南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・キャプテン<第7話「迷うな近藤!の巻」>――ちばあきお『キャプテン』続編

 

 

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【目次】

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  • <外伝> 
  •  第7話 迷うな近藤!の巻
    • 1.キャプテンの役割
    • 2.近藤の提案
      • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
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<外伝> 

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 第7話 迷うな近藤!の巻

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1.キャプテンの役割

 

―― 強豪校との五連戦から、一週間が過ぎた。

 

「さてと。今日もいくか」

 早朝。近藤は部室でユニフォームに着替え、この日もグラウンドを走る。このところ、毎朝の習慣となっていた。

 何周かしたところで、部室横から制服姿の男子生徒が現れる。牧野だった。

「おーい近藤。ちょっといいか」

「なんや、こんな朝っぱらから」

 近藤は走るのをやめて、牧野のところへ歩み寄っていく。そして二人で、部室前の木陰に腰を下ろした。

「このところ毎日、走ってるのか」

「ああ。エースのワイがあれだけ打たれちゃ、ナインの士気にかかわるやろ」

「あまり気にするなよ。和合戦は、連投でほんらいのボールじゃなかったんだし」

「分かっとる。けど……」

 しばし沈黙する二人。

「のう、牧野」

 先に近藤が口を開く。

「ワイはお飾りのキャプテンなんやろか」

「は?」

「だってな。ワイが決めたこと、どんどんひっくり返されていくやないか。先代のイガラシはんの時は、そんなことなかったのに」

 フフ、と牧野は笑い声をこぼす。

「なにがおかしいんや!」

「いやな。このところおめえが元気ないもんで、ちと心配してたんだが。どうせそんなことたろうと思ったよ」

「そ、そんなことって……」

 不服そうな近藤。しかし牧野は、涼しい顔で尋ね返す。

「なあ近藤。そもそも今までが、ちとムリあったのかもしれないぜ」

 えっ、と近藤は目を丸くした。

「なんのことや?」

「チームの方針や練習のやり方なんかを、ぜんぶキャプテンに決めさせるってのが」

 カン違いするなよ、と牧野は付け加える。

「イガラシさんやその前のキャプテンがまちがってた、とは言わねえよ。とくに昨年は、イガラシさんが先頭に立って引っぱらなきゃ、優勝できなかったろう。けどな」

 一つ吐息をつき、牧野は話を続けた。

「あれはイガラシさんだから、できたとも言える。おまえやそのつぎのキャプテンまで、同じことをする必要はない。これは最近、曽根とも話したんだがな」

「まあ、言うてることは分かるが」

「それに近藤。おまえの目標は、けっきょくいいチームを残したいってことだろう」

「せやな」

「だったらおまえの代で、キャプテン一人にたよらないチームの形を作るってのは、その目標に近づくことじゃないのか」

 は……と、近藤は溜息をつく。

「またうまいこと、言うてからに」

「そうひねくれた取り方をするなって」

 牧野は苦笑いした。

「ほな。ワイは、なにをすればええんや」

「カンタンなことさ」

 あっさり答える。

「みんなの意見のどれを採り入れるか、決めればいい」

 そして牧野は、「あのな」とさらに話を進めた。

「そもそも誰も、おまえの方針に反対はしてないんだ。ただそのために、どんなやり方がいいのか、今は知恵を出し合ってる段階さ。だからおまえは、みんなのいろんな意見を整理してやればいい。自分の方針にのっとってな」

「整理するって?」

「だからさっきも言ったように、おまえの方針に合うものは採り入れて、そうじゃないものは却下するってこと」

 牧野はふと、声を潜めて言った。

「これは最近、本で読んだ話だが……判断と決断はちがうんだとよ」

「なんやそりゃ」

「ようするに……あれがいい、これがいい悪いって考えるのを判断って言うんだとよ。これは誰にでもできる。いっぽう、実際にどうするか決めるのが、決断だ。それはチームのリーダー、つまりキャプテンであるおまえにしかできねえ」

「わ、ワイにしか……」

 近藤は目を丸くした。牧野は立ち上がる。

「最初は理解できなかったが。いまのこのチームには、おまえの方針が合ってると、おれも思うようになった。だから協力させてくれ」

 ふーん、と近藤は気がなさそうな声を発した。

「牧野って、意外に勉強してるんやな」

 あらっ、と牧野はずっこける。そして僅かに笑んだ。

「おれの言いたいことは、そんなこった。じゃあな。朝からはりきるのもいいが、放課後の練習にひびかないようにしろよ」

「んなこと分かってるさかい」

 踵を返しかけた相棒を、近藤はもう一度「牧野」と呼ぶ。

「なんだ?」

「おおきに」

 そう言って彼も立ち上がり、「ランニングのつづきや」とグラウンドへ駆けていく。

「まったく素直じゃねえんだから」

 牧野は少し可笑しそうにつぶやいた。

 

 

 放課後。この日も墨谷ナインは、レギュラーとそれ以外のメンバーとに分かれて、それぞれ練習を行う。

レギュラー陣は、学校のグラウンドでランナーを置いてのシートノックを実施していた。

「つぎ、ライト!」

 ノッカーの牧野は、速いゴロをライトへ打ち返す。一塁ランナー役のゾウこと橋本は、二塁ベースを蹴ったところで少し躓きかけたが、そのまま三塁へと向かう。

「させるか!」

 ライトを守るJOYは、中継を介さず直接三塁へ送球。サードの慎二が捕球して、滑り込んできたゾウの手をはらう。

「ようし、ナイス送球だぞJOY」

 牧野はJOYを褒める一方、橋本には「こらゾウ」と厳しい口調で声を掛ける。

「おまえ今、なんで刺されたか分かるか?」

「えっ、いえ」

「二塁ベースを蹴る時、転びかけたろう。直角に曲がろうとするからそうなるんだ」

 それからバットを置き、一塁ベースに着く。

「ベースランニングでスムーズに回るには、コツがある。全員に言えることだから、よく見とくんだぞ」

 牧野は数歩リードを取り、そしてスタートを切った。二塁ベースを蹴り、そして三塁へ右足からスライディングする。

「おいゾウ」

 立ち上がり、橋本へ声を掛ける。

「今のおれのベースランニングと、自分のとのちがい、分かったか」

「あ、はい。ベースを曲がる直前に、少し外へふくらんだことですか?」

「そのとおりだ。よく見てたじゃねえか」

 牧野は僅かに笑む。そして、全員を見渡して言った。

「ゾウの言ったように、曲がる直前に少しふくらむのがコツだ。直角に曲がろうとすると、さっきのゾウのように、つまずいてしまう。かといって、あまり大きくふくらみ過ぎると、かえって遅くなっちまうから気をつけろよ」

 ナイン達は「はいっ」と声を揃える。

 牧野はホームベース手前に戻り、ノックバットを拾い上げる。そして「もういっちょライト!」と、今度は右中間寄りに低いライナーを打った。

 再び橋本が一塁からスタートを切り、二塁ベースを蹴る。JOYはまたも三塁へ直接送球するが、今度は橋本が素早く頭から滑り込む。

「いいぞゾウ。今の走塁をしっかり体におぼえこませるんだ」

「はいっ、ありがとうございます」

 そして牧野は、ライトのJOYに声を掛けた。

「JOY。今、直接三塁へ投げた判断、自分でどう思う?」

「すみません、まちがってました」

 JOYは素直に答える。

「今のは投げても間に合わないので、中継に返して、バッターランナーが二塁へ行かないようにするべきでした」

「分かってるじゃねえか」

 牧野は感心げにうなずいた。そしてまた、全員へポイントを伝える。

「他の者にも言えることだが、いくら肩に自信があるからって、いつでもランナーを刺そうとすりゃいいわけじゃない。JOYが言ったように、三塁へ送球する間に、バッターランナーを二塁まで進ませちまうことがある」

 レギュラー陣は、よく集中して話を聞いていた。

「そうなりゃつぎのバッターにヒットを打たれた時、一点余計に与えちまう。競った試合では、その一点が致命傷になることもある。そういったことも考えて、直接ベースへ投げるか中継に返すかを判断するんだ。いいなっ」

「はい!」

その時、バシッ、バシッと何かを打つような音が聞こえてきた。牧野が視線を向けると、近藤が一人、壁に向かって投球練習をしている。

「あいつ……」

 牧野はひそかにつぶやく。

「いつもなら、自分のことだけやりやがってと、嫌味の一つでも言ってやるとこだが。やはり思いつめてるんだろうか」

 エースの男は、黙々と投げ続けている。どこか人を寄せ付けない雰囲気だ。

「練習試合で打ちこまれたのが、よほどこたえたらしいな」

 牧野さん、とサードの慎二に呼ばれた。

「あ、わりい」

 そう返事して、次の指示を出す。

「つぎはランナー二塁の場面だ。慎二、ゾウとランナーを代わってくれ」

慎二は「分かりました」と応える。

「サードには、中津が入るんだ。それと進藤、おまえキャッチャーをやってくれ」

「は、はいっ」

「おう」

 こうしてポジションが入れ替わり、シートノックが続けられた。

 

 

 一方、工場裏空き地。レギュラー外のメンバーが、やはりシートノックを行っていた。ノッカーは、曽根が務める。

 正面への強いゴロを、サードが前に弾いた。慌てて拾い直して送球するも、ファーストの遥か頭上に逸れてしまう。

「サード! ムリにノーバウンドで投げるんじゃねえ」

 曽根は厳しい口調で言った。

「これは他の者にも言えることだから、よく聞いとけよ」

 さらに全員を見渡して告げる。

「正面の打球なら、たとえこぼしても、その後慌てず拾い直して送球すれば間に合う。いいか、今すぐきれいなプレーができなくていい。まずアウト一つ、確実に取ることを心がけろ」

 はーい、と間延びした声が返ってくる。曽根は「あ」とずっこけた。

「まったく。返事は『はーい』じゃなく、『はい』だ。気合の入ってないやつは、グラウンドから出してしまうぞ!」

 曽根の檄に、レギュラー外メンバーは「はいっ」と快活に返事する。

「こいつら、ほんとに分かってるのか」

 半ば呆れながらも、曽根はノックバットを構え直す。

「つぎ。セカン!」

 またも正面への強いゴロ。セカンドは小刻みなステップで前進し、顔を近づけるようにしてリズムよく捕球した。そして素早く一塁へ送球する。

「いいぞ。ちゃんと基本練習でやったことが、身についてるじゃねえか」

 褒められて、セカンドは「ありがとうございます」と一礼する。

「む。他の者も、今のプレーを頭にたたき込んでおけよ。最後まで足を動かして、なるべく顔を近づけて捕る。もちろん腰とグラブは落とす。これが基本だ。いいな!」

 レギュラー外メンバー達は、また「はいっ」と力強く応えた。

 

