【目次】
- 【前話へのリンク】
- <外伝>
- 第75話 ふんばれ松川!の巻
- 1.先制なるか!?
- 2.強打の聖明館打線!
- <次話へのリンク>
- ※感想掲示板
- 【各話へのリンク】
【前話へのリンク】
<外伝>
第75話 ふんばれ松川!の巻
1.先制なるか!?
一回裏の攻撃前。墨高ナインは一塁側ベンチにて、キャプテン谷口を中心に円陣を組む。
「にしても、あいつらよく打ちますね」
丸井の言葉に、隣で加藤が「うむ」と首肯する。
「やたら振り回すだけかと思いきや、速球に強いだけじゃなく変化球にも合わせてくる。こりゃ想像以上の強敵だぜ」
ナイン達の間に緊張感が漂う。
「さあみんな。今は守備じゃなく、攻撃に入ったんだ」
キャプテン谷口がそう言って、軽く右こぶしを突き上げた。
「向こうの打力からして、一点勝負にはならなさそうだし。相手投手を打ちくずさなきゃ勝ち目はないぞ」
「谷口の言うとおりだ」
傍らで、倉橋も口を開く。
「こっちも練習を積んできたわけだし、予選で当たった谷原の村井や東実の佐野と比べりゃ、そう飛び抜けた投手というわけでもあるまい」
横井が「そうよ」と同調する。
「先にこっちが点を入れりゃ、向こうのご自慢のバッティングにも狂いが生じるかもしれないぜ」
「そういうことだ」
表情を柔らかくして、谷口はうなずいた。
「きっと先の読めない展開になると思うが、こっちが先制すりゃ、試合の主導権をにぎることができる。そうやって相手の勢いを封じていくんだ。いいな!」
オウヨッ、とナイン達は快活に返事した。
グラウンド上。守備に着いた聖明館野手陣は、軽快な動きでボール回しを行う。その中心で、細身の左腕エース福井がマウンドにて投球練習を始めていた。
福井はセットポジションから右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕をしならせる。そうして投じられたボールは一球、二球と、キャッチャー香田の構えたミットに寸分違わず吸い込まれていく。ズバン、ズバンと小気味よい音が鳴る。
「ナイスボールよ福井!」
香田が一声掛けると、福田は無言でうなずき、次の投球動作へと移る。
「ちぇっ。あいかわらず、ぶっきらぼうなやつめ」
苦笑いして、香田はミットを構える。
(だが一戦、二戦とかなり投げてるわりに、タマは走ってるじゃねえか)
やがて福井が規定の七球を投げ終え、香田は二塁ベースカバーに入ったセカンドへ送球した。そして墨高の一番打者丸井が、右打席に入ってくる。
丸井はバットを短めに握り、「さあこい!」と気合の声を発した。
(ハハ。闘志むき出しってやつだな)
香田はマスクを被り、ホームベース奥に屈んで打者を観察する。
(こいつナリは小せえが、かなり目がいいって話だったな)
マウンド上。福井はロージンバックを放る。その眼前で、香田が「まずコレよ」と一球目のサインを出す。
「む!」
福井はうなずくと、ワインドアップモーションから第一球を投じた。
「れっ」
速球が、真ん中やや外寄りのコースに飛び込んできた。丸井は手が出ず。
(しまった。今のはねらうべきだった)
打席を外し、ぺっぺっと両手を唾で湿らせる。
(ただコントロール抜群という話だったはずだが。初球からあんな甘いタマを投げてくるなんて、おれっちをナメてるのかしら)
丸井は打席に戻り、バットを構え直す。福井がすぐさま投球動作を始めた。
「うっ」
またも速球が、今度は内角低めの厳しいコースに飛び込んできた。しかし僅かに外れ、アンパイアは「ボール!」とコールする。
(あぶねえ。手を出してたら、引っかけて内野ゴロだったな)
さらに三球目。次はカーブが、外角低めいっぱいに投じられる。これは決まってツーストライク。
(なんでえ、初球はやっぱりコントロールミスか)
丸井は渋面になる。傍らで、香田が「フフ」とほくそ笑む。
(顔に出やすいバッターだぜ。これなら料理は簡単そうだ)
四球目。真ん中高めに、吊り球が投じられた。丸井はこれを悠然と見送る。く、と香田は顔を歪めた。
(手を出してくれると思ったが……)
一方、丸井は「フン」と鼻を鳴らす。
(おれっちがそんな単純なバッターだと思っちゃあ、甘いぜ)
一塁側ベンチより、キャプテン谷口が「いいぞ丸井! ナイス選球」と声を掛ける。
