南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

【野球小説】ちばあきお原作「キャプテン」<外伝> ~孤高のエース、原点へ【前編】~

【目次】

 

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(※イラスト提供:1月の野球好き様より)

<主な登場人物紹介>

佐野:青葉学院の1年生。将来のエース候補。圧倒的な力を有しているがゆえ、歯ごたえを感じられない日々に退屈している。

 

谷口タカオ:青葉学院の2年生。二軍の補欠。簡単なゴロもさばけないほどで、周りからよく笑われている。それでも練習は一生懸命。

 

村野:青葉学院の1年生で、佐野とバッテリーを組む。

 

1.月とスッポン

「なんだ、このチビ」

 マウンド上の佐野は、打者のつぶやきを聞き逃さなかった。

(おやおや。コールド負け目前だというのに、たいそうな言い草だぜ)

フフと含み笑いを漏らす。

(ま……シード校の四番ともあろう者が、野球を体つきでやるものだと思い込んでるものだから、そりゃあこんな点差にもなるだろうよ)

 中学選手権東京都大会準々決勝。青葉学院と向島中学の一戦は、五回表を迎えていた。ここまで、青葉が十三対〇と大量リード。この回を三点以下に抑えれば、コールドゲームが成立する。

 眼前には、同じ一年生の捕手村野が、股下に手を置きサインを出す。

(変化球? いいや、その必要はない)

 佐野は口元に笑みを浮かべたまま、首を横に振った。

(こーいうモノ知らずには、教えてやらないと。力の差ってやつを)

 ほどなく、佐野はワインドアップモーションから、投球動作を始めた。右足を踏み込み、グラブを突き出す。そして左腕を、まるで鞭のようにしならせる。

「……うっ」

 その指先からボールが放たれた瞬間、打者は上半身をのけぞらせた。快速球が唸りを上げて風を切り裂き、村野がミットを構える内角低めに飛び込む。

「ストライク!」

 アンパイアのコールが、やたら甲高く響く。同時に、スタンドの観客から「おおっ」とどよめきが漏れた。

「あ、あれが二軍のピッチャーの投げるタマかよ」

「しかもまだ、一年生らしいぞ」

「あんなナリで、こんなすごいタマを放れるとは」

 そんな会話が聞こえてくる。

「けっ」

 今度は声に出していた。

「ストライクに手も出ないようなやつが、エラそうにぬかすんじゃねーよ」

 間髪入れず、佐野は二球目を投じた。今度は外角低めいっぱい。打者はやはり手が出ず、それどころか腰が引けていた。

「……く、くそっ。なんだこのタマは」

 ロージンバックを手に、しばし間を取る。そして佐野は、三球目を投じた。最後は真ん中高め。打者はスイングするが、バットはボールの下を通る。

「ストライク、バッターアウト!」

 アウトの宣告に、打者は一瞬うずくまる。

「まったく、口ほどにもない」

 佐野は吐き捨てるようにつぶやいた。

 続く五番、六番も、まるで相手にならなかった。バットを振り切る前に、ボールがミットに飛び込む。あるいは、バットすら出せない。

 三者連続三球三振。これが、佐野の公式戦デビューとなった。

 

 

 佐野ら二軍のレギュラーメンバーが寮に帰ってきた時、グラウンドでは補欠メンバーがシートノックをしていた。レギュラー陣は柔軟体操の傍ら、補欠メンバーの様子を見るため、左翼側のスタンドに上がる。

「おい佐野、見ろよ」

 上級生の一人が、笑いながら声を掛けてくる。

「あいつ。また、ポロポロやってるぜ」

 その視線の先では、一人の三塁手が守備に着いていた。聞けば二年生だという。さほど難しい練習ではないというのに、顔を真っ赤にして必死の形相である。

 ノッカーを務めるコーチが、速めのゴロを放った。三塁手は鋭くダッシュするが、打球とリズムが合わず、グラブを弾いてしまう。

「プクク……あんな、簡単なゴロを」

 上級生の言葉に、佐野は「ええ」とだけ返事した。

 笑っているのはその上級生だけではない。佐野とバッテリーを組んだ村野を始め、レギュラーのほとんどが笑い転げている。

「まったく。うちのスカウトも、なに考えてんだか」

 村野が独り言のように言った。

「あんな人を入部させちゃうとは」

 青葉学院野球部は、言わずと知れた中学野球の名門校である。全国より選りすぐりの素質を持つ選手が集められてくる。

 ただ、中学生の年代は成長期でもある。

 入部時点では想像もつかないほど、飛躍的に伸びる者もいるにはいる。それ故、小学生時にはさほど実績のない者も、一部スカウトしてきていた。もっとも、やはりその多くがレベルの高さに付いていけず、ベンチ入りがやっとという有様だったが。