 

 また学校グラウンド。シートノックの後、レギュラー組はフリーバッティングを行うことになった。マウンドには、いつものように近藤が立つ。

「ほな、いくで」

 近藤の合図に、牧野はホームベース奥でミットを構えた。そこに近藤の速球が風を切り飛び込んでくる。ズバン、と強い音が鳴った。

「お、おい近藤」

 牧野は立ち上がる。

「フリーバッティングなんだし、もっとおさえろよ」

 えっ、と近藤は目を見開く。

「ワイ、いつもどおり七割程度で投げとるんやけど」

「なんだって」

 正捕手は驚いた声を上げた。

「じゃあ近藤。一度、全力で投げてみろよ」

「分かった。ほな」

 ワインドアップモーションから、近藤は投球動作へと移る。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を思い切り振り下ろす。

「うっ」

 チッ。快速球がミットを弾き、バックネット方向へ転々としていく。

「も、もういっちょたのむ」

 牧野の一言に近藤はうなずき、またも全力投球でボールを投じる。快速球が唸りを上げ、ミットを突き破るような勢いで飛び込んだ。

「な、ナイスボール!」

 左手のしびれをこらえながら、返球する。

(あいつ。ここにきて、またぐんとタマの威力が増してきたぞ)

 牧野は胸の内につぶやく。

(そうか。練習試合で打ちこまれたことや、JOYや慎二の台頭で、やつも尻に火がついたんだな。そういや昨年も、江田川の井口に刺激されてスピードを増したからな。今回もやつにとって、いいクスリだったのかも)

 マウンド上より、近藤が「もういっちょいくか?」と問うてくる。

「い、いや。もういい」

 苦笑いして、牧野は答える。

「このままじゃ、おれの左手が何本あっても足らんからな。さ、フリーバッティングを始めようか」

「せやな、あまり時間もないし」

 やや物足りなさげながらも、近藤はうなずいた。

 ほどなく右打席に、慎二が入ってくる。

「おねがいします!」

慎二は一旦脱帽して一礼した後、先ほどの投球練習を見ていたためだろう、バットをいつもより短めに握った。

 近藤が力感のないフォームで、一球目を投じる。

「あっ」

 ガッと鈍い音がして、ホームベース後方にフライが上がる。牧野がスライディングしながらミットに収めた。

「く、くそうっ」

 二球目。慎二は打ち返したが、打球に伸びが出ず。センターの定位置付近で、球拾いの野手に捕球されてしまう。

「慎二、ボールの下を叩いてるぞ」

 牧野の指摘に、慎二は「ええ」とうなずく。

「近藤さんのボール、また威力を増しましたね」

「分かるか?」

「はい。軽めに投げてるんでしょうけど、それでも手元でホップしてくる感じがします」

 続く三球目、慎二は叩き付けるようにスイングした。しかし今度は引っ掛けてしまい、打球はマウンドの左側でバウンドして、そのまま転がっていく。

「ショートゴロですね」

「ああ。けどさっきよりはいいぞ。ただ今度は、ボールの上を叩きすぎたな」

「ええ。もう少し、ボールをよく見ないと」

 そして四球目。慎二はやや振り遅れ気味ながらも、ライト方向へライナーを打ち返した。

「む、やるじゃねえか」

 正捕手の声掛けに、慎二は「いいえ」と首を横に振る。

「今のは振り遅れです。もっと右中間からセンター方向に打ち返さなきゃ」

 言うねコイツ、と牧野は感心した。

 それからしばらく、フリーバッティングは続けられた。グラウンドをカキッ、カキッと打球音が響く。

 

 

2.近藤の提案

 

 練習散会後。近藤、牧野、曽根の三人は、水飲み場近くで話し合う。

「どうだ、レギュラー外の連中は」

 牧野の問いに、曽根は「もう一歩ってとこだな」と答える。

「打球を捕って送球しての、基本的な動きはだいぶよくなってきた。しかし、どいつもこいつも実戦経験がないせいか、プレーが軽いんだよな」

「そういやこのまえ、JOYが提案した紅白戦をやってみたが、まるでレギュラー組の相手にならなかったし」

 曽根は「しかたねーよ」と、首を横に振る。

「かたや大試合に慣れた者が大半、かたやろくに試合に出たことがない連中ばかりじゃな」

 まあな、と牧野は溜息をついた。

「レギュラー組の方はどうだ?」

 今度は曽根が尋ねる。

「うむ。やはり人数を絞ったことで、より実践に近い練習ができるようになった」

 満足げに、牧野は答えた。

「ここ数日で、みんなぐんと力がついてきた印象だぞ」

「む、そうか」

 曽根が渋い顔になる。

「どうした?」

「いや。レギュラーが力をつけるのは、もちろん望ましいことだが。どうやらますます、レギュラー外の者と差が開いてしまったようだな」

 あっ、と牧野が口を半開きにして押し黙る。

「やっぱり、引退した後まで考えるなんて、ムチャやったんやろか」

 代わりに、近藤がようやく口を開く。

「ほな和合の監督が言うてたように、昨年までと同じく、ひたすら優勝を目指す方が」

「なに弱気になってんだよ。近藤らしくもねえ」

 曽根が励ますように言った。

「このまえも言ったが、そりゃやるからには、今年だって優勝をねらうさ。けどそうしたからって、来年いいチームを残せないとは、かぎらないじゃねーか」

 そうとも、と牧野も同調する。

「おまえの方針があったからこそ、JOYのようなのんびり屋が戦力になれたんだし、川藤や志村だって力をつけてきてる。南海や和合にやられてショックなのは分かるが、もっとうまくいってる面にも目を向けろよな」

「せ、せやろか」

 近藤は戸惑った顔になる。その時だった。

「ちょっといいかね」

 ふいに声を掛けられ、三人はハッとして振り向く。そこには校長が立っていた。

「こっ、校長先生」

 牧野が脱帽するのに、近藤と曽根も倣う。そして三人で一礼した。

「コンニチハ!!」

「うむ。あいかわらず、よく励んでいるようだね」

 そう言って、校長は近藤に顔を向ける。

「近藤君、ちょっといいかね」

「は、はあ」

「じつはまた、練習試合の申しこみが二件、きてるんだが」

 えっ、と近藤は目を見開く。

「また他地区の学校ですの?」

「いや。今度は、同じ地区の学校だ。ええと……」

 校長はズボンのポケットから紙のメモを取り出し、学校名を告げる。

向島中、それから中川一中だ」

 へえ、と牧野が目を丸くする。

「二校とも、地区大会でベストエイト入りの常連じゃありませんか」

「うーむ。けどなあ」

 曽根は渋い顔になる。

「地区でベストエイトといっても、おれらにとっちゃだいぶ力の差がある。それに今対戦すりゃ、こっちの手の内を明かしてしまいかねないんじゃねえか」

「そんなの、気にすることかいな」

 近藤が口を挟んだ。

「ちょっと研究されたところで、あの二校がワイらの目ざわりになるとは思えへんけど」

それだけじゃねーよ、と曽根は反論する。

「うちが練習試合すると聞きゃ、青葉や江田川が偵察をよこすかもしれないだろ」

「あ、せやな」

 三人の会話を、校長はうなずきつつ聞いていた。そして問うてくる。

「じつはワシも、あまり得はないように思うので、断ろうとも考えたんだが。いちおうきみらの意向も聞いてからと思ってね。どうする?」

 その時、近藤が「せや!」と声を上げた。

「な、なんだよ急に」

 曽根が目を×の字にする。

「レギュラー外のメンバーを出せばええんとちゃうか。やつらもただ練習するよりは、ずっと士気が上がるやろうし」

 近藤の言葉に、他の二人は目を見合わせる。そして「おおっ」と同調の声を発した。

「なるほど、そりゃいい」

 曽根が応える。

「実戦経験の不足してるやつらには、ちょうどいい機会だぜ」

 たしかにな、と牧野もうなずく。

「おれらが口で言うより、実際に試合でいろいろな場面を経験した方が、ずっとためになる」

 コホン、と校長が一つ咳払いする。

「それじゃあ、引き受けるということでいいのかね?」

 三人は「おねがいします!」と声を揃えた。

 

 

―― 数日後。墨谷ナインは学校グラウンドに向島中と中川一中をむかえ、ダブルヘッダーで練習試合を行うこととなった。

 

「ふう。一時は、どうなることかと思ったが」

 ベンチにて、牧野が安堵の吐息をつく。

 試合はすでに終盤を迎えていた。スコアボードには、墨谷が序盤に二点を許したものの、その後逆転し、八回裏時点で六対二とリードを奪った経過が記録されている。

「川藤のやつも、エラー絡みで二点こそ取られたが、その後は落ち着いてよく投げてる。曽根をキャッチャーにつけておいて正解だったな」

 レフト側ファールグラウンドでは、第二試合に対戦予定の中川一中ナインがキャッチボールをしていた。

「なんだあ。墨谷のやつら、ほとんど控えだぜ」

「なのに向島中、中盤以降はまるで歯が立たないでやんの」

「おい。あまりやるまえから、エラそうな口はきかない方がよさそうだぜ。ベストエイト常連の向島中があのザマなら、うちだってどうなることか」

 そんな会話が聞こえてくる。

 ガッ、と鈍い打球音がした。中川一中ナインの控えるレフトファールグラウンドに、凡フライが飛んでくる。

「どいたどいた!」

 人の列を押しのけるようにして、墨谷のレフトがファールグラウンドにてフライを捕球する。スリーアウト、チェンジ。

「あ。中川一中のみなさんですね」

 墨谷のレフトは一転して笑みを浮かべ、ぺこっと一礼する。

「この後、どうぞおてやわらかに」

「い、いえ。こちらこそ」

 中川一中のキャプテンは、顔を引きつらせつつ応える。

「なにが、おてやわらかにだよ」

 他の者が、怒った顔で言った。

 九回表。墨谷は、さらに二点を追加する。その裏、マウンドには慎二が上がった。川藤はそのままベンチに下がる。

「お、おい」

 中川一中ナインから、またぼやきが聞かれる。

「あいつ、たしかサードのレギュラーだろう。ピッチャーもやるなんて聞いてないぞ」

 その慎二は、速球三つで向島中の先頭打者を三振に切って取る。

「し、慎二のやつ。いつの間に」

 ライトファールグラウンドにて、近藤も目を丸くした。

「近藤さん、いきますよ!」

 向かい側からJOYに呼ばれ、近藤は「ああ」とグラブを構える。山なりながらも、しっかりと回転したボールが投じられた。それを胸元で捕球する。

「いくで!」

 次は近藤がJOYに声を掛けた。そうして二人は、遠投を交互に行う。

「それっ」

 やはり山なりのボールを投じた後、フウと溜息をつく。

「慎二があれだけのタマを投げられるなら。ワイとJOYも、うかうかしてられへん」

 ガッ。鈍い音がして、ホームベース後方にフライが上がった。

「オーライ!」

 曽根が周囲に合図してから、落ちてきたボールを顔の前で捕球する。ツーアウト。

 さらに後続打者も、慎二はまるで問題にしなかった。速球二つで追い込むと、最後は鋭いカーブで空振り三振に仕留める。

 ゲームセット。第一試合は、墨谷が八対二で向島中を下したのである。

 

