだから、やはり並のピッチャーではない。谷口は、いっそう井口を見直した。
―― 三番ファースト、椿原君。
得点圏にランナーを置いて、打順はクリーンアップに回る。この椿原は、初回に早くも井口のシュートを捉え、強い当たりのサードゴロ。二打席目はセンターライナーと、いずれもヒット性の当たりだった。
初球、シュートが真ん中に入る。明らかにコントロールミスだ。椿原は、躊躇いなくフルスイングした。ショートへ痛烈な打球が飛ぶ。
バシッ。正面に回り込んだイガラシが、体で止めた。
谷口は「へいっ」と合図して、三塁ベースを踏んだ。その動きに合わせ、イガラシが一旦こぼしたボールを拾い直し、素早くトスする。
足から滑り込んだ月岩の頭上で、三塁塁審が「アウト!」と右拳を掲げた。
三塁フォースアウトとなり、ツーアウト一・二塁に状況は変わる。勇気ある一年生のプレーに、スタンドから拍手が送られた。
「ナイスガッツ! よく止めたぞイガラシ」
声を掛けるも返事がない。いつもの照れ隠しかと思い、相手の顔をのぞき込むと、唇を歪めていた。やがて、その場に片膝をつく。
「いっ……イガラシ!」
谷口は、慌てて駆け寄った。
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