続く五球目。香田は「だったらコレで」とサインを出す。うむ、と福井はうなずき、投球動作へと移る。
真ん中低めに投じられたボール。丸井は「あ、甘い」とスイングするが、ボールはホームベース手前で曲がり外に切れていく。
「うっ」
ガキ、と鈍い音。打球は三塁側ファールグラウンドに転がる。
(ここでシュートか。あのピッチャー、ぼんやりした顔に似合わず、いやらしい投球してきやがる)
丸井は再び打席を外し数回素振りしてから、アンパイアに「どうも」と合図して打席に戻る。
(さすが、いい反応しやがるぜ)
香田は苦笑いして、次のサインを出す。
(コレで勝負といこうよ)
マウンド上。福井はうなずくと、すぐさまワインドアップモーションから六球目を投じた。外角低めいっぱいのカーブ。
「くっ」
丸井は上体が泳ぎそうになりながらも、バットをおっつけるようにスイングした。パシッと快音が響く。ライナー性の打球がライト線を襲う。
「ライト!」
香田の指示の声よりも先に、ライト甘井が駆け出していた。ボールは白線の内側ギリギリに落ちていく。次の瞬間、甘井が横っ飛びする。差し出したグラブの先に、ボールが収まる。
甘井は上半身を起こすと、捕球した左手のグラブを掲げた。
「あ、アウト!」
一塁塁審のコール。ああ、と三塁側墨高応援席からは落胆の溜息が漏れた。一方、一塁側の聖明館応援席からは「おおっ」と歓声が上がる。
「ちーっ、とられちったか」
丸井は悔しがりながらも、次打者の二番島田とすれ違うと、「おい島田」と冷静に情報を伝える。
「事前に分析したとおり、コントロールはいいが、たまに甘いタマもくるぞ」
「そうみてえだな。分かった、ねらってみる」
島田はうなずき、小走りに打席へと向かう。そして右打席に入ると、こちらもバットを短めに握り構えた。
(こいつはスイッチヒッターだったな)
傍らで、香田は打者を観察する。
(福井が左投手だから、右打席に立ってるのか)
その福井に、香田は(コレで誘ってみよう)とサインを出す。む、と投手はうなずき、ワインドアップモーションから第一球を投じた。
「き、きたっ」
またも真ん中やや外寄りの速球。島田のバットが回る。パシッと快音が響き、低いライナー性の打球が一・二塁間を抜けていく。ライト前ヒット。ワアッ、と沸き立つ一塁側の墨高応援団。
「なんでえ」
ベンチ後列にて、戸室が言った。
「あの福井とかいうピッチャー、たいしたことないじゃねえか」
うむ、と横井が同調する。
「前の試合の感じじゃ、コントロールは良さそうだったが、やはり疲れが出てるのか」
「む。いずれにせよ、チャンスじゃねえか」
盛り上がる墨高ナイン。その中で、キャプテン谷口はネクストバッターズサークルへ向かうためヘルメットを被りながら、一人浮かない顔をしていた。
(みょうだな……)
胸の内につぶやく。
(あれだけ変化球をコーナーに決められる投手が、速球を二人続けてコントロールミスするなんてことがあるのか)
その時「キャプテン」と、声を掛けられる。振り向くとイガラシが立っていた。
「どうしたんです。そんなむずかしい顔しちゃって」
「ああ」
「なにか気になることが?」
後輩の問いかけに、「そうだな」とうなずく。
「だったら、みんなに伝えた方が」
「いや。いまはよそう」
バットを手に、谷口は答えた。
「ナインの、いけるというムードに水を差したくないんでな」
「は、はあ」
「それよりイガラシ。向こうのバッテリーの様子、よく見ておいてくれ」
「分かりました」
それだけ言葉を交わし、谷口はネクストバッターズサークルへと向かう。
ワンアウト一塁。このチャンスに、三番倉橋が右打席に立つ。こちらもバットを短めに握り、「ようし」と気合の声を発した。
(だいぶ気合が入ってるな)
打者の傍らで、キャッチャー香田が(まずコレよ)とサインを出す。その眼前で、福井がうなずき、今度はセットポジションから投球動作へと移る。
初球、カーブが外角低めいっぱいに決まる。倉橋は目を丸くした。
(やっぱりコントロールいいじゃねえか。これだけ変化球をコーナーに投げられるやつが、なんで速球を甘いコースに放ったりなんか)
続く二球目。その速球が、真ん中低めに投じられた。
「しめた!」
倉橋のバットが回る。ところがホームベース手前で、ボールはすうっと沈んだ。
「うっ」