 

―― 続く第二試合。墨谷は、さらにメンバーを入れかえて臨んだ。

 試合未経験者が半数を占め心配されたが、先発の一年生志村が力投し、ピンチらしいピンチを作らせず。次第に出場メンバーも落ち着きを取り戻し、中盤には中川一中のエースを打ちくずし、六点をもぎ取った。

 そして九回にはJOYが登板し、相手打線をあっさり三者凡退におさえる。けっきょく墨谷は六対〇と中川一中を寄せつけず。見事連勝を飾ったのだった。

 

 試合後。グラウンドでは一、二年生達が、それぞれ散って素振りやダッシュ、ノック、投球練習を行っていた。

「あいつら、いつまで続けるんだ」

 部室前にて、曽根が目を丸くして言った。

「今日はこれで解散だと言ったのに、聞きやしねえ」

 まったく、と牧野も同調する。

「練習試合とはいえ、試合に出たことで、ここまで連中の士気が高まるとは思わなかったぜ」

 部室前にて、近藤、牧野、曽根ら三年生五人は集まり、話し合いを持っていた。

「ただはりきってただけじゃないぞ」

 佐藤が驚嘆の声を発した。

「練習ではあれだけポロポロやってた連中が、回を追うごとにみるみる上達していくようだったんじゃないか」

 そうだな、と曽根がうなずく。

「二試合目なんかは、ダブルプレーを二つも決めちゃったりして。練習の時とは、まるで見ちがえたぜ」

 牧野が「なあ近藤」と、話を振る。

「レギュラー外の者を練習試合に起用するっていうおまえの提案、ずばり大当たりだったんじゃねえの」

「む。ワイもしょーじき、ここまでうまくいくとは思わへんかったで」

 さしものキャプテン近藤も、驚きを隠せない。

「こりゃ当初の予定よりも、ずいぶん早いペースで強化を進められそうやな」

 近藤は手元に、練習計画ノートを広げていた。春先に父親の助言を仰ぎながら作り上げたものである。

「今日の調子なら、レギュラー外の練習にも、ちみつな連係プレーのメニューを取り入れてもよさそうだな」

 ノートをのぞき込みながら、曽根が言った。

「レギュラーはすでに始めて、だいぶ細かいプレーもできるようになってきてるし。あんがい昨年までと、遜色ないチームになれるかもしれんぞ」

「えっ、ということは」

 進藤が割って入る。

「今年も全国優勝をねらえるそうってことか」

「バカ。それはちと、気がはええよ」

 苦笑いして、牧野がたしなめる。

「それに進藤。おまえは自分が試合に出られるように、もっと精進しろよな。あっさり下級生にポジションを取られやがって」

 思わぬ正論に、進藤は「あらっ」とずっこける。

「せやけど」

 ノートの頁(ぺーじ)をめくりつつ、近藤が言った。

「少なくとも、これで今以上に選手層を厚くするメドは立ったわけやな」

 うむ、と曽根がうなずく。

「今日のように格下のチームが練習試合を申しこんできたら、レギュラー外のメンバーを起用しようぜ。いや、こちらからたのんでもいいかもな」

 

 牧野も「そりゃいい」と、同調した。

「うちは曲がりなりにも、選抜に出たチームだからな。うちが練習試合したいと言えば、そうそう断るチームはいないんじゃねえの」

「ああ。実戦経験を積んだ者が増えれば、ケガ人が出た時なんかでも入れ替えが可能だし。なにより来年の新チーム立ち上げがスムーズになる」

「う、うむ」

 近藤は曖昧な返事をして、一旦部室に入る。そしてノートを置きすぐに出てきた。

「牧野。ワイも投球練習するよって、ちとつき合うてくれ」

「え、今からかよ」

 牧野は意外そうな目をしながらも、捕手用プロテクターを身につけ、ミットを手にする。そして近藤と連れ立って、レフト側のブルペンへと向かった。

「まさか近藤のやつ」

 やや呆れたふうに、佐藤が言った。

「ほかのやつがあんまりはりきるもんで、自分がエースを取られないか焦ってねえか」

「今の様子じゃ、きっとそうだろうな」

 進藤がそう応えて、佐藤と二人でプククと吹き出す。

「ま、そりゃけっこうなことじゃねーの」

 曽根は微笑んだ。

「あの近藤が努力をおぼえたとなりゃ、いよいよ楽しみじゃねーか。さっき進藤が言ってたように、夏の連覇も見えてくるってもんよ」

 ほどなくブルペンより、近藤と牧野の投球練習の音が聞こえてきた。他の一、二年生達も、個人練習にいっそう熱が入る。その光景を、三人の三年生は静かに見守った。

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【野球小説】続・プレイボール<第64話「立ち向かえ! 墨高ナインの巻」>――ちばあきお『プレイボール』続編(※リライト版)

 

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • <外伝> 
  •  第64話 立ち向かえ! 墨高ナインの巻
    • 1.甲子園の怖さ
    • 2.目標設定!
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

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<外伝> 

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 第64話 立ち向かえ! 墨高ナインの巻

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1.甲子園の怖さ

 開会式の後。これから開幕試合を戦う二校以外の代表校の選手達は、バックネット裏の席に案内された。墨高ナインは、ほぼ中央部上段の席をあてがわれる。

「このまえの練習の時から、思ってたんですけど」

 席に座るなり、イガラシが言った。

「地方大会の球場より、ホームベースからバックネットまでの距離が遠いですね」

「うむ。そこだけじゃなく、両ベンチとグラウンドの距離もな」

 倉橋が同調してうなずく。

「もっともその分、こっちが相手バッターを打ち取れる確率も高くなるが。キャッチャーのおれ、それにファーストとサードは、あきらめずに最後までボールを追わないと」

「いいぞ二人とも」

 感心げに言ったのは、キャプテン谷口だ。

「みんなもなにか分かったことがあったら、どんどん言ってくれ。こうして実際の試合を見てみないと、気づかなかったことが、まだあるかもしれんからな」

 はいっ、とナイン達は声を揃える。

「それにしても、見晴らしのいい席でラッキーですね」

 気楽そうに丸井が言った。

「こんな特等席で、優勝候補の箕輪(みのわ)と、須藤や村瀬のいる草南(そうなん)の試合を見られるなんて」

「まあゼイタクを言やあ、二回戦で当たるチームの試合を見たかったがな」

 苦笑いしたのは、三年生の横井だった。

「両方とも、準々決勝以降でしか当たらない組み合わせだし」

「しかしラッキーと言えば……」

 そう戸室が割って入る。

「須藤達、いいよな。こんな大観衆の前で試合ができるなんて」

「そうかあ?」

 横井は首を傾げた。

「初出場校が、いきなり開幕試合だなんて。おれなら緊張して、普段どおりのプレーを忘れちまいそうだぜ」

「へっ、だらしねえの」

 戸室の突っ込みに、横井は「なんだと!」とムキになる。

「まあまあ二人とも」

 丸井が苦笑いしつつ、二人をなだめる。

 その時だった。球場係員が「草南高校、シートノックの準備を急いで!」と、怒鳴るような声が聞こえてきた。

「は、はいっ。ただいま」

 草南のキャプテンだろうか。恐縮したように返事する。

「あれ。なんで草南が準備を急がされるんだ」

 丸井が腑に落ちないふうに言った。

「やつらは先攻なんだ。シートノックは、箕輪が先だろう」

「入れ替えをスムーズにするためでしょう」

 答えたのはイガラシである。

「いつでもグラウンドへ行ける状態にしておかないと、箕輪と交代する時に時間がかかっちゃいますからね」

 グラウンドでは、なおも係員が草南側に注意を与える。

「シートノックの時間は、各校とも七分間しかありません。もっと機敏に動けるように心がけてください」

「は、はい……すみません」

 あーあ、と井口が溜息をつく。

「けっこうキツイ言われようだな。初出場で勝手が分からないんだから、もうちょいまってやってもいいのに」

「経験は関係ないだろう」

 隣でイガラシが、切り捨てるように言った。

「時間はどのチームも平等なんだ。それを分かってなかった、やつらが甘いんだよ」

「ハハ。おまえは手厳しいな」

 井口は引きつった笑みを浮かべる。

 やがて両校がシートノックを終え、四人の審判団がホームベース奥に並んだ。その間、双方のナインもベンチ前に整列し、試合開始の時を待つ。

「……集合!」

 そしてアンパイアの合図に、箕輪と草南の両ナインが、グラウンドへと駆け出す。そしてホームベースを挟み、お互い向かい合うようにして整列した。

「これより箕輪対草南の一回戦を、草南先攻にて行います。一堂、礼!」

「オネガイシマス!」

 双方脱帽しての挨拶の後、すぐに箕輪ナインは守備位置へと散り、草南ナインはベンチに引っ込む。

 マウンド上には、復活の箕輪高エース・東が立つ。その姿に、墨谷ナインから「おおっ」と声が漏れた。

「あの東ってピッチャー、ほんとにまた投げられるようになったんだな」

 倉橋が溜息混じりに言った。ああ、と谷口はうなずく。

「しかも和歌山県予選じゃ、ほとんどヒットを打たれなかったそうだ。エース抜きでもじゅうぶん手ごわかったが……彼が完全復活したとなると、草南はかなり苦しい戦いを強いられることになりそうだ」

 規定の投球練習が済むと、アンパイアが「バッターラップ!」とコールした。その声に、草南の先頭打者として、須藤がネクストバッターズサークルより駆けてくる。

「気をつけろよ須藤」

 谷口は独り言のようにつぶやいた。

「おそらくおまえが経験したことのない、厳しい試合になるぞ」

 やがて、アンパイアが「プレイボール!」と声を上げる。それと同時に、甲子園球場に試合開始を告げるサイレンが鳴り響いた。

 

 