「おい村野」

 佐野は、バッテリーを組む相方を呼んだ。

「あの人、名前なんていうんだっけ」

「ああ。たしか、谷口っていうんじゃなかったか」

 谷口さんか……と、胸の内につぶやく。

「きっと野球を始めるのが遅かったんだろう」

 村野にだけ聞こえるように、囁き声で告げる。

「もしかしたら入部するまで、野球そのものをしたことがなかったのかもな。体力と根性はありそうだし、もっと早く野球を始めていたら、ぜんぜんちがったろう」

 なんだよ、と村野は呆れ顔で言った。

「おまえ、いくら先輩だからって、あんな人に同情するのかよ」

「同情なんかしないさ。ただ……」

 少し躊躇った後、佐野は言葉を返した。

「……実力はどうあれ、懸命にやっている者を、笑う気にはおれはなれないね」

 村野は口をつぐむ。佐野は「ちょっと走ってくる」と言い置き、一人外野スタンドを後にした。

 

 

 夕食後。青葉の選手達は一軍二軍問わず、入浴時まで寮の外に出て、自主練習を行う。

 野手陣は主に素振りとトスバッティング。投手陣はタオルを手に、シャドウピッチングに取り組んでいた。

 選手層の厚い青葉は一軍レギュラーでさえ、いつ控えに落とされるか分からないほど、苛烈な競争に晒される。安穏としていられる者はいなかった。

 佐野は、他の投手陣と共に、やはりシャドウピッチングを行う。時折自分のフォームを確認しつつ、タオルをボールに見立て振り下ろす。

「……ん?」

 その時、カツーン、カツーンという音が聞こえてきた。

「あっ」

 顔を向けると、あの谷口が壁に向かってボールを投げ、それを捕球する練習に一人取り組んでいた。グラウンドで見せた、あの必死の形相で。

(あの人……どこでも、あんな顔するんだな)

 感心するような、飽きれるような、妙な気分になる。そして佐野がシャドウピッチングを続けようとした時、コーチの一人が窓から顔を出し、谷口を叱った。

「こら! トスバッティング以外で、夜ボールを使うのは禁止だと言ったろう!!」

「す、すみません……」

 谷口は恐縮した様子で、ペコペコと頭を下げる。そして「しかたない」とつぶやき、ボールを足下に置いて素振りを始めた。

「……ダメだな、あの人」

 思わずつぶやきが漏れる。それを聞いた上級生が「だよな」と、露骨に溜息をつく。

「野球の基本もできてないやつが、いくら練習したって、上手くなるはずねーよ」

 いや、そうじゃなくて……と言いかけ、佐野は口をつぐむ。

(谷口さん……ここじゃ、きっと伸びきれないだろうな)

 青葉は立派な球場で練習できるとはいえ、使用時間はどうしても一軍優先となる。二軍、それも補欠となると、かなり時間は限られていた。

(まったく……うちのスカウトも、罪作りなことをするものだ。うちには合わない選手だと、見て判断できなかったのかよ)

 小さく首を横に振り、佐野は自分の練習へと戻る。

 

