南風の記憶

沖縄の高校野球応援! また野球小説<「続・プレイボール」ーちばあきお原作「プレイボール」もう一つの続編」連載中。俳句関連、その他社会問題についても書いています。

白球の”リアル”【第22話】<「墨谷らしく」の巻> ~ ちばあきお原作『プレイボール』もう一つの続編 ~

目次

 

前回<第21話「怪我の功名」の巻>へのリンクstand16.hatenablog.com

第22話「墨谷らしく」の巻

 

 合宿四日目、朝六時。グラウンドのホームベースを囲み、墨谷ナインは円座になる。

「昨日は、長い一日だったな」

 キャプテン谷口が、静かに語り始めた。

「大きな試合をこなした後に、あえて通常通りの練習をこなした。体力的に、正直辛い部分はあったと思う。けどありがたいことに、誰も不満を口にしなかった。まぁこれは、半分諦めもあっただろうが」

 周囲から、笑い声が漏れる。

「でも……それだけじゃなかったのは、皆の顔を見ていてよく分かったよ」

「当たり前です」

 井口が、低い声で言った。

「次奴らと当たった時は、絶対に捻り潰してやりますよ」

 イガラシは、傍らに座る旧友の目元を見やる。目の下にくまができていた。昨日は試合から帰ってきた後ロードワークもこなし、かなり疲れもあったはずだが、あまり眠れなかったようだ。

「オイオイ。落ち着けよ、井口」

 倉橋が冷静な口調で、鼻息の荒い後輩を窘める。

「意気込むのは良いが、あまり焦ってアレコレやろうとするのも良くないぞ」

 そう言って、ふいに苦笑いを浮かべた。

「……気持ちは分かるがな。俺自身、リードしていてこんなに苦しい試合は初めてだったよ。単に打たれたというだけじゃなく、こっちの意図を相手に見透かされていたからな」

 俺はどうだ……と、イガラシは自身に問うてみる。

 一夜明け、意外なほど胸の内は澄んでいた。負けた瞬間は悔しかったが、いつまでも引きずるような性分ではない。それよりも、今後どうしていくのかということに思考をすでに切り替えていた。もっとも、高山の慇懃無礼な態度を思い出すと、まだ腹は立つのだが。

「……まぁまぁ。済んだことは、もうそれくらいにして」

 谷口が、朗らかな声で言った。

「今日の日程を確認しようか。まずは……朝食前に、ランニングから。そして、昨日の疲れも残っているだろうから、柔軟運動をいつもより長めに行う。特に……丸井」

「……は、はいっ」

 ふいに名指しされ、丸井が間の抜けた声を発した。

「おまえは、まだまだ体が硬い。セカンドがそれじゃ、いつか怪我するぞ。倉橋と組んで、しっかり体をほぐすんだ」

「え、そんな……いやっ、倉橋さんは松川さんとか井口とか、投手陣と組んだ方が」

 丸井の顔が、みるみる青ざめていく。イガラシはつい、軽く吹き出した。

「なぁに。柔軟くらい、他の者と組んでも差し支えはないさ」

 倉橋がにやっと笑い、拳をぽきぽきと鳴らす。

「ほら、倉橋もそう言ってくれていることだし。遠慮は無用だぞ」

「は……はいぃ」

 キャプテンにダメ押しされ、丸井はがくっと頭を垂れる。

「柔軟の後は、先にフリーバッティングを行う。昨日は疲れで、皆あまり振れていなかったから、その修正を図りたい」

「……すみません。ちょっと、いいですか」

 ふいに松川が挙手し、話に割り込む。イガラシはぴんときて、その眼差しを凝視した。

「どうした松川」

 やはり驚いたらしく、谷口は目を見開いた。

「僕、前から気になってたんですけど。ツーストライク・バッティングの練習を始めてから、各打者のスイングが小さくなってきているように感じるんです」

「それは……つまり、この練習はやめた方が良いということか?」

 キャプテンに尋ねられ、松川は「いえその……」と一瞬口ごもった。

「遠慮することはないぞ」

 谷口は、穏やかな口調で先を促す。

「毎日バッティング練習で皆に対している、ピッチャーの意見だ。無下にはしない」

「はい。あの……やめた方がいい、とまでは思いません。実際、昨日の西将戦でも選球眼が良くなったことで、相手投手を苦しめることはできました。でも、以前なら長打になっていたコースの球が、シングルヒット止まりになっていたりもするので」

「それは仕方ないだろ」

 丸井が口を挟む。

「この練習を取り入れて、まだ三週間足らず。そんなすぐ、何もかもできるようになるわけないじゃないか。一球しかチャンスがないとなると、慣れないうちはどうしても当てにいってしまう。けど、もっと慣れてきたら……イガラシ、おまえもそう思うよな」