 須藤は右打席にて、バットを短めに構えた。そしてマウンド上。箕輪のエース東が、サイレンの止まぬ内に投球動作へと移る。その眼光が、一瞬鋭く光った。

「……うっ」

 つい須藤は気圧されてしまう。

 東は左足を踏み込み、グラブを突き出し、故障の癒えた右肩を柔らかく回転させその腕をしならせる。そして指先から、ボールが投じられた。

 ズバアン。快速球が風を切り裂き、キャッチャーの外角低めに構えたミットへ飛び込む。

「な、なんてボールだ」

 面食らう須藤。一方、東はテンポよく第二球を投じてきた。

「くっ……」

 今度は内角低めいっぱいの速球。須藤はスイングするも、完全に降り遅れてしまい、バットは空を切る。

「ウワサには聞いてたが、これほどとは」

 東は返球を捕ると、やはり間を置かずに三球目の投球動作を始めた。今度は、内角へのカーブ。須藤の脇腹付近を巻き込むように、鋭く曲がる。

 須藤は、手が出ず。

「ストライク、バッターアウト!」

 アンパイアのコールを、須藤は呆然と聞くしかなかった。

 

 

「す、すげえ」

 バックスタンドにて、横井が驚嘆の声を発した。

「須藤だってなかなかの好打者なのに、まるで相手にならねえとは」

 む、と傍らで戸室も同調する。

「おれ達も谷原の村井や東実の佐野を破って、けっこういい線きてると思ってたが、甲子園にはまだこんなすごいピッチャーがいたんだな」

 ガッ、と鈍い音がした。二番打者が初球から打ちにいくも、ホームベースの数メートル後方へのファールフライ。箕輪のキャッチャーが難なく捕球して、あっさりツーアウト。

「……マズイな」

 渋い顔で、倉橋がつぶやく。

「須藤達、箕輪に完全にのまれちまってる」

 続く三番もあっさり追い込まれ、そして三球目。内角低めの速球に、打者はバットすら出せず。

「ストライク、バッターアウト。チェンジ!」

 一瞬静まり返った球場内に、アンパイアの声が甲高く響いた。

 

 

 マウンド上。草南のエースが規定の投球練習を行う。しかし緊張のためか、ボールが上ずったりワンバウンドしたりしてしまう。また他のナイン達も、初回の攻撃を引きずっているのか、声が出ない。

「へいへい! みんな、元気だしていこーぜ」

 キャプテンにして正捕手の大山が、掛け声を発した。草南ナインは「おうっ」と、少し躊躇うような声を上げる。

「……すごいボールだったな」

 レフトを守る須藤は、そう胸の内につぶやく。

「あのピッチャーを攻りゃくするなんて、おれ達にできるのか?」

「おい須藤!」

 センターの上級生に呼ばれ、須藤はハッとして「あ、はい」と返事する。

「ほれ、いくぞ」

 センターからボールが投じられる。しかしそれがやや高く逸れ、須藤は「おっと」と伸び上がり辛うじて捕球した。

「わ、わりい」

 上級生は苦笑いする。

「……ま、マズイ」

 須藤は危機感を募らせた。

「みんな浮足立っちまってる」

 やがてアンパイアが「プレイ!」とコールし、一回裏の箕輪の攻撃が始まる。草南のエースは、やや硬い表情でキャッチャー大山のサインにうなずき、第一球を投じた。

 箕輪の先頭打者は、その初球をいきなり叩く。打球はピッチャーの足下をすり抜け、二遊間を破った。センター前ヒット、ノーアウト一塁。

 続く二番打者も、ストライクを取りにきた初球を狙い打ちしてきた。今度は一・二塁間を速いゴロが抜けていく。一塁ランナーは二塁ベースを蹴り、さらに加速。カバーに入っていた須藤の眼前で、楽々と三塁ベースに滑り込む。これで一・三塁。

「そ、そんなバカな」

 須藤は口を半開きにして、額の汗を拭う。

「箕輪って、もっとじっくりボールを選んでくるチームじゃなかったのかよ」

 バシッ。ボールを芯で捉えた音がした。今度はレフト須藤の頭上を、ライナー性の打球があっという間に越えていく。

「く、くそうっ」

 背走し始めた須藤の眼前、打球はダイレクトでレフトフェンスを直撃した。そのまま付近を転々とする。

 須藤は慌ててボールを拾い、中継のショートへ返球する。その間、すでに三塁ランナーは先制のホームを踏み、そして一塁ランナーも三塁を回っていた。

「投げるな!」

 キャッチャー大山が指示を飛ばすも、その前にショートがバックホームしてしまう。この隙に、バッターランナーは三塁を陥れた。

「おいっ。投げるなと言ってるのが、聞こえねーのかよ!」

 興奮気味にまくし立てる大山。逆に二年生のファースト村瀬から「キャプテン落ちついてください」となだめられる。

「……こりゃ、きっとひどい目にあうぞ」

 深い守備位置を取りつつ、須藤は胸の内につぶやく、

 

―― 須藤の予感は当たった。

 この後、箕輪は浮足立つ草南を容赦なく攻め立て、初回だけで一挙六点を奪う。その後も攻撃の手を緩めることなく、着々と点差を広げていく。一方、草南の打線は、復活した箕輪のエース東の力投を前に、手も足も出ず。

 けっきょく十八対〇という大差で、箕輪が初戦を飾ったのである。

 

 

 第一試合の後。墨高ナインは午後の練習場所へ向かうため、他校の選手達と共に甲子園球場を出る。そしてバスへと向かった。

「……あっ」

 その途中、試合に敗れたばかりの草南高校の一団と出くわす。

 多くの者は、憔悴しきった顔をしていた。嗚咽を漏らす者、人目をはばからず泣きじゃくる者もいる。谷口はつい、立ち止まってしまう。

「谷口さん! みんな!!」

 その時だった。須藤と村瀬の二人が、こちらに駆け寄ってくる。

「すみません。こんな、みっともない試合を」

 須藤がそう言って、悔しげに唇を結ぶ。

「いや、しかたないさ」

 谷口は慰めめいたことを口にした。それしか言葉が見つからない。

「ただでさえ初出場校が、開幕試合という重圧の中にいたんだ。しかも相手は優勝候補。うちだって、おまえ達と同じ条件だったら、ああなっても不思議じゃなかった」

「……谷口さん」

 今度は村瀬が、ポツリと言った。

「甲子園は、こわい所でした」

 率直ながら痛切な一言に、谷口は思わず黙り込む。

「須藤、村瀬。あまり落ちこむなよ」

 列の後方から、横井が声を掛けた。

「おまえ達は二年生だ。さっき言ったように、来年まだチャンスはあるんだからよ」

 そうとも、と戸室が相槌を打つ。

「今日の経験をムダにしなけりゃ、必ずここに戻ってこれるさ」

「……は、はい」

 かつてのチームメイトに励まされ、ようやく二人の表情が和らぐ。

「谷口さん……」

 語気を強めて、須藤が言った。

「来年は、こうはいきませんよ。見ていてください。今日の悔しさをかてに、ぼくらは必ずはい上がってみせます」

「ああ。きっと、できるさ」

 谷口は二人と握手を交わし、列に戻る。そして「行こうか」と他のナインに声を掛け、踵を返した。

 

 

2.目標設定!

 墨高ナインは、大阪市内の運動公園のグラウンドに移動した。そして全員で、バスから出した用具を並べる。

「……お、おい谷口」

 その時、倉橋が声を掛けてきた。

「なんだかみんなの雰囲気、ちと暗くねえか」

「ああ……ムリもないさ」

 少し笑んで、谷口は応える。

「箕輪のあんな試合を見せられた後だもの」

 それから谷口は、グラウンド近くの一番大きな木陰にナインを集合させた。

「みんな座ってくれ」

 キャプテンの指示に、ナイン達はその場で円座になる。

「……今日の練習の前に、一つはっきりさせておきたい」

 トーンの低い声で、切り出した。

「今大会における、我々の目標だが……」

 そこまで言って、谷口は言い淀む。しばしの静寂。

「なに遠慮してんだよ」

 沈黙を破ったのは、同級生の横井だった。

「おまえの考えてることなんて、言われなくても分かってるぜ」

 谷口は「えっ」と目を見開く。横井は、フフと笑んで言った。

「優勝をねらいたいんだろ?」

「うむ。そうだろうな」

 倉橋も同調してうなずいた。

「え、なんでよ」

 首を傾げたのは、戸室だった。

「同じ初出場校が、あんなやられ方をした後なんだぞ。もうちょっと謙虚にいった方が」

「分かってねーな、おめえは」

 横井がやや呆れ顔になる。

「さっきの試合は、始めから優勝をねらってるチームと、そうじゃないチームとの差が浮き彫りになったんだよ。となりゃ……自ずと目指すべきものは、明らかだろうが」

 その言葉に、谷口は顔を上げて微笑む。

「横井の言うとおりだ。われわれも優勝するという気迫をもって、大会に臨もうと思う」

 なんだよ、と横井が溜息をつく。

「そう思ってたのなら、出発する前に言ってもよかったのに」

「バーカ。おまえこそ、分かってないじゃねーか」

 戸室がお返しのように言った。

「な、なにっ」

「あんときゃ都大会優勝を決めたばかりで、みんな甲子園に出ることにまだ実感を持ててなかったじゃねーか。そんな時に、甲子園優勝だなんて言われても、ピンとこなかったろうよ。きっと谷口は、おれ達に伝えるタイミングを図ってたんだろうぜ」

 ハハ、と谷口は苦笑いする。

「じつはそうなんだ。それに……これはイガラシにも言ったんだが、うちはもともとが初戦突破もやっとだったチームだ。あまり背伸びするようなことを言っても、と思って」

「なに言ってやがる、今さら」

 横井が少し笑って言った。

「背伸びなら、おまえが入部した時から、ずっとしてきたじゃねえか」

 だよな、とようやく戸室も同調する。

「谷口の背伸びにつき合わされて、おれ達はここまで来れたんだし。泣いても笑っても、この甲子園が最後の大会だ。最後までおれ達らしく、背伸びしていこうじゃねーか」

「ああ。それによ」

 倉橋が割って入る。

「うちは初出場といっても、あの谷原と東実を倒してきたんだ。それに優勝候補の箕輪や西将とも、公式戦じゃないとはいえ接戦を演じてる。だから甲子園で優勝をねらうと言っても、ちっともおかしくねえよ」

「フフ、いいですね!」

 思わずといったふうに、丸井が立ち上がる。

「谷口さんのもと、見せつけてやりましょうよ。この甲子園でも墨谷魂を!」

「……やれやれ」

 そしてイガラシが、渋い顔で言った。

「さすがのキャプテンも、今回はちと老婆心が過ぎたみたいですね。箕輪の試合を見たってのもありますが……みんなも心の奥底で、キャプテンと同じことを思っていたんですよ」

「うむ、そのようだな」

 谷口は朗らかな表情で、深くうなずいた。

「……お、おいイガラシ」

 隣で丸井が、ちょんちょんとイガラシのユニフォームの袖をつつく。

「そのロウバシンってなんだ? キャプテン、おばあさんに似てるってこと?」

 間の抜けた一言に、ナイン達は「あーあー」とずっこけた。

 

 