2.退屈な日々

 三日後。地区大会決勝のマウンドに、佐野は立っていた。

 相手の金成中学は、青葉に総合力で劣るとはいえ、地区四強の常連である。試合巧者として有名で、とりわけ守備の堅さは青葉にも引けを取らないほどであった。

 この日、青葉は毎回のようにチャンスを作りながらも、金成の堅守に阻まれ、四回まで無得点が続く。

「ファアア……」

 しかし佐野は、マウンド上で欠伸を漏らした。さすがに打者がムッとした顔になる。

「いくら守備が硬くても、点を取る見込みがないんじゃ、試合には勝てないぜ」

 そして投球動作へと移る。佐野の左腕が、この日も冴えを見せた。

 唸りを上げる快速球。さらに打者の手元で鋭く曲がるシュート、落差の大きなカーブと変化球も織り交ぜ、金成打線に付け入る隙を与えない。

 あっという間にツーアウトとなり、後続打者はとうとう始めからバントの構えをしてきた。フン、と佐野は鼻を鳴らす。

「どーせ、そんなテでくるだろうと思ったよ」

 初球、内角高めの速球。ガッと音がして、打球はホームベース後方に上がった。キャッチャー村野が数歩後退し、顔の前で捕球する。スリーアウト。

 佐野はまた欠伸を漏らし、ゆっくりとベンチへ引き上げた。

 迎えた五回表。ついに青葉打線が爆発し、一挙五点を奪う。続く六、七回にも追加点を挙げ、気づけば十一対〇と大量リードを奪う。

 六回を終了した時点で、佐野はお役御免となり、交代していた。最終回となりそうな七回裏には、上級生の投球をベンチで見守る。

「たいくつだな……」

 言葉とは裏腹に、自分でも驚くほど、重く沈んだようなつぶやきが漏れた。

(まったく、なんの歯ごたえもないったらありゃしない。これが地区予選か。全国大会へ行けば、少しは退屈しないですむのだろうか……)

 その時、ふいに「佐野」と声を掛けられる。青葉の部長だった。

「……は、はいっ」

 佐野は慌てて立ち上がり、直立不動の姿勢になる。

「入部して間もない一年生とは思えない、堂々としたピッチングだったな。さすがは将来のエース候補だ。いや……もう来年には、エースナンバーを背負っていても不思議じゃない」

 部長は手放しで絶賛した。佐野は「ありがとうございます!」と、深く一礼する。

「まて、話はこれで終わりじゃない」

 苦笑いしつつ、部長は話を続けた。

「佐野。来月から始まる全国大会のベンチに、おまえを入れてやろう」

 えっ、と声を上げてしまう。

「一軍ということですか?」

「そうだ」

「ですが部長。我が野球部は、一年生の間は二軍で鍛錬を積むという決まりがあったはずじゃありませんか」

 たしかに、と部長はうなずく。

「しかしそれは、今まで一年生の時点で、一軍入りに値する実力の者がいなかっただけだ。佐野、おまえにはその実力がある」

「は、はい……」

「試合に出せるかは展開次第だが、おまえなら全国でも十分通用する。明日からそのつもりで、しっかり調整しておきなさい」

「わ……分かりました!」

 佐野はもう一度、深く頭を下げた。

 ズバン、とキャッチャー村野のミットが鳴る。金成の打者のバットが空を切った。アンパイアが「ストライクバッターアウト、ゲームセット!」とコールする。

 この瞬間、青葉の地区大会十連覇が決まった。

 

 

 寮に帰った後、佐野は多くのチームメイト達から声を掛けられた。もちろん、特例の一軍昇格の件である。

「やったな佐野」

「おまえなら十分、やっていけるぞ」

「まったくヤキモチ焼いちゃうぜ」

 先輩、同級生問わず、誰もが祝福の言葉を伝えてくれた。その裏に、やっかみや嫉妬が入り混じっていることを、佐野は敏感に感じ取っている。

「……すみません。さっそく、調整に入らなきゃいけないので」

 佐野は集団を避けるように、玄関へ行きランニングシューズに履き替え、外に出る。

「あ……佐野くん」

 あの谷口が、そこに立っていた。

「あ、ドウモ」

 思わず返答してしまってから、なんでこんなやつに……と一瞬後悔する。

 谷口は素振りしていたらしく、バットを手に、息を弾ませている。その左手は、血豆だらけだった。

 外をランニングしようと門へ向かうと、なぜか谷口も付いてきた。

「な、なにか用スか」

 戸惑いながら尋ねる。谷口は微笑んで答えた。

「聞いたよ、一軍昇格だってね。おめでとう」

「……あの、谷口さんといいましたよね」

 つい冷たい態度を取ってしまう。

「人を祝ってる場合ですか。自分は、二軍の補欠なのに」

「あ……それも、そうだね。ごめん」

 あまりにも素直な返答に、佐野は「あ」とずっこける。

「まあ、いいや。べつに悪い気はしないので」

 この人はたぶん本気だろう、と佐野は思った。本気で、自分の一軍昇格を祝福してくれている。そのために、わざわざ声を掛けてきたのだ。

(まったく……自分は試合出場はおろか、ベンチ入りもできない身分なのに。お人好しにもほどがあるぜ)