カキッ。引っ掛けてしまうが、それでも速いゴロが二塁ベース左を襲う。ショート小松が横っ飛びした。バチっと音がして、打球はグラブを弾く。それでも小松はすぐに起き上がり、ボールを拾い直す。
「へいっ」
ベースカバーに入ったセカンドが合図する。小松は片膝立ちで素早く送球し、二塁フォースアウト。セカンドはすかさず一塁へ転送するが、ファースト高岸が捕球した時、倉橋はすでにベースを駆け抜けていた。
「セーフ!」
一塁塁審のコール。それでも倉橋は「くそっ」と、顔を歪める。
(いまのはフォークか。まんまと打たされちまったぜ)
一塁ベースに着き、渋面になる。
(しかし甘いタマがきたかと思いきや、一転してきわどいコースを突いてきやがる。ほんとつかみどころのない投手だぜ)
ランナーが入れ替わり、ツーアウト一塁。ここで四番谷口が右打席へと入る。やはりバットを短めに握った。
(とにかく、相手の意図を探らなきゃ)
一方、香田は横目で、打者の観察を続ける。
(ナリは小さいが、たしか四割近く打ってるバッターだったな)
そして「まずコレよ」とサインを出した。む、と福井はうなずき、セットポジションから投球動作へと移る。
内角低めの速球。谷口は手を出さず。
「ボール!」
アンパイアのコール。香田は「ナイスボールよ福井!」と言って、返球した。その傍らで、谷口は思案する。
(ボール一個分はずしてる。やはりコントロールは抜群だ)
続く二球目。速球が、真ん中やや外寄りに飛び込んできた。谷口は、驚いて「えっ」と目を見開く。自然とバットが反応する。
パシッと快音を残し、鋭いライナーが三塁線を襲う。サードがジャンプするも届かず、ボールはレフト線の内側に落ちた。そのままフェンス際まで転がっていく。レフトが回りこんで捕球する。
「くそっ」
レフトは中継に入ったショート小松に返球した。しかしその間、ランナー倉橋は三塁へ、バッター谷口は二塁へそれぞれ進塁する。
ツーベースヒット。墨高がツーアウトながら二・三塁とチャンスを広げた。
(く、ちと甘く見すぎたか)
キャッチャー香田は渋面になる。それでも気を取り直し「さ、ツーアウトよ」と、野手陣に声を掛ける。
やがて五番打者のイガラシが右打席に入ってきた。それと同時に、香田は立ち上がり、ホームベースの右側へ移動して、ミットを構える。
「なんでえ、敬遠か」
イガラシは苦笑いする。眼前で、相手投手は山なりのボールを四球投じた。敬遠四球。これでツーアウト満塁となる。
そして六番横井が右打席に入った。アンパイアはすぐさま「プレイ!」とコールし、試合再開を告げた。
ほう、と谷口は二塁ベース上にて、感嘆の吐息をつく。
(満塁になったというのに、タイムすらかけない。まだ余裕があるのか)
右打席にて、横井はバットを短めに握り、「さあこい!」と気合の声を発した。
(さあさあ。下位打線だからって、油断は禁物よ)
打者の傍らで、香田がサインを出す。マウンド上で福井がうなずき、セットポジションから投球動作を始める。
カーブが外角低めいっぱいに投じられた。決まってワンストライク。
(コースいっぱいじゃねえか)
横井は渋面になる。
(甘いタマがきたかと思いきや、こんなきわどいトコも突いてきやがる。ほんとつかみどころがねえや)
続く二球目。今度は速球が、真ん中やや外寄りに飛び込んできた。横井は「うっ」と、つい見送ってしまう。
(しまった。いいタマだってのに)
その時、谷口が二塁ベース上より「切りかえろ横井!」と声を掛ける。
「練習したとおり、ねらいダマをしぼって打ち返すんだ」
オ、オウと横井は応える。隣で香田がフフと含み笑いを漏らす。
(そうそう練習どおりにいくと思っちゃ、大まちがいだぜ)
そして三球目。福井はまたも速球を、今度は真ん中低めに投じた。
「き、きたっ」
横井はスイングする。ところがボールは、ホームベース手前ですうっと沈んだ。
「うっ」
カキッ。横井はやや上体を泳がせながら、ボールを掬い上げるように打ち返した。センター鵜飼がフェンスの数メートル手前までバックするが、やがて足が止まり、余裕を持って顔の前で捕球する。スリーアウト、三者残塁。
「く、くそ!」
横井は悔しさのあまり、バットを土に叩き付ける。
(うーむ。最後は、うまく打たされたな)
二塁ベース上で、谷口は唇を歪めた。
(チャンスを生かせなかったこともあるが、なんだかイヤな感じだ……)
2.強打の聖明館打線!
