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第12話「招待野球開始・波乱の序盤戦」の巻
勢いのないゴロが、二塁方向へ飛ぶ。
「任せろっ」
丸井が、左に数歩動いただけで難なく捕球する。滑らかなフィールディングで、ファーストの加藤に送球される。
「アウト! スリーアウト、チェンジ」
一塁塁審のコールと同時に、墨谷ナインはベンチへと駆け出す。
誰もが、戸惑いの表情を浮かべていた。その中心、豪胆さで鳴らす井口源次でさえ、あっけに取られた顔をしている。
「よぉ」
どこか面倒くさそうに給水する井口の尻を、イガラシはぽんと叩いた。
「調子はどうだ、井口」
「うむ。指の掛かりも悪くないし、上々ってところさ。ただ……」
ちらっと相手ベンチに目をやり、吐き捨てるように言った。
「俺がどうこうじゃない、アイツらが、無造作に手を出し過ぎるんだよ」
一回表。西将学園の攻撃は、僅か五球で終わっていた。
先頭打者は、ツーボールからのカーブを引っ掛けサードゴロ。二番打者は、ワンボールからの内角高めの速球に押されキャッチャーフライ。三番打者に至っては、初球から外角低めのシュートに手を出し、セカンドゴロ。あっけなく三者凡退。
いずれも背番号二桁の選手とはいえ、あまりにお粗末な攻撃内容だ。
イガラシは、足早にネクストバッターズサークルへと入った。左手にバッティンググローブを嵌め、感触を確かめるようにマスコットバットを二度、三度と素振りする。振る度に、ビュッビュッと風を切る小気味よい音がした。
その眼前。マウンド上では、西将学園の先発投手が投球練習を始めている。こちらも背番号二桁の右腕投手。ただ全力投球すると、やはり速い。
がっしりとした体躯。長身から叩き付けるような直球は、かなり重そうだ。加えて、縦に大きく割れるカーブ。小さく見積もっても、落差七十センチはあるだろう。どうやら、この球をウイニングショットとするらしい。
現段階で“控え”とはいえ、なかなかハイレベルな投手だ。谷原や西将学園のように飛び抜けた名門校でなければ、エースナンバーを背負っていたに違いない。
それでも一打者として、イガラシは「打てる」と判断した。
重い球、長身の本格派右腕……ねぇ。悪いが、こちとら近藤や和合中の中川で、そういうタイプの投手は見慣れてるんだよ。それにカーブ。ボール自体の威力は認めるが、そちらさんには大きな弱点があるってこと、自覚しているのかい。
イガラシは、相手投手の投球フォームの癖を見抜いていた。
どうしても曲げようとする意識が働くのだろう。カーブを投じる際、直球の時よりも手の甲の返しが大きくなっていた。かなり分かりやすい癖だから、遅かれ早かれチームメイト達も気付くはずだ。
やがて、マウンド上の投手は練習球のラストを投じる。これを捕球すると、西将学園のキャッチャーは素早い動作で二塁ベース上へ送球した。
風を切り裂く矢のような送球に、スタンドから「おぉ」とどよめきが漏れる。背番号「2」、こちらはレギュラーの正捕手らしい。
「バッターラップ」
アンパイアに呼ばれ、イガラシはゆっくりとバッターボックスへと入った。間もなく「プレイ!」の声が掛かる。
初球。外角低めに速球が決まり、ワンストライク。
二球目はカーブがすっぽ抜けたのか、高めに外れる。三球目、今度は真ん中低め、やや内角寄りに速球を決められる。カウント上は、これでツーストライクワンボールと追い込まれる。四球目は、外角にカーブ。フォームで分かったが、練習球よりもスピードとキレがあった。辛うじてカットする。
「た、タイム!」
一旦打席を外し、二、三度素振りを繰り返す。
あぶねぇ。試合で投げるとなると、やはり威力が違うぜ。主戦でないとはいえ、さすが西将の投手だぜ。こりゃカーブは避けて、直球を狙うのが得策かな。
戻ろうとする刹那、脳裏に谷口の声が響く。
――初回だ。相手のリズムを狂わせるには、初回に先制パンチを浴びせるしかない。イガラシ、甘い球がきたら逃さず狙い打て。
いやダメだ。直球をヒットにされたところで、大してダメージは受けない。むしろ以後、より厳しいコースを突いてくる。そうなると、かえって攻略が難しくなる。もっと、相手に精神的ショックを与えるためには……“先制パンチ”か、ようしっ。
