南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

ウチナーンチュ(沖縄人)の”反”ヤマトゥー(本土)感情の”正体”を直視せよ!

 

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 私の親戚に、若い頃学生運動に関わっていた方がいる。

 

 この方には、幼い頃から何かとお世話になり、今でも仲良くさせていただいているのだが……ただ一点、所かまわず「政治論」「歴史論」を語り始める癖があって、その度に少々辟易してしまう。

 

 この方の話から一貫して感じられるのは、ヤマトゥー(本土の人達)への根強い“反”の意識だ。いやここまで来ると、“恨”に近いかもしれない。こういう人がいると「だから沖縄は“サヨク”だ」と片付けてしまいたくなるのも、分からなくはない。

 

 ただ……私達ウチナーンチュは、そろそろ「きちんと言葉にして」表現すべきだろうと思う。なぜ、こんなにもヤマトゥーに対して、(終戦後も長きに渡って沖縄を支配し続けたアメリカ―よりもむしろ)反感を抱いてしまうのか。

 

 ハッキリ言おう――「裏切られた」と思ったから、ではないのか。

 

 いわゆる“サヨク運動家”の人達が、触れたがらない部分だろう――戦時中、ウチナーンチュはかなり“進んで”戦争に協力した。

 

 さらに、ヤマトンチューが経験することのなかった、敵兵と目と鼻の先で殺し合う「地上戦」の地獄まで味わった。それでも「ひめゆり学徒隊」に象徴されるように女性・子供まで動員し、大量の犠牲者を出しながら……耐えた。耐え続けた。

 

 ところが……これだけの犠牲を払ったにも関わらず、敗色濃厚となった沖縄戦末期には、日本兵による住民からの食料強奪、壕からの追い出しが多発する(私の祖父母代の方に聞くと、こういう類の話はいくらでも出てくる)。

 

 さらに、あろうことか、終戦後には沖縄を(事情はあったにせよ)捨て置き、本土の方が先に独立を回復してしまった。沖縄が“本土復帰”を果たしたのは、終戦から27年が経過した後に、である。

 

 そして“本土復帰”後も、依然として残る米軍基地問題には「カネをやるから黙ってくれ」と言わんばかりの態度(そう見られても仕方がない)である。

 

――多くのウチナーンチュが“裏切り”だと感じるのも、無理なかろうことと思う。

 

 では、なぜ「裏切られた」とは言えないのか。

 それは……「裏切られた」と言った瞬間、“被害者”の立場を手放してしまうことになるからだ。(しつこいようだが)「裏切られた」と口にした瞬間、自分達“も”戦争に協力した「当事者」であったと、半ば認めることになる。

 

 憎しみは、悲しみは、時を経ても消えないものかもしれない。いや……それは無理に、消そうとする必要もないだろう。

 

 しかし……もうそろそろ、私達ウチナーンチュは、自分達の「憎しみ」や「悲しみ」の“正体”に気付く時が来たのではないだろうか。そして、その“正体”をハッキリ言葉で表現して、ヤマトンチューにも分かるように伝えるべきだろうと思う。

 

沖縄県民斯ク戦ヘリ。

 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」(太田実少将)

「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果さむつとめありしを」(昭和天皇

 

 悲しい“分断”の歴史にこそ、ここらで終止符を打ちたい。平成最後の時を迎える、今こそ。