二回表。守備位置に散った墨高ナインの中央、マウンド上にて、松川はフウと大きく吐息をつく。その表情は硬い。
「リラックスよ松川!」
キャッチャー倉橋が声を掛けると、松川は「は、はい」と戸惑ったふうに返事した。
(無理もねえか)
倉橋は胸の内につぶやく。
(点こそやらなかったとはいえ、初回からあれだけとらえられちゃあな)
マスクを被りホームベース奥に屈むと、ほどなく回の先頭打者が右打席に入ってきた。(こいつも体格こそ中軸の三人には劣るものの、けっこう上背あるな)
視界の端で打者を観察し、倉橋はサインを出す。
(まずコレよ)
む、と松川はうなずき、ワインドアップモーションから投球動作へと移る。
初球は外角のカーブ。打者のバットが回る。パシッと快音が響いた。ライナー性の打球がライト線を襲う。ファースト加藤がジャンプするも届かず。
しかしボールはライト線の外へ切れた。一塁塁審が両腕を掲げ「ファール!」とコールする。
(あぶねえ)
倉橋は苦笑いした。
(ボールにしといてよかった。しかしほんと、なんでも手を出してくるチームだぜ)
しばし思案の後、「つぎはコレよ」と二球目のサインを出す。松川はうなずくと、すぐに投球動作を始めた。
今度は内角低めのカーブ。またも打者のバットが回る。パシッと快音の後、打球はレフトポール際へ飛ぶ。しかしこれも外に切れ、一塁側アルプススタンドに飛び込む。
「こら糸原!」
三塁側ベンチより、聖明館監督が指示の声を飛ばす。
「なんでもかんでも振り回すんじゃない」
打者は「は、はい」と神妙な顔になる。
三球目。倉橋は「コレで誘ってみよう」とサインを出す。松川はうなずき、テンポよく投球動作へと移る。シュッと風を切る音。
真ん中高めの吊り球。打者のバットが回る。ガッ、と今度は鈍い音がした。打球は力なくセンターの定位置へ。島田がほぼ動くことなく、顔の前で捕球する。ワンアウト。
(ハハ。いくら好きなまっすぐでも、あんなボールに手を出しちゃしめえよ)
ほくそ笑む倉橋の眼前で、打者は背筋を丸め引き上げていく。
「真壁(まかべ)!」
またも聖明館監督が、次打者に指示する。
「おまえは糸原のようなヘマするなよ。しっかりねらいダマをしぼるんだ」
真壁と呼ばれた打者は「はいっ」と快活に返事して、右打席に入る。
(じっくり見られるのはイヤだな……)
束の間思案して、倉橋はサインを出す。
(コレならどうだ)
松川はうなずき、ワインドアップモーションから一球目を投じた。外角低めの速球。打者のバットが回る。パシッと快音が鳴る。低いライナー性の打球が、一・二塁間を抜けていく。ライト前ヒット。
「くっ」
倉橋は唇を歪める。
(まっすぐをねらわれたな。どうも監督の指示が効いたらしい)
すぐに次打者が右打席に入ってきた。こちらはバントの構えをする。それを見て、サード谷口とファースト加藤が前進してくる。
(打順は下位だし、まず得点圏に走者を進めようってとこか)
それなら、と倉橋は一球目のサインを出した。松川はうなずき、セットポジションから投球動作を始める。
内角高めの速球。打者はバントの構えから一転して、ヒッティングに切り替えた。
「なにっ」
倉橋は目を見開く。その眼前で、打者は鋭いライナーをピッチャー方向へ打ち返した。松川の頭上へ伸ばしたグラブを掠め、打球はセンター島田の前で弾む。
(まいったね)
倉橋はマスクを脱いで立ち上がり、腰に手を当てる。
(いくらまっすぐに強いとはいえ、あんな内角の高めをセンターへ打ち返すとは)
ワンアウト一・二塁。打順はピッチャーの福井へと回り、こちらは左打席に立った。バントの構えはしない。
(半田のメモじゃ、九番とはいえ四割近く打ってるバッターだったな。ピンチが広がっちまったし、ちと慎重にいかにゃ)
初球。倉橋は「コレで様子を見よう」とサインを出す。松川は右手のロージンバックを足下に放り、しばし間を取ってから、投球動作を始めた。
