南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】続・プレイボール<第75話「ふんばれ松川!の巻」>――ちばあきお『プレイボール』二次小説

 

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • <外伝> 
  •  第75話 ふんばれ松川!の巻
    • 1.先制なるか!?
    • 2.強打の聖明館打線!
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

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<外伝> 

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 第75話 ふんばれ松川!の巻

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1.先制なるか!?

 

 一回裏の攻撃前。墨高ナインは一塁側ベンチにて、キャプテン谷口を中心に円陣を組む。

「にしても、あいつらよく打ちますね」

 丸井の言葉に、隣で加藤が「うむ」と首肯する。

「やたら振り回すだけかと思いきや、速球に強いだけじゃなく変化球にも合わせてくる。こりゃ想像以上の強敵だぜ」

 ナイン達の間に緊張感が漂う。

「さあみんな。今は守備じゃなく、攻撃に入ったんだ」

 キャプテン谷口がそう言って、軽く右こぶしを突き上げた。

「向こうの打力からして、一点勝負にはならなさそうだし。相手投手を打ちくずさなきゃ勝ち目はないぞ」

「谷口の言うとおりだ」

 傍らで、倉橋も口を開く。

「こっちも練習を積んできたわけだし、予選で当たった谷原の村井や東実の佐野と比べりゃ、そう飛び抜けた投手というわけでもあるまい」

 横井が「そうよ」と同調する。

「先にこっちが点を入れりゃ、向こうのご自慢のバッティングにも狂いが生じるかもしれないぜ」

「そういうことだ」

 表情を柔らかくして、谷口はうなずいた。

「きっと先の読めない展開になると思うが、こっちが先制すりゃ、試合の主導権をにぎることができる。そうやって相手の勢いを封じていくんだ。いいな!」

 オウヨッ、とナイン達は快活に返事した。

 

 

 グラウンド上。守備に着いた聖明館野手陣は、軽快な動きでボール回しを行う。その中心で、細身の左腕エース福井がマウンドにて投球練習を始めていた。

 福井はセットポジションから右足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕をしならせる。そうして投じられたボールは一球、二球と、キャッチャー香田の構えたミットに寸分違わず吸い込まれていく。ズバン、ズバンと小気味よい音が鳴る。

「ナイスボールよ福井!」

 香田が一声掛けると、福田は無言でうなずき、次の投球動作へと移る。

「ちぇっ。あいかわらず、ぶっきらぼうなやつめ」

 苦笑いして、香田はミットを構える。

(だが一戦、二戦とかなり投げてるわりに、タマは走ってるじゃねえか)

 やがて福井が規定の七球を投げ終え、香田は二塁ベースカバーに入ったセカンドへ送球した。そして墨高の一番打者丸井が、右打席に入ってくる。

 丸井はバットを短めに握り、「さあこい!」と気合の声を発した。

(ハハ。闘志むき出しってやつだな)

 香田はマスクを被り、ホームベース奥に屈んで打者を観察する。

(こいつナリは小せえが、かなり目がいいって話だったな)

 マウンド上。福井はロージンバックを放る。その眼前で、香田が「まずコレよ」と一球目のサインを出す。

「む!」

 福井はうなずくと、ワインドアップモーションから第一球を投じた。

「れっ」

 速球が、真ん中やや外寄りのコースに飛び込んできた。丸井は手が出ず。

(しまった。今のはねらうべきだった)

 打席を外し、ぺっぺっと両手を唾で湿らせる。

(ただコントロール抜群という話だったはずだが。初球からあんな甘いタマを投げてくるなんて、おれっちをナメてるのかしら)

 丸井は打席に戻り、バットを構え直す。福井がすぐさま投球動作を始めた。

「うっ」

 またも速球が、今度は内角低めの厳しいコースに飛び込んできた。しかし僅かに外れ、アンパイアは「ボール!」とコールする。

(あぶねえ。手を出してたら、引っかけて内野ゴロだったな)

 さらに三球目。次はカーブが、外角低めいっぱいに投じられる。これは決まってツーストライク。

(なんでえ、初球はやっぱりコントロールミスか)

 丸井は渋面になる。傍らで、香田が「フフ」とほくそ笑む。

(顔に出やすいバッターだぜ。これなら料理は簡単そうだ)

 四球目。真ん中高めに、吊り球が投じられた。丸井はこれを悠然と見送る。く、と香田は顔を歪めた。

(手を出してくれると思ったが……)

 一方、丸井は「フン」と鼻を鳴らす。

(おれっちがそんな単純なバッターだと思っちゃあ、甘いぜ)

 一塁側ベンチより、キャプテン谷口が「いいぞ丸井! ナイス選球」と声を掛ける。

 続く五球目。香田は「だったらコレで」とサインを出す。うむ、と福井はうなずき、投球動作へと移る。

 真ん中低めに投じられたボール。丸井は「あ、甘い」とスイングするが、ボールはホームベース手前で曲がり外に切れていく。

「うっ」

 ガキ、と鈍い音。打球は三塁側ファールグラウンドに転がる。

(ここでシュートか。あのピッチャー、ぼんやりした顔に似合わず、いやらしい投球してきやがる)

 丸井は再び打席を外し数回素振りしてから、アンパイアに「どうも」と合図して打席に戻る。

(さすが、いい反応しやがるぜ)

 香田は苦笑いして、次のサインを出す。

(コレで勝負といこうよ)

 マウンド上。福井はうなずくと、すぐさまワインドアップモーションから六球目を投じた。外角低めいっぱいのカーブ。

「くっ」

 丸井は上体が泳ぎそうになりながらも、バットをおっつけるようにスイングした。パシッと快音が響く。ライナー性の打球がライト線を襲う。

「ライト!」

 香田の指示の声よりも先に、ライト甘井が駆け出していた。ボールは白線の内側ギリギリに落ちていく。次の瞬間、甘井が横っ飛びする。差し出したグラブの先に、ボールが収まる。

 甘井は上半身を起こすと、捕球した左手のグラブを掲げた。

「あ、アウト!」

 一塁塁審のコール。ああ、と三塁側墨高応援席からは落胆の溜息が漏れた。一方、一塁側の聖明館応援席からは「おおっ」と歓声が上がる。

「ちーっ、とられちったか」

 丸井は悔しがりながらも、次打者の二番島田とすれ違うと、「おい島田」と冷静に情報を伝える。

「事前に分析したとおり、コントロールはいいが、たまに甘いタマもくるぞ」

「そうみてえだな。分かった、ねらってみる」

 島田はうなずき、小走りに打席へと向かう。そして右打席に入ると、こちらもバットを短めに握り構えた。

(こいつはスイッチヒッターだったな)

 傍らで、香田は打者を観察する。

(福井が左投手だから、右打席に立ってるのか)

 その福井に、香田は(コレで誘ってみよう)とサインを出す。む、と投手はうなずき、ワインドアップモーションから第一球を投じた。

「き、きたっ」

 またも真ん中やや外寄りの速球。島田のバットが回る。パシッと快音が響き、低いライナー性の打球が一・二塁間を抜けていく。ライト前ヒット。ワアッ、と沸き立つ一塁側の墨高応援団。

「なんでえ」

 ベンチ後列にて、戸室が言った。

「あの福井とかいうピッチャー、たいしたことないじゃねえか」

 うむ、と横井が同調する。

「前の試合の感じじゃ、コントロールは良さそうだったが、やはり疲れが出てるのか」

「む。いずれにせよ、チャンスじゃねえか」

 盛り上がる墨高ナイン。その中で、キャプテン谷口はネクストバッターズサークルへ向かうためヘルメットを被りながら、一人浮かない顔をしていた。

(みょうだな……)

 胸の内につぶやく。

(あれだけ変化球をコーナーに決められる投手が、速球を二人続けてコントロールミスするなんてことがあるのか)

 その時「キャプテン」と、声を掛けられる。振り向くとイガラシが立っていた。

「どうしたんです。そんなむずかしい顔しちゃって」

「ああ」

「なにか気になることが?」

 後輩の問いかけに、「そうだな」とうなずく。

「だったら、みんなに伝えた方が」

「いや。いまはよそう」

 バットを手に、谷口は答えた。

「ナインの、いけるというムードに水を差したくないんでな」

「は、はあ」

「それよりイガラシ。向こうのバッテリーの様子、よく見ておいてくれ」

「分かりました」

 それだけ言葉を交わし、谷口はネクストバッターズサークルへと向かう。

 ワンアウト一塁。このチャンスに、三番倉橋が右打席に立つ。こちらもバットを短めに握り、「ようし」と気合の声を発した。

(だいぶ気合が入ってるな)

