南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

興南ナインよ、“チャレンジャー精神”を思い出せ! ——屈辱の大逆転負けから再起するために

 思わぬ形で6点リードを得てしまったことが、実は大きな誤算だったとは思う。

 初回、智弁和歌山の13番の打席を見て、「十分抑えられる」と感じた。確かに振りは鋭かったが、どちらかと言うと長打狙いのスイングで、コーナーを突いたり変化球を混ぜたりしてタイミングさえ狂わせることは、そう難しいことではないだろうと。

 ところが、智弁は6点ビハインドを負ったことで、各打者が軽打に切り替えてきた。コンパクトに降り抜き、際どいコースはカットする。そして中に入ってきた球を逆らわず打ち返す——ただでさえ力のある打者に、コンパクトなスイングを徹底されてしまっては、よほどハイレベルな投手でないと抑えるのは難しい。

 序盤の大量リードをひっくり返され、結果は69。さほどショックでもなかったのは、スコア以上に圧倒された印象があるからだ。

 けれど、あえて言わせていただきたい——“勝てる試合”だったと。興南ナインが、特にバッテリーが、きちんと「やるべき事」さえできていれば。

 沖縄県大会ではコントロール抜群だった宮城が、序盤から球がばらつきキャッチャーの構えたコースへ投げられなかった。

 まず、インコースへ投げ込めなかったことが痛かった。これではどうしても、配球が外一辺倒になる。そして「外にしかこない」と分かれば、真っすぐか変化球かどちらかに絞れば良い。狙い球と違っていても、コースが分かっていればカットも難しくはない。

 さらに不味かったことは、球が上ずっていたことだ。和歌山県大会で、智弁がホームランを放った映像を見てみると、いずれも高めの球をフルスイングしたものだった。ということは、智弁打線を抑えるためには「高めの甘い球を放らないこと」が最低条件となる。

 つまり、「徹底して低めを突く」ことと「内外角へ投げ分ける」こと。この二つを実行できない限り、勝ち目はない。私の見立てとは違うにしても、相手打線を封じるために、配球で何らかの工夫をする必要があった。

 キャッチャーの構えた所へ投げるのに四苦八苦しているようでは、そもそも話にならなかったのだ。

 宮城が本来の投球ができなかった原因としては、いくつか考えられる。

 甲子園球場のマウンドの感触が、しっくりこなかったのか。また、智弁和歌山というチームの想像以上の迫力に、委縮してしまった可能性もある。あるいは甲子園独特の雰囲気と満員の観衆を前に、自分を見失ってしまったのではないか。どれか一つではなく、いずれの要因もあったかもしれない。

 ただ、投手陣の不調も含め、あえて敗因を一つに絞るとしたら。それは、チームとして“チャレンジャー精神”が足りなかったことだろうと思う。

 個人能力で負けるのは、仕方がない。そもそも今年の興南は、県内でもぎりぎりシードを取れたレベルだった。過去の実績を抜きにすれば、“強豪”というほど戦力が揃っているわけではなかった。

 だがそれにしても……やれることが、他にもっとあったのではないか。別に見栄えの良いプレーでなくてもいい。もっと“自分達にできること”はなかったのか。

 例えば——投手は、結果として四死球を与えてもホームランを打たれても構わないから、インコースをしつこく突いていく。あるいは、真っすぐは見せ球に変化球を続ける。打者は、たとえヒットは打てなくても、ファールで粘り球数を放らせる。

 泥臭いプレーも厭わず、できることは何でもやってみる。ここまでして、なお力及ばず敗れたというなら納得できるだろう。潔く「相手が強かった」と認めて。

 残念ながら、見ている方も……それ以上に、プレーしていた選手達にとっても、おそらく“悔いだらけ”の試合になってしまった。

 智弁和歌山は、確かに強かった。だが何度でも言うが、十分に勝てるチャンスは得られた試合だった。興南ナインが、本来できるはずのプレーを実行しさえすれば。野球を知り尽くした彼らなら、それは可能だと思った。

 被安打13。そのうちホームランが2本、9失点。しかし、彼らには“力負け”だと思って欲しくない。技術とパワーだけで敗れたとしか捉えられないのなら、今以上の成長はない。

 バッテリーだけではない。「ここを抑えれば」という時に、内野守備のミス絡みで失点したことも、ビハインドを負う終盤に、初球から打ちにいって凡退し、相手を助けてしまったことも。ことごとく“らしくないプレー”の連続で、みすみす流れを相手に渡してしまった。

 はっきり言って、自滅に近い敗戦である。

 どこかチーム全体のメンタリティが、“受け”に回っていたように思う。頭で分かってはいても、いざとなると優勝経験校の看板が邪魔になったかもしれない。

 しかし、思い出して欲しい。興南は元々、ずっとチャレンジャーだったはずだ。我喜屋監督就任直後は、当時全国トップレベルにあった沖縄尚学浦添商業相手に喰い下がり、粘り、乗り越えていく中で少しずつ力を付けていったではないか。

 私が興南を応援しているのは、優勝経験校だからではない。野球をよく知り、選手一人一人が自己犠牲を厭わず、何より「成長することを諦めない」チームだと思っているからだ。

 7年前、甲子園に“祝福”された興南が、今度は甲子園の“怖さ”も知った。彼らなら、この屈辱的な経験さえも糧にしてくれることと思う。もう一度這い上がり、いつか再び栄光を掴む日が来るはずだと。

 このまま落ちていくチームではないと、私は信じている。