 ほどなく、墨高ナインはグラウンドに出て、キャッチボールを始めた。しかし谷口と倉橋、そして半田の三人は、ベンチ裏でひそやかに打ち合わせする。

「城田戦の先発はおれ、リリーフで松川を起用しようと思う」

 谷口の言葉に、倉橋が「いいと思うぜ」と応える。

「相手投手からして、点の取り合いにはならなさそうだし。コントロールのいいおまえと松川なら、そうそうまちがいはないだろうよ」

「うむ。いちおう予想外の展開になることも想定して、イガラシにも準備させるつもりだが、あまり大会序盤から彼をアテにはしたくない」

「同感だ。やつはほんらい、内野手だからな」

 その松川もキャッチボールの列から離れ、根岸を相手に投げ込みを行っていた。ズバン、ズバンとミットが小気味よい音を鳴らす。

「そういえば松川、指のマメはもう治ったのか」

 ああ、と倉橋はうなずく。

「すっかり癒えたようだよ。ぶり返さないように、気をつけさせないといけねえが。いまのところ心配なしだ」

「そうか、よかった」

 谷口は胸を撫で下ろし、半田へ顔を向ける。

「半田には、二つたのみがある。一つは向こうのバッテリーの配球をつかむこと」

 えっ、と半田は戸惑った顔になる。

「試合中にですか? それはちょっと、むずかしいです。打者やランナーの状況によっても、ちがってきますから」

「分かってる。だから、そう急ぐことはない。七、八回辺りまでに分かればいいんだ」

「そんな終盤までまってもらって、だいじょうぶなんですか?」

「なに。こっちが相手を知らないのと同じように、向こうもこっちをよく知らない。だからどっちみち、ロースコアの展開になるはずだ」

「わ、分かりました……」

「それともう一つは、相手打線が嫌がる投球をつかむことだ。これはおれと倉橋、松川も一緒にやる。地方大会のスコアを見る限り、どうも城田は、はっきりと苦手なタイプの投手、あるいは投球パターンがあるようだな」

 谷口の言葉に、半田は「ええ」とうなずく。

「調べてみると、どうも変化球投手を苦手としているようです」

 ほう、と倉橋が目を丸くする。

「どうやって調べたんだ?」

「新聞の甲子園出場校特集に、向こうの監督さんの談話として載ってたんです。予選では、変化球投手に苦労したから、甲子園では修正したいと」

「へえ。そんな細かいところまで、よく読んで見つけたな」

 感心する正捕手。しかしキャプテンは「うーむ」と、渋い顔になった。

「どうした谷口」

「それはちょっと、鵜呑みにできんな」

 あっ、と半田は声を上げる。

「ひょっとして……東実の佐野みたいに、ニセの情報を流してるとか」

「そうとは言い切れんが」

 少し苦笑いして、谷口は言った。

「もし本当だとしても、甲子園までには修正すると書いてたんだろう。談話を鵜呑みにして、変化球ばかり投げると、かえってねらい打ちされる危険がある」

「じゃあ、この情報はアテにできないですね」

 がっかりする半田に、谷口は「いいや」と首を横に振る。

「まったく参考にならないわけじゃない。ただ変化球といっても、色々と種類があるからな。カーブにシュート、フォーク。そのどれかは、本当に打てないのかもしれん。だから半田、そのへんの細かい見きわめをたのみたいんだ」

「な、なるほど……分かりました。やってみます」

 そう返事して、半田は少し笑んだ。

 

 

 キャッチボールを終えると、墨高ナインはキャプテン谷口を含む全員が、学校から持ってきた剣道の防具と胴着を着込んだ。そして各々のポジションへと散っていく。

 ノッカーは、谷口が自ら務める。

「よしいくぞ。サード!」

 まずサード岡村の正面へ、規則的なバウンドのゴロを打った。岡村は小刻みなステップで捕球し、流れるように一塁へ送球する。

「もういっちょ、サード!」

 今度はサードに入る松川の正面へ、同じように規則的なゴロを打つ。松川はややぎこちない足取りで捕球するも、一塁へ矢のような送球を投じた。

「どうした松川。動きがカタいぞ」

 谷口はすかさず指摘する。

「なにかアクシデントがあれば、おまえがサードに入らなきゃならん場合もある。その時に今のような守備では、相手につけこまれてしまうぞ」

「す、すみません……」

「サード、もういっちょ!」

 もう一度サードへノックする。今度はスムーズな動きで、松川はゴロを捌いた。

「そうだ松川。やればできるじゃないか」

 松川の動きに納得し、谷口はノックを続ける。

「つぎ、ショート!」

 カキッ、カキッ、と小気味よくノックの音が響く。こうしてポジションが一回りした後、谷口は再びサードへノックバットを構える。

「サード!」

 谷口は、マウンドの左側へ高いバウンドのゴロを打った。岡村が一瞬待ちかける。

「突っこめ岡村!」

 キャプテンの檄に、岡村は慌ててダッシュした。しかしバウンドとタイミングを合わせられず、後逸してしまう。

「どうした岡村。いまのは待って捕ると、一塁セーフになるぞ」

「す、すみません……」

「サードもういっちょだ!」

 再び高いバウンドのゴロを打つ。岡村は、今度は巧くタイミングを合わせて捕球し、軽くジャンプしながら一塁へ送球した。

「つぎ、ショート!」

 今度は二塁ベース左へ、やはり高いバウンドのゴロを放つ。センターへ抜けそうな当たりだったが、イガラシが目一杯グラブを伸ばし、その先で捕球する。そして岡村と同じようにジャンプスローした。

「イガラシ、ステップが直線的すぎるぞ」

 好プレーに見えたが、それでも谷口は指摘する。

「もう少し半円を描くようにステップするんだ。そうすれば、もっと余裕をもって捕球できたはずだぞ」

「分かりました!」

 イガラシは素直に返事して、すぐに前傾姿勢を取る。

「もういっちょ、ショート!」

 またも同じ打球。イガラシは言われた通り、半円を描くようにして回り込み、今度は体のほぼ正面で捕球した。そして一塁送球。

「……おいおい」

 谷口の傍らで、倉橋がやや呆れ顔になる。

「ちと厳しすぎるんじゃねえか?」

「だいじょうぶだ」

 事もなげに、キャプテンは言った。

「この練習を始めて五日間。みんなだいぶ、慣れてきてるようだからな」

「あ、うむ。それはそうだが」

 渋い顔の正捕手をよそに、谷口はシートノックを進めていく。

「ライト!」

 そう声を掛けてから、右中間へ低いライナーを放つ。ライトの鈴木が回り込んで捕球し、中継のセカンド松本へ返球する。しかしそれが高く逸れ、内野側へ転々としてしまう。

「わ、わりい」

「鈴木さん、送球もっと正確に!」

 きつい口調になる松本に、谷口は「おまえもだぞ松本」と厳しく指摘する。

「あっ、はい……」

「おまえは鈴木に近づきすぎだ。今のように長打になりそうな打球の時、外野手はどうしても返球を焦ってしまう。だから中継が、もっと位置取りを考えなきゃいけないんだ」

「す、すみません」

 さらに鈴木にも苦言を呈す。

「鈴木。だからといって、松本のせいにするなよ。おまえはいつも言ってるように、送球が高くなりがちだ。もっと低く投げろ」

「は、はい……」

 鈴木はぺこっと頭を下げ、ポジションへと戻る。

 

 

「うへえ、あちーぜ」

 横井がそう言って、頭から面を抜き取る。他のナイン達も、次々に剣道着を脱ぎ捨てていった。皆、汗びっしょりだ。

「どうだ。暑かったろう」

 谷口が自分も胴着を脱ぎながら、全員に声を掛ける。

「いやもう……まるで蒸し風呂だぜ」

 横井の言葉に、戸室が「ああ」と同調する。

「立ってるだけで、どんどん頭がぼーっとしてきやがるんだから」

「ハハ。でもみんなの動きを見てると、だいぶ慣れてきてるようだぞ」

 微笑んで、谷口は言った。

「今の様子なら、相手より先にバテるってことはなさそうだ」

 疲れのあまり、その場に寝転がるナイン達。しかしその中で、一人だけ胴着と防具を身につけたままの者がいた。イガラシである。

「キャプテン」

 そのイガラシが呼ぶ。

「この後は、しばらく個人練習でしたよね?」

「ああ。その予定だが」

「でしたら、ぼくには投げこみをさせてください」

「え、かまわんが……まさかその格好でか?」

 キャプテンの問いに、後輩は「ええ」とうなずく。

「初戦、ひょっとしてロングリリーフの可能性もあると思いましてね。そのぼくがバテてしまっては、話になりませんから」

 そう言って、近くで転がっている根岸に声を掛ける。

「わるい根岸。ちょっとつき合ってくれ」

「え……はええな。もちっと、休みたかったのに」

 ブツクサ言いながらも、根岸は起き上がり、ベンチに置いてあるミットを取りにいく。そしてイガラシと二人で、グラウンドの隅へと移動する。

「……ようし。いくぞ、根岸」

 イガラシが合図して、すぐに投球練習が始まった。快速球が次々に、根岸の構えるミットに飛び込んでいく。

「お、おいイガラシ」

 さすがに谷口は心配になり、後輩へ声を掛けた。

「あまりムチャするんじゃないぞ」

「平気ですよ、これぐらい」

 キャプテンの心配をよそに、快活な声が返ってきた。そしてさらに、投球のテンポを上げていく。

「まったく……」

 谷口は苦笑いした。

「さすがに剣道着姿で投球練習しようなんて、おれでも考えつかなかったよ」

 む、と隣で倉橋がうなずく。

「ひょっとして、おまえが優勝をねらうと口にしたもんで、はりきってるんじゃねえか」

「ハハ。かもしれないな」

「うむ。しかしはりきってるのは、イガラシだけじゃなさそうだ」

 ふと周りを見ると、他のナイン達も休憩をそこそこに、素振りや走り込み、守備の基礎練習へと散っていく。

「いい雰囲気になってきたんじゃねえの?」

 倉橋の一言に、谷口は「ああ」と微笑む。そして胸の内につぶやいた。

「これで初戦が、楽しみになってきたぞ」

 

―― こうして新たに「甲子園優勝」という目標を定めた墨高ナインは、限られた日数ながら充実した練習をこなしていく。

 そしていよいよ大会三日目。熊本の伝統校・城田高校との初戦を迎えるのである。

 

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<小説「続・プレイボール」「続・キャプテン」>感想掲示板・移転のお知らせ

 読者の皆様へ。いつも小説「続・プレイボール」「続・キャプテン」をご愛読いただき、ありがとうございます。

 teacup掲示板が2022年8月を以て終了となるようです。それに伴い、当掲示板をfc2掲示板に移転致しますので、以後はそちらに書き込みをお願いします。今後とも、応援よろしくお願い致します。

minamikaze2022.bbs.fc2.com

【野球小説】続・キャプテン<第6話「和合監督の助言の巻」>――ちばあきお『キャプテン』続編

 

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • <外伝> 
  •  第6話 和合監督の助言の巻
    • <登場人物紹介>
    • 1.エース打たれる!
    • 2.和合監督の助言と試合後ミーティング
      • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 

<外伝> 

stand16.hatenablog.com

 

stand16.hatenablog.com

 

 

 第6話 和合監督の助言の巻

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<登場人物紹介>

和合中監督:前年の中学選手権決勝で、墨谷と激戦を繰り広げた和合中の指揮官。厳しい指導の反面、決勝戦前にナーバスになっていた選手を気遣う細やかさも持ち合わせている。また勝利至上主義に偏りすぎず、強豪校らしく堂々とプレーすることを選手達に教えている。

 

村西:和合中の現キャプテンにして正捕手。また四番も務める強打者。

 

酒井:昨年の墨谷との決勝では、リリーフの準備をしていた。その後大きく成長し、強豪・和合のエースの座を射止める。なお、選抜大会で青葉に投げ勝った阪井投手とは、別人だと設定する。

 

 

1.エース打たれる!