 打者の傍らで、キャッチャー香田が(まずコレよ)とサインを出す。その眼前で、福井がうなずき、今度はセットポジションから投球動作へと移る。

 初球、カーブが外角低めいっぱいに決まる。倉橋は目を丸くした。

(やっぱりコントロールいいじゃねえか。これだけ変化球をコーナーに投げられるやつが、なんで速球を甘いコースに放ったりなんか)

 続く二球目。その速球が、真ん中低めに投じられた。

「しめた!」

 倉橋のバットが回る。ところがホームベース手前で、ボールはすうっと沈んだ。

「うっ」

 カキッ。引っ掛けてしまうが、それでも速いゴロが二塁ベース左を襲う。ショート小松が横っ飛びした。バチっと音がして、打球はグラブを弾く。それでも小松はすぐに起き上がり、ボールを拾い直す。

「へいっ」

 ベースカバーに入ったセカンドが合図する。小松は片膝立ちで素早く送球し、二塁フォースアウト。セカンドはすかさず一塁へ転送するが、ファースト高岸が捕球した時、倉橋はすでにベースを駆け抜けていた。

「セーフ!」

 一塁塁審のコール。それでも倉橋は「くそっ」と、顔を歪める。

(いまのはフォークか。まんまと打たされちまったぜ)

 一塁ベースに着き、渋面になる。

(しかし甘いタマがきたかと思いきや、一転してきわどいコースを突いてきやがる。ほんとつかみどころのない投手だぜ)

 ランナーが入れ替わり、ツーアウト一塁。ここで四番谷口が右打席へと入る。やはりバットを短めに握った。

(とにかく、相手の意図を探らなきゃ)

 一方、香田は横目で、打者の観察を続ける。

(ナリは小さいが、たしか四割近く打ってるバッターだったな)

 そして「まずコレよ」とサインを出した。む、と福井はうなずき、セットポジションから投球動作へと移る。

 内角低めの速球。谷口は手を出さず。

「ボール!」

 アンパイアのコール。香田は「ナイスボールよ福井!」と言って、返球した。その傍らで、谷口は思案する。

(ボール一個分はずしてる。やはりコントロールは抜群だ)

 続く二球目。速球が、真ん中やや外寄りに飛び込んできた。谷口は、驚いて「えっ」と目を見開く。自然とバットが反応する。

 パシッと快音を残し、鋭いライナーが三塁線を襲う。サードがジャンプするも届かず、ボールはレフト線の内側に落ちた。そのままフェンス際まで転がっていく。レフトが回りこんで捕球する。

「くそっ」

 レフトは中継に入ったショート小松に返球した。しかしその間、ランナー倉橋は三塁へ、バッター谷口は二塁へそれぞれ進塁する。

 ツーベースヒット。墨高がツーアウトながら二・三塁とチャンスを広げた。

(く、ちと甘く見すぎたか)

 キャッチャー香田は渋面になる。それでも気を取り直し「さ、ツーアウトよ」と、野手陣に声を掛ける。

 やがて五番打者のイガラシが右打席に入ってきた。それと同時に、香田は立ち上がり、ホームベースの右側へ移動して、ミットを構える。

「なんでえ、敬遠か」

 イガラシは苦笑いする。眼前で、相手投手は山なりのボールを四球投じた。敬遠四球。これでツーアウト満塁となる。

 そして六番横井が右打席に入った。アンパイアはすぐさま「プレイ!」とコールし、試合再開を告げた。

 ほう、と谷口は二塁ベース上にて、感嘆の吐息をつく。

(満塁になったというのに、タイムすらかけない。まだ余裕があるのか)

 右打席にて、横井はバットを短めに握り、「さあこい!」と気合の声を発した。

(さあさあ。下位打線だからって、油断は禁物よ)

 打者の傍らで、香田がサインを出す。マウンド上で福井がうなずき、セットポジションから投球動作を始める。

 カーブが外角低めいっぱいに投じられた。決まってワンストライク。

(コースいっぱいじゃねえか)

 横井は渋面になる。

(甘いタマがきたかと思いきや、こんなきわどいトコも突いてきやがる。ほんとつかみどころがねえや)

 続く二球目。今度は速球が、真ん中やや外寄りに飛び込んできた。横井は「うっ」と、つい見送ってしまう。

(しまった。いいタマだってのに)

 その時、谷口が二塁ベース上より「切りかえろ横井!」と声を掛ける。

「練習したとおり、ねらいダマをしぼって打ち返すんだ」

 オ、オウと横井は応える。隣で香田がフフと含み笑いを漏らす。

(そうそう練習どおりにいくと思っちゃ、大まちがいだぜ)

 そして三球目。福井はまたも速球を、今度は真ん中低めに投じた。

「き、きたっ」

 横井はスイングする。ところがボールは、ホームベース手前ですうっと沈んだ。

「うっ」

 カキッ。横井はやや上体を泳がせながら、ボールを掬い上げるように打ち返した。センター鵜飼がフェンスの数メートル手前までバックするが、やがて足が止まり、余裕を持って顔の前で捕球する。スリーアウト、三者残塁

「く、くそ!」

 横井は悔しさのあまり、バットを土に叩き付ける。

(うーむ。最後は、うまく打たされたな)

 二塁ベース上で、谷口は唇を歪めた。

(チャンスを生かせなかったこともあるが、なんだかイヤな感じだ……)

 

 

2.強打の聖明館打線!

 

 二回表。守備位置に散った墨高ナインの中央、マウンド上にて、松川はフウと大きく吐息をつく。その表情は硬い。

「リラックスよ松川!」

 キャッチャー倉橋が声を掛けると、松川は「は、はい」と戸惑ったふうに返事した。

(無理もねえか)

 倉橋は胸の内につぶやく。

(点こそやらなかったとはいえ、初回からあれだけとらえられちゃあな)

 マスクを被りホームベース奥に屈むと、ほどなく回の先頭打者が右打席に入ってきた。(こいつも体格こそ中軸の三人には劣るものの、けっこう上背あるな)

 視界の端で打者を観察し、倉橋はサインを出す。

(まずコレよ)

 む、と松川はうなずき、ワインドアップモーションから投球動作へと移る。

 初球は外角のカーブ。打者のバットが回る。パシッと快音が響いた。ライナー性の打球がライト線を襲う。ファースト加藤がジャンプするも届かず。

 しかしボールはライト線の外へ切れた。一塁塁審が両腕を掲げ「ファール!」とコールする。

(あぶねえ)

 倉橋は苦笑いした。

(ボールにしといてよかった。しかしほんと、なんでも手を出してくるチームだぜ)

 しばし思案の後、「つぎはコレよ」と二球目のサインを出す。松川はうなずくと、すぐに投球動作を始めた。

 今度は内角低めのカーブ。またも打者のバットが回る。パシッと快音の後、打球はレフトポール際へ飛ぶ。しかしこれも外に切れ、一塁側アルプススタンドに飛び込む。

「こら糸原!」

 三塁側ベンチより、聖明館監督が指示の声を飛ばす。

「なんでもかんでも振り回すんじゃない」

 打者は「は、はい」と神妙な顔になる。

 三球目。倉橋は「コレで誘ってみよう」とサインを出す。松川はうなずき、テンポよく投球動作へと移る。シュッと風を切る音。

 真ん中高めの吊り球。打者のバットが回る。ガッ、と今度は鈍い音がした。打球は力なくセンターの定位置へ。島田がほぼ動くことなく、顔の前で捕球する。ワンアウト。

(ハハ。いくら好きなまっすぐでも、あんなボールに手を出しちゃしめえよ)

 ほくそ笑む倉橋の眼前で、打者は背筋を丸め引き上げていく。

「真壁(まかべ)!」

 またも聖明館監督が、次打者に指示する。

「おまえは糸原のようなヘマするなよ。しっかりねらいダマをしぼるんだ」

 真壁と呼ばれた打者は「はいっ」と快活に返事して、右打席に入る。

(じっくり見られるのはイヤだな……)

 束の間思案して、倉橋はサインを出す。

(コレならどうだ)

 松川はうなずき、ワインドアップモーションから一球目を投じた。外角低めの速球。打者のバットが回る。パシッと快音が鳴る。低いライナー性の打球が、一・二塁間を抜けていく。ライト前ヒット。

「くっ」

 倉橋は唇を歪める。

(まっすぐをねらわれたな。どうも監督の指示が効いたらしい)