バッターボックスへと戻り、再びマウンド上の相手投手と対峙する。
五球目。外角低めの直球が、ボール一個分外れる。六球目は、内角低めの直球をカットした。七球目、またも直球を今度は高めの吊り球として投じてきたが、これには反応せず。ツースリー、フルカウント。
そして八球目。数メートル手前から、ボールの軌道がぐにゃりと曲がった。外角のストライクゾーンに入ってきた、そのポイントを、イガラシは軽く払うようにバットを差し出す。
掌に、ボールを捉えた感触があった。一塁方向へと駆け出した視線の先に、鋭いライナーがライトのフェアライン際へ飛んでいく。そのままフェンス手前、ラインの内側ぎりぎりでバウンドした。さらに切れて、ファールグラウンドを転々とする。
「フェア!」
塁審のコールを聴くより先に、イガラシは一塁ベースを蹴り、二塁へと向かった。返球される気配は、まだない。躊躇なく二塁ベースも蹴り、さらに加速する。
軽くスライディングしただけで、楽々と三塁を陥れた。スリーベースヒット。立ち上がると、丸井がちょうど右バッターボックスに入ろうとするところだった。
「丸井さん!」
拳を二つ重ね、合図を送る。
打てよ丸井さん。初球から思い切り引っ叩け。“決め球”を狙い打たれて、きっと動揺しているはず。叩くなら、今だ。
丸井がうなずくのを見届け、マウンド上に視線を流す。案の定、相手投手は落ち着きのない仕草を見せていた。ロージンバックを手にしながら、指先に馴染ませることもせず、やたら長く間合いを取っている。
キャッチャーに呼ばれ、ようやくロージンバックを足元に放った。間もなく、やや無造作に投球動作を始める。
その初球。外角やや高めに投じられたカーブを、丸井は二遊間に弾き返した。西将のショートが懸命に飛び付くも、そのグラブを掠めるようにセンターへと抜けていく。
イガラシがホームベースを駆け抜けた時、ようやくボールが中継の二塁手へと渡ったところだった。振り向くと、すでにスコアボードには「1」が刻まれている。
さすが丸井さん。相手がムキになってカーブを投げてくると読んで、上手く狙い打ったな。ちょっと引っ掛けめだったけど、思い切り振り抜いた分、内野の間を抜けてくれたぜ。
ベンチに戻ると、ナイン達がいつも通り祝福してくれた。
「イガラシぃ、ナイスバッティング!」
「いきなり三塁打たぁ、西将もショックだったろうよ」
「ちょっと……や、やめて下さいよ」
少々照れくさかったので、わざと不機嫌な声を発した。
「カーブを決め球に使ってくると予想していて、たまたま読みが当たっただけです。フォームで丸分かりですし」
「可愛くない奴だな。初見で、もう気付いてやがる。俺ら、イガラシの打席の時に何球か観察して、ようやっと見付けたというのに」
横井がおどけた口調で言うと、倉橋が呆れ顔で突っ込む。
「何言ってやがる。おまえは、俺と谷口の会話を盗み聞きしてただけだろ」
「ひ、人聞きの悪いこと言うなよな。俺だって、ちゃんと考えて」
チームメイト達の一見おちゃらけた風の会話を、イガラシは頼もしく思いながら聞いていた。へぇ……と、密かにつぶやく。
やっぱり谷口さんの率いるチームだな。さすがのベンチワークだ。これなら昨年、聖陵や専修館の主戦投手を立て続けに攻略できたのも頷ける。
「けど、これぞ“先制パンチ”だったな」
戸室が、やや興奮気味に言った。
「見ろよ相手ピッチャー。おまえに三塁打を浴びてから、顔が真っ青だぞ」
「は……えっ」
おそらくさして意味があったわけでもない、その何気ない一言が妙に引っ掛かる。
バットとヘルメットを元通り並べてから、イガラシはベンチの前列に立ち、マウンド上を凝視した。
戸室の言った通り、相手投手は明らかにショックを引きずっていた。捕手に声を掛けられても、「ああ」「うむ……」と明らかに上の空だ。
こちらの狙い通りではあるのだが、さすがに戸惑う。
どうしたってんだよ。いくら何でも、顔に出し過ぎだぞ。何がそんなにショックだったんだ。先頭打者に長打を喰らったことか? それとも一年坊に打たれたことか?