 

―― 連休最終日。墨谷は、昨年の中学選手権で決勝を争った、和合中との再戦を迎えることとなった。

 

 校門前。ユニフォーム姿の近藤、牧野、曽根の三人が待っていると、ほどなくして一台のバスが横付けされた。

「お、来たか」

 牧野がつぶやく。

バスのドアが開き、練習試合五連戦の最後の相手、西の雄・和合中学の選手達が続々と降りてくる。こちらもすでにユニフォーム姿だ。縦縞に大きく「和合」の横文字が刺繍されていた。名門校の選手らしく、素早く整列していく。

 やがて全員が整列すると、一人の少年が前に進み出た。

「和合中キャプテンの村西です。よろしく」

 そう言って、右手を差し出す。

「は、どうも。墨谷二中キャプテンの近藤です。どうか、お手柔らかに」

 近藤は村西の右手を握り返す。間の抜けた口調に、牧野と曽根は「あ」とずっこけた。

「いえ、こちらこそ」

 村西は真顔のまま、手を離す。その時、バスからもう一人降りてきた人物がいた。

「やあ。ひさしぶりだね」

 もみ上げまでの巻き毛が印象的な、和合中の監督である。三人は思わず気をつけの姿勢になり、「こ、こちらこそ」と深く一礼した。

「うむ。選抜での戦いぶりは、見せてもらった」

 僅かに笑って、監督は言った。

「一、二年生の多いチームにしては、よく健闘していたね。だいぶ選手層も厚くなった印象だ。あれからどれくらい成長したのか、楽しみにしているよ」

「は、はいっ」

 三人は恐縮したふうに、また声を揃えた。

「ほな、グラウンドに案内します」

 そう言って、近藤が先導する。

「ワイら、もうウォーミングアップはすませたさかい。どうぞ使うてください」

「いや。こっちも出発前に、準備運動はすませてきたから、その必要はないよ」

 監督はきっぱりと言った。

「じつは君らと戦った後、場所を移して青葉とも試合することになってるんだ。あまり時間がないから、すぐに始めよう」

「そうやったんですか」

 近藤は返事して、他の二人に囁く。

「聞いたか。あの青葉とも、戦うんやて」

「む。さすが和合、練習試合の相手には事欠かないようだな」

 曽根が感心げにうなずく。

「そういや、いま青葉って、どれくらいの力があるんやろ」

 近藤の疑問に、牧野が「今年も手強いみたいだぞ」と答える。

「なにせ、おれ達が準々決勝で負けた選抜で、決勝まで進んでるからな」

「せやけど、ワイらがやられた富戸中に、青葉も負けとるやないか。いちがいに向こうが上とは言えへんとちゃうか」

「明らかに向こうが上とは言ってねえよ。ただ少なくとも、互角以上の力はあるってことだ。やつらを倒さない限り、夏は全国大会に出られないだろう」

「ほな、青葉にも練習試合を申しこんでみよか」

 曽根が「バカ」と、呆れ顔で言った。

「んなことしたら、やつらに手の内を見せちまうことになるじゃねーか」

「ば、バカって」

 近藤がむくれる。まあまあ、と牧野がなだめた。

「おまえさえ万全なら、どこが相手でもそう点は取られないだろう。あとは、こっちの打線がいかにして、点を取るかだ」

 そうだな、と曽根が首肯する。

「きのうもバント失敗や走塁ミスで、ずいぶんチャンスを逃したからな。明星中も力はあったが、勝たなきゃいけない試合だったぜ」

 その言葉に、近藤と牧野は揃ってうなずく。

 

 

 試合は、墨谷の先攻で行われることとなった。

 和合ナインはベンチに用具を置くと、すぐに守備位置へと散っていく。近藤は自分達のベンチにて、「あれまあ」と声を発した。

「準備体操はおろか、キャッチボールもせんとは。ワイらのこと、ナメとるんやないか」

「そうやってムキになると、力んで打たれちまうぞ」

 牧野がたしなめる。

 先ほど挨拶してきた長身の和合キャプテン村西は、キャッチャーだった。そしてマウンド上には、これまた上背のあるピッチャーが立ち、左手にロージンバックを馴染ませる。

「なあ、あのピッチャーって」

 曽根が目を丸くして言った。

「昨年の選手権決勝で、リリーフの準備をしてたやつじゃねえか」

 ほんまや、と近藤はつぶやく。

「昨年見た時は、全然たいしたことないと思うたが。はてはて……あれからどこまで、成長したんか」

 その眼前で、相手ピッチャーが練習球の一球目を投じる。

 ビシッ。快速球に、村西のミットが悲鳴のような音を発した。途端、ベンチの墨谷ナインは黙り込む。

「いいぞ酒井。調子よさそうだな」

 村西の掛け声に、酒井と呼ばれたピッチャーは「おうよ」と応える。

そこから三球、酒井は速球を続ける。球威だけでなく、内外角の際どいコースを突く制球力があることも見て取れた。

「つぎ、カーブいこうか」

 キャッチャーの指示に、酒井はうなずき、すぐさま投球動作へと移る。

右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕を振り下ろす。大きなカーブが、低めいっぱいに決まった。落差一メートルはあろうかという鋭い変化である。

「ハハ。やはり、昨年のままなわけねえか」

 曽根が呆れ笑いをした。

「さすが名門のエースだぜ」 

 

 

 やがて酒井の投球練習が終わり、アンパイアが「バッターラップ」とコールする。それを聞いて、墨谷の一番打者慎二が右打席に入った。

「プレイ!」

 そしてアンパイアが、試合開始を告げる。

 

 初球。酒井は、内角低めに速球を投じてきた。慎二は思い切ってスイングするが、バットは空を切る。

「は、はやい!」

 二球目も、同じく内角低めの速球。今度はチップさせ、ボールはバックネット方向へ転がっていく。

「ええぞ慎二。タイミングは合うてる」

 近藤が声援を送る。しかし当の慎二は、顔を引きつらせていた。バットを離した両手に、痺れを感じる。

「なんて重いタマなんだ。しっかり振り切らないと、つまらされてしまうぞ」

 そして三球目。慎二はバットを短く握り直し、投球に備える。しかし酒井が投じたのは、外角へのカーブだった。

「うっ」

 慎二は体勢を崩され、右方向へフライを打たされてしまう。

「オーライ!」

 和合のライトが数メートル前進し、顔の前で難なく捕球した。ワンアウト。

 

 

―― けっきょくこの回、墨谷は和合エース酒井のボールに対応できず、三人で攻撃を終えることとなった。

 

「ようし。ラスト一球、こい!」

 牧野が声を掛けた時、近藤はマウンドを均していた。落ち着きなさげに、何度もスパイクで土をガッガッと削る。

「近藤?」

「な、なんでもない。ほないくで」

 ハッとしたように、近藤は投球動作へと移る。ほぼ真ん中に、速球が投じられた。牧野はこれを捕球すると、素早く二塁へ送球する。

 マウンド上。近藤は、一人つぶやく。

「気のせいか。なんだか、やーな感じがするで」

 そして和合の先頭打者が、右打席に入ってきた。一番にしては、見るからに腕っぷしの強そうな打者である。

「まずココよ」

 プレイが掛かった後の初球。牧野は外角低めを要求してきた。近藤は「む」とうなずき、第一球目を投じる。

 打者は、左足を踏み込んでフルスイングした。

 パシッ。ライナー性の打球が、右中間を破る。ライトのJOY、センターの山下が懸命に追いかける。打球はフェンスに当たり、跳ね返る。

 ようやくJOYがボールを拾い、中継の松尾へ投げ返す。だがその間、打者は三塁へ頭から滑り込んでいた。スリーベースヒット。

「くそっ、いきなりか」

 牧野は唇を歪める。一方、マウンド上の近藤は、口をあんぐり開けて呆然としている。

「近藤。また始まったばかりだぞ」

 正捕手の掛け声に、エースは「わ、分かっとるがな」と応える。

 続く二番打者は、小柄な左バッターだった。ややバットを短めに握る。牧野は「タイミングを外そうか」と、カーブを要求した。近藤はサインにうなずき、セットポジションから第一球を投じる。

 落差のあるカーブが、内角低めに決まった。打者は手を出さず。

「いまのは、様子を見たって感じやな」

 牧野からの返球を受け、近藤はそうつぶやく。

 二球目も、続けて内角低めのカーブ。打者のバットが回る。パシッと快音が響いた。打球はワンバウンドして、簡単に三遊間を破る。

 タイムリーヒット。和合が、あっさりと一点を先取した。

「ちぇっ、うまく合わせやがったな」

 牧野は舌打ちして、マスクを被り直し屈み込む。

「しかし近藤がこうもカンタンに打たれるとは。やはり、おぼえられちまってるのか」

 パシッ。続く三番打者は、初球の外角の速球を打ち返した。速いゴロが、一・二塁間を抜けていく。一塁ランナーは一気に三塁まで到達した。ノーアウト一・三塁。

 迎えた四番打者は、和合のキャプテンにして正捕手の村西である。

 墨谷バッテリーは、さすがに慎重になった。一球目、二球目と、内外角の際どいコースを突く。しかし、いずれも見極められる。

「く、くそっ」

 三球目。近藤は速球を投じるが、力んで高く浮いてしまう。

 パシッ。大飛球が、やや深めに守っていたセンター山下の頭上をあっさり越えていく。三塁ランナー、そして一塁ランナーまでもが一気に生還した。

 ようやくボールを拾った山下だが、中継の曽根へ返球するのが精一杯。打った村西はスライディングもせず、悠々と二塁へ到達していた。二点タイムリーツーベースヒット。

 