 一つ吐息をつき、「谷口さん」と呼ぶ。初めてこの男を名前で呼んだ。

「わざわざ声をかけてきたのは、そんなどうでもいいことを言うためですか?」

 その言葉に、谷口はハハと笑う。

「じつはもう一つ、君に伝えておきたいことがあって」

「なんだよ」

 わざと苛立った口調で、佐野は言葉を返す。

「もったいぶってないで、さっさと言ってくださいよ」

「うん。じつはおれ……青葉をやめようと思う」

 驚きはしなかった。何となく、その予感があった。

「そうですか。それは、先輩の勝手でも。どこへでも行けばいいんじゃありませんか」

 そう言った後、相手の顔を見ずに付け加える。

「けど……なんでまた、おれにそのことを言いにきたんです?」

「それはね。なんとなくだけど……きみなら、おれの気持ち、分かってくれる気がして」

「はあ?」

 わざとらしく溜息をつく。

「なんでおれが、谷口さんの気持ちを……」

「退屈なんだろう?」

 ふいに頭を殴られたような気がした。息を呑んで、相手の目を見つめる。

「君の力量からすれば、地区予選の相手なんて目じゃないだろう。ぜんぜん歯ごたえがなくて、退屈だ。そう顔に書いてあるよ」

(こ、このヤロウ……)

 佐野は右こぶしを握りしめる。

(二軍の補欠のくせに、なにを分かったようなことを言いやがる!)

「じつは、おれもそうなんだ」

 思わぬ発言に、佐野はハッとして目を見開く。

「試合に出てる君からすれば、なに言ってんだと思うかもしれないけど。おれ……ここじゃ思うように練習できなくて、練習できないから、ちっとも上達できなくて。だから正直、もうここにいるべきじゃないと思ったんだ」

 話の内容とは裏腹に、谷口は穏やかな表情である。

「ねえ谷口さん」

 声のトーンを落とし、佐野は言った。

「たしかにあなたは、ヘタです。けど……あなたほど死にものぐるいで努力できる人を、おれは知りません。おそらくおれも……」

 敵わないと言おうとして、口をつぐむ。そうだ……と胸の内につぶやく。

(おれはこの人が、うらやましいんだ。たとえヘタでも、いつも全力を出しつくす。それに引きかえ、おれは自分の力を出し切る場所を知らない)

「……ごめん」

 ふいに谷口が、気弱そうな笑みを浮かべる。

「二軍の補欠がなにをエラそうにって、思ってるよね」

「何を言うんですか!」

 つい怒鳴ってしまう。

「男なら、そんな卑屈なこと言うものじゃありませんよ。それに、おれを見くびらないでください。たしかに野球の力量は、おれの方が数段上ですけど……それで人を見下すようなおれと思わないでくださいよ!」

 そうだ。もっと胸を張れよ、谷口さん。アンタはおれが手に入れられないものを、これから手に入れようとしてるんじゃねえか。

「……いいですか、先輩」

 佐野は、口調を穏やかにして言った。

「一つ約束して欲しいんです。野球を、あきらめないでください」

 驚いたのか、谷口は目を丸くする。

「あなたと他の連中とのちがいは、おそらく野球を早く始めたか遅く始めたかどうかのちがいだけです。そして青葉は、元々上手いやつを伸ばすのには最適ですが、そうじゃないやつをイチから育てるにはあまり適さない。分かってるでしょう?」

 佐野の言葉に、谷口は無言でうなずく。

「なにも青葉だけが野球をやってるわけじゃないですから」

 そう言って、佐野は口元に笑みを浮かべた。

「谷口さんだって、もともと青葉にスカウトされるほど、素質はあると認められたんです。ただあなたは、来る場所をまちがえたんですよ」

「……あ、ありがとう」

 谷口はうつむき加減になり、頬を赤らめる。

 

 

 その一ヶ月後、中学選手権の全国大会が開幕した。

 圧倒的戦力を誇る青葉は、初戦から相手をまったく寄せ付けなかった。毎試合のように大量得点を奪い、当たり前のように勝ち進んでいく。

 点差が開いた後は、佐野にも何度か出番が訪れた。さすがに地区予選よりは、手を焼いた打者も何人かいたものの、けっきょく一点も与えることはなかった。

 そして青葉は、難なく全国優勝を果たした。

「新チームではエースナンバーだな」

 引退していく何人もの先輩達に、そう声を掛けられた。

 しかし佐野は、相変わらず力を持て余したまま、退屈していた。そんな少年の気持ちを察する者は、一人を除いて誰もいなかった。

 その一人――谷口タカオは、青葉が全国優勝を決めた翌日、ひっそりと退部していった。

 

<後編へ続く>

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