「……えっ」

 ふいに話を向けられ、戸惑う。

「おまえもバッティング投手を務めているから、松川と同じこと感じただろ。でも今まで何も言わなかったのは、割り切ってたからじゃないのか」

「そうですね。ただ……」

 束の間逡巡するが、しゃーないか……と観念する。

「これ、ほんとは昨日の練習の時点で伝えるべきだったんでしょうけど……谷口さんの言うように、みんな疲れで本来のスイングができてなかったので、言わずにおいたんです」

「言わなかった、って……何をだよ」

 丸井が意外そうな目を向ける。イガラシはきっぱりと答えた。

「結局、何をしたいか……だと思います」

 さすがに分かりづらかったらしい。部員達は、ますます訝しげな目になる。

「もっと詳しく説明できるか?」

 谷口に問われ、うなずいた。

「これ……根岸と西将戦の話をしている時に、気付いたんですけど。西将のバッターが怖いのは、能力もそうなんですけど、何より各打者が『相手投手を一球で仕留める』意思を持って、打席に立っているからなんです」

 試合前から発していた、あの鋭い眼光を思い出す。

「丸井さんも覚えてるでしょう。俺、中学の時に北戸(きたのへ)というチームと戦って、ファール戦法に苦しめられたことがあるんですけど、あまり“怖い”とは感じませんでした。それは今思えば、相手が俺の球を打てないと分かっていたからなんです」

「……なるほど」

 倉橋がうなずく。

「同じ“ファールで粘る”にしても、甘い球を待って仕留めるつもりでいるのと、投球に圧倒されて何とかファールに逃げるのとでは、印象が全然違うもんな」

「ええ。おそらく松川さんが感じてたスイングの小ささも、制約を必要以上に意識し過ぎて、打ち返すという意思が希薄になりがちだったからだと思います」

 松川が「言われてみれば」と首肯した。

「つまり……ツーストライクからでも“ヒットにしてやる”という気持ちで、打席に立つということか」

「はい。そういう打線の方が、相手バッテリーにとって脅威でしょうから」

 イガラシの返答に、横井が「うーん……」と渋い顔になる。

「それはあまり、現実的じゃないんじゃねぇか」

 予想外の反応に、戸惑う。

「……どういうことです?」

 尋ね返すと、横井は指先で頬を掻きながら、苦笑いを浮かべた。

「いや、イガラシの言っていることも分かるし、きっとイガラシには、そういうバッティングができるだろうと思う。けど……俺には難しいや」

「いや横井さん、そんなこと」

 丸井がフォローすると、横井は首を二、三度横に振った。

「ありがとよ丸井。別に、自分を卑下して言っているんじゃねぇんだ。ただ……俺ももう三年、さすがに自分の力量は分かる」

「そうだな」

 横井の傍で、同じ三年生の戸室がうなずく。

「俺も、そこいらの平凡なピッチャーが相手なら打ち返してやろうって気にはなれるがよ。さすがに昨日の竹田クラスの投手になると、それこそファールに逃げるってか、何とか当てるのが精一杯って感覚なんだ。誰もが、イガラシや西将のバッターと同じようにはできないさ」

 どこか話がずれていると気付く。違う、俺が言いたいのはそういうことじゃ……

「違うぞ二人とも」

 しばし沈黙していた谷口が、おもむろに口を開く。

「打てなくてもいいじゃないか」

 思わぬ一言に、イガラシは一瞬言葉を失う。

「あ……スマン。言葉が足りなかったな」

 照れたように右手を後頭部に置き、キャプテンは話を続ける。

「イガラシは何も、必ず『その打席で仕留めろ』と言っているわけじゃない。結果として凡打に終わったとしても、その一打席が終わるまで“打ち返す”という意思を持ち続ける。そういうことじゃないのか?」

 イガラシがうなずくと、谷口は語気を強めて言った。

「たとえ一球打ち損じても、次の球で。その打席で凡退しても、次の打席で。点の取れないイニングが続いても、終盤にはもぎ取る。こんなふうに考えていれば、自ずと打席での仕草や表情に表れる。それが相手には脅威となる。戸室、覚えているか」

 ふと優しげな口調になり、問いかける。

「去年の川北との練習試合……最終回に、唯一ヒット性の当たりを飛ばしたのは、おまえだったじゃないか」

「は。そ、そういやぁ」

「横井。おまえだって、聖陵の岩本さんからセーフティバントを決めて、逆転の足掛かりを作ったろ」

「……あ、あぁ」

「そりゃあ西将のように、一球、一打席で仕留める精度の高いバッティングは、我々には難しいだろう。けど……何度打ち取られても、最後には打ち崩す。そういう戦い方なら、十分できる。というより俺達は、今までもそうやって戦ってきたじゃないか。みんなも思い出してみろよ」

 一呼吸置き、さらに畳み掛けて問う。

「俺達が、墨谷が、何をして強くなってきたか」

 谷口はそう言うと、ふいに気恥ずかしげな顔になる。

「……正直、俺も焦ってたんだ」

 一転して、穏やかな口調で語る。

「谷原にあそこまでやられて。今のままじゃ、どう足掻いても勝てないってな。“ツーストライク・バッティング”にしても、俺自身その狙いをきちんと消化できないまま、藁にも縋る思いで実行した。キャプテンとしては、情けない話だが」