 すぐに次打者が右打席に入ってきた。こちらはバントの構えをする。それを見て、サード谷口とファースト加藤が前進してくる。

(打順は下位だし、まず得点圏に走者を進めようってとこか)

 それなら、と倉橋は一球目のサインを出した。松川はうなずき、セットポジションから投球動作を始める。

 内角高めの速球。打者はバントの構えから一転して、ヒッティングに切り替えた。

「なにっ」

 倉橋は目を見開く。その眼前で、打者は鋭いライナーをピッチャー方向へ打ち返した。松川の頭上へ伸ばしたグラブを掠め、打球はセンター島田の前で弾む。

(まいったね)

 倉橋はマスクを脱いで立ち上がり、腰に手を当てる。

(いくらまっすぐに強いとはいえ、あんな内角の高めをセンターへ打ち返すとは)

 ワンアウト一・二塁。打順はピッチャーの福井へと回り、こちらは左打席に立った。バントの構えはしない。

(半田のメモじゃ、九番とはいえ四割近く打ってるバッターだったな。ピンチが広がっちまったし、ちと慎重にいかにゃ)

 初球。倉橋は「コレで様子を見よう」とサインを出す。松川は右手のロージンバックを足下に放り、しばし間を取ってから、投球動作を始めた。

 内角低めのチェンジアップ。しかし福井は体勢を崩すことなく、ボールを掬い上げるようにしてスイングした。パシッと快音が響く。

「くそっ」

 丸井がジャンプして伸ばしたグラブの上を、打球が越えていく。そしてライト久保の前でワンバウンドした。

「させるか!」

 久保は前進してきて捕球すると、直接バックホームした。ワンバウンドで倉橋のミットに収まるストライク返球。これを見て、三塁ランナー真壁は三本間から慌てて引き返す。

 しかし下位打線の三連打でワンアウト満塁。さらにピンチが広がってしまう。

「タイム!」

 ここで谷口が三塁塁審に合図し、マウンドへと駆け寄った。それに伴い、初回と同じように倉橋と他の内野陣も集まってくる。

「いまのはヤマをはられたようだな」

 キャプテンの問いかけに、正捕手は「ああ」と渋面でうなずく。

「ほんとやんなるぜ。あいつら、どんなにタマをまぜても、しっかり対応してきやがる」

 倉橋の傍らで、松川はうつむき加減になっていた。

「しっかりしろ松川」

 谷口は苦心の投球を続ける二年生投手に声を掛ける。

「ひるむんじゃない。おまえがしっかりコントロールよく投げられてるから、ここまで大量失点せずにすんでるんだぞ」

「は、はい」

 キャプテンの励ましに、松川は返事して背筋を伸ばす。

「しかし、面倒な場面で上位に回っちまったな」

 なおも渋面で倉橋は言った。

「どうする?」

 む、と谷口はうなずく。

「ここは一点を惜しむより、まずアウトカウントを増やすことを優先しよう」

「その方が賢明だな」

 倉橋も同調する。

「で、ですが」

 戸惑う松川に、谷口は「心配するな」と微笑みかける。

「こっちだって、相手投手を打ちくずす練習はつんできてる。松川。このさいバックを信じて、しっかり腕を振って投げるんだ」

「わ、分かりました」

 松川がうなずくと、谷口は他の内野陣の顔を見回す。

「さあ。あとはバックが、松川を盛り立てていこう。いいな!」

 ええ、とイガラシが短く返事する。その隣で、丸井は「まかせといてください!」と自分の胸を叩き、意気込んだ。

「松川も思い切っていけよ」

 加藤は松川を激励した。オウ、と投手は応える。

 やがてタイムが解け、内野陣と倉橋はポジションに戻った。残された松川は、マウンド上にてロージンバックを右手に馴染ませる。

 ほどなく次打者の一番甘井が、右打席に入ってきた。初回と同じく、バットを長く持つ。

「プレイ!」

 そしてアンパイアが、試合再開を告げた。

(さすがにスクイズってこたあねえな)

 倉橋はしばし思案して、一球目のサインを出す。松川はうなずき、すぐにセットポジションから投球動作へと移る。

 内角低めのシュート。甘井は手を出さず。ストライクゾーンより僅かに内側に外れる。

「ボール!」

 アンパイアのコール。

(ちぇっ。引っかけさせてやろうと思ったが、そう甘かねえか)

 倉橋は苦笑いして、次のサインを出す。

(それならコレでどうだ)

 松川はうなずき、二球目の投球動作へと移る。グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 内角低めの速球。甘井のバットが回る。カキッ、と快音が響いた。痛烈なゴロが三塁線を襲う。しかし谷口が左へ飛び捕球した。

「ファール、ファール!」

 三塁塁審が、両腕を掲げてコールした。

(フウ、ボールにしといてよかったぜ)

 倉橋は頬を引きつらせる。

(ほんとまっすぐは、どこに投げてもとらえてきやがる)

 しばし思案の後、倉橋は三球目のサインを出す。

(つぎはコレでいこう)

 む、と松川はうなずき、やや間合いを取ってから投球動作を始めた。

 外角低めのカーブ。甘井の上体が泳ぎかけた。それでもバットのヘッドを残し、おっつけるようにしてスイングする。

 パシッと快音が響いた。

 倉橋はマスクを脱いで立ち上がり、「ライト!」と叫ぶ。その声よりも先に、ライト久保は背走し始めていた。そしてフェンス手前で正面に向き直る。

 打球が落ちてくる。久保は顔の前で捕球するも、助走を付けることができず、ショート丸井へ返球するのが精一杯。その間、三塁コーチャーの「ゴー!」という合図と同時に、三塁ランナー真壁がタッチアップして、ホームベースに足から滑り込んだ。

「く……」

 丸井はバックホームできず。犠牲フライとなり、聖明館が一点を先取する。

「これでいいんだ松川!」

 すかさず谷口が声を掛けた。

「ツーアウト! さあ、バックもしっかり守るぞ」

 キャプテンの掛け声に、野手陣は「オウヨッ」と快活に応える。

(一点取られはしたが、どうにかツーアウトか)

 ホームベース奥に屈んだ倉橋の傍らで、次打者の二番小松が左打席に入ってきた。

(なんとかこいつで切らねえと、得点圏でクリーンナップに回っちまう)

 早くもセットポジションに着こうとした松川に、「ロージンだ」と手振りで合図して間合いを取らせた。松川が右手にロージンバックを馴染ませる間に、思案を巡らせる。

(まずコレよ)

 倉橋がサインを出すと、松川はロージンバックを足下に放り、セットポジションから投球動作を始めた。

 内角低めの速球。小松はバットを出さず。

「ボール!」

 アンパイアのコール。ほう、と倉橋は目を丸くする。

(ボール球とはいえ、初めてまっすぐに手を出さなかったな。ツーアウトになったせいか、慎重になってきたな)

 一方、打者の小松も思案する。

(くそっ、なかなかきわどいコースをついてきやがる。そう簡単にまっすぐは投げてこないだろうし、なにをねらえば……むっ)

 その時、ベンチの監督よりサインが出される。小松は「なるほど」と、うなずいた。

 二球目。倉橋が「つぎはコレよ」とサインを出す。松川はうなずき、セットポジションから投球動作へと移る。

 その瞬間、小松はバットを寝かせた。なにっ、と倉橋は驚いて目を見開く。

 コンッ。外角低めのカーブを、小松はマウンド左へ緩く転がす。セーフティバント。松川は慌ててダッシュし捕球すると、身を反転させ一塁へ送球する。しかし間に合わず。

「セーフ!」

 一塁塁審が、両腕を大きく広げコールする。ワアッ、と沸き立つ三塁側の聖明館応援団。

「た、タイム」

 倉橋はアンパイアに合図し、マウンドへと駆け寄った。松川が「すみません」と頭を下げる。

「完全に無警戒でした」

「な、なあに。それはこっちも一緒よ。気にすんなって」

 後輩を励ましたものの、倉橋も渋面になる。振り向いた二人の視線の先では、次打者の三番香田がマスコットバットをカキカキと鳴らしながら素振りしている。

 松川、と倉橋は後輩を呼んだ。

「こうなったら、さっきも言ったように、バックを信じて打たせることだ。おまえは思い切って腕を振ることだけ考えろ」

 覚悟を決めた表情で、松川は応える。

「分かりました」

 ほどなくタイムが解け、倉橋はポジションに戻り、屈んでマスクを被る。傍らで、香田が右打席に入ってきた。松川はうなずき、すぐにセットポジションから投球動作を始めた。

 真ん中低めに投じられたチェンジアップ。うっ、と香田は体勢を崩しかける。それでもヘッドを残し、はらうようにスイングした。

 パシッ、と快音が響く。打球はレフト横井の頭上を襲う大飛球。

「れ、レフト!」

 倉橋の指示の声よりも先に、横井は背走し始めていた。やがて背中がフェンスに着くと、目一杯グラブを伸ばしジャンプする。

 横井は背中をフェンスにぶつけながら、伸ばしたグラブの先で辛うじて捕球した。

「と、とった……」

 三塁塁審がそれを確認して、右手を突き上げ「アウト!」とコールする。

 松川は、ホッと安堵の吐息をついた。谷口が「ナイスプレーよ横井!」と声を掛ける。辛うじて一失点で切り抜けた墨高ナインは、足取り軽くベンチへと引き上げていく。

 

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公平に見て、町田ゼルビアは強い!



