南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

<はてなブログ10周年特別お題>「好きな沖縄ソング10選」

 

はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選

 

<はじめに>

 

 日頃お世話になっている「はてなブログ」が10周年記念ということで、私も便乗して記念企画のエントリーを書くことにした。

 チャレンジする企画は「好きな〇〇10選」である。

 このテーマを何にするか、随分迷った。あまりメジャーなのも面白みに欠けるが、かといってマイナー過ぎるのも読者が何のことか分からないだろう。

 迷った末、自分が沖縄在住であることと、近頃県外でもよく知られるようになってきていることから、私の「好きな沖縄ソング10選」をテーマとすることにした。

 

 

1.ダイナミック琉球

 

 最近、急速に知られるようになった沖縄ソングといって良いだろう。

 高校野球を始め、バスケットボールやバレーボール等、様々な競技で、しかも県外の多くの学校が応援歌として活用している。

 実際、メロディだけ聴いていても、単純にカッコイイ。それでいて、歌詞の内容をよく聞いていると、琉球王国から連なる沖縄の歴史の深さを感じさせる。

 沖縄で生まれた歌が、県外の若者達にエネルギーを与えていること。それもまた沖縄の人間として誇らしい。

 

 

2.ヒヤミカチ節(ぶし)

 

 ヒヤミカチとは、沖縄の方言で「立ち上がれ」という意味である。第二次大戦後、焼け野原となり、さらにアメリカの支配下に置かれた沖縄県民を励ますために作られた曲である。

近年は、甲子園で沖縄代表の応援曲として使われることも多いが、この曲は是非、三線(さんしん)で演奏するところを見て欲しい。歌詞が一番、二番と進んでいくにつれて、どんどんアップテンポになっていく。さらに「ヒヤッ、ヒヤッ、ヒヤヒヤヒヤ」という力強い掛け声が重なる。これがまた、とにかくカッコイイ!

 

 

3.遊び庭(あしびなー

 

 県外ではあまり知られていないかもしれないが、沖縄では有名な曲。歌詞の意味は、実は私もよく分からない部分もあるのだが(←オイ!)、今でいう宴会や合コンをイメージしていただければ良いと思う(たぶん……)。

 まあ、歌詞の意味がよく分からなくても、前川守賢氏の朗らかな声と軽快な三線のメロディで、聴いているだけで楽しい曲である。ちなみに沖縄では、運動会等でエイサーの曲として使われることもよくある。

 

 

4.てぃんさぐぬ花

 

 沖縄に古くから伝わる童歌(わらべうた)だが、県外の方にも比較的よく知られている曲だろう。ちなみに「てぃんさぐぬ花」とは、沖縄の方言で“ホウセンカ”のこと。

 歌詞の内容は、大まかに言うと「親の言うことをしっかり聞いて、親のことを大事に思いなさい」という意味なのが、メロディが優しくて耳心地が良い。小さな女の子が、マニュキュア代わりにホウセンカを爪先に染める光景も浮かんできて、可愛らしい曲である。

 

 

5.島人ぬ宝(しまんちゅぬたから)

 

 ご存知、沖縄出身のBEGIN(ビギン)による名曲である。

 この曲の歌詞、私のような沖縄の苦しかった時代を知らずに育った者にとっては、実にドキッとするような言葉が連ねられている。

そう、私もこの沖縄という地で確かに生まれ育った。しかし、そこにある自然の大切さも、言葉も、歴史の重みも、何一つ知らないのではないか。……そう自問自答させられた。

 とはいえ、時間の流れは止まらない。ここ沖縄も、県外のどこかの街をコピーしたような光景が広がりつつある。それが良いことなのか悪いことなのか、私にはまだ分からない。

 ただ……この地に住む人々が先祖代々受け継いできた“魂(たましい)”、それだけは忘れずにいようと思う。

 

 

6.耳切り坊主(みいちりぼうじ)

 

 毎年夏頃に放送されるローカル番組「オキナワノコワイ話」の主題歌に使われている。

 番組の内容にふさわしく、歌詞も恐ろしい内容である。

―― 大村御殿というお屋敷の角に、耳切り坊主が立っている。三人四人立っている。鎌や小刀を持っていて、泣いている子の耳を切り取ってしまう。

 歌詞はその後「ヘイヨー、ヘイヨー、ナーカンドー(泣かないでね)」と続く。そう、お察しの通り、実は“子守歌”なのだ。こんな歌を聞かされて、すやすや寝てくれる子が本当にいるのかどうか、知りたいものである(笑)。

 

 

7.月の夜

 

 沖縄出身の女性デュオ・Kiroro(キロロ)の曲。沖縄では、かつてローカルCMに使われていた。なお、歌詞中で多用される「ちゅら」とは、沖縄の方言で“きれいなこと・美しいこと”という意味。

 この曲、とにかく歌詞が可愛らしいのである。おそらく初めて恋心を抱いた女の子が、おばあちゃんに「好きな人ができたら紹介しなさい」と言われたことを思い出し、ドキドキしているという内容だ。純情な乙女心、そして沖縄の(従来の)良さである家族との強い結びつきの両方が感じられる。またメロディも、歌詞に合わせるように明るく軽快で可愛らしい。聴いているだけで思わずほっこりしてしまう名曲である。

 

 

8.月桃(げっとう)

 

 月桃とは、沖縄でよく見られる、50センチメートルくらいの細長く濃い緑色の葉に、桃のような形をした小さな白い花を咲かせる植物である。沖縄の方言で「カーサー」とも呼ばれ、食べ物を包んで保存するために使われてきた。特に有名なのが、カーサームーチー(餅)だろう。月桃の葉に包んで蒸した餅(黒糖や紅芋等、様々な種類がある)を、私も毎年指を汚しながら美味しくいただいている(笑)。