内角低めのチェンジアップ。しかし福井は体勢を崩すことなく、ボールを掬い上げるようにしてスイングした。パシッと快音が響く。
「くそっ」
丸井がジャンプして伸ばしたグラブの上を、打球が越えていく。そしてライト久保の前でワンバウンドした。
「させるか!」
久保は前進してきて捕球すると、直接バックホームした。ワンバウンドで倉橋のミットに収まるストライク返球。これを見て、三塁ランナー真壁は三本間から慌てて引き返す。
しかし下位打線の三連打でワンアウト満塁。さらにピンチが広がってしまう。
「タイム!」
ここで谷口が三塁塁審に合図し、マウンドへと駆け寄った。それに伴い、初回と同じように倉橋と他の内野陣も集まってくる。
「いまのはヤマをはられたようだな」
キャプテンの問いかけに、正捕手は「ああ」と渋面でうなずく。
「ほんとやんなるぜ。あいつら、どんなにタマをまぜても、しっかり対応してきやがる」
倉橋の傍らで、松川はうつむき加減になっていた。
「しっかりしろ松川」
谷口は苦心の投球を続ける二年生投手に声を掛ける。
「ひるむんじゃない。おまえがしっかりコントロールよく投げられてるから、ここまで大量失点せずにすんでるんだぞ」
「は、はい」
キャプテンの励ましに、松川は返事して背筋を伸ばす。
「しかし、面倒な場面で上位に回っちまったな」
なおも渋面で倉橋は言った。
「どうする?」
む、と谷口はうなずく。
「ここは一点を惜しむより、まずアウトカウントを増やすことを優先しよう」
「その方が賢明だな」
倉橋も同調する。
「で、ですが」
戸惑う松川に、谷口は「心配するな」と微笑みかける。
「こっちだって、相手投手を打ちくずす練習はつんできてる。松川。このさいバックを信じて、しっかり腕を振って投げるんだ」
「わ、分かりました」
松川がうなずくと、谷口は他の内野陣の顔を見回す。
「さあ。あとはバックが、松川を盛り立てていこう。いいな!」
ええ、とイガラシが短く返事する。その隣で、丸井は「まかせといてください!」と自分の胸を叩き、意気込んだ。
「松川も思い切っていけよ」
加藤は松川を激励した。オウ、と投手は応える。
やがてタイムが解け、内野陣と倉橋はポジションに戻った。残された松川は、マウンド上にてロージンバックを右手に馴染ませる。
ほどなく次打者の一番甘井が、右打席に入ってきた。初回と同じく、バットを長く持つ。
「プレイ!」
そしてアンパイアが、試合再開を告げた。
(さすがにスクイズってこたあねえな)
倉橋はしばし思案して、一球目のサインを出す。松川はうなずき、すぐにセットポジションから投球動作へと移る。
内角低めのシュート。甘井は手を出さず。ストライクゾーンより僅かに内側に外れる。
「ボール!」
アンパイアのコール。
(ちぇっ。引っかけさせてやろうと思ったが、そう甘かねえか)
倉橋は苦笑いして、次のサインを出す。
(それならコレでどうだ)
松川はうなずき、二球目の投球動作へと移る。グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。
内角低めの速球。甘井のバットが回る。カキッ、と快音が響いた。痛烈なゴロが三塁線を襲う。しかし谷口が左へ飛び捕球した。
「ファール、ファール!」
三塁塁審が、両腕を掲げてコールした。
(フウ、ボールにしといてよかったぜ)
倉橋は頬を引きつらせる。
(ほんとまっすぐは、どこに投げてもとらえてきやがる)
しばし思案の後、倉橋は三球目のサインを出す。
(つぎはコレでいこう)
む、と松川はうなずき、やや間合いを取ってから投球動作を始めた。
外角低めのカーブ。甘井の上体が泳ぎかけた。それでもバットのヘッドを残し、おっつけるようにしてスイングする。
パシッと快音が響いた。
倉橋はマスクを脱いで立ち上がり、「ライト!」と叫ぶ。その声よりも先に、ライト久保は背走し始めていた。そしてフェンス手前で正面に向き直る。