 BS1で放送された町田ゼルビアvs鹿島アントラーズの試合を観戦したが、好き嫌いはあるにしても、やはり“町田のサッカーは認められなければならない”と強く思った。

 

 公平に見て、町田ゼルビアは強い!

 

 球際の強さばかりがクローズアップされるようだが、それ以上に目を引いたのは、ポジショニングの良さである。

 

 例えば鹿島が自陣でボールを回しながら縦パスを入れる機会を伺っても、危険なコースはすべて埋めているため出し所がない。そのため、無理めな縦パスを入れて回収されたり、あるいは横パスがずれた所を狙われてパスカットされ、一気にカウンターされたりといったシーンが散見された。危険なコースをすべて埋めているから、あれだけ思い切って球際で強く行けるということも言えると思う。

 

 またチャンス時にも、無駄につなぐのではなく、数本のパス交換のみ、あるいは単独のドリブル突破で、必ずシュートまで持っていくという意識が感じられた。つなぐことを目的とするのではなく、ゴールから逆算して、どんなプレーをするのが効果的なのか、その判断が良い。得点こそ1点のみだったが、2,3点差付いてもおかしくない内容だった。

 

 もちろん課題がないわけではない。数多くあったチャンスで追加点を取れなかったのは、展開次第では響いてくるし、最後の決め切るという部分での精度はもう少し欲しいところだ。また、先制を許した場合にどこまで対応できるかも未知数である。

 

 ただ町田は、間違いなく“勝利から逆算された”素晴らしいサッカーをしている。それは間違いない。優勝争いできるかどうか考えるのは早計だが、秋頃に町田が上位に食い込んでいたとしても、私は驚かない。

 

阪神・岡田彰布監督と対照的な、サッカー日本代表・森保一監督とJFAの”軋轢を避けようとする”態度

 

 

1.注目すべき阪神岡田彰布監督の“軋轢を恐れない姿勢”

 

 昨年、阪神タイガースを38年ぶりの日本一へと導いた岡田彰布監督の著書『そら、そうよ』を読んだ。

 

一読しただけで、岡田監督が優秀な指導者・指揮官であることが伺えた。コーチ陣や裏方スタッフ、フロントの在り方といったプロ野球に関わる事項、それも細部に至るまで、全て岡田監督なりの哲学や方法論があることが伝わってきた。

 

 これだけでも岡田監督が優秀な指導者であることを裏書きするものだが、さらに注目すべきは、岡田監督が一貫して周囲との“軋轢を恐れない姿勢”を取り続けている点である。

 

 著書の中では、選手達の様子をよく観察しようとしていないコーチを叱責したり、旧知の仲であることから自分が依頼して入閣させたものの、結果の出なかったコーチを解任したりといったエピソードが書かれていた。

 

 もちろん岡田監督とて、不要な波風を立てようとは思わないだろう。しかし厳しい勝負の世界で勝ち残るためには、非情にならざるを得ない場面も出てくる。

 

 断っておくが、岡田監督が全て正しいと言いたいのではない。岡田監督に限らず、故野村克也氏や落合博満氏を始め名将”と言われる監督であっても、どうしてもソリが合わずに冷や飯を食わされた選手やコーチも少なくない(ちなみに『そら、そうよ』の中では、野村監督や落合監督のことを批判的な文脈で書いている部分がある)。

 

 とはいえ毀誉褒貶はあるにせよ、岡田監督や野村監督、落合監督らが突出した戦績を残し、故に“名将”だと多くの人に呼ばれていることは事実。いや、上記の名将達を「嫌っている」人も少なくないということ自体が、軋轢を恐れていてはチームを勝利に導くことはできないということの物語っていると言える。

 

2.“いい人”森保一監督では、代表チームを勝たせられない現実

 

 翻って、サッカー日本代表はどうか。

 森保一監督が、例えば選手やコーチ陣の反対意見を押し切って、自らの戦術なり戦略なりをチームに植え付けたというエピソードを耳にした方はおられるだろうか。

 

 おそらくいないはずである。むしろ聞こえてくるのは、徹底的に“軋轢を避けようとする”エピソードばかりではないだろうか。

 

 「海外で名監督に教えられている選手達には(戦術を)教えられない」と言って、チームの基本的な約束事さえ作らず選手達を混乱させ、敗れれば「個の力が足りなかった」と言い逃れをする。

 

 公平に見て、チームを率いる指揮官としての責任放棄にしか見えない。たとえ海外の名監督達と比べて力量は劣るにしても、「代表監督は俺だから、俺の決めた約束事には従ってもらう。その上で、君達の意見があれば聞かせてくれ」――せめてこれぐらい言うのが、代表監督の責任というものだろう。

 

 森保監督は“いい人”なのだろうし、サッカー関係者の中で森保監督を嫌う人もあまり聞いたことがない。

 

 しかし、そんな“いい人”に5年間も代表監督を任せた結果がどうなったか。

 W杯ではドイツとスペインを破ったインパクトに霞んでしまったものの、結局目標のベスト8は達成していない。五輪代表は、本来であればアジア予選敗退だったし、目標の金メダルはおろか銅メダルにも手が届かなかった。就任直後のアジア杯では、決勝でカタールに惨敗した。そしてトドメが、此度のアジア杯準々決勝敗退である。

 

 繰り返すが、森保監督に見られるのは徹底して“軋轢を避けようとする”態度ばかりである。言い換えれば、軋轢を起こしてまで押し通したい自らの哲学・信念がないことの裏返しではないだろうか。

 

3.ハリルホジッチ解任がJFAに残した“禍根”

 

 そして軋轢を避けようとするのは森保監督だけでなく、JFA(日本サッカー協会)の態度でもある。

 

 18年ロシアW杯直前、JFAは“やたらと揉め事を起こしがちな”ハリルホジッチ監督を解任した結果、本大会で16強入りと望外の躍進を果たした。そのことが、JFAに現在までつながる禍根を残したのである。

 

 個人的には、ハリルホジッチ監督のやろうとしていたサッカーは日本人選手に合わなかったと思うし、選手達からもどこか投げやりな空気が漂っていたため、あの時点での解任は妥当だったと思う。ただ、その理由が良くなかった。

 

 JFAは「コミュニケーションが多少不足している」などと、曖昧な解任理由を述べた。これまた軋轢を避けようとする態度の表れだ。本当は、「ハリルホジッチのやりたいサッカーと日本サッカーは合わないので、選手達が力を発揮できない」と、はっきり堂々と述べれば良かったのだ。

 

 ハリルホジッチ解任後、JFAの“軋轢を避けようとする”態度は、より鮮明になった。だから“戦術がない”と選手達からも不満が漏れ、アジア杯で惨敗した森保監督を「いい人だから」、もっと露骨に言えば「揉め事を起こさないから」という理由で続投する。

 このままいけば、代表チームは空中分解を起こすだろう。ひょっとしたらW杯予選通過も危うい事態になるかもしれない。

 だが、この危機的状況を止める手段は、もはやないに等しい。

 

 なぜ勝利を得ようとする時、軋轢を避けてはいけないのか。

 それは、勝つためにはチームを一つにまとめなければならないからだ。十人いれば十人とも考え方も行動も違う人間の集合体であるチームを、である。

 

 当然そこには意見の相違もあるし、お互いに妥協したり、あるいは激しくぶつかり合う場面も出てくるだろう。また、立場によっては不利益を被る者がいてもおかしくないし、それによって不平不満の声が出てきても不思議ではない。

 

