南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

原作『プレイボール』と現実の高校野球の相違点 ~ちばあきお『キャプテン』『プレイボール』より~

 

 

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 【関連リンク】

stand16.hatenablog.com

 

<はじめに>

 

 今も連載が続いている某漫画について、個人的にまだまだ言いたいことはあるのだが、もうそこは抜きにして、原作『プレイボール』で描かれなかったことについて、私なりに考察してみたい。

 

1.金属バット

 

 原作『プレイボール』では、金属バットが使われていない。

 個人的には、作中で金属バットを使わなくて正解だったと思っている。が……その理由を書く前に、まず現実の高校野球の歴史と照らし合わせてみたい。

 

 高校野球において金属バットが解禁となったのは、1974年(昭和49年)のこと。ちなみに『プレイボール』において、まだ1年生の谷口擁する墨高が、強豪・東実と激戦を繰り広げた年だ。

 

 ちばあきお氏も、当然この金属バット導入の件は知っていたはずである。だから、作中における翌年、谷口2年時の大会からは、金属バットを取り入れても良かったはずだ。しかし、なぜそうしなかったのか。

 

 ここからは、私の完全な推測である。

 

 一つ目は、金属バットを導入することで、何が変わるのか。その説明を話中に入れなければならなくなるからだ。そうなると、どうしても金属バットの話にページ数を割かれてしまう。

 ちばあきお氏は、明らかに物語のテンポの良さを重視している。だから、金属バットの話で物語がだらっとしてしまったのを嫌ったのかもしれない。

 

 二つ目は、もっと分かりやすい理由だ。金属バットを使うと、どうしても元々パワーのあるチーム、つまり強豪校が優位になってしまうからだ。

 金属バットは芯が広く、飛びやすい。木製バットでは芯を外して打ち取れたケースでも、金属バットでは長く飛び、下手すればホームランになってしまう。

 元々『プレイボール』は、弱小チームがアップセットを起こしていく物語だ。そこに金属バットの話を持ち込まれると、話がややこしくなる。例えば墨高がホームランを放った場合、それが「金属バットのお陰」となると、読む方はしらけてしまうだろう。

 

2.監督

 

 これは『キャプテン』からそうだが、実質の続編となる『プレイボール』でも、監督の存在は描かれていない(野球を知らない部長はいるが)。墨高だけでなく、川北や明善等、他の学校しかも強豪校であっても、監督の見当たらないチームがある。

 

 これはおそらく、主人公である谷口が「チームとしての意思決定を行う」場面を描けなくなるからだと思われる。

 

 『プレイボール』においては、強豪相手に仲間達が上手く対応できず苦しむ中、谷口が打開策を見出しそれを周囲に伝え、少しずつ相手を攻略していくというのが大きな見所の一つである。

 

 谷口というキャラクターの魅力は、単にプレーヤーとして優れているだけでなく、周囲に知見と勇気を与え、先頭に立ってチームを引っ張っていくという点にある。

 

 しかし、そこに監督がいるとどうなるか。

 

 チームを指揮し、相手を攻略する作戦を選手達に授けるというのは、ほんらい監督の仕事である。したがって監督を置くとなれば、谷口というキャラクターの魅力を損ねてしまうことになるのだ。

 

 あるいは部長のように、野球を知らない人物を監督として置くという手もある。しかしそうすると、無駄なキャラクターを一人増やすだけになってしまう。何よりもシンプルということを大事にするちばあきお氏は、そういう手段を取らないだろう。

 

<終わりに>

 

 というわけで、原作『プレイボール』と現実の高校野球の相違点について、自分なりに考察してみた。

 

 私も高校野球はよく見る方なので、漫画と現実の相違点を探そうと思えばキリがない。しかし、漫画には限られたページ数があるので、作者がいくらリアルに表現しようと思っても、話に入れ込めない部分も出てくるはずだ。

 

 何を入れ込み、どこを省くか。要するに、読者へ分かりやすく伝えるために必要な情報は何なのか。そして選んだ情報を使って、話をどのように組み立てれば、読者に面白いと感じてもらえるか。そこはもう、作者が知恵を絞るしかない部分と言えるだろう。