「そっそんな……」

 丸井が首を横に振ると、谷口はふっと微笑んだ。

「ありがとう丸井。でもいいんだ。最近やっと、あの試合のことを冷静に考えられるようになった……そして、ものすごく単純な要因に気付いた」

 一つ吐息をついて、結論を述べる。

「あの時……急遽対戦が決まったことで、俺達はろくに相手を調べもしないまま、試合に臨んだ。おまけに、新入生を“試そう”という色気もあった。昨年の明善戦と同じだ。格上の相手に何の策も講じず、まともにぶつかれば、自ずとああいう結果になる」

「そ、それじゃあ……キャプテン」

 イガラシの問いかけに、谷口は「ああ」と声を明るくして答えた。

「相手をよく研究する。どんな展開になっても、最後まで諦めず、粘り強く戦う。そう……今までの俺達、墨谷らしく戦えばいいんだ」

 キャプテンの言葉に、部員達はすかさず応える。

「おおっそうだ」

「それなら、何かできそうな気がしてきたぞ」

「よし。やってやるぜ!」

 意気盛んな声が、次々に聞かれる。

「……イガラシも、いいな」

 谷口は、柔らかな眼差しで言った。

「偉そうに喋ったが……俺自身、やっと思考を整理できたよ。おまえのおかげだ。この“ツーストライク・バッティング”にしても、うちの持ち味である粘り強さを、より強化する。そのための練習だと捉れば、以後何の迷いもなく取り組める」

「分かってますよ」

 一つ吐息をつき、返答する。

「僕だって、横井さんや戸室さんに、西将と同レベルを求めるのが無茶なことぐらい、重々分かってますから」

「こら。またそんな、棘のある言い方をして」

 窘められ、イガラシは「スミマセン」と頭を下げた。密かにくすっと笑う。

 その時、後方から「おぅい」と呼ぶ声がした。振り向くと、野球部の部長がグラウンドを囲む金網の手前に立っている。

「谷口、ちょっと来てくれ。伝言を預かっている」

「はい。今行きます」

 谷口が駆け寄ると、部長は小さな紙切れを手渡す。何かメモが記されているようだ。

「なぁんだ」

 手前で、丸井が安堵の吐息を漏らす。

「連休前の実力テストのことで、何か言われるのかと心配したよ」

 勉強の苦手な丸井は、部長から成績について問い質されるのが、たまらなく辛いらしい。

「そんなに心配なら、いつでも俺に聞いてください」

 イガラシがからかって言うと、丸井は「てやんでぇ」と声を上げる。

「いくら何でも、一年坊に勉強を教えてもらうほど、こちとら落ちぶれちゃいねぇよ。おっおまえこそどうなんだよ。高校の勉強は、さすがに中学のようにはいくまい」

「……ちょっと、丸井さん」

 井口がちょんちょんと丸井のユニフォームの袖をつつき、声を潜めて言った。

「な、何だよ井口」

「こいつ……その実力テストで、学年三位っすよ。数学の先生から『勉強に専念すれば東大も狙えるのに』って、嘆かれてたくらいスから」

「……おい。余計なこと言うなよ」

 イガラシが苦笑いすると、丸井は「かぁーっ」と頭を抱えた。

「おまえほんと、トコトン可愛げのない奴だな。野球か勉強か、どっちかにしろよ」

 ほどなくして、谷口が部長を見送り戻ってくる。

「丸井。部長が『おまえにしちゃ頑張ったな』と伝えてくれ、だってさ」

「ありゃっ」

 丸井が分かりやすくずっこけると、周囲から笑いが起こる。

「それより、部長が預かってた伝言というのは?」

 倉橋が問うと、谷口は「それなんだが……」と困惑げな顔になる。

「どうしたんだ?」

「うむ。練習試合の申し込みなんだが……昨夜遅く、部長の自宅に電話があって、今日の朝十時までに返事が欲しいらしい」

「ほぉ、そりゃまた急な話だな」

「ああ……どうやら、この辺りに遠征で来ているらしい。予定していた他校との練習試合がキャンセルになって、困っていたんだと」

「ちなみに、どこの何ていう学校なんですか?」

 イガラシが尋ねると、谷口はメモを見ながら答えた。

「む……ええと、和歌山県の学校らしい。ミノワ高校って、このメモには書いてある」

「ミノワ? はて、どこかで聞いたような」

 倉橋が首を傾げる。他の部員達も、同様の仕草をした。

「……ミノワ。えっ、ミノワだってぇ!」

 ふいに半田が大声を発し、立ち上がる。

「な、何だよ半田。急に叫んだりして」

 倉橋が耳を塞ぎ、僅かに眉を潜める。

「そのミノワ高校、結構強いのか?」

「け、結構強い……なんてもんじゃないよ、倉橋君」

 息せき切るような口調で、半田は答えた。

和歌山県立、箕輪(みのわ)高校。昨年春の選抜甲子園大会で、初出場初優勝を果たした学校なんだよっ」

 途端、ナイン達からざわめきが起こる。

 

次回<第23話「消えたエース」の巻>へのリンク
stand16.hatenablog.com

 

 

第1話~第20話へのリンクstand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

 

stand16.hatenablog.com

 

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com

 

 

stand16.hatenablog.com

stand16.hatenablog.com