 それでもチームを勝たせるため、軋轢に立ち向かい、軋轢を乗り越えることでチームを一つにまとめ上げようとする覚悟と信念が、チームを率いる指揮官には不可欠なのだ。

 

 勝てない日本サッカーの現状を、阪神岡田監督が見たら、何と言うか。きっと「そら、そうよ」と一言で切り捨てて終わりだろう。

 

【野球小説】続・プレイボール<第74話「強力!聖明館打線の巻」>――ちばあきお『プレイボール』二次小説

 

 

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【目次】

  • 【前話へのリンク】
  • <外伝> 
  •  第74話 強力!聖明館打線の巻
    • 1.聖明館監督の素性
    • 2.松川対聖明館打線
    • <次話へのリンク>
      • ※感想掲示
      • 【各話へのリンク】

  

 

【前話へのリンク】

stand16.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

<外伝> 

stand16.hatenablog.com

 

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 第74話 強力!聖明館打線の巻

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1.聖明館監督の素性

 

 夕闇の差し込める甲子園球場

一塁側、墨高ナインは荷物を置いて、キャッチボールを始めようベンチを出る。その時、ちょうどアルプススタンドの銀傘の照明灯が点灯したところだった。

「ひゃあ。これが甲子園名物、カクテル光線かあ」

 丸井がはしゃぐように言った。

「テレビでは見たことあるが、生で見るのは初めてだな」

 傍らで、鈴木が「うむ」とうなずく。

「カンゲキしちゃうね。こうして甲子園に出たかいがあったってもんだぜ」

 二人だけでなく、多くのナインが甲子園球場の光景を感慨深げに眺める。

「おい、おめーら」

 正捕手倉橋が、冷静にナイン達をたしなめる。

「見とれるのはいいが、守備位置に着いたら照明とボールがかぶらないように、よくよく気をつけるんだぞ。なにせ日が暮れた後に試合するのは初めてだからな」

 はいっ、とナイン達は快活に返事した。

「返事はいいんだがなあ。って、おい谷口」

 倉橋は傍らで、うつむき加減になり物思いに耽っている様子の谷口に気付く。

「おまえまで、どしたい」

「あ。すまん」

 声を掛けられて、谷口は苦笑いした。

「なんだい。まだ相手打線のことを考えてるのか」

 キャプテンは「ああ」と、素直に認める。

「これまでに当たったチームは、打力で圧倒したり守りで勝ったりと特徴がはっきりしてたんだが、どうもこの聖明館というチームは、つかみどころがなくてな」

 うむ、と倉橋は相槌を打つ。谷口は話を続けた。

「半田の調べによると、予選は決勝まですべて七点以上取って勝ってきたそうだが、甲子園での二試合はロースコアをモノにしてる」

「やはり、よく分からない相手ということか」

「ああ。だから、試合展開もよく読めなくてな」

 渋面になるキャプテン。その背中を、正捕手がポンと叩く。

「まあまあ谷口。この期に及んで、あまり深く考えるのはよそうぜ」

 倉橋は微笑んで告げる。えっ、谷口は目を見上げた。

「考えてみろよ谷口。うちはこれまで、どんな苦しい展開になっても、すべてひっくり返してここまできたじゃねえか」

 む、と谷口はうなずく。

「言われてみれば、そのとおりだな」

「だろう? たとえ予想外の展開になっても、それに動じることなくはね返すだけの力が、今のうちにはあると思うぜ」

 フフと笑みを浮かべ、倉橋は言った。

「おまえが作り上げてきたこのチームの力を、もっと信じようじゃないか」

「うむ、そうするよ。ありがとう倉橋」

 谷口の表情が、ようやく和らぐ。

 やがて墨高ナインはキャッチボールを終え、ベンチへと戻る。谷口はグラブを置き、ナイン達に声を掛けた。

「試合開始までもう少し時間がある。それまで各自ストレッチなり、素振りなりして過ごすんだ。ぼやっとしてるヒマはないぞ」

 その傍らで、丸井がふいに腕組みし「うーむ」と、考え込む仕草をした。

「どうした丸井?」

 谷口が問うてみると、丸井は顔を上げて答える。

「キャプテンも気になりませんか」

「なにがだ?」

「相手の監督ですよ」

 ああ、と谷口はうなずく。

「おれもこの前、テレビで見た時から、よく似てるとは思ってたんだが」

 二人の視線の先には、三塁側ベンチ奥で腕組みする、サングラスを掛けた初老の人物の姿があった。その風貌は、まるで……

「でしょう?」

 丸井は勢い込んで言った。

「あの人、青葉の部長じゃありませんか」

「いや。似てるだけで、さすがに別人だとは思うが」

「おれもちがうと思いますけどね」

 横からイガラシが口を挟む。

「青葉の部長が替わったなんて話は聞きませんし。もしそうなら、きっとニュースになってますよ」

 む、と谷口はうなずく。

「まあ丸井がそう言いたくなるのも分かる。たしかによく似てるな」

 その時だった。

「失礼。墨谷高校のキャプテンはいるかね?」

 アンパイアがベンチ手前で声を掛けてくる。谷口は「はい」と返事した。

「メンバー表の交換を行うので、ホームベース前に来なさい」

「分かりました」

 谷口はメンバー表を手にベンチを出る。するとホームベース前には、何と青葉学院中学野球部部長とよく似た人物、聖明館監督その人が立っていた。

(ほんとによく似てるな)

 戸惑いながらメンバー表を交換し、握手を交わす。

「よろしくお願いします」

 ぺこっと一礼すると、相手はふいに微笑んだ。

「きみが谷口君か」

 谷口は驚いて顔を上げる。

「ぼくのこと、ご存知なのですか?」

「うむ。兄がきみのことを、よく話してたからね」

「お兄さんというのは、もしかして」

 聖明館監督は「ご明察」と、おどけたふうに言った。

「私の兄は、きみが中学時代に戦った、青葉学院の部長だよ」

 どうりで似てるわけだ、と谷口は胸の内につぶやく。相手は話を続けた。

「きみ達が、あの谷原を下して甲子園に来ると聞いて、こうして手合わせできるのを楽しみにしてたんだよ。実現できてよかった」

「はい、ありがとうございます」

「む。それじゃあ今日は、お互いにベストを尽くそう」

 それだけ言葉を交わし、青葉学院部長の弟こと聖明館監督は踵を返す。谷口もベンチへと足を向ける。

 

 

「なるほど、兄弟だったんスね」

 一塁側ベンチ。丸井が目を丸くして言った。

「しかし世間ってやつは、せまいですね。こんなところでつながるとは」

 すでに墨高ナインは、倉橋と松川を残しベンチに帰ってきていた。そのバッテリー二人はライトスタンド側のブルペンにて、投球練習を続けている。

「しかし、おれ達の旧敵とつながる人物と戦うってのは、ちとやりづれえな」

 加藤が浮かない顔でこぼした。丸井は「なにを」とムキになったふうに言い返す。

「それがどしたい。いいトコ見せてやろうぜ!」

「丸井、加藤。聖明館の監督のことは、もうそれぐらいでいいだろう」

 谷口はたしなめるように言った。

「それより、相手がどんな野球をしてくるのかということの方が、大事だ。こっちは向こうの特徴を、まだ完全にはつかみきれてないのでな」

 その時「キャプテン」と、イガラシが話しかけてくる。

「向こうの打線のことですが。ひょっとして、初戦でぶつかった城田が、試合によって店の取り方がバラバラだったのと、同じじゃないでしょうか」

 ああ、と谷口はうなずく。

「聖明館にとって初戦と二戦目は、相手投手との相性があまり良くなかったってことか」

「ええ。たしか二戦とも、変化球主体の軟投派タイプでしたよね。松川さんとは真逆の」

 渋面を浮かべる後輩の言葉を、キャプテンは「うむ」と首肯する。

「おまえの言いたいことは分かる。じつはおれも、そのことを恐れているんだ」

 なるほど、とイガラシは真顔で相槌を打つ。

「それで片瀬にも、登板の準備をさせたんスね」

 やがてブルペンより、倉橋と松川のバッテリーが引き上げてきた。そしてナイン達は、いつものようにキャプテン谷口を中心に円陣を組む。

「今日は予想外の展開になるかもしれない」

 開口一番、谷口はそう告げる。

「ここ二戦、相手はどちらかというと守り勝ったようだが、優勝候補に挙げられるようなチームだ。きっとまだ見せていない力があるぞ」

 キャプテンの言葉に、墨高ナインは緊張感を漂わせる。

「ただ、かといって特別なことをする必要はない」

 表情を柔らかくして、谷口は話を続けた。

「甲子園での戦いは、まず情報を集めることだ。そのためにも序盤の攻撃では、なるべくねばって相手投手に球数を投げさせよう。そして攻りゃくの糸口を見つけたら、一気にたたく。そういうイメージを持っていこう。いいな!」