 

―― この後も、和合は攻撃の手を緩めず、さらに一点を追加する。墨谷にとっては、いきなり四点をリードされる最悪の立ち上がりとなった。

 

 

2.和合監督の助言と試合後ミーティング

 

―― エース近藤がいきなり集中打を浴びたショックからか、この後、墨谷は攻守ともに精彩を欠いた。

 攻撃では、和合のエース酒井の速球に押され、チャンスらしいチャンスを作れず。終盤に代わった控えピッチャーから、一点を返すに留まる。

 また守備では、近藤が二回以降はどうにか踏んばり続けたものの、六回に力尽きもう二点を追加される。リリーフのJOYも打ちこまれ、計九点を失う。

 けっきょく、試合は九対一と完敗。五連戦の最後を飾ることはできなかった。

 

 試合後。近藤と牧野は、和合中ナインをバスまで見送る。

「やあ、ご苦労さん」

 選手達がバスに乗り終えた後、一人残った和合監督は、右手を差し出してきた。そして一人ずつ、握手を交わす。

「あ、あのう」

 うつむき加減で、近藤は言った。

「すんまへんでした。こんな試合になってしもうて」

「いやいや、点差ほどの余裕はなかったよ」

 真顔で監督は答える。

「君達は、おとといから五連戦を戦ってきたのだろう。そろそろ疲れが出て当然だし、近藤君。自覚はなかったかもしれないが、君ほんらいのボールじゃなかった」

「は、はあ」

「各打者の振りも鋭かったし。ヒット数こそ少なかったが、うちのバッテリーも一人一人をおさえるのには神経を使ったろう」

 相手指揮官の思わぬ言葉に、戸惑う二人。

「ただ、一ついいかね?」

 監督はそう言って、僅かに笑む。

「ほかの選手から聞いたよ。今は来年強くなるように、チーム作りを進めているらしいね。言いかえれば、どこかで今年は負けてもいいと思っているわけだ」

 近藤は戸惑いながら「は、はいな」と返事する。

「その気持ちは分からないでもない。かなり有望な一年生がそろっているようだから」

 しかしね、と監督は話を続けた。

「ワシに言わせれば、本気で勝とうと思わなければ、身につけられないものがあるんだ。プレーにしても、練習態度にしても」

「ま、負けてもいいとは思ってません」

 牧野が反論する。

「今年だって、やれることは精一杯……」

「それができていれば、こんな大敗はしなかったんじゃないかね」

 厳しい指摘に、正捕手は口をつぐむ。

「ほんらい、こうしてよそのチームの方針に口出しするのは、あまりほめられたことじゃないが。あえて言わせてもらうよ」

 あくまでも穏やかな口調で、監督は告げた。

「夏の大会は、本気で連覇をねらいなさい。これだけの素質がそろってるんだ。けっして、不可能なことじゃない。いまのままじゃ、すべてが中途半端に終わってしまうよ」

 それから監督は、フフと笑い声をこぼす。

「あとはきみ達しだいだ。夏の選手権では、われわれも昨年の雪辱をかけて、君達と再戦できることを願っている」

 そう言い置き、監督は踵を返した。

 

 

 近藤と牧野が部室に入ると、すでにミーティングの準備が整っていた。長テーブルがコの字に置かれ、二、三年生だけでなく、試合に出場した一年生も含め、合わせて二十人程度が席に着く。

「おう、またせたな」

 牧野はそう言って、空いた席に座った。近藤もその隣に腰掛ける。

「五試合を戦って、一勝四敗と負け越した」

 こう切り出し、牧野が話し出す。

「知ってのとおり、選抜の準々決勝で敗れて以後、おれ達は来年強くなることを目標にチーム作りを進めてきた。しかしこの五連戦を終えて、それぞれ思うところもあると思う。今日はそれを、諸君らに率直に話してもらいたい」

 正捕手の言葉に、早速二年生の山下が挙手する。

「む。じゃあ、山下から」

「ぼくは……来年強くなるようにっていう計画は、やっぱりムリがあると思います」

 なんやて、と近藤が立ち上がりかける。傍らで曽根が「まあまあ」と制し、先を促した。

「つづけてくれ」

「はい。計画では、ちみつなプレーが完全に身につくのは、来年って話でしたけど。それって問題を先送りしてるだけのような気がします」

 牧野が「どういうことだ?」と尋ねる。

「けっきょく、今までは一年生の間で身につけていたことを、翌年に回すってことですよね。でも来年は来年で、また新入生が入ってくるんですよ。ぼくらは来年、いまの一年生にも新入生にも同じことを教えなきゃいけなくなって、余計に手間がかかるじゃありませんか」

「なあ山下」

 後輩の疑問に、正捕手は応える。

「おれ達は、なにもそこまでおまえ達に……」

「ですが勝つためには、どうしたって必要でしょう」

 山下は納得しない。

「ぼくらはまだしも、今の一年生達は、ちみつなプレーを身につけるための練習を知らないまま、二年生に上がるんですよ。それでほんとうに、勝てるチームを作れるんでしょうか」

「山下。ちとまってえな」

 近藤が口を挟む。

「おまえの言うてることにも一理あるがな。今のやり方で、だいぶ選手層が厚くなったことは、たしかやないか。そこまで否定するんか」

「そ、それは……」

 反論され、山下は黙り込む。

「ま。山下があせるのも、分からなくはないぞ」

 代弁するように、曽根が言った。

「この五試合で、やっぱり細かいミスが目立ったからな。それに盤石だと思った投手陣さえ、打たれることはあるってことも分かった」

 そうですと言いたげに、山下はこくっとうなずく。

「とくに今日は、和合に手も足も出なかった。こんな試合をしてりゃ、全国大会はおろか、予選突破も厳しいんじゃないかと、不安に思って当然だよな」

 曽根の言葉に、ナイン達はしばしうつむき加減になった。その時である。

「あのう」

 沈黙を破り挙手したのは、慎二だった。

「みなさん。ちょっと、むずかしく考えすぎじゃありませんか」

 その一言に、他のメンバー達はハッとしたように顔を上げる。

「ようするに、今のレギュラーがちみつなプレーを身につけることと、来年レギュラーになれそうなメンバーの強化が、両立できればいいってことでしょう」

 ああ、と牧野がうなずく。

「でしたら、最近始めたレベル別のグループに分かれて練習する方法を、今後も続けていけばいいんじゃないでしょうか」

「おっ、そうだな」

 レギュラーの一塁手佐藤が同調する。

「慎二の言いたいことをまとめると、つまりみんな、それぞれ成長できればいいってことだろう?」

「そういうことです」

 慎二は僅かに笑んで、さらに付け加えた。

「あとはいかに、レギュラー争いを活発化させるかでしょう。たとえば……レギュラーと他のグループとの、メンバーの入れ替えをひんぱんにするとか」

「ああ、なるほどね」

 曽根もうなずく。

「そうすりゃレギュラーの者は、代えられないように必死になるし、下のグループのやつらもレギュラーを追い越そうと士気を高められるな」

 その時「ほかにもありますよ」と、意外な者が発言した。なんとJOYである。

「時々、紅白戦をやるってのはどうです? 下のグループの者でも、上達ぶりをアピールしやすいじゃありませんか」

 ふむ、と牧野が腕組みする。

「こうして話し合ってみると、けっこういろんなアイディアが出てくるものだな」

 そう言って、全員を見渡し問いかける。

「じゃあ、いまの慎二とJOYのアイディアを、明日からの練習に取り入れていくということでいいか?」

 ナイン達は「異議なし!」と、声を揃えた。

 

 

 ミーティングの後、その日は解散することとなった。

 他のメンバーが制服に着替える中、近藤は席に座ったまま、黙り込んでいた。しかしやがて立ち上がり、ユニフォーム姿のまま部室を出ようとする。

「近藤。どこへ行くんだ?」

 牧野の問いかけに、近藤は「決まってるやろ」と真顔で答える。

「グラウンドで走ってくるんや」

 えっ、と牧野は目を見張る。

「おいおい。今日は罰を受けること、ないんだぞ」

「罰やない」

 近藤はきっぱりと言った。

「もっと足腰をきたえなあかんと、自分で思うたから走るんや」

 そしてまだユニフォーム姿のJOYにも声を掛ける。

「JOY、おまえもつき合うんや。今日は二人して、反省せなあかん」

「分かりました!」

 JOYはむしろうれしそうに、エースの後についていく。やがて「ファイト、ファイト!」とグラウンドを走る掛け声が聞こえてきた。

「おれ、夢でも見てるんかな」

 渋い顔で、牧野はつぶやく。傍らで曽根が「まったくだ」と苦笑いする。

「あの近藤が、自分から走りに行くとは。それもJOYをさそって」

「む。和合に打ちこまれたのが、よっぽどこたえたらしいな」

「しかし、ああしてやつが努力ってものを覚えたなら、今以上にレベルアップできるかもな」

 その時「あの……」と、慎二が割って入る。

「おう。どうした慎二」

 曽根が尋ねると、慎二は思わぬことを口にした。

「ぼくもピッチャーの練習をしようと思うのですが」

 三年生の二人は、揃って「ええっ」と声を上げる。

「いや。慎二には、内野に専念してもらいてえ」

 牧野は率直に答えた。

「おまえは貴重な、昨年からのレギュラーだからな。内野からおまえが抜けたら、うちの守備力は大きく落ちてしまう」

「ええ、それは分かってるんですけど」

 そう言って、慎二はやや声を潜める。

「今日のように、近藤さんやJOYが打ちこまれることだって、あるでしょう。そうなった時に、まだリリーフとしてほかの一年生には荷が重いと思うんですよ」

「しかしおまえ、ずっと内野だろう。ピッチャーなんてできるのか?」

 牧野の問いかけに、慎二は二ッと笑う。

「そう言われると思いまして。じつは家に帰る前、兄と一緒に練習してたんですよ」

 へえ、と正捕手はうなずく。

「そこまで言うなら。いまからでも、受けてやろうか」

「はい、よろこんで!」

 慎二は口元をほころばせた。

 

 

