南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

上げられなかったギア、変わらなかった“空気”——鹿島アントラーズ、無念の最終節“逆転負け”

 前半の何分だったか、もう思い出せないが……横パスのタイミングが合わず、ボールがあっさりとタッチラインを割る。それは奇しくも、川崎フロンターレ先制の報を受けた直後だった。

 さほど難しいとは思えない、短い距離のパス交換だ。前線へ楔を入れる、あるいは裏を狙うといった縦へのチャレンジパスではない。しかし本調子であれば、ぴたっ、ぴたっとまるでプログラムされているかのように、小気味よくつながっていく。そこに綻びが生じている。

 私はこの時、生々しく“敗北”を意識した。

 90分間の印象としては押し込まれていても、カウンターやセットプレーで1点をもぎ取り、終わってみれば勝ち切ってしまう——強い時の鹿島が、しばしば演じてきた戦いぶりである。だが、そうした過去の試合と今日のジュビロ磐田戦とでは、明らかに違いがあった。

 それが“プレー精度”である。パス交換だけではない。試合序盤から激しくプレッシャーを掛けていくという意図は感じたが、ボールを奪おうとするところで奪えなかったり、キープしようとするところでキープできなかったり、シュートチャンスできちんとミートできなかったりと、至る所で精度が低かった。

 鹿島が“勝負強い”と言われてきたのは、今日のような「ここ一番」という試合で、精度の高いプレーをすることができたからだ。ところが……今季に関しては、逆に精度が下がってしまった。

 一方の川崎フロンターレは、この最終盤へ来て、ほぼベストパフォーマンスの試合ができた。5点を奪い圧勝した今日の大宮アルディージャ戦だけではない。水曜日の浦和レッズ戦でも、序盤のワンチャンスで先取点を奪い、相手の反撃を高い集中力で凌ぎ切る——これぞ「勝つチーム」の試合運びを見せていた。ラスト二戦における、両者のパフォーマンスの違い。だから……この逆転劇は、今となっては必然だったように思う。

 ここから先は、やや愚痴っぽくなってしまうが、ご容赦いただきたい。

 結果論ではあるが、今日のように「上手くいかない試合」に関しては、試合のリズムを変えられるゲームメーカーが必要だったのではないか。

 つまり、小笠原満男の存在だ。レオシルバは、一対一の強さや縦への推進力——いわば“個人技”は優れているのだが、小笠原のように試合そのものに変化を与えられるタイプではない。三竿健斗にしても同様だ。個人的には、レオシルバに替えて後半から小笠原を投入して欲しかったのだが。

 確かに、決定機は再三あった。しかし、あまり点が入る気はしなかった。見た目上チャンスを作れてはいたが、何というか……試合自体の“空気”は、ずっと変わらなかった。最初から最後まで、「鹿島が勝つ」雰囲気にはならなかった。

 当ブログで、私は幾度か書いてきた——鹿島が優勝できるかどうかは、もう一度チームとして「ギアを上げられるかどうか」だと。

 結局、ギアは上げられなかった。5連勝の時から違和感を覚え、サガン鳥栖戦で「良くないな」と思い、横浜Fマリノス戦で「まずいな」と感じた……そこからの再浮上は、難しかったようだ。それでもコンサドーレ札幌戦、浦和レッズ戦とよく持ち直したが、最後の「プレー精度」そして「勢い」という部分で、川崎に上回られてしまった。

 今はただ、無念だ。悔しい、ただただ悔しい。もう当分、サッカーは見たくない。鹿島ファンの一人として、かなり打ちひしがれている。

 だが……このまま終わるチームではないと、私は信じている。