 ナイン達は「オウッ」と、快活に返事した。

 

 

 聖明館ナインの陣取る三塁側ベンチ。正捕手兼キャプテンの香田(こうだ)は、捕手用プロテクターを外しながら、フフと笑みを浮かべた。

「向こうの先発は、速球派の松川か。やっとうちの得意なタイプがきたぜ」

 傍らで「そうだな」と、センターを守る鵜飼(うがい)がうなずく。二人の上背は、長身揃いの聖明館ナインの中でも抜きんでており、かつ両者ともがっしりした体躯をしている。

「今日こそ大量点を取って、ラクに投げさせてやるからな。福井(ふくい)」

 香田は後列のベンチを振り向き、左端に腰掛けるエース福井に声を掛けた。福井はぼんやりしたような目を向け、少し間を置いてから、「なにが?」と問い返す。あら、と香田はずっこける。

「やれやれ」

 ふいに後列のさらに奥より、聖明館監督が仁王立ちになり、呆れ声を発した。途端、ベンチ内の空気が張り詰める。

「そんな心がけだから、何度も同じタイプの投手を打ちあぐねるのだぞ」

 香田が「ど、どうも」と返事した以外、他のメンバーは押し黙っていた。監督はぎろっと全員を見回し、さらに付け加える。

「よしんば前の試合より得点できたとしても、それ以上に点を取られることもある。甲子園で簡単に勝てる試合など一つもないと、心してかかれ。いいな!」

 聖明館ナインは「はいっ」と声を揃えて返事した。

 

 

2.松川対聖明館打線

 

 夕空に星が瞬き始める。

 すでに墨高と聖明館の両軍ナインは、それぞれベンチ前に整列していた。ほどなくバックネット下の扉が開かれ、四人の審判団が入ってくる。

 アンパイアが、右手を上げ「集合!」とコールした。そして双方の選手達が一斉に駆け出し、ホームベースを挟んで整列する。

「これより墨谷対聖明館の試合を、聖明館の先行で始めます。一同礼!」

「オネガイシマス!!」

 挨拶が済むと、墨高ナインは素早く守備位置へと散っていく。

 野手陣が内外野別にボール回しを行う。その中央のマウンド上にて、先発の松川が倉橋を相手に投球練習を始めた。セットポジションから一球、二球と全力で速球を投げ込んでいく。投球の度、倉橋のミットがズバンと迫力ある音を鳴らす。

 右打席の白線の外側で、聖明館の一番打者が「へえ」と笑い、うそぶく。

「けっこう速いじゃねえの」

 倉橋は素知らぬ顔をして、規定の七球を受け終え、二塁ベース上の丸井へ送球した。

(言ってくれるじゃねえの。これぐらいのスピードは見慣れてるってか)

 ほどなく一番打者が打席に入り、バットを構える。そしてアンパイアが「プレイ!」と試合開始を告げた。同時に甲子園名物のサイレンが鳴り響く。

(ほお。これまた、バットを長く持っちゃって)

 横目で打者を観察しながら、倉橋は思案を巡らせる。

(この甘井というバッター、あまり打率は高くないが、二試合とも長打を打ってるって話だったよな)

 ミットを外角低めに構え、サインを出す。

(まず、ここで様子を見ようか)

 松川はうなずき、今度はワインドアップモーションから、第一球を投じた。左足を踏み込み、グラブを突き出し、右腕を振り下ろす。

 外角低めの速球を、甘井は強振した。空振りしたものの、ビュッと風を切る音がする。

(トップバッターらしからぬ、完全に長打しかねらってないスイングだな)

 二球目、倉橋はさらに外側にミットをずらす。

(つぎもコレよ)

 サインにうなずき、松川は投球動作を始めた。次も速球。

 甘井は左足を踏み込み、またも強振した。今度はパシッと快音が鳴る。

「なにっ」

 倉橋はマスクを脱ぎ立ち上がる。ライナー性の打球がライト線に飛んだ。しかしポールの数メートル手前でスライスし、一塁側スタンドに飛び込む。ファール。

(あぶねえ。ボール一個分はずしといて、助かったぜ)

 両手を挙げ「外野!」と合図する。正捕手の指示に従い、横井、島田、久保の外野手三人は数メートル後退して、フェンス近くに守備位置を取る。

(ただコースにはとんちゃくしないタイプらしいぞ)

 マスクを被り直して屈み、次のサインを出す。

松川はうなずき、三球目を投じた。今度はシュート。ボールは、ホームベースのさらに外へ逃げていく。

「くっ」

 甘井は上体を泳がせながらも辛うじてヘッドを残し、はらうようにスイングした。またも快音が響く。鋭い打球がライト久保の頭上を襲う。

「ライト!」

 倉橋が指示の声を飛ばすより先に、ライト久保が全速力で背走する。松川は「しまった」と顔を歪めた。一方の聖明館ナインは、オオッとベンチから身を乗り出す。

 しかしフェンスの数メートル手前で、久保が左手を伸ばしジャンプした。そのグラブのポケットに、ボールは収まる。

 フウ、と松川は安堵の吐息をつく。

(あぶねえ。あのバッター大振りなわりに、なかなかいいバットコントロールしてるじゃねえかよ)

 倉橋は苦笑いして、再びホームベース手前に屈み、次の打者を待つ。

 

 

「また、むぞうさに打ちおって」

 三塁側ベンチ。聖明館監督はベンチ奥に立ち、戻ってきた甘井を叱り付ける。

「向こうのバッテリーが、外角で誘ってきてたことぐらい、分からなかったのか」

 甘井は「スミマセン」と肩をすくめ、ヘルメットを戻しベンチに腰掛けた。

「小松!」

 ネクストバッターズサークルの次打者に、監督は声を掛ける。

「コースをよく見きわめるんだ。それができなきゃ、打ちあぐねた前の二試合の繰り返しだぞ」

「は、はいっ」

 二番打者の小松は短く返事して、小走りに打席へと向かった。監督は「うーむ」と腕組みして思案する。

(墨谷は前の二戦、いずれも終盤に試合をひっくり返してる。接戦になった場合、うちは分が悪いだろう。あの谷口というキャプテン、さすがかつて兄さんを苦しめた男だ)

 サングラス越しに、グラウンド上へ鋭い眼差しを送る。

(やつらを下すには、こっちのペースで試合を進めることだ。そのためにも先制せねば)

 二番打者小松が、左打席に入った。こちらもバットを長く持つ。その長身に、キャッチャー倉橋は目を丸くする。

(これまた二番バッターとは思えない上背(うわぜい)のやつだな。こいつも長打ねらいの構えか)

 倉橋は束の間思案して、マウンド上の松川へサインを出す。

(いっちょおどかしてやれ)

 松川はうなずき投球動作へと移る。ワインドアップモーションから、速球を内角高めに投じた。小松のバットが回る。

 カキッと快音が響いた。鋭いライナーが松川の頬をかすめ、二塁ベース左へ飛ぶ。

「くっ」

 ショートイガラシが横っ飛びした。そのグラブのポケットに、ボールが収まる。

「アウト!」

 二塁塁審のコール。聖明館応援団の三塁側スタンドから「ああ」と落胆の溜息が漏れる。

「うーむ、やるな」

 倉橋は立ち上がり、腰に手を当ててつぶやく。

「厳しくインコースを突いたってのに、とっさに肘をたたんで、ああも簡単にセンター方向へ打ち返すとは。見事なバットコントロールだぜ」

 その眼前では、小松がこちらを睨みながら、悔しげに引き上げていく。ベンチの聖明館ナインは「おしいおしい」と声を掛ける。

(にしても、どういうこったい)

 正捕手は渋面になる。

(これだけ力量のある打線が、一、二回戦では沈黙させられたなんて……)

 しばし考え、倉橋はあることに思い至った。「そ、そうか」とつぶやきが漏れる。

(やつら軟投派投手は苦手だが、松川のような速球派タイプには、めっぽう強いんだ!)

