南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

ザッケローニの功績と、足りなかったもの——痛恨のブラジルW杯敗退から学ぶこと

 サッカー日本代表に関して、今回も“歴史に学ぶ”という事例を取り上げてみたい。

 日本代表の過去五度のW杯において、最もショッキングだった「敗戦」は、2014年ブラジル大会ではなかっただろうか。

 初出場だった1998年フランス大会は、アルゼンチン・クロアチア(この大会で3位)という強豪国に善戦したといって良い。また、2006年ドイツ大会は、指揮官のジーコが監督未経験だったというエクスキューズがあった。

 やはり前回のブラジル大会こそが、日本サッカーにとって言い訳の利かない、まさしく痛恨の敗退だった。

 選手のタレントは、過去最高といっても過言ではないだろう。本田圭佑(ACミラン)や香川真司マンチェスターU)、長友佑都インテル)らを筆頭に、欧州の強豪チームに所属する選手を複数擁していた。また指揮官のザッケローニも、かつてACミランを優勝させた実績のある指導者だった。

 さらに言えば、歴代の日本代表の中で、一番“見ていて面白いサッカー”をするチームだった。

 トップ下に本田圭佑を配し、その両サイドから香川真司岡崎慎司らがスピードに乗った突破を仕掛ける。後方では、ボランチ遠藤保仁がタクトを振るい、前線のアタッカー陣を自由自在に操る。

 印象に残る試合も少なくない。親善試合とはいえ韓国を30と圧倒したり、オランダ(22分け)やベルギー(32勝ち)相手に一歩も引かない好勝負を演じたり、敗れはしたがイタリア(34負け)をあと一歩というところまで追い詰めたりもした。

 そんなチームが、なぜ肝心なW杯本大会では結果を残せなかったのか。

 結論を出す前に、ザッケローニの“功績”を考えてみたい。簡単に言うと、日本代表がチームとして「できることを増やした」ということではないだろうか。

 南アフリカ大会のチームには見られなかった、明確な「攻撃の形」。そして、その形は上手くはまりさえすれば、世界の強豪相手にも得点できるということを証明できた。これは確かだと思う。

 しかし……できることが増えた時の、落とし穴がある。

 野球に例えれば、分かりやすいだろうか。ザッケローニは、それまでストレートが130キロ台・変化球もカーブしか投げられなかった投手を、140キロ台に球速を上げ、変化球の球種も増やした“名コーチ”のようなものだ。

 だが、名コーチと名監督は、必ずしも一致しない。いくら球が速くなったからといって、調子に乗ってストレートに強い打者相手にそれを放れば、どうなるか。痛打されるに決まっている。他の球種も然りである。

 サッカーも同じだと思うのだ。選択肢が増えたのなら、なおさら頭を使って、状況・相手によって戦い方を使い分ける。

 当時、よく「(岡田監督時代の)守備的なサッカー」か、「(ザッケローニ監督の下で作ってきた)攻撃的なサッカー」か、という二者択一で選手達は語っていたが、“どっちを選ぶか”という発想しか取れなかった時点で、あのチームの敗北は決まっていたように思う。

 守備的か・攻撃的なという二元論ではなく、「守備的なサッカーに“加えて”、攻撃的なサッカーもできるようになった」——こういう捉え方をしていれば、もっと違った結果になっていたはずだ。

 歴代の日本代表監督の中で、ザッケローニは最も日本サッカーの可能性を信じてくれた人物かもしれない。だから個人的には好きな監督だったし、尊敬できる指導者だとは思う。

 ただ、やはり勝つためには、自分達の“得意なこと”をやるだけではダメなのだ。

 同じことは、現監督のハリルホジッチにも言える。彼はデュエルを重視したサッカーを掲げているが(それ自体は間違いというわけでもないのだが)、これはあくまでも「ハリルホジッチが得意なサッカー」と捉えることができる。それが、前任のアルジェリアのサッカーとは相性が合い、さらにはW杯で対戦した相手チームには有効だったということだ。

 同じことが日本のサッカーに、さらに言えば日本が対戦する相手チームにも有効なのかどうかは、まったく分からない。だから、ハリルホジッチが自分のスタイルに固執するのであれば、彼もザッケローニの二の轍を踏むことになるだろう。

 繰り返しになるが、日本代表の「できることを増やした」——攻撃的なスタイルという新たな選択肢を作ってくれたという点こそ、ザッケローニの功績だと私は考える。

 あとは、増えた選択肢をどう扱っていくか。相手と状況に応じて、どう使い分けるか(あるいは組み合わせていくか)。

 そういう発想を持たない限り、日本サッカーは本当の意味で強くはなれないと思う。