打球が落ちてくる。久保は顔の前で捕球するも、助走を付けることができず、ショート丸井へ返球するのが精一杯。その間、三塁コーチャーの「ゴー!」という合図と同時に、三塁ランナー真壁がタッチアップして、ホームベースに足から滑り込んだ。
「く……」
丸井はバックホームできず。犠牲フライとなり、聖明館が一点を先取する。
「これでいいんだ松川!」
すかさず谷口が声を掛けた。
「ツーアウト! さあ、バックもしっかり守るぞ」
キャプテンの掛け声に、野手陣は「オウヨッ」と快活に応える。
(一点取られはしたが、どうにかツーアウトか)
ホームベース奥に屈んだ倉橋の傍らで、次打者の二番小松が左打席に入ってきた。
(なんとかこいつで切らねえと、得点圏でクリーンナップに回っちまう)
早くもセットポジションに着こうとした松川に、「ロージンだ」と手振りで合図して間合いを取らせた。松川が右手にロージンバックを馴染ませる間に、思案を巡らせる。
(まずコレよ)
倉橋がサインを出すと、松川はロージンバックを足下に放り、セットポジションから投球動作を始めた。
内角低めの速球。小松はバットを出さず。
「ボール!」
アンパイアのコール。ほう、と倉橋は目を丸くする。
(ボール球とはいえ、初めてまっすぐに手を出さなかったな。ツーアウトになったせいか、慎重になってきたな)
一方、打者の小松も思案する。
(くそっ、なかなかきわどいコースをついてきやがる。そう簡単にまっすぐは投げてこないだろうし、なにをねらえば……むっ)
その時、ベンチの監督よりサインが出される。小松は「なるほど」と、うなずいた。
二球目。倉橋が「つぎはコレよ」とサインを出す。松川はうなずき、セットポジションから投球動作へと移る。
その瞬間、小松はバットを寝かせた。なにっ、と倉橋は驚いて目を見開く。
コンッ。外角低めのカーブを、小松はマウンド左へ緩く転がす。セーフティバント。松川は慌ててダッシュし捕球すると、身を反転させ一塁へ送球する。しかし間に合わず。
「セーフ!」
一塁塁審が、両腕を大きく広げコールする。ワアッ、と沸き立つ三塁側の聖明館応援団。
「た、タイム」
倉橋はアンパイアに合図し、マウンドへと駆け寄った。松川が「すみません」と頭を下げる。
「完全に無警戒でした」
「な、なあに。それはこっちも一緒よ。気にすんなって」
後輩を励ましたものの、倉橋も渋面になる。振り向いた二人の視線の先では、次打者の三番香田がマスコットバットをカキカキと鳴らしながら素振りしている。
松川、と倉橋は後輩を呼んだ。
「こうなったら、さっきも言ったように、バックを信じて打たせることだ。おまえは思い切って腕を振ることだけ考えろ」
覚悟を決めた表情で、松川は応える。
「分かりました」
ほどなくタイムが解け、倉橋はポジションに戻り、屈んでマスクを被る。傍らで、香田が右打席に入ってきた。松川はうなずき、すぐにセットポジションから投球動作を始めた。
真ん中低めに投じられたチェンジアップ。うっ、と香田は体勢を崩しかける。それでもヘッドを残し、はらうようにスイングした。
パシッ、と快音が響く。打球はレフト横井の頭上を襲う大飛球。
「れ、レフト!」
倉橋の指示の声よりも先に、横井は背走し始めていた。やがて背中がフェンスに着くと、目一杯グラブを伸ばしジャンプする。
横井は背中をフェンスにぶつけながら、伸ばしたグラブの先で辛うじて捕球した。
「と、とった……」
三塁塁審がそれを確認して、右手を突き上げ「アウト!」とコールする。
松川は、ホッと安堵の吐息をついた。谷口が「ナイスプレーよ横井!」と声を掛ける。辛うじて一失点で切り抜けた墨高ナインは、足取り軽くベンチへと引き上げていく。
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