 そして「なるほど」と、サードの谷口を見やる。

(だから谷口のやつ、変則投手の片瀬にも準備させてたのか)

 その片瀬は控え捕手の根岸相手に、ライト側ラッキーゾーンにてキャッチボールを始めている。

(しかしいくらなんでも、こんな早いタイミングでスイッチするわけにはいかん)

 マスクを被り直し、倉橋はホームページ手前に屈む。

(ここはどうあっても、松川にふんばってもらわにゃ)

 そして三番打者の香田が、ゆっくりと右打席に入ってきた。やはり長くバットを持つ。

(とび抜けて大柄なバッターだな。たしか半田のメモじゃ、今大会ヒットは二本しか打っていないものの、そのうちの一本があわやホームランの二塁打か)

 束の間思案の後、倉橋は(まずコレよ)とサインを出す。

(ストレートが好きな打線に、なにもバカ正直に挑むことはあるめえ)

 松川はサインにうなずき、初球を投じた。外角低めいっぱいに、落差のあるカーブが決まる。「ストライク!」とアンパイアのコール。香田はぴくりとも動かず。

(思ったとおり、緩いタマには見向きもしねえな)

 返球しつつ、倉橋は打者を観察する。そして屈み込み次のサインを出す。

(つぎもコレよ)

 二球目。またも外角低めいっぱいのカーブ。やはり香田は手を出さず。アンパイアが「ストライク、ツー!」とコールする。

(よし、おいこんだぞ。つぎは……)

 倉橋がサインを出そうとした時、三塁側ベンチより「香田!」と、聖明館監督が声を発した。

「頭を使え。ただ速球を待つだけじゃ、やられるぞ」

 香田はヘルメットのつばを摘まみ「はいっ」と返事する。ちぇっ、と倉橋は舌打ちした。

(さすが優勝候補チームを率いる監督さんだ。的確な指示をしやがる。だがそれに揺さぶられると思うなよ)

 正捕手は「つぎもコレよ」と、迷わずサインを出す。

 松川はうなずき、すぐさま投球動作へと移る。そして三球目が投じられた。またも外角低めのカーブ。

 香田は、はらうようにバットを出した。ガッと鈍い音。打球は一塁側ベンチ方向へ転がっていく。

(うーむ、カットしてきたか)

 倉橋は苦笑いして、と次のサインを出す。

(だったらコレで)

 サードのポジションにて、キャプテン谷口は「いいぞ松川!」と声を掛けつつ、バッテリーと相手打者との駆け引きを見守っていた。

(思ったとおり、向こうは松川のような速球派投手が得意らしい。だからって序盤から好きに打たせるわけにはいかない。たのむぞ倉橋、おまえのリードにかかってるんだ)

 谷口の視線の先で、マウンド上の松川が投球動作へと移る。そしてワインドアップモーションから四球目を投じた。シュッと風を切る音。

「うっ」

 スピードを殺したボールが、ホームベース手前ですうっと沈む。内角低めのチェンジアップ。上体を崩しかけるが、それでもバットのヘッドを残し、ボールを弾き返す。

 パシッ。ライナー性の打球が三塁線を襲う。谷口がジャンプするが届かず。

「れ、レフト!」

 倉橋がマスクを脱ぎ、指示の声を飛ばす。しかし打球は白線の数メートル外側で弾んだ。

「ファール!」

 三塁塁審が両腕を一塁側スタンド方向へかざす。

「ふーっ、あぶねえ」

 すでに一塁へ走り出していた香田は、苦笑いしつつ打席に戻ってくる。

(そりゃこっちのセリフだぜ)

 倉橋は立ち上がり、胸の内につぶやく。

(こりゃ、ただ遅いタマを投げりゃいいってわけじゃなさそうだ)

 眼前の野手陣を見回し、正捕手は声を上げた。

「いくぞバック!」

 オウヨッ、と野手陣は応える。

 マスクを被り直し、倉橋は「つぎはココよ」と四球目のサインを出す。む、と松川はうなずき、投球動作へと移る。

 倉橋の構える外角低めのコース目がけて、速球が投じられた。香田のバットが回る。

パシッと快音が響いた。地を這うような速いゴロが一塁線を襲う。ファースト加藤が懸命に飛び付くが、そのミットの下を打球がすり抜ける。

「フェア!」

 一塁塁審が白線内を指差しコールする。打球はスライスしてライトのファールグラウンドへ転がっていく。

「くそっ」

 ライト久保が回り込んで捕球する。その間、香田は一塁ベースを蹴って二塁へと向かう。

「へいっ」

 中継に入った丸井が合図する。久保は素早く送球するが、丸井がボールを受けた時、香田は二塁に足から滑り込んでいた。ツーベースヒット。

 マウンド上。松川は「やられた」と、唇を噛む。すかさずサードより谷口が声を掛ける。

「ドンマイよ松川。コースはよかったぞ」

「は、はい」

 ホームベース手前で、倉橋は「まいったな」と吐息混じりにつぶやいた。

「松川の重い低めの速球を、流し打って二塁打にするとは。なんてパワーだ」

 ツーアウト二塁となり、聖明館の四番鵜飼が右打席に入ってきた。黒縁眼鏡の奥に、鋭い眼光がのぞく。

(こいつも三番とそう変わらない体つきをしてやがる。うでなんて、まるで丸太だぜ)

 倉橋が屈み込むと、再び聖明館監督が「鵜飼!」と指示の声を飛ばす。

「分かってるな。ねらいダマをしぼるんだぞ」

 鵜飼は「はいっ」と返事して、バットを構えた。その傍らで、倉橋は渋面になる。

(さて、どう攻めようか。これまでの三人のバッティングを見たかぎり、どうやら全員が速球に強いようだな。かといって緩いタマを続けると、ヤマをはられるし……)

 しばし思案の後、倉橋はサインを出し、ミットを外角低めに構える。

(まずシュートで様子を見よう)

 む、と松川はうなずき、セットポジションから投球動作へと移る。左足を踏み込み、右腕を振り下ろす。

 外角低めに投じられたボールは、ククッと曲がりさらに外へ逃げていく。鵜飼のバットが回った。ガッと鈍い音。打球は一塁側ファールグラウンドに転がる。

「いけね。つい手が出ちまった」

 打者は一旦打席を外し、数回スイングする。

(ほんとなんでも振ってくるチームだぜ。よほどバットコントロールに自信があるんだな)

 倉橋は胸の内につぶやく。ほどなく、鵜飼が「どうも」と言って打席に戻る。

 二球目。「つぎはコレで」とサインを出す。松川はうなずくと、少し間を置いてから、投球動作を始めた。

 外角低めのチェンジアップ。しかし鵜飼は上体を崩さす、バットをおっつけるようにしてスイングした。パシッと快音が響く。痛烈な打球がワンバウンドして、一・二塁間を抜けていく。

 ライト久保がシングルハンドで捕球した。

「へいっ」

 中継に入った丸井が、グラブの左手を挙げて合図する。そして久保からの送球を受け、素早い動作でバックホームした。

「ストップ、ストップ!」

二塁ランナー香田が三塁を回りかけるも、コーチャーに制止され慌てて帰塁した。その眼前で、丸井の正確な送球が倉橋の構えるミットに吸い込まれる。

「ちぇっ。守備はきたえられてやがる」

 香田は悔しげにつぶやく。

(く、最後はヤマをはられたな)

 ホームベース前で、倉橋はフウと息を吐いた。

(打球が速くてたすかったぜ。しかしこんな調子じゃ、もたねえぞ……)

 ツーアウト一・三塁。ここでサード谷口が「タイム」と塁審に合図し、マウンドに駆け寄った。さらにキャッチャー倉橋、他の内野陣も集まってくる。

「だいぶ手こずってるようだな」

 谷口の一言に、倉橋は「ああ」とうなずく。

「見てのとおり、やつら速球にはめっぽう強いし、変化球にもくらいついてくる。正直、打つテがなくなっちまってよ」

「む。ただヤマをはられた四番をのぞいて、ほかのバッターは変化球に体勢をくずしていたじゃないか」

 あっ、と倉橋が声を上げる。谷口は話を続けた。

「だったら、このさい変化球を打たせよう。バックを信じてな」

 キャプテンの一言に、正捕手も「うむ」と決心を固める。

「分かった。打たせるよ」

 傍らで、丸井が「まかせてください!」と朗らかに笑う。

「松川もいいな」

 谷口はやや表情の硬い二年生投手にも声を掛けた。

「もう聖明館がおまえに相性がいいというのは、気づいてるだろうが、ひるむんじゃないぞ。向こうがその気だからって、実際に打てるとはかぎらんからな」

 ええ、と松川は返事する。

「ここをおさえて、そうそう思いどおりにはならないってこと、やつらに分からせてやりますよ」

「そうだ、その意気だ!」

 谷口はそう言って、右手を軽く突き上げた。

 ほどなくタイムが解け、墨高内野陣は守備位置へと戻る。松川はマウンドにて、ロージンバックに右手を馴染ませた。倉橋はマスクを被り、ホームベース奥に屈む。

 そして聖明館の五番打者が、左打席に入ってきた。

「高岸!」

 再び三塁側ベンチより、相手監督が指示の声を飛ばす。

「分かってるな。ここは振り回さず、かく実にミートすることだぞ」

 はいっ、と高岸という打者は返事した。

(こいつは三、四番に比べると上背はないが、やはりいい体してるぜ)