イガラシは、密かに小さくかぶりを振った。
「おっナイス」
周囲から歓声が上がった。後続の島田が、三塁線へ送りバントを決める。間一髪アウトになったが、あわや内野安打かという巧みなバントだった。
「ナイスバント。さすがですね、島田さん」
戻ってきた島田に声を掛けると、「いや」と首を傾げられる。
「バントするまでもなかったな。あのピッチャー、球速は大して近藤と変わらないし、むしろコントロールは近藤の方が上だったな。アウト一つ、ただでやっちまったよ……おおっ」
快音が響く。この日は四番に座る倉橋の打球が、三遊間を抜けた。レフト前ヒット。当たりが速すぎて走者は三塁に留まるも、これで一、三塁。またもチャンスが広がる。
「……よしっ」
気合を込めるように声を発して、谷口が打席へと向かう。
ホームベース上。狼狽える投手とは対照的に、キャッチャーを除く他の野手陣は、さほど表情を変えることなく、互いに声を掛け合いながら守備位置の微修正を繰り返していた。唯一マウンド上だけが、重い焦燥に包まれている。
眼前の光景に、イガラシは何ともいえない薄気味の悪さを感じた。
オイオイ、なんで誰もピッチャーに声掛けに行かねぇんだよ。立ち直るきっかけを与えていない。これじゃ、ますます崩れていくぞ。
再び歓声。谷口が初球を振り抜き、鋭いライナーがレフト線を襲った。ボールはフェンス手前でワンバウンドする。三塁走者の丸井がゆっくりと生還し、続いて一塁走者だった倉橋がヘッドスライディングでホームベースを払う。
「やるじゃないか墨高」
スタンドから、観客達のざわめきが聴こえてくる。
「控えとはいえ、選抜優勝校からいきなり三点も取っちまうなんて」
「ああ。昨年、十一人でシード校になった実力は、いよいよホンモノだな」
苦笑いがこみ上げてくる。やれやれ、これが本当に実力なら……どんなにいいか。この程度の投手しか出してこないのなら、まだ合宿で谷口さんや松川さん相手にフリーバッティングでもしていた方が、よっぽどチカラ付くぜ。
またも快音が響く。横井が二球目のカーブをジャストミートした。しかし、これは西将のセカンドがジャンプ一番、グラブに収める。三塁に到達していた谷口は、素早く帰塁した。
「下位打線にまで、捉えられてるじゃねぇか」
倉橋は、吐き捨てるように言った。
「あの投手、さっさと引きずり降ろさないと、こっちの調子までおかしくなっちまう」
「はい。けど……相手に、こっちの打線を抑える工夫がまるで見られないのが、気になりますね」
島田が疑問の声を発した。
「あのキャッチャー、一応コースは内外角に散らしているんですけど、配球が分かりやす過ぎるんですよ」
「確かにな」
戸室がうなずき、同意を示す。
「あれだけ初回から打たれてるんだから、もうちょっと相手の裏を掻くこと考えればいいのに」
「そうでしょう。追い込んだら、必ず速いカーブ。もう一つの落差のあるスローカーブは、早いカウントで見せ球気味に使う。ずっとワンパターンなんですよ。あれじゃ、狙い打ちし放題じゃないですか。俺はむしろ、キャッチャーの責任が大きいと思います」
「でも……あのキャッチャーが、西将の正捕手だよ」
半田がデータをまとめたノートを開き、解説する。
「あのキャッチャー……高山君は、打者としても四番に座るスラッガーですが、打撃以上に評価されているのが、その頭脳的なリードです」
「ほうっ。そんなに凄い捕手なのか」
同じポジションとして意識するのか、倉橋がすぐに反応した。
「うん。特に選抜大会準決勝では、相手打者の打ち気を逸らす配球で、あの谷原を一点に抑えたんだ。あの村井君が、試合後に『高山君のリードにやられた』とコメントしているほどだから」
「へぇ、あの村井が……うわっ」
ふいに倉橋が、叫ぶような声を発した。七番加藤への二球目が、ホームベース手前で不規則にバウンドし、高山が後逸する。それを見て、谷口が滑り込んできた。
「ここでワイルドピッチかよ。よくあれで、西将のユニフォーム着ていられるな」
戸室が唇を尖らせた。さすがに多くの者がうなずく。
ここでタイムが取られる。間を設けるのかと思いきや、西将ベンチからグラブを左手に嵌めた選手が一人、マウンドへと駆けていく。
「今度は左投手ですね」
丸井のつぶやきに、谷口が首を縦に振る。
「それにしても、ちょっとおかしくありませんか」
島田は、微かながら語気を荒げた。