 

……前置きが長くなった。この歌は、いわゆる“反戦歌”だ。

 個人的に、この歌の歌詞が好きになれない時期があった。言葉がやや直接的過ぎるように感じたし、歌詞中に出てくる六月二十三日(慰霊の日)も、私は長い間、沖縄戦が“終わった日”と勘違いしていた。正確には、牛島満司令官と張参謀長官が自決し、沖縄戦における日本軍の“組織的抵抗が終わった日”であり、この日以降も殺戮は続いていたという事実を知ったのは、だいぶ大人に近くなってからだった。

 

 しかし、テレビのニュース報道等で、子供達がこの歌を合唱する様子を何度も見聞きしているうちに、「あまり細かいことはどうでもいいか」と思い直すようになった。

 歌っている子供達だって、よく意味は分かってなかったかもしれない。しかし、かつてこの地で何が起こったのか。またそれ以後、沖縄の人々が何を大切にしてきたのかが、子供達に少しでも感じてもらえればいいと思った。

 

 何事も、知ることから始まる。そうして知った子達のうち、何人かが興味を持って、より詳しく沖縄戦のことを調べてくれればいいのである。なぜ沖縄だけ、悲惨な地上戦を戦うことになったのか。なぜ未だに、沖縄には米軍基地が置かれているのか。どうすれば、基地問題を解決することができるのか。……その答えを、私達大人が教えてしまっては、面白くない。あくまでも子供達が、未来を担う子供達が、まず自分で考えてみる。それが一番大切だと私は思う。だからこの曲は、子供達の一生懸命練習な歌声で、是非とも聴いて欲しい。

 

 

9.さとうきび畑

 

 沖縄の人間として、この歌を無視しないわけにはいかない。

 この歌は、凄い。さとうきび畑の光景に、沖縄戦の始まりと愛する者の死、そして戦争の終わり、そしてすべて終わっても癒されない悲しみというものが、実に淡々と描写されていく。余計な自己主張やイデオロギーではない。ただただ、戦争で肉親を奪われた悲しみが切々と歌われ、それがまた、風に揺れるさとうきび畑の光景に重なって、歌が終わっていくのである。その言葉による描写に、私はただただ圧倒された。

 

 なお、この歌をモチーフにした「さとうきび畑の唄」というドラマが以前作られたが、私はこのドラマ、大嫌いである。なぜならリアリティが感じられないからだ。

 日本兵がやたらと悪く描かれているから、ではない。実際に日本軍による住民の壕追い出しや食料強奪があったのは事実だからだ。そして沖縄戦では、多くの住民が犠牲となった。それは動かしようのない事実である。

 

 ただ……明石家さんま扮する主人公が、アメリカ兵の捕虜を殺すよう命じられた時、「なんでこんなことをしなきゃいけないんですか」――名台詞として記憶している方も多いかもしれないが、私は強烈な違和感を覚えた。

 目の前で同郷の仲間が、身内が、殺されていっているのである。私なら逆に「俺にやらせてくれ」と、銃殺を志願するかもしれない。命を大切にしましょう、人を殺してはいけません――そんな平時の論理が通用する世界ではなかったはずなのだ。

 私が当時その場にいたならば、米軍と日本軍、両方を恨むだろう。米軍は文字通りの敵。そして日本軍は、最終的に住民を守ってくれなかった。裏切られたという気持ちになったはずだ。

 

 いや……おそらく日本軍の中にも、沖縄の住民を守ろうという気持ちがあった者だっていたにちがいない。「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と書き残して自決した大田実少将は、まさにそういう人物だったのであろう。

 

 だが、大田実のような高潔な人物がいても、悲劇は止められなかった。月並みな言葉しか出てこないが、それが“戦争の怖さ”だと言うほかない。

 

 

10.ハイサイおじさん

 

 今では、甲子園で沖縄代表の応援曲としてよく知られている。いわゆる“魔曲”とも呼ばれ、智辯和歌山の“ジョックロック”や駒大苫小牧の“駒大コンバット”のように、この曲がかかると流れを得て、一気に畳み掛けることがよくある。

 ご存知の方もいるだろうが、この曲が一時期、「酒飲みの歌」(だから高校野球にはふさわしくない)というクレームを受け、使われなくなったことがあった。

 バカ言ってんじゃねえ、と私は言いたい。この曲に出てくる“ハイサイおじさん”は、ただの酒飲みではないのだ。

 

 この曲の由来については諸説あるが、この「おじさん」はかつて作者・喜納昌吉の隣人であったが、妻が精神に異常をきたし、実の子の首を切り落とし鍋で煮るという事件を起こしたため、おじさんは村八分同然の扱いを受けるようになり、以前から交友のあった喜納家に酒を無心に来るようになったという(参考:Wikipedia)。その背景には、やはり沖縄戦の生々しい傷跡がある。

 

 この悲惨な出来事を、あっけらかんとした調子で歌い上げる。これこそ、本当に“沖縄らしい反戦歌”ではないかと私は思う。戦争という悲惨な出来事さえも、笑って生きて、しなやかにたくましく乗り越えて見せる。あの軽快なメロディとユーモラスな歌詞の裏に、私はウチナーンチュのしたたかな反骨心を感じるのだ。

 だからこそ、私は「ハイサイおじさん」以上に沖縄の応援曲にふさわしい曲は断じる。沖縄戦という悲惨な歴史、そこから這い上がってきたウチナーンチュの負けじ魂。それらがすべてこめられた歌なのだ。そういう背景を知らないバカなど、放っておけば良い。これからも甲子園の沖縄代表校は、これからも堂々と「ハイサイおじさん」を使って欲しい。いや、使うべきだ。