 倉橋は横目で打者を観察する。

(当たれば飛びそうだが、前の四人に比べバットコントロールはどんなものか)

 しばし思案の後、倉橋はサインを出す。

(ちとコレで探ってみるか)

 松川はうなずき、セットポジションからすぐに投球動作を始めた。その指先からボールが放たれた瞬間、倉橋は「うっ」と顔を歪める。

 外角低めを要求したチェンジアップが、真ん中に入ってしまう。高岸のバットが回る。パシッと快音が響く。

「ライト!」

 マスクを脱ぎ、倉橋が叫ぶ。

大飛球がライトポール際を襲う。久保は全速力で背走するも、やがてフェンスに背中が付いてしまい、打球を見送るしかなくなる。

「ふぁ、ファール!」

 三塁塁審が両手を三塁側スタンド方向へ掲げコールする。打球は、ポール際で僅かに切れていた。

「すいません」

 マウンド上で、松川が帽子を脱ぎぺこっと頭を下げる。

「どしたい松川。もちっと肩の力を抜くんだ」

 後輩をリラックスさせようと、倉橋は自分の肩を上下する動きをした。二年生投手はそれを真似て、スーハーと深呼吸する。

「こら高岸! 振り回すなと言ったろう」

 監督に叱責され、高岸は「は、はい」と神妙な表情になる。そしてバットを短めに握り直す。

(ナリに似合わず素直だこと)

 感心しつつ、倉橋は次のサインを出した。

(打ち気にはやりやすいのなら、これで誘ってみるか)

 松川はサインにうなずき、そして第二球を投じた。真ん中高めに大きく外した速球。それでも高岸のバットが回る。パシッ、と快音が響く。

 今度はセンター島田の頭上を大飛球が襲う。

「センター!」

 倉橋の指示の声よりも先に、島田は背走し始めた。しかしこちらも、すぐに背中がフェンスに付いてしまう。それでも片足立ちになり、懸命にグラブの左手を伸ばす。

「くっ」

 そのグラブの先に、ボールが収まる。

「アウト!」

 二塁塁審のコールと同時に、聖明館応援団の三塁側スタンドから「ああ……」と落胆の溜息が聞かれる。

「ナイスプレーよ島田!」

 キャプテン谷口の掛け声を合図とするかのように、墨高ナインは一斉にベンチへと引き上げていく。

 やれやれ、と倉橋はホームベース前で安堵の吐息をつく。

(いくら速球が好きだからって、高めのボール球をあそこまで飛ばすとは)

 それからマウンドを降りてきた二年生投手に「よく投げたぞ松川」と一声掛け、バッテリー揃って他のナイン達の後に続く。

「くそっ。あと少しだったってのに」

 聖明館ナインの陣取る三塁側ベンチ。大飛球を好プレーに阻まれた高岸が、悔しげに引き上げてくる。

「切りかえろ高岸」

 監督に声を掛けられ、高岸は「は、はい」と返事する。

「おまえ達もだぞ」

 さらに全員を見回し、監督は言葉を重ねる。

「これで分かったろう、墨谷はとてもねばり強いチームだ。やつらを倒すには、こっちがスキを見せないこと。そのためにも、まずこのウラをしっかり守り抜くんだ。いいな!」

 指揮官の檄に、聖明館ナインは「はいっ」と声を揃えた。

 

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町田ゼルビアのサッカーが正当に評価されないうちは、日本サッカーが強豪に登りつめることはない

 

1.町田ゼルビアへの論理的でない批判

 

 J1昇格を果たしたばかりの町田ゼルビアのサッカーが、一部サッカー関係者及びファンから批判を浴びているらしい。

 

 私は鹿島アントラーズのファンではあるが、そこまでサッカーに詳しいわけではない。また、当該試合をYoutubeのハイライトでしか見ていないので、明確な分析ができるわけでもない。

 

 ただ、巷で散見される町田への批判には、どうしても違和感を覚えてしまう。

 

 まあ何度か見られた町田の荒いプレーが批判されるのは、自チームの選手が怪我するかもしれないので、分からなくはない。分からないのは、町田の「ロングスロー」や「時間稼ぎ」(?)まで、批判の対象にされていることだ。

 

 私は野球ファンでもあるが、サッカーにおいてロングスローや時間稼ぎを批判するのは、野球で言うと敬遠や送りバントを批判するのと同じだと思う。

 

 いや――町田のロングスローや時間稼ぎが“勝つために効果的ではない”という意見なら、まだ議論の余地がある。

 

 だが私の見聞きした限りでは、“卑怯”だとか“アンチフットボール”だとか、よく言えば美学的に、悪く言えば論理的でない文脈での批判が目立つ。

 ファンならまだいい。しかし、中には日本代表経験もある元選手までもが、町田のプレーに対し「ちゃんとサッカーしようよ」などと揶揄するような発言も見られた。

 

 こんな批判が「正論」として括られるうちは、日本サッカーが強豪の地位まで登りつめることはないだろう。

 

 

2.“きれいな絵を描くこと”に囚われがちなサッカーの落とし穴

 

 もちろん野球関係者やファンだって、送りバントや敬遠を批判することもある。

 だがその内容は、例えば「なぜチームの首位打者にバントさせたのか?」とか「なぜ今日当たっていない四番を敬遠して五番と勝負したのか」といった、要するに“その作戦が勝つために効果的だったのか”という文脈であって、作戦自体を否定することは少ない(高校野球松井秀喜の全打席敬遠が騒ぎになったこともあるが、それはもう昔の話)。

 

 ロングスローや時間稼ぎも、サッカーにおける作戦の一つであって、それ自体に良し悪しはないはずである。繰り返すが、本来は“勝つために効果的だったかどうか”という文脈で語られるべきではないか。

 

 なぜサッカーが「勝つための合理性」ではなく、論理的でない美学的な文脈に語られることが多いのかというと、一つ一つのプレーがほぼオートマティック化されている野球と比べ、サッカーは選手達の共通の絵を描くことによってプレーを作り出す、言うなれば創造的なスポーツだからだと思う。

 

 どうせ絵を描くなら、誰しもきれいな絵を描きたいと思うだろう。だから見栄えの良さを求めたくなるのだが、そこにサッカーというスポーツの落とし穴がある。

 

 きれいな絵を描こうとするのは悪いことではない。しかしサッカーも他のスポーツと同様、相手がいて初めて成立する。

 

 相手は自分達が絵を描こうとするのを邪魔してくるわけだから、そう簡単に理想の絵は描けない。あるいは、自分達にとっての理想の絵が、相手を倒すために最適なのかどうかは、また別問題である。

 

 ロングスローや時間稼ぎは、確かにきれいな絵ではないかもしれない。だがそれが“勝つために効果的”であるならば、それも一つの絵の描き方だとして認められなければならないはずだ。

 

 

3.「勝つための合理性」が足りない日本サッカー

 

 町田ゼルビアの件だけではない。日本サッカー界には、どうも「勝つための合理性」という考え方が足りないように感じる。

 

 もっと「勝つための合理性」を追求する世界なら、あれだけ海外で活躍する主力選手を多く抱えた代表チームをアジア杯準々決勝で敗退させた監督(しかも選手から戦術のなさに不満が多数挙がっている)を平然と続投させることはしないはずだし、野球における阪神岡田彰布監督やオリックス中嶋聡監督のような知将・名将といわれる日本人指導者が、サッカー界にもっと現れてもおかしくないはずだ。そう、それこそ黒田監督のような。

 

 町田のサッカーが認められないということは、日本サッカーでは依然として「勝つこと」よりも「見栄えの良さ」が重視される傾向があるということである。(しつこいようだが)野球に置き換えると、これは“ホームランかクリーンヒットでしか点を取っちゃいけない”と言っているのと同じだ。

 

 こんな調子じゃ、日本サッカーはいつまで経っても、強豪にまで登りつめることは到底できまい。