「何でピッチャーだけ交代なんです? 確かに不調でしたけど、その責任は雑なリードをした、あの高山ってキャッチャーにもあるじゃないですか。代えるなら、二人ともでしょうよ。レギュラーだからって、不公平なんじゃ」
「どうした島田。妙に食い下がるな」
ベンチに帰ってきたばかりの谷口が、なだめるようにして、島田の話を遮る。
「敵に同情している場合じゃないぞ。俺達はいきなり、あの西将から四点も奪った。眠っていた虎の尾を、思い切り踏んづけてしまったんだ。奴ら、いよいよ目を覚ましてくる」
「オイみんな、見ろよ」
倉橋の呼びかけに、束の間ナイン達は沈黙する。西将学園の二番手投手が、投球練習を始めた。こちらは、さほど上背のない細身の体躯。
「何だか、変な投げ方だな」
丸井のつぶやきに、片瀬が「あれはスリークォーター気味ですね」と返答する。
「は……す、スリー……何だって?」
「スリークォーターです。あのようにオーバースローとサイドスローの中間くらいのフォームなので、打者にとってはタイミングを取るのに苦労します」
「た、確かに。ボールの出所が分かりにくいもんな」
「それに……あの投手の方が、球種は多いようです」
イガラシはそう言って、マウンド上を凝視した。
大小のカーブ、シュート、チェンジアップ、それにフォークもあるようだ。特に、フォークは直球と同じ軌道から、打者の手元ですっと沈む。球速自体は先発投手の方が上回るも、こちらはフォームの癖が見当たらない。
この手のタイプがむしろ厄介だと、イガラシは経験上知っている。
「……こりゃ、案外手強いかも」
横井の独り言のような発言に、多くの者が首肯する。
ナイン達の洞察は、的中することとなる。その“リリーフ投手”は、後続を凡打に打ち取ると、続く二回、三回と多彩な変化球で墨高打線に的を絞らせず、四死球の走者を二人出しただけで無失点に抑えた。とりわけ、イガラシが警戒したシンカーが要所で威力を発揮する。
一方、井口は快調な投球を続けた。四回まで一人の走者も許さないパーフェクトピッチング。
もっとも、当人はさほど満足げな顔は見せない。むしろ憮然とした表情で、ベンチの隅で俯いている。イガラシはその傍らに腰掛け、問うてみた。
「どしたい。そんな浮かないツラして」
「ああ……相手があまりに無策過ぎて、段々腹立ってくるのよ」
怒気さえ帯びた声で、井口は答える。
「なぁ。自分で言うのもなんだけど……俺、かなりの好投手だろ」
「お、おう。否定はしねぇよ」
「好投手を相手にする時は、普通もっと球を見たりファールで粘ったりして、じっくり粘っこく攻めるもんじゃねぇか。おまえらが俺にやったみてぇによ」
昨年の中学都大会決勝を思い出したらしく、井口は苦笑いを浮かべた。
「まぁ、それが定石だな」
「なのに奴らときたら、ファーストストライクから策もなく打ちにきて、ばたばた凡退していきやがる。ナメてんのか」
「……気持ちは分かるが、力むなよ。冷静に自分のピッチングを続けろ」
「当たりめぇだ。こうなりゃ、俺のチカラを嫌ってほど見せ付けてやる。掠らせもしねぇ」
「そうだ。その意気だ」
言葉とは裏腹に、西将の意図を計りかねて胸の内に不穏なものを抱えていたのは、イガラシも同じだった。井口の言うように、あまりにも無策過ぎる。
どういうことだよ。西将の奴ら、まさか本当にこの試合を“捨てゲーム”にするつもりなのか。あれほどの名門が、そんな実りのないことをするってのか。うちとの対戦には、何の意味も見出せないっていうのか。何考えてんだよ、あいつら。
四回表、西将の攻撃はまたも三者凡退に終わる。その裏、墨谷は倉橋と谷口の連打などで二死満塁と攻め立てたものの、後続が打ち取られ無得点。
迎えた五回表。先頭打者は、正捕手も務める四番・高山だった。前打席ではサードライナー、唯一ヒット性の当たりを放っている。
高山に対し、墨谷バッテリーは慎重な入りをした。
初球、外角低めにボールとなる直球。二球目、またも外角低めに今度はカーブを投じた。いずれも見極められ、ツーボール。
そして三球目。倉橋は、井口最大の武器・シュートのサインを出した。内角低め、ぎりぎりストライクに入ってくるコースを要求する。井口がうなずき、投球動作に入る。
快音。閃光を思わせる打球が、三遊間を抜けていく。
谷口とイガラシが飛び付いた時には、すでに左翼手の前でボールが弾んでいた。レフト前ヒット、ノーアウト・ランナー一塁。西将がついに、初安打を記録した。
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