 グラウンドに出ると、近藤とJOYはまだ走っていた。牧野は呆れ顔になる。

「あいつら、いつまで続ける気だ?」

 ランニングの邪魔にならないよう、二人は三塁側ファールグラウンドのフェンス寄りに移動した。

慎二は「これぐらいかな」と間隔を空け、その正面に牧野はミットを手に屈み込む。

「よし、いいぞ」

 牧野はミットを構えた。その眼前で、慎二は小さな体をいっぱいに使うフォームで、速球を投げ込んでくる。

 ズバンと、ボールがミットを強く叩いた。思わぬスピードに、牧野はやや面食らう。

「こいつ、いつの間に」

 慎二はさらに、速球を三球続けて投げ込む。すべて内外角の低めに決まる。

「速いだけじゃない。やはりアニキゆずりか、コントロールもいいぞ」

そして、慎二は「つぎカーブいきます」と声を掛けてきた

「なにっ、カーブだと?」

 牧野が返事する前に、慎二はもう投球動作を始めていた。そしてカーブを投じる。

「うっ」

 ホームベース手前で、曲がりは小さいものの速いスピードで変化した。牧野はこれを捕り損ねてしまう。ボールはミットを弾き、後方へ転々とする。

「わ、わりい」

 ボールを拾いに走りながら、牧野は感心していた。

「まえに見た時は、ほんとにションベンカーブだったのに。なるほど。曲がりが小さいなら、スピードを速くってか」

 それからまた同じボールを、慎二は続けて投じる。牧野はその軌道を必死に目で追いながら、何とか捕球した。

 

 

「なにっ、慎二がピッチングやて!?」

 グラウンドをランニングする近藤の横目に、投球練習する慎二と受ける牧野の姿が飛び込んでくる。

「見たかJOY」

 すぐ後ろを走るJOYに声を掛けた。ええ、という声が返ってくる。

「慎二のやつ。なんで今さらピッチングなんか」

「そりゃ決まってるでしょう」

 のんびりとした口調で、JOYが言った。

「ぼくと近藤さんの投球に、不安を感じたからじゃないですか」

 うっ、と近藤は顔を歪める。

「しかし慎二さん、すごくいいタマ投げますね」

「こらこら。感心しとる場合やないで」

 暢気そうな後輩をたしなめた。

「慎二がピッチャーとしてそこまでいいのなら、ワイのエースの座が危うなってしまうやないか」

 近藤の言葉に、JOYは「なにをおっしゃるんです」と言って、僅かに笑む。

「最後にエースの座を勝ち取るのは、このぼくですから!」

「な、なにをっ」

 後輩の一言に、近藤はついムキになる。

「せやったら、ワイも投球練習して帰るか。JOY、おまえはどうする?」

「ぼくもやります!」

「分かった。ほな、二人でかわりばんこにな」

「じゃあラスト一周は、全力疾走で」

 JOYはそう言って、いきなりスピードを上げる。

「なっ、こらJOY。前には行かせへんで!」

 そうして、二人はまるで鬼ごっこのように、グラウンドを駆けた。

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「プレイボール2」谷原戦ー幻の決着場面ー 

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「プレイボール2」谷原戦―幻の決着場面―

 

―― 墨谷対谷原の準決勝は、誰もが予想しえぬ展開となっていた。

 まず八回裏。谷原が8点を奪う猛攻を見せ、大勢を決めたと思われた。

 しかし続く九回表、今度は墨谷が猛反撃。どとうの単打攻勢でいっきょ6点、なんと同点に追いついたのである。

 延長戦に入ると、試合はさらに激しさを増していく。

 十回表。墨谷がついに1点勝ち越すも、その裏すかさす谷原が追いつく。その後は一進一退の攻防が繰り広げられ、十三回を終えて13対13という壮絶な試合となった。

 さらに回は進み、十四回以降は互いに得点できず。そして――とうとう、十八回の攻防を残すのみとなったのである。

 

 その十八回表。墨谷はツーアウト二塁と、久しぶりにチャンスを作る。バッターは2番丸井である。

 

 

「ハァ、ハァ……くそっ」

 右打席にて、丸井は肩を上下させながら、短くバットを構えていた。視線の先には相手投手ではなく、二塁走者のキャプテン谷口が映る。

「ふつうの安打じゃダメだ。せめて外野の間を抜いて、ゆっくりですむように」

 八回から継投とはいえ、強打の谷原打線に粘投してきた谷口は、疲労から足下がおぼつかない。走るどころか、立っているのがやっとの様子だ。

 一方のマウンド上。谷原のエース村井も、息を荒げていた。グラウンド上の誰もが、もはや満身創痍の状態である。

「あの村井だって、もう限界なんだ。なんとかしねえと」

 胸の内につぶやき、丸井は相手エースを睨む。

 ほどなく村井が、投球動作へと移る。セットポジションから、右足を踏み込みグラブを突き出し、左腕を振り下ろす。

 シューッと音を立て、速球が飛び込んでくる。

「……くわっ」

 丸井は思い切りよく振り抜いた。ライナー性の打球が、センター頭上を襲う。味方ベンチが「おおっ」と湧きかける。

「ぬ、ぬけろ! ……あっ」

 しかし谷原の中堅手が、背走しながらジャンプ一番、グラブに収めた。土壇場で飛び出した好プレーに、内外野のスタンドから拍手が起こる。

「くそう! ……って」

 悔しさのあまり、丸井はバットを投げつける。勢い余り、そのまま尻もちをついた。

 

 

 攻守交代。最後の守備につく墨高内野陣は、自然とマウンド上に集まる。その輪の中で、この回も続投する谷口は、膝に両手をつき顔を上げられない。

「お、おい。だいじょうぶかよ」

 正捕手倉橋が、心配げに尋ねる。するとキャプテンは「心配するなって」と、顔を上げ微笑みを浮かべた。

「しかしだな」

「なに。どうせ、この回かぎりなんだし。それに……代われる投手もいないのだから」

 谷口の返答に、さしもの倉橋も口をつぐむ。傍らの松川、イガラシ、井口。この日登板した者は、皆傷つき、自分の身を保たせるだけでやっとだ。

「……しゃーねえな」

 溜息混じりに、倉橋は言った。

「もうこれで最後なんだ。悔いのない一球を、投げてこいよ」

「ああ、分かってる」

 谷口は苦しげながらも、満ち足りた表情でうなずいた。

 

 

 やがてタイムが解け、墨高ナインは守備位置へと散っていく。

 眼前で、谷原の打者が左打席に入ってきた。しかし相手の顔が、ぼやける。握っていたロージンバックが、指先からすべり落ちる。

「くそっ。目が、かすんで……」

 その時だった。

「ガンバレ谷口!」

 スタンドから声がした。振り向くと、先輩の田所が小さく右こぶしを突き上げる。

「みんながついてる、思いきりいけっ」

 田所に呼応するかのように、周囲からも歓声が沸き起こる。

「そうだ、いけ谷口!」

「谷原なんかに負けるなよー!!」

 さらに応援の声は、グラウンド上にも広がる。

「打たせましょう。あとはバックが、なんとかします」

 ショートのイガラシが声を張り上げる。その横で、丸井が「キャプテン、まかせてください」と泣き顔で叫ぶ。

「さあ、バックを信じて」

「気合でいきましょう!」

 仲間達の声に、谷口は目を穏やかにした。

「み、みんな……ありがとう」

 そして谷口は、投球動作へと移る。左足を踏み込み、グラブを突き出し……

 カーン。谷原の打者が、真ん中の速球をフルスイングした。打球はレフト頭上を越え、フェンスに直撃する。打者は悠々と二塁へ到達。

「やはり……こりゃもう、ちと厳しいな」

 倉橋はマスクを脱ぎ、小さくかぶりを振る。

「けど、ここまでチームを引っぱってくれたのは……谷口なんだ。ここまできたら、もうアイツの気のすむようにさせてやるか」

 次打者に対して、谷口はまるでストライクが入らず。スリーボールからの四球目も、高めに大きく外れてしまう。

「ボール、フォア!」

 アンパイアのコールと同時に、打者は一塁へ歩き出す。

 ホームベース手前で、倉橋は腰に手を当て、うつむき加減になる。どうする……と、一人つぶやいた。

「もう一度タイムをかけるか? いや……ムダに時間を使えば、ますます谷口を疲れさせるだけだ。もう作戦も何も、ねえんだし」

 むかえるは、谷原の四番佐々木だ。それでも倉橋は、ミットをど真ん中に構える。

「打たれたら、しゃーない。それよりも……ここは力のかぎり、投げこんでこい!」

 その初球。痛烈なゴロが、マウンド方向へ打ち返された。そのまま谷口の、左足首を直撃する。激痛に、エースは一瞬膝をつく。

「……うっ」

「た、谷口!」

 しかしエースは、膝をついたまま眼前のボールを拾うと、素早く一塁へ投じた。思いのほか速い送球が、一塁手井口のミットを鳴らす。

「アウト!」

 一塁塁審のコールと同時に、スタンドから割れんばかりの拍手と歓声。

「ナイスプレーよ、谷口」

「おまえは男の中の男だぜっ」

 谷口は安堵の溜息をつき、激痛をこらえ立ち上がる。そしてマウンドに向かいかけた倉橋を「いいんだ」と制す。そして背後の野手陣に顔を向けた。

「ワンアウト! あと二つ、がっちりいこうよっ」

 キャプテンの掛け声に、こちらも疲労困憊なはずのナイン達が「オウヨ!」と、力強く応える。

 カーン。今度は、セカンド頭上へのライナー。しかし丸井が高くジャンプして、グラブの先に引っ掛けた。

「……てっ」

 そのまま土の上に転がった。二人の走者は、慌てて帰塁する。

「どうだ見たか!」

 起き上がり、丸井は雄叫びを上げる。

「墨高を……谷口さんを、負けさせはしない!!」

 後輩からの返球を捕り、谷口は微かな笑みを浮かべた。

 ツーアウト二・三塁。立て続けの好プレーに沸き返っていた球場内が、ふと静寂に包まれる。六番打者が左打席に入るのを見届け、谷口もセットポジションに着く。

「さ、ここよ」

 倉橋がサインを出し、またもミットを真ん中に構える。谷口は「む」とうなずき、しばし間を取ってから、投球動作へと移る。

 左足を踏み込み、グラブを突き出し……その刹那だった。

「……あっ」

 マスクの中で、倉橋は口をあんぐりと開けた。他のナイン達も「え……」と、その場にいる誰もが言葉を失う。

 ガシャン。谷口の指先から放たれたボールは、倉橋の頭上を遥か高く越え、バックネットに当たった。

「し、しまった……」

 倉橋が慌てて、ボールを捕りに走る。そして谷原の三塁走者が、まるで弾かれたように本塁へと突っ込んでいく。

「へいっ」

 谷口は痛む足を引きずるようにして、本塁ベースカバーへ走る。倉橋がボールを拾うなり、すかさず送球した。

 グラブを構える谷口。その体が次の瞬間、膝から崩れ落ちえる。

 ボールは倒れ込んだ谷口の頭上をすり抜け、三塁側ベンチへ転がっていく。その間、谷原の三塁走者は頭から滑り込んでいた。

 もう誰も、ボールを捕りにいく者はいない。

「セーフ、ゲームセット!!」

 アンパイアの無情のコールが、激闘の終